L'art de croire             竹下節子ブログ

大野初子さんの人形

白沙村荘の橋本関雪記念館ではじめて見た大野初子さんの人形。
これは未完の遺作。
c0175451_0353825.jpg


すごく絵画的な造形なのだと驚いた。

お婆さんと孫。
c0175451_0363243.jpg


これは「女形」。なんだか本物よりリアル。
c0175451_0412389.jpg

[PR]
# by mariastella | 2017-03-29 00:41 | アート

首相夫人と大統領夫人

日本についてから散々目にし耳にしたのがやはり森友学園疑惑。
国会喚問の籠池さんのキャラがユニークだ。
首相夫人はメールといい「私人」認定といい支離滅裂な状況。

思えば、フランスでは、大統領夫人といえば、法律的にはともかく、非公式の陳情窓口として表向きに機能していた。

もっとも、特別の配慮とか利益誘導を願うのとは反対で、いろいろなレベルの行政から不当な搾取や損害を受けている人の駆け込み寺という位置づけだった。

コネもなく、弁護士に払う金もなく困っていて助けを求めている人、またそういう人を助けてあげたいと思っている人が、大統領あてではなく夫人宛に手紙を書く。
専任の係りが取捨選択しているのだろうが、まず間違いなく、読んでもらえて、返事が来る。

今は政治家もローマ法王もツイッターのアカウントをもっていて、メッセージを送ると少なくとも多分オートマティックに返事が来たりするのでて、それだけで一定の満足感を得られる人もいることだろう。

大統領夫人への訴えも、フランス人ファーストではなく、誰にでも開かれていた。
お役所仕事の緩慢さ、複雑さをスルーして、弱者優先の精神があった。
必要とあらばちゃんと「忖度」なり「口利き」があって救済措置が取られたようだ。

私も、今となってはもう何であったか覚えていないけれど、シラク大統領夫人に手紙を書いて、秘書の人だかに返事をもらったことがある。日本だったら考えもつかなかった。

もっともこの「伝統」はシラクの後途絶えたといってもいい。

サルコジ大統領は就任前から妻に逃げられていたし、いったん家族でエリゼ宮入りしたもののすぐ離婚し、再婚相手はよく知られたイタリア人歌手だった。

その後のオランド大統領は、4人の子をなしたロワイヤル女史とすら結婚しておらず、就任したときにいっしょだったジャーナリストとも別れて暴露本を書かれる始末だった。
その後の恋人の女優とも一緒にすんでいない。

すでにフランスでは「夫婦」「結婚」という制度自体がマイナーになりつつあるので(これに夢を持ち?こだわるのは同性愛カップルだったりする)、「セーフティネットとしての大統領夫人」はもう出てこないかもしれない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-28 11:46 | フランス

橋本関雪のキリスト

先日の河鍋暁斎のキリストに続いて、橋本関雪のキリストとユダ。

なにかオリジナルがあっての模写なのかどうか分からないけれど、これはまったく違和感がない。

c0175451_1892046.jpg
c0175451_1884733.jpg


どちらにしても、暁斎といい関雪といい、明治時代以降にキリスト教美術の倒錯的?なテーマ(教祖?が裏切られたり処刑されたりする)に遭遇した日本の画家たちの驚きが想像できて興味深い。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-28 00:24 | アート

哲学の道の猫

銀閣寺から南禅寺へ向かう哲学の道にいた猫です。さすが京都(なにが?)。


c0175451_23343156.png



南禅寺の屋根の猫。さすが京都(なにが?)。 (拡大してください)

c0175451_23374841.jpg

[PR]
# by mariastella | 2017-03-27 00:11 |

南禅寺と白砂村荘

つい先日、東銀座の歌舞伎座で、南禅寺山門の上で藤十郎の女五右衛門が「絶景かな」という華麗壮大な舞台を観たところだ。舞台と違ってあいにく桜はまだ蕾だったけれど、私もその山門(三門)に上がって来た。その階段の段差が半端ではなく、女五右衛門のあの豪華な着物では絶対上がれないだろうな、と思ったり。
c0175451_2355312.jpg


白砂村荘の庭にある藪羅漢の表情は味がある。
c0175451_2365690.jpg

c0175451_2374124.jpg

[PR]
# by mariastella | 2017-03-26 00:14 | 雑感

三月大歌舞伎

先日、歌舞伎座の三月大歌舞伎の夜の部に行った。

絶妙の三作組み合わせだった。

ビジュアル的にも、『引窓』の引窓を使った効果、相撲取りという設定が印象的だし、昔風の家父長的親子関係でなく、義理の息子、別れた息子、遊女だった義理の嫁、など家族関係が錯綜していて、登場人物が少ないのに複雑な感情が書き分けられていて見ごたえがあった。

次が『けいせい浜真砂』で女五右衛門が南禅寺山門の場で「絶景かな」とやる。贅沢の極み。

名優ふたりの掛け合いで短いけれど極端に豪華絢爛な舞台。でも、人間国宝でなくてもいいから、藤十郎よりもっと若い細面の女形だった方が仁左衛門とバランスがとれたのに。

最後が『助六由縁江戸桜』で、これも豪華絢爛の上にあらゆるタイプの登場人物が出てくるので、まるで歌舞伎百科事典みたいだ。

海老蔵は2年ぶりで、前は「うまい」ことに感心したが、これは、「うまい」よりも前に姿のよさが引き立つ。
口上がついていて河東節付きのバージョンを観るのは初めてで、300年来、旦那衆とその夫人らが特訓するという話を聞いて、まるで300年前のフランスのオペラ・バレーみたいだと思った。日本では今でもそんなことを続けることができる層が存在するというのがすごい。

フランスのバロック・オペラは王侯貴族主導だったので、フランス革命でいったん絶滅したけれど、日本の江戸歌舞伎はそういう身分制度の枠外でいわば「悪所」で栄えた文化だから、「近代」の激動を乗り切って続いたのだろうなあと感慨深い。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-25 00:11 | 演劇

河鍋暁斎のキリスト

これは 今回 はじめて実物を見た河鍋暁斎のキリストの絵の部分。

c0175451_2319222.jpg


『五聖奏楽図』と言って、十字架の下で仏陀やら孔子やらが楽器を弾いていて、キリストも十字架に釘打たれた手で錫杖みたいなものと扇を持っている。

全ての聖人は衆生済度のハーモニーを奏でるような意図で、キリスト教の禁令が解かれた時の、まあ好意的な理解だと思うが、突っ込みどころはたくさんある。暁斎のような天才にして、異国の宗教文化の図像的理解は簡単でなかったのだろうなあ。

