L'art de croire             竹下節子ブログ

ペネロップゲート

これはさっきの続き。寄り道です。

わずか4ヵ月前には次期大統領の最有力候補と言われていたフランソワ・フィヨンが、選挙まで2ヶ月を切った今、ここまでスキャンダルまみれになるとは、確かに信じがたい。

ラジオのフランス・キュルチュールでは、過去の大統領選でバイルーを応援した中道の政治家(ジャン=リュック・ブルランジュ)がフィヨンのことを「ずる賢く傲慢で腐敗している、右派最悪の候補」、などと言った。

それ自体がすごいのではなく、そのことをフィヨン派から抗議されたこの名門ラジオ局がその政治家を大統領選後まで出入り禁止として、それに怒った政治家がもう二度と戻らないと言ったなどというやりとりがすごい。

日曜のフィヨンの集まりにしても、

2012年、結局はオランドに負けたサルコジが投票前の数日前にトロカデロに集めたのは20万人だったが、フィヨンのは実は5万人にも満たなかったとか、

あれは「ポチョムキン村(クリミアの総督グレゴーリイ・ポチョムキンがエカテリーナ二世の視察のためにでっちあげた村)」だったとか(それをいうならあらゆる政治のミーティングやマニフェストは「ポチョムキン村」の一種という気がするが)、

フィヨン夫妻の夫婦愛と結婚の神聖さに感動したとか、

ざっとみてもいろいろと騒がしく言い立てられている。

ある銀行家は、フィヨンがこのまま突っ走るのは、その方が、財政的にペイするからだと細かく計算しているし

今日(月曜)の夜の番組はまだ見ていないから分からないけれど、このようなリアクションと、その展開と、それが結局どういう結果になるのか、今度の大統領選はえらく波乱含みで、フランス人のメンタリティを考える上ではとても興味深い。
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# by mariastella | 2017-03-07 02:49 | フランス

フィヨンがんばり、ジュッペが引く

アラン・ジュッペが出馬しないとさっき宣言した。

当然の判断だ。

共和党メンバーだけでなく4百万人が投票した予備選で大きく水をあけられてフィヨンに敗れたのは、「政策」のレベルであって、「正直さ」ではなかった。ジュッペと言えば、パリ市庁の架空雇用で「有罪」になって、執行猶予の間カナダに逼塞していた経歴があるのだから、今回、過去の、妻の架空雇用疑惑で退陣を迫られているフィヨンの後釜というのはジョークになる。左派との政権交代での改革、新風、をイメージさせるのも、今年72歳になるジュッペには難しい。

昨日のトロカデロの集会も、最初は、一連のスキャンダルについてメディアや司法の陰謀だ、戦争だ、などと息まいて、すっかり極右ル・ペン化していたフィヨンだが、上品に謙虚にまとめあげて、彼を見捨てていない層に好感と満足を与えたと思われる。

離婚するだの、妻が家出した、自殺した、などひどいデマが飛び交っていたここ数日だが、昨日は妻の方もはじめて新聞のインタビューで夫を支える決意を述べていた。

夜の公営放送のニュースでのフィヨンのインタビューを見たが、かなり突っ込んだ皮肉なことを言われていたが、誠実にかわす様子は、ル・ペンやサルコジやマクロンやメランションよりも「大統領」っぽかった。

私はそもそもフィヨンの政策に批判的だが、ともかくここはフィヨンにしっかりとどまってもらわなくては、彼が消えると、昨日トロカデロに集まった人の半分はル・ペンになびくと懸念される。

今の状態では、決選投票はマクロンとル・ペンでマクロンが勝つというのが統計上の「予想」なのだが、その差は縮まりそうで、五年後にはどうなるか分からない。共和党のような伝統的な保守派と、伝統的な社会党がしっかり両方でバランスを取り、牽制しあっている形での「中道」の勝利なら期待が持てる。どこが勝っても、今の日本のように各種の「強行採決」がどんどんできてしまうような体制にはなってほしくない。
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# by mariastella | 2017-03-06 21:16 | フランス

フランスとイスラム その9 ----イスラム圏の「独裁者」と過激派

次に、そもそもどうして今のイスラム過激派が形成されたかについて、次にカメル・ダウド(アルジェリアのジャーナリスト)の記事を要約しよう。

2012/9/16の記事より。

ベンガジ(リビア)のアメリカ領事館で起こった大使らの殺害とその後に公開された虐殺遺体の写真を前にしたヒラリー・クリントン(国務長官)は、「私たちが平和に寄与した町が、どうしてこんな仕打ちができるのか」と叫んだ。間違った視座から投げかけられた間違った問意だ。

欧米はみな、イスラム過激派は独裁者(ここではカダフィー)によって生み出された「犠牲者」なのだという解釈をしていた。欧米がカダフィーを倒したのだから感謝してもらえるはずだと。

実際は、イスラム過激派は、独裁者が用意した時限爆弾のようなもの、独裁者の遺産だ。

何十年もかけて、アラブ諸国の「体制」はイスラム進歩主義者を弾圧して原理主義者を応援してきた。

どこでも同じで、時として国家レベルで、時として保守政権と宗教権威との間の取引としてそれが準備されていた。アルジェリアでは目に見えていた。「アフリカ最大の国プロジェクト」が「アフリカ最大のモスクプロジェクト」へと取って替えられた。

イスラム過激派の数は増え、その野心は大きくなり、アルジェリア人に、彼らの信条、服装、典礼、考え方を強要した。
アルジェリアは、忍耐する政治とヒステリックな軍隊に二極化した。

イスラム圏の独裁者たちは「イスラム過激派を追い詰めて殺すべきだ」と公言していた。
それがかえって過激派の活動を刺激し拡大させ、そのことで「独裁体制は地域の安定を保つために必要不可欠だ」という理論が強化されたのだ。

欧米は、これら「独裁者」たちを自分たちに同化させることができる、あるいはプラグマティズムのもとに再教育できると信じた。

彼らと対話し、同盟関係を結べば、いつかは(欧米的な)「人間性」に合流できるだろうと考えたのだ。(続く)
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# by mariastella | 2017-03-06 00:13 | 雑感

刺青、タトゥー、ステンドグラスと聖痕

寄り道です。

フランスの10代の若者の10人に1人はタトゥーを入れていると言われる。
私の周りには皆無だから分からない。
日本の温泉は海外からの観光客にも人気だけれど、「刺青をしている人お断り」のところではタトゥーはどういう扱いなんだろう。

いままでのイメージではタトゥーと言えば、バラの花一輪とか、髑髏とか、好きな人の名前とか、ワンポイントのものを思い浮かべていた。
一方刺青と言えば、「錦絵」のような豪華なもの、昇り龍とか武者絵とか任侠映画を連想する。いわゆる「博徒彫り」で、これが公衆浴場入場禁止の理由であったことは想像に難くない。

でも、フランスで今人気のタトゥー師のミカエル・ド・ポワシィーの図柄を見て驚いた。
ステンドグラス。
そのためにちゃんと教会絵の学校 l’Académie des Peintres de l’Abbaye にも通ったそうだ。
ステンドグラスの黒い太い線はタトゥーに向いているそうだ。

私は、個人的にはなんらかの治療以外の目的で体に傷をつけることはしないので、肌をキャンバスにする人やそこにアートの表現を見出す人の世界についてはノーコメントだけれど、こういうアートの域に達するようなタトゥーと教会アートの出会いには驚かされた。

考えてみれば、倶利伽羅紋紋も不動明王の化身の竜王だったり、勇ましいものばかりでなく刺青の柄にも観音や如来などあるのだから、聖母マリア柄も、「加護を願う」という意味で人気があるのかもしれない。片肌脱いで威嚇するというやつではなくて、ジンクスにこだわるイメージ?

スポーツ選手のタトゥ―率が高そうなのもそのせいかもしれない。

それとも、日本の神や仏や経文の刺青はいわゆる「武家彫り」で、信仰行為の一種なのだろうか。

「桜吹雪柄」というのもいかにも日本的だ。
そういえば私の好きな芝居、四代目鶴屋南北の「盟三五大切(かみかけて さんご たいせつ)」も刺青が大切な要素になっている。覚悟、とか誓い、とかの含意も重要なのだろう。基本的に消せなかったこと、そして昔は多分時間もかかって痛みも大きかったことなどが真剣さや本気度を担保する。

いわゆる「聖痕」が聖痕者や周囲の人に与えるインパクトと比較すると興味深い。
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# by mariastella | 2017-03-05 01:00 | 雑感

フランスとイスラム その8

ケペルによると、イスラモ・ゴーシストたちは2012年の国会選挙に「(マグレブ系)移民の子弟」がはじめて400人も立候補したことを「政治参加の意思」として高く評価していた。
『ル・モンド』紙も同じ路線だった。
けれどもそれは実は、セラフィスム(イスラム過激派)が移民の子弟に浸透したことの表れでもあり、アラン・ソレルら、マルキシストを称する極右反ユダヤ主義者と、「移民の子弟」の世界に連携が生まれることにもなった。

ケペルはまた、フランスにおけるアラビア語学の伝統の終焉を語る。

移民の増加によってアラビア語人口そのものは増えているにもかかわらずだ。

フランスと言えば、一昔前までは、そうそうたる哲学者「オリエンタリスト」たちが存在していた。

今は、アラビア語は「移民のことば」であり、社会学者や政治学者が、移民の子弟のゲットーについて研究するのにアラビア語は必要ないと言っている。

政治エリートを輩出するパリの政治学院でケペルらが立ち上げて25年間続いていたアラビア語を含むアラブ世界の講座は、2010年に閉鎖された。

それ以来、「アラブの春」事件が起こり、フランス生まれのジハディストが生まれている状況なのに、政治学院でアラビア語を学んだ学生は一人もいない。

今やアラブ世界について学びたい学生は外国に出ていくありさまだという。 (続く)
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# by mariastella | 2017-03-04 00:28 | フランス

フランスとイスラム  その7

これは前の記事の続きです。

フランス国内のムスリムを「ISのテロのせいで混同される加害者意識の罪悪感」から「イスラモフォビーの差別の被害者」感情でまとめあげようというCCIFの戦略についてのジル・ケペルの説明は納得がいく。

では、少なからぬメディアや、左派の知識人、社会学者らがそもそもCCIFに呼応するのはどうしてだろう。

実際、フランスのメディアにおいては、何十人という犠牲者を出したニースのテロと、たった一人のムスリム女性が市の条例の行き過ぎた執行によってニースで不当な扱いを受けたという事件とをほぼ同じ情報量で扱った。

これはCCIFのプロパガンダだけでは説明できない。

それには二つの理由がある。

まずCCIFがメディアの扱いにすばらしく長けているという事実だ。

もう一つは、イデオロギーとしてのCCIFの後ろには、イスラモ・ゴーシスト(親イスラム左派)というアクティヴな活動が連携している事実である。

若い世代のムスリムが活発な政治的発言をするようになった(その代表がボンディ・ブログ出身のメディ・メクラットで、彼はイスラモフォビーを告発するメディアの寵児となった。その彼の本性については以前の記事で書いた)。

フランスの左派知識人が彼らを応援し、持ち上げた。

社会学者のエマニュエル・トッドやメディアパールのジャーナリストのプレネルなどだ。

フランスのイスラモフォビーは、1905年の政教分離法におけるカトリックとの関係を引き合いに出して強調された。

いわく、政教分離があっても政府はカトリック司祭がスータン(黒い司祭服)を着て歩くことを禁止したわけではなかった、などだ。

フランスの政教分離とカトリックの関係は、イスラムとの関係とは歴史的にも政治的にもまったく異なっていて同列に語れないことは自明なのだが、なぜ、イスラモ・ゴーシストが「不当に差別されているムスリムの擁護」を新しいイデオロギーにしたのだろうか。

