L'art de croire             竹下節子ブログ

ユヴァル・ノア・ハラリ式気楽な生き方

『サピエンス全史』で有名な歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ は新作『Homo deus』で未来論を繰り広げている。

結構希望を持たせてくれる楽観的なことも書いているのだけれど、なんだかなあ、とも思ってしまう。


L’OBSno2757のインタビューを読んで少し微妙な気分になった。

例えば、フランスで暮らしている私にはいつも金正恩のミサイルならぬダモクレスの剣みたいに気になるテロリズムについて、こう言い切る。

2000年に入ってから今まで、EU全域でテロの犠牲者は平均すると年50 人。

それに対して、交通事故による死者の数は平均して年8万人。

肥満と糖尿病による死者でも5千人。テロ攻撃で死ぬよりコーラを飲み過ぎて死ぬリスクの方が大きいんですよ。

テロリズムは何よりも一種のショーです。

人の恐怖を掻き立て、それを鎮めるために国家は過剰防衛をしてみせる。

象の耳にハエを入れて陶器店に入れたら暴れてすべてを破壊する。

アメリカという象の耳にテロを仕掛けると世界を破壊して回る。

過剰反応はテロより怖い。実際のリスクに見合って冷静に扱えばテロリズムはなくなる、


と。

ううーん、言うことはもっともでもある。

でも、ということは、交通事故を減らすためのキャンペーンとか標識や道路の整備とか、安全性の高い車の開発とかの方にテロ対策の千倍以上の予算を費やすというのは多分不可能だから、テロ対策の予算を今の交通事故対策予算の千分の一にしろということなのか?

テロリストの巣屈を無人機で「空爆」するとか、テロ対策の警備パトロールを増やすとか監視カメラを増やすとか持ち物検査を厳格にするなどの「ショー」的な対策をやめて、紛争地域での貧困や差別の解消に協力するなどの地道な対策に特化しろということ?

このハラリさんは絶対に肉を食べないし、テクノロジーの発展で肉が動物を殺さずに合成で作られるような形の「進歩」を夢見ている。2013年に実験室で作られた最初のハンバーガーは33万ドルの開発費がかかったのが今は11ドルでできるというから、家畜を殺すような産業は近い未来になくなるだろう。

自由とは好きなものを手に入れることだなどと信じさせたのは資本主義だ。これからは内的自由と「意識」を高めなくてはならない。

と、ある意味で引き算の思考でもあり、実際、スピリチュアル系であるそうだ。

でも、スピリチュアルな部分と、統計の数字を並べて納得させる部分との流れがなんとなく不自然だ。

テロと交通事故と糖尿病は比べられないだろ、とも思う。

こういう言説を「意識の高くない状態」で読むと、自分の保身と長生き志向に意識が傾いてしまう。

そういえば、ジェフリー・S・ローゼンタールの『運は数学にまかせなさい』(ハヤカワ文庫ノンフィクション)を思い出した。メディアのウソを見抜く回帰分析などを紹介して、確率・統計論で人生を賢く生きる方法の本だ。

人生で起こることはランダムで、まあ、情報の多くは陰謀論と同じで誰かが得をする罠なのだから、気楽に生きた方がいいよ、というポジティヴなメッセージの記憶がある。でも、今確認していないから分からないが(同じころに読んだ同じシリーズのマーク・ブキャナンの『歴史は「べき乗則」で動く』だったかもしれない)、ひとつ心にとめたことがあった。確か、数多くの保険商品は確率論から言うと無意味で不要だけれど、火災保険だけは、どんなに確率が低くても、起こる可能性はゼロではないし、起こった時の損害や責任は普通の人の全財産でも償えないほどの膨大なものだから、かけておく必要があり、義務がある、という話だった。

それを思うと、パリの街でテロに遭遇しても即死とは限らないしフランスなら国家がケアしてくれるけれど、北朝鮮が日本の米軍基地に核爆弾を打ち込んだりしたら、その確率がどんなに低くても、壊滅的被害になるのだから、「恐怖を煽る」ことを誰かが利用していても、無視することはなかなか難しい。

「賢明な技術とは何を見過ごすかを見極める技術だ」(ウィリアム・ジェームズ)という言葉をもう一度、反芻してみよう。



付録。今日のニテティスブログです。




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# by mariastella | 2017-09-24 05:49 | 雑感

真生会館のコンサート

10/28 午後7時、信濃町のカトリック真生会館のホールで、トリオ・ニテティスのコンサートをします。

プログラムは以下の通りです。

第一部 ジャン=フィリップ・ラモー(1702-1766)のオペラより

アントラクト    « 栄光の殿堂 »オペラ・バレエ1745
タンブラン 1 、2  « ダルダニュス» 抒情悲劇1739
ガヴォット 1 、2 « アカントとセフィーズ » パストラル英雄劇1751
リゴドン  1 、2  «プラテー» 抒情喜劇 1745
優美な歌       « ザイス» パストラル英雄劇1748 
アントラクト     « エベの祝宴 » オペラ・バレエ 1739
リゴドン  1 、2   « 優雅なインド » オペラ・バレエ1735
優美な歌        « カストールとポリュックス » 抒情悲劇1737
コントルダンス   « シュパリスの人々 » バレエ1753


第二部   音楽童話をめぐって

シャコンヌ          ベルナール・ド・ビュリィ(1720-85)
パスピエ           ジャン=フィリップ・ラモー 「ゾロアストル(1756)
冬のプレリュード       シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
ゼフィールの踊り       シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
リトゥルネル   シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」
バッカスとポモーヌの踊り   シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
精霊の踊り          シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」
フォルラーヌ     シャルル=ルイ・ミオン「優美な四季(1747)」
フラトゥーズ         リュック・マルシャン 「チェンバロ曲集」(1747)
タンブラン 1と2 シャルル=ルイ・ミオン「ニテティス(1741)」

10/29 の午後2時には、子供たちのためのバロック音楽童話のDVDをスクリーンに映して、音楽を生演奏します。

前日の第二部の曲にメヌエットやミュゼットなども加わります。
童話のイラストの原画も展示されると思います。
原画に生演奏、贅沢な紙芝居をお楽しみください。

もちろん子供連れ歓迎です。

3年前はその後に「メヌエットを踊ろう」というタイムを設けました。
場所や子供たちの希望があれば今回もやるかもしれません。

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ADDRESS〒160-0016
東京都新宿区信濃町33-4
TEL03-3351-7121(受付代表)
FAX03-3358-9700
受付時間10:00-16:45

■交通アクセス

JR総武線信濃町駅改札を出て右側徒歩1分


真生会館へのお申し込みは


とか


でもできるようです。

座席数が限られているので、どちらの日か、人数とお名前をお願いします。



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# by mariastella | 2017-09-23 07:28 | お知らせ

10/24、25のコンサートのお知らせ

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10/24, 25日に山陽小野田市で開かれるトリオ・ニテティスのコンサートのポスターです。3年前の宇部市でのコンサートで聞いていただいた田村洋さんとのご縁で実現しました。いつも新しい出会いがまた別の出会いをもたらせてくれます。前回の曲とは違うラモーの新しいシリーズで構成されています。
私たちが弾くということは、ラモーのオペラ曲の中で、三台のギターで弾くとバロック管弦楽団で弾くよりもはるかに美しいという曲を選択しているということです。
一番聞いてもらいたい人はラモーです。

メンバーは古楽器の奏者でもあり、私もチェンバロやピアノやヴィオラの方が、弾く感触としては好みなのですが、正五度にカスタマイズしたクラシックギターの音色の美しさは何物にも代えられません。

ギターは実はものすごく難しい楽器です。音階を弾くだけでも他の楽器ではありえないようなアクシデントが生まれる可能性があるくらいです。
けれどもその音色の魅力には抗えないので、どうしても手離せません。もし他のアンサンブルがこのプログラムを弾くなら絶対に聴きに行きたいです。でも誰も弾いてくれないので自分たちで弾くしかありません。私たちのパッションをみなさんと分け合えたら素敵です。
一回性のアートである音楽を分かち合える贅沢にくらくらします。

トリオ・ニテティスのブログも合わせてどうぞ。

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# by mariastella | 2017-09-22 05:54 | お知らせ

国連総会での首脳演説 トランプとマクロン

日本でも国連におけるトランプの「北朝鮮破壊」のような強気発言が報道されていたけれど、なんだかもうこの人の品のない過激ぶりに麻痺してしまった。


フランスではもちろん、その後の演説でマクロン大統領が環境保護や弱者救済をエレガントに語るのが何度も映されて、オバマ大統領を思わせるとか言われた。

トランプの時代だからそのコントラストが際立って、ある意味で得しているかもしれない。


その上、イギリスのEU離脱が決まっているから、国連の安全保障委員会の常任理事国の中で、フランスは唯一のヨーロッパの顔となる。


米、中、露、英、仏。


経済的には今のロシアは弱いが軍事大国だし、英と仏が分かれると、イギリスが過去の帝国主義の盟主、フランスは団結したEUの代表、と見えるから、これもイメージ戦略的には悪くない。


経済的な覇者であるドイツは、こういうところでは、日本と同じくやはり第二次大戦の敗戦国というレッテルから逃れられない。


この安全保障「五大国」、いずれも核兵器所有国だから、北朝鮮でなくとも鼻白むが。

で、このマクロンの、一応「フランスらしい」、アメリカに盾突く発言だが、それを評して「地球という人類の集合住宅の管理組合(国連)の自治会会長」のスタンスだと言った人がいた。

悪くないたとえだ。

最上階に住み自分ちだけリフォームしてセキュリティシステムや耐震設備を整えている金持ちが自分は管理組合なんて無視してもいい、と言ったとしても、

建物全体のメンテナンスが放置されれば、害虫や害獣も忍び込むかもしれないし経年劣化もあるし、いつか土台から崩れるかもしれないのだ。

余裕のある居住者が金を出し合って全体を支えたり、孤立した居住者のケアをしたりした方が最終的には建物全体の健康寿命を延ばす。


そのようにスケールを変えて考えてみると、先日読んだ『プラチナタウン』も別の視点で見えてきた。


あそこで語られた赤字財政、過重負債、過疎化、少子化、人口の老齢化、介護の問題など、実は、「日本の中の一地方都市」の問題ではなく、「世界の中の一地方都市」である日本の縮図だと言えるのではないだろうか。

