L'art de croire             竹下節子ブログ

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「真理とは何か」と「フリーメイスンのロシア文書」(月刊雑誌から)

哲学の月刊誌『Philosophie magazine』の「真実とは何か」の特集で、久しぶりにMichel Serresがインタビューに答えているので買った。
もう87歳だが、もっとも信頼できる知識人の一人。

今の情報社会では「真理」を求める方向が変わってきている。
「アスピリンは効くのか?」というのを調べる代わりに、
「アスピリンは効くと思っている人はどのくらいいるのか?」という方向になっているのだ。

真理とはいつも、長く、謙虚で、忍耐強い探求の実りである、という。
探求の過程そのものに真理が宿っているのかもしれない。
その方向が間違っているかもしれないという可能性を認める謙虚さも必要だ。

どこに軸足を置くかによって、論理的思考も変わってくる。
天動説と地動説みたいなものだ。
科学的真理とは別に、軸足を置く場所から見た真実というのもある。
みんなが地動説を認め、地球が太陽の周りを回っていることは納得しながら、毎日の生活ではやはりどの国でも、誰にとっても、日が東から昇り、西に沈み、太陽が高くなったり低くなったり、月が満ちたり欠けたり日が長くなったり短くなったりする。
それを蒙昧だとして表現が修正されることなどない。
真理の探求の出発点からすでに足元を確認する必要があるわけだ。

ついでにフリーメイスンの雑誌を買ったら、1999年にロシアからフランスに戻ってきた文書についての記事があった。
1940-45年、フランスのフリーメイスンは表向きにはすべて壊滅し、多くの文書が破棄されたのだが、ソ連のKGBの書庫に、グラントリアンの文書が段ボール750箱、フランス・グラン・ロッジのもの350箱、人権ロッジのものが30箱保存されていたのが冷戦後に分かったのだ。
全部で数十万点という記録は、18世紀以来、共和国の教会と呼ばれるくらいにアクティヴだったフランスのフリーメイスンの貴重な歴史を伝える。おもしろい。

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by mariastella | 2017-09-30 06:50 | 雑感

ジュリエット・ビノシュの『Un beau soleil intérieur』(内なる美しい太陽)

今日はすべての調子がなんとなく狂った日だった。


ほんとうは、『Nos Années Folles,(私たちの狂熱の時代)』という映画に行くはずだった。

監督がアンドレ・テシネーで、テーマが前のローラ・パテールと同じく性倒錯に近いものとあっては、絶対見逃せないので忙しいのに無理に観に行ったのだ。

そうしたら、今日はスクリーンを変える(?)都合で、その映画の昼の上映がないという。その代わりに、同じ時間帯にある クレール・ドゥニ監督のUn beau soleil intérieur』(内なる美しい太陽)はいかがですか、いい映画ですよ、と切符売り場で勧められた。そこは私のよく行く映画館で、午後の初めはすいている。シニア料金があるのでシニアの姿ばかりで落ち着く。ロビーには、本棚があって、みんなが自由に本を持ってきたり持ち帰っていいシステムになっている。

だから、ま、いいか、と思って観ることにした。


主演のジュリエット・ビノシュがTVのニュース番組でインタビューされていたのも見ていたし。カンヌの出品作でもある。ジョジアンヌ・バラスコ、ジェラール・ドゥパルデュー、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキなどと言うすごい顔ぶれがちょい役で出ているというのもすごいし。


ストーリーは、ビノシュの演じるシングルマザーの画家が銀行家や役者の愛人などとからみながら、セックスレスと愛のないこととのはざまで悩んで鬱っぽくなる話で、最後に、ドゥパルデューの演じる霊媒師のところで男たちとの今後について占ってもらい、「内なる太陽を見つけなさい」などと言われて終わる話だ。




ストーリーは、ビノシュの演じるシングルマザーの画家が銀行家や役者の愛人などとからみながら、セックスレスと愛のないこととのはざまで悩んで鬱っぽくなる話で、最後に、ドゥパルデューの演じる霊媒師のところで男たちとの今後について占ってもらい、「内なる太陽を見つけなさい」などと言われて終わる話だ。

