L'art de croire             竹下節子ブログ

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子供と政治 その2 と、聖霊

8歳の少年と世界情勢を話す

この夏、日本で参政権が18歳に引き下げられた話題を見ていて、まるで子供に政治について説明してやらなくてはいけないという調子のものが少なくなかったのに驚いた。

フランスでは高校生がデモに参加するというのは社会の通過儀礼のひとつのようなものだからだ。

日本でも私が高校生だった頃は、いわゆる大学紛争のあった「政治の季節」で、政治活動に参加したり議論したりする高校生はめずらしくなかった。

フランス人はもともと、ホームパーティでもメトロに乗り合わせた者同士でもバカンス先でも、政治の話をするのが好きであり天気の話と同じくらいにハードルが低い。それでもこの夏に8歳の少年と2人きりで小1時間も世界情勢の話をすることになったのは初めての経験だった。

家庭で大人たちといっしょにテレビニュースを見て大人たちのコメントを聞いていろいろ考えていたらしい。でも最も意外だったのは、少年と話していると、普段仲間と議論している時とは全く別の言葉が私の口から出てきたことだ。

まず少年は、フランスの極右政党の党首を批判して、

「フランスから外国人を追い出すと言うのはよくない、外国人のいないフランスはフランスではない」

と言いだし、その党首が人種差別主義者だとかなり激しく弾劾した。
これが大人と話しているのなら私も同意したかもしれないけれど、不思議なことに私はその党首を弁護し始めた。

「でも彼女(党首ル・ペンのこと)のような人が自分の意見を言えるということが表現の自由だし、彼女のような人がそういうことを言ってくれるおかげで、『それは良くない』と人々が批判したり差別の存在を意識化したりできるから大切なことよ。差別感情は必ずあるもので、もし誰もそれを外に出さないままでいたら、偽善がまかり通ったり排外感情が蓄積したりなどもっと深刻なことになるよ。」

と言ったのだ。

「彼女のような人の発言のおかげで私たちは自分の感情も含めて何が正しくないことかについて考えることができるでしょう」と。

次に少年はイランの情勢について語り、イランは大統領がいる共和国で民主主義だと言ったが、私は

「問題は、そういう政治システムとの上に宗教のリーダーがいて、宗教のリーダーが最終的な権威を持っていることだ」

と言った。

「イスラム共和国はイランを利用したけれど、イランにはゾロアスターの伝統も生きていたし、日本に仏教が伝来しても民間信仰と習合したように、一宗教のリーダーが上から社会を縛り異質なものを排除するのは民主主義とは言えない」。

こう話しながら、ああ、政教分離というのは人間が獲得した本当に大切な知恵だなあ、と私は初めて実感した。

話はさらにフランスから遠ざかり、少年が、今度は「絶対悪」として北朝鮮を引き合いに出して来た。

それにも驚いたけれど、私はまたもや弁護し始めた。
朝鮮が分裂したのは当時の政治イデオロギーの対立のせいでむしろ犠牲者であること、その後冷戦が終わって北朝鮮はソ連から見捨てられ、市場経済政策によって欧米と接近した中国からも裏切られて孤立せざるを得なくなったこと、などを説明したのだ。

切って捨てられるような「絶対の悪はない」と。
実際に人の自由や安全を脅かす個々のケースを批判して対応しなくてはならない。

同時に、政治や社会を論じる時には、「恐怖」と「怒り」に基づいてはいけないと話した。
「恐怖」にとらわれている時には正しい判断、識別ができないからだ。

また「怒り」に駆られた時は、必ず自分が絶対正しいと思ってしまうからだ。ところが「絶対正しい」などということはあり得ないのだから、怒りにまかせた判断は必ず間違っている。いったん怒りを鎮めた後で状況を検討し判断しなくてはいけない。
これはセネカの『怒りについて』の受け売りで私が自分に課しているものだけれど、少年はすべてについて納得したようだった。