あの本では、日本の中の「都会」と「田舎」の格差だとか人口の偏りとかが語られているが、地球全体をひとつの国としてみたら、まったく同じようなことが起こっているわけで、日本はまさに、もうすぐ、「公共事業をやり過ぎて立派な施設がいたるところにあるが負債は膨らむばかりで消費は伸びず人口減の進む地方都市」のようなものだ。あの本にあるように世界中の各地へのアクセスは飛躍的によくなっているから、富裕者は、シャッター街になった日本を捨ててもっとリッチな場所に移住していくかもしれない。


そんな「地方都市」日本の再建のカギは『プラチナタウン』にあるような福祉政策かもしれないし、それを地球規模で考えて、地球集合住宅の自治会で積極的に全体の運営対策に参加することかもしれない。


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# by mariastella | 2017-09-21 02:30 | 雑感

10/21 17h pm のコンサートのお知らせ

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10/21(土)の午後5時に東小金井市の双ギャラリーで私のトリオのコンサートをします。

2011年の東日本大震災の後で私が企画したチャリティコンサートに来てくださって以来、いろいろな冒険をご一緒させてもらっている師井公二さんの個展の開催に合わせたものです。


この双ギャラリーには春におじゃましましたが、ギャラリーのサイトを見ても、コンセプトが一貫したこんな経営ができるというのは日本が到達した豊かさの上に立っているのだなあと戦争のなかった70年以上に感謝の念を抱きます。スペースが狭いので先着20名くらいです。必ずギャラリーにお申し込みください。
私たちはギターのトリオですから、親密な空間の方が絶対に楽しめます。
しかも弾いているのは室内楽でなく基本的にバロック管弦楽の全パートの再現で、ギタリスティックなものを選んで、クラシックギターを正五度にカスタマイズしたものを使っています。
著作を含めた私の全活動は自由と平和という同じ夢に基づいています。

トリオの仲間の2人は個性的で才能にあふれ、強靭さと壊れやすさが共存しているユニークな人たちです。
大波小波、嵐を乗り越えて、彼らと過ごした四半世紀のおかげで、極めて難解な(解釈の話で、聴く分には難解ではありません。ダンス音楽です)フランス・バロックを掘り下げるという贅沢を極めています。

全人格が投影されたこのようなアンサンブルが成立して持続するのは奇跡のようなものです。

彼らもそれぞれコンセルヴァトワールの教授や音楽教授の他にバロックの古楽器を使ったアンサンブルの活動もしていますが、1991年のスペインへの演奏旅行で知り合って以来、人間的に惹かれ合った私たちは私たちの美学に完全に合致した妥協のないフランス・バロックの冒険を続けています。

今回の一連のコンサートに関して、トリオ・ニテティスのブログを再開していきます。

合わせてご覧ください。


以下は、これまでに師井公二さんとご一緒したものの例です(師井さんのサイトより)




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# by mariastella | 2017-09-20 01:02 | お知らせ

楡修平『プラチナタウン』祥伝社文庫

久しぶりに小説、しかも日本語の小説を読んだ。

最近手に入れて、日本の文庫本「読み待ち」の棚(ここには加賀乙彦さんの『宣告』やら、東野圭吾、殊能将之のミステリーなどがもうずっと置いてある)に並べる前にパラパラと目を通したら面白くてつい全部読んでしまった。

小説は仕事が一段落した時にゆっくり読もうなどと思ってとってあるのについたまってしまう。日本語の文庫はノンフィクションや科学読み物の方を先に読んでしまうからだ。後は膨大な「読みかけ本」があって、その他、仕事に必要な本を読んだり資料を作っているうちに日が経つ。

最近は、10月のコンサートのために練習も毎日しているのでますます一日が短い。

それなのに…。

本の名は楡修平『プラチナタウン』祥伝社文庫

なぜ引き込まれたかというと、

最近日本の記事を読んでいて気になっていたことの空気がすごくよく分かったからだ。

知事と都議会の関係(この本では町長と町議会の関係)とか、
公有地の無償貸与の話とか、
地元への「見返り」とか、
高齢者問題とか、

いずれも、ユニヴァーサルであるようで、すごく日本的な部分がある。

フランスもいくらでもスキャンダルなどあるのだけれど、日本とは突っ込みどころが違う。
議員の「不倫」疑惑などがフランスでは歯牙にもかけられないことなどは日本人にも想像できると思うけれど。

私は友人も家族も近い人には商社マンや政治家がいないので、日本のそういう世界についてはこれまでも企業小説や政治小説で知識を仕入れてきた。

でもこの『プラチナタウン』は、小説としての強度はないのだけれど、あらゆる意味で、ちょうどいいサイズで、町の財政再建のストーリーが進んでいく。明快だし後味もいい。

日本経済において総合商社が占めていた位置についてもノスタルジーと共に考えさせられる。

文庫の解説にもあるように、舞台となるのが宮城県であり、この小説の最初の刊行が東日本大震災以前だったことには感慨を覚える。

考えてみると風光明媚な場所の多くは、火山帯だったり海辺だったりするので、噴火、地震、津波、台風などのリスクが常にある。

折から、裕福なリタイアカップルが老後を過ごすパラダイスのようなイメージのカリブ海だとかマイアミ・ビーチなどがハリケーンによって大きな被害を受けた。

「対話」や外交努力が不可能な自然リスクがたくさんあるのだから、その上に人間同士がわざわざ武器開発をエスカレートしないでほしい、とつくづく思う。

日本の中の「都市」と「田舎」の抱える問題や、知識としては知っていたけれど日本では一戸建てでも50年経てば資産としては土地の値段しか残らず、マンションは古くなると資産価値がなくなるというのもあらためて驚かされる。
この小説でもアメリカでは築100年のビルも立地が良ければ資産価値が上がることもある、ということが紹介されている。パリ市内など一戸建ては例外だからなおさらだ。

日本で快適に年取るのにはお金がかかる、というのはなんとなく感じていた。
でも、お金さえあれば快適さや安全を変えるところだなあとも。
フランスでは大金持ちは知らないが、お金を払ってもなかなか快適さが買えない。
でも、リタイアした人が普通に暮らしていたらあまりお金もかからない。
サルコジが「ぶっ壊す」としたものをマクロンがさらに推し進めているから、これからどうなるかは分からないけれど。

ともかくこの本を読むとリバースモゲージだとか介護の話、公共事業神話、地方再生と福祉、ネットで読む日本の雑誌でもよく取り上げられることがリアリティを持って語られるので、知識が整理できる。
もちろん思いは「国家戦略特区」の今治市の議会のことにまで飛んでいくのだが。

私が日本に行く頃に解散総選挙になるのだろうか。






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# by mariastella | 2017-09-19 02:19 |

ウィーンの話  その24 美術市美術館 2

美術史美術館で興味を掻き立てられたのは、天使たちの造形。
天使といっても、大天使ナントカではなくて、子供型のいわゆるキューピッドというやつだ。



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保育園でもめている子供たちですか。


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なんか凶器を作っている天使のそばで、もう一人が嫌がる子の手を無理やりにひっぱって、いじめの現場みたいな光景。実際はアトリエで作業している様子らしいが、絶対に何かの含意がありそうだ。こんな絵、誰が注文したのだろう。

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# by mariastella | 2017-09-18 02:38 | アート

ウィーンの話 その23  美術史美術館

日本人にとって、美術の教科書に載っている有名な絵の実物がたくさんある、という不思議な気持ちを抱かされるヨーロッパの美術館のひとつがウィーンの美術史美術館だ。

しかも、例えばイタリアだからイタリアの、フランスだからフランスの、スペインだからスペインの、イギリスだからイギリスの、ウィーンだからオーストリアのアート作品の収集というのではなく、ヨーロッパの中で、王侯貴族やカトリック教会の姻戚関係やネットワークが国際的で錯綜していて、コレクターもボーダーレスなので、どこでも「美術の教科書」っていう感じになる。

美術史博物館の目玉展示物もラファエロやフェルメールやブリューゲルだったりするのだ。
でも、いわゆる有名作品に惹きつけられるよりも、

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カラヴァッジョの大作の貧しい人々の足の裏の汚れのリアルさになぜか感動したり、


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こんな聖母子像の異様な愛らしさに驚いたり、

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このような象牙細工(下はヨーゼフ一世。70cmくらいの作品)の職人技の造形に圧倒されたりした。

これは、パリのブランリー美術館でアフリカの装飾品を見てもそう思うのだけれど、日本にいればとても繊細な職人技はなにか日本人独特のものかと思うのに、実際は、「細部への偏愛」というか偏執みたいなものは、古今東西、人類共通なんだなあとあらためて感心する。

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こういう不思議な小物もあった。

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# by mariastella | 2017-09-17 07:51 | アート

ウィーンの話 その22  ベルヴェデーレ宮美術館 4


(これは前の記事の続きです。)

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メッサーシュミットは若くして王立アカデミーの助教授ともなり、ウィーンの貴族や知識人らの肖像の注文を受けた。その腕は高い評価を得ていたのに、やがて人間関係が破綻して解雇され、ウィーンから去らざるを得なかった。

彼の病が何であったのかについては、言行録があまり残っていないので確定はできないが、1932年に美術史博物館長で精神分析家でもあったエルンスト・クリスが統合失調症だと診断した。頭像における様々な感情の表現は、無意識の自己治療なのだという。

さらに、1981年に、オットー・グランディエンが、メッサーシュミットが47歳で肺炎で死ぬまで最後まで制作に破綻がなかったことから妄想性精神障害という診断を下した。


死亡記事には彼が超常現象に興味を持っていたと記録されている。

注目すべきは、メッサーシュミットが、ほぼ同世代のフランツ・アントン・メスメールと1766-70年にウィーンで同居していたことだ。メスメールからの注文で噴水用の彫刻も制作している。


メスメールといえば、「動物磁気」による治療でパリで一世を風靡した人で、催眠術や精神分析の先駆者ともなった。ウィーンで怪しまれたメスメールは1779年にパリに行き、宇宙の波動による治療で大儲けをした。1780年代に8000人の患者がメスメールのエネルギー治療を受けた。メスメールは450人の磁気治療師を養成し、フリーメイスン・ロッジのモデルを使ってヨーロッパ中や海外にまで支部を作ったという。


ウィーン時代にはもちろんモーツアルトとも交流があり、治療の時のバックミュージックをモーツアルトに依頼している。モーツアルトのオペラ・ブッファ『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の中にも「磁気療法」が出てくる。


すなわち、メッサーシュミット、モーツアルト、メスメールはフリーメイスンを通して交流していたというわけだ。

メッサーシュミットのような天才が、これほどの途方もない作品、当時としては商品価値を持ち得ようのない強迫的な作品群(70点以上)を残せたことの背景には、啓蒙の世紀の末期、革命前夜のフリーメイスン的デカダンスと韜晦があるのかもしれない。