政治学者のジル・ケペルは、過去に同じ「トロツキスト」であり、同年代のエドウィ・プレネルの「イスラモ・ゴーシスム」をこう説明する。

フランスに68年五月革命の嵐が吹き荒れた時、サルトルなど左派哲学者らとともに、多くの若者が共産主義シンパとなり、文化大革命の毛沢東を支持するマオイスト、ソ連内のトロツキー主義を支持するトロツキストを自称した。

「極左」は人類の輝かしい未来に向かうメシア的な存在としてプロレタリアを理想化した。労働運動内部での多くの矛盾には気づかないままだった。 

そのうち、冷戦は終わり、彼らの理想化していた「共産主義」が「全体主義」だったことも分かり、彼らが「共闘」しようとしていたフランスの「労働者」たちも「共産党」を離れて、大量に極右国民戦線に投票するようになった。
極左活動家にとってはそれは「裏切り」だった。

そこで彼らは、極右になびく労働者たちから離れて、「共闘」の対象をフランスのムスリムに方向転換したのだ。

フランスのムスリムは、かつてのプロレタリアのようにいまだ未分化の潜在的力であって、イスラム過激派は彼らの「政党」のように見えた。
彼らはプロレタリア階級のように貧しい地域で生まれ、社会的に将来を閉ざされて、共和国市民よりもムスリムであるというアイデンティティを持つようになった。

そこで、非ムスリム労働者を極右に奪われた左派知識人の一部が、ムスリムの庇護者として、かつての「支配者と被支配者との戦い」を「イスラモフォビーとムスリムの戦い」すり替えてムスリムと「共闘」するようになったのだ。

その背景には、イスラエル植民者によるパレスティナの支配を弾劾する伝統的な親パレスティナの運動もあった。1970年代、中東からはるか離れた日本にすら「日本赤軍」ができて、テルアビブ空港の銃乱射のテロを起こしていたわけだ。

イスラモ・ゴーシストの根は結構深い。
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# by mariastella | 2017-03-03 06:20 | フランス

ロシア革命から一世紀経った

寄り道です。

2月最後の日の夜、Arteでロシア革命にまつわる記念番組を見た。

レーニンのドキュメンタリー。
1917/3/17の情報環境が今のようにFacebook Twitter 衛星放送が完備していると仮定してのロシア皇帝退位の特別番組というおもしろい趣向のもの。アメリカやフランスでの反応が次々と繰り出される。
プーチンに至るまでのロシアにおける独裁者の系譜みたいなもの。

三つめは深夜だったので居眠りしてしまった。ネットで視聴可能だと思うが、なんだかおなかいっぱい。

ロシア革命の2月から10月の間に何がどう変化したのかについては、『フリーメイスン』(講談社選書メチエ)の中の、ロシア革命とフリーメイスン(p127~130)で、フリーメイスンとのかかわりの中で書いた。今回のドキュメントでは全く触れられていない。

逆にイタリアやスイスにいたレーニンとフリーメイスンには接触がなかったのだろうか?と思ってしまう。

この番組で興味深かったのは、やはり日露戦争との関係で、1905年の革命が失敗したこと、レーニン憧れの兄がそれに加わって死刑になったことなどをあらためて意識した。
そして、やはり、それが第一次大戦下に起こったことの決定艇的な意味も考えさせられた。
当時のフランスとの関係の難しさも。(ドイツと独自に停戦するかどうかなど)

多くのフランス人もロシアにいた。百年前の2/24にペトログラードの通りを埋めた人々たちが高らかに歌ったのはフランス国家のラ・マルセイエーズだったのも印象的だ。

橋が封鎖されたので凍った河の上を人々が渡ったのも。

イランのホメイニ革命の前にホメイニ師を迎えたパリのメディアがはしゃいでいたことなども思い出す。

ニコライ2世が譲位すると言ったのを断った弟のミハイル(なかなかの美丈夫だが、断ったのに、結局翌年兄よりひと月早く処刑されてしまった)のヨーロッパ的感性もおもしろいし、そもそもニコライ2世の皇后アレクサンドラがドイツのヘッセン大公の娘で、そのドイツと戦争していることの難しさもあった。やはりドイツのザクセン公に由来する名を持っていたイギリスの王室がイギリス風(ウィンザー)に名を変えたのも同じ1917年のことだった。

ともかく王家の間については当時も今も姻戚関係がびっしりあるヨーロッパにおける「戦争」や「革命」というものの複雑な実態を考えさせられる。ヘッセン大公国もザクセンも伝統的にカトリックの神聖ローマ帝国に属していた。それがナポレオンによって解体され、でもナポレオンも結局オーストリア皇帝の娘を皇妃に迎えている。その前にロシア皇帝の娘との結婚を望んだのだが、時のロシア皇帝アレキサンドル一世に断られた(『ナポレオンと神』p168~171)。ロシアはもちろんロシア正教である。その辺の駆け引きもおもしろい。

ボルシェビキはその後がちがちの「無神論」共産党という一神教モデルの一党支配体制を築いたわけだが、冷戦終了にあたっては、ロシア正教のネットワークが有効に利用された。
プーチンはロマノフの皇帝よりも正教の聖人に自分を重ねた

ロシア革命の百年後にセーヌのそばにロシア正教のカテドラルがそびえていることになろうとは、いったい誰が想像しただろう。
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# by mariastella | 2017-03-02 00:53 | 雑感

フランスとイスラム  その6

これは前の記事の続きです。

2016年夏の革命記念日の夜、花火ショーが終わったばかりの海岸沿いの遊歩道に大型トラックが突っ込んで多くの死傷者を出した。「イスラム過激派」によるテロである。

当然、ヨーロッパじゅうに衝撃が走った。しかも、無差別テロであるその被害者の三分の一はムスリム市民だった。一般のムスリムも「イスラム過激派」の蛮行に激怒する。

ところが、そのすぐ後、テロの現場のすぐ近くのニースの海岸で、警官が髪や体を覆ったまま海岸で座っているムスリム女性の服を脱がそうとするシーンが撮影されて出回った。

イスラム法原理主義的にはそもそもムスリムの女性が家族以外の男性のいる海岸でくつろぐことも許されない。ましてや肌の露出部分の多い水着を着用するなどは考えられない。

そのために泳ぐことができない女性はたくさんいた。

そこに「ブルキニ」という、体を覆うムスリム女性用の水着が登場した。これをムスリム女性の「自由」の拡大だという。
しかしフランスは公共の場で全身を覆うブルカの着用を禁止している国だ。

セキュリティの問題、フェミニズムの問題、政教分離の問題などのいろいろな試行錯誤がなされての現状だ。
このことについては今までにこの記事サイトの掲示板で書いたことがある。

で、コルシカの海岸で、ムスリムの観光客と現地の人との小競り合いがあったことを受けて、ニースは浜辺でのブルキニ着用を禁止する条例を出し、警官の取り締まりはそれに従ったものだった。

私の考えは上記の記事で読んでもらうとして、ともかく、このブルキニ事件によって、CCIFには都合よく、あっという間にニースは、

「イスラム過激派テロの犠牲」

の町から

「イスラモフォビーの執行者」の

町になった。

ニューヨーク・タイムスはこれを一面で取り上げ、フランスは「政教分離」という名のスターリニズムの国でムスリムにとってのグーラグ(矯正収容所)だと認定されんばかりだった。

フランスの一般のムスリム市民も、ISを憎んでいるにも関わらず、テロがある度に肩身の狭い思いをしなくてはならないことにうんざりしていたから、「フランスは嫌イスラムの国」という構図の方に救いを感じた。

テロの批判よりも、

「悪いのはイスラム差別をするフランス社会だ」

「自分たちは犠牲者だ」

という意識によって共同体意識を強めることになったのだ。(続く)
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# by mariastella | 2017-03-01 00:51 | フランス

ヤニック・ジャド、原子力廃絶、秋葉忠利さん

また寄り道。

ラジオで緑の党のヤニック・ジャドのインタビューを聞いた。

先日、自分の出馬を取り消して社会党のブノワ・アモンの支援に回ると言って話題になった人だ。
その時のインタビューも説得力があったけれど、今回も共感できた。

多くの人が「マリーヌ・ル・ペンに勝たねばならない」という視点から今はマクロン支持に回っている。「教師」のカテゴリーでは、29%がマクロン支持で社会党支持を上待っている(ル・ペンは7%)。私の周りにはこの「現役の教師」が多いが、やはりみな、ル・ペンに勝つためにはマクロン、といって社会党を見捨てている。

しかしこれは、トランプを阻止するためにクリントンを支持して結局敗れたアメリカの失敗と同じだ、とジャドは言う。
フランスのソシアルと、地球規模のエコロジーで妥協するわけにはいかない、と。
機会の平等ではなく、法の下の平等が必要だと。

本当にそうだなあと思う。

原子力発電については、現状維持でOKというのがル・ペンとフィヨンだ。
原則論として、この一点だけでもこの二派は避けるのが妥当かもしれない。

経済についても、単に、新自由主義のどこまでも続く成長志向がよくないという単純な話ではない。
日本でもフランスでも、「ブルジョワ知識人」のような人たちが、「脱成長」を唱えたり、断捨離、ミニマリスト、自給自足、農業回帰、清貧志向、みんなで平等に貧しくなろう、貧しくても幸せ、いや真に豊かになれる、という言説をふりまく。

けれども「弱肉強食の競争経済」には限界がある、格差が広がる、だから経済の縮小、ヒューマンな等身大の生活に切り替えればいい、かのような単純な言説は欺瞞だ。

経済システム自体を絶対に変える必要がある。

どう変えるかというと、国連で合意されている「環境保護」と「労働者の人権保護」の二つを直接「経済システム」に組み入れる形で構築しなおすのだ。
地球の環境を悪化させるような経済活動、不法移民の奴隷労働、就学もできない子供たちの労働、心身の過労で壊れていく労働者がいる労働形態と環境、などを解消する形で。

そのためにも、地球の環境を悪化させ、人類滅亡の危機につながるような原子力産業は民間、軍事ともになんとかしなくてはならない。

原子力の廃絶というのが絶対に必要だというのは、最近、秋葉忠利さんが書き手の一人であるブログを愛読するようになって、新たに確信するようになった。とても共感している。
初めはこのブログの注目記事の書き手が「前広島市長」だとは知らずに読んでいた。

ぶれない姿勢には信頼感をそそられる。
かっこいい。

やはり毎日読んでいる澤藤統一郎さんのブログもそうだけれど、今、70代半ばの世代のブログの説得力に感心している。

私より10歳くらい上のこの世代は、いわゆる団塊の世代よりは少し上で、60年安保と70年安保の狭間に「大学生」だったので、ある意味半端というか、中間管理職っぽいイメージがあった。東大闘争のリーダー的存在だった山本義隆さんとかも、当時は、やはり研究者として中途半端に「体制側」にいた後ドロップアウトしたかのようなイメージがあった。

でも、今になって、山本さんもそうだけれど、澤藤さんにしても秋葉さんにしても、ずっと信念を貫いた生き方をしていると分かる。

自分の利益や権力や地位や金や名声を求めて発言してきたような人たちは70代ともなるともう「功成り名を遂げ」てリタイアしている率が高いし、普通に考えてもう「野心」や「承認欲求」にかられて意見を述べるということはない。
もちろんトランプ大統領のような人もいるわけだけれど、そういう人は、もうそれを隠さない。
逆に言えば、70代になっても、個人の利害を超えた信念や原則を貫いている人は「本物」だと確定する感じだ。過去の実績もはっきりしている。