キリストが苦しんでいないで、なにか憮然としているのが何というか、外れまくっている。

暁斎のような天才が本気で磔刑図を描いてたらさぞや迫力があっただろうなあと思うから、見てみたかった。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-24 00:19 | アート

こうの史代さんと河鍋暁斎

これは前の記事の続きです。

c0175451_22561520.jpg


それは、今回日本に来てから真っ先に観に行った河鍋暁斎展で見た暁斎絵日記だ。巻紙に、毎日40センチくらいの長さに、1日の出来事のいくつかの場面をレイアウトして描いている。

絵日記というのはこういうものなんだとはじめて納得した。 昔小学校の課題の絵日記なんて、挿絵付きの日記だった。「絵」で全てを語らずにはいられない人っているんだなあ。

時代も立場も全く違うけれど、暁斎の絵日記を見てすぐに連想したのが日記仕立ての『この世界の片隅に』だったのだ。

暁斎の画集は、以前太田記念美術館で見つけて買い、すごく気に入っていた。実物を見るのは今回がはじめてだ。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-23 00:54 | アート

『この世界の片隅に』

アニメ『この世界の片隅に』を観た。

主人公はちょうど私の母と同世代で、母から聞いた戦争中のいろいろな話とかぶる。
でも母は都会に住み、結婚したのも戦後2年経ってからで、どこかにお嫁に行くというより、戸籍的には天涯孤独な父と、一軒家で夫婦2人の生活を始めた専業主婦で、昼間は近くの実家によく行って、夕ご飯を持たせてもらって帰るという優雅な生活だったから、このアニメのお嫁入り事情とは全然違う。

戦時中や戦後すぐの話など親の口から直接聞いたのは私の世代でそのうちおわりになるかもしれない。

このアニメに出てくる当時の日常は貴重な記録だと思うし、「普通の人」が「普通の生活」を続けられない戦争の怖さというのはよく分かるけれど、このアニメの登場人物たちから奪われた「普通」が、私にとってすでにあまりにも普通でないのがショックでもある。

私は中学生くらいの時にはじめてボーボワールの自伝の『女ざかり』を読んだ時の衝撃が忘れられない。自分の力で自由に生き信念も持っていた知識人のグループが、第二次大戦の中で、自分たちの力ではどうしようもない歴史の歯車の中で押しつぶされて行く。日常を捨ててレジスタンスとサヴァイヴァルとにすべての時間が費やされる。天災ではなくて人災なのに、防ぐことができなかった。

その恐ろしさが実感として迫ってきた。中学生の私は親からも学校からも、社会からも何のプレッシャーも受けていなかった。私の未来は完全に私に自由に託された選択だと思っていた。そんな「私の普通」がある日歴史の運命に邪魔されることがあるとは想像もできなかったのだ。

でも、パリの知識人たちにはそれが起こった。すごく怖かった。

その実感に比べたら、このアニメの「すず」さんの「普通」は、実家の海苔栽培の手伝いから、見初められての10代での「お嫁入り」まで、少なくとも私にはあまりにも「普通」ではないし、実際、戦争がない今の日本でももうあまり「普通」とは言えないだろう。

でも、主婦ブログなどを読むと、今でも、婚家との確執、姑、小姑との確執が深刻な人もいる。それに比べたらすずの夫も舅姑も親切で戦争を 生き延びたので、ベースには人としての幸せ感はある。戦争がなくても家族とうまくいかなくて鬱に陥る人は少なくない。

こうの史代さんのコミックは『こっこさん』しか知らなかったので、へえ、広島出身の方だったんだと今回分かった。素敵な仕事をされたと思う。誰だかの交響曲交響曲HIROSHIMA なんかよりもはるかにすばらしい。

すずさんがとにかく「絵が大好き少女」で、全てがいわば絵日記風には綴られているのが楽しい。

それを観ていると、日本の別の天才画家のことを連想する。(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-22 22:51 | 映画

コンテンポラリー・アートのナルシシズム

最近夢中になって読んでいる本。

Du narcissisme de l'art comtemporain Alain Troyas et Valérie Arnault (ed. l'Echapée)

『コンテンポラリー・アートのナルシシズム』です。

すばらしい。

パリやベルサイユに突如として現れる度肝を抜かれるさまざまなインスタレーションを含むコンテンポラリー・アートについて、いろいろ考えていたのだけれど言葉にならなかったものが的確に言葉になっている。

政治と経済とアートの関係の歴史もよくわかる。

政治と経済(これは誰がなんのためにアーティストに制作の場や費用や発表の場を与えるのか、ホワイト・キューブを提供しているのは誰か、という話で最も重要となる)とが激しく動いていく中で、調和の心地よさや超越的な美を感じる人間の感性は古来変わらない。そのずれや乖離はどう生きられているのか、何が求められるのか、などの問題だ。もちろん復古主義などではない。

この本は、環境破壊が悪い、グローバルな世界が悪いから、昔(戦前、江戸時代、中世…)に戻れと言うような反動の言辞が普通に聞かれるようになっている今現在においての考えるヒントになる貴重な視点を提供してくれる。

美術系評論の中で今までこのように目を開かせてくれたのは若林直樹さんの『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』(河出書房新社)以来だ。

これをもとにゆっくり考えて行って、少しずつ書いていきたい。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-21 00:02 | アート

音楽とトランスと気持ちよさ

バッハのブランデンブルグ協奏曲第三番の第三楽章を相変わらず五パートで練習しているのだけれど、だんだんとテンポが上がってきて、今はほぼ、演奏会テンポ。前にも書いたが、「切れ目」というのがまったくなくて、トランス状態になりそう。特に隣り合う二弦の間を何度も高速で往復して弓を動かす心地よさは、擦弦楽器をやるまでは想像もつかなかった。

音楽とトランスについて前にバリ島のことを書いたけれど、速いテンポで繰り返しを含む曲を延々と弾いていたら、奏者は地に足をつけていられない。

でも、音符はきっちり追わなくてはいけないし指も腕も正確に動かすのだから、そして他のパートときっちり合わさなくてはならないから、トランスといっても、「あっちの世界に行っちゃっている」状態ではない。

私は結構こういうのが好きだって分かった。

前に、ラモーと「間」について書いたけれどラモーの場合は、言ってみれば絶えず何をどうするのか決断しなくてはいけない。
その「意志」が「間」をびっしり埋める。

ブランデンブルグを弾いていると、「決断」なんてしている暇はない。
曲に引っ張られる心地よさ。

こちらが絶えずクリエイトしなくてはならないラモーと比べて、やはりお手軽なトランスの楽しみがある。

ヴィオラをはじめて20年以上になるけれど、ボウイングの心地よさがくせになるのでやめられない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-20 05:34 | 音楽