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# by mariastella | 2017-09-16 06:37 | アート

ウィーンの話 その21 ベルヴェデーレ宮美術館 3

ベルヴェデーレでクリムトやエゴン・シーレにあえて触れないとしても、やはりここでしか見られない目玉展示品は、フランツ=クサヴァー・メッサー シュミット (1736-1783) の『個性の顔』と呼ばれる不思議な頭像の表情シリーズが一堂に集められているものだろう。

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彼の作品の表情の誇張は、それが肖像として注文されたものではなくて、ただただ、人の表情の観察のために作られているということだ。

後世に残すための「よそ行きの顔」ではなくて人間の内面を表す様々な表情を研究したアーティストは別にメッサーシュミットだけではない。ダ・ヴィンチだって多くのデッサンを残している。

メッサーシュミットの残した頭像がすごいのはそのほとんどがブロンズ像だということだ。こんなものは、普通は、しかるべき権力者の注文によって作られる。

メッサーシュミットにそれを作らせたのは、「精神の病」だった。(続く)


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# by mariastella | 2017-09-15 07:30 | アート

ウィーンの話  その20 ベルヴェデーレ宮美術館 2

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ちゃぶ台をひっくり返したサムソン。旧約聖書のサムソンとデリラで有名な話。

Johann Georg Platzer『サムソンの逆襲』1730-40頃 

怪力を取り戻してつながれていた柱を壊して建物を倒壊させたサムソン。
救いようのない話だけれど、構図がとてもバロックだ。

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こちらは怪力とは無縁の、苦悩するイエス。Paul Troger の『オリーヴ山』 1750年ごろ。後期バロック。

この両手の指の組み方がなぜか悲痛。イエスは、逆襲しなかった。

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# by mariastella | 2017-09-14 05:49 | アート

ウィーンの話  その19 ベルヴェデーレ宮美術館

ベルヴェデーレ宮の美術館というと、世界最大のクリムトのコレクションとかエゴン・シーレの画を思い浮かべる。実際、この二人が出てきたのは、音楽に関して今回初めて意識したウィーン独特の退廃から抽出された毒を秘めた何かのせいだと思う。

学生の頃はドイツの小ロマン派などに傾倒していたから、クリムトやエゴン・シーレもかなり「好み」だったと思う。

でも今はすごく健全になったので実はこの2人にもう刺激を受けない。

もっと中世的なものの新しさの方に驚く。

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これはHans Klocker という人の1485-90年ころの作品で、イエスの誕生に集まった人々の群像の中から聖母マリアの夫ヨセフ。この人って、許嫁の10代の少女マリアが聖霊によって妊娠したって知って、悩み、それでも母子を守ることに決めた苦渋のお父さん。しかも、子供は、旅の途中の馬小屋で生まれちゃうし、こういう複雑な表情になるのもよく分かる。


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これは司教姿の聖人たち。1518年の木彫。Andreas Lacknerの作。
保存状態がいいのもすごいけど、この聖人たちの表情が、ちっとも聖人風でなくなんだかそこいらのおじさん連みたいなのがリアルだなあと驚く。しかるべき衣装や小道具をあしらえさえすれば、顔の部分はこんなに自由に表現してもOKなのだとは。









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# by mariastella | 2017-09-13 06:20 | アート

ウィーンの話 その18  フリーメイスンとヒトラー

ウィーンの国立図書館のフリーメイスン展示で実は一番興味深かったのは、二度の大戦間に、オーストリア生まれのヒトラーが総統として率いるドイツ国家社会主義のナチス党のオーストリア支部(1926年成立)がどのように台頭したかという状況だ。
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これは、1931年に起きたBauerという商人の殺害未遂事件に関して、フリーメイスンが関わっていたというプロパガンダのポスターで、オーストリア・ナチスの初期の活動家がそれについて講演している。
彼らがファシズムを広めるにあたって、フリーメイスンはかっこうのスケープゴートだった。
「フリーメイスンとユダヤの陰謀」というお決まりの陰謀論のルーツはこの頃にある。
世界恐慌による経済危機に苦しむ当時、フリーメイスンは分かりやすい「悪」の代表となった。
この1931年、ヒトラーはまだオーストリア人(しかし1925年にオーストリア再入国を拒否されて無国籍状態)だった。ヒトラーがドイツ国籍を得たのは1932年で、翌年の1933年にはドイツの首相になっている。
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私たちはオーストリアも1938年にナチス第三帝国に侵略され組み入れられた「被害者」だという印象を持っている。でもそれは、第二次大戦後処理で、ウィーンを占領したソ連が擁立した共産主義系の政権が西側連合国にかろうじて認められて分断が避けられ、「ナチスドイツの被害者」認定してもらえたからである。そして「永世中立国」の優等生の振りができた。

このフリーメイスン展でのフリーメイスンの扱いを見ていると、オーストリアナチスの黒歴史とヒトラーの出自をどう消去するか、という無意識の、あるいは政治的な選択が見えてくる。

「ドイツ性」とどう付き合うのか、その中で、ウィーンの特殊性をどう生かすのか、などの多層なニュアンスが見えてくる。

ウィーンはモーツアルトやソリマンのパトロンとなった自由で芸術的な都市でなくてはならない。それにはウィーンのフリーメイスンが必要だ。「ナチスドイツの被害者」面をするには「フリーメイスンの友」でなくてはならない。

フリーメイスンはウィーンの観光商品であるだけでなく政治商品なのだ。

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# by mariastella | 2017-09-12 02:45 | フリーメイスン

ウィーンの話 その17  標本にされたソリマンの最期

ソリマンとモーツアルト(続き)

これも一次資料にあたっていないので確実には言えないのだが、ソリマンがフリーメイスンに入会して数年後に破産したとか大きな負債を抱えたという話もある。

彼の晩年がどのようなものであったかはよく分からないのだけれど、娘がしかるべき家庭の男と結婚して、前にも書いたように孫も歴史に名を残しているのだから、完全に無力な状態であったとは思えない。


ともかく、1796年、75歳になっていたソリマンはウィーンの街を歩いていた時に路上で動脈疾患(心臓か脳か不明)の発作で斃れて死んだ。


パリではフランス革命が勃発して恐怖政治を経た後、ナポレオンがイタリア遠征をした年だ。モーツアルトが死んで5年、ソリマンを愛したヨーゼフ二世が死んで6年経っていた。ヨーゼフ二世には後継ぎがなく、弟のレオポルドが即位2年後に死んだその息子フランツ二世が後を継いでいた。


ソリマンの遺体はフランツ二世に引き渡され、内臓だけが埋葬され、皮が剥がされて木型のマネキンに貼られる形で標本にされた。

珍しい「黒人」の剥製を作るために売られたのだ。

その「標本」は、半裸で羽根をまとい、貝殻の首飾りをつけるという「アフリカ原住民」の姿で自然史博物館のアフリカのコーナーに陳列された。

ウィーンの動物園の守衛だった黒人や六歳の黒人少女ら3人と共に、サバンナの動物の剥製を配したアフリカ展示の一部となったのだ。

ソリマンをキリスト教徒にふさわしく埋葬してくれるようにという子孫の申し立てもあったが聞き入られなかったようだ。オーストリアはすでにフランス革命戦争に突入していた。

生前あれほど尊敬され愛されていたソリマンが死後にこのような無残な形で扱われたということの根っこに、ウィーンの持つ独特の退廃や倒錯を感じてしまうのは考え過ぎだろうか。

フランスには、「黒いモーツアルト」と呼ばれた混血の作曲家に有名なシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(1745-1799)がいる。

彼も失意のうちに死にはしたがそれは王家に庇護されていたことがフランス革命で裏目に出たからだったので、ソリマンとは全く違う。

シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュはフランスで最初の黒人のフリーメイスンで、グラントリアンの「9人の姉妹」ロッジでイニシエーションを受けたとされるがその正確な年は分からない。


しかし1781年にフリーメイスンの音楽家たちと共に「パーフェクト・ユニオンのオランピック・ロッジ」の後援でオランピック・ロッジ・コンサートという管弦楽団をオーガナイズしている。

パリのシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュのような生き方は、ウィーンのソリマンには不可能だった。


それでも、この二人を結びつけるのはモーツアルトでありフリーメイスンだ。


ウィーンのフリーメイスンはソリマンの尊厳を守ることはできなかった。


1848年、ウィーン会議以来の体制に反旗を翻すウィーン三月革命がおこり、爆薬を投げ込まれた自然史博物館が全焼し、ソリマンの標本も灰燼と帰した。


フランス・バロック音楽とウィンナ・ワルツの差には、実は、いわくいいがたい毒がひそんでいる。

いつか言語化できる日が来るかもしれない。


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# by mariastella | 2017-09-11 02:51 | フリーメイスン

ウィーンの話 その16 フリーメイスンとイルミナティ

ソリマンとモーツアルト(続き)


ハプスブルクのオーストリア帝国の社交界で完全に同化し受け入れられていたというより、人格も高潔で誰からも畏敬されていた黒人のソリマンが、フリーメイスンとなるのは1781年のことだ。

すでに60歳になっていた。同じ年に25歳のモーツァルトが、神聖ローマ帝国領のザルツブルク大司教コロレドに解雇されてウィーンで新生活を始めることになった。すでに名声が知れわたっていた天才はすぐにウィーンの社交界の支援を得た。フリーメイスンにはもともとアーティスト枠があって、ハイドンも常連だったからモーツアルトもすぐにロッジに出入りしたと思われる。

モーツアルト、ハイドン、ソリマンが出あったのもフリーメイスンのロッジだ。けれどもなぜかモーツァルトはハーモニーロッジでイニシエーションを受けていない。モーツアルトがイニシエーションを受けたのはハーモニーロッジより小規模の「慈善ロッジ」だった。最もこの二つのロッジは夏至の聖ヨハネ祭などを共同で開催している近い関係にあった。

「慈善」ロッジのグランマスターはオットー・フォン・ゲミンゲンで、彼は1778年にマンハイムでモーツアルトのパトロンだった。ゲミンゲンの紹介で同年にモーツアルトはパリのフリーメイスン作曲家で歌手のジョゼフ・ルグロらと出会っている。るグロはラモーのオペラで歌ったカウンターテナーで、モーツアルトと出会った時はコンセール・スピリチュエルを指揮してモーツアルトやハイドンに管弦楽を発注した。