一人の女性の裏も表も丹念に表現する名演なので、彼女をめぐる男たちとの会話でいろいろな人間模様が描ける。でもほとんどは会話の妙味だ。

しかも、フランスの、パリの、アートや画廊経営者らの世界で、みながスノッブであることは、ビノシュが、それら「お友達の輪」を外れた男と付き合っていると分かるや否や、「その男はRSAで暮らしているのか」(つまり失業者の支援金で暮らす)とか「学歴はなんだ」「BACG」(これはつまり、今の技術系バカロレア、つまり普通高校からではなく技術系高校からのバカロレアで一段下だと差別しているわけだ)とか、嫉妬や当てこすりや偽善的な言葉が渦巻くことでよく分かる。

孤独や寂しさ、愛の渇き、欲望などが普遍的なテーマなのだとしても、あまりにも、「お仲間うち」の話で、微妙な感情がいくら巧妙に描かれていても、ひいてしまう。

芸術的な悩みとかないのか、君たちは。


私は暴力やホラーシーンのある映画はもうできるだけ見ないようにしようと思っていたけれど、こういう熟年男女の色事のかけひきの映画もこれからは時間がもったいないからもう見ないようにしようと思った。


しかも、最初にビノシュと愛人の意味なくリアルなベッドシーンが延々と続き、どういうわけか途中で館内の照明がついた。がらがらの館内で客の大半を占める70代くらいの連れだった女性同士の姿が目に入り、これをどう見ているのかなあなどと気まずい感じがしていると、誰かがクレームをつけに行ったので、照明が消されて、五十がらみの熟年男女のベッドシーンがやっと終わったところだったのに、映画があらためて冒頭から始まったので、また見るはめになった。男はでっぷりとした銀行家で、ビノシュも疲れ、たるんだ体だ。

手や指も何度か大写しになったのだが、その指や爪の美しくないことにも驚いた。ローラ・パテールのファニー・アルダンはさすがにすみずみまで人工的に美しかったのに。金を払ってまで映画館で「等身大」の疲れた同時代人を見たくない。


最後に出てくるドゥパルデューの異様な存在感も、みな、末梢神経をくすぐるような「濃さ」で、あっけにとられた。


映画館を出てオペラ座の方に歩いていくと、マクロンの経済政策に抗議するリタイア組のデモ行進が長々と続いていた。(年金から自動的に引かれる福祉税が増税される)


昼間からベッドシーンを見ている70歳もいれば、粛々とデモ行進をする70歳もいる。


その後でバロック・バレーのクラスに行くと、今年71歳のクリスティーヌが、相変わらずドイツ・バロックにはまって夢中でドイツ・ステップのクーラントを教える。

なかなか不思議な日となった。

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by mariastella | 2017-09-29 07:52 | 映画

猿でもわかるパラダイス その2

問2  あの世とはコミュニケーションがとれるの ?



カトリックの信徒は、神、聖母、聖人たちだけでなく死者にも、神のとりなしを祈って語りかけます。それは仲介者なしに神との直接の関係をとらえるプロテスタントの信徒から見ると奇妙なことです。一方、カトリック教会は、死者の霊(エスプリ)が生者にコンタクトするという考え(スピリティズム)の類は一切認めていません。


Sekkoのコメント :


聖人崇敬というのはとってもカトリック的で、プロテスタントから大いに批判された部分だが、聖者の連祷というので聖人の名がぞろぞろと唱えられて、その度に「われらのために祈りたまえ」と唱和するシーンというのは、ロザリオと同じく、連帯感が生まれたり、まあ数の力で、こんだけ呼び出せば何とかなるかも、という楽観も生まれたりと好む人が多いせいか、今もしっかり続いている。

元は、ヨブ記にあるという説もある。ヨブ記では、ヨブに苦しみばかり与える神を信じなかったヨブの友人たちに対して最終的に神は妥協する。

(主は)テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」 (ヨブ記42,7-8

つまり、不信心者も、聖人にしかるべき例を尽くして神に祈ってくれるようお願いすれば、聖人に免じて神が願いをかなえてくれる、

というイメージだ。

聖人ならぬ普通の死者に呼びかけてお願いしても果たして神の心に届くのか、と当然考えてしまうが、いったんこの世の存在形態からシフトした世界では、こちら側で判断してしまう善悪だとか聖性だとかの物差しは多分意味をなさないのだろう。


どちらにしても、ふたつの世界は「神」を通して神の中でこそつながっているわけで、「死者の魂」が直接生者にコンタクトをとるなどというシステム?を放置すると、あやしい霊媒やら超能力者やらが跋扈することにもなるので、カトリック教会は禁止しているわけだ。


でも各種の聖人伝やら、熱心なカトリックの「霊能者」の手記などを読むと、どんな「霊とのコミュニケーション」でも、それがもたらす「結果」さえOKなら、神のみ旨にかなっているということでお目こぼしされたり、それとなく宣伝道具にされたりする現実もある。


次の質問と答えが楽しみ。


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by mariastella | 2017-09-28 02:29 | 宗教

猿でもわかるパラダイス その1

問1 なぜパラダイスは上にあるの ?