ヴォルテールのせいで転んだ

ヴィオラ奏者のコリンヌが、足首を捻挫して引きずっていた。

私がレッスン室に入った時、ちょうどその話を別の奏者に話しているところらしく、

「猫に気を取られて転んだのよね、ヴォルテールのせいで・・・」

というのを耳にしたので、私は思わず

「あなたの猫ってヴォルテールという名前なの?」

なんて言って驚かれてしまった。

もちろん「ヴォルテールのせいで転んだ」というのは有名な表現で、歌や映画(『ヴォルテールのせい』という邦題もある)にもなっていて、革命以来何でもかんでもルソーとヴォルテールのせいにする、というのは早くからあった。

それが慣用句になるくらいに有名になったのがユゴーの『レ・ミゼラブル』の中でガヴローシュが歌う歌で


« Je suis tombé par terre,
C'est la faute à Voltaire,
Le nez dans le ruisseau,
C'est la faute à Rousseau. »

というのがあり、まあ、転んだ「par terre(パルテール)」とヴォルテールとが脚韻を踏んでいるということだ。

それが有名なので、何でもかんでも誰かの責任にすることで「ヴォルテールのせい」という言い回しになった。コリンヌは実際に「転んだ」ので、ほんとは「猫」のせいなのだけれど「ヴォルテールのせい」という「下の句」が口をついていたわけだ。

私はこの表現を知っていたけれど、ドアの向こうで「猫」、「ヴォルテール」と耳にして、うちの猫スピノザのことを考えて、猫に哲学者の名前付ける人って他にもいるんだ―と思ってしまったのだった。「V」の年に生まれたなのかなあって。スピノザは「S」の年生まれだ(ソクラテスかスピノザかで迷った)。

普段はスピヌー、スピ、ピー、スピンボーイなどと呼ばれているが獣医さんちのカルテにはちゃんとフルネームで記録がある。近頃『エチカ』を読み直してるのでますますそちらに連想が行った。

でも考えてみると、このヴォルテールの表現、知ってはいるけれど、自分では使ったことがないし、周囲の人が言っているのを聞いたのも初めてかもしれない。

今度何かもっと微妙なシーンで、「こんな表現も知らないのか」みたいな事態に陥らないとも限らないなあ、と自戒。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-19 08:24 | フランス語

猫の世話をして神のことを考える その2

これは前の記事の続きです。

で、猫のトイレの始末をするたびに、このことを逆方向から考えてしまう。

私は彼らを愛し、世話をし、トイレをきれいにし、餌もあげて…
やっぱ「神」に仕える人、みたいな感じって。

これはある意味盲点だ。

イエスは、天国に行ける人として、

「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人だと言っている。

つまり、すべて、世話や支えを必要としている人の中にはイエスがいるのだと。

実際、ボランティアなどで「貧しい人々」や「病気の人々」の救援やお世話をしている人でも、ほんとうに、「弱い人」の中に「イエスさま」を見て、喜びに満ちているシスターなどに何度でも会ったことがある。

逆に、貧しい人や困っている人を「お世話してる」「愛してる」私って「神」?って勘違いしている人だっている。

犬の世話をする人は「主人」であることをやめない。
猫の世話をする人は「猫に仕える」。

もちろん双方向の作用がある。

子供と親の関係も考える。

子供が、親に愛され、甘やかされ、すべての世話をされ、養われ、「ぼくって王様?」と思うか、

同じことをされて「親って神様?」と思うか…。

犬や猫はいずれ人間になるわけではないが、子供はいつか大人になる。

「無償の愛」をバトンタッチして継承していくには、やはり「大人と子供」だけの関係や、「人間とペット」のような関係に限定、閉塞させないで、世界を広げ、「神様」が遍在しているような感覚を養い、育てていかなくてはならない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-18 00:45 |

猫の世話をして神のことを考える  その1

今、猫2匹と暮らしている。

こういう状況だと、2匹というところが大切だと分かる。
年も性格も食べ物の好みも違って、時にはけん制しあったり、仲良くしたり、協力したり、そこに私が加わって、「社会」ができる。

親一人子一人、とか人間ひとりとペット一匹とか、夫婦二人だけ、とかはよくない。

よくない、というのは「悪い」と言っているのではなく、「よい関係」でいるのが難しい、ということ。

一対一では共依存に陥りやすいし、どちらかの翻意、病気、死亡、裏切り、不在、などでつらい思いをしやすい。

それに比べればまだ「一人暮らし」の方が、独立独歩の能力のある人なら、世界を広げる工夫をするかもしれないし、喪失に対する覚悟とかもできるかもしれないし、何かそういうこの世の関係性を超えたスピリチュアルな結びつきを模索して成功するかもしれない。

夫婦で、相手の日常の習慣が気に入らない、というような話も聞くが、私のように異種2匹と暮らしていたら、「習慣」には接点がないので、ひたすらお世話するだけだ。水と餌をやる、猫砂の掃除、(時々吐瀉物の掃除も)というのが最低限の基本だが、せっせと猫砂の掃除をしているといろいろなことを考える。マスクをするのは面倒で砂埃を吸わないように息を止めていたりするのだけれど、煙草を吸わない彫刻家が石の粉で肺が真っ黒だと医者に言われた、という話を思い出す。

そして、人間の水洗トイレと下水道を考えた人に感謝。また、子供の頃に見たバキュームカー、そしてもっと幼い頃に見た「肥桶」をふたつ肩に担ぐおじさんの姿を思い出す。色が浅黒く、黒い地下足袋みたいなのを履いていて、もちろん強烈な便臭が漂ってくるので、近くに来ると避ける。あのおじさんの顔のニュートラルな感じが忘れなれない。私がこんなに忌避しているものを担いで、自分もいっしょに避けられているのを知りながら、黙々と、しかし、重さの負荷に耐える力やバランスやその他いろいろなノウハウを知り尽くして、プロの仕事をこなしているのがニュートラルに見えること自体への驚きだった。強烈だったので記憶の底に残っているわけだが、猫のトイレのお世話をするたびに何か二重写しになってくる。私も作業はニュートラルだけれど、「ああいい感じの〇〇が出てる、今日も健康、長生きしてね(上の子は16歳になる)」と神に感謝。

と、ひたすらお世話をする関係って、「神に感謝」みたいな、別のレベルの存在も引き込んでくる。すごく「対等」で自分のことは自分で、っていう二人暮らしならそういうことはないかもしれない。対等なはずの相手に病気になられたりすると迷惑だ、みたいなことになりかねない。

猫との関係性において、最高だと思ったネット画像がある。

すぐに紹介したかったのだけれど、翻訳できない。
日本語には誰が誰に対して言うかという上下関係や「空気」がすでに含まれているから不可能だ。

フランス語ヴァージョン

日本語風に言うと、

犬の考えること 「愛してくれる」「愛撫してくれる」「餌をくれる」…あなたは神様。
猫の考えること 「愛してもらえる」「愛撫してもらえる」「餌をもらえる」... 私は神様。

フランス語だとこういう印象かな。

    犬  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ひょっとして神様?
  猫  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ぼくって神様?