フリーメイスンは貴族、アーティスト、啓蒙思想家たちのサロンという機能を果たしていたが、一応は「秘密結社」なので、その後の記録などがはっきりせず、文献によって異同がある。

1781年にウィーンのフリーメイスンの15人が「真のハーモニーへZur wahren Eintracht」という名の新しいロッジを作り、ソリマンはそこに迎えられて、たった4週間でマイスターの列に加えられた。ソリマンがそのロッジに友人のイグナス・フォン・ボーンを連れてきたと書いている人もいるが、逆に、1783年に全オーストリアのグランド・マスターであるフォン・ボーンによってソリマンがイニシエーションを受けたという人もいる。イグナス・フォン・ボーンがグランド・マスターとなったのは1782年だとする記述もある。

ソリマンは「ハーモニー」ロッジのグランド・マスターとなり「マシニッサ(紀元前3世紀の末にローマの支援で北アフリカのヌミディア王に即位したベルベル人だから黒人ではない)」と名乗ったともいう。

モーツァルトは『後宮からの誘拐』の大公セリムのイメージをソリマンからインスパイアされたとか『魔笛』のムーア人モノスタトスのモデルにしたとか言われている。ソリマンはバリバリの黒人で、トルコ人でもアラブ人でもベルベル人でもないが、当時のヨーロッパの感覚では、中南米のインディオでも北米インディアンでもトルコ人でもエジプト人でもなんでもエキゾチックという部分ではいっしょくただった。それは差別というより、ソリマン自身もエキゾチックなキャラクターを個性あるオーラとして利用していたのだろう。

当時のフリーメースンにはそういうエジプト趣味や秘教趣味が混然としていた。

ロッジに関するこれらの前後関係やヒエラルキーの異同について何が正しいのかは今の段階でチェックしていない。メイスン関係の記録の多くは破棄されたので第一次資料が少なく、確実なことは言えないのかもしれない。

一つ確かなことは、精錬技術に詳しい鉱物学者でトランシルヴァニア貴族であるフォン・ボーンの存在の意味だ。ソリマンの友人であったフォン・ポーンによってこのロッジが科学技術系になったということは確からしい。(ソリマンはコバルト鉱山に投資していたのだからそこからのつながりがあったのだろうか。)

フォン・ボーンはバイエルンのイルミナティのメンバーでもあった。

イルミナティというと、フリーメイスンと同じく今でも陰謀論の常連だが、17765月に結成されて1785年に禁止されたので短い期間しか存在しなかった。

フリーメイスンとの違いは、自由思想家、合理主義者らによる啓蒙活動団体としてフリーメイスンよりも過激だったことだろう。バイエルンもウィーンもカトリック文化圏で、メンバーはすべてカトリック信徒だった。

当時のドイツのカトリックはイエズス会に支配された保守的なものだったので、ラディカルな啓蒙主義者がイルミナティなどに向かったのだ。


フリーメイスンもイギリスのロイヤル・ソサエティに根を下ろしていたように、どちらも、もともと科学と親和性がある。エジプトの秘教趣味のせいで神秘主義やオカルトと混同されがちだけれど、古代趣味へと遡るのは、いろいろな宗教が分かれる以前の源泉となる普遍的なフィロゾフィアがあったはずだという探求心が原動力になっている。

フリーメイスンもイルミナティも当時は自由主義者と平和主義とアーティストの貴重な友好の場でありシンクタンクでもあったのだ。(続く)


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# by mariastella | 2017-09-10 00:21 | フリーメイスン

ウィーンの話 その15 ソリマンとモーツアルト

(これは前の記事の続きですが、前の記事に「追記」を加えました。合わせてお読みください。)

国立図書館のフリーメイスンの展示の中で、アンジェロ・ソリマンの肖像画が存在感を放っていた。モーツアルトハウスでも同じ肖像画が展示されていた。


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モーツアルトとソリマンを絡めてウィーンのフリーメイスンを語ることは、そこが知的で芸術的で自由で平等な啓蒙の世紀のサロンだったことを強調するのにぴったりなのだろう。

ソリマンはとにかくあらゆる点で秀逸な人で、これほどの人を前にしたら、教養のある人士ほど本気で傾倒したことはたやすく想像できる。知識人とアーティストは、人種のカテゴリーを超える。けれども、死ねば、ソリマンはただの黒人だ。黒い肌だけが残る。そして、黒人は「動物」と同じだという集団的な偏見に組み伏せられてしまった。ソリマンとはどんな人だったのだろう。

ソリマン(1721-1796)は今のナイジェリア北部で生まれ、子供の時に馬一頭と交換されて奴隷としてヨーロッパ人に売られた。10歳まではラクダの世話係をさせられていた。すでにその頃から、利発だったのだろう。その後でシシリアの富豪に引き取られ、その妻から語学と数学の教育を与えられ、1732年にカトリックの洗礼も受けてアンジェロ(天使)という洗礼名を得た (本名はMmadi-Makeだったらしい)。ヨーロッパ白人の仲間になる第一歩だ。洗礼を受けた911日を自分の誕生日だとした。その後で帝国の執政官に売られ、執事となった。

執事長として主人と共に旅行し、戦争にも行き、戦場で主人の命を救った。

服装のセンスも群を抜いていた。肖像画は29歳の頃の姿だ。英・仏・伊・独・ラテン語にチェコ語を自在に操り、剣術、航海術、チェスの達人で、作曲もした。

1755年、ウィーンで、主人の死の後32歳でリヒテンシュタイン公に仕え、皇太子の教育係にもなった。1764年リヒテンシュタイン公と共にフランフルトに行き、「ファラオン」を演じて得た大金をオーストリア東南部のコバルト鉱山に投資してさらに儲け、解放されて独立した。1768年にはウィーンの中心部でアルザス貴族出身の未亡人マグダレナと結婚した。ナポレオン軍の将軍も出した家系だ。結婚はシュテファン大聖堂の枢機卿による特別の計らいで実現した。

オーストリア皇帝ヨーゼフ二世も彼を敬愛し、名実ともにウィーンの名士となっていた。

この時点では、彼は本当に尊敬されていたのだと思う。「黒人なのにすごい」という偏見はなかったと思う。

ヨーロッパ人の中で圧倒的に目立つ黒い肌だから、その「見た目」は無視できないと思うかもしれないが、ヨーロッパのエリート階級は、一般に、ある状況(この場合は知性や教養や芸術や武術)のサークルの中では、人種差別をしない。建前や偽善ではなくて、本気で同胞になってしまうのだ。特に、伝統的なカトリック国(つまりアイデンティティ意識がもう希薄になっているユルイ社会)ではその傾向が強い。この点では日本の方がずっと「見た目」による偏見や差別がすべての階層に根強いというのが、今の時代でも通ずる私の実感だ。

ソリマンの孫のEduard von Feuchtersleben も高級官吏となり、作家として名を残している。『モンテクリスト伯』で有名なデュマの父も黒人奴隷と白人のフランス人との間に生まれていた。啓蒙の世紀のエリートたちに認められた点で共通している。

で、ソリマンとフリーメイスンとモーツアルトの関係は?(続く)


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# by mariastella | 2017-09-09 05:09 | フリーメイスン

ウィーンの話 その14 国立図書館とフリーメイスン (追記あり)

世界で最も美しいと言われるウィーンの国立図書館。
(私はプラハのストラホフ修道院の図書館の方がすてきだと思うけど。)

で、中は確かに豪華でこんな感じ。
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まるで宮殿みたいだけれど図書館らしいのはこういうところ。
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でも、驚いたのは、ここで、近代フリーメイスン創設300周年記念展をやっていたことだ。至る所に展示品が並んでいる。
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確かにモーツアルトハウスでもフリーメイスンのロッジの絵があって、魔笛もそうだけれど、モーツアルトの音楽とフリーメイスンの音楽が切り離せないことも分かるけれど…。
ウィーンって、国立の歴史建造物の中で、国をあげての観光の目玉にフリーメイスンが取り上げられる町なんだなあ、と感心したのだ。

パリにもフリーメイスン博物館がなかなか充実した展示をしていて、美術館として公式に認定されているけれど、それはれっきとしたフリーメイスンのロッジの建物の中にある。

ウィーンの国立図書館はいわゆる王宮地区にあって、王宮の一部をなしている。
パリで言えばヴェルサイユ宮殿の中にあるようなものだ。

ウィーンではモーツァルトが「目玉商品」のひとつだから、フリーメイスンも観光「商品」なのだ。

では、例の各種陰謀論、サブカルチャーやネット言説などとは関係のない18世紀テイストの上品で歴史的な展示だけかと思うと、のっけから、
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ほーら、メルケル首相もローマ法王も、マクドナルドも、ミッキーマウスも、あのスターもこの有名人も、みーんな、フリーメイスンのシンボルっぽいジェスチャーや形をしているでしょ、

という感じのパネルがあって、とってもポピュリズム。

いいのか、ウィーン。(続く)

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追記: この記事について、サイトの掲示板Forum3に次のようなコメントがありました。


>>>ウィーンの国立図書館の「フリーメイスン展」には驚きました。
ポップなコラージュ作品は、国立図書館の制作なのか、それとも個人の誰かの作品でしょうか?
ウォルト・ディズニーがメイスンであることは知っていましたが、現ローマ法王やメルケル首相もそうなんですか!
帰属を知らしめる、あるいは誇ること、本人にとってどれほどの名誉があるのか、門外漢の私には全く想像におよびません。<<<

このコラージュは当然ながら単なる釣り、というか「つかみ」です。
見る人の好奇心を掻き立てる「演出」です。
私の驚いたのは、その内容でなく、いくら「巷にあふれるいい加減な話をまず出してから真相に迫る」というコンセプトにしても、こんな立派な国立図書館の展示にそんな2チャンネルなコラージュを堂々と出していることでした。

誰かがある動作やしぐさをしたら即「フリーメイスン」だとか「・・人」だとか他のセクトだとか「認定」っていう言説は、差別や疑心暗鬼の煽動にせよただの娯楽にせよ、ネット上ではうんざりするほどあります。私はそういうものに抵抗する姿勢ですから、誤解なさらないようにお願いします。




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# by mariastella | 2017-09-08 01:01 | フリーメイスン

命を狙われて生きるということ

テレビのインタビュー番組で、2015年のシャルリー・エブド襲撃テロ以来、ジハディストからひどい言葉で「死刑宣告」を受けているフランス人とモロッコ人のハーフの女性ジャーナリストで宗教社会学者のZinebが話しているのをみた。