多くの文化で「善」に向かっての進歩していくことと「天に上る」ことはセットになっています。そのせいで、パラダイスは天にあることになりました。縦方向のシンボル性がとても強いです。神が十戒を記した板を渡したりイエスが訓示を垂れたりしたのも「山の上」ですね。と言っても、「彼岸」「あちらの世界」が地獄だの天国だのという空間で表現されたとしても、それは物理的な場所ではありません。

Sekkoのコメント

うんうん、やはり人間が空を見上げた時の広大無辺な感じが「あちらの世界」をイメージさせるのかも。阿弥陀来迎図も雲に乗ってやってくるシーンだし。


でも、死者の国が「水平線の彼方」にあるという信仰もあり、それもナチュラルな感じはする。今村昌平の「神々の深き欲望」で難解の孤島から沖に流される小舟のシーンは強烈で「海の向こう」の死者の国というイメージが焼きつけられた。


死者の国は地下にあるという道教的イメージを教えてくれたのは私の『ヨーロッパの死者の書』(デジタル版で読めます)を訳してくれた台湾の潘さんだった。そこは別に地獄でなくて死者が生前と同じように暮らしているのだとか。日本留学中に故郷のお父様を亡くして、そういうパラレルワールドでは「喪」が完成しないで悩んでいた時に私の本と出合って翻訳を決意したという話だった。


亡くなった親しい人が「お星さまになって見ているからね」、と言ってくれるイメージは一番心やさしい気もする。(「完成に向かって上昇していく」なんていうイメージは少なくとも私にはない。)


注: カトリック雑誌(La Vie 2008/10/30)を訳出したものですが、読むと同時に訳しているのでそのまま先に書いているあることは分からないままのコメントです。


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by mariastella | 2017-09-27 02:34 | 宗教

ジェルファニョンにミルネール、彼らはすごい

このブログにそのうちアップしようと思って書き留めておいたはずのデータが見つからなくなった。こんなことならもっと早く載せておけばよかった。

それはリュシアン・ジェルファニョンのこの本についての記事だった。還俗した元司祭で、歴史学者で、枢機卿が序文を書いている。この本は彼のたどった道を照らしてくれる。

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その後で読んだ本も忘れないうちに挙げておこう。

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の4冊。いつも明快なティモシー・ラドクリフは英語からの翻訳。しかし、この4冊の中で最も衝撃的、目から鱗の本はジャン=クロード・ミルネールのフランスとヨーロッパについての論考。アンチ西洋主義や近代、ポスト近代、文明の衝突論などがなんでもかんでも混在させてしまったものを見事にすっぱりと説明している。

「西洋の理念」が新自由主義経済などを生み出した、だからその西洋の理念を批判、否定しようというよくある説に対して、
そこで「西洋の理念」といわれているものはポストモダンのテクノロジー、新自由主義経済などが生んだ仮説の総体であって、「結果」なのだ、だから、それを批判しても意味がない。

石油がヨーロッパ以外のところで産出されたということと二度のオイル・ショックによって、「神」は中東に引っ越した。

ヨーロッパ構想はフランスの「共和国主義」の敷衍だった。イギリスが入った時点でそれは崩壊した。

などなどの解説が説得力ある形で展開する。
フランス語が読める人にはぜひお勧め。

でも今の日本を見ていると、こういうような問題意識の意義を分かってもらえるようにも思えない。

先日フランスのTVのニュースで、日本のJアラートの話に続いて、小学校で避難訓練し、サイレンが鳴ったら子供たちが机の下に隠れる、というシーンが映されていたのに驚倒した。
あまりにもカリカチュラルだ。
地震警報の避難訓練のシーンを間違えて使っているのではないかと思ったが、実際にそういう訓練があったそうだ。さすがに「本土決戦」に備えた竹槍訓練ですか、と揶揄されていたようだが。

