L'art de croire             竹下節子ブログ

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『この世界の片隅に』

アニメ『この世界の片隅に』を観た。

主人公はちょうど私の母と同世代で、母から聞いた戦争中のいろいろな話とかぶる。
でも母は都会に住み、結婚したのも戦後2年経ってからで、どこかにお嫁に行くというより、戸籍的には天涯孤独な父と、一軒家で夫婦2人の生活を始めた専業主婦で、昼間は近くの実家によく行って、夕ご飯を持たせてもらって帰るという優雅な生活だったから、このアニメのお嫁入り事情とは全然違う。

戦時中や戦後すぐの話など親の口から直接聞いたのは私の世代でそのうちおわりになるかもしれない。

このアニメに出てくる当時の日常は貴重な記録だと思うし、「普通の人」が「普通の生活」を続けられない戦争の怖さというのはよく分かるけれど、このアニメの登場人物たちから奪われた「普通」が、私にとってすでにあまりにも普通でないのがショックでもある。

私は中学生くらいの時にはじめてボーボワールの自伝の『女ざかり』を読んだ時の衝撃が忘れられない。自分の力で自由に生き信念も持っていた知識人のグループが、第二次大戦の中で、自分たちの力ではどうしようもない歴史の歯車の中で押しつぶされて行く。日常を捨ててレジスタンスとサヴァイヴァルとにすべての時間が費やされる。天災ではなくて人災なのに、防ぐことができなかった。

その恐ろしさが実感として迫ってきた。中学生の私は親からも学校からも、社会からも何のプレッシャーも受けていなかった。私の未来は完全に私に自由に託された選択だと思っていた。そんな「私の普通」がある日歴史の運命に邪魔されることがあるとは想像もできなかったのだ。

でも、パリの知識人たちにはそれが起こった。すごく怖かった。

その実感に比べたら、このアニメの「すず」さんの「普通」は、実家の海苔栽培の手伝いから、見初められての10代での「お嫁入り」まで、少なくとも私にはあまりにも「普通」ではないし、実際、戦争がない今の日本でももうあまり「普通」とは言えないだろう。

でも、主婦ブログなどを読むと、今でも、婚家との確執、姑、小姑との確執が深刻な人もいる。それに比べたらすずの夫も舅姑も親切で戦争を 生き延びたので、ベースには人としての幸せ感はある。戦争がなくても家族とうまくいかなくて鬱に陥る人は少なくない。

こうの史代さんのコミックは『こっこさん』しか知らなかったので、へえ、広島出身の方だったんだと今回分かった。素敵な仕事をされたと思う。誰だかの「交響曲HIROSHIMA 」なんかよりもはるかにすばらしい。

すずさんがとにかく「絵が大好き少女」で、全てがいわば絵日記風には綴られているのが楽しい。

それを観ていると、日本の別の天才画家のことを連想する。(続く)
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by mariastella | 2017-03-22 22:51 | 映画

コンテンポラリー・アートのナルシシズム

最近夢中になって読んでいる本。

Du narcissisme de l'art comtemporain Alain Troyas et Valérie Arnault (ed. l'Echapée)

『コンテンポラリー・アートのナルシシズム』です。

すばらしい。

パリやベルサイユに突如として現れる度肝を抜かれるさまざまなインスタレーションを含むコンテンポラリー・アートについて、いろいろ考えていたのだけれど言葉にならなかったものが的確に言葉になっている。

政治と経済とアートの関係の歴史もよくわかる。

政治と経済(これは誰がなんのためにアーティストに制作の場や費用や発表の場を与えるのか、ホワイト・キューブを提供しているのは誰か、という話で最も重要となる)とが激しく動いていく中で、調和の心地よさや超越的な美を感じる人間の感性は古来変わらない。そのずれや乖離はどう生きられているのか、何が求められるのか、などの問題だ。もちろん復古主義などではない。