カサブランカ生まれで、彼女の共同体のイスラム教が女性を劣位に見なしているというその一点で、早くからイスラム教を丸ごと捨て去ったという。
すごく明快だ。

純潔を守って善き妻となり金曜日ごとに夫の家族をもてなさない女は、即「遊び女」とみなされる。
17才半でモロッコから抜け出した。

宗教社会学などはパリで学んだ。
モロッコの刑法ではラマダンの期間にムスリムが正当な理由なしに公の場所で飲み食いすると罰金と6ヶ月の懲役が制定されている。それに抗議して2009年に、ラマダン中にピクニックすることを呼びかけるなどの活動で官憲に追われ、スベロニアに亡命し、シャルリー・エブドに記事を書くようになった。

当時のシャルリー・エブドは破産寸前の苦しい経営だったけれど、編集長のシャルブらが自分たちの給料をカットしてまでZinebを正式に雇い入れてフランスに招いたのだそうだ。

それは初耳だった。

テロの日はカサブランカにいて襲撃を免れたが、「ムスリム女性」(父親がムスリムのモロッコ人なので自動的にムスリムとなる)でありながら冒涜的なシャルリー・エブドに加わっているのだから、過激派にとってはZinebは万死に値する。

で、2015年に生まれた娘を抱える身で、身の安全のためにパリのアパルトマンを転々としながら外では完全に警護されて暮らしている。

「一歩外に出たら自由ではない」という逆説的な状況。

まだ35才だ。

人はどの時代にどの国に生まれるかは選べない。

私は生まれた国には住んでいないが、不思議なことにあまりカルチャーショックがなかった。

日本にいた頃に主婦連だとかウーマンリブとかいう活動は知っていたが、身近の女性はみな不当なくらいに優雅に暮らしていた。女性であることはちやほやされることはあっても、社会の中で差別に向かい合うほど長く日本にいなかった。
日本の社会に女性差別があるのは分かっていたけれど、それは分かりやすい「宗教」の文脈などではなくて、漠然とした同調圧力みたいなものだったから、「戦う」とかいう対象にはならなかったのだろう。

でも、フェミニズムにかかわることで「死刑宣告」を受ける文化があるのだ。

フランスのテロはその後「無差別テロ」や「警官、軍人」を標的にしたテロへとシフトしていっているので、私たちは「シャルリー・エブド」事件の記憶を風化させてしまっている。

名指しで死刑宣告された一人の女性は、もう大勢の同志と「連帯」して通りを行進することはできない。

昨日の記事で書いたACT UPの若者たちも、エイズという病によって理不尽に死を宣告されたが、団結することはできた。

Zineb女史の孤絶を思うと愕然とする。

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# by mariastella | 2017-09-07 02:50 | フェミニズム

ロバン・カンピヨのカンヌグランプリ映画『120 battements par minute』


昨日観たBonne Pomme に失望したので、確実に評判の高いものをと思って、今年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞したロバン・カンピヨの『一分間120拍動』(120BPM)を観に行った。

BPM120というテンポは、この映画で使うハウスミュージックのテンポであり、心臓がドキドキする鼓動の数でもあるという。


1990年代初めに、アメリカのACT UPに続いてパリで立ち上がったエイズ患者たちによる社会活動団体のドキュメンタリー映画のような作りだ。

監督のロバン・カンピヨの実体験をもとにしている。


雄弁なリーダーのチボーは実在のディディエ・レストラードがモデルで、レストラードは今も健在だから、HIV陽性でも、抗エイズ薬が間に合ったのだろう。

カンピヨは多分陰性で活動に参加していたと思われるので、この映画のナタンの立ち位置ではないかと思う。死者への追悼だけではなく、生き抜いた仲間たちへの生の賛歌のメッセージでもあると語っていた。

90年代初め。隔世の感がある。


ネットや携帯のない時代で、紙を輪にして無限ファックス抗議を送ろうという提案があったり、薬品会社に抗議行動に侵入するシーンも、今なら、ガードマンがいたり監視カメラがあったり、すぐに携帯で上の階にも連絡がいくだろうな、などと思った。そもそもこの手の草の根活動は、今なら、多くのSNSでわっと広がったりつながったりするだろう。

それがない時代に、彼らは、ただ単にデモをする以上の行動に踏み切った。

デモをすること自体はフランスでは日常茶飯事なのでメディアに取り上げられない。挑発しなくてはならない。アメリカのACT UPが死者の遺灰をホワイトハウスに巻いたことを参考にして主人公の1人ショーンの遺灰を製薬会社のパーティのテーブルにばらまく。エイズと血による感染の恐怖を利用して、偽の血を関係者や製薬会社に浴びせかける、などもした。

週一回のミーティングの実況がすごくリアルだ。


ACT UPの特徴は、患者の互助団体などではなく、リセの授業に飛び込んで生徒たちに感染予防を教えたり、娼婦や薬物中毒者や囚人など、自分たち(同性愛者や血友病の薬害エイズ患者)よりもさらにマイノリティの人々のリスク管理や権利擁護についても積極的に戦ったりすることだ。

ゲイプライドの行進を、暗いものでなく明るく、同時に政治的メッセージを持たせるためにいろいろな演出やスローガンを考える。

本来ヒエラルキーのない直接民主主義のミーティングで自然な権威を発揮する複数のリーダー格の若者たちが、秩序とバランスを絶妙に維持していく。

議論の仕方がいかにもフランス人とフランス語の世界だ。

68年の五月革命の時もこんな感じだったのだろうなと想像する。

彼らの戦いにはいろいろな位相がある。

同性愛者、HIVキャリアに対する差別を是正しようとする社会的なもの、

治療薬の認可を遅らせたり、実験結果を公表しなかったり、予防のための広報動をしない製薬会社や政府の不正や偽善を告発する政治的なもの、

20代で訪れる死を前にした実存的、哲学的なもの、

病をかかえ、痛みに耐えるフィジカルなもの、

などだ。


それらをすり合わせ、統合し、立場を異にする者の怒りの表現と行動と、被害者や潜在的被害者を守ろうとする使命感とを両立させていく明晰さとそれを支える言論文化の成熟ぶりはすばらしい。言論がクリエイトに結びつくことの高まりも感動的だ。

日本では薬害エイズが大きな問題になったが、もともと町で声を上げるとか挑発することに消極的な日本ではACT UP的なものはなかったようだ。

同性愛はサブカルチャーの中でのみ受容され、後はひたすら「世間様に迷惑をかけない」範囲でのみ受容される。家父長制社会の中では同性愛は本質的に逸脱であり「悪」なのだ。

それは「欧米」でも同じで、その「悪」を襲うウィルスは「神罰」という分かりやすいシェーマにとり込まれるので、ますます放置された結果、80年代にすでに十万人以上が犠牲になった。アフリカを含めると、今やすでに百万人規模の犠牲者を数える人類最大の伝染病だと言われている。

81年のミッテラン政権で同性愛が刑法から姿を消したのに、82年に最初のエイズの報告がアメリカで現れて、同性愛者は再び、というか、前よりもひどく差別され恐れられるようになった。

監督がモデルではないかと思われるナタンは、十代で数学教師と関係を持ったりした後、アメリカのエイズ患者の写真を見たショックで5年間、同性愛のあらゆる付き合いを断ってしまったと言う。「同性愛者は死ぬ」という定式がとつぜん登場したのだ。

ナタンと愛し合う活動家のショーンは母一人子一人の移民二世という設定で、「バロックな俳優」を探していた監督に白羽の矢を立てられたのが、バスク系アルゼンチン人のナウエル・ペレズ・ビスカヤールだ。踊るのが好きで、過激なこのキャラクターにぴったりだ。

ナタンとショーンが最初に寝るシーンは延々と続くので正直辟易した(というか、この映画、社会派フランス映画としては異例の長さの2h20で疲れる。削れるシーンはもう少し削ってほしい)。けれども、ラストにナタンがいとも自然に、ショーンが嫌っていたチボーに、「戻って僕と夜を過ごしてくれ」と申し出て、二人のからむシーンでナタンが嗚咽する部分に呼応すると思えば理解できる。

徹底的にドキュメンタリー風のミーティングや挑発行動のシーン、セーヌ河が暗紅色に染まったり、1848年革命のナレーションが入ったりする幻想的なシーン、そしてHIV陽性と陰性という溝を乗り越えるが死によって隔てられる若い恋人たちの親密な空間、と、いろいろなスタイルが畳みかけられていくので、冗長さや重さは軽減されてはいる。

不思議なのは、この映画がカンヌ映画祭の2ホールで上映された後、2000人の観客が涙を流したとかいう話だ。他の感想にも、涙なしには見られない、というのが少なからずあった。

それって「死によって引き裂かれる若いカップル」誘う涙?

監督は、死と隣り合わせのロマンスを確かに描いたけれど、感傷的にならないように気を付けたと述べているし、実際それに成功していると思う。

「お涙頂戴」の感涙ヒストリーに分かりやすく涙腺が緩む私だが、実はまったく泣けなかった。

情報量が多すぎ、考えさせられることが多すぎて、このカップルの魅力的な組み合わせや、最後に母親まで登場することも、「涙」につながらない。


若者が「死ぬまでは生きる」ことのしたたかさ、みたいなものには感心したけれど。

ともかく、彼らの運動は無駄ではなく、多くの若者が新薬に救われることになったし、予防概念も広まったし、感染者への偏見も減った。今はHIV陽性となってもしかるべき処置を続けていれば普通に寿命を全うできるところまでいっている。

私はミッテラン政権以前のパリのゲイ・コミュニティと接触があった。彼らの多くはエイズでこの世を去ったと思う。

ACT UPの少し後の世代とも仲良しだ。HIV検査の結果に恐れおののく友人たちの恐怖も共有した。

不思議なことに、ACT UPの中心の世代のゲイ・コミュニティ(私より10歳ほど下)にはほとんど知り合いがいない。この世代の知り合いはレズビアンであるせいか当時も今もエイズの恐怖について耳にしたことがない。


ただ、90年代半ばに、パリの市バスに注射器を持った男が侵入してきて、エイズの血液を注入してやる、と騒いだ時に、親しい人がちょうどい合わせた。これも今ならスマートフォンで通報されたり写真を撮られたりしているだろう。今の感覚で言えば、テロリストに遭遇したようなもので恐ろしかった。