アラートを鳴らした時点では、ミサイルがはるか上空だということが分かっていて何の防衛リアクションもなされていないというのに。第一、そんな上空にあるミサイルを迎撃する技術はまだないともいう。

そんな状況でアラートを鳴らしたり、避難しろと言ったりする政府、これがフランスだったら正気を疑われる。韓国の文在寅はカトリックで、就任後すぐにローマ法王にコンタクトして、キューバとアメリカの間で根回ししたように北朝鮮との間に入ってくれと頼んだのだそうだ。それが何らか力になるかどうかは分からないけれど、少なくともあらゆるルートを駆使して戦火を忌避する努力は見える。日本の政府はあんなトランプとしっかり組んで、国連の核兵器禁止条約にも反対するのって、リスク管理の観点だけからいっても理解できない。

時事問題を追っているとくらくらするので、次回からは、「天国」、死後の世界、神についていろいろ書くことにする。まずは「サルにでも分かる天国」15のQAをカトリック雑誌から紹介。そして最近読んだD.H.ロレンスの神に関する論考を紹介しよう。この人、とても気が合う。

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by mariastella | 2017-09-26 01:10 |

ウィーンの話 その25 ガイドブック事情

2ヶ月近く書いてきたウィーンの話、まだ行ったコンサートについてとか、美術館についても書いていないことが多い。このブログを覚書にしようと思っていたのだけれど、なんだか時間に立つにつれてモチヴェーションが下がってきた。

昔は旅に出るたびにノートを持っていて毎日毎日その日のうちに記録していたものだ。
今は、写真だけ取っておいて、後は少しずつブログにアップして…などと思っていると、かえってこぼれおちるものが多い。

そしていろいろな旅を重ねたり、同じ場所でも世紀をまたいで再訪するとその違いに驚いたり、全部が複合的になって、記録よりも一冊の論考を書きたくなってしまう。

細切れな覚書はかえって記憶を風化させるということが分かった。
行ってみれば、外付けメモリーに入れておいたことで安心して本体の記憶にうまく組み込めなくなる。

だからここでひとまず打ち切ることにする。

多くのシリーズが「中途半端」になっていることに申し訳なさ(続きを待ってくれる人もいるので)を感じるが、これまで書いたもののすべてはこれから書くものの栄養となっていることは確かだ。

で、今回のウィーンで驚いたことのひとつにガイドブックがある。

21世紀に入ってから、いやここ数年、ヨーロッパの各地に出かけるたびに、気づかされることだ。

それは、日本語のガイドブックとフランス語のガイドブックのあまりもの違いだ。

同じ国のことを書いているとは思えない、というくらい雰囲気が違うことがある。

昔はそうではなかった。

多分、昔の日本のヨーロッパ観光ガイドブックは、英語圏のガイドなどをベースにしたごく基本的なものだったろうし、フランスのミシュランのガイドブックなどもきっと参考にされていたのだと思う。フランスのガイドブックは今も昔もミシュランのものがあるし、今は、体験者の声を集めた「地球の歩き方」風のものも多くなったけれど、それは予算別みたいな感じがある。バックパッカー用と、カルチャー中心のものと。


ところが、日本は、バブル時代以来、外国旅行者がどっと増えたり、リピーターが増えたり、そして何よりも、今はインターネットのおかげで、誰もが写真入りの紀行文をアップしたりするので、間口がどっと広くなった。

個人がネット上で情報を発するハードルは日本が圧倒的に低い。

そして、それにつれて、もちろん、ガイドブックを製作したり編集したりする側も、何度も何度もリピートして、体験して、写真を撮りまくっているので、なんだか個人のブログと同じような感じになっている。


写真が多すぎ。


食べ物情報が多すぎ。


今回のウィーンのために日本語では「まっぷる」というのと「ことりっぷ」というのを2冊買ったのだけれど、とにかく、ケーキの写真が多い。

「ばらまきみやげはここで買おう」という記事もある。


私は基本的にフランス語のガイドブックを使う。その方が使い勝手がいい。(日本語でカタカナ表記が多いとかえって不便なだけだから)


