L'art de croire             竹下節子ブログ

リー将軍の銅像をめぐる騒ぎを見て思ったこと

ヴァージニア州のシャーロッツビルにあるリー将軍の銅像の撤去をめぐってアメリカの白人主義が話題になっている。

私にとってリー将軍というのはアメリカではどうなのか知らないけれど、フランスのクロスワードパズルでよく出てくる言葉だ。


すなわち「南北戦争の将軍」というヒントで三文字が「LEE」である。

( 日本語でよく出てくるのは「OBI」「ISE」「ASO」。「ゲイシャが喜ぶ芝居」=NO(能)」というのも定番。ここでゲイシャというのは日本の言い換えに過ぎなく、ただ「日本の演劇」で二文字のものということだ。「英語の否」のNOというヒントよりはひねっているわけだけれど、クロスワードをするフランス人なら「能」がどんなものかを知らなくても簡単に解ける。)

で、私にとって、LEE将軍ってクロスワードパズルの穴埋めだったのが、今回の事件でしっかり顔や所業と結びついた。


彼自身は個人的に奴隷制に反対していたという話も聞く。

でも、フランクリンらもそうだけれど、その時代の主流秩序の中で生まれ育った人たちが、その価値観を覆すような生き方を表明するのは、特に公人の場合難しい。それなりに周囲を説得したり、賛同する仲間を忍耐強く集めたりという準備がいる。

キリスト教は、それが生まれた世界でまったく異端で革命的ですらあった価値観を導入した(だからイエスは処刑された)。その後歴史の長い回り道と試行錯誤の末に、その「自由、平等、博愛」をベースにして、あらゆる人間は肌の色や信教や性別、社会的立場などに関係なく権利において平等であり、同じ尊厳と安全を保証されるべきだという近代の人権主義が生まれた。

私はその世界で育った。だから、それまでは生まれた時代と場所によってさまざまに変わる主流秩序の中で支配構造に組み込まれてきた人類が、どんな弱者でも個としての等しい尊厳を持ち尊重されるべきだという(少なくとも)理念に到達したのは「進歩」だと考えている。


どこでもたいていは弱者の犠牲を想定して成り立っている主流秩序の中で、弱者が強者に反旗を翻すのは難しいし、強者の側にいる人が、人権主義の実践に到達するのも難しい。


でも、近代の人権主義に至る戦いの中で、もともと前近代的な主流秩序の中にいてその主流秩序を守るべきポジションにいた人がその戦いに負けた時に、スケープゴートにされた後て、いつまでも「悪」というレッテルをはりつづけられるのはきびしい。

例えば、アズテカ文明など、神に人身御供を捧げるような文化が主流秩序をなしていたところに、少なくとも神への生贄を廃止していたたキリスト教徒が入っていく。そして、アズテカの主流秩序は野蛮であり許せないと言って、そういう風習を廃止する。そのことによって、次の年に生贄になっていたかもしれない人の命が救われたかもしれない。だから、人権思想の大きな流れの中でそこはポジティヴだ(その後でキリスト教徒が神より経済利益を重視して先住民には魂がないと言って虐殺するのはまた別の話だ)。

で、その時に、侵略者と勇敢に戦って負けた先住民のリーダーがいたとして、その銅像が建ったとしよう。そのリーダーは、歴史の文脈において主流秩序の伝統を担っていただけだ。生贄復活を唱えるためでなく、その「人物」を記念し、歴史を記憶するために銅像があったとしてもおかしくはない。それを無理やり撤去すると別のイデオロギーになる。

ドイツでは絶対に公にヒットラーの銅像が存在することはない。なぜなら、彼は自分の独裁によって都合の良い秩序を唱えただけで、その前からあるキリスト教のもとの教えやら啓蒙の世紀、近代革命から少しずつ「進歩」して合意されてきた「人権尊重」の普遍主義を「意図的に侵害した」からだ。


一方、フランスでは、革命で否定されたブルボン王朝の王侯貴族の銅像も、その後の皇帝ナポレオンの銅像もある。

ブルボン家の王たちは、たまたま王家に生まれて当時の主流秩序にのっとった生き方をしたから、その秩序が後世から否定されても、彼らの人格までは否定されない。

ナポレオンはある意味では独裁者、帝国主義者ともいえるし、他のヨーロッパ諸国から「制裁」された存在でもあるが、フランス革命を「完成した」という政治的評価を受けているので、人権を顧みない絶対王権に舞い戻ったわけではない。

その理屈で言うと、リー将軍は、独立宣言の後の時代だとはいえ、彼の時代の主流秩序の中で与えられた役割を果たしただけで、「率先して旧弊に戻った」わけではない。

「自由・平等・博愛」をベースに殺し合わずに尊重し合って共生するという価値観は、社会進化論的に無理があるのかないのかは難しいところだ。

でも、大量の死者を出した近代戦争の惨禍や核兵器の危機を認識した今の国際社会では人類サバイバルのための一応の合意となっている。

それが一応の合意となるまでの長い道のりの中で、それに反する主流秩序の中で生きたリーダーたちは、確信犯の独裁者とは違う。


ほおっておけば複雑系の事象を善悪二元論で切って捨てがちな私たちにとって、「情状酌量」というのは、、ひとつの「智慧」だと思う。


今生きている私たちは誰でも、延々と生命を伝えてくれた先祖たちの子孫だ。その先祖たちには、生存戦略として、他者、弱者の命や尊厳を奪って生きのびた人などたくさんいると思う。

そのことの「悪」(すべての人が尊厳を持ってその生をまっとうできること、を、意図的に阻害することをここでは悪と呼ぶ)について思いをはせたり反省したりするのは必要だろう。でも、本人の意思に関係なく運よく主流秩序のマジョリティに生まれたからそれを利用して生きたり生きのびたりしてきた「人」そのものを裁いたり否定したりする権利は誰にもない。

もっともこのブログにもプーチンと聖ウラジミール銅像のエピソードを書いたことがあるように、権力者が突然自分に都合のいいイコンを銅像にして持ち出すことは珍しくない。

ナポレオンの像やジャンヌ・ダルクの像の使われ方についてもこれまで述べてきた(『ナポレオンと神(青土社)』『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活(白水社)』。


罪を憎んで人を憎まずというのは実際はなかなか難しい基本だ。

「人」を銅像化して偶像崇拝することで「罪をなかったことにする」方がずっと簡単かもしれない。だとすれば、人間が進歩した証としての自由・平等と人権思想の普遍主義をプラグマティズムの名のもとに看過することなく、そこから退行しないように常に意識していなくてはならない。

本当に弱い人は常に淘汰されてきた。今ここに生きている私たちは、歴史のどこかで強者に与して弱者を踏みにじって生きのびてきた人たちの子孫なのだろう。

その意味で私たちはみな差別者、強者、または強者への追従者を先祖に持つ。

その先祖の銅像を拝むことも辱めることもしたくないが、そうして命を受け継いできた者として、みなが、自分の代で少しでも他者を排除しない共生の道へと舵を切る努力をすることが「先祖」の供養ともなるのではないか。


アメリカ南部の話だけなどでは、ない。


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# by mariastella | 2017-08-20 06:12 | 雑感

ウィーンの話 その8   神の家のコンサート

ウィーンではほぼ毎晩、コンサートに行った。

パリでは、パリジャンたちがみなバカンスで留守の夏の間、地方のバカンス地でいろいろな音楽フェスティバルがあるのに、「観光客」を意識したコンサートなどが毎日教会であるというようなことはない。

教会のコンサートはやはり復活祭とかクリスマスとか教会の行事と結びついている。

考えてみたら、ある意味では「パリ観光」に売り物の音楽というのはパリにはない。
イメージとしてはムーラン・ルージュでフレンチカンカンというくらいだろう。

観光客が団体でドビュッシーとかラヴェルとかサティとかの音楽を聴きに来るというイメージはない。

フランス人作曲のフランス語オペラの『カルメン』だってスペインが舞台だし、逆にせっかくパリが舞台の『ラ・ボエーム』や『椿姫』はバリバリのイタリア・オペラだし。

ウィーンはベニスやプラハと同じで、もうとにかく毎日どこでも観光客ご用達のコンサートをやっている。
もちろん、モーツアルトにヨハン・シュトラウスという「目玉商品」がある。

でも、驚いたのは、そういう観光客ご用達のコンサート(私ももちろんそれに行ったわけだが)の観客の多くが中国人だということだ。

はじめ、アウグスティーナ教会のオルガンと管弦楽と歌のコンサート(ファティマの聖母に捧げる曲がメイン)に行った時に驚いた。

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こういう高みで演奏されるので、聴衆は演奏者に背を向けることになる。ちょっとフラストレーション。