エイズの情報が耳に入った80年代初めには確かに、陽性風の人に対して疑心暗になった記憶もある。狂牛病の実態が公開された時もショックだった。

今の時代も、フランスならテロ、日本なら地震警報にミサイル警報、と、恐怖心があおられて生きることを楽しめないような事項がたくさんある。


環境破壊、公害、異常気象、そしてそれらを全部ないことにしても個人的に確実におそってくる老いやら病気やら、減っていく持ち時間。

あれやこれやのリスク情報や警報を前にして心は揺らぐ。

それを防ぐのは容易ではない。


90年代の若者たちが生きて、生きて、生き抜いたACT UPの世界に2時間入り込むことは、恐怖や悲観との適切な距離の取り方、希望の持続方法を学ぶ貴重な体験である。


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# by mariastella | 2017-09-06 02:08 | 映画

ドヌーヴとドゥパルデューの Bonne pomme


カトリーヌ・ドヌーヴとジェラール・ドゥパルデューの10度目だかの共演ということで、これは面白いかなあと思ってつい観に行った映画。

ウェスタン・ダンスに入れあげている妻とその母親から馬鹿にされるのに嫌気がさして出ていった整備工が、田舎の自動車整備工場を買って独立しようとして、工場の向かいにあるレストラン・ホテルの女主人バルバラ(ドヌーヴ)と出会う。


タイトルのpommeというのはリンゴのことだが、同時に馬鹿、間抜け、お人よしという時にも使われる。大金を持って出てきたドゥパルデューは、ドヌーヴから金を巻き上げられるのだが、なぜかいつも親切にピンチを救ってやる。

妻の母親が仕切っている工場ではただのpommeのように扱われるのだけれど、ドヌーヴや彼女に振り回され迷惑をかけられている町の人や旅人に気前よく手助けしてしまう人の好さはまさにbonne pommeで善良な馬鹿、お人好し、というわけだ。

完全に肥満体になっているドゥパルデューのどっかり丸い体が動き回る。

非現実的なシチュエーションなのに説得力があるのはさすがの演技力だ。

「日本人のカップル」というのもホテルの客として出てくるが、へらへら笑って自撮り棒を振り回しているカリカチュアで笑えない。

笑えないと言えば、ギャグのすべてがほとんど笑えない。

『人生は長く静かな河』や『ダニエルばあちゃん』のシナリオ作家のフロランス・カンタンがシナリオと監督だから話もうまくできているに違いないと思ったのだけれど…。

市長役のギヨーム・ド・トンケデックがせっかくいい味を出しているのに、それもうまく生かされていない。

ドヌーヴとドゥパルデューを使うのがもったいないような平凡な映画だ。

ドヌーヴも随分どっしりとしているが、脚はきれいだ。

年配になっても、コミックな味や自虐的な味を出したりして、なかなかしたたかな活躍ぶりだがそれでもどこかにエレガンスを残していた。

この映画ではそのエレガンスがなくほとんど下品だ。プロとしてすごいと思うが、この映画の出来栄えの悪さに釣り合っていない。

このフランスの小さな町、いかにもありそうな町の人間模様だ。


でも、ドヌーヴとドゥパルデューが、例えば30年前の「終電車」の自分たちの姿と役柄と、子の映画での姿と役柄の差をどんな風に受けとめられるのか知りたい気がする。

テレビのニュース番組で二人がインタビューされていたのを見たが、リラックスして、和気藹々と楽しそうだった。

見ているこちらの方が、来し方を振り返って感傷的になる。


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# by mariastella | 2017-09-05 06:11 | 映画

ウィーンの話 その13  ウィーンは踊る

ウィーンでは音楽関係の展示ではモーツァルトハウスや体験型音楽博物館で人気のハウス・デア・ムジークを見た。


私はウィーンのカフェにたむろしていた貧乏アーティストたちのサークルの名にちなんだ「シューベルティアード」というNPOを主宰しているのだからと、一応シューベルトの眼鏡なんかも見た。

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ウィーン・フィルの映像を見ながら、曲を選んでスコアを観ながら指揮体験(と言ってもテンポを変えられるだけだけれど)ができる人気のアトラクションもやってみたかったのだけれど、例のごとく中国人の団体が朝から詰めかけていて、指揮体験のコーナーには小学5,6年くらいの子供たちが押し合いへし合いしている。

たくさんいるのに、どの子も一曲全部を指揮する。皆が次々30秒くらいずつ分けて楽しんでもいいのに。しかも、並んでいない。一人が終わると、どこからか、強引な割り込みのできる子が登場して指揮台に上がるのだ。

部屋の後ろの席に大人が二人腰かけているから、修学旅行の付き添いかとも思うが、何の注意もしないでしゃべっている。

他の場所も中国人の子供だらけで駆け回って騒がしい。


彼らのいないコーナーで、スピノザの音楽やウィンナワルツを作曲するモノだけ「体験」した。(ウィーンの話 その2 参照)


それでも、ウィーンの音楽の歴史を眺めていき、ますます、ウィーン音楽(オーストリア音楽というよりウィーン音楽なのだ)とドイツ音楽の微妙な差に気づくようになった。


マーラーにあってワーグナーにないもの。

ハプスブルク家の繁栄の中で醸成されていったもの。

マニエリズムの一種なのだがもっと微妙なもの。


で、1814年のウィーン会議のことを思い出した。

「会議は踊る」というやつだ。

あの時、ウィーンでどんな踊りを踊っていたのだろう。

当時のカリカチュアではロシア皇帝とオーストラリア皇帝とプロイセン王が手を取り合って踊っている図(これは明らかにワルツではない)があり、イングランドやフランスは観察している。この踊りを分析した記事もある。


当時のウィーンではすでに、民衆の踊り由来のワルツがはやり始めていたという。

その百年前にはフランスの宮廷で踊られるバロック・バレーがヨーロッパの頂点を極めていたのだけれど。ウィーン会議でルイ一八世を擁するタレランがフランスに「外交官はいらないから料理人を送り込んでくれ」と要請していたそうだから、ウィーンではもはや踊りを制することはできない代わりにフランス料理の力でことを有利に運ぼうとしていたのだろう。

ともかく、皇帝たちや王たちの偽善と欺瞞と保身と権力欲とが渦巻くウィーンで、そのすべてを了解しながらうやむやにしてしまうのがウィンナワルツだったのだとしたら、ウィーンの音楽とドイツ音楽の微妙な差を説明する鍵は、きっと、そこに隠れている。


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# by mariastella | 2017-09-04 01:58 | 踊り

イザベル・ユペールとカトリーヌ・フロの共演『仲違いする姉妹』

暇がないのに先日テレビでつい映画を見てしまった。


2004年の映画で、イザベル・ユペールとカトリーヌ・フロという、絶対にうまい2人の女優の共演だからだ。

『仲の悪い姉妹』というニュアンスのタイトルで、いつもの通り、もし日本で公開されているなら邦題を書こうとして検索したら、驚いたことに日本語のwikipediaではユペールの作品リストにもフロの作品リストにもこの映画が載っていなかった。

一つ検索に引っかかったのがこれで『仲たがいする姉妹』というのが「仮題」とされていた。


アレクサンドラ・ルクレール監督の第一作で、当時監督は2歳上の実の姉と絶交してから5年経っていたそうだ。つまり実体験にインスパイアされた映画だそうだ。


今から13年前の映画だが、こういうパリの日常のテーマでは、たった10数年で、決定的なアイテムが変わったなあとまた思う。すなわち、携帯電話やスマホだ。


姉が妹をモンパルナス駅に迎えに行くときに遅れてしまって待たせるなど、今なら携帯メールやLINEを使うだろうし、妹が初めて行く出版社の場所を探して大きな地図を広げるシーンも、今ならスマホのGPSとかマップで確認しているだろう。この映画では地図を広げるシーンが「おのぼりさん」の演出になっているが、今は誰でもどこへでもすいすい行ける。

ストーリーに出てくる各種の「浮気」や素行についても、携帯などがあればやり方もばれ方も違っているだろうな、と思う。

原稿だってメールに添付して送っているだろうし。

で、そばかすだらけのイザベル・ユペールがうがいをしている顔のクローズアップの冒頭シーンから、夫の息遣いの粗さにいら立つシーンが続き、もうなんだか、恐ろしい予感がする。

6歳の一人息子がいるブルジョワ夫人マルティーヌを演じるのがイザベル・ユペールであり、その後に、ル・マンからパリに向かう超特急の中で無防備に眠りこけているエステティシャンである妹ルイーズを演じるカトリーヌ・フロの姿が映される。

ルイーズは、男に一目ぼれして7歳の息子を2年前に捨て、その男と暮らしている。その体験を小説に書いて小説家への転身を図っているのだ。

カトリーヌ・フロが大柄であることがあらためて分かる。ひょっとしてユペールが小柄なのかもしれないが、彼女の存在感はいつもすごいので、なぜか大きく感じていた。

で、姉妹は、子供の頃に『ロシュフォールの恋人たち』の歌としぐさを真似ていたほど仲が良かったのに、今は施設に入っているアル中の母親からなじられるというつらい過去を持っていることが分かる。

パリのエリートたちと付き合っているけれど、実は学歴もなくコンプレックスを抱えていて、母のようになりたくなくて酒を飲まないマルティーヌと、自然体でおしゃべりで、エステティシャンなのにがさつといえばがさつで田舎者のルイーズの組み合わせが次第にあらわにしていく人々の嫉妬や不幸や絶望が辛らつに描かれている。

それまでカトリーヌ・フロを起用した監督はイザベル・ユペールを使ったことがなく、逆も同様だそうで、それほど、タイプだけでなくなんだか女優としての「質」がまったく異なる二人なのだけれど、新人女性監督のこの映画によく共演したなあと思う。

カトリーヌ・フロはコメディが得意だけれど、『偉大なるマルグリット』のように、裕福なのに不幸な悲愴な女性も演じられる名女優だ。実際のところ、この2人の実力なら、ルイーズとマルティーヌの役を取り換えていたとしても、立派に通用していたと思う。そういうケースを想像するだけでも倒錯的に楽しい。

 貧しい境遇で育った姉妹の片方がパリのブルジョワの専業主婦になり、もう片方は故郷に残ってたくましく生きていた、前者は偽善的でスノッブでその裏にコンプレックスがあり、後者は素朴で生命力に満ちているという、まあステレオタイプの話なのだが、姉夫婦の底に流れるのは、浮気をする夫も冷たい妻も、どちらも本当は「愛してほしい」と思っている渇望だ。

「愛してほしい」と悶々とする夫に対して、愛し方の分からない妻がいる。

実はそっちの方が深刻だ。愛し方の分からない人というのは、「愛されたことがない人」であるケースが多いからだ。愛することも学びなのだ。


姉妹は母親に愛されなかった。でも妹は、ある日恋をして、愛することを育んで、ついに相手に手紙を書いた。そして「生きる」ことを知ったのだけれど、その代償は夫と息子を失うことだった。