いわゆるインターネットの世代ではない彼らが、こうやってネットで発信してくれることはとてもありがたい。親近感さえ覚える。

不思議なことに、同じようなタイプの女性のブロガーにはまだ遭遇していない。
女性でこの年代で刺激的な論考を発している人はフェミニズム色があるような気がする。
まさにこの年代だから、これまでに、女性差別などのデメリットに遭遇してそれと戦っていくことが生き方に組み込まれているからだろうか。

そう思うと、信頼できる年配の男性の情報発信者がこうして信念を曲げずに戦い続けてこられた陰には、家庭を守ってきたり、家事育児を引き受けたり、夫の心身の健康管理をしてきた夫人たちがいる可能性が大なので、結局は、彼らの歩みは二人三脚なのかもしれない。

フランスでも女性論客は本人に安定した職や経済力があって、夫や子供がいる場合でも、家事や育児を外注できるという人が多い。今まで何度も書いたが、プロテスタントの男女家事分担文化と違って、保育園にしろ、乳母にしろ、家政婦さんにしろ、ベビーシッターにしろ、家族以外の手を借りることへの罪悪感がない社会だからだ。

(ちなみに、私のこのブログの上に、時々、「よく似たブログ」というのが出てくるので、好奇心でたまにクリックするのだけれど、写真ブログが多くて驚く。「外国暮らし」の女性ブログや猫写真のブログというのはまあ共通点が分かるけれど、ケーキのレシピがたくさん出てくるブログが出てくることもある。いったいどういうリサーチでこうなるのかなあ。)
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# by mariastella | 2017-02-28 00:19 | フランス

ル・ペン、バイルー、メディ・メクラット

また、寄り道。

マリーヌ・ル・ペンのベイルートでのイスラム・スカーフ拒否や、バイル―とマクロンの共闘についてさらにいろいろな記事などを読んだ。今朝26日にバイル―のインタビューも耳にした。

ル・ペンについては、極左のメランションが評価したのは極右の取り込みに必要だとか、あれはレバノンのムスリムに向けた言葉ではなくて、ただフランスでの自分の支援者に向けたパフォーマンスだとか、ローマ教皇に会うんだったらヴェールをつけるにちがいない、とか言われていた。

EUの公金疑惑問題が露わになればなるほど支持率が上がるというのは、トランプの暴言が全くマイナスに働かなかったのと似ている。

バイル―とマクロンについては、「地に足がついていない」感じのマクロンに対して「地に足のついた」地元の基盤があり実績もあるバイル―が並ぶことがかえってマイナスになる、マクロンの売りはそのヴァーチャルさと若さなのにその両方ともダメージを受ける、という意見もある。
まあ私のように、バイル―のおかげでむしろ信用が増したと感じる人も多い。

そしてバイルーは、「大統領になる」ことを想定する候補者というのは、大統領の役目が「公正(司法)を守ること」、「つまり司法のシステムや現在の制度、メディアの表現の自由を守ることだ」と言う。これは、事情聴取に応じないル・ペンや、スキャンダルはメディアの陰謀だ、司法も先入観を持っていると居直るフィヨンらを批判しているわけだ。

この辺も、「メディアは人民の敵」みたいな暴言を吐いているトランプ大統領のことも意識しているのだろう。

そのほかに、SNSについて考えさせられる話題があった。それは、いわゆる移民の子弟のゲットー化していると言われているような地域の24歳の若者メディ・メクラット、しっかりとした知見をブログで展開し、他のメディアにも取り上げられて、「当事者の星」のような扱いで共和国主義の成果、若い世代のムスリムに期待できる希望の存在として人気を博していたという青年の話だ。何しろ一流の出版社(le Seuil)から本まで出しているし、様々なディベートに招待される常連だった。この人が、実は、別のハンドルネーム(マルスラン・デシャンというフランス人っぽい名)を使って、政治家矢シャルリーエブドを(実際のテロの前から)誹謗し首を斬るといったり、ユダヤ人、同性愛者、黒人にもひどいヘイトスピーチを2015年まで延々とtweetしていたことが明るみに出た。
本人もそれを認めて、あれは自分の中のもう一つの自分、悪の声、ジキルとハイド、と居直っている。過激がどんなものなのか、挑発して試してみたかったと言ったり、二重人格だと言ったりもしている。彼を持ち上げていたメディアにとってはすごいショックだった。

今の世の中、市井の名もない青年がブログ一つで、寵児になることもできるし、一方で匿名に隠れてどんな醜く下品なことでも堂々と書き散らすことができるのだと今更ながら驚く。せっかく一方で社会的に認知されたのだから、リスク管理というか、tweetを完全に消去するとか、メディアの視聴者が期待することだけを発信するにとどめるとかで満足できなかったのだろうか。

だれでも本音と建て前というのがあるのはもちろん分かるけれど、例えばヘイトスピーチはれっきとした犯罪だし、たとえ本音で思っていてもそれを口にしたり文字にしたりするどのような必要があったというのだろう。見たところはいかにもそこいらの「当事者」で、麻薬のディーラーになったりジハディストになったりしても不思議ではないという偏見で見られる「タイプ」である。だからこそ彼の発する知的で建設的な言葉が高く評価されていたのだ。
(今は一転して、不当に攻撃されて身の危険を感じるから一時フランスから出る、と言っている。差別されている側に落とし込むつもりなのだろうか)

「フランス語」一般に言えることだが、フランス語というのはその気になれば、だれでもしっかり内容のあることが言える言葉だ。いつも感心するのだけれど、いわゆる知識人などは当然としても、テレビなどに出てくる「一般人」の体験談などでも、中高生から超高齢者まで、理路整然と分析したり判断したりしている。スポーツ選手などもそうで、今朝も21歳のサッカー選手がラジオで延々と、すごく論理的で説得力のある発言をしていた。

日本だとスポーツ選手は「お相撲さん」を筆頭になんとなく口数が少ない、というイメージがあるし、口数が多いものは軽薄だととられることすらある。

それこそ今はSNS文化によって変わってきたけれど、手紙ひとつ書くにも、気候の挨拶みたいなもので雰囲気を作ったり、相手との年齢を含めた上下関係の枠をまずはめたりと「本題」の部分への切り込み角度が鈍くなる。

私自身もフランス語で書いたり話したりするときの方がずっと楽に言いたいことのエッセンスを言える。このブログには「想定読者」がいないので楽だけれど。

(でもこう毎日書いていると、近頃「ブロガー」さんになったような気がしてきた。よく見ると、毎日更新をしている人も少なくないし。で、たいていの人は、どの記事にも整合性があるというか、ぶれない。そんな安心できるブロガーさんが他のハンドルネームで差別や憎悪を吐き出しているというのがもし分かったら、やはりショックを受けるだろうなあ。ハイド氏は内輪で飼い殺ししておいてくれないと困る)
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# by mariastella | 2017-02-27 01:46 | フランス

フランスとイスラム  その5

これは「フランスとイスラム その4」からの続きです。

フランス国内の過激派にとって強力な味方とはCCIF(Collectif contre l’Islamophobie en France)というフランスにおけるイスラモフォビー(嫌イスラム)を告発するグループだ。

もとは、エジプトでのベースを失ったムスリム同胞団のコアはトルコに移ってきていたが、彼らにとってもヨーロッパは格好の戦略目標に映った。

七三二年にポワティエの戦いでシャルル・マルテルに阻まれてピレネーを越すことができず、その後レコンキスタによってイベリア半島からも撤退し、一六八三年には第二次ウィーン包囲でヨーロッパの神聖同盟に破られて、領土の割譲を強いられたイスラムにとってヨーロッパへの進出の三度目の正直が二一世紀の今だ、それは武力でなく説教による改宗への導きだから成功するだろう、と衛星テレビ「アルジャジーラ」で語ったのはムスリム同胞団のユセフ・アルカラダウィだった。

そのためには、ヨーロッパのムスリム共同体に働きかけて、彼らを「侵略者」ではなくて「犠牲者」に仕立て上げることが必要だった。
ISによって植え付けられる「攻撃者としてのイスラム過激派」のイメージを逆転して、ヨーロッパのムスリムは非ムスリムによる差別の犠牲者であるという演出がなされる。

その成功例のひとつが2016年夏のニースのテロに引き続いて起こった「ブルキニ」事件であった。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-26 00:58 | フランス

大統領選に変化。マクロンとバイル―が組む。

寄り道、第三弾。

フランス大統領選がおもしろくなってきた。

中道モデムのフランソワ・バイルーが、なかなか出馬を発表しないと思ったら、マクロンを支援することを決めたのだ。これで、マクロンは中道左派というより中道認定。

しかも、最近のマクロンは何かあやしかった。
アルジェリアの植民地政策が人道に反する罪だと言ってアルジェリアからの引揚者たちからのヒステリックな抗議を受けたり、彼のミーティングの演出の内幕(盛り上げ要員を募集してスマホで「ここで拍手、ここでこう叫ぶ」などと実況指示してそこだけにスポットライトを当てていた)を暴露するyoutubeが出回ったり、前に声を嗄らして叫ぶのがどこの生き神さまですか、という感じで揶揄されていた。

今まで議員になったこともなければ「政党」にも属さずに拡大するファンを連れてあちこちでミーティングする様子が「キリスト的」だとも言われた。最新の『シャルリー・エブド』の表紙には十字架に架けられたマクロンが「私はあなた方を愛している!」と叫んでいるカリカチュアだった。

こんなことをいうと悪いが最近のマクロンはキリストというよりサイコパスみたいでどこか気味悪かった。

ところが、昔はどもりがちなことを揶揄されていたけれど今やすっかり安心できるおじさん風になったバイル―がマクロンと並ぶと、なんだか、中和されていい感じだ。酸いも甘いも嚙分けたベテランの苦労人のおとうさんが血気にはやる息子を頼もしそうに支えるイメージ。
これとか、これとか。

南西部ポーの市長として人気のバイル―だから、アミアン出身のマクロンを支えるにあたって、「セーヌより北ってことはちょっと、なんだけど、彼のおかあさんは南の出身(ポート同じくピレネーあたり)だから」などと付け加えていたのもおもしろい。この人が言うと何かほっこりする。昔はもっと悲愴な印象もあったのだが。

マクロンがフランス的だと思うのは、「集団の知性に訴える」と連呼しているところだ。
この辺が反知性主義のポピュリズムと違うし、フランス人というのは、一般に、「知性的(に見える)な者」に弱い。今日はフランス映画のセザール賞のセレモニーの日だが、アカデミー賞やなんかの作りとは決定的に違うスノッブさがいつもある。

だからこそ、トランプ大統領を評価する極右のル・ペンですら、言い方にも物腰にも、細心の注意をはらっている。

このフランス人の「エリート・コンプレックス」みたいな上昇志向が完全に崩れたのは10年前のサルコジの登場だった。「コンプレックスを吹っ飛ばす」サルコジは、これまでのフランス大統領なら絶対に口にしないような言葉を使った。

これでよく通用するなと思っていたが、さすがに再選されなかったし、今回も予備選で落ちた。

さて、バイル―に続いて、緑の党のヤニック・ジャドも、出馬をやめて社会党のアモンの支援に回ると言った。緑の党はこれまでずっと独自候補を立ててきたから、この方が実は、今の時代の危機をよく反映していて重要なことかもしれない。

ジャドとアモンは今年50歳の同い年だが、この2人も、アモンがなんとなく人相が悪いのに比べて、ジャドは信頼できそうな感じのいい兄貴分のように見える
緑の党への投票予想はもともと2 %くらいなので大きな追い風にはならないだろうが、こちらも中和していい感じになった。