これは英語ヴァージョン

「愛してる」という視点がない。フランス語の方が奥深い。

猫と犬がいっしょだとこんな感じ? (続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-17 00:03 |

大統領選立候補者の睡眠時間など

フランスの大統領選に出馬して選挙運動中の候補たちの睡眠時間。

社会党のアモンは4時間で、でも移動中の車の中で10分とかの仮眠をとるのがうまく、毎日、筋トレ、スポーツなどで鍛えているそうだ。

マクロンはナポレオン並みの3時間睡眠で、週に数回、1時間のジョギング。ミーティングに出る時は丹念に化粧して目の下のクマを隠しているとか。

マリーヌ・ル・ペンは7時間睡眠で、食習慣を劇的に変え、アルコールもほとんど口にせず麻油を愛用、10キロ減量したそうだ。

彼らより年輩のメランションは、疲れたら別荘に行ってガーデニングをして8時間眠り、リフレッシュするとか。

こういう人たちは「体力勝負」というのは分かるけれど、こうして具体的に聞いてみると、なるほどそれぞれのキャラに合っているなあ、と思えてくる。

今のオランド大統領も選挙戦の前に前立腺手術をしたり、減量したりして一時は精悍な感じだったが、後は緩んだ。

選ばれた後こそ、選挙戦で見せる禁欲的な自制を全うしてほしい。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-16 00:37 | フランス

仏大統領選の候補者が日本語を話すこと

フランスの大統領選に出馬するには市町村の長による認可署名が500以上必要だ。

「面白半分」の候補や奇矯な人を取り除くためで、これをクリアできた人が今のところ7人。

フィヨン、マクロン、ル・ペン、アモン、メランションらのメジャーの他に、「へえっ」と注意を引かれたのが、UPRのフランソワ・アスリノーという今年60歳の人。

UPRという政党はこの人が立ち上げ、メンバーが600人しかいなかった5年前には500の署名が集まらずに立候補を断念したが、今は1万8000人のメンバーがいて、署名も集まり、晴れて正式に立候補という。

ユーロ、EU、NATO からの離脱を公約していて、「アメリカ嫌いの陰謀論者」というのが彼を形容する言葉だ。彼と彼の党の「躍進」もポピュリズムの高まりの表れであることは間違いない。

でも決して「政治かぶれの変なおじさん」などではなくて、フランスの政治家として超エリートのHEC、ENAを出て、財務省でキャリアを築いてきた。

それはいいのだけれど、驚いたのは「日本ファン」で「日本語ぺらぺら」で知られていることだ。このビデオで日本語をしゃべっている。


1981年に日本のフランス大使館の経済部で働いていたそうだ。

日本は欧米の植民地にならなかった数少ない国、それなのにアメリカの占領軍に憲法を押し付けられて天皇が人間宣言をしてしまった、と、なんだか「美しい国、日本」のファンのようだ。

先日の記事のウィルダースもそうなのだけれど、極右のグループで、「人種差別」だと批判されるを否定する根拠に、「自分もインドネシアとのハーフで差別された」ことで正当化する人や、

「私は差別主義者ではない、マンガのファンだから」

などという人がいる。

アスリノーも似たようなもので

「日本ファン」

であることを自分が「差別主義者ではない」ことの担保にしているわけだ。

まさに、日本は過去に「植民地」ではなかったから使い勝手がいいのだろう。

「名誉白人」、「クール・ジャパン」。

シラク大統領も日本好きで知られていたが、彼はアフリカや他のアジアの国や文化も好きだった。

ああ、そういえばアスリノーも、「オセアニアも好き」らしい。
中東やアフリカのような都合の悪い国々とちがって、日本とかオセアニアなら突っ込まれどころが少ないのかも。

ル・ペンの国民戦線にも、ある意味で広告塔のような黒人やアラブ人が加わっている。No2のフロリアン・フィリポが同性愛者というのもイメージアップに役立っている。

アメリカ嫌いのアスリノーは、

「美しい国、日本」を取り戻そうとしている首相がトランプ大統領とお友達

ってことは、スルーできるわけだ。

政治家の言説ってそんなもんだと思っても、それに簡単に取り込まれていく人々がいるのだから、「泡沫候補」だとしてもこちらはスルーしてはいけない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-15 00:17 | フランス

フランスとイスラム その14  不思議の国サウジアラビア

(これは前の記事に関しての補足です。)

2001年に『不思議の国サウジアラビア』という新書(文春新書)を出した私には、このことが実感を持って分かる。本を出した時点ではまだ9・11が起こっておらず、私がサウジで取材したことを書くにあたって王室と宗教の批判はしない、というのが条件だった。

私は女性だから、全身を隠すアバやの着用はもちろん、女性が運転もできず一人で外出もできないような実態も「体験」できたが、それでも、それがコスプレでテーマパークにいるような非現実感だった。

サウジの女性はフランスの底辺の女性に比べて「不幸」に見えなかった。

「貧乏」ではなかったからだ。

彼女らはすべてを手に入れられた。

メイドもシッターも運転手もいる。
「自由」がほしければパリやロンドンに行けばいい。
シャンゼリゼのブティックで好きなものを好きなだけ買い、シャンペンだって飲める。

自国でも、たとえ何があっても、子供と同じく「責任能力」がない存在なのだから、ある種の自由がある。
「監督責任」は父親や兄や夫にあるのだから。

この自由が倒錯的なもので突っ込みどころがいくらでもあることは当然だ。

けれども、彼女らの暮らしぶりの「豪華さ」「優雅さ」と、男の目を気にしないで済む、ある意味「女子会」のような生活の楽しさなどを見ていて、原則としての怒りとかイデオロギーとしてのフェミニズムとか、自由とは何なのか、分からなくなってきたのも事実だ。

その後、私が新書の中で書いたように、若者が増えすぎて失業の問題も起こり、生活水準が維持できなくなったり、アメリカでのテロが起こったり、中東情勢が険悪になり、インターネットによるグローバル化はさらに進化し、サウジアラビアの状況は変わった。