共和国理念よりも上にあるもの

「外国人とは何か」についても話し合った。私は日本人だし、フランス生まれの少年も祖父母やその前まで遡ればフランス以外のいろいろな国のルーツを持っている。
少年が「ぼくはフランス人というより外国人かもしれない」とむしろ自慢げに言った。
私はこれに対しても、普段とは違う反応をした。

「いや、きみはフランス人だよ。フランス人というのは国籍や血統でなくてフランス語とフランスの理念を共有しているかどうかだから。その意味では私もフランス人だと思う。」

そして「共和国理念」とは自由・平等・きょうだい愛(フラテルニテ)だと付け加えた。

「きょうだい」とは、人種や言葉と関係ない普遍的な人類のことだから、人種差別や外国人排斥とは相容れない。
たとえこの理念が現実には反映されていなかったり捻じ曲げられたりしているとしても、これを掲げるかどうかは譲れないところだ。

話がこの段階に入った時、少年はいたずらっぽく笑って、「いや、その理念よりももっと大切で上位に来るものがある」と言い出した。

「なんだか、分かる?」

「分かるよ」

私は腕を広げた。

さっきまで真剣な表情で「天下国家」を論じていた少年は天使のように幸せな表情で私の腕の中に体を投げかけてきた。

「アムール(愛)!」

二人は同時に言った。

私と彼が話しているあいだに「聖霊」が二人のそばにずっといたことを感じた。

夏休みに入り、旅行に行く前にうちに寄っていた少年とのひと時である。
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by mariastella | 2016-11-30 01:20 | 雑感

幼児は右翼か左翼か?

社会党系のリベラシオン紙の中にある「プチ・リベ」というおそらく中高生を対象にしたページが時々ある。その15回目(2016/11/5-6)のテーマは「政治における左と右」というものだった。

もともと右翼、左翼という言葉自体が、フランス革命後の国民議会に由来する言葉で、その歴史や、15歳の少女の政治観、「左」と「右」の考えたの違いなどが紹介されているが、その中に『幼児は「左」か「右」か?』という記事があった。
ここでは「右」とは既成の権威に服する保守、左とは被支配者側につく、というくらいの意味だ。

で、結論は、3、4歳では「右」、
5歳はばらばら、
8歳は「左」、

と、はっきり傾向が変わるそうだ。

三つの国立大学とCNRS(国立科学研究機関)が共同で行った「子供における政治観の誕生」という研究でヒエラルキーに対する感受性を扱ったもの。

やり方は、まず、キャラメルという名の猫とノワゼットという名のネズミのマリオネットが遊んでいるシーンを子供たちに見せる。

その寸劇の中で、何かを決めるのは必ず猫の方で、ネズミはそれに従う。
猫がリーダーだということが明らかに分かる。

それを見た後で、子供たちは大小二つのチョコレートをもらって、それを猫とネズミに渡すように言われる。

3、4歳の子供はみな、大きい方のチョコレートをリーダーである猫に渡す。

5歳の子供たちは、ばらばらだ。

8歳の子供たちは、大きい方のチョコレートを、決定権のないネズミに渡す。

3、4歳の子供たちは生活の多くのシーンで両親による決定に従っている。だから猫の権威を認める。

8歳になるとある程度の自立を獲得するので、弱い方のネズミに多くを与えることで、自分が助けを必要とするときにも与えてもらえるだろうという意識が働くのだそうだ。
猫に比べてネズミの権利が制限されているのを見て、大きいチョコレートを与えることでその「不公平」を「是正」してバランスを取ろうという感覚が働くという。

この結果から、3、4歳の子供たちは保守陣営の大人に似ているのではないかというのだ。

また、社会への見方、政治的志向は、自分の生活の環境や文脈によって変化するということでもある。

おもしろいといえばおもしろい。

フランス人は家庭でも盛んに政治の話をする。

8歳にもなれば親の政治的意見にも左右されるだろう。

逆に、8 歳の子供と政治の話をすることもあるし、その時には自分自身も責任を感じて慎重になる。

そういえば最近こんなことがあった。(続く)
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by mariastella | 2016-11-29 02:17 | 雑感