極左に位置するメランションが彼らに合流する可能性は少ないが、メランションは癖があって濃すぎるので、ジャドやアモンと並んだら、絵的にはかなり微妙だ。

共和党のフィヨンは合法だとしても結果的に妻子に利益供与をしていたので、EUの金を党の資金に回していたル・ペンよりも苦しい立場に立ったままだ。彼の、篤実で信頼できるというイメージを自分で裏切った形だから、なんだかだんだん見苦しくなってきた。

でもある社会党の政治家(ヴァルスを支持していた)が、自分はアモンの政策に賛同できないところはあるがもちろん応援する、投票は心でなくて理性でするものだ、感情によらないで信念によらなくてはならない、と強調していた。

トランプ効果、というのを感じる。
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# by mariastella | 2017-02-25 03:43 | フランス

カリスマ司祭が結婚で教区を離れる話

昨日に続いてさらにもう一つ最近気になった話題で寄り道。

リヨンの名物司祭ダヴィッド・グレアが結婚する。

先週の日曜日、彼の教区サント・ブランディーヌ教会のミサに、彼は姿を見せず、代理の司祭から彼の手紙が読み上げられた。

45歳のグレア師は、栄光という名のロックグループを率いて「ポップ賛歌」というコンサートツアーによってフランス中に知られていた。いろいろな映画にも司祭役で出演している。
2000年に29歳で叙階され、21世紀の福音宣教について大いなる情熱を燃やしていた。

毎週の教会は満員状態で、人々は歌と音楽と喜びとエクスタシーの混ざったような盛り上がりを見せていた。

彼の「説教」の一例はこんな感じ。(雰囲気だけどうぞ)(この説教の感想はというと、うーん、よくできてるし彼の思い入れが伝わってくるし、この説教に感動してからこの教会を後にする人の人生は、少なくとも入る前よりも悪くはなっていないだろう。他の人の人生をより害するということはないだろう。ここで説明されるヤコブの話についてはいつかまた書いてみたい)

これは彼のミサでの演奏の様子。主の祈りが歌われ、若者たちが恍惚となっているのが分かる。


いわゆるカリスマ司祭であり、福音派のメガチャーチではないが、こういう個性的な人のパフォーマンスがないと、今どきの若い人の心をとらえられないのかもしれない。

私は何にしろ「集団の熱狂」というものが苦手で、特にそれを外から見ていると全く共感に向かわない。むしろ警戒してしまう。

でも、グレア師のような雰囲気で、ファンに囲まれていたら、いつかしかるべき女性とめぐりあって結婚へと向かうというのは、不思議なこととは思えない。

彼はその女性と暮らすように「神から呼ばれた」という表現をした。

司祭でいることの歓びと結婚する望みを教会の中で両立できるか模索してリヨン大司教バルバラン枢機卿に相談した。枢機卿は、教皇に会うようにとアドバイスした。

実際グレア師はバチカンでフランシスコ教皇に会ったという。教皇はやさしく耳を傾けてくれ、彼の模索が理に適っていることを評価してくれた、らしい。

枢機卿は教皇と話し合い、グレア師に少し時間をおいてじっくり考えるように、識別の時間を持つようにと言った。

結局、愛する女性と暮らすことを神に促されたと感じて、結婚を決めて、教区を離れることを選んだ。復活祭前の四旬節が始まる前にと思ったのかもしれない。

上にリンクした説教の終りに彼は創世記の一節(28-15)を引用している。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

これはヤコブの夢の中にでてきた神の言葉だが、グレア師も「神に見捨てられない」ことを知っているのだ。旧約の神というと嫉妬深く怒りっぽいイメージがあるが、この神の言葉は確かに心強い。

「司祭」であることは聖霊による聖別だから取り消されないが、「職務停止」ということになる。これからもロックグループで歌って福音宣教するのだろうか。

新司祭は9月に任命される予定でそれまではリヨンのカトリック大学付きの司祭が代行する。
3月5日には枢機卿が来て教区民に話すという。

信徒たちとあれだけ熱烈な関係にあった人だから、グレア師にとって最大の「罰」は手紙ではなく直接彼らに説明できなかったことだろう。

カトリック教会の司祭の独身制が固まったのは1139年の公会議のことだった。
中世の間は、あまり深刻な問題ではなかった。当時の司祭のほとんどは農村部にいたわけで、普通に同棲して子供も育てていたからだ。問題になったのは、プロテスタントの宗教改革の後でカトリック教会が態勢を立て直し、「神学校」を作って厳格なカリキュラムを組むようになり、独身制を守っていた都市部の宣教師らが農村地帯に送られるようになってからだ。

それでも20世紀のフランスの田舎には、身の回りの世話をする「家政婦」と公然と暮らしている司祭がいた。

20世紀には他の「妻帯司祭」もカトリック教会に流入した。ポーランドなど旧共産圏で無理やり妻帯することになった司祭たちの受け入れや、女性司祭の解禁に反対してカトリック教会に合流することを望むイギリス聖公会の妻帯司祭などだ。
また、グレア師のように、恋愛して結婚する若い司祭もいたが、若い司祭が激減するフランスでは専属司祭のいない教会がたくさんできて、需要が供給をはるかに上まっているから、なかったことにしてそのまま教区司祭を続けるケースもあった。
信者のメンタリティも変わったから、プロテスタントの「牧師夫妻」のように司祭のカップルを受け入れているところもあった。

それに、映画『沈黙』ではないが、形だけ踏み絵を踏んでも信仰が消えるわけではないように、妻帯司祭もほとんどの場合、結婚したからといって「信仰」を捨てたわけではないし、司祭を「天職」と感じ続けている人が大部分である。信仰があるからこそ、ちゃんと結婚して添い遂げようと思っているわけだし。

フランスには妻帯司祭の家族の互助会も存在する。
しかし、こういうカップルで後で離婚するケースはどのくらいいあるのだろう。
もちろん結婚に当たっての覚悟が普通とは違うだろうからかなりがんばると思うけれどゼロだとは思えない。本人や妻の浮気だとか、愛が冷めるとか、などの場合も罪悪感などが半端ではないに違いない。でも一信徒として司祭に告解を重ねて解消できているのかもしれない。

結婚に後悔することは?

うまくいっている人の証言しか読んだことがないので分からない。

リアルではもう40年近く前に、日本人の奥様と東京で暮らしているフランス人の元司祭夫妻と食事をしたことがあるが、その時はとても突っ込んだ質問なんかできなかった。

リヨンのバルバラン枢機卿は、司祭の小児性愛事件を厳しく扱わなかったことなどでさんざん叩かれたところだし、なんだか気の毒だ。

ラジオでパリ大司教ヴァントトロワ枢機卿がこの件についてインタビューされて、やはり元気のない声で、

「いや、問題は独身制でなく、約束に忠実であるかどうかなのです」

と答えていた。

今のカトリック教会では司祭になる時に独身でいることと、司教に服従することのふたつを約束することになっている。
修道会に入る人は、「清貧、貞潔、服従」の誓いを立てるが、司祭は厳密にいえば「結婚」さえしなければ「貞潔」の方は「約束」したわけではない。
それはまあ基本的に「結婚」以外の性的関係が最初から「想定外」であるからだ。

チベットのお坊さんたちの「授戒」の時に、結婚どころか、女とも男とも動物とも性的関係を持たないとされるのと比べると、カトリックって以外に「お花畑」?

いや、独身制の確立までにはいろいろな段階があって、最初はすでに結婚していたり同棲したりしている人は問題ないとされたり、禁欲すればOKとされたりの時代もあって、「人間が創りあげていくシステム」の複雑さを反映しているだけだ。(下にリンクしたディドロの記事に詳しく載っていて興味深い)

でも今や60歳以下のフランス人司祭は絶滅危惧種と言われている時代なのだから、今こそ、250年前に百科全書でディドロが述べている司祭の結婚のメリットを考え直す時代かもしれない。
司祭は平均の男よりも「いい夫」で添い遂げる確率が大きいから、幸せな妻が増える。安定した夫婦に育てられる敬虔で善良な子供が増えるし、家族がみんな信者になるのだから信者も増える。司祭の性的フラストレーションによる問題も減る。独身であることに耐えるよりも、妻や子供から来るプレッシャーに耐える方が人間が鍛えられる…etcで、想定される反論にもいちいち答えている。

あ、でも、百科全書はクレメンス13世によって1759/3/5(ディドロのこの記事は1752)に禁書目録に入れられたんだから、無理かも。(禁書目録システムは実効の意味がなくなったので1966年になくなっているけれど、これらの本は一応注意してくださいね、というニュアンスは残された。でも、考えてみると、禁書目録と言っても、いったん禁書にされたコペルニクスやガリレイの本が禁書を正式に解除されたりしているので、禁書があった時代のローマ教会もそれなりに良心的。)

なんにしても、司祭から相談されると司教は見て見ぬふりはできない。
しかも、いろいろ「不都合」なことをつい曖昧にしておいたり世間の目から隠しておいたりする体質を放置すると、小児虐待司祭のような重大なケースも出てくるわけだ。
司祭たちの恋愛や結婚も犯罪も全部まとめて監督責任を負わせられる気の毒な司教たちにも神からの「福音」がちゃんと届いていることを信じよう。
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# by mariastella | 2017-02-24 00:09 | 宗教

レバノンでイスラム・スカーフを拒否したマリーヌ・ル・ペン

連載中の「フランスとイスラム」はまだまだ延々と続くのだけれど、このところおもしろいニュースがありすぎるので少し寄り道。

その一つは、ただいまフランス大統領選キャンペーン中の極右FNの党首マリーヌ・ル・ペンがレバノンを訪問して、火曜日にベイルートのモスクでスンニー派のトップであるグラン・ムフティと会見する前に、スカーフで頭を覆うことを拒否したニュースだ。

彼女はエジプトで2015年5月にやはりスンニー派のトップと会見した時にもイスラム・スカーフを強要されなかったことを根拠にして拒絶した。

彼女は前日にそのことを伝えてあり、返事がなかったので問題ないと思った、と言い、ムフティの側はスカーフ着用は義務であることを伝えてあると言い、くいちがっている。

レバノンはもともと中東の真ん中に、英仏が「キリスト教の飛び地、緩衝地帯」として人工的に国境線を引いた国だが、今はイスラム勢力の方が強い。

ル・ペンは、公立学校や役所だけではなく公共の場所でのユダヤの帽子のキッパやイスラムスカーフの着用禁止の法律を提唱しているぐらいだから、彼女のこの「毅然とした態度」には、FNの支持者からは好意的に受け止められた。「フランスと全世界の女性に向けた自由と解放の素晴らしいメッセージだ」と、マリーヌの右腕であるフロリアン・フィリポがすぐにTweetした。

マリーヌは、自分はイスラムに偏見を持っているわけではない、イスラム過激派と戦うだけだ、グラン・ムフティへのリスペクトの気持ちは変わらない、と弁解した。

ううーん、わざわざイスラム圏の国に出かけて行ってしかもその宗教施設でそこのトップに会うのだから、向こうの習慣をリスペクトするのは当然だという気もする。ただし、仏教寺院で靴を脱げといわれれば、男女とも同じだし、床を汚さないという礼儀もあるからマリーヌも従ったと思う。モスクで女性だけが髪を覆うことは、衛生上の理由も考えられない。

このことについての私の個人的感想については前にわりと詳しく書いたことがある。
そちらの記事をまず読んでほしい

数年前にプラハのシナゴーグでの体験から感じた本音だ。

私は前にマリーヌ・ル・ペンだけは、「女性政治家」のステレオタイプに入れられない特異な存在だということも書いたことがある
しかし、確かに、モスクの中では、彼女は「政治家」である前に「女性」認定されるのであり、向こうが求めるそのアイデンティティに課せられる規則を受け入れないのなら、拒否される。