午後に同じ教会に入った時、蝶ネクタイの男性が座って熱心に祈りを捧げていた。
それがその夜の指揮者で作曲家でピアニストのペーター・リッツェンだった。
夜の切符を買ったが、教会はがらがらだった。

その後、コンサートの30分ほど前に来ていると、中国人の団体らが押しかけていた。しかも、先ほど祈っていた指揮者が、すぐに入場させないように、と言っているので入り口で塊になっていたのだ。
教会なんだから、入るのを拒否するなんて変だ。しかもみなもうチケットを買っているのに。

で、その後ようやく入らせてもらえたが、確かに中国人が3割くらいいるような印象だ。
私の横の中国人のふたりの少年は熱いのに白シャツに揃いの紺の上着をきっちり身に着けていた。

全体にそこにいた中国人は身なりがいい感じだった。暑さもあって、ヨーロッパ人はTシャツにバミューダにサンダルいうのが多い。別にミサに出るわけでないから注意もされない。

その後、祭壇のマイクで、主催者らしい人が出てきてドイツ語であいさつし、その夜の管弦楽団と指揮者と曲目の紹介をした。ところが、その後だ。

蝶ネクタイの指揮者がそこに来て、今度はいきなり英語で話し始めた。

「中国人のみなさんのために英語で話します」というのだ。

その後、何を言ったかというと、

「ここは神の家 house of Godです」と何度も何度も繰り返し、

「だから大声を出さないように、拍手もしないように」

というのだ。厳しい顔をして。

驚いた。

その後に申し訳程度にドイツ語で一言、「ではお楽しみください」的なことを言ってから、後ろのオーケストラのいる場所に行った。

その時、これはあまり失礼ではないか、差別主義者ではないか、と気分が悪かった。
コンサート自体は悪くなかったけれど、ホテルに帰ってからリッツェンを検索したら、フランドルの人で61歳、中国で何度も公演していて、上海フィルと共演してチャイニーズレクイエムという録音もしている。

では、ただなんとなくアジア人に偏見、差別を持っている人ではなく、むしろ、中国人は「お得意様」ではないか。

それなのになぜあんな失礼なことを?

午後ずっと祈っていた姿からすると本人はすごく敬虔なカトリックで、彼にとって演奏も神の家で神に捧げるという宗教行為なのかもしれない。

それにしてもなあ、と思った。
この中国人たちの中にもカトリックの人がいるかもしれないし、宗教の場所を自然にリスペクトする人がほとんどではないだろうか。中国は、ローマとつながる隠れカトリック信徒の数だけでも日本よりはるかに多い(人口の絶対数が多いこともあるが)。

その謎はその後なんとなく解けてきた。(続く)



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# by mariastella | 2017-08-19 03:12 | 雑感

ウィーンの話 その7 ナポレオン二世のベッド(追記あり)

ナポレオン二世の内臓や心臓がどこにあるのかは特定できなかった。

ヒトラーによって棺が運び出されたカプチーナ教会の墓所にはもちろん残っていない。
あるのはナポレオンの妻、ナポレオン二世の母マリー=ルイーズの棺だけ。
この墓所の立派な棺の装飾はすばらしい。フランス王の墓所が荒らされたことと比べて、オーストリアは革命がなかった国なのだなあ、とあらためて思う。

他の棺とは離れて「MARIA LUDOVIKA("LOUISE")」とフランス語表記も一応あって、「Franz Joseph, Herzog von Reichstadt, Sohn Napoleons Bonapart」とナポレオンの息子の母、とは記されている。

そんなナポレオン二世のゆかりの品に別のところで出あえた。
それは王宮の宝物博物館の中にあった、幼児用のベッドだ。

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足元にあしらわれた鷲がエグロン(小鷲:1900年に、シラノ・ド・ベルジュラックで有名なエドモン・ロスタンの戯曲によってこの名を冠されて有名になった)を連想させて、200年前この中で眠っていた子供の運命に思いをはせてしまう。

追記: ここではつい感傷的に上のように書いたけれど、見ても分かるように本物のベッド仕様ではない。ナポレオン二世がウィーンに戻った時はもうこんなベッドは小さすぎるし。詳しく言うと、これはナポレオン二世となる「ローマ王」が誕生した時に喜んだナポレオンが妻のマリー・ルイーズにプレゼントしたものだ。いや正確にはパリ市からの忖度プレゼントだった。280kgの純銀を使った美術工芸品だ。これをウィーンまで持ってきたのは父のフランツ二世の考えだったのだろうか…

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# by mariastella | 2017-08-18 06:37 | 歴史

ウィーンの話 その6 シュテファン大聖堂の地下墳墓

シュテファン大聖堂の地下墓地は、ガイド(英語とドイツ語)付きの有料スペースだ。

司教霊廟は代々のウィーンの大司教と枢機卿が埋葬されている。
次にハプスブルク家の初期の大公霊廟。その後に、ずらりと並ぶ銅の壺はのハプスブルク家の人々の内臓が納められている。心臓は銀の壺の中で王宮のそばのアウグスティーナ教会の地下に安置され、遺体は棺に入れられてカプチーナ教会の皇帝霊廟に安置された。

私の関心はもちろんナポレオン二世だ。ハプスブルク家的には、「ライヒシュタット公爵」だが、棺にだけは、ローマ王として生まれ、三歳で半月間フランス皇帝ナポレオン二世になったことが記されていた。その棺はハプスブルク家を嫌うヒトラーによってフランスに移されたが、心臓と内臓はウィーンに残っている(『ナポレオンと神』(青土社)にいろいろ書いています)。

でも、内臓はヒエラルキーが低すぎるのか、壺も地味で、どれがナポレオン二世のものか私には分からなかった。

その後、墓石や彫像の展示場所を経て、聖堂参事員たち(聖職者)の埋葬場所を過ぎると、18世紀に付け加えられた公共墓地につながっている。部屋が冠でいっぱいになると壁でふさがれ、40年間で1000人が埋められたが、圧巻はペスト墓地で、ペスト流行の時に穴に投げ込まれた遺体の骨が折り重なって積まれている。1783年に閉鎖された後うっちゃられているのがそのままのぞけるので、何だか、まだ、伝染病がうつるんじゃないかと思うくらいにリアルだ。

パリのカタコンブよりも即物的な感じだ。

こんなに多くの「死」の形骸を見せられると、自分が霊能者などでなくてよかったとほっとする。
同時に、そうか、「生」の形見は骨か、骨なのか、と思えてきた。
骨という形になれば、古代のパレスチナの使徒の骨でも、真偽の分からない「聖人」の骨でも、18世紀にペストで斃れて無造作に投げられた庶民の骨でも、みな時空を超えた「あちらの世界」を共有している魂によって平等な形見になるようなのだ。

そういう写真は載せても陰気なので、ここでは宝物庫から見た大オルガンの裏側や奏楽の天使像を載せておこう。

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# by mariastella | 2017-08-17 02:58 | 宗教

宗教共同体の変化や被昇天のことなど

聖母被昇天祭、2年ぶりに、パリ19区のビュット・ショーモン近くにある被昇天のノートルダムのビュット・ショーモン教会に行って軽いショックを受けた。


今年は遠出が不可能だったので、パリの中にある被昇天のノートルダム教会の別のところに行ってみようと思った。
教会の建物や歴史として圧倒的に興味深いのはリボリ通りの近くにある教会だけれど、ここはポーランド語教区教会となっていて、ミサも全部ポーランド語だし、いかにも熱心なポーランド人が集まりそうなので、こういう特別の祝日にいくのはなんだか敷居が高い。
16区にも被昇天のノートルダム教会があって、ドーム屋根をもったまあまあ感じのいい19世紀末風の教会だけれど、こういう日は16区のブルジョワ・カトリックのメンタリティが芬々としていたりして…と思って、パス。
結局、お話が圧倒的にうまいルヴェリエール師のいる19区なら、少なくとも興味深い説教が聞けるだろうし、と考えて、19区にしたのだ。

教会の名前が被昇天のノートルダムなのに、この日に取り立てて何もないのは分かっていた。

その後、聖遺物の「拝観」やら、
元気印のルヴェリエール師とは何度も個人的に話もして好感度は高かった。

ところが、去年は行っていないのでいつからこうなったのかは知らないが、今回行ってみると、
「被昇天のノートルダム」の名にふさわしいというか、もう被昇天一色で、運河から船に乗ってのノートルダム大聖堂への巡礼まで付いていたのだ。

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こんな感じの聖母子像の神輿みたいなのも飾られていて、これを4人で担いで行く後を外の広場まで「行列」したり、その他にも被昇天のタペストリーも飾られ、教会内のあちこちにイエスの聖心の絵がかかって蝋燭に火がともっている場所だとか、いろいろできている。驚いた。

2年前は、被昇天祭だから被昇天の名のついた教会に行ってみようと思ったので、もしこんな感じだったら満足したと思う。けれども、2年前には聖母のアイン・カレムの訪問の話しかしていなかったのに…。

今回はしっかりと被昇天の教義の由来やら、神学的解説を延々として、あまりにも真剣なので、ルヴェリエール師ではない別人かと思ったくらいだ。あの陽気さ、楽しさ、喜びに満ちた感じが消えて、すぐに祈りの中に沈潜する黙禱が何度もあった。

アペリティフの時に私を見つけてにっこり笑って再会を喜んでくれたのでやっぱり彼だったと分かったのだけれど、たった2年で、同じ祝日の演出や雰囲気がこんなに変わるなんて。

ひょっとしてアイン・カレム信心会の人たちが中心になっていた?