両親などから分かりやすい愛を享受できなかった人にとっては、「愛されること」も学びとらなければならないのかもしれない。愛にもいろんなレベルがあって、大きなレベルでいのちを受けたことそのものが「愛」の体験なのだと「気づく」というプロセスを経てようやく他者への愛に向かう人もいる。


この映画の中で、アーティストになるために一番必要なことは何かと問われたギャラリーの経営者が、「générosité」と答えるシーンがある。「寛容」と訳されるが、「気前の良さ」というのに近い。もっと近いのは実は無償性というか、要するに計算高いことの反対だ。コスパや権益を考えていたらアートなどはできない。その意味ではアートも限りなく、愛に、似ている。


イザベル・ユペールもカトリーヌ・フロも、女性としてはどちらも苦手なタイプだ。なじみのデパートだとか街並みも出てくるのに、距離感がずっと消えなかった。私には、姉妹が、いない。



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# by mariastella | 2017-09-03 05:40 | 映画

エドガー・ブレグマンとマクロンの「改革」

フランスではマクロン政権の支持率を一気に下げた労働法改正案が一応のまとまりに達した。今のマクロン新党絶対多数の議会では「強行採決」だって可能だが、そこは、どこかの国と違って、議会にかける前に主権者に徹底的に説明して理解してもらう、と首相が言っている。

確か、9/23にはメランション主導の大規模ストが予定されているはずだ。


フランス人労働者の半数が属しているという中小企業(社員250人以下)の経営者や多国籍企業にとってはより効率的で「やりやすい」方向になっていると歓迎されている。


私はそもそも「経済成長ありき」の考え方そのものに賛成できないので、暗澹としている。


でも、フランスよりずっと「改革」が進んで失業率が低いはずのドイツでも、年金の平均が月1100ユーロだそうで、年金だけでは暮らせない人々が高齢になっても結構ハードな非正規労働に従事している人たちが紹介されている番組を見た。病気になったらどうなるのだろう、と不安を口にしていた。

こういうのを見ていると、大統領選の予備選に勝ったのに本選では惨敗した社会党のブノワ・アモンが唱えていたユニヴァーサルなベーシック・インカムをのことを考えてしまう。彼は非現実的だと右からも左からも叩かれていた。

でも、ブノワ・アモンだけではない。トマス・ペインやミンカム運動や、そして最近では若きルトガー・ブレグマンのこともしきりに頭に浮かぶ。

で、ブレグマンの日本語表記は何だろうと思って今検索してみたら、なんと、『隷属なき道』というタイトルで文藝春秋社から訳本が出ていて、出版記念に日本で講演までしていることが分かった。


彼は「昨日のユートピアが今日の現実」になるという歴史を通して、今ここでユートピアを目指すことの意味を説く。「現実主義」に立脚していては環境破壊や格差の増大など、むしろマイナスの側に滑り落ちるからだ。


この見方は私の見方と一致している。


それにはまず、この世界で、自由度、平等度が高まり、あらゆる人が尊厳を持ってそれぞれの人生を全うできる可能性が増大すること、が、進歩であり善であるという認識が共有されていなくてはならない。


自由主義や民主主義は「西洋から押し付けられた価値」だから「日本本来の伝統価値」に戻ろう、などという言説は今でもある。

それは間違っている。「西洋」だって今の価値観をいろいろな失敗と反省から抽出してきたので、決して「伝統的」などではなかった。伝統的なのは古今東西、父系制維持のエゴイズムだ。

「自由・平等・博愛」など、主流秩序(アメリカの白人だとか、金融業の成功者だとか、軍産業者とか)にいる人たちにとっては十分に不都合な「押し付けられた」価値観である。

その価値観に基づく世界の実現など程遠い。


それでも、その価値観を共有したからこそ、形だけでも奴隷制は廃止したし、形だけでも植民地は手放したし、形だけでも男女同権を実現したし、社会保障を制度化した。ともかく「昨日のユートピアが今日の現実」になっているのだと若いブレグマンが評価してくれるということは、まだまだ希望を捨ててはいけないということだろう。


「労働法の改正」と言っても、私の同世代の人たちは多くが定年後の年金生活者なので、資産のある人たちは世界中を旅行して楽しんでいる。

ベーシック・インカムがあれば人は自分のやりたくない仕事を斥けることができて、自分に向いた仕事に挑戦できるのだも言われる。

「労働」とは「生産」なのか、「生活の糧を得るための営み」なのかとあらためて考えてしまう。

年金で暮らしていける人々には「労働から解放された」と「自由を謳歌」するスタイルをとる人が多いからだ。

そんな人たちを身近に見ていると、毎日「仕事」している私は複雑な気持ちになる。

「好きな仕事をしている」と言われるかもしれないが、「仕事」と名がつけば必ず負荷があり、自己管理も必要だし、楽しくてしょうがないという気分でやれるわけでもない。私の周りの人が「悠々自適」というのをやっているのになぜ私だけそれこそ貧乏くさく禁欲的な作業をやっているのかなあ、とふと思うこともある。


新約聖書にぶどう園で日雇いされる労働者が、夜明けから働いた人も午前九時から働いた人も最後の一時間だけ加わった人も夕方には同じ額の支払いを受けたので、労働時間が長かった人が文句を言った、という有名なたとえ話がある。(マタイ20, 1-16)

支払う側は、最初に合意した条件を守ったのだから文句を言われる筋はない、と言う。

この、ブドウ園の給料がベーシック・インカムなのかもしれない。

そしてベーシック・インカムを想像しただけで不当感を持ったり、搾取されていると感じたり、嫉妬したりする人が必ずいることもこのたとえ話と同じだ。


キリスト教や福音書は「欧米」のお話ではない。

二千年前のパレスティナの話だけれど、いつも革命的で、いつもシビアだ。


仕事って、何だろう。




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# by mariastella | 2017-09-02 05:07 | 雑感

ウィーンの話 番外 バロック教会

妖しさをあまり感じさせないウィーンのバロック教会。

しいて言えば、パリのバロック教会と似ている。


カールス教会と同時代なら一区のサン・ロック教会あたりだし、四区のサン・ポール・サン・ルイ教会とか、六区のサン・シュルピスあたりもバロックっぽい。

ただ、教会はたとえ宗教戦争がおさまった17世紀前半のバロック期に建設が始まったものでも、完成には時間がかかるし、その上、フランス革命によっていったんカトリック教会が閉鎖されたり略奪されたり、壊されたり、転用されたりした後で、再建されたり改築されたり増築されたりと19世紀末までの複合的なスタイルになったりしている。


フランス・バロックの頂点の時代は絶対王権の頂点でもあった。王たちが一応自分たち一族の繁栄や自分の死後の救いなどは考えて立派な聖遺物容れを作らせたり、立派な聖堂を造ったり、自分たちの冠婚葬祭を立派にするために宗教の演出に予算を惜しまなかったりしたのも、本音でもあり、事実だろう。


ただ、彼らの求めたバロックの過剰さには、意外とシンプルなものがある。金ぴかで精巧で贅を尽くしているというのは確かだけれど、どこかに余裕があって、「切羽詰まったもの」がない。バロック時代、ルイ王朝の敵は周りを囲むハプスブルク家だけだった。ハプスブルクもカトリックだ。

だから、「カトリックかどうか」で張り合う必要はない。

ハプスブルクも神聖ローマ帝国の皇帝を兼ねていたし(他の選挙候もいるが)、ルイ王朝も王権神授で歴代の王は聖油を注がれ奇跡の治癒までやっていたから、どちらも、ローマ教皇に対して張り合うというよりただ「自分と自分の子孫の救いファースト」で神さまに金をつぎ込んでいた。


つまり、プロテスタントに対抗してのバロックという戦略も虚勢はない。

それに対して、例えばプラハのバロック教会は、プロテスタントのメンタリティが根付いた地域が、無理やりハプスブルク家に組み伏せられたものだから、ハプスブルク家ににらまれないためのアリバイとしてしっかりカトリックの信仰を強調しなければならなかった。


だから、見せバロック。

とにかく豪華絢爛のバロック。


そこに欺瞞とルサンチマンをいっしょくたにしたような、開き直ったような、ただただ微に入り細に入りアートを追求したような、いろいろな職人の意地を塗りこめたような、バロック。

それだけではない。


ウィーンやパリではフリーメイスンやバラ十字団が吸収していたような「秘教趣味」を、サロンや宮廷で堂々と展開できるのか、教会の中に潜めるのかという複雑なニュアンスもある。

モーツアルトはもちろんプラハのフリーメイスンロッジにも出入りしていたけれど、パリやウィーンとは、カトリック教会との関係が微妙に違う。

ババリアのイルミナティとカトリックとの関係もまた違う。


パリやウィーンのバロック教会と、プラハやババリアのバロック教会の空気の違いにはそれが関係しているというのが私の仮説だが、これからいろいろ検証していくつもり。


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# by mariastella | 2017-09-01 03:12 | 宗教

フランシスコ教皇と精神分析

ローマ教皇フランシスコが、フランスの社会学者でコミュニケーションやメディア学が専門のドミニク・ヴォルトンに10回以上のインタビューに答えた『政治と社会』という本が出版された。

カトリックのヒエラルキーの頂点にいる人たちのインタビューというのはなぜかいつも無防備で誠実だ。彼らには、地上で失うものはもう何もないのかもしれない。

で、カトリックはじめてのヨーロッパ大陸以外からの出身のこの教皇、普段から率直でユーモアもあるのは知っていたが、意外なことがいくつかあった。

まず、教皇が外国訪問から帰る時の機内の記者会見について。

このブログでも、
こことか
こことか
ここ
などで書いているように、むしろ、機内では自由な本音が聞けるのかという印象を持ってていたが、実際は、機内でジャーナリストに囲まれるときはライオンの檻に投げ込まれたような気がする、のだそうだ。映像を見るといつも通り自然体でリラックスしているように見えるのに。

確かに、機内では、絶対に逃げられない、これで終わりにします、といって奥に下がることもできない。

ローマ教皇になったことについても、まさか自分がバチカンという檻の中で一生を終えることになるなどと思ってもいなかった。でも、内的には自由のままでいる、と言う。

飛行機も檻、バチカンも檻。

気の毒だ。

気の毒と言えば、42歳で精神分析にかかったことがあるという話も出てきた。
自分の中ではっきりさせたいことがあったからだと。

教皇が42歳と言えば、1979年あたり。

1973年に36歳の若さでイエズス会のアルゼンチン管区長に任命されたことの重圧の他に、1976年から1983年の軍事独裁政権があった。イエズス会士にもコミュニストとと共闘する者が現れ、「解放の神学」がローマから批判された時代だ。
この時代の中南米におけるカトリック教会と解放の神学とコミュニズムの関係の変遷については、今執筆中の「神、金、革命」(仮題)にくわしく書いた。