いや、ニュアンスは少し違うかもしれない。ヴェールを被ることを拒否したのはマリーヌで、彼女はかぶり物のない頭のまま突破しようとして排除されたのではなく自分から出て行った。

この段階では彼女は別にフランスの外交官でもないし、いわゆる公式訪問というわけでもない。

だから、彼女のとった行動自体は日頃の主張と整合性がある。
こういうケースを想定してわざと仕掛けた、というよりは、かぶり物のない頭でモスクの指導者と会見している写真をねらっていたのかもしれない。

後日談をもう少し観察していきたい。
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# by mariastella | 2017-02-23 00:39 | フェミニズム

フランスとイスラム  その4

どうしてフランスの対テロ諜報機関がインターネットによる第三世代ジハードを監視していなかったかというのはいくつかの理由がある。

その一つはアラビア語のメッセージを読まなかったからだ。

もう一つは、1995年以来フランスではジハディストのテロが起こっていなかったからだ。

諜報機関はいくつかのモスクで要注意イマムの話をチェックはしていたが、真剣には憂慮していなかった。ジハードは上からピラミッド型に浸透していくものだと考えていたからだ。デジタル革命、SNSによる煽動の拡散を想定しなかったから10年の遅れが出たのだ。

監獄に3,4年入って出てきたジハディストがヒーローのようなオーラをもって、それまでイスラムについて何も知らないゲットーの「不良」たちに、彼らがゲットー化したシテに追いやられているのは不信心でイスラム嫌いな社会のせいであり、ジハードによってそれを解消できると説いたのだ。

監獄はイスラム過激派にとっての「エリート」コースとなっていた。
その実態が長い間看過されていた。

メラーの起こした事件は、精神状態が異常な男が単独で起こしたアクシデントなどではなかった。
彼らは彼らの「論理」に従って行動している。
その「論理」を分析することは可能だ。

しかしそれには最低のイスラム=アラブ文化の知識が必要である。

彼らの目標ははっきりしている。住民を脅かすこと、標的を殺すこと、そのことで他の過激派ではないムスリムを刺激して共同体意識を高めて後に続かせることだ。

けれども、この最後のものは難しい。

なぜなら、シリアやイラクにテリトリーを得て挑発するISは、多くのムスリムに憎まれているからだ。ISが誇示する蛮行は逆効果だった。そこに、強力な味方が現れる。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-22 01:41 | フランス

フランスとイスラム  その3

ここからはしばらく、政治学者ジル・ケペルが『シャルリー・エブド』No 1276(2017/1/4)に載せた記事を要約する。

2012年3月にメラー事件というのがあった。フランスとアルジェリアの二重国籍マオメッド・メラーという23歳の男がトゥールーズで次々と軍人を殺した後でユダヤ人学校を襲った事件だ。

この事件は第三世代のジハディストによるテロの発端だったのだが、当時大統領選を控えていたフランスでは、一匹狼の特殊な事件だと考えられていた。

その初めは、2005年の1月にシリア人のアブー・ムスアブ・アルスリーが、西洋世界に対する攻撃を呼びかけて、西洋世界のアキレス腱はヨーロッパだと断定した。

それまでのアルカイダは、ビン・ラディンのようにアメリカを狙い、アルジェリアやアフガニスタンというようなイスラム国にジハードを仕掛けた。第三世代というのは、それがインターネットを通した呼びかけであったからだ。どこにいても、今いる場所で「殺す」こと、それによってパニックを誘発し、特定の場所の戦いを内戦にまで広げていくのが「戦略」だった。

ところが、その2005年から、メラー事件の起こった2012年まで、フランスの対テロ諜報部門はこの変化を全くとらえていなかった。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-21 00:14 | フランス

フランスとイスラム  その2

次に、フランスのイスラム過激派対策を誤らせた「イスラモフォビー」(イスラム嫌い)というコンセプトについて。

イスラモフォビーは「一部の過激派やテロリストとフランスの穏健なムスリムを混同するな」という言い方によって、実は巧妙に「イスラム批判」と「ムスリム差別」を混同している。
この二つは別物だ。健全な宗教批判は表現の自由に属するが、ある宗教に属する人をまとめて批判するのは「差別」という「法的な罪」を構成する。

宗教は批判の対象となる。宗教とはシステムであり、逸脱することもあるし、権力によって取り込まれて利用されたり変質したりもするからだ。

宗教は文化現象の一つでもあるから、ある宗教の価値観が他の文化圏の価値観とは合わないことも当然ある。イスラムの価値観がフランスの共和国の価値観と合わないと言って批判することは自由だ。

けれども、ある人がイスラムに帰属しているからといって偏見を持ったり、蒙昧だと言ったり、アラブ風の名や風貌を持っているというだけで差別することは、それこそフランスの価値観に反する「罪」である。

ある国の指導者のやり方やイデオロギーを批判することは健全だが、その国のすべての国民をまとめて中傷するのはヘイトスピーチである。

ある人がある国に生まれることは選択によるものではないし、イスラムの場合はムスリムの父を持つ子供は自動的にムスリムとなり、棄教は死に値するとされているのだから、これも選択の余地はない。

ニーチェはユダヤ主義を激しく批判したが、ユダヤ人差別主義者ではなかった。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-20 01:32

ポピュリズムと妊娠中絶とキリスト教の関係

月イチ更新の健康ブログに、近頃の欧米のポピュリズムが「人工妊娠中絶」の合法化や改正などについてうるさく言っているのを見てちょっと書いておこうと思ってアップしたのですが、結構長くなったし、このブログにも書いたテーマとつながっているので紹介しておきます。

この記事です。

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# by mariastella | 2017-02-20 01:31

フランスとイスラム  その1

フランスとイスラムについて前にもう書いたことがある。この記事ではエマニュエル・トッドについても すでに批判している。

これからしばらくこの話について書く。
どうしてトッドのような誤りが生まれたかについてもゆっくり書いていく。

その前に少し概論をして、さらに、アルジェリアのジャーナリストで作家のカメル・ダウードによる2012年から2015年にかけての記事の抜粋を訳する。この人の新しい本が2/15に発売されたばかりだ。

ヨーロッパでイスラム過激派によるテロが頻発するようになったのは、いくつか理由がある。

まず、油断していたこと。

アルカイダはアメリカを標的にしていたし、アフガニスタンやアルジェリアの過激派はイスラム圏でテロを展開していた。フランスでは1997年以来、テロがなかったこともあり、ヨーロッパは別だと思っていたのだ。

イスラム過激派とイスラムのイデオロギーの区別がつかなかった。
というより、イスラムは政治の次元を包含した宗教だという認識によるリスク管理がなかった。

キリスト教はもともとローマ法が制定されていた場所に生まれた政教分離的な宗教だった。
いや、もっと言えば、ユダヤ教がアイデンティティになっていた社会で生まれた非宗教的な教えだった。その後のヨーロッパでは、キリスト教が政治にも軍事にも取り込まれてしっかりと社会の全体主義的規範となったのは事実だ。けれども、ルネサンス、宗教改革、近代革命などを経て、「宗教としてのキリスト教」は限りなく弱体化した。

残ったのは、「伝統儀礼としてのキリスト教」「民間信仰としてのキリスト教」と、キリスト教の基盤である福音にある「自由と平等主義と平和主義」が世俗化した西洋近代普遍主義の価値観である。

「宗教としてのキリスト教」は「信教の自由」の項目の中でのみ存続を許され、キリスト教もそれに適応してきた。

そんな社会にイスラム教が入ってきた。多くは、北アフリカのマグレブと言われる旧植民地(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)からの移民による共同体によるものだったけれど、1960年代以降に、ナーセル大統領の暗殺を謀ってエジプトから追われたスンニー派のイスラム主義(シャリーアによる法治国家の設立を目指す)組織ムスリム同胞団がやってきた。
一部はエルドガン政権のトルコにも亡命したが、ヨーロッパにやってきた彼らは、ヨーロッパにイスラム法治国を打ち立てることを計画した。
もともとイスラムは成立において宗教と政治と軍事が一体化したものだ。異教徒を改宗させてイスラム法による統治を広げる原則を推し進めるグループは、「三度目のヨーロッパ陥落」を目指した。
イスラム勢力は、ヨーロッパでは七三二年にポワティエの戦いでシャルル・マルテルに阻まれてピレネーを越すことができず、その後レコンキスタによってイベリア半島からも撤退したし、一六八三年には第二次ウィーン包囲でヨーロッパの神聖同盟に破られて、領土の割譲を強いられた。三度目の正直が二一世紀の今だという。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-19 03:02 | フランス

ウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』(2007)

おしゃれな映画だという評判だったが、ちょっと違うかもしれない。

3人兄弟の造形がユニークなのは確かだ。包帯だらけの兄、いつもアイマスクはつけるがズボンなしで寝る長身の弟、小柄で濃い感じの末弟。アングロサクソンっぽいオーウェン・ウィルソン、東欧系ユダヤ人っぽいエイドリアン・ブロディ、ラテンっぽいジェイソン・シュワルツマン(名はドイツ風だけど。この人は私の昔のピアノの生徒そっくりだ)、とても父母を同じくする血のつながった兄弟には見えなさすぎる。

兄が、インドの長距離鉄道に乗るスピリチュアルな旅を弟たちに提案し、「a,b,c」と項目を並べながらするべきことを指示するのだが、最後の方で、ヒマラヤの修道院で孤児を世話しているエキセントリックな母親が、同じように「a,b,c...」と数え立てるので、ああ、この長男は、スピリチュアル好き(クジャクの羽を使った儀式など)も、こういう話し方も母親譲りなんだなあと分かる。

死んだ父親は、車だとか、サングラスだとか、ベルトだとか、多くのトランク(ルイ・ヴィトン)などの小道具を通して息子たちに影のようにつきまとっている。撮影の年のこの3人は、40、35、27歳くらいでかなり年が離れている。

ダージリン鉄道の汽車の小宇宙もおもしろいし、広がるインドの風景ももちろん興味深い。

寓話か不条理劇みたいで、大きくは、イニシエーションがテーマなのだろう。

それぞれエゴイスティックに生きていた兄弟たちが、長距離列車の客室に閉じこめられて、いろいろな感情の対立やすれ違いがある中で、共に列車から降ろされたり、川に落ちた少年たちを助けたり、助けられなかった一人の葬儀に参加したり、母親と再会したりするうちに、3人の絆と信頼感は深まる、という話なのだけれど、「いい年をした男たちが…」とつい思ってしまう。
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# by mariastella | 2017-02-18 05:53 | 映画

『沈黙』をめぐって その11

映画『沈黙』をめぐっていろいろ書いてきたけれどどこまで何を書いたのか分からなくなったので、ここでいったん停止することにする。
今執筆中の本のテーマと重なっているのでよけいに頭の中でまざってしまった。

本に書いていることの一つは、殉教における自由の問題だ。

以下、それについての一節をここに要約コピーしてこのテーマは終わりにする。

迫害に耐えた「殉教者」たちの多くは「宗教としてのキリスト教」に殉じたといえるだろう。理性で納得して洗礼を決意しキリスト教を実践した人々には、時代の空気が変わってからも、「大義のために死ぬ」という美学を貫くことを余儀なくされた場合があるだろう。宣教師の多くは自分たちの「羊」である信者たちへの責任を感じ、家族や臣下にキリスト教を勧めた武士たちにも義理が生じ、先行するキリスト教のイエスの受難や殉教聖人の後に続くという決意があったかもしれない。
「確証バイアス」をもって日本にやってきた宣教師はともかくとして、「形だけの棄教」にも応じなかった信者を支えていたのは「信仰」よりも「狂信」に近い原理主義的確信であったかもしれない。それは迫害者側も同じことで、人はそれぞれの「大義」のために殺したり殺されたりしていた。 