けれども、「女性の自由と満足度と金」の関係は、今も答えのない自問として私の中に残っている。

ちょうど、サウジアラビアの王様が46年ぶりに日本に来たとかで、その桁外れの贅沢さや経済効果がネットに上がっている。
宗教とか、政治とか、テロとか何の関係もない「マネー」だけがクローズアップされる。
「マネー」しかもう見えない。

日本企業をサウジに進出させて石油依存からの脱却を援助するとか言っているけれど、そのうち日本はイスラエルにだけではなく、サウジにも武器を買ってもらおうとするのではないか。軍事産業はいつも一番おいしい。

ああ、武器とは言わないで今じゃ「防衛装備」って言うんだっけ。「戦乱」だって、「防衛装備同士がちょっと衝突した」だけだったりするみたいだし。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-14 02:33 | 雑感

カナダとアメリカの国境、オランダ極右のウィルダースの出自など

ウンベルト・エーコが余命が限られていることを知らされた時に真っ先にしたのがテレビのニュースを見るのをやめることだったとどこかで読んだことがある。

とても納得できた。公営放送の毎夕のニュースと別の報道チャンネルをザッピングしながら、なんだかんだと一時間近く貴重な時間を使ってしまう。次の日の朝の目覚ましラジオやネットの報道サイトで少しチェックすれば十分なものばかりなのに。

それも、昨日書いたように、忙しい時期はとりあえず日本とフランスの情報に絞ろうと思っているのに、ついまたニュース映像を見てしまった。

ひとつはアメリカにいる難民が、身の危険を感じて、カナダの国境に向かっているというもの。去年の初めにパキスタンから来た親子は難民申請をしていたが、トランプ政権下ではパキスタンに送り返されてしまうかもしれない、それでは命が危ない、と思って、酷寒の氷と雪と風の中をカナダにやってきた。そこで低体温や疲労で倒れれば、地中海で難民船が難破して救助してもらえるように、晴れて「救助」の対象になるという。

アメリカとカナダ間の国境は世界一長い国境だそうだ。さもありなん。

だから、壁はもちろん、いわゆる国境検問所もほとんどなく、国境警察がいても、彼らには入ってくる人をとめる機能はない。

酷寒の冬でも500人が国境を越えたそうで、春や夏になればどうなるのかと、国境に近い町の人はさすがに心配しているとかいないとか…

もう一つ、気にはしていたが、あまり首を突っ込まないようにしていたオランダの選挙。極右の自由党リーダーのウィルダースだが、トランプを尊敬していると公言するポピュリストであり、見た目もかなり奇矯でマニアックな人で、うわぁ、すごいなあ、とは思っていたが、彼のイスラム全否定と人種差別に関して、ユーラジア(ヨーロッパとアジアの混血)であることを知って、いろいろ考えさせられた。

母親がインドネシア人なんだそうだ。

インドネシアはオランダの旧植民地で、今のオランダには80万人のインドネシア人が住んでいるという。インドネシアに「謝罪」を拒否したことでも有名だ。
インドネシアと言えば、二億のムスリムを抱える世界一イスラム教徒が多い国だ。それでも、イスラムと民主主義を統合するのに成功したと言われ、イスラム、キリスト教、仏教、ヒンズー教、マイナーでもなんでもそれらの宗教の祝日をみんな国家の祝日にしているそうだ。どの宗教に属していてもみなが熱心にそれぞれの宗教の実践をしているという。

オランダ人のプロテスタント牧師が、インドネシアの信徒の熱心さを見て羨むとか。

オランダにいるムスリムはそのリベラルさに驚いて、「同性愛者が道でキスしている、麻薬が合法的に売られている」と故国の同胞に発信している。

私の知っているインドネシアはバリ島だけで、暮らしぶりはヒンズー教の人のものしか目撃していないが、確かに、毎日の供え物とか複雑だった。
オランダの方はもっと縁がある。

でも、この両者のことを、極右政党の台頭とつなげて考えたことはなかった。
モロッコ人を追放しろ、みたいなことばかり耳にしていたので。

驚いて、ウィルダースを画像もふくめていろいろ検索してしまった。

ウィルダースの家系はユダヤにもつながるらしい。
それにしても、キャラがたちすぎて、怖いというかなんというか...

オランダの総選挙は3/15。

オランダって信頼できる国だと思っていたのに、ほんとにこの人が首相になるのなら、フランスでもなんでも起こるかもしれないとおそろしい。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-13 01:24 | 雑感

韓国大統領の罷免のことで…

フランスの大統領選、日本のいろいろな疑獄やスーダンからの自衛隊撤退や、中東、ヨーロッパの状況、アメリカのこと、なんだか毎日耳に入る情報が騒然として、今一番忙しい時期なので日仏情報を除いてできるだけ考えないようにしている。

一週間後のコンサートで弾くラモーの7曲(うち3曲は今回がはじめて)、ヴィオラでバッハ2曲とベートーヴェン1曲、ピアノとギターで伴奏、など、いくら私でも毎日さらわないと責任問題なので時間を取られるうえに、ようやく脱稿した新作を添削、推敲しなくてはならない。コンサートの翌日には日本に出発だからだ。

それなのに、韓国大統領の罷免のニュースには驚かされた。
私が継続して読んでいる日本のサイトやブログのライターさんの視線に影響された目で見ると、第一印象は、「わあ、韓国(の民衆や憲法裁判所)ってかっこいい」と思っていた。政治家の権益をめぐっては司法との癒着もふくめて、あれこれあやしいことがあるのは日本でもフランスでもどこでも同じだろうけれど、韓国の憲法裁判所が、

「国民から直接民主的正当性を与えられた被請求人を罷免することにより得られる憲法守護の利益の方が、大統領罷免に従う国家的損失を圧倒するほど大きいと認められる。」

というなんて、なかなか潔いというか、覚悟のほどがうかがえるなあ、と思ったのだ。

でも、この罷免運動の後ろから糸を引いている勢力の噂のことも前から耳にしていたし、なんとなくもう少し別の視点から読んでみたくなって、ネットに淫しないように気をつけているのに、つい、ずいぶん久しぶりにシンシアリーさんのブログを除いてみたら、弾劾についての個人的見解というのがあって考えさせられた。

見ると、韓国の歯科医であるシンシアリーさんは、『韓国人による北韓論』という新刊を出したところだそうで、そこで金正男さんの暗殺事件についても書いているようだし、なんと、日本に移住することを決めたということだ。

この人が何歳くらいの人かも知らないけれど、日本のカルチャーファンで、日本でこれから第二の人生を、と言っているのを見ると、もし私が彼の母親だったらどう思うだろう、などと考えてしまった。
この人が韓国を「見限る(?)」のだとしたら、なんだかそれはこれから「朝鮮半島」に起こる大激震の前触れのような気もしてくる。どのみち、このままの状態がずっと続くとは思えない。