この本は、環境破壊が悪い、グローバルな世界が悪いから、昔(戦前、江戸時代、中世…)に戻れと言うような反動の言辞が普通に聞かれるようになっている今現在においての考えるヒントになる貴重な視点を提供してくれる。

美術系評論の中で今までこのように目を開かせてくれたのは若林直樹さんの『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』(河出書房新社)以来だ。

これをもとにゆっくり考えて行って、少しずつ書いていきたい。
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by mariastella | 2017-03-21 00:02 | アート

音楽とトランスと気持ちよさ

バッハのブランデンブルグ協奏曲第三番の第三楽章を相変わらず五パートで練習しているのだけれど、だんだんとテンポが上がってきて、今はほぼ、演奏会テンポ。前にも書いたが、「切れ目」というのがまったくなくて、トランス状態になりそう。特に隣り合う二弦の間を何度も高速で往復して弓を動かす心地よさは、擦弦楽器をやるまでは想像もつかなかった。

音楽とトランスについて前にバリ島のことを書いたけれど、速いテンポで繰り返しを含む曲を延々と弾いていたら、奏者は地に足をつけていられない。

でも、音符はきっちり追わなくてはいけないし指も腕も正確に動かすのだから、そして他のパートときっちり合わさなくてはならないから、トランスといっても、「あっちの世界に行っちゃっている」状態ではない。

私は結構こういうのが好きだって分かった。

前に、ラモーと「間」について書いたけれどラモーの場合は、言ってみれば絶えず何をどうするのか決断しなくてはいけない。
その「意志」が「間」をびっしり埋める。

ブランデンブルグを弾いていると、「決断」なんてしている暇はない。
曲に引っ張られる心地よさ。

こちらが絶えずクリエイトしなくてはならないラモーと比べて、やはりお手軽なトランスの楽しみがある。

ヴィオラをはじめて20年以上になるけれど、ボウイングの心地よさがくせになるのでやめられない。
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by mariastella | 2017-03-20 05:34 | 音楽

ヴォルテールのせいで転んだ

ヴィオラ奏者のコリンヌが、足首を捻挫して引きずっていた。

私がレッスン室に入った時、ちょうどその話を別の奏者に話しているところらしく、

「猫に気を取られて転んだのよね、ヴォルテールのせいで・・・」

というのを耳にしたので、私は思わず

「あなたの猫ってヴォルテールという名前なの?」

なんて言って驚かれてしまった。

もちろん「ヴォルテールのせいで転んだ」というのは有名な表現で、歌や映画(『ヴォルテールのせい』という邦題もある)にもなっていて、革命以来何でもかんでもルソーとヴォルテールのせいにする、というのは早くからあった。

それが慣用句になるくらいに有名になったのがユゴーの『レ・ミゼラブル』の中でガヴローシュが歌う歌で


« Je suis tombé par terre,
C'est la faute à Voltaire,
Le nez dans le ruisseau,
C'est la faute à Rousseau. »

というのがあり、まあ、転んだ「par terre(パルテール)」とヴォルテールとが脚韻を踏んでいるということだ。

それが有名なので、何でもかんでも誰かの責任にすることで「ヴォルテールのせい」という言い回しになった。コリンヌは実際に「転んだ」ので、ほんとは「猫」のせいなのだけれど「ヴォルテールのせい」という「下の句」が口をついていたわけだ。

私はこの表現を知っていたけれど、ドアの向こうで「猫」、「ヴォルテール」と耳にして、うちの猫スピノザのことを考えて、猫に哲学者の名前付ける人って他にもいるんだ―と思ってしまったのだった。「V」の年に生まれたなのかなあって。スピノザは「S」の年生まれだ(ソクラテスかスピノザかで迷った)。

普段はスピヌー、スピ、ピー、スピンボーイなどと呼ばれているが獣医さんちのカルテにはちゃんとフルネームで記録がある。近頃『エチカ』を読み直してるのでますますそちらに連想が行った。