殉教者の中には、原理主義的な偏狭の罠に捕らえられたり、「義に殉じる」「誓いに殉じる」という原則を貫いたりしたのではなく、純粋に「愛」のために死んでいった人々がいる。

殉教を覚悟で、むしろそれを大いなる恵みとして意気高らかに喜びのうちに死んでいった。日本の場合も、死を前にした宣教師らが本部に送った手紙の中には、熱烈な愛の歓びと勝利を謳ったものがある。これは、神が「受肉」して人として苦しんだイエス・キリストとの「関係」の上に立つキリスト教の特徴の一つかもしれない。彼らは、「狂信」や「原理主義」や「宗教」のためにではなく、ただ並外れた「イエスへの愛」のうちに死ぬ以外の選択肢がなくなっていたのだ。このことは、「忠義」のために命を捨てるという文化の日本社会に「愛のために命を捨てる」という新しい地平を開いた。

そのこととも関係しているのが、貧しいキリシタン村の指導者や、学のない庶民の殉教だろう。
彼らの多くが棄教しなかったのは、殉教を決意した親兄弟からの同調圧力のせいでもなく、宗教の原理主義的な教えに「洗脳」されていたからでもなく、「イエスへの盲目的な愛」のためだけでもない。多くの「庶民」に殉教の覚悟を促したものは、キリスト教の根本にある「自由」のメッセージだった。

イエスは「神の言葉」に依って立つユダヤ教の世界で生きていたが、いつしかその神の言葉が、形骸化し支配階級のツールとなり、偽善の足場となっていることを批判した。「神の言葉」や「律法」を司る階級が、それらを人々の手に届かない「聖なるもの」とすることで権威や権力や利益を獲得していたのだ。イエスはそれを批判した。神の言葉も律法も、人間のためにあるのであって、人間が神の言葉や律法のためにあるわけではない。神が人間を愛し、信頼し、何度信頼を裏切られてもまた愛したように、人も隣人を愛し、敵さえも愛さなくてはならない。

けれども、最初のキリスト者の共同体はすでに、個々の生き方よりも共通した「形」にこだわるという誘惑にさらされていた。パウロが割礼の有無についての議論の中で「わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。(ガラテヤ5)」と言っていることがその状況をよくとらえている。パウロは、キリスト教が「軛としての律法」から人々を自由にするために出発していると訴え続けたのだ。それは同時に、「律法遵守主義」の中に人質のように取り込まれている「神」をも解放することを意味していた。

日本の戦国時代から江戸時代初期までの動乱期において、農民の多くは、戦乱に巻き込まれ、土地や作物を略奪され、蹂躙されてきた。暴力の行使を裏付けとした支配構造のただなかにあった。そんな時に、人の世界の上下関係や差別構造をすべて超えた超越神が被造物であるあらゆる人々を愛していて、そのために「人が人を殺す」世界にあえて「独り子」を遣わしたという教えが入ってきた。

人は神の前に「平等」であり、神は人に各自(ペルソナ)の「自由」を与えたという。その神を信じれば、イエス・キリストによる救いにあずかれて、天国での永遠の命と安らぎが得られる。この世での差別や暴力に苦しみ続けるばかりであった農民や漁民らにとって、「キリスト教」ははじめて自分たちが個人として愛され救われるという希望をもたらせてくれるものだった。

キリスト教の信仰の中で、彼らははじめて「自由」を獲得した。彼らの共同体は共通の神を拝み、それ以外の権威を認めない、妥協しない共同体だった。拷問され、「形ばかりの踏み絵だから踏むがよい」などと言われても、踏み絵を踏んで失われるのは信仰ではなくて「自由」だった。

思えば、義のため、忠節のために命を捨てるという文化の日本においても、愛のために「心中」するというカウンター・カルチャーが存在した。
それも、社会の中で容認されない恋、恋を遂げるために必要な金銭が用意できないの末の心中である。

神に愛されていると知り、神の子キリストへの愛の中で「自由」を知った人々にとっては、「棄教」は信仰だけではなく自由を捨てることと同義だった。キリシタン大名の息子に生まれたわけではなく過酷な生を生きていた庶民たちは、はじめて人を平等に愛するという「主」、自分たちのために苦しくて屈辱的な死を受け入れたという「主」、その「主」への愛を通して主のもとでもう誰にも搾取されない永遠の生を得られることを知った。

このようにいったん自由と愛を知った庶民にとっては、棄教することは再び「奴隷の生活」に戻ることと同義だった。(・・・・・)
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# by mariastella | 2017-02-17 02:37

『沈黙』をめぐって  その10

映画『沈黙』の話に戻る。フランス語での「批評」で印象に残ったものを少し。

「日本に何年も済んだことがある」と称するフランス人が、この映画を見てショックだったというコメントを残しているのを見た。

「日本という国は全くこの通りで、信じられないような暗黒面を自然の美しさが隠している」というのだ。(日本で何があったんだ、このフランス人…)

リベラシオンだかの映画評では、

「この映画ではの信仰は、それを否定する相手に対してどれだけ抵抗できるか、ということに集約されていて、棄教するくらいなら他の人たちが殺されるのを受け入れる方がましだという、今なら〈狂信的〉と形容される態度に近い。日本人が、おびえて司祭にすがりつく者たちとサディックな審問官のどちらかに単純化されているのは弁証法的な視点が全くないひどいものだ。スコルセッシは17世紀の日本と同じように古臭い」

という趣旨のものがあった。

あるカトリックメディアのレビューではバチカンで教皇も含むイエズス会士のために特別上映した時のエピソードが伝えられる。

上映後に、日本人の残虐さと暴力についての話題になった。

その時に、フィリピンのイエズス会士の一人が立ち上がってこう発言したという。

「ええ、確かにこの時代の日本人は残酷にふるまいました。でも、当時、別の種類の暴力がアジア人に対して犯されていたのです。それは西洋が『真理』をもってきて、アジアの文化はよくないと言ったことです」

日本人はもしキリスト教を食い止めなければ政府も領土も彼らの本質も失うだろうと考え、自衛のために国境を200年閉ざしたのだ、とレビューは締めくくられている。

こういう時に、「カトリック大国」のフィリピン人でもやはりアジア同士の視点を持つのかな。
ということは彼らも「西洋」主導のカトリックの上から目線や、植民地とセットになってきた歴史を消化しきれていないのかもしれない、などと思ってしまう。

そういえば、『沈黙』の時代とちょうど同じころ、確かクロムウェルのアイルランド侵略があって、カトリックが半端でない殺され方をした。
それは一応「キリスト教」文化圏同士の内戦でもあり、民族的にも文化的にも、ヨーロッパと日本のような差がない。要するに、「宗教」はどこでも口実に過ぎなくて、覇権争いであり、政治の問題だということだ。
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# by mariastella | 2017-02-16 06:16 | 映画

閑話休題 トランプ大統領の握手とトルドー首相

先日フランスのTVのニュースでトランプ大統領と安倍首相の握手のシーンが映って、なんだかいやな気分になった。
トランプの握手の仕方についてはもうさんざん知られているのだから、何か対策を立てていけばいいのに。
相手の手を自分の手の上に載せるように手首を曲げるのは、宮廷ダンスなどで伝統的に男が女の手を取る形だ。
普通の握手なら手は縦になる。

いろいろ含意がありすぎ。

カナダのトルドー首相は十分対策を練っていたようで、フランスでも話題になった。日本語でもこういうサイトなどで見られるようだ。

で、共同声明の時も、トルドー首相が突然フランス語に切り替えて話しだし、トランプが少し驚いた顔をして、それを見たトルドーが「よろしければスペイン語で続けますよ」と言ったそうだ。スペイン語といったのはトランプのヒスパニック差別(メキシコとの壁やホワイトハウスのスペイン語ページの閉鎖など)を揶揄しているのだ。

トルドー首相は、フランス系の自分の父親が首相時代に根づかせた英仏2ヶ国語公用語制の存続に最初は積極的ではなく、そのことを批判されて謝罪したという過去がある。
カナダのやり方にはいろいろ思うところ(イヌイットへの差別など)もあるが前にこの記事にも書いたようにアメリカに対してはなかなかやるなと思う。

カナダとは普段から縁があるのでこういう時には気分がいい。

フランスは5月に選ばれる次の大統領までトランプとの会見はないのだろうか。フランス大統領がどういう握手をするのか見ものだ。

そもそも、アングロサクソンの握手とフランスの握手は全く違う。
アングロサクソンの握手はshake handsで手を握って振るようなシェイクだが、フランスの握手はserrer la mainで、強く握る、ワン・アクション、ワン・プレッションのひと振りで終わり。
長く握っているようなのは、ボンジュールといいながらの握手ではあり得ない。長いものは特別誰かを祝福したりなどの別の意味が生じる。

ほとんど写真撮影用の握手をしなければいけない政治家の会見など、ボディランゲージが見えすぎてほんとうに大変だなあと思う。
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# by mariastella | 2017-02-15 07:34 | 雑感

『沈黙』をめぐって  その10 番外: ル・ペンと猫

殉教のテーマで書くことがまだまだたくさんあり、その上、フランスとイスラムの関係、日本で読まれているエマニュエル・トッドのひどさなどについてもじっくり書きたいのだが今取り込み中で、ゆっくり書けない。

で、今日はちょっと寄り道して「猫」の話。

映画『沈黙』で、五島に戻ったロドリゴの目に移ったのはおびただしい数の猫ばかり、というシーンがあった。猫好きには印象的だ。

「フクシマの猫」のことも心をよぎる。

最近、猫についてショックなことというか、考えさせられることがあった。

サイトのフォーラムで、最近こんなことを書いた。

>>>猫飼いって、どんなに親ばかで自慢しても罪がない感じがします。猫を支配しているわけではないことが明らかだから…。
プーチンが猫を愛でている写真なんてあり得ないでしょ。クリントンもオバマもトランプも犬の「ご主人さま」だし。(007のボスが白いペルシャ猫を愛でていたのはある意味もっと怖いですが。)<<<

ところが最近、フランスの大統領選の第一次投票の一番人気である極右国民戦線のマリーヌ・ル・ぺンがとても猫好きであることを知った。

写真を検索してみると、父親のル・ペンも猫との写真はあるが犬との写真もある。いかにもという感じのものだ。

マリーヌと犬で検索しても出てこない。
猫との写真を見る限り、本気で猫好きのようだ。

犬好きの権力者のイメージを覆すための「演出」だとしたら驚きだけれど、まあそこまでする意味はないだろうと思う。
2015年のインタビューで、一番最近泣いたのは? と聞かれて、猫が犬にかまれて殺されたことを挙げ、それだけで目が潤み、私は猫かあさんだから、と言って、その後他の猫を守るために引っ越しまでした、と語っている。

前にこのブログでリシュリューの猫というシリーズを書いた。
考えてみると、リシュリューも権力の権化みたいな人だ。
そういえばカール・ラガーフェルドと猫についても書いた。こっちの方は排他的な一匹への愛なのでナルシストっぽい感じがするが…。

マリーヌ・ル・ペンって、不思議な人だ。
偏見を捨てて公平に見てもその政策はとても私には容認のできない者なのだけれど、猫かあさんって…親近感を掻き立てられすぎる。

同時に、犬好きがどうとか猫好きならどうとかなんて軽々しく口にしてはいけないんだなあ、と自戒させられた。
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# by mariastella | 2017-02-14 06:25 |

『沈黙』をめぐって  その9

スコセッシのインタビューの続き。(カトリック雑誌より)

--- 『沈黙』の最期にロドリゴの棺の中に小さな木の十字架がある意味は?