中国、北朝鮮、韓国、地続きなのは確かに脅威があり、ミサイルの届く圏内でも、海があるだけで日本での危機意識は全く変わるのだろうか。ユーラシア大陸で韓国の全く反対側にいる自分自身の「体感」についてもあらためて考えさせられた。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-12 01:28 | 雑感

3.11と緑の党

3・11から丸6年、朝のラジオですぐに言われたので、フランスでのインパクトの大きさをあらためて感じる。その後の政治インタビューではもちろん緑の党のヤニック・ジャド。

昨日のアモン(社会党の大統領候補)のミーティングの中継を少し見て、世間に言われる彼の不安定さや未熟な感じを共有して、やっぱ彼は大統領の器じゃないなあ、と思ったところだけれど、ジャドの話を聞くと、「器」の問題じゃないだろう、地球の未来の問題だろう、と納得する。

社会党議員が次々とマクロンを支援し始めたので、それは中道を掲げるマクロンには実際は迷惑かもしれないが、一応マクロンははじめて第一回投票予想のトップに躍り出た。

今朝、ラジオの後でいつものように日本のネットを開くと、

リテラの記事にこういうのがあってショックだった。

海岸沿いの原発の多さを思うと、地震や津波対策もそうだけれど、アメリカと北朝鮮の間をとりもって「非核」の方向に持っていく外交が一番本質的ではないのだろうか。迎撃ミサイル増強なんて、方向が違いすぎる。

私たちが歩くべき正しい方向から大きくそれないためには、フクシマの子供たちのために一番大切なことは何かをいつも考えていなくてはならない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-11 18:06 | 雑感

フランスとイスラム その13---- 黒いISと白いIS (続き)

カメル・ダウドの2015/11/20の記事の続き

ワッハーブ宗は、18世紀に生まれたメシア的過激派だ。
コーランとメディナとメッカと砂漠へのファンタズムに基づいてイスラムのカリファを再建しようとして生まれた一種のピューリタリニスムである。

多くの血を流した。女性差別を徹底したほか、聖地に異教徒を入れないとなどと決めた。

宗教的に謹厳で、特に図像についての統制を厳しくした。
あらゆる画像表現、肉体、裸、自由が排除される。

サウジアラビアとは「成功したIS」なのだ。

欧米諸国がそれを見ようとしないのは驚くべきことだ。

彼らはこの神権政治に同盟国として敬意を表し、イスラム過激派のイデオロギーの主要メセナであることに目をつぶる。

いわゆるアラブ世界の過激派の新世代は、ジハディストとして生まれてきたのではない、
イスラムのヴァティカンとでもいうべき、ファトワ・ヴァレーによって哺育されたのだ。

神学者、宗教法、書物、アグレッシヴなメディア政策を生む膨大な産業がそれを支えていた。

(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-11 00:54 | 宗教

フランスとイスラム その12 ---- 黒いISと白いIS

カメル・ダウドの2015/11/20の記事より

イスラム国と自称するISには二種類ある。黒いIS と白いISだ。

黒いISは、喉を搔き切り、殺し、石で打ち、手を切断し、世界遺産を破壊し、考古学と女性と非ムスリム外国人を憎悪する。

白いISは、ずっと身なりもよくて清潔だ。けれども同じことをしている。

「テロリズム」との戦いの中で、欧米は、後者と手を組んで前者を叩く。

欧米は白いISサウジアラビアの実態を見ようとしない。

サウジアラビアと「戦略的同盟関係」を結ぶが、サウジアラビアは、自国内のもう一つの同盟によって成り立っている。

それは、イスラムの超ピューリタンであるワッハーブ宗を生み、育て、黒いISをインスパイアしている宗教権威と結んでいる同盟だ。イランの王朝の二の舞を踏んではならない。(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-10 00:10 | 雑感

フランスとイスラム その11

カメル・ダウドの2012/9/16の記事の続き。

「国際社会」が過激派対策を暗中で模索している間、サウジアラビアやイランの宗教エリートたちは多くの思想書を出版し、解説し、改宗させ、彼らの意見、イデオロギー、世界の見方を流布させていく。
そのスピードは速い。

メッカで発せられたファトワと中央アフリカの思春期の青年の頭の間には時間差も空間差ももはやない。
至る所でそれを見て、実践することができる。

このイデオロギーには資金と学校があり、ネットワークは拡大する。

過激派はどんどん時間をさかのぼり、彼らのやり方に従わない者は殺されたり、公開処刑されたり、地下に葬られたり、破門されたりする。
それに対抗するには、「原因」を攻撃するべきで、「結果」を攻撃してもどうにもならない。
それなのに、欧米諸国も、アラブの独裁者たちも「過激派」と共犯関係にある。

どの独裁政権にも、管理し、勇気づけ、存在を隠す「お抱えの過激派」がいる。
アメリカも同様だ。
石油とテロリストを同時に産出するサウジアラビアに対する姿勢を見るだけでそれが分かる。(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-09 00:02 | フランス

「噂があるという噂」印象操作と「見た目」

先日の記事で、TV出のフィヨンのインタビューで先週の水曜に妻の自殺のデマさえあった、というのを受けて「自殺」という言葉を書いた。そのことを、フェミニストの友達に昨日話したら、彼女もこの言葉にショックを受けていた。

そしたら、今朝になって、「そんなデマなどなかった、むしろフィヨン派が流したフェイク」という「エクスプレス」誌の検証記事が送られてきた。

これを読むと、そうか、「噂がある、という噂」を流すのも「印象操作」のひとつなんだなあと思った。

私も友人も「自殺」という言葉に弱い。相手がいかに正しくなくても、追い詰められて死んでしまったなどという状況になれば猛烈に自分を責めるタイプだ。

政治家なんてみんな「役者」だなあ、と改めて思う。うまい「役者」でなければ政治家になれないのかもしれない。

「役者」だから「見た目」も大切。

トランプ大統領がもし170cmくらいのアメリカ人として「小男」だったら、プーチンやサルコジくらいだったら、あの暴言が同じように通用しただろうか。

今のフィヨンは伝統的な「フランス大統領」の「絵」としては、一番似合っている。
ル・ペンは「女」、マクロンは「若造」、と潜在的な弱点を持っている。
それを逆手にとって「新鮮」とできるかどうかはまた別問題だ。
緑の党のジャドはトランプと同じくらい高身長だし好漢だが、彼が組んだアモンは何だか貧弱だし「大統領顔」ではない。
今にして思うと、あれほど低身長を下品に揶揄されたサルコジが、あれほどのカリスマを振りまいたのは不思議なくらいだ。