でも考えてみると、このヴォルテールの表現、知ってはいるけれど、自分では使ったことがないし、周囲の人が言っているのを聞いたのも初めてかもしれない。

今度何かもっと微妙なシーンで、「こんな表現も知らないのか」みたいな事態に陥らないとも限らないなあ、と自戒。
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by mariastella | 2017-03-19 08:24 | フランス語

猫の世話をして神のことを考える その2

これは前の記事の続きです。

で、猫のトイレの始末をするたびに、このことを逆方向から考えてしまう。

私は彼らを愛し、世話をし、トイレをきれいにし、餌もあげて…
やっぱ「神」に仕える人、みたいな感じって。

これはある意味盲点だ。

イエスは、天国に行ける人として、

「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人だと言っている。

つまり、すべて、世話や支えを必要としている人の中にはイエスがいるのだと。

実際、ボランティアなどで「貧しい人々」や「病気の人々」の救援やお世話をしている人でも、ほんとうに、「弱い人」の中に「イエスさま」を見て、喜びに満ちているシスターなどに何度でも会ったことがある。

逆に、貧しい人や困っている人を「お世話してる」「愛してる」私って「神」?って勘違いしている人だっている。

犬の世話をする人は「主人」であることをやめない。
猫の世話をする人は「猫に仕える」。

もちろん双方向の作用がある。

子供と親の関係も考える。

子供が、親に愛され、甘やかされ、すべての世話をされ、養われ、「ぼくって王様?」と思うか、

同じことをされて「親って神様?」と思うか…。

犬や猫はいずれ人間になるわけではないが、子供はいつか大人になる。

「無償の愛」をバトンタッチして継承していくには、やはり「大人と子供」だけの関係や、「人間とペット」のような関係に限定、閉塞させないで、世界を広げ、「神様」が遍在しているような感覚を養い、育てていかなくてはならない。
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by mariastella | 2017-03-18 00:45 |

猫の世話をして神のことを考える  その1

今、猫2匹と暮らしている。

こういう状況だと、2匹というところが大切だと分かる。
年も性格も食べ物の好みも違って、時にはけん制しあったり、仲良くしたり、協力したり、そこに私が加わって、「社会」ができる。

親一人子一人、とか人間ひとりとペット一匹とか、夫婦二人だけ、とかはよくない。

よくない、というのは「悪い」と言っているのではなく、「よい関係」でいるのが難しい、ということ。

一対一では共依存に陥りやすいし、どちらかの翻意、病気、死亡、裏切り、不在、などでつらい思いをしやすい。

それに比べればまだ「一人暮らし」の方が、独立独歩の能力のある人なら、世界を広げる工夫をするかもしれないし、喪失に対する覚悟とかもできるかもしれないし、何かそういうこの世の関係性を超えたスピリチュアルな結びつきを模索して成功するかもしれない。

夫婦で、相手の日常の習慣が気に入らない、というような話も聞くが、私のように異種2匹と暮らしていたら、「習慣」には接点がないので、ひたすらお世話するだけだ。水と餌をやる、猫砂の掃除、(時々吐瀉物の掃除も)というのが最低限の基本だが、せっせと猫砂の掃除をしているといろいろなことを考える。マスクをするのは面倒で砂埃を吸わないように息を止めていたりするのだけれど、煙草を吸わない彫刻家が石の粉で肺が真っ黒だと医者に言われた、という話を思い出す。

そして、人間の水洗トイレと下水道を考えた人に感謝。また、子供の頃に見たバキュームカー、そしてもっと幼い頃に見た「肥桶」をふたつ肩に担ぐおじさんの姿を思い出す。色が浅黒く、黒い地下足袋みたいなのを履いていて、もちろん強烈な便臭が漂ってくるので、近くに来ると避ける。あのおじさんの顔のニュートラルな感じが忘れられない。私がこんなに忌避しているものを担いで、自分もいっしょに避けられているのを知りながら、黙々と、しかし、重さの負荷に耐える力やバランスやその他いろいろなノウハウを知り尽くして、プロの仕事をこなしているのがニュートラルに見えること自体への驚きだった。強烈だったので記憶の底に残っているわけだが、猫のトイレのお世話をするたびに何か二重写しになってくる。私も作業はニュートラルだけれど、「ああいい感じの〇〇が出てる、今日も健康、長生きしてね(上の子は16歳になる)」と神に感謝。