フランス大統領予備選 その8

フランス共和党の大統領予備選は、予想通りフィヨンが大勝した。
全回のフィヨン票とサルコジ票を足した感じだ。

フィヨンの「公約」はかなり具体的なので、「後出し」に向かうル・ペン(FN)や社会党(PS)は戦略が立てやすい。
今朝のラジオではFN(国民戦線)が、フィヨンは国民皆保険の社会保障を事実上なくして、低所得者は医療が受け入れなくなる、と攻撃していた。

昨日の調査では初めて、来年の大統領選の第一回投票でもフィヨンがル・ペンを上回るという結果が出て、決選投票ではジュッペに勝ったのと同じ三分の二の得票、と出ている。
それでも2002年のシラクとFNの決選投票程の差は出ていない。
ポピュリズムが経済格差と比例して増大しているのは確実だ。

首相のヴァルスが出馬する気が満々で、ジュッペが敗れたことからバイルーら中道も出馬しそうだし、(ラマ・ヤデはすでに出馬表明)、フィヨンに対抗する陣営は票が割れそうだ。

それにしても、もう何十年も政治家をやっていて、首相も5年務めたフィヨンが、今になって反動カト(カトリック)呼ばわりをされて揶揄され続けるのを観察するのはおもしろい。
もう一世代前になりつつある「インテリ-左翼-無神論」の伝統がどっと蒸し返されて楽しいくらいだ。

レイモン・アロンは「フランス人は革命はできるが改革はできない」と言ったそうだが、実感がある。
朝のラジオで傑作だったのはフィヨンの勝利でミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の中のヒット曲
「カテドラルの時代」が流されたことだ。

この曲のこの部分
で、「Il est venu le temps des cathédrales 」というフレーズがとても有名で、「カテドラルの時代がやってきた」とフィヨンが揶揄されているわけだ。
反動カトのフィヨンでは政教分離ももうおしまいだ、宗教行事に合わせて国家試験の受験をずらすことができるようになるかもしれない、とも批判されている。
まあ、ここ最近、イスラム原理主義を規制する度に、イスラムを名指ししないために他の宗教も同様に新たな規制を受けるようになったので、マジョリティであるカトリック側から「信仰の自由を保障せよ」という声が上がっているのは確かだ。

でも宗教の社会的スタンスはそれぞれの歴史的文脈があまりにも違うので、まとめて扱うのは恣意的に過ぎる。クリスマスの馬小屋(イエスの誕生シーン)設置は宗教だと批判されても、中国の新年の行事は文化としてもてはやされる。イスラムに対しては完全に政治的な判断だ。

まあ、今回の大統領選については、前回、DSKのスキャンダルで繰り上がった形のオランドが「反サルコジ」票を集めて当選したことに比べると、まだ冷静に議論されるだろうとは思うし、保守と革新(こういう区別の仕方はもはや成り立たないが)の政権交代があること自体は健全だとも思う。PSから距離をとったマクロンあたりが力を蓄えているようだが、まだまだ伸びしろがあるだろう。

ジュッペは最終演説で、環境やヨーロッパについてふれていたのはよかったが、人々が不満を持つ今の状況を「鎮静させるには、安心させなければならない、安心させるには強くなくてはならない。国を再武装して全雇用の経済を再建するために強くありたまえ(Pour apaiser, il faut rassurer, pour rassurer, il faut être fort. Soyez forts pour réarmer l'État et reconstruire une économie de plein emploi)」などと言った。レトリックではあるが、「武装」とか力とか強さとかいう言葉や経済再建とかいう方向性自体は、みんな同じだ。フィヨンも、幸福とは奪い取るものだとか、特別な力だとか、フランス人の誇りだということばを使っている。

選挙「戦」というだけあって戦闘的なのは分かるけれど、どちらも今の状況を嘆かわしいものというところから出発して、それから脱却するには強くなくては、という路線は同じだ。