この時代に、後にブエノスアイレスの大司教となり教皇にまでなるベルゴリオ神父は、独裁政権に迎合したと言われたり、いや、レジスタンスの立場にいたと言われたり、解放の神学に対しての姿勢の曖昧さを問われたりと、なかなか微妙なスタンスにいた。時の教皇に絶対服従のイエズス会士の立場を貫くのか、軍事独裁政権によって抑圧されている弱者の側につくべきなのか、さぞや迷いがあっただろうと思われる。

ちょうどその時期に、精神分析を受けたというのだ。

自分の中ではっきりさせたいことがあった、からだと。


神は答えをくれなかったのだろうか。


いや、神がどのように何を通して答えをくれるのかなんて、人間の想像力を超えているのだろう。


現役のローマ教皇が、宗教や救いというテーマでなく、ずばり政治と社会をテーマに語る。

全部読んでからまたコメントすることになるだろう。




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# by mariastella | 2017-08-31 05:44 | 宗教

ジャンヌ・モローにミレイユ・ダルク

最近、フランスの大女優たちが相次いで亡くなった。

ジャンヌ・モローにミレイユ・ダルク。

ミレイユ・ダルクはもともと心臓に疾患があり、何度も手術したのは聞いていたが、ジャンヌ・モローより10歳も若いし、TVや雑誌で今もよく見かけるので79歳の訃報に驚いた。

この二人の映画をいろいろ日本の映画館で見ていた頃を思い出す。


ミレイユ・ダルクはボーイッシュで素敵だった。

けれども、そのころの「新作」のジャンヌ・モローは私にとってはすでにかなり年配の女性だった。彼女は私の母とほとんど同じ世代だ。

そのことに驚いたのをはっきり覚えている。

それはルイ・マルの『ビバ ! マリア』を観に行った時のことだ。ブリジット・バルドーとの共演で、ジャンヌ・モローはかなり老けて見えた。パンフレットを読むと、彼女はすでに38歳で、バルドーでさえ32歳だった。私は1415だった。30代の女性二人があのようなはじけた役柄をしていることに驚いた。私はそのパンフレットを地下鉄の中で読んでいる自分を思い出す。中学3年でひとりで映画館に通うようになって見た初期のころの映画だからだ。

ちょうど兄が高3で、いわゆる受験期だったから、母が日曜ごとに私について映画を見に行くのを控え始めたのだ。ビデオもない時代だったから、二本立てや三本立ての映画もよく見に行った。いわゆる「洋画」ばかりだった。(日本映画に目覚めたのは大学で中沢新一くんと出会ってからかもしれない。)

で、38歳のジャンヌ・モローは、今風に言うとかなりイタく見えた。

私はまだ中学生だったのに、もう「年相応の役」という日本風先入観に毒されていたらしい。

ミレイユ・ダルクの方は、テレビの番組でアラン・ドロンに直接「あなたが私をおいて出ていったことが私にとってどんなにつらかったかあなたは知らなかったの?」と質問したシーンが印象に残っている。アラン・ドロンは「知っていた。知っていただけではなくて今もそのことを自分の中に抱えている」と答えた。

ダルクもドロンも二人とも大スターで、それが放映された頃はもうかなり年配だったのに、なぜかとてもシンプルで誠実そうで、ほとんど初々しく見えた。

ミレイユ・ダルクはテレビのドキュメンタリー・ジャーナリストとして、女囚や売も春婦など、「底辺の女性」を取材して女性の権利擁護に活躍、それが彼女に似合っていた。自らもつらい少女時代を体験してきた人らしい。


ジャンヌ・モローは、一番正統派の女優らしい女優だった。奔放に見えたミレイユ・ダルクよりもずっと自由奔放な生き方をした人だ。確か、息子さんに会ったことがある。


もう一人の「ビバ ! マリア」のブリジット・バルドーはと言えば、80台で健在だが、こちらは女性の権利擁護よりも動物愛護原理主義のアイコンになって久しい。


いろんな生き方、いろんな老い方がある。


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# by mariastella | 2017-08-30 00:45 | フランス

ウィーンの話 その12 聖ペーター教会

ウィーンのバロック教会の続き。

次はシュテファン大聖堂の近くにある聖ペーター教会。

ここも丸屋根。丸屋根率が多い。

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元はシャルルマーニュの時代にさかのぼる。今の姿は18世紀初めににイタリア人の設計のバロック様式で、確かに派手で有機的だ。最近修復されたらしく奇麗だ。
今はオプス・デイが管理している。
オプス・デイといえば日本では『ダビンチ・コード』で有名になったので秘密のカルト組織みたいだが、カトリックに正式に認められた属人区(まあ聖俗問わない修道会みたいなもの)だ。創立者であるスペイン人のホセマリア・エスクリバーが、20世紀スペイン内戦時代の人であり、死後例外的に早く列福列聖されたこともあっていろいろ取りざたされたし、スキャンダルもあったのだ。まあ、カトリック右派に分類される。
この教会にも当然オプスデイの行事の案内などが置いてある。
ちょっとプロテスタント風に信仰と勤勉を奨励する雰囲気だ。

ここでも、修復のされ具合や、管理者が転々としたせいなどで、ババリアやプラハのバロックのような怪しい迫力が感じられない。ローマのバロックはもちろん壮大だけれど、「本家本元」の確信ぶりや政治臭があるので、それともまた違う。(続く)

(関係ないけれど、どの教会ももちろん正式には「聖」何とか、とつくのだけれど、その前にある広場の名は全部、アンナ広場とかカールス広場とか、ペーター広場といって「聖」がない。フランス語なら必ずくっついているし、英語でも多分、「セント」ルイスとか「サン」フランシスコとかいうから聖はセットになっているのになぜだろう。カテドラルでもサンクト・シュテファンが通称は「Stephansdom」だから、日本語ガイドの訳語もシュテファン大聖堂になっている。ローマならサンピエトロ大聖堂とかフランスでもサン・ミッシェル教会とかなのに。)

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# by mariastella | 2017-08-29 01:17

スピノザの49日?

「スピノザが亡くなってから今日で49日ですね」というお便りをいただいた。わたし的にはスピヌーは即天国で、いつも私のそばにいるので、49日って…なに、それって感じもするが、そうか、そろそろ喪も新しいステップに移るのかもしれない。

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「お兄ちゃんがいなくなって、ぼく、悲しい…」と涙を拭う今朝のイズー。(もちろんやらせです) 実際はママ(私)のひざの上でこんな感じ。
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# by mariastella | 2017-08-28 19:16 |

バルセロナのデモ行進

8/26のバルセロナでのアンチ・テロリズム行進をテレビで見てやはり、ここはすごくカタルーニャだなあと思った。
カタルーニャの旗の色(白、赤、黄色)の花を配っているし、プラカードや横断幕の「私たちは怖くない」というのもカタルーニャ語で書かれている。

スペイン王も行進に加わったのだが、カタルーニャ自治州の分離独立派から野次をとばされていた。

バリで2015年の1月にアンチテロの行進があったときは、フランス全土で同時に行進があったし、大統領が率先して各国の首脳に呼びかけて集めたし、メイン・テーマが「表現の自由」(シャルリー・エブドの襲撃の後だったので)だったし、フランスってやっぱり中央集権国家で、大統領国王制の国なんだなあとあらためて思う。

まあバルセロナの場合は、現場が観光地の中心でバカンス中で、国際色豊かで、26日は8月最後の週末で天気もいいし、観光客もまだたくさんいるし、この行進が盛り上がるのも分かる。

2015/1のフランスの場合はシャンゼリゼが狙われたわけではなく、風刺週刊新聞の編集部というコアな所とユダヤ食品店の立てこもりや警官殺害などで、その10ヶ月後にカフェやコンサート会場の無差別テロが起こるとはまだ予想していなかったし。

ベルギーやオランダでも続いてテロやテロ未遂があり、本当に物騒だ。

でも、なんといっても2024年オリンピック開催のパリだから、もう今後テロはないかのようなふりをしている。実際、今年は観光客も戻ってきているらしい。

そういえばフランスはリヨン・オリンピックとかボルドー・オリンピックとか、マルセイユ・オリンピックとかはない。パリ一強の中央集権ぶりがここにも表れる。
スペインのオリンピックもバルセロナだった。公用語もスペイン語とカタルーニャ語だった。マドリードは2020年に立候補して東京に敗れている。

テロリストたちはヨーロッパの国によって「戦略」を変えているのだろうか。

ともかく、国によってアンチ・テロリズムへの反応が微妙に違うのを観察するのは興味深い。

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# by mariastella | 2017-08-28 01:43 | 雑感

ウィーンの話 その11 聖アンナ教会

ウィーンのバロック教会、次は聖アンナ教会。

そのすぐ近くにマルタ騎士団教会もある。
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こういうの。マルタ十字架が印象的だ。19世紀初頭のもの。私の滞在したホテル(アンバサダー)の向かいにある。

で、そのすぐ先に聖アンナ(聖母マリアのおかあさん。教育熱心でマリアに読み書きを教えたのでマリアは本好きの女の子になり、天使に受胎告知された時も本を読んでいて、幼子イエスを寝かしつけている時も本を読んでいて、抱っこしている時も本を読んでいる、という図柄がたくさんある)教会。

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バロック時代(1629-1634)に後期ゴシックから改装したというから、確かにバロックの意匠なのだけれど、カールス教会と同じように、形はあるけど濃密さが今一つ伝わらない。
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聖アンナ教会だから、聖アンナが聖母マリアと幼子イエスの両方を抱いている像もある。

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これはイコン風。聖アンナが幼いマリアを抱いている。マリアはちゃんと本(祈祷書?)を持っている。のちに被昇天して「戴冠」したのでもう冠を被っている。

クラリス会、イエズス会、聖アンナ信心会、芸術アカデミーと転々として、今はある修道会が運営してちゃんと毎日ミサがあるそうだ。
何度も修復されている。

なんというか、濃い巡礼地の聖堂などと違って、訪れる人のサイコエネルギーがたまる暇がないのか、「妖気」っぽいものが感じられない。コンサートはいろいろある。(続く)



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# by mariastella | 2017-08-27 02:03 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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