これは原作にはない。私は何年も、エピローグを読んでいなかった。エピローグに東インド会社のオランダ人によって、ロドリゴが何度も棄教の宣言をさせられたとある。つまり、彼は何度もキリスト教に戻ったのだ。遠藤は彼が信仰を持ち続けていたと言いたかったのだろう。遠藤は別のところで、第二次大戦後にイエズス会を去った還俗司祭を1950年代初めにあるレストランで見かけたことを書いている。食事が出された時、その人が十字を切って食膳の祈りをするのを見たという。それもヒントになった。信仰は何かとてもパーソナルなものになったのだ。

(これは今のフランスでは決して珍しくない妻帯司祭の例にもある。彼らの多くは教会法上、司祭職を続けることはできないけれど、信仰はまったく変わらないと言っている。制度としての宗教のさまざまな制約に抵触することで帰属を放棄せざるを得ないことと、キリストの愛に生き、弱い立場の者に寄り添い続けることは別だ。それこそパウロが割礼の有無についての議論の中で「わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。(ガラテヤ5)」と言っているように、キリスト教は「軛としての律法」から人々を自由にするために出発した。しかし、典礼や規則の体系を伴う宗教という社会的な表現なしには「信仰」は形にならない。
人間は社会的存在だから、生まれた瞬間から、時代や場所、所属社会の文化や伝統を背負っている。「宗教」は長い間そのような逃れられない属性の一つだった(サウジアラビアのような国に生まれれば今でもそうだ)。今の「先進諸国」では信仰の有無も、宗教の有無も強制されない。「棄教」の形も進化し続ける)

---信仰とは、共同体で分かち合うことがなく心の奥で生きる親密なものであり得ると思いますか?

全くそう思う。信仰は日常の行動を通して生きることができる。宣教師の役割は変わった。助け合いの次元はもう布教の中にない。「国境なき医師団」のような様々な団体は天使の働きをしている。信仰のあるなしにかかわらず義となるやり方で働いている。

(特定の共同体への帰属意識がなくて決められた典礼に従わないで生きることは難しくないが、宗教行為を通して表現しない信仰は、やはり他者との関係の中で生きられなければ意味がない。一人で自分の「無病息災」を祈っているようなものは信仰ではなく別の次元の原始的な「神頼み」に過ぎないのだろう。「宗教」としてのカトリック教会でさえ、今の教皇は教会の外へ出ていきなさい、野戦病院であれ、などと言っている)
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# by mariastella | 2017-02-13 04:32 | 映画

『沈黙』をめぐって  その8

中断していたスコセッシのインタビューから。(カトリック雑誌より)

---『クンドゥン』との関係。仏教への傾倒について。

仏教の静謐さ、瞑想が好き。宇宙と対立するのではなくその中に居場所を見つけること。台湾でも日本でも自然と一体化するするやり方を見た。それも神性の一種の受容かもしれない。けれどもキリスト教の要求の高さ、他者をのことを考えるように仕向けるところが私の気に入っている。私は映画人としてはエゴイストだが、子供の時からキリスト教的考え方に影響を受けている。

(これはなかなか突っ込みどころが多い。仏教にもキリスト教にも静謐や沈黙の修行や伝統もあればやかましいものもある。他者に施しをせよという戒は仏教にもある。自然と一体化とか宇宙の中に居場所を、というのは確かにキリスト教にはない見方とだと思われそうだが、キリスト教は自然や宇宙も人間と同じ「創造物」としているのだから、人はすでに自然と同じ側にあるのだ。神は宇宙や自然の外に、超越した存在だ。ギリシャやオリエントの多神教世界では自然や宇宙の側に「人間を超えた」もの(神?)を見ているのだから、一体化は時として「諦念」だったりもする。でも、そもそも、エジプトもギリシャもパレスティナも日本も、大きく見れば「ローラシア神話文化圏 ⁽『キリスト教の謎ー奇蹟を数字から読み解く(中央公論新社)』第六章p83参照)」なのだから、太陽を崇める神のヒエラルキーや、「国づくり」神話のような「神による人間世界の創造」というテーマも実は共通している。初期にデウスを大日と訳した誤解などは別としても、根本のところで親和性があったという気がする)

---ロドリゴとキチジロー、司祭とユダのどちらに近いですか?

初めはロドリゴに近いと思っていたが、結局はキチジローだ。善いことをしようと思うのにいつもぼろぼろになる。力がなく、自分にも他人にも誤ったことをする。でもある意味でキチジローはロドリゴの師(メンター)だとも言える。そして最後まで彼のそばに残った。


( キチジローはユダというよりパウロだなあと思う。パウロは「ローマの信徒への手紙」の7 章でこういうことを言っている。

わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。
わたしは、自分のしていることが分かりません。
自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

これってキチジローそのものだ。そして多分、誰でもそうだろう。自分の中で天使と悪魔が戦っている、という感じよりも、デフォルトが悪で、善は「望むもの」としてしか存在しない。

だからこそ、望まない悪を犯したことを後悔し、告解すれば免償してもらえるカトリックのシステムはキチジローにとって「希望」そのものだった。性懲りもなくあんなに何度も赦してもらいにくるなよ、と思ってしまうが、悪業のカルマを積むばかりで来生は畜生道に落ちるしかない、と絶望したり良心の呵責に苦しめられたりするのはつらい。司祭に告解して、重荷を下ろしてもらえて、さあ、行きなさい、と懲りずに信頼してもらえるカトリックの方がセラピーとしてすっきりする。キチジローがロドリゴのメンターだというのもこれに通じるだろう。ロドリゴが踏んだ踏み絵のイエスは、自分自身の自尊感情だったのだ。)
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# by mariastella | 2017-02-12 06:38 | 宗教

『沈黙』をめぐって その7

『沈黙』のテーマについての考察を続ける前に寄り道。
笈田ヨシさんが、雑誌『日経回廊』で「映画『沈黙』に出演して僕が考えたこと。」という記事を書かれていたのを見せてくださった。
そこで初めて、笈田さんが、ジョアン・マリオ・グリロ監督『アジアの瞳』(1996)という日本とポルトガルの合作映画で、なんと中浦ジュリアンの役で出演なさっていたことを知った。

中浦ジュリアンというのは有名な4人の「天正の遣欧少年使節」の一人で、日本人で初めてポルトガル、スペイン、イタリアなどを訪れ、司祭に叙階された人たちだ。有馬の神学校に通っていた14、5歳の将来有望な少年たちが選ばれて、初の日本人司祭 を養成するために1582年に出発した。本能寺の変のあった年だ。

8 年後の1590年に帰ってきて、翌年会った豊臣秀吉にも好意的に迎えられた。その後天草やマカオで修練して1608年に司祭叙階される。博多で宣教していたが1613年にキリシタン弾圧が始まり、長崎に移り、翌年の江戸幕府によるキリシタン追放令が出た時に潜伏して20年も信者を支えた。1632年に逮捕され、翌年『沈黙』でフェレイラ神父が「転んだ」穴吊るしの刑にフェレイラや他のイエズス会司祭や修道士らとともに処せられた。

苦しさのあまり棄教したのはフェレイラ1人で、65歳の中浦ジュリアンは4日目に最初に息絶えた。ローマに旅立った日からちょうど半世紀が経っていた。毅然として「ローマに赴いた中浦ジュリアン神父」だと役人に言った。「ローマに行って教皇と会った」のは彼のアイデンティティの核にあったのだ。

けれどもローマに行った4人の少年のうち他の3人伊東マンショ、千々石ミゲル、原マチルノは殉教しなかった。ミゲルは神学の勉強を続けず棄教してイエズス会を去った。彼らはみなキリシタン領主の息子たちであり、政局の変化と共に棄教しても、生活の安定は保証されていた。リーダー格であったマンショは絶望して病死、学にすぐれたマルチノは1614年マカオに戻って出版や翻訳などの活動を続け1629年に死んでマカオの大聖堂に埋葬された。マルチノも大村領の名家の出だから、拷問されずに亡命という選択肢があったのだろう。高山右近が棄教せず追放されてマニラに渡ったのと同時代だ。

晩年のジュリアンは拷問のため失明していて、この映画でも目を隠している。彼に棄教を勧めるかつての仲間ミゲルの家で、座敷の隅に熱を出しているという赤ん坊(ミゲルの孫)をおいてミゲルが席を外した(ふりをした?)時に、そばにある盥からそっと水を汲んで洗礼を授けたシーンがあるそうだ。(親の正式な同意と依頼なしに洗礼を授けてもいいのか?とつっこんではいけない。別に割礼するわけじゃないからね。ここは以心伝心というわけだ。宗教の形は捨てても信仰は捨てていない、というのでなく、司祭を前にしてやはり形を求めずにはおれない、というのは『沈黙』の告解と通じる)

ネットで少し試聴できるが、やはり、笈田さんの存在感はすごい。



笈田さんの目力はすごいが、目を覆っていても同じオーラを発揮している。

それにしても穴吊りの刑に耐えて殉教した聖人である中浦ジュリアンを演じた笈田さんが、20年後に、杭に縛られて海水を浴びせられて死んだキリシタンの村の長老イチゾウを演じるなんて、なんというめぐりあわせだろう。

笈田さんには、迫害する側の役人をやれないのかなあ、とふと考えるけれど、彼が迫害者を演じたらそれはそれですごく迫力のある迫害者になるだろう。

笈田さんは今日本で、今月18日に東京芸術劇場シアターオペラでの『蝶々夫人』の演出をしている。

この紹介を見つけた。すごく刺激的な試みだ。観たかった。東京にいる方はぜひどうぞ。


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# by mariastella | 2017-02-11 04:32 | 映画

『沈黙』をめぐって その6

『沈黙』のテーマに関しての考察を当分続ける。
 
この映画の中で、日本には「キリスト教が根付かない」とい有名なくだりがある。
植え付けても根枯れする、というのだ。

日本語で文化と訳されるカルチャーという言葉はもともと植物の栽培に関した言葉だ。

で、この映画では、キリスト教、あるいは「普遍協会」の「アカルチュレーション」は不可能だと言っている。aculturation は、栽培で言うと「移植」だ。臓器移植で拒否反応が出て失敗するという言葉も連想する。
で、今のカトリック教会(第二バチカン以降)というのは、もうaculturationはやめて、インカルチュレーション inculturation (栽培で言うと埋め込み)の時代だよね、ということになっている。
つまり、帝国主義の侵略と親和性のあるようなアカルチュレーションはやめて、種だけ持って行って現地のやり方で育てよう、という感じか。

詳しく知りたい人には 2013年のコンゴで出たこの文を読むと感動的によくわかる。

人間の宗教的な「召命」と文化とにはオーガニック(有機的)なリンクがある。「普遍教会」であろうとなかろうと、その宗教的な表現はすべて「文化」に結びついたものだ、とある。
つまり、ローマ教会が「普遍」の教えだと思っていたものは、「普遍」をヨーロッパ文化の文脈で表現した教えだったという当たり前のことだ。

木を移植するのにはそれに適した気候、風土の研究が必要だ。ヨーロッパ産のものがすぐに日本に根付くとは限らない。
ローマ教会は、パレスティナから広がったキリスト者たちが広めた考え方を「体制宗教」としていく中でしっかり自分ちでインカルチュレーションしていた。種が埋め込まれて、風土に適した新種が育ったのだ。そういう形でなければ新しい宗教が習俗や伝統としては根付くことはない。

で、一六、七世紀のフランシスコ会やイエズス会は別として(中国のマテオ・リッチなどかなりインカルチャーした人もいたけれど)、遠藤周作が影響を受けた近代以降のフランスのパリ外国宣教会はアジア専門だったこともあって、よーし、今度こそ失敗しないぞ、とがんばった。
彼らが建てた日本人向けの教会には畳敷きのところが多かったのもその意気込みを表している。
長崎で「隠れキリシタン」を「発見」したのがパリ外宣の神父で、フランスのカトリックは沸きに沸いた。原種に近く戻す必要はあったけれど、「インカルチュレーション」の奇蹟だと思った。
でも、隠れキリシタンではなく、宣教師らの作ったミッションスクールなどを通してキリスト教を「欧風文化」の一環とみなしていた日本人の感覚とはかえってずれていたかもしれない。