しつこいようだが、シモーヌ・ヴェイユの言葉をいつも忘れないようにしている私にとっては、賛同できるものではない。

フランス人であることの誇り、それを子孫にも伝えて…などという言説も、どこの政治家もいうことだけれど、誇り=自尊心というのも、たいていは他者との優劣関係におけるものだ。

経済力や軍事力の優位に担保されるような「誇り」ではなく、命そのものの「尊厳」が大切だという多くの宗教が伝えるメッセージとも合致していない。

フランス人仏教者とも話したが、同じ意見だった。
その人は、第一回投票の前の7人の候補者の討論で、唯一の女性であるNKMが、司会者たちから他の候補者に比べて2倍の22回も発言を中断させられたことを指摘して、フェミニズムの観点から彼女に投票したと言っていた。

何にしろ、「戦い」を前にしてはいろいろな本音が見えてくる。

それを観察するのは勉強になる。
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by mariastella | 2016-11-28 20:31 | フランス

アスガル・ファルハーディー の『セールスマン』

今年のカンヌ映画祭で脚本賞、シャハーブ・ホセイニーが男優賞を受賞したイラン映画。

前作の『ある過去の行方』については前にここで書いている。その前の『別離』についてはここで

『セールスマン』というタイトルは、主人公のカップルが、劇団員でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じているからだが、フランス語タイトルの『顧客』という方が、意味深長だ。

最初にカジノだとかボーリングだとかいうネオンが出てきたので一瞬驚いたけれどアメリカが舞台の芝居の大道具だった。テヘランでアメリカの芝居をやるリスクにも触れられている。女優が帽子の下にちゃんとスカーフで髪を隠しているのもイランならではだ。
主人公が教師を務める学校の文学の教材も検閲されている。

脚本賞を得たのが納得できる、まるでミステリーのようなスリリングな展開で、はらはらするし、驚きの結末だ。
夫婦の関係、そこに仲間の子供が加わるときの関係、隣人関係、高校教師と男生徒たち、怒り、憎悪、復讐、憐憫、赦しなどが、アクションとリアクションとして連なっていく。

どこをとっても巧い。
しかも、決めつけがない。
人はおかれた人間関係や立場によって色々な欲望を持ち、誘惑にさらされ、自分を正当化したり、自制を完全に失ったりする。
強さも弱さも卑怯さも優しさも、みんなほんものだ。
哀しいし、痛切でもあるけれど、主人公の二人が演劇という芸術に情熱を傾けているところ、最後にそれがクラスの生徒たちの心もとらえるところなどに、救いを感じる。

こういう映画を撮ることが、宗教原理主義体制に対する何よりも有効なレジスタンスであり、自由の意味を考えさせてくれる。

いつもは映画についてコメントするときはいわゆる「ネタバレ」を気にしないのだけれど、ここではそれを書く気がしない。

その「ネタ」は思いがけない重いテーマであって、この映画もその解決を語っていないし、主人公たちのリアクションを肯定も否定もしてしない。

これについて書き始めたら映画評ではなく、哲学に足を踏み込んでしまう。

「悪の陳腐さ」はいつも哀しい。この映画で突きつけられる「悪の弱々しさ」は、もっと哀しい。
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by mariastella | 2016-11-28 04:12 | 映画

ロン・ハワード『インフェルノ』

ダン・ブラウン作のロバート・ラングドンの映画化シリーズ第3作『インフェルノ』。

『ルイ14世の死』があまりに息が詰まりそうだったので、気分を変えるためにハリウッド映画に行ってみた。
フィレンツェが舞台というのも大画面で見るのが楽しそうだったし。

なんかもう、007みたいに追跡シーンばかりで展開が速くて飽きないのだけれど、007ならヒーローが絶対強そうでカタルシスもあるけれど、このラングドン教授は最初から最初まで傷だらけで記憶はないの体調は悪いの幻覚は見るの、で、映画を見ているこちらが疲れる。