変な話だけれど、よくパリの郊外のモスクで、原理主義のイマムが着任してあっという間に「過激化」してしまう、というのを連想してしまった。radicalisation、ラディカルになる、イスラムなら過激化と言われるが、カトリックなら「急進化」とでもいうニュアンスになるかもしれない。
別に他の宗教や宗派の批判をするわけでもないし、社会や政治の批判をするわけでもないし、ただ、熱心な信心会の雰囲気、というそれだけのことだ。

私が驚いたのは、2年前とのあまりにもの違いだった。
それを見て、とまどって、
なるほど、同じ宗教共同体の同じ場所の同じ行事でも、いくらでも変わるのだなあ、
と感心したのだ。
イスラム教の普通のモスクで普通の礼拝をしていた人たちがいつの間にか聖戦の煽動に洗脳されてしまうことだってあるだろうなとリアルに想像してしまった。

早い話が、2年前の9月の献堂式、大司教が梯子を昇って12の十字架をよろよろとひとつずつ祝別していた時、列席していた壇上の司祭たちがいっせいにスマホを向けて撮影していた。だから、他の会衆もみんなあれこれと撮影した。

ところが、今回の聖母像や行列も、何だか気軽にカメラを向けることなど絶対にできない雰囲気だった。
広場に出てようやく、という感じだ。

ルヴェリエール師が目を閉じている間が長く、目を開くと天を見上げる動作が多く、2年前の「マーフィの法則って知ってますか?」というあのノリは影も形もない。

いったい何が起こったのだろう。

もともとインスピレーションに満ちたカリスマ風だったのは確かだ。
でも前はそれが喜び、親しみ、若々しさ、親愛の道を通して個性的に熱く語りかけてくる感じだったのが、
普通に保守的、伝統的になっている。そういう意味では急進化という言葉は当たっていない。

今回初めてここに来たのなら、何も感じなかった。
リーダーが変われば社風や校風が変わるということはあるだろう。
同じ共同体だと思っていても、人間の集まりって、時と場合や特定の人の恣意や歴史の大きな流れによっていくらでも変わるのだなあという、当たり前のことを考えさせられた聖母被昇天祭だった。

と長々と書いたが、一番の収穫はやはりルヴェリエール師の説教で、被昇天のAssomptionという言葉の語源がassumerというのと同じだということを意識したことだ。
これまでは「ad sumere」で「上に運ばれる」というのでキリストのように自力で? 昇天するのでなく、聖母は天使によって上げられる「被昇天」だという理解ばかりだったけれど、キケロの時代のラテン語でassumptioというのはまさに、決意して、あるいは納得して引き受ける、という assumer だったという。

神が人となることや、聖母が神の子の母となることに、合意した、決意した、引き受けた、ということと、被昇天とは関係しているのだと思うと奥が深い。





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# by mariastella | 2017-08-16 02:43 | 宗教

ウィーンの話 番外

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シュテファン大聖堂の聖母子像です。長い間、貧しい人々の崇敬を集めていました。
庶民には、金ピカに飾りたてられた聖遺物よりもこの聖母のまなざしが頼りになったのでしょう。幼子イエスは聖母の心臓を祝福しているとされます。名作です。
王侯貴族邸内の聖堂と違って大聖堂はすべての人々が集えるところだったことを教えてくれます。

今日は聖母被昇天祭。
被昇天のノートルダム教会に今から出かけます。

幼子を抱く母親が誰一人として戦争のある世界を望んでいないのは確かでしょう。

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# by mariastella | 2017-08-15 15:26 | 宗教

ウィーンの話 その6


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これが、宝物庫の最終部分にある聖ステファノの聖遺物。(多分)
部屋の前にはそう書いてあるが、棺の前には説明書きが見当たらない。
宝物庫そのものは昔地下にあって、大戦の火災を免れて、戦後大聖堂を再建した際に大オルガンの上の部分にまとめられた部分なので、内陣のは墓所のように薄暗くも迫力ある趣があるわけではなく、歴史美術の博物館的な空気。




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棺の中には、着ぐるみのような体が安置してあるが、どう見ても、立派な衣装で包んだ人型だ。で、顔の部分だけが、薄い布で覆われた髑髏のような感じだ、殉教者を表すオリーブの枝の冠、ステファノの見た日の光にちなんだ日輪などから考えて、やはりこれがステファノだと思われる。

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普通は骨一本でも聖遺骨はこんな感じで立派な容器に入って布や宝石で飾り付けられて安置されている。

ということは、ウィーンには、「ただの骨」ではなくてありがたい頭蓋骨が聖遺骨としてもたらされたからこそシュテファン大聖堂の威光が増したのだろう。普通は頭蓋骨の聖遺骨でも、頭の部分だけ飾られて置かれているから、全身を再現したつくりはなかなか凝ったものだと思われる。

前にも書いたけれど、これが本当に、イエスの使徒のステファノの頭蓋骨なのか、十字軍が偽物をつかまされたのか、当時の人々が本気で信じたのか、いつから信じなくなったのか、それでもそのまま祀っていていいのか、などなどという疑問は私にとって重要ではない。

カルヴァンに批判されるまでもなくキリスト教のメインメッセージと関係ないと思われる類推魔術の心性がどういう形で表現されてきたのか、
人々がなぜこのようなよすがを必要としたのか、
それが何をもたらしたのか、
共同幻想のような力がどのように働くのか、
この聖遺物に託されてきた多くの人の濃密な思いの残滓はまだ残っているのだろうか、

などの問いが次から次からわきおこる。

その答えの一部は、言語的ではない形ですぐに与えられた。

同じシュテファン大聖堂の地下墳墓の中で。(続く)

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# by mariastella | 2017-08-15 05:57 | 宗教

ウィーンの話 その5

キリスト教最初の殉教者ステファノの「聖遺物」に捧げられたウィーンのシュテファン大聖堂。

メインのステファノの聖遺物は内陣内にはない。


有料の宝物庫の一番上の部分にある。


そもそも、使徒のうち最初の殉教聖人ということでメ、ジャー中のメジャーの1人であるステファノの聖遺骨の信憑性はどの程度あるのだろう。


よく知られている「お話」の典型的なのは次のようなものだ。


イエス・キリストの受難と復活の数年後の1227日(オリエント教会での祝日)、まだ、キリスト教徒というアイデンティティのないステファノは、イエスの教えを受け継いで、エルサレムの律法学者たちの神殿偏重を大祭司の前で批判したので怒りをかい、石で打たれて殺されて、路傍に放置された。

その遺体をでエルサレムの北20マイルCaphargamalaにある自邸まで運んで、40日の喪の期間を経た後で墓所に埋葬したのがガマリエルという聖パウロの律法の教師と言われる人だった。

彼の甥はイエスにひそかに傾倒してイエスの埋葬の世話をしたニコデモとされる。

ガマリエルとその息子ハビブもイエスの死後に使徒から洗礼を受けている。

ニコデモも、石打ちにあって、傷を負い、ガマリエルの屋敷に逃れた後で死に、ステファノのそばに埋葬された。後に、ガマリエルと、20歳のハビブも死んで同じ場所に埋葬された。その後、ガマリエルの屋敷は崩落した。

で、キリスト教がめでたくローマ帝国の国教となった後の415年になってから、Caphargamalaの敬虔な司祭ルキウスが3度ステファノのお告げを聴いた。ステファノは、その名が赤と金で刺繍されている助祭の祭服を着ていた。

その指示にしたがってガマリエルの屋敷跡を掘るとまず石だけが出てきた。もっと北の方を掘れというお告げに従って修正すると、ステファノらの遺骨が発見され、地は振動し、芳香が立ち上った。