けれども、日本のガイドブックには日本人ならではの贅沢さやツボにはまる部分があるので参考にすることにしていた。


ところが、まあ、私が目的としている教会巡りや聖遺物巡りについての情報などは最初からあてにはしていないものの、食べ物とケーキ、レストランとカフェの写真入りの詳細な紹介のオンパレードには正直驚いた。


この傾向はなんだかだんだんひどくなっている。


日本語ガイドブックのパリ観光のものは見たことがないので分からないが、ウィーンのものと同じように、レストランやカフェやお土産物の写真満載なのだろうか。

これだけでちょっとしたカルチャーショックだ。


さすがに、日本の観光地や寺社巡りなどの日本語のネット情報にはコアなものもあって参考になるのだけれど、例えばウィーンって、もうシュニッツェルかザッハートルテばかりで、モーツアルトとシュトラウスとクリムトとシシ―(皇妃エリザベト)がいろどりとしてあるだけ、みたいな印象だ。


日本の観光客にとって、ウィーンもパリもロンドンも、似たようなものではないかという気さえする。


バロックバレエで久しぶりにエリカに会ったので、ウィーンとプラハとドイツのバロックの違いについて最近考えたことを少し話した。


思えば、プラハに行ったときはもちろんエリカにアドヴァイスしてもらったので日本語のガイドブックは買わなかった。今度ウィーンのものを買ったら、ウィーン、プラハ、ブタペストは三つでセットになっているのだ。


ウィーンのことをエリカと話すと刺激的だ。

先にもっと聞いておけばよかった、と少し後悔。

(エリカはチェコのソリプシスト、ラディスラフ・クリマ研究の第一人者です。クリマについては『無神論』p264で少し触れました。このブログでもソリプシストKで検索すればいろいろ出てきます。ここなど


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by mariastella | 2017-09-25 03:17 | 雑感

ユヴァル・ノア・ハラリ式気楽な生き方

『サピエンス全史』で有名な歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ は新作『Homo deus』で未来論を繰り広げている。

結構希望を持たせてくれる楽観的なことも書いているのだけれど、なんだかなあ、とも思ってしまう。


L’OBSno2757のインタビューを読んで少し微妙な気分になった。

例えば、フランスで暮らしている私にはいつも金正恩のミサイルならぬダモクレスの剣みたいに気になるテロリズムについて、こう言い切る。

2000年に入ってから今まで、EU全域でテロの犠牲者は平均すると年50 人。

それに対して、交通事故による死者の数は平均して年8万人。

肥満と糖尿病による死者でも5千人。テロ攻撃で死ぬよりコーラを飲み過ぎて死ぬリスクの方が大きいんですよ。

テロリズムは何よりも一種のショーです。

人の恐怖を掻き立て、それを鎮めるために国家は過剰防衛をしてみせる。

象の耳にハエを入れて陶器店に入れたら暴れてすべてを破壊する。

アメリカという象の耳にテロを仕掛けると世界を破壊して回る。

過剰反応はテロより怖い。実際のリスクに見合って冷静に扱えばテロリズムはなくなる、


と。

ううーん、言うことはもっともでもある。

でも、ということは、交通事故を減らすためのキャンペーンとか標識や道路の整備とか、安全性の高い車の開発とかの方にテロ対策の千倍以上の予算を費やすというのは多分不可能だから、テロ対策の予算を今の交通事故対策予算の千分の一にしろということなのか?

テロリストの巣屈を無人機で「空爆」するとか、テロ対策の警備パトロールを増やすとか監視カメラを増やすとか持ち物検査を厳格にするなどの「ショー」的な対策をやめて、紛争地域での貧困や差別の解消に協力するなどの地道な対策に特化しろということ?

このハラリさんは絶対に肉を食べないし、テクノロジーの発展で肉が動物を殺さずに合成で作られるような形の「進歩」を夢見ている。2013年に実験室で作られた最初のハンバーガーは33万ドルの開発費がかかったのが今は11ドルでできるというから、家畜を殺すような産業は近い未来になくなるだろう。