一方、女優は悪役もふくめてすてきで元気いっぱいだ。イギリス人のフェリシティ・ジョーンズ はかわいいし、デンマーク人のシセ・バベット・ クヌッセンは相変わらずすばらしい。
前にもフランス映画でいい味を出していたが、最近も「ブルターニュの女」というフランス映画でヒロインを演じている。
ひっぱりだこだ。
知的で抑制があって、しかしとても優しく温かく女性らしさがあるというギャップがいい感じで、地味なのだけれど印象に残る人だ。

この映画ではWHOの事務局長役で、最初に出てきたときは、腹に一物ある怖い女ボスというイメージなのだけれど、実はラングドンの元恋人だった。ラングドンはハーヴァードに、彼女はスイスのWHOにと、それぞれ自分の天職の使命を発揮するところに別れていくという設定。

それはなんだか中学生の恋みたいなのだけれど、ファブリス・ルキーニが相手役でもそうであったように、この人が演じると説得力があっていい感じだ。

男の悪役は、フランスのコメディアンのオマール・シーや、目玉が飛び出しそうで怖いインド人イルファン・カーンなど個性的で、パッとしないトム・ハンクスを補っている。
マッド・サイエンチストを演じるベン・フォスターという人だけが普通っぽい。

話は歴史や美術、宗教と直接の関係はなく、007の敵風の陰謀論みたいなものなので、前2作のようなつっこみどころはない。

実は、今年映画館で観たハリウッド映画に『スター・トレックBEYOND』がある。
付き合いで観たのだけれど、そして、飽きずに見て、後からいろいろ情報を収集したのだけれど、
コメントを書くことがどうしてもできなかった。

今年観た中で、同じ種類の映画、つまり、それなりに面白かったのに、コメントの書きようがなかったものに、実はディズニーの『ズートピア』がある。

二作とも、ポリティカリー・コレクトというか、アメリカの描く人類の正しい理想みたいなものがある。

性格や条件や「強さ」などがまったく違うキャラクター間の友情、
平和が実現して戦争のない世界、
しかしそれを軟弱で平和すぎる刺激のない世界とみて、争いの種をまく「悪者」。

『スター・トレック』で、多様な人種が、同じ連邦の理念のもと、平和的に協力し合いながら宇宙探索を進める世界、それを異星間の平和条約にまで拡大しようという使命感。
『ズートピア』で草食動物と肉食動物が共存し、キリンもネズミも同じ列車で旅行できるような多様性を実現している世界。

なんというか、それらのあまりにもの「正しさ」と、理想を鼓舞してくれる「いい感じ」が、現実のアメリカやアメリカが主導している世界の状況とギャップがありすぎて、居心地が悪かった。

その点、この『インフェルノ』には、そのマッド・サイエンティストの「巨悪」みたいなものも、それを善意で信奉してしまう人々の「間違った理想」「間違った正義感」も、ある意味で、リアルな愚かさなので、イデオロギーが入り込む余地もない。なんだかぱっとしないヒーローの等身大のあがきの後を追うだけ、という気楽さがある。

大仰な人類救出劇の中で小さな安堵、小さな迷い、などの表現が一応成功している。

まあ、この『インフェルノ』を見てライフポイントを回復したので、次はシリアスなイラン映画アスガル・ファルハーディー の『セールスマン』に挑戦だ。これについては次に。
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by mariastella | 2016-11-27 00:51 | 映画

フランス大統領予備選 その7

日曜に最終投票となる今回のフランス共和党予備選、事実上の本選だとも言われている。

そのくらい、オランド大統領の人気はないし、社会党が内部分裂を起こしていることもあって、政権交代の可能性は大きいからだ。

では私がフィヨンとジュッペのどちらがましかと思っているのか、と聞かれたのだけれど、社会党の分裂を反面教師とし、アメリカの共和党の分裂も反面教師とし、彼らは、どちらが選ばれても協力態勢で行くことは大体予想できる。