遺骨をエルサレムの聖シオン教会に移したのが415年の1226日で、大雨が降り、それまで続いていた深刻な旱魃が解消された。


ところが、聖シオン教会に納められていた棺をコンスタンティノープルに移そうとしたある未亡人が意匠の似たステファノの棺と夫の棺を取り違えた。棺が運ばれる途中で次々と「奇跡」が起こった。港について、ラバで運ぼうとしたらラバが動かなくなった。82日、その場所に最初の殉教者教会が献堂された。


ビザンティンの記録によるとまた別で、ルキウスの仲介でステファノの右手の骨がエルサレムの大司教に届けられ、その後、皇帝による寄進に感謝するために429年にコンスタンティノープルに移譲された。439年にはエルサレムに引退した皇妃が別の部分の骨をコンスタンティノープルに送った。6世紀に別の皇妃ユリア・アニキア?が残りをコンスタンティノープルに移した。

そういう経緯でステファノの聖骨全部がコンスタンティノープルにあったが、十字軍による1204年の侵略によって、ほとんどが西ヨーロッパの各地に持ち去られた。


フランスではブザンソンのカテドラル聖ジャン(ヨハネ)大聖堂にある「ステファノの腕」が長い間巡礼者の崇敬の対象になっていた。5世紀(445)にステファノの腕の骨大小2本がローマ皇帝ホノリウスに贈られた際に、途中で今のブザンソンに当たる古都Vesontiに留まった。小さい方の骨は手の形の容器に納められて巡礼者に祝福の按手をする見立てになっていた。

当時は聖エティエンヌ(ステファノ、シュテファン)カテドラルだった。崇敬物として一時代を画した後、16世紀には、5世紀にテオドシウス帝から大司教に贈られたという触れ込みのイエスの聖骸布が新たな崇敬の対象になった。

1523年に壁が崩れて「発見」されたというのだ。

プロテスタントの宗教改革の反動でカトリックの聖遺物崇敬が高まった時期だ。

今も有名なトリノの聖骸布がリレイからトリノに落ち着くまで1418-5234年間、この地方の神学校に保存されていた間に模写されたものだと言われているが、ともかく1523年以来復活祭と昇天祭に一般公開されて、多くの奇跡が起こり、聖骸布信心会が大きな勢力を持った

その後1669年にあらたな聖ヨハネ大聖堂に移された(ブルゴーニュ公国は正式にフランス王の支配下に入っていた)。フランス革命後の1794年にパリに持ってこられて吟味されて、偽物であるとされて破棄を申し渡されたはずだが、ナポレオンがカトリック教会と和解した後19世紀にはまたブザンソンに現れて崇められたという。この聖骸布をモティーフにした数々の絵も有名だ。

で、そのようないわば、宗教改革だの近代革命だののもたらす流行りすたり、の中で、ステファノの聖遺骨の方は信心の対象としてはすっかり忘れられた形になったらしい。「宝物」としては今も健在だ。

宗教改革でカルヴァンなどからあれほど馬鹿にされて弾劾されたのにしぶとく聖人崇敬を手放さなかったカトリックだから、「お話はお話として」、信心の本質的なシンボルとしての「聖遺物」はどんな形でも、ちゃんと残ったわけだ。


これらの事情を鑑みるに、宗教改革や近代革命による損害がなかったウィーンのシュテファン大聖堂にあるステファノの聖遺物というのは、同じように、13世紀初めにコンスタンティノープルからもたらされたステファノの骨の一部を看板の聖遺物として掲げたものの、後にその聖遺物そのものへの崇敬はすたれたので、「宝物」庫にひっそりと保管されているという感じなのかもしれない。

聖堂の内部では皇帝の棺の方がずっと立派に安置されている。

ゴシック時代のシュテファン大聖堂の前にあったローマン教会も、ステファノを守護聖人としていたらしい。12/26に朝日が主祭壇に射す方向に向けて建てられているという。それは人々に攻撃される前のステファノが空を見上げると神の光が射したことにちなんだものだ。(ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。)(使徒言行録7,55-56

だからどうしてもステファノの聖遺骨を必要としたのかもしれない。

前置きが長くなったので、ステファノの聖遺物との対面は次回に。

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# by mariastella | 2017-08-14 06:15 | 宗教

ファニー・アルダンが M to F を演ずるすごい映画『Lola Pater』


30代の青年が、母親の急死のショックの中で、幼い時に別れた父親をはるばる訪ねて行ったら、父親はオリエンタル・ダンサーの熟年レズビアンだった!


ファニー・アルダンは好みのタイプから程遠いけれど文句なしの名女優だ。

一時は拒食症とかいう噂でがりがりに痩せていたが、68歳の今、ある程度肉がついて、肩、手足の骨太さが「性同一性障害の元男」という役をやっても、なんとなく納得できる。

監督は1965年生まれのフランスとアルジェリア二重国籍のいわゆる移民の子弟であるNadir Moknècheナディール・モクネシュ。パリで生まれたが3歳で父を亡くし母とアルジェに戻り、キリスト教系の学校の寮で暮らす。16歳でパリに戻ってバカロレアのと2年の法学部を経て演劇に転向した。

アメリカにも留学し、現代のモロッコやアルジェリアのシーンを描く映画を監督するが、この映画も、カリカチュアではなく、宗教の問題にも触れていない。

とはいっても、厳格なイスラム法では禁じられている酒、タバコ、音楽、踊りなど、何でもやっているローラを揶揄するコメントがあったり、主人公ズィノの子供の頃の割礼記念のビデオが出てきたり、葬儀やパリの墓地のムスリム区画での埋葬、フランスに来たんだから犬を飼っても平気(犬はムハンマドを噛んだということでイスラムでは不浄とされ嫌われている)というズィノの叔母のことばなど、今のフランスで暮らす「普通のムスリム」のリアルな生活感が見える。

ズィノはオーステルリッツ駅近くのマンションの高層階に母親と猫と住んでいたが、母は動脈瘤破裂で突然死する。飲みかけのコーヒーだかティーだかのカップがテーブルに置かれたままで、テーブルにのぼった猫がカップを倒すシーンでその死による人々のパニックが伝わる。

ネコはその後もあやうい、シンボリックな役割を果たしている。

ピアノ調律師で作曲もする30代のズィノは、遺産相続の手続きで、公証人から、父のファリッドが離婚していないばかりか南フランスのカマルグに住んでいると知らされる。それまでは、父のファリッドはある日「蒸発」し、は妻子を捨ててアルジェリアに戻ったと聞いていたのだ。

オートバイをとばして南仏に向かうズィノ。

町で最初にすれ違うのはフランシスカンの修道服を来た修道者らしい人。


で、訪ねた住所はなんとレッスン中のオリエンタルダンスの教室だった。

女性たちがたっぷりした腹を見せてベリーダンスをしている。(ああ、グラナドス!

教師をしているのは妖艶な熟女ローラ。

ファリッドの息子が来たと伝えられたローラは動揺する。

同姓同名の人違いだと言ったが、ズィノは彼女が父の妻なのだと思った。

自分や父と同じ姓だからだ。では、父は重婚していたのだろうか。


公証人から書留を受け取ってパリへ出ていくローラ。


ローラは、女性と暮らしている。相手の女性はどちらかというと「いかにもレズビアン風の」中性っぽい人だ。このカップルはもう若くないわけだが、この人の愛(パリでローラが自殺未遂で入院した時に駆けつけてくるシーンにはほんとうに泣かされる)がすばらしい。

彼女にも励まされてローラはパリで息子に自分が父だと告白する。

衝撃と拒絶。

ズィノの怒り、ローラの絶望、どちらも説得力がある。

ローラはもと、クラシック・バレエの男性ダンサーだった。息子も音楽の世界に生きるアーティスト。政治的にはトランスジェンダーを差別などしていない。

しかし、理論や建前と、それが「親子」の間に起こる場合の感情の齟齬というのは別だ。

事情を知っていた母親にも騙されていたことになる。

何を赦していいのか受容していいのかも分からない。

叔母からは、実は母親のマリカはファリッド(ローラ)が性同一性障害だということを知っていて結婚したと聞かされる。叔母も女性の姿となった義兄に再会して驚くが、昔は彼のことをゲイだと思っていた、という。

ローラは、「自分はいつも女性を愛している。レズビアンになった異性愛者なのだ」という。

性同一性障害と言っても、ジェンダーのアイデンティティと肉体的な性のアイデンティティは別のものだ。

ファリッドとマリカは愛し合っていた。けれどもファリッドは男の姿で男としてふるまうことにもう耐えられなくなったのだ。女になってレズビアンのカップルとして息子を育てられたならよかったのだろう。けれどもマリカは、女になるファリッドが耐えられないのではなく、そうなったら世間の目に耐えられないのだ。