自由とは好きなものを手に入れることだなどと信じさせたのは資本主義だ。これからは内的自由と「意識」を高めなくてはならない。

と、ある意味で引き算の思考でもあり、実際、スピリチュアル系であるそうだ。

でも、スピリチュアルな部分と、統計の数字を並べて納得させる部分との流れがなんとなく不自然だ。

テロと交通事故と糖尿病は比べられないだろ、とも思う。

こういう言説を「意識の高くない状態」で読むと、自分の保身と長生き志向に意識が傾いてしまう。

そういえば、ジェフリー・S・ローゼンタールの『運は数学にまかせなさい』(ハヤカワ文庫ノンフィクション)を思い出した。メディアのウソを見抜く回帰分析などを紹介して、確率・統計論で人生を賢く生きる方法の本だ。

人生で起こることはランダムで、まあ、情報の多くは陰謀論と同じで誰かが得をする罠なのだから、気楽に生きた方がいいよ、というポジティヴなメッセージの記憶がある。でも、今確認していないから分からないが(同じころに読んだ同じシリーズのマーク・ブキャナンの『歴史は「べき乗則」で動く』だったかもしれない)、ひとつ心にとめたことがあった。確か、数多くの保険商品は確率論から言うと無意味で不要だけれど、火災保険だけは、どんなに確率が低くても、起こる可能性はゼロではないし、起こった時の損害や責任は普通の人の全財産でも償えないほどの膨大なものだから、かけておく必要があり、義務がある、という話だった。

それを思うと、パリの街でテロに遭遇しても即死とは限らないしフランスなら国家がケアしてくれるけれど、北朝鮮が日本の米軍基地に核爆弾を打ち込んだりしたら、その確率がどんなに低くても、壊滅的被害になるのだから、「恐怖を煽る」ことを誰かが利用していても、無視することはなかなか難しい。

「賢明な技術とは何を見過ごすかを見極める技術だ」(ウィリアム・ジェームズ)という言葉をもう一度、反芻してみよう。



付録。今日のニテティスブログです。




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by mariastella | 2017-09-24 05:49 | 雑感

真生会館のコンサート

10/28 午後7時、信濃町のカトリック真生会館のホールで、トリオ・ニテティスのコンサートをします。

プログラムは以下の通りです。

第一部 ジャン=フィリップ・ラモー(1702-1766)のオペラより

アントラクト    « 栄光の殿堂 »オペラ・バレエ1745
タンブラン 1 、2  « ダルダニュス» 抒情悲劇1739
ガヴォット 1 、2 « アカントとセフィーズ » パストラル英雄劇1751
リゴドン  1 、2  «プラテー» 抒情喜劇 1745
優美な歌       « ザイス» パストラル英雄劇1748 
アントラクト     « エベの祝宴 » オペラ・バレエ 1739
リゴドン  1 、2   « 優雅なインド » オペラ・バレエ1735
優美な歌        « カストールとポリュックス » 抒情悲劇1737
コントルダンス   « シュパリスの人々 » バレエ1753


第二部   音楽童話をめぐって

シャコンヌ          ベルナール・ド・ビュリィ(1720-85)
パスピエ           ジャン=フィリップ・ラモー 「ゾロアストル(1756)
冬のプレリュード       シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
ゼフィールの踊り       シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
リトゥルネル   シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」
バッカスとポモーヌの踊り   シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
精霊の踊り          シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」
フォルラーヌ     シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
フラトゥーズ         リュック・マルシャン 「チェンバロ曲集」(1747)
タンブラン 1と2 シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」

10/29 の午後2時には、子供たちのためのバロック音楽童話のDVDをスクリーンに映して、音楽を生演奏します。

前日の第二部の曲にメヌエットやミュゼットなども加わります。
童話のイラストの原画も展示されると思います。
原画に生演奏、贅沢な紙芝居をお楽しみください。

もちろん子供連れ歓迎です。

3年前はその後に「メヌエットを踊ろう」というタイムを設けました。
場所や子供たちの希望があれば今回もやるかもしれません。

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ADDRESS〒160-0016
東京都新宿区信濃町33-4
TEL03-3351-7121(受付代表)
FAX03-3358-9700
受付時間10:00-16:45

■交通アクセス

JR総武線信濃町駅改札を出て右側徒歩1分


真生会館へのお申し込みは


とか


でもできるようです。

座席数が限られているので、どちらの日か、人数とお名前をお願いします。



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by mariastella | 2017-09-23 07:28 | お知らせ