2人ともフランシスコ教皇を引き合いに出して「良心」のある所を強調しているけれど、如何せん、2人とも、教皇とは正反対の「経済成長優先」であることは明らかだ。

いまだにサッチャーの規制緩和を見習えなどと言っているが、考えたら、これ以上経済成長を指標にしたら、地球が壊れてしまうのが分かっているような時代にどうしていまだにそんなことを言えるのだろう。

セキュリティの問題や社会の不満は、みな失業者が多くて可処分所得が減っているのが原因だ、だから「企業と投資家を優遇して景気を良くし、雇用を創出して、利益をみんなに還元する」という理屈がうまくいかないのはもうどこでも証明されていると思うのに。

フィヨンもジュッペも富裕層の特別税を廃止してTVA(消費税に相当)を上げる、などと言っている。

国際的な競争力、発言力はとにかく経済力だ、というのは、もう通用しない。

しかも、今の世界の国々の経済力の大きな部分は軍産複合体にある。
早い話が、経済成長のためには、武器や軍備を増強するのがてっとりばやい。
それは潜在的に戦争を必要とするということであり、街や道路を戦争で破壊したら、今度はそれを再建するための公共事業や復興産業が待っている。

こういう、かなり分かりやすい利権構造が見えているのに、みんな、とりあえずは自分ちの庭に爆弾が落ちなければいいのだろうか。

もう一つ、フランスのカトリックが共和党寄りか社会党よりかという質問だが、全体の傾向としては、
ソシアルにはとても左寄り、ソシエタルには右寄りであると言えるだろう。

ソシアルというのは、同じ共同体のメンバーに対する人間的な関係で、弱者やマイノリティに寄り添う無償の社会福祉的なものは社会党と親和性がある。

ソシエタルは、主として経済的政治的なレベルで使われる言葉で、異なる社会に対する関係と言える。
例えば、企業が自分の従業員に対するのはソシアルだけれど、外国の原料供給者だとか、地球の環境の保全とか、地球レベルでの平等や持続可能性などを考えるのはソシエタルである。

その意味で、自分ちの経済、自分の国の国力増強を優先するのはフィヨンもジュッペも変わらないし、フランスのカトリックと親和性があるだろう。 経済至上主義や金の偶像崇拝を弾劾する教皇とはまったく反対なんだけれどね。
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by mariastella | 2016-11-26 06:14 | フランス

フランス大統領予備選 その6

先ほどTVでフィヨンとジュッペの最終討論を見た。

週明けは両陣営から非難と揶揄の応酬が続いたので、おやおやアメリカ化するのかと思っていたら、まあ、まともだった。

今週フィヨンは保守反動カトリックのレッテルを貼られたし、ジュッペはボルドーのモスクに絡めてアリ・ジュッペなどと言われた。

特にジュッペは70代の年よりだというイメージを払拭するためか月曜のミーティングで

「J'ai la pêche! Mais avec vous j'ai la super pêche!" 」

と気勢を上げたことでSNSでさんざんからかわれた。

la pêche は「桃」で、元気いっぱいという意味の口語で、くだけた言い方だけど、「私は元気です、皆さんといると超元気です!」と 「la super pêche 」と言ったのが、私は覚えていないけれど前世紀のスーパーマーケットの宣伝文句だったらしくて、藪蛇というか、かえって年より臭い、ということになった。

アメリカならなんでもありかもしれないけれど、確かにこんな言葉の使い方をフランスの大統領にしてもらいたくない。おまけに pêche には、ボクシングのパンチという意味もあるので、その pêcheをジュッペの顔面に打ち込んでやる、みたいな応酬もあって、揚げ足取り、言葉遊びのレベルになっていた。

こんなことでは、本選でポピュリストに敗れる種をまいているようなものだと心配だったが、公開討論ではまあまあ上品だったのでほっとしたけれど、インパクトもなかった。
そうなると、「見世物」としては、サルコジがいないとキャラが立っていなくてつまらない。