性別と見た目に関しては、生きていくうえであまりにもジェンダーの縛りと圧力が大きいので、第一の苦しみはそこから来るのかもしれない。

マジョリティの人たちから見ればみなひとからげに性倒錯だと思われるかもしれないが、どの性を性的対象と見るのか、と、自分の生物学的な性別を認めるのかはまったく関係がない。


私など自分でも、「性別」としての女性は違和感がないが、アイデンティティの底にあるのは「兄のいる妹」という枠内での性別だ。脳内では女性も猫も子供も、柔らかくてかわいいものは大好きで触りたいし見ていたいが性的対象ではない。細かく見ていくと、性的には「女友達が大好きなゲイの男」と一番親和性がある気がする。妹タイプなので男っぽい感じのレズビアンから声をかけられることもよくあったが、私の好きなのは女っぽい猫っぽい柔らかい女性で、しかも性的興味は全くないのでスルーしていた。


兄のいる妹として生まれて家庭内で妹ジェンダーというアイデンティを課された女性でも、まったくそれが自分に「あっていない」と苦しむ人もいくらでもあるだろう。それは最初は反抗や反発になり、やがては家族から離れるという形で解消できるかもしれない。「嫁」だの「母」などという後発のアイデンティティなどはもっと不安定なものとなる。

人間とは、肉体の性別アンディティティと社会から押し付けられるジェンダーと誰に何に性的欲望を覚えるかという性的アイデンティティが複合的にあるだけではなく、実は生まれた時の周囲(大抵は家族)との関係性から来るアイデンティティとの齟齬もあり得るわけで、「カテゴリー分け」だのロビー活動などには絶対に納まりきれない複雑なものなのだ。

それでもこの映画でファニー・アルダンという大女優を起用したことの倒錯にはくらくらする。


映画界にはAlexis Arquetteのような真正のトランスジェンダーの女優たちもいるのだから、彼女らを起用すべきではなかったのかという意見もあった。

ファニー・アルダンは男でもなく、アルジェリア人でも、アラブ系でも、トランスジェンダーでもない。


実は、トランスセクシュアルの友人たちがいる監督がこの映画の構想を自分の母親に話した時に、母親がその役はファニー・アルダンに頼むべきだ、と言ったのがきっかけだったという。

低いしわがれ声と、エレガントな長身、の迫力に加えて奇抜な衣装。

バロックとマニエリズムの境界。

アルモドバルの映画の世界ですか、といいたくなるが、実は、とても抑制が効いていて登場人物全員が非現実的な「上品」さをたたえている。


ズィノは、結局、性別は関係なく「父親」を求めている。

ファリッドも息子を愛していた。罪悪感にとらわれた。

でも彼にとっては、自分の意識に合致する体を手に入れること、女性のオリエンタル・ダンサーになれるかどうかは、生きるか死ぬかの問題だったのだ。

ズィノ役のTEWFIK JALLAB35歳で、パリの近郊でモロッコ人の母とアルジェリア-チュニジア人の父の間に生まれたこれも典型的な「移民の子弟」だ。

「父と息子」の関係を突き詰めることで、何世紀にもわたる「父系制」社会に挑戦している映画だともいえる。

性別や見た目や世間の目などと関係なく、「それでも愛している」という心を封じていた二人は、揺らぎながら互いに相手をかばおうともする。けれども、愛を口にして、もし向こうから同じ言葉が返ってこなかったらどうしようという恐怖が愛にまさる。

これは普遍的な映画なのか、ニッチな映画なのか、評価もかなり分かれている。

私の好みにははまり過ぎなのだけれど。

ライオンキングでも猿の惑星でも、当然のように与えられるテンプレートに「父が息子」へ「力」を継承させるという者がある。この映画がそれを大きく揺るがすものであるということにセンシティヴであるかどうかが評価の分け目になるのだろう。

日本ではいわゆる「オネエ」キャラが一見市民権を得ているように見えるが、普通の人には性的マイノリティの中での性的アイデンティティと性的欲望との組み合わせの区別などつかないことだろう。

日本のM to F で私の知っているのは(直接知っているわけではない)、性転換手術の前後から細かくレポートしてくれたブログを愛読していた能町みね子さんくらいだ。(今もネットの週刊誌で連載を読んでいるが、オリンピックを盛り上げるために都知事がラジオ体操奨励したことへの記事など、同感で笑えた。)

深刻なのはやはり、「子供」がいる場合で、「子供との関係」における性別の刷り込みや世間の目こそ、「父系性社会」の基盤だから、「基準を離れる」のは大きな試練となる。


日本でも、2014年から、性同一性障害のため女性から男性に性別変更した夫とその妻が第三者との人工授精でもうけた子について、戸籍に嫡出子として記載できるようになったという。

同じケースでも、男性から女性に性別変更した人への偏見の方が実際は厳しいのではないだろうか。「女が男になる」のは上昇であり、理解できるが、「男が女」になるのは下降であり理解できない、としないと男性優位のシステムを揺るがすからだろう。女が男の服を着て活発に動くのは、子供が大人の真似をするように「ほほえましい」。でも男が女装をしてしなをつくるのは男優位社会の侵犯とみなされる。あるいは完全に「枠外」の異種動物のように容認される。

この映画の登場人物の苦しみに共感できて、それでも人間性と愛の光の中で物語を観ることができてラッキーだったと感謝する。


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# by mariastella | 2017-08-13 05:17 | 映画

ウィーンの話 その4

シュテファン大聖堂の「宝物館」には、工芸として立派な祭服だの聖体容器、聖杯、聖遺物入れなどの他にカトリックのフォークロリックな「聖遺物」がたくさんある。

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十字架を担いでゴルゴタへの道を行くイエスの顔を拭ったヴェロニックの布だとか、

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最後の晩餐のテーブルクロスだとか、

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イエスの十字架の木の一部だとか、

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茨の冠の棘だとか、

こういうものって、例えばヨーロッパ中にある十字架の木の聖遺物を合わせると森ができると言われるほど、どこにでもあるといえばある。たいていは、4世紀のコンスタンティヌスのあたりから、エルサレムに行っての「聖遺物収集」が始まって、それがイタリアやコンスタンティノープルで崇敬されていたものが、十字軍の時代にコンスタンティノープルから収奪してきたということになっている。
また、神聖ローマ帝国の皇帝やヨーロッパの王とローマ教皇とが対立していた時に何度も侵略や戦争があったので、フランス王やらドイツやオーストリアの王、皇帝、選挙候などもイタリアの各地からメジャーな聖遺物を収奪したりしている。
ケルンの大聖堂などはミラノから略奪した東方の三博士の遺骨を納めるために建設されて、その威光でローマに肩を並べるほどの大巡礼地となった。つまり経済効果があったわけだ。
十字軍の騎士たちに「聖遺物」を売りつける商人たちも跋扈していた。
存在が確認さえされていない三博士はもちろん、あきらかにでっちあげやら真偽のあやしいものはたくさんある。
しかも、手に入れた経緯は略奪やら時には他の巡礼地から盗み出すなど、到底、立派な行いとは言えないものが多く、これらこれらの夥しいメジャーな聖遺物は、巡礼者に宣伝するのは別として、基本的にひっそりと、つまり、本物であることを「強調する」とか「証明する」というようなロジックと別のところで祀られている。

これらの聖遺物を「本物」にするのは、巡礼者、信仰者を集める「実績」であり「ご利益」や「奇蹟」の「実績」であるからだ。聖遺物は崇敬されることで「本物」になり、崇敬による一種の集団サイコエネルギーみたいなものが、「奇跡の治癒」を生み出していく。

中世の人間とはいえ、本気でこんなものをありがたがっていたものだろうか、とその本気度を疑いたくなるかもしれないが、当時の王侯貴族が「毒消し」のために食器や飲み物入れに異常な神経を使っていたことを見るとそれが別の角度から分かってくる。彼らは常に毒殺されるリスクを抱えていて警戒していた。だから食器やカップなどを毒消しの効果のある動物などで装飾したり、毒消しの効果のあるとされていたヤギの胃の石灰化したものをくりぬいて金細工してコップにしたりしている。

医学の発達していない時代に、病気や怪我や中毒などは神罰やら運命やらに一撃される不可抗力の恐れだった。
いいというものにはすべてすがってみる、というのは信仰や迷信というよりもっと実存的な欲求だったのだろう。