要するにこういうことだ。

ローマ教会が、自分たちの「普遍」も文化の一形態であり、それを超えたところに真のルーツである「普遍価値」があり、それを異文化世界で広め認めてもらうことは不可能ではないのだ、とようやく理解するためには、

プロテスタントに離反され、
宗教戦争で血を流し、
近代革命に追放され、
政治の道具にされ、
自分たちの内部でしっかり根腐れを起こしているのも何度も土を入れ替えたり品種改良したり、
そうこうしているうちに人々の心が離反していった、

そういう経験のすべてを必要としたということだ。

こうなるといいかげん、宗教としては「終わりのコンテンツ」となっても不思議ではなかったのだけれど、そうならなかったのにはわけがある。

それは『沈黙』とは別の話なので別のところで。

ともかく、『沈黙』でフェレイラが「この国って絶対無理なんだ」って言っているのは、

アカルチュレーションのやり方で「真理の花」を咲かせるっていう方法論が間違っているんだよ、

と気づいたと言っているのだ。

けれども前の記事でも書いたように、一七世紀前後のヨーロッパのキリスト教世界というのは、一応同じ文化の中だったのに、地質が変わり、栽培法も変わり、「真理」も「花」も、その有用性はおろか存在すら疑われた時代だった。
イエズス会士たちはそれを十分知っている。

「拷問に負けて棄教はしたけれど心の底では信仰を捨てずにずっと神を信じて生きていきましたとさ」というようなお花畑な話とは無縁だった。

「社会の秩序維持のため、キリストへの愛のため司祭職を全うするけれど、心の底では無神論の誘惑にさらされて疑いと迷いの中で生きていきました」というケースの方が縁がある。

通辞と井上様がロドリゴのことを「よし、あいつは傲慢だから絶対転ぶぞ、」という感じで予測した人間観察は正しかった。(続く)
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# by mariastella | 2017-02-10 01:13 | 宗教

マーティン・スコセッシの『沈黙』 をめぐって(その5)

映画『沈黙』、フランス公開初日の最初の回に観に行った。

もうさんざん映画評やら、感想やら、スコセッシの言葉などを読んだり予告編をネットで観たりしていたので、なんだかもう見る前に食傷気味かなあと思っていたのだけれど、「百聞は一見に如かず」、アカデミー賞の撮影賞のノミネートというのはすごく妥当だと思うくらいカメラワーク、アングル、素敵だ。音とそして無音の部分も魅力的。

拷問だとか処刑シーンは見たくないのでいやだなあと思っていたけれど、意外に我慢できた。
リアルの知人笈田ヨシさん(村長のジイサマ)が磔られているのはショックだったけれど。
彼にも書いたのだけれど、普通なら彼のリアルさが作品への没頭を邪魔するかもしれないと思ったけれど逆で、彼がリアルの彼のままなので、作品世界全部が彼にくっついてきてリアルに見えた。

このジイサマとモキチの信仰がすごく説得力がある。
塚本晋也の相貌と表情には誰でもキャッチできる誠実さのシグナルがある。
この2人の組み合わせ、そして、若いイエズス会士二人の描き分け、演じ分けが秀逸なので、物語としてのメリハリがある。

フェレイラの描き方はとても日本的だと思った。
私は『無神論』の「一七世紀の無神論」という項で、フェレイラにも触れている。イエズス会のガラス神父の著作にも触れて、当時のカトリック神学者の状況について書いた。当時のヨーロッパでは「一般信者は何も理解しないでただ信じているだけ、それでOK」というスタンスだったのだが、一六世紀後半からの日本人の信者はほとんど「知的に理解」して賛同する人々だった。高山右近もその一人だ。
一方で、当時の仏教僧は信徒に何かを理解させ説得するという必要はまったくない主流秩序の構成要素だった。だから宣教師とまともにディベートをすればひとたまりもなかった。
不立文字の禅宗が盛んな頃だったが、日本人がすべて「以心伝心」でやっていたなどと思うのは幻想で、多くの人は、「真理の言語化」というものに出会って驚倒し魅惑された。

『沈黙』の時代の迫害は、もう完全に政治的なものだから、理性の次元も宗教の次元も超えている。

もう一つの次元に「愛」というものがあるのだが、これは驚くべきもので、これを「信仰」と呼ぶのなら、それは「愛の対象に出会った人」にしかわからない。

そういうこともこれから少しずつ書いていくつもりだし、今書いている本の流れとも関係している。

だから『沈黙』もそういう全体の文脈でしか私には見られないのだけれど、せっかくだから、スコセッシの話の続きもふくめて、まだ続けていくことにしよう。

今日のところは、私には意外だったある「フランス人の感想」を紹介。

1. キリシタンの一人が突然首を切り落とされるシーン。その男が1人だけ残されるのに、恐怖の様子が見られなかったのは不自然だと思った。(えっ、そんなこと言われても、もう一度見てみないと私には分からない。ほんとにそうだとしたら何か意味があるのだろうか?)

2. 通辞役が日本人には見えない。不自然すぎる。
(不自然、不自然って自然主義的なことばかり言ってどうする? でも私が通辞役の浅野忠信って北欧系アメリカ人のクォーターなんだよ、って言ったら、なるほど、と言われた。そんな微妙なことってあるのかなあ。井上筑後守役のイッセー尾形とのコントラストが絶妙だと思うけど。)

3. で、肝心の、踏み絵を踏んで棄教するということと信仰の問題はどう思う? と質問。そしたら、

「拷問や強迫によって強要された自白は無効だから」って。

うーん、ある意味すごく明快。

こういういろいろな迫害の歴史を経て、少しは暴力制御装置が働くようになった時代に生きててよかった。

(続く)
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# by mariastella | 2017-02-09 03:22 | 映画

高山右近の列福式と『沈黙』の関係など

高山右近の列福式のビデオをネットで試聴した。

へー、大阪城ホールってこんなに大きいんだというのが第一印象。
メガ・チャーチみたいだなあ。

長崎での列福式とか列聖式などでは、周り一帯がテーマパーク風になる感じなので不思議ではないけれど、大阪って、南蛮文化館を観に行ったことがあるくらいで、カトリックの教会など見たことがない。

それなのにこの大盛況って、やっぱり、元大名っていうインパクトだろうか。小説やドラマで戦国ものは日本人の好きなテーマだし、去年の大河ドラマもキリシタン弾圧とか細川ガラシャとか、右近と同時代のものだったようだから、タイムリーだったのかもしれない。

以前の殉教者セレモニーの時にも書いたけれど、時の主権者の政令に背いた犯罪者を称えることに躊躇する中国なんかと違って、判官びいきというか、つらい最期を遂げた人に共感を持つ日本って悪くない。

忠臣蔵だって、言ってみれば、殿中で刃傷沙汰を起こして罰せられた主君の仇という名目で、たった一人の相手を討つのに武装した47人が攻め込むなんて、しかも、ただ警備の任務に就いているだけの武士たちを殺したのだろうから、なんだかひどい話にも思えるが、日本人好みのストーリーだ。

高山右近の方は、殺されたわけでもないし、拷問も受けなかった。

その後のキリシタン迫害では、ひどい拷問のために宣教師さえ棄教したということは、映画『沈黙』で描かれているとおりだ。

右近はマニラに追放されてすぐに客死して、殉教と認められたわけだが、彼がこういう撤退の仕方をしてくれたことの意味は実は大きい。

その後のひどい迫害の後でも、そのことがカトリック教会に知られていたにもかかわらず、いわゆる「十字軍」的な日本への侵攻が試みられなかったからだ。戦国大名という立場の右近が「叛旗を翻す」ような行動をとらなかったことはすばらしいメッセージだ。

当時の迫害には三種類ある。

最初は長崎の26殉教聖人のように、天を称えて十字架に架けられた人々。
これは、迫害する側にとってはまずい結果だった。
まさに、「殉教聖者」を誕生させたわけだから。

十字架上で殉教するなど、同じように磔刑死したイエス・キリストをいただくキリシタンにとっては「光栄」でしかない。信仰の強さが信仰の正しさを証明するようになっては藪蛇である。

次に追放。

追放するなら、特に、キリシタン大名の追放なら、領地や財産を没収できるからまだ実利がある。

しかしそれではもうやっていけなかった。

で、拷問をエスカレートさせる。
コストパフォーマンスの関係からいうと、拷問して棄教させるのが一番有効である。
特に「指導者」たちを。

それが『沈黙』の世界だ。

で、それでも、なんというか、この世界は一応全体としては「野蛮」から「文明」の方に向かっている。

今のISのような「野蛮な宗教過激派」が中東のキリスト教コミュニティ(中東は世界で一番古いキリスト教コミュニティのある場所だ)を支配した時も、キリスト者に選択肢を与えた。

まずキリスト教を捨てさせてイスラムに改宗を迫る。

改宗しない者にはいくつか選択がある。

金を払う(だからといって自由に信心行がで切るわけではない)。
家財産を捨てて出ていく。
逃げ遅れた者、金を払わない者、は首を切られて殺される。

多くの人がイラクやシリアから出て行った。
それが今のヨーロッパの難民問題の始まりだ。

そして、中東のキリスト教徒を迫害するISはけしからん、ということで、同盟軍が、空爆という名の「十字軍」侵攻を始めた。

もちろんいろいろ状況も時代も違うけれど、基本的にはこういうシナリオがある。

そう、高山右近と彼と共にマニラに追放された300人の日本キリシタンは、「宗教難民」なのだ。

『沈黙』のタイプの拷問と棄教は、もう古いタイプの迫害である。

高山右近型の「難民」をどう受け入れてどう評価し、迫害者をどう扱ってどう評価するかが、今問われている。

このことについては別の場所でも書くことにしているけれど、そういう意味で右近が2017年の今列福されるということは意義深い。

列福式では右近が追放されたにかかわらず、神に従い光へと向かう喜びと希望の中にいたというようなことがコメントされていたので、スコセッシの言葉を思い出した。

スコセッシも、悲惨で残酷に見える『沈黙』の一番のテーマは、実は、ミゼリコルド(神の慈しみ)とそれに対する「喜び」なのだ、と言う。

痛めつけられて殺されるので自衛のために脳からドーパミンが放出されて歓びになるんじゃないのか、というわけではないようだ。(その喜びの正体は今なんとなく分かるが、別の機会に書く)

でもとりあえず生き延びようと逃れるシリアの難民たちは、ヨーロッパの国々が「与えてくれる」ミゼリコルドにはたして希望を持っているのだろうか。

難民を宗旨に関係なく受け入れよという今のローマ教皇の呼びかけは、「慈しみ」の特別聖年を設けた人だけあって、筋が通っている。

一応キリスト教のトランプ大統領は、南米出身のフランシスコ教皇が選出された背景にはオバマ大統領とヒラリー国務長官の陰謀があった、として、調査を命じたそうだ。
笑える。

そして、

いつか列福される可能性もなく、立派なミサを捧げてもらえることもなく、ただ、家も故郷も捨てて、命がけで徒歩や危険な船で「政教分離の文明国?」にやってきて鉄条網に阻まれる人々のことを考える。

「政教分離の文明国」に生まれ育ちながら、その底辺で、住むところも持たず、寒空で飢えたり凍えたり、孤独に苦しんだりする人々のことを考える。
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# by mariastella | 2017-02-08 01:24 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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