10/24、25のコンサートのお知らせ

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10/24, 25日に山陽小野田市で開かれるトリオ・ニテティスのコンサートのポスターです。3年前の宇部市でのコンサートで聞いていただいた田村洋さんとのご縁で実現しました。いつも新しい出会いがまた別の出会いをもたらせてくれます。前回の曲とは違うラモーの新しいシリーズで構成されています。
私たちが弾くということは、ラモーのオペラ曲の中で、三台のギターで弾くとバロック管弦楽団で弾くよりもはるかに美しいという曲を選択しているということです。
一番聞いてもらいたい人はラモーです。

メンバーは古楽器の奏者でもあり、私もチェンバロやピアノやヴィオラの方が、弾く感触としては好みなのですが、正五度にカスタマイズしたクラシックギターの音色の美しさは何物にも代えられません。

ギターは実はものすごく難しい楽器です。音階を弾くだけでも他の楽器ではありえないようなアクシデントが生まれる可能性があるくらいです。
けれどもその音色の魅力には抗えないので、どうしても手離せません。もし他のアンサンブルがこのプログラムを弾くなら絶対に聴きに行きたいです。でも誰も弾いてくれないので自分たちで弾くしかありません。私たちのパッションをみなさんと分け合えたら素敵です。
一回性のアートである音楽を分かち合える贅沢にくらくらします。

トリオ・ニテティスのブログも合わせてどうぞ。

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by mariastella | 2017-09-22 05:54 | お知らせ

国連総会での首脳演説 トランプとマクロン

日本でも国連におけるトランプの「北朝鮮破壊」のような強気発言が報道されていたけれど、なんだかもうこの人の品のない過激ぶりに麻痺してしまった。


フランスではもちろん、その後の演説でマクロン大統領が環境保護や弱者救済をエレガントに語るのが何度も映されて、オバマ大統領を思わせるとか言われた。

トランプの時代だからそのコントラストが際立って、ある意味で得しているかもしれない。


その上、イギリスのEU離脱が決まっているから、国連の安全保障委員会の常任理事国の中で、フランスは唯一のヨーロッパの顔となる。


米、中、露、英、仏。


経済的には今のロシアは弱いが軍事大国だし、英と仏が分かれると、イギリスが過去の帝国主義の盟主、フランスは団結したEUの代表、と見えるから、これもイメージ戦略的には悪くない。


経済的な覇者であるドイツは、こういうところでは、日本と同じくやはり第二次大戦の敗戦国というレッテルから逃れられない。


この安全保障「五大国」、いずれも核兵器所有国だから、北朝鮮でなくとも鼻白むが。

で、このマクロンの、一応「フランスらしい」、アメリカに盾突く発言だが、それを評して「地球という人類の集合住宅の管理組合(国連)の自治会会長」のスタンスだと言った人がいた。

悪くないたとえだ。

最上階に住み自分ちだけリフォームしてセキュリティシステムや耐震設備を整えている金持ちが自分は管理組合なんて無視してもいい、と言ったとしても、

建物全体のメンテナンスが放置されれば、害虫や害獣も忍び込むかもしれないし経年劣化もあるし、いつか土台から崩れるかもしれないのだ。

余裕のある居住者が金を出し合って全体を支えたり、孤立した居住者のケアをしたりした方が最終的には建物全体の健康寿命を延ばす。


そのようにスケールを変えて考えてみると、先日読んだ『プラチナタウン』も別の視点で見えてきた。


あそこで語られた赤字財政、過重負債、過疎化、少子化、人口の老齢化、介護の問題など、実は、「日本の中の一地方都市」の問題ではなく、「世界の中の一地方都市」である日本の縮図だと言えるのではないだろうか。

あの本では、日本の中の「都会」と「田舎」の格差だとか人口の偏りとかが語られているが、地球全体をひとつの国としてみたら、まったく同じようなことが起こっているわけで、日本はまさに、もうすぐ、「公共事業をやり過ぎて立派な施設がいたるところにあるが負債は膨らむばかりで消費は伸びず人口減の進む地方都市」のようなものだ。あの本にあるように世界中の各地へのアクセスは飛躍的によくなっているから、富裕者は、シャッター街になった日本を捨ててもっとリッチな場所に移住していくかもしれない。


そんな「地方都市」日本の再建のカギは『プラチナタウン』にあるような福祉政策かもしれないし、それを地球規模で考えて、地球集合住宅の自治会で積極的に全体の運営対策に参加することかもしれない。


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by mariastella | 2017-09-21 02:30 | 雑感



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