このような聖遺物崇敬の「迷信」はプロテスタントから一笑に付され、一掃されたわけだが、ましてや明らかに出自のはっきりしない聖遺物について、今のカトリック教会はもちろん大っぴらに宣伝するわけもないし、新しく公認された「聖人」の真正の「聖遺物」だって、「それがどうした?」と部外者に言われればそれまでなのだから、中世の王侯経由で聖堂や修道会に伝わるコレクションについては、崇敬されてきた歴史を尊重するだけで、「真偽」を問うようなことはしない。

で、この大聖堂が捧げられたイエスの使徒ステファノ、聖シュテファンの聖遺骨はどこに?どこに? (続く)

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# by mariastella | 2017-08-12 07:10 | 宗教

原爆と東京裁判

8/8の夜、Arteでヒロシマのドキュメンタリー番組と東京裁判のドキュメンタリー番組をやっていた。

私は東京裁判の実写フィルムを見たのははじめてだったので印象深かった。

1983年に『東京裁判』という映画が日本でできていたのも知らなかったが、Youtubeでもいろいろ見ることができるのが分かった。(その後、延々と見ている)

今回のテレビでは、大川周明がパジャマを脱ぎかけてとめられたり、東条英機の頭を後ろから叩いたり、それを見た判事たちが困惑している様子などが映っているのを見て驚いた。東条らが処刑された後で大川周明が元気で病院から出てきた写真も紹介されていた。

東条英機が疲労のせいか、天皇の言葉には誰もさからえない、とうっかり言ってしまったので衝撃が走り、天皇の戦争責任についての風向きがかわりそうになり、判事たちみながあせって、次の公判で前言を撤回するチャンスを与えたシーンも興味深かった。

傍聴席の東条の妻子の姿も映されていた。

結論部分は、当時の日本人は生きのびるのに精いっぱいで誰も実は天皇の運命にたいして関心を持っていず、天皇の存続を望む人は16%くらいしかいなかった、でも、結局天皇に責任がないということになったのだから、天皇の赤子であり天皇の臣民であった一般国民にも、軍部がした残虐行為などの責任はないから謝罪する必要もない、なかったことにしていいとなったのではないか、となっていた。

ドイツ人とヒットラーやナチスとの関係とはだいぶ違う。

そういえばイタリアではムッソリーニの生地で墓もある町が、巡礼地のようになっていて、グッズを売る店も繁盛していて、ファシズムを擁護するような活動を規制する法律がもうすぐできるので、店の主人が困ると言っている記事を最近読んだ。


ドイツのような徹底した規制は今までなかったわけだ。


ヒロシマのドキュメンタリー番組ではアメリカでの報道の変化などが興味深かった。

闇市を暴力団、やくざが仕切るようになったこと、孤児たちが食べ物を得るために簡単に暴力をふるい、モラルなどはなかった、少女たちは暴力団から保護されていたが、やがて200人ほどが姿を消したので売られたのだろう、などという証言もあった。政策にNHKの名もあったから日本でも放映されたものなのだろうか。


その後もYoutubeで日本の原爆に関するドキュメンタリー番組を視聴した。

私は「文字情報」偏重の人間だけど、やはり「生身の人」の声による証言のインパクトは大きいし貴重なものだとあらためて思う。


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# by mariastella | 2017-08-11 02:22 | 雑感

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』とエコロジー

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』を見た。


『ダンケルク』に続いて戦争映画を観るなんてどうかしている。

このシリーズの前二作は観ていない。20世紀にあった最初のシリーズも見ていない。

これまで食指を動かされなかったのだ。猿に感情移入もできないと思った。

今回は予告編で「猿」の表情が人間より人間らしく見え、テーマも地球の未来と異種共存について考える私の心の琴線に触れるものがあったのだ。

(日本ではまだ未公開のようなのでネタバレが心配な人は読まないでください)

原作のSFがアメリカものではなくフランス人のピエール・ブールのものだということは知っていたので、前にも調べたことはあった。(ジュール・ヴェルヌといいフランスってけっこうSF先進国なのだ)


ブールが『戦場にかける橋』の原作者でもあり、アジアでの生活が長いということも知っていた。

アジアでの異文化体験と「猿」との戦いというイメージが重なるなら、なんだ気分が悪いという感じがあった。日本軍の捕虜になったという話もあるし。


でも彼はイギリス軍ではないし、フランスは1940年にはドイツと協定を結んでいたのだからベトナムなどではフランス軍と日本軍が仲良く映画を観ていた、という話を当時子供だったベトナム人から聞いたこともある。

今度の映画を観て、つくづく思ったのは、もろキリスト教文化圏のお話だなあということだ。

でもこの最終話ではそれがカタリ派的善悪二元論の残念な方向に行きそうになっている。

悪いのはもちろん人間で、でも、悪いというより「愚か」というしかないのだけれど。

ピエール・ブールはアヴィニヨン生まれで高校までアヴィニヨンで育っている。

フランスのアヴィニヨンというと旧教皇領で、法王庁もあったばりばりのカトリック文化圏で、ブールの母(弁護士だった父が演劇評を書いていた新聞のディレクターの娘)は、毎週教会に通う熱心なカトリックだったという。子供は当然母親の影響を受けるから、ブールも少なくとも子供時代はカトリック教育を吸収したに違いない。

その後パリ近郊の理系のグランゼコールに入学した。日本の訳を見たら「エンジニアの学校」などとあったけれど、これまで何度も書いたが、日本語や英語のエンジニアはフランス語ではテクニシャン(技術者)であり、フランス語のエンジニアとはエリート管理職候補者用の公式の資格である。

ブールの行ったグランゼコールは私も縁があって何度も通ったことのある全寮制のエリート校だ。

アヴィニヨンでは読書や狩りを楽しむ生活だったのが、父親の突然の死で、母親を助けるために中央に出てエリート・コースに進んだのだという。

彼の小説の中で興味深いのは、1963年の『猿の惑星』の19年後に発表された『鏡の輝き』という近未来小説だ。フランスはすでに原子力発電依存率が世界的に高い国だったが、ある研究者が、南フランスのラングドック、プロヴァンス、コルシカ島の1%の土地を鏡で覆うと、フランスに必要なエネルギーの10 %を得られると言った。ということは、10%を覆えば全フランスのエネルギーをまかなえることになる、と、緑の党の大統領ジャン・ブロンド―と大臣たちは考えた。

大統領夫人ベアトリスは太陽信仰を持っていたので、神秘熱に駆られてこの太陽光発電を宗教的使命感で成し遂げるよう夫を説得し、太陽神殿ヘリオス発電所が生まれる。その鏡の反射光は公害のないきらめくエネルギーの到来を示すかのようだった。

ところが、意図がすばらしくても、結果は思いがけないもので、巨大な反射光は次から次へと、周囲の環境をパニックに陥れることになる。

良かれと思う意図も、突き進むと不条理にまで達することがある。

「地獄」とは「よき意図」という敷石が敷き詰められてできているのではないだろうか?


…という話。

で、ピエール・ブール亡き後に作られた新『猿の惑星』ものテーマも、普遍的であるとともにすごく今日的でもある。冷戦後なので核戦争からエコロジーにシフトしている。


猿たちのリーダーであるシーザーは、「エイプ(猿)はエイプを殺さない」という掟をつくって平和な共同体を作っていた。有能で道徳的な哲学王がいれば、民主主義なんか必要ない。

異種とかかわらなければそれですむ。


ところが「造反者」はいつも現れる。

憎悪に負ける者もいる。

仲間に銃を向けるような造反者はもはや「エイプではない」としてシーザーは粛清した。

あれあれ。

さらに、異種である人間たちの窮地を救うために迎え入れれば裏切られたり、エイプの「種の存続」のためにはと最終戦争を決意したり、捕虜に温情を見せて裏切られて人間に家族を殺されて復讐を誓ったり、ある意味で「楽園」状態だったエイプたちが最初の罪なき状態から「戦い」のロジックへと転落していった。賢王だったシーザーも自分は憎しみのとりこになったと認めるのだ。(それも結局は贖われる構成になっているが)

人間のところで育てられ、後で仲間を救い出して人間の住処から隔離された「約束の地」に共同体をつくって「殺すなかれ」の掟を申し渡すシーザーの姿は、エジプト王に育てられたユダヤ人のモーセがやがて奴隷だったユダヤ人を引き連れてパレスティナへ向かう旧約聖書と完全に重なる。

しかも名前がシーザーだから、イスラエルとローマの統合というカトリック的ビジョンもある。

第三部で猿たちが強制労働を強いられたり、反抗したらX型十字架につけられたり、鞭打たれたりするのも、ホロコーストの強制収容所やキリストの受難や殉教者伝などのイメージとしっかり重ねている。十字架上で悪魔の姿を見るイメージも、復活するイメージもそうだ。