プーチンもすごいなあと思う。ナポレオン・コンプレックスというのがあって、「同じ種では体が小さい方が攻撃的である」という説も一時流布していた。

今のようなネットの時代、「見た目」がますます拡散されるから、国際舞台に立つ政治家は大変だし、政治をチェックする方も「見た目」に惑わされない識別力が必要だけれど簡単なことではない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-08 19:59 | フランス

フィヨンの奥さんと日本の首相夫人

フィヨンは「晴れて?」新たに共和党からお墨付きをもらってリスタートの様子。

私の周りではジュッペが不出馬スピーチで見せた知性が評価されている。

でも、周りのインテリ左派無神論フェミニストが、フィヨン夫人のことを攻撃しているのを見て論理的ではないと思った。

フェミニストらは、

自ら「夫の仕事に関わったことありません」と言っていた「ウェールズ出身の田舎住まいの5人の子の母」であるフィヨン夫人は、園芸をして料理して編み物をしていたのだから公金を横領した、と切って捨てるのだ。

一方、私の周りのこれはリタイア世代の人たちで妻子のいる人たちは、

「自分たちの母親も父親をいつもフォローしていた。」
「自営業者や第一次産業に関わる人は妻も夫と全く同じに働いている。」
「自分の妻も、海外赴任の自分をあらゆる点でアシストしていた。給料をよこせと言われていたくらいだ」
「フィヨン夫人は弁護士の資格を持っている。微妙な問題について絶対に信頼が置けて能力もある妻にアシストしてもらったのは不思議ではない」

などと、口をそろえて弁護。

私は一応、彼らに、

「それは、私企業や私人ならいくら妻に払おうと問題ないけれど、公設秘書として公金を払った時点で問題なのよ」

と反論したのだが、

「専業主婦だと宣伝していたくせに普通の人には考えられないくらいの高給をもらっていたのがけしからん」

みたいな嫉妬めいた攻撃よりは好感が持てるなあと思って、

このことをフェミニストの友人に話したら、

そういう観点からは見ていなかった、

と認めた。

インテリ左派フェミニストたちはみな自分で自分の生活費をしっかり稼いでいるから、「私、働いたことありませーん」という存在自体を忌避しているのだ。

海の向こうの日本では、「アッキード」疑獄が取りざたされているようで、つい比べてしまう。

「私の妻を犯罪者扱いにするのか、失礼な!(怒)」

なんて「むきになる」と言われている日本の首相のことを、「愛妻家」だなどという日本の男っているのかなあ。「昔の話」でなくて現役の首相の現在進行形の話なのだから、重要度も責任度もまったく違うものだけれど、「妻を守る」というスタイルで一定の共感を一定の男に口にさせたフィヨンのケースを見ていて、いろいろ考えさせられた。

逆に、「妻を守るフィヨン」という形で共感を口にしたフランス女性は見たことがない。

フィヨン以外には共和党の候補は考えられないから、
フィヨンの政策に共感していることには変わりがないから、

という冷静なものばかり。

国民性、世代の差、男女の差、観察していると興味深いことばかり。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-08 06:06 | フランス

フランスとイスラム その10

カメル・ダウドの2012/9/16の記事紹介の続き。

イスラムの進歩主義者、世俗の進歩主義者は共に、過激派と戦わなければならないとは言っていた。けれどもそのやり方は、過激派を分離して彼らのイデオロギーを解除して実態を明らかにするならば過激派は人々からの信頼を失って自然消滅するだろうという楽観的なものだった。

結果として、過激派は、消滅どころか、前進し、勢力を拡大した。

その理由は明らかだ。

教育、学校という温床の存在だ。

「アラブ」世界には、進歩主義者が過激派を堰き止めているつもりの間に、揺り籠のレベルで、学校で、テレビで、コミュニケーションで、通りで、モスクで過激派を育てるという、イデオロギーの温床があるからだ。

過激派でない人々の目には、過激派は、今世紀の世界の状況が生んだ「産物」だと見えていた。

しかしそれは逆で、過激派が今世紀の悪の根源なのだ。

学校、書物、ファトワ、「アラブ」世界は過激派を今も基礎から作り上げている。
至る所で、しかるべき資本を投じて。

過激派のモデルとなったワッハーブ宗は、国教を超えて、イスラムの伝統宗派の差を超えて浸透する。

法律をファトワに近づけ、
投票で選ばれた政治家は天に選ばれたイマムへ、
憲法はシャリーア法へ、
学校科目はコーランの暗唱へと向かう。

この「温床」を絶やさなければ、数十年後には巨大なイスラム神学帝国が現れるだろう。

イデオロギー、教育、学校というレベルで過激派に立ち向かう努力なしには、我々は、50年後もまだ「過激派をどうするか?」と問い続けているに違いない。(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-08 01:13 | 雑感

ペネロップゲート

これはさっきの続き。寄り道です。

わずか4ヵ月前には次期大統領の最有力候補と言われていたフランソワ・フィヨンが、選挙まで2ヶ月を切った今、ここまでスキャンダルまみれになるとは、確かに信じがたい。

ラジオのフランス・キュルチュールでは、過去の大統領選でバイルーを応援した中道の政治家(ジャン=リュック・ブルランジュ)がフィヨンのことを「ずる賢く傲慢で腐敗している、右派最悪の候補」、などと言った。

それ自体がすごいのではなく、そのことをフィヨン派から抗議されたこの名門ラジオ局がその政治家を大統領選後まで出入り禁止として、それに怒った政治家がもう二度と戻らないと言ったなどというやりとりがすごい。

日曜のフィヨンの集まりにしても、

2012年、結局はオランドに負けたサルコジが投票前の数日前にトロカデロに集めたのは20万人だったが、フィヨンのは実は5万人にも満たなかったとか、

あれは「ポチョムキン村(クリミアの総督グレゴーリイ・ポチョムキンがエカテリーナ二世の視察のためにでっちあげた村)」だったとか(それをいうならあらゆる政治のミーティングやマニフェストは「ポチョムキン村」の一種という気がするが)、

フィヨン夫妻の夫婦愛と結婚の神聖さに感動したとか、

ざっとみてもいろいろと騒がしく言い立てられている。

ある銀行家は、フィヨンがこのまま突っ走るのは、その方が、財政的にペイするからだと細かく計算しているし

今日(月曜)の夜の番組はまだ見ていないから分からないけれど、このようなリアクションと、その展開と、それが結局どういう結果になるのか、今度の大統領選はえらく波乱含みで、フランス人のメンタリティを考える上ではとても興味深い。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-07 02:49 | フランス