アメリカでトランプやサンダースが傍流から飛び込んだのと違って、2人とも同じ共和党の同僚同士で親称で呼び合っているし。

でも、サルコジがいなくなったので、決選投票に行く人は減るのではないかとか、フランス人は天邪鬼だから今度はフィヨンを落として番狂わせを狙うとかいう人もいて、どうなるかは蓋を開けないと、分からない。
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by mariastella | 2016-11-25 08:12 | フランス

 アルベルト・セラ『ルイ14世の死 La Mort de Louis XIV』

イオネスコに『Le Roi se meurt』(王が死ぬ)という戯曲がある。死を受け入れない王の周りで舞台の小道具や装置が少しずつはぎとられる。

この映画『ルイ14世の死』は、1715年、太陽王ルイ14世が寝たきりで過ごす最後の3週間。
なにもはぎとられない。はぎとられるのは生命だけ。

薄暗がり。
鳥の声、虫の声、羽音、時計の音。
ひそひそ話。
孤独。

足の切断をためらう医師たち。すでに完全な体ではなくなっている。
イギリス人にしか抽出できないというエッセンスを入れたあやしい薬を売り込む男。
豪華な部屋と黄昏の暗さ。まるでレンブラントの絵の世界。
特に解剖のシーンは。



入れ歯を飲み込んだ大理石のライオンのような顔
の周りを大振りの鬘が覆う。

容態が変わるたびに医者たちが議論する。

嚥下できない。
話せない。
ミサ。
告解。
終油の秘跡。

宗教は役に立っているのか?
ナントからかけつける枢機卿。
王がMonseigneur と呼んでいる。
それは司教の呼び方で枢機卿は votre Éminence ではないのかなあ。

監督はカタルーニャのアルベルト・セラ。スペイン・バロックの色も濃い。
撮影はポルトガルだったらしい。

こんな映画、だれが観るのか。

ルイ14世とその時代のファン。
ダンサーでバロック・ギタリストでダンス・アカデミーやヴェルサイユ文化を作ってくれた人への敬意。

ヌーヴェル・ヴァーグへのノスタルジー。
ジャン・コクトーとフランソワ・トリュフォーに見出された少年ジャン=ピエール・レオ-がヌーヴェル・ヴァーグのシンボルのような映画人生を生き、72歳になって、75歳のルイ14世を演じているからだ。

すごい迫力だ。

権力者の死、に興味がある人には必見かもしれない。

ナポレオンの死を思う。
生前退位できずに苦しみながら死んだヨハネ=パウロ二世。
生前譲位できない日本の昭和天皇の死。
パブリックの死。
逆説的にすごく孤独だ。

半熟卵を口にしたりビスケットをかじったりするたびに宮廷の人が拍手する。
目を開けると大仰に歓声を上げる。
見世物のようでもある。緩慢な公開処刑。完全に死ぬまで退位はできない。
職務、機能、権能を担ったまま死ななければならない。

こういうのを見ていると、権威も権力も宮殿もいらないから、清潔で近代的で、鬘と宮廷服をつけていない医師に看取られて安らかに死にたい、と実感する。

今の時代に生きていてよかった、とも思うけれども、中東の野戦病院で血を流して死んでいく子供たちを思い浮かべると、やはり、問題は死に方でなくて、どう生きるかなのだ、と分かる。
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by mariastella | 2016-11-25 00:23 | 映画

聖ウラジーミル・プーチン

共産主義体制が崩壊していく経過においてロシアがそれまで人民の阿片などと蔑んでいた宗教にすり寄ってロシア正教を利用したのは理解できる。

でも、今(11/4)になって、クレムリンの前に17メートルのウラジーミル一世が右手に十字架、左手に剣を持っている彫像をプーチンが建てるとはね。

ウラジーミル一世は10世紀にロシア、ウクライナ、ベルラーシの揺籃の地であるキエフをキリスト教(東方正教)に改宗させた人物だ。
この像の建立に反対する人は多く、当初予定されていたの30メートルの高さを17メートルに縮小させた。