大きな使命や共同体を救うための犠牲の精神なども、キリスト教世界の騎士道などに通じる。

それでも結局は大自然の力によって壊滅したり奇跡的に助かったりするのだけれど、それも大洪水とノアの箱舟や「神の摂理」を連想させるし、「言葉」の持つシンボリックな意味も「啓示の宗教」の伝統を思わせる。(まあ、最終的には人間と猿の動物としてのスキルの差が運命を分けるのだが…)

王と王の息子の絆や地位の継承という単純なところは、キリスト教というよりライオン・キングっぽい分かりやすさだが。父系制社会のモデルは揺らがない。

前世紀のシリーズや1963年の原作で人類を破滅させるのは核戦争だったが、このシリーズでは、武器ではなく、人を救うための医療技術の追求の思い上がりによるものだというのは、むしろ、前述したブールの『鏡の輝き』の方にシフトした感じがある。

たとえ、病気を治すためでも、エコロジー技術の追求でも、人間が勝手に思い上がって暴走すると地獄に堕ちるということだ。

しかし、たとえ娯楽映画という手段を駆使してその「人間の愚かさ」をこれほどよく表現しても、世間では映画のテクニックの向上が称えられたり、興行収入の増大が第一の優先事だったりするのは自明だ。

経済「成長」を善として成り立つ社会像の内部ではなく何かもっと根本的に表現のベースを変えていかなくては、人類自滅のリスクは高まっていくばかりかもしれない。

憎しみによってはもちろん、どんな大義名分があろうと、「正当防衛」だとか「共同体の利益」のためでさえ、たったひとりの他者でも排除したり自由や命を奪ったりすることを拒否する、という方向にしか真の平和はない。

なんと難しいことだろう。


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# by mariastella | 2017-08-10 00:50 | 映画

モスルのノートルダム


イスラム国」のイラクにおける拠点だったモスルが「解放」されたというので世界中から多くのメディアが乗り込んでルポルタージュを発表している。

これまでも「オリエントのキリスト教徒」を積極的に支援してきたフランスのカトリック教会も725日にさっそく現地の5教会を訪問した。もともとイラクのカルデア教会はカトリックの仲間だ。

3年間の「イスラム国」による占領の前に3万人いたキリスト教徒のうち、「解放後」に戻ってきたのは今のところたった3家族だそうだ。トラウマが大きすぎるからだという。

フランス・カトリックのオリエント教会支援機構はルルドの洞窟で祝別したというたくさんの「ルルドのノートルダム」像をすぐにモスルの教会に贈呈した。

イラクのこの地域ではもともと病人や怪我人に寄りそう「聖母マリア」への崇敬がさかんだったが、「偶像崇拝禁止」のイスラム過激派がもちろん聖母像をすべて破壊してしまったからだ。


その後で、7/25にリヨンのバルバラン大司教の率いるフランスの司教団がモスルを訪れて、バルバラン師はリヨンの「フルヴィエールの聖母」の金色の像をカルデア・カトリックの「聖霊カテドラル」に寄贈した。


フルヴィエールのノートルダム大聖堂はフルヴィエールの丘の頂上にそびえるバジリカ教会で、司教聖座のカテドラルは旧市街にある天文時計で有名な聖ジャン(ヨハネ)大聖堂なのだけれど, それとは別に 普仏戦争でプロシャ軍の侵攻から守ってくれたノートルダムに捧げられた大人気のバジリカ聖堂だ。ちょうど、パリのカテドラルはノートルダムだが、普仏戦争後の宗教熱でサクレクール大聖堂が造られたのと同じような関係にある。

「聖母マリア」というのは、「ルルドのノートルダム」だとか「フルヴィエールのノートルダム」だとか、「ファティマの聖母」だとか、行く先々で、「うちのマリアさま」のヴァリエーションがある。

まあ、フルヴィエールのノートルダムは、普仏戦争後の「平和」を象徴しているのだからモスルにぴったりだと思ったのかもしれない。(もっともフランスはその後二度も大戦の舞台になっているけれど。)

モスルのシリア正教カテドラル聖エフェレム大聖堂も、モスクに改造されていたが、戦闘のダメージで吹き曝し状態になっているけれど、青い銀河を背景にしたキリストのモザイク天井画だけは奇蹟的に残っているという。アッシリア殉教者教会も鉄骨と二面の壁しか残っていない。

モスルはキリスト教の揺籃の地でもあり、サダム・フセインの頃にイスラム教と平和共存していたのがもう遠い昔のようだ。


バルバラン大司教が金色の聖母像を置くのを、カテドラルに避難しているムスリムの家族たちがじっと見ていたという。


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# by mariastella | 2017-08-09 07:11 | 宗教

ウィーンの話 その3  シュテファン大聖堂の南の 塔に昇る


ウィーンでは一日に18000歩も歩いた。

シュテファン大聖堂も、南の塔の上まで昇った。

ずっと低い北の塔の展望の良いところまではエレベーターがある。

そちらももちろん昇ったが、南の塔は300段以上の螺旋階段を延々と昇らなくてはならない。

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写真の右端のところどころに開いているのが見える長方形の穴から吹き込む風でなんとかしのげるが、おりからの猛暑で大汗をかく。

なんでこんな高いところに昇るのかなあ、と自分でも思う。

降りるのはもちろんずっと楽だ。

天国に上がるのは難しい、

地獄に堕ちるのは簡単、

ってことかなあ。

大聖堂内の説教壇も、階段を昇ってかなり上の方にある。

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下の方には動物やら怪物やらの彫刻が施されている。

これは別に、司祭が会衆を見下していわゆる「上から目線」で説教を垂れるためではない。王侯貴族の宮殿に付属する聖堂では、王たちが聖堂に入らずに居住室から直接、説教壇より高い位置にあるテラスの席について、見下ろす形になっているところなどいくらでもある。

説教壇が高いところにあるのは、そこに上ることで煩悩やら邪心やら「悪」を「下界」に置いてくるという決意の意味があったそうだ。自分の卑しい部分を下に残して、霊的な部分を聖霊にインスパイアしてもらって説教の言葉が出てくるようにするためだという。


そうなると、苦労して塔の上に昇るのも、登山と同じでちょっとストイックな「浄め」の気分なのかなあ、とも思ったが、「馬鹿と煙は高いところに上がるのが好き」という言葉も頭に浮かんだ。

シュテファンというのは十二使徒の中で最初に石打ち刑で殉教者になったステファノだ。

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祭壇の絵ももちろん殉教図になっている。


フランス語ではエティエンヌという。ステファヌという名前もある。カトリックのことを知らない人には、エティエンヌとステファンが同じ使徒由来の名だとは気づかないくらいに違う。

ピーターやペーターがピエールやペドロ、ピエトロ、ピョートルなどとヴァリエーションがあるのはまあ見当がつく。

ステファンがスティーヴンやエステバン(スペイン語)になるのもやや分かりにくいが、Sが完全に抜けたフランス語のエティエンヌって、慣れれば普通なのだけれど、フランス語のミシュランのガイドブックの地図にSt Etienne と堂々と表記してあるのを見ると違和感があり過ぎだとあらためて思った。

ハプスブルク家のウィーン最大のゴシック・カテドラル、地下にはカタコンブもあれば歴代の皇帝、王族の内臓を収めた壺も並ぶ。見どころは満載だ。


「ハプスブルク家はみな敬虔なカトリックだった」と解説にある。


「敬虔なカトリック」ってなんだろう。


権威付けや人脈や政治や外交のツールの他に、迷信、あらゆる種類の「神頼み」をほんとうに必要としていたということか、それとも本気で「教義」を信じていたのだろうか。確かに、信心グッズのコレクションの壮大さにはただの見せかけではない強迫観念が垣間見える。

ともかく、最大の野次馬的興味は、この大聖堂が捧げられている殉教使徒シュテファンの聖遺物である。それはどこにある?