と、ひたすらお世話をする関係って、「神に感謝」みたいな、別のレベルの存在も引き込んでくる。すごく「対等」で自分のことは自分で、っていう二人暮らしならそういうことはないかもしれない。対等なはずの相手に病気になられたりすると迷惑だ、みたいなことになりかねない。

猫との関係性において、最高だと思ったネット画像がある。

すぐに紹介したかったのだけれど、翻訳できない。
日本語には誰が誰に対して言うかという上下関係や「空気」がすでに含まれているから不可能だ。

フランス語ヴァージョン

日本語風に言うと、

犬の考えること 「愛してくれる」「愛撫してくれる」「餌をくれる」…あなたは神様。
猫の考えること 「愛してもらえる」「愛撫してもらえる」「餌をもらえる」... 私は神様。

フランス語だとこういう印象かな。

    犬  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ひょっとして神様?
  猫  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ぼくって神様?

これは英語ヴァージョン

「愛してる」という視点がない。フランス語の方が奥深い。

猫と犬がいっしょだとこんな感じ? (続く)
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by mariastella | 2017-03-17 00:03 |

大統領選立候補者の睡眠時間など

フランスの大統領選に出馬して選挙運動中の候補たちの睡眠時間。

社会党のアモンは4時間で、でも移動中の車の中で10分とかの仮眠をとるのがうまく、毎日、筋トレ、スポーツなどで鍛えているそうだ。

マクロンはナポレオン並みの3時間睡眠で、週に数回、1時間のジョギング。ミーティングに出る時は丹念に化粧して目の下のクマを隠しているとか。

マリーヌ・ル・ペンは7時間睡眠で、食習慣を劇的に変え、アルコールもほとんど口にせず麻油を愛用、10キロ減量したそうだ。

彼らより年輩のメランションは、疲れたら別荘に行ってガーデニングをして8時間眠り、リフレッシュするとか。

こういう人たちは「体力勝負」というのは分かるけれど、こうして具体的に聞いてみると、なるほどそれぞれのキャラに合っているなあ、と思えてくる。

今のオランド大統領も選挙戦の前に前立腺手術をしたり、減量したりして一時は精悍な感じだったが、後は緩んだ。

選ばれた後こそ、選挙戦で見せる禁欲的な自制を全うしてほしい。
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by mariastella | 2017-03-16 00:37 | フランス

仏大統領選の候補者が日本語を話すこと

フランスの大統領選に出馬するには市町村の長による認可署名が500以上必要だ。

「面白半分」の候補や奇矯な人を取り除くためで、これをクリアできた人が今のところ7人。

フィヨン、マクロン、ル・ペン、アモン、メランションらのメジャーの他に、「へえっ」と注意を引かれたのが、UPRのフランソワ・アスリノーという今年60歳の人。

UPRという政党はこの人が立ち上げ、メンバーが600人しかいなかった5年前には500の署名が集まらずに立候補を断念したが、今は1万8000人のメンバーがいて、署名も集まり、晴れて正式に立候補という。

ユーロ、EU、NATO からの離脱を公約していて、「アメリカ嫌いの陰謀論者」というのが彼を形容する言葉だ。彼と彼の党の「躍進」もポピュリズムの高まりの表れであることは間違いない。

でも決して「政治かぶれの変なおじさん」などではなくて、フランスの政治家として超エリートのHEC、ENAを出て、財務省でキャリアを築いてきた。

それはいいのだけれど、驚いたのは「日本ファン」で「日本語ぺらぺら」で知られていることだ。このビデオで日本語をしゃべっている。


1981年に日本のフランス大使館の経済部で働いていたそうだ。

日本は欧米の植民地にならなかった数少ない国、それなのにアメリカの占領軍に憲法を押し付けられて天皇が人間宣言をしてしまった、と、なんだか「美しい国、日本」のファンのようだ。