それまで最大のウラジミール一像はキエフにあった。
モスクワ市民はこの像を歓迎しなかったようだ。

ウラジーミル一世は、ウラジーミル大王、赤い太陽、聖ウラジーミルとも呼ばれる。

ビザンティン皇帝の妹と結婚する条件(他にもクリミア半島の征服や、眼病治癒もあり)で988年に正教の洗礼を受けて、正教を国教に制定した。
実質的に人々に帰属を強制した。

イスラム教も、ローマ・カトリックも、ユダヤ教も当時のキエフに「勧誘」に来たという話が伝わる。

イスラムは天国であてがわれる70人の処女のことを聞いて心を動かされたけれど、酒が飲めないのは問題外なのでやめた。

カトリックの使節団は断食の典礼のせいで追い返された。

ユダヤ教は、ユダヤ人が神のみ旨によってエルサレムを捨てて世界中にばらまかれたのだから説得力がないと言った。

正教は典礼が華麗なところが気に入られた。

プーチン大統領の名はウラジーミルだ。ウラジーミル一世は彼の守護聖人のようなものだ。
剣と十字架を持つ聖ウラジーミルの像は、聖プーチンの自意識を反映しているのかもしれない。

先ごろ青土社から出した『ナポレオンと神』には、ナポレオンが自分の権威を聖なるものにまで高めるためにどのような彫像を創らせたかについても書いた。

フランスでは『ウラジーミル・ボナパルト・プーチン』などという本が出ているし、今のEU会議がプーチンを批判する様子を、2世紀前にウィーン会議がナポレオンを扱った様子に例える人もいる。

そういえば、プーチンは、昨年だったか、ナポレオン戦争でのロシアの勝利の記念式典を行った。

無神論的共産主義から一転して政治と宗教がずぶずぶになったロシアのシンボルとして、聖ウラジーミルの巨大像が、人々を威圧する。
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by mariastella | 2016-11-24 03:02 | 宗教

フランス大統領予備選 その5

アメリカの大統領選に比べてフランスは腐っても鯛、上品だなあと思っていたのに、フィヨンとジュッペの一騎打ちになって、突然相手への誹謗が飛び出した。

フランスがカトリック文化圏の国で、それを倒して共和国を造った国だというのもあらためてよく見えてくる。

カトリック信仰を隠さないフィヨンには「カト、トラディ(伝統主義者)、レアク(反動)」などの言葉が浴びせられる。
カトリックを「カト」というと、すでに、反革命、蒙昧な保守主義者、ブルジョワ王党派などの含意がある。

これを受けてフィヨンは

「カトリックです。でもトラディでもレアクでもない。すべてを変革しようとしているのだから」「信ずる価値観があるのは大事です、私は家庭、国の権威、労働などの価値を信じます」

と答えていた。

ジュッペも、「自分の方がフランシスコ教皇に近い」と明言するし、カトリックに属する二人ともが教皇を引き合いに出して自分の立場を正当化している。

今のローマ教皇は、フランスが力を入れている環境保全の最大の味方だし、社会政策についても、保守どころか社会党からも共感を寄せられるくらいの徹底した弱者擁護である。

ニースのテロの犠牲者や家族を宗教と関係なくヴァティカンで励ましたことも好意的に受け止められている。

アメリカの方が「宗教共同体」の縛りや建前がはるかに強い国だけれど、フランスのような「無神論的共和国」の建前の強い国の「建前の狭間」から漏れてくるカトリック臭というのはある意味で「かわいい」と思ってしまう。

そう思うこと自体、私の世代の日本人がいかに「信仰に無関心」の空気の中で育ったかの表れかもしれない。
建前宗教共同体のアメリカに比べると日本とフランスは似ているなあと日頃思っているけれど、日本の霊的無関心の荒野の乾燥度は半端でないかもしれない。そこを狙われたら誰に水を与えられても識別力が働かない可能性がある。

フランスは果たして、砂漠を掘り返すと泉の気配が見えてくるのだろうか。
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by mariastella | 2016-11-23 19:27 | フランス



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