フィヨンがんばり、ジュッペが引く

アラン・ジュッペが出馬しないとさっき宣言した。

当然の判断だ。

共和党メンバーだけでなく4百万人が投票した予備選で大きく水をあけられてフィヨンに敗れたのは、「政策」のレベルであって、「正直さ」ではなかった。ジュッペと言えば、パリ市庁の架空雇用で「有罪」になって、執行猶予の間カナダに逼塞していた経歴があるのだから、今回、過去の、妻の架空雇用疑惑で退陣を迫られているフィヨンの後釜というのはジョークになる。左派との政権交代での改革、新風、をイメージさせるのも、今年72歳になるジュッペには難しい。

昨日のトロカデロの集会も、最初は、一連のスキャンダルについてメディアや司法の陰謀だ、戦争だ、などと息まいて、すっかり極右ル・ペン化していたフィヨンだが、上品に謙虚にまとめあげて、彼を見捨てていない層に好感と満足を与えたと思われる。

離婚するだの、妻が家出した、自殺した、などひどいデマが飛び交っていたここ数日だが、昨日は妻の方もはじめて新聞のインタビューで夫を支える決意を述べていた。

夜の公営放送のニュースでのフィヨンのインタビューを見たが、かなり突っ込んだ皮肉なことを言われていたが、誠実にかわす様子は、ル・ペンやサルコジやマクロンやメランションよりも「大統領」っぽかった。

私はそもそもフィヨンの政策に批判的だが、ともかくここはフィヨンにしっかりとどまってもらわなくては、彼が消えると、昨日トロカデロに集まった人の半分はル・ペンになびくと懸念される。

今の状態では、決選投票はマクロンとル・ペンでマクロンが勝つというのが統計上の「予想」なのだが、その差は縮まりそうで、五年後にはどうなるか分からない。共和党のような伝統的な保守派と、伝統的な社会党がしっかり両方でバランスを取り、牽制しあっている形での「中道」の勝利なら期待が持てる。どこが勝っても、今の日本のように各種の「強行採決」がどんどんできてしまうような体制にはなってほしくない。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-06 21:16 | フランス

フランスとイスラム その9 ----イスラム圏の「独裁者」と過激派

次に、そもそもどうして今のイスラム過激派が形成されたかについて、次にカメル・ダウド(アルジェリアのジャーナリスト)の記事を要約しよう。

2012/9/16の記事より。

ベンガジ(リビア)のアメリカ領事館で起こった大使らの殺害とその後に公開された虐殺遺体の写真を前にしたヒラリー・クリントン(国務長官)は、「私たちが平和に寄与した町が、どうしてこんな仕打ちができるのか」と叫んだ。間違った視座から投げかけられた間違った問意だ。

欧米はみな、イスラム過激派は独裁者(ここではカダフィー)によって生み出された「犠牲者」なのだという解釈をしていた。欧米がカダフィーを倒したのだから感謝してもらえるはずだと。

実際は、イスラム過激派は、独裁者が用意した時限爆弾のようなもの、独裁者の遺産だ。

何十年もかけて、アラブ諸国の「体制」はイスラム進歩主義者を弾圧して原理主義者を応援してきた。

どこでも同じで、時として国家レベルで、時として保守政権と宗教権威との間の取引としてそれが準備されていた。アルジェリアでは目に見えていた。「アフリカ最大の国プロジェクト」が「アフリカ最大のモスクプロジェクト」へと取って替えられた。

イスラム過激派の数は増え、その野心は大きくなり、アルジェリア人に、彼らの信条、服装、典礼、考え方を強要した。
アルジェリアは、忍耐する政治とヒステリックな軍隊に二極化した。

イスラム圏の独裁者たちは「イスラム過激派を追い詰めて殺すべきだ」と公言していた。
それがかえって過激派の活動を刺激し拡大させ、そのことで「独裁体制は地域の安定を保つために必要不可欠だ」という理論が強化されたのだ。

欧米は、これら「独裁者」たちを自分たちに同化させることができる、あるいはプラグマティズムのもとに再教育できると信じた。

彼らと対話し、同盟関係を結べば、いつかは(欧米的な)「人間性」に合流できるだろうと考えたのだ。(続く)
[PR]
# by mariastella | 2017-03-06 00:13 | 雑感

刺青、タトゥー、ステンドグラスと聖痕

寄り道です。

フランスの10代の若者の10人に1人はタトゥーを入れていると言われる。
私の周りには皆無だから分からない。
日本の温泉は海外からの観光客にも人気だけれど、「刺青をしている人お断り」のところではタトゥーはどういう扱いなんだろう。

いままでのイメージではタトゥーと言えば、バラの花一輪とか、髑髏とか、好きな人の名前とか、ワンポイントのものを思い浮かべていた。
一方刺青と言えば、「錦絵」のような豪華なもの、昇り龍とか武者絵とか任侠映画を連想する。いわゆる「博徒彫り」で、これが公衆浴場入場禁止の理由であったことは想像に難くない。

でも、フランスで今人気のタトゥー師のミカエル・ド・ポワシィーの図柄を見て驚いた。
ステンドグラス。
そのためにちゃんと教会絵の学校 l’Académie des Peintres de l’Abbaye にも通ったそうだ。
ステンドグラスの黒い太い線はタトゥーに向いているそうだ。

私は、個人的にはなんらかの治療以外の目的で体に傷をつけることはしないので、肌をキャンバスにする人やそこにアートの表現を見出す人の世界についてはノーコメントだけれど、こういうアートの域に達するようなタトゥーと教会アートの出会いには驚かされた。

考えてみれば、倶利伽羅紋紋も不動明王の化身の竜王だったり、勇ましいものばかりでなく刺青の柄にも観音や如来などあるのだから、聖母マリア柄も、「加護を願う」という意味で人気があるのかもしれない。片肌脱いで威嚇するというやつではなくて、ジンクスにこだわるイメージ?

スポーツ選手のタトゥ―率が高そうなのもそのせいかもしれない。

それとも、日本の神や仏や経文の刺青はいわゆる「武家彫り」で、信仰行為の一種なのだろうか。

「桜吹雪柄」というのもいかにも日本的だ。
そういえば私の好きな芝居、四代目鶴屋南北の「盟三五大切(かみかけて さんご たいせつ)」も刺青が大切な要素になっている。覚悟、とか誓い、とかの含意も重要なのだろう。基本的に消せなかったこと、そして昔は多分時間もかかって痛みも大きかったことなどが真剣さや本気度を担保する。

いわゆる「聖痕」が聖痕者や周囲の人に与えるインパクトと比較すると興味深い。
[PR]
# by mariastella | 2017-03-05 01:00 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