先日の記事のウィルダースもそうなのだけれど、極右のグループで、「人種差別」だと批判されるを否定する根拠に、「自分もインドネシアとのハーフで差別された」ことで正当化する人や、

「私は差別主義者ではない、マンガのファンだから」

などという人がいる。

アスリノーも似たようなもので

「日本ファン」

であることを自分が「差別主義者ではない」ことの担保にしているわけだ。

まさに、日本は過去に「植民地」ではなかったから使い勝手がいいのだろう。

「名誉白人」、「クール・ジャパン」。

シラク大統領も日本好きで知られていたが、彼はアフリカや他のアジアの国や文化も好きだった。

ああ、そういえばアスリノーも、「オセアニアも好き」らしい。
中東やアフリカのような都合の悪い国々とちがって、日本とかオセアニアなら突っ込まれどころが少ないのかも。

ル・ペンの国民戦線にも、ある意味で広告塔のような黒人やアラブ人が加わっている。No2のフロリアン・フィリポが同性愛者というのもイメージアップに役立っている。

アメリカ嫌いのアスリノーは、

「美しい国、日本」を取り戻そうとしている首相がトランプ大統領とお友達

ってことは、スルーできるわけだ。

政治家の言説ってそんなもんだと思っても、それに簡単に取り込まれていく人々がいるのだから、「泡沫候補」だとしてもこちらはスルーしてはいけない。
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by mariastella | 2017-03-15 00:17 | フランス

フランスとイスラム その14  不思議の国サウジアラビア

(これは前の記事に関しての補足です。)

2001年に『不思議の国サウジアラビア』という新書(文春新書)を出した私には、このことが実感を持って分かる。本を出した時点ではまだ9・11が起こっておらず、私がサウジで取材したことを書くにあたって王室と宗教の批判はしない、というのが条件だった。

私は女性だから、全身を隠すアバやの着用はもちろん、女性が運転もできず一人で外出もできないような実態も「体験」できたが、それでも、それがコスプレでテーマパークにいるような非現実感だった。

サウジの女性はフランスの底辺の女性に比べて「不幸」に見えなかった。

「貧乏」ではなかったからだ。

彼女らはすべてを手に入れられた。

メイドもシッターも運転手もいる。
「自由」がほしければパリやロンドンに行けばいい。
シャンゼリゼのブティックで好きなものを好きなだけ買い、シャンペンだって飲める。

自国でも、たとえ何があっても、子供と同じく「責任能力」がない存在なのだから、ある種の自由がある。
「監督責任」は父親や兄や夫にあるのだから。

この自由が倒錯的なもので突っ込みどころがいくらでもあることは当然だ。

けれども、彼女らの暮らしぶりの「豪華さ」「優雅さ」と、男の目を気にしないで済む、ある意味「女子会」のような生活の楽しさなどを見ていて、原則としての怒りとかイデオロギーとしてのフェミニズムとか、自由とは何なのか、分からなくなってきたのも事実だ。

その後、私が新書の中で書いたように、若者が増えすぎて失業の問題も起こり、生活水準が維持できなくなったり、アメリカでのテロが起こったり、中東情勢が険悪になり、インターネットによるグローバル化はさらに進化し、サウジアラビアの状況は変わった。

けれども、「女性の自由と満足度と金」の関係は、今も答えのない自問として私の中に残っている。

ちょうど、サウジアラビアの王様が46年ぶりに日本に来たとかで、その桁外れの贅沢さや経済効果がネットに上がっている。
宗教とか、政治とか、テロとか何の関係もない「マネー」だけがクローズアップされる。
「マネー」しかもう見えない。

日本企業をサウジに進出させて石油依存からの脱却を援助するとか言っているけれど、そのうち日本はイスラエルにだけではなく、サウジにも武器を買ってもらおうとするのではないか。軍事産業はいつも一番おいしい。

ああ、武器とは言わないで今じゃ「防衛装備」って言うんだっけ。「戦乱」だって、「防衛装備同士がちょっと衝突した」だけだったりするみたいだし。
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by mariastella | 2017-03-14 02:33 | 雑感

カナダとアメリカの国境、オランダ極右のウィルダースの出自など

ウンベルト・エーコが余命が限られていることを知らされた時に真っ先にしたのがテレビのニュースを見るのをやめることだったとどこかで読んだことがある。

とても納得できた。公営放送の毎夕のニュースと別の報道チャンネルをザッピングしながら、なんだかんだと一時間近く貴重な時間を使ってしまう。次の日の朝の目覚ましラジオやネットの報道サイトで少しチェックすれば十分なものばかりなのに。

それも、昨日書いたように、忙しい時期はとりあえず日本とフランスの情報に絞ろうと思っているのに、ついまたニュース映像を見てしまった。

ひとつはアメリカにいる難民が、身の危険を感じて、カナダの国境に向かっているというもの。去年の初めにパキスタンから来た親子は難民申請をしていたが、トランプ政権下ではパキスタンに送り返されてしまうかもしれない、それでは命が危ない、と思って、酷寒の氷と雪と風の中をカナダにやってきた。そこで低体温や疲労で倒れれば、地中海で難民船が難破して救助してもらえるように、晴れて「救助」の対象になるという。

アメリカとカナダ間の国境は世界一長い国境だそうだ。さもありなん。

だから、壁はもちろん、いわゆる国境検問所もほとんどなく、国境警察がいても、彼らには入ってくる人をとめる機能はない。

酷寒の冬でも500人が国境を越えたそうで、春や夏になればどうなるのかと、国境に近い町の人はさすがに心配しているとかいないとか…

もう一つ、気にはしていたが、あまり首を突っ込まないようにしていたオランダの選挙。極右の自由党リーダーのウィルダースだが、トランプを尊敬していると公言するポピュリストであり、見た目もかなり奇矯でマニアックな人で、うわぁ、すごいなあ、とは思っていたが、彼のイスラム全否定と人種差別に関して、ユーラジア(ヨーロッパとアジアの混血)であることを知って、いろいろ考えさせられた。

母親がインドネシア人なんだそうだ。

インドネシアはオランダの旧植民地で、今のオランダには80万人のインドネシア人が住んでいるという。インドネシアに「謝罪」を拒否したことでも有名だ。
インドネシアと言えば、二億のムスリムを抱える世界一イスラム教徒が多い国だ。それでも、イスラムと民主主義を統合するのに成功したと言われ、イスラム、キリスト教、仏教、ヒンズー教、マイナーでもなんでもそれらの宗教の祝日をみんな国家の祝日にしているそうだ。どの宗教に属していてもみなが熱心にそれぞれの宗教の実践をしているという。

オランダ人のプロテスタント牧師が、インドネシアの信徒の熱心さを見て羨むとか。

オランダにいるムスリムはそのリベラルさに驚いて、「同性愛者が道でキスしている、麻薬が合法的に売られている」と故国の同胞に発信している。

私の知っているインドネシアはバリ島だけで、暮らしぶりはヒンズー教の人のものしか目撃していないが、確かに、毎日の供え物とか複雑だった。
オランダの方はもっと縁がある。

でも、この両者のことを、極右政党の台頭とつなげて考えたことはなかった。
モロッコ人を追放しろ、みたいなことばかり耳にしていたので。

驚いて、ウィルダースを画像もふくめていろいろ検索してしまった。

ウィルダースの家系はユダヤにもつながるらしい。
それにしても、キャラがたちすぎて、怖いというかなんというか...

オランダの総選挙は3/15。

オランダって信頼できる国だと思っていたのに、ほんとにこの人が首相になるのなら、フランスでもなんでも起こるかもしれないとおそろしい。
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by mariastella | 2017-03-13 01:24 | 雑感



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