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# by mariastella | 2017-08-08 05:44 | 宗教

広島忌、自衛権、自然法

きょう(日本時間ではもう昨日だが)は「広島忌」だったので、ブログ「広島の心を世界に」を読んだ。被爆72周年原水爆禁止世界大会の報告には胸が詰まる。

その少し前の記事に、憲法学者の石河健治教授の講演の要旨があり、興味深く読んだ。

四部からなる。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-85b4.htm

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-2c15.html

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/9-4-b38a.html

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-4d59.html

この中で「財政によるコントロール」という視点に最も注意を喚起された。

今はイデオロギーも政治も平和も「金」に裏打ちされている世界であるからだ。

執筆中の「神・金・革命」の中でも考えているところだった。


しかし、この講演の論旨の中で足りないところも大いにあると思った。

ヨーロッパ大陸での戦争の歴史と、冷戦によって歪んできた「国際法」の実情だ。


で、この前、ドイツには個別自衛権がないと書いたが、そのことについて詳しく調べてみようと思ってネットをサーフすると、非常に面白い二つの論文に行き当たった。ひとつはフランスのもので、

グルノーブル第二大学のティエリー・メニシエ「自衛権の歴史-- 国際法の《現実的残基》 ?」

というもので、もう一つは少し古いのだけれど、1970年代の西ベルリン大学国際法学、比較法学研究所教授で所長のWilhelm WENGLER という人による「戦力行使禁止の問題と傾向」というものだ。


私は日本における個別自衛権の問題と集団的自衛権の問題の議論で分からないことがいろいろあった。日本では集団的自衛権の行使、即、アメリカの戦争に自衛隊を派遣する、かのようなイメージだったからだ。それと比べると、同じ「敗戦国」ドイツが集団的自衛権しかないというのは、NATOEUや国連の枠内でしか軍を出せないことなのか、確かに、ドイツが隣接するヨーロッパ諸国から軍事攻撃をされるという可能性はゼロということだからなあ、などと思っていた。ドイツに個別自衛権を与えたら、また全体主義的領土拡大に向かうかもしれないと牽制されているのだろうか、と。

それに比べたら、日本は島国なんだから、個別自衛権だけで外に出ていきさえしなければ鎖国時代の平和が証明しているように平和なんでは? いや、すでに「鎖国」がたちいかなくなったように、今の時代はどこからミサイルが飛んでくるか分からないんだからそんなことは言っていられないんだし…。などとも。


で、歴史を紐解けば解くほど、


知的な考察は大昔からレベルが高く、

実態は、大昔から、フランス語で「校庭の喧嘩」と呼ばれるレベルの力比べと支配を拡大するエゴイスティックな欲望の繰り返しだ。


今のフランスだって、ジャン・ボダンが言ったように「ひとつの共和国の絶対で恒久的な力」を主権としているのだ。

絶対、とか恒久的、とかいう言葉が出てくる時点でもうそれはある時代のある共同体のエゴの表現でしかない。


1945/6/26の国連憲章51条の軍事力行使の原則禁止なんて、すぐにアメリカによるレバノン、ベトナム、ニカラグアへの派兵、ソ連による1969年のプラハ侵攻、1979年のアフガニスタン侵攻、などの口実となっただけで、必ずしも国連の承認など得ていない。

1967,1975,1981年にはイスラエルが予防的自衛権を唱えて、アメリカもイラク派兵にそれを使った。こんな風に勝手に使い回される「自衛権= 正当防衛」論には、それ自体の起源に「逸脱」のもとが含まれているのだろうか。

すでに、人は誰でも自分の命や財産を守る権利がある、という「自然権」思想そのものの出発点において対極的なヴァージョンが存在した。


理想主義ヴァージョンと現実主義ヴァージョンだ。


理想主義ヴァージョンは、キケロが明文化したもので、ギリシャ思想の中にすでにあった文書化されていない自然法に基づく。ローマ共和国の終焉から独裁政治のストラクチャーの移行という危機の時代の中で、キケロは、独裁を非合法であり不当なものであると見なす根拠として、目に見えない自然法の道理を持ち出した。

それに対して、現実主義はプラトンの時代からあって、神々の世界であろうと人間の社会であろうと、「強いものが命令する」という自然法がある、としている。それは太古から存在する法で、誰でもそれに従うものだ、と。

これって進化論の弱肉強食の選択淘汰に通ずる直感のようだ。


で、実際は、「自然法」や「自然権」の思想はその両極の間を揺らいできて、現実には、その時々の「力」を蓄えた覇権主義者によっていいように使われてきたわけだ。


国連憲章の平和共存や、戦争禁止の各種条約も、今や、「人類全体のサバイバル」を視野に入れない限り意味がないし、主権国家がそれぞれ、それに沿う具体的な法律や条令をつくったり行使したりしない限り、真の安全や平和に到達することなど不可能だ。


「総論」としての「平和共存」と「戦争の放棄」には何とかたどり着いているのだから、今さらそれをいじくりまわすのも不毛である気がする。


そういえば、(6/10)の『朝日新聞』朝刊「声」欄の投書というのをネットで読んだ。


>>>「教育勅語」切り売りは無意味

無職 花輪 紅一郎(東京都 67

 「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易の人の道の基本と言っていい。

 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たち がいるが、この四つが含まれていないことをご存じだろうか。逆に、勅語の1丁目1番地 である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。

 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の 徳目を組み込む構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何の ためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては「ために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。

 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。<<<


というものだ。


しかし、仏教でも旧約聖書でも、そろって「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」と言っているのは、これらがよくよく「人類普遍」の誘惑だということなのだろうなあとおかしくなる。


それでもあまりこれを野放しにすると「類」として滅亡してしまう可能性があるからこそ、社会進化論的にこのような戒律やら「やっちゃいけない」総論の自然法ができてきたんだろう。


そこに忠君とか愛国とか根性だとか、ある時代のある社会でだけ有利な各論の「うちの法律」を立てても、長い目で見るとかならず局地的な破滅につながってきた。

ヨーロッパの歴史、欧米主導の歴史もその繰り返しだった。


それが全地球的な破滅に至らないためには、国連憲章でも今回の核兵器禁止条約でも、「やっちゃいけない」総論の確認を何度でも何度でも繰り返すしかないのかもしれない。


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# by mariastella | 2017-08-07 02:38 | 雑感

ウィーンの話 その2 スピノザ賛歌を作ってきた

ウィーンで考えたことをいろいろ書く前に、東京やパリと違うなあと思ったことをもう少し。

私は文房具フェチでミュージアム・ショップのボールペンの類はどこでも買い込んでしまう。

で、ウィーンで最初に買ったボールペン、試そうとしてペン先を出そうとしたら出なかった。
蓋つきでない場合は、たいていは、ペン先の反対側にあるでっぱりを押すノック式か、本体を回すとペンが出てくる。
たまに、ポケットなどに引っ掛けるための取っ手みたいな部分を押し下げると出てくるというのもある。
それを全部試したのに出てこなかった。
ペン先を出すには、ペン先の出てくる円錐部分だけを回す仕組みになっていた。
珍しいなあと思ったが、その後、私の行ったすべてのミュージアム・ショップや土産物店にあったボールペンが、先を回す方式だった。プラハなどでは気づかなかったからやはりこれはウィーン限定なんだろうか。

ピアノ型のオルゴールも買ったけれど、私の持っている他のピアノ型のオルゴールは、グランドピアノの三角型の蓋を開けると音が鳴るものだけれど、ウィーンのものは、鍵盤の蓋を開けると音が鳴るものだった。これでは鍵盤の蓋を開けて飾っておけない。

なんだか、ペン先といい、鍵盤の蓋といい、小手先というか、よく言えば繊細だが、なんだかウィーンのどこかにはりついているデカダンスな感じに呼応しているような気分にだんだんなってきた。

もう一つおかしいのは、今夏のバーゲンセールの時期なのだろうが、どこでも英語でsaleと書いてあるのは日本でもそうだから分かるとして、多くの店に「SALE %」とか、時には、大きく、ただ「%」とだけ書いてあるのだ。
もちろん中には「-50%」とか「bis -50%」と書いてあるものもある。それは50%引きなんだろうなとか、最高50%までの値引きなんだろうなと分かるけれど、ただ「%」って…。
初めは数字が抜けたエラーかと思っていたけれど、「SALE %」とか「%」だけの店がたくさんあったので、要するに「%」というのが「バーゲンセール」とイコールなんだと分かる。

日本のお店にも英語やフランス語でへんなものは時々あるけれど(そういえば、フランス語ではsaleというのは汚いという形容詞なので、英語圏や日本でsale, sale,とあちこちに貼り紙がしてあると慣れないフランス人は妙な気分になる)、それにしても、ただの「%」だけで、いいのか、オーストリア人、と思ってしまった。

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体験型で人気の「音楽ハウス」では、自分でウインナワルツを「作曲」したり、自分の名のオリジナル曲を作ってもらったりできる。
と言っても、前者は、右と左のサイコロを振って、弱起付きのヴァイオリンパートとチェロのバートを交互に6種類の中から組み合わせて、最終小節はちゃんとまとまるようにプログラムされているもので、それを楽譜にしたものをもらうこともできる。
後者は、自分の名前をアルファベット打ち込むと手書き風の楽譜が現れて、音を聴くことができて、さらにそれをハーモニゼーションしたもの、楽器演奏したものを試聴でき、プリントアウトされた楽譜をもらうことができる。

アルファベットに対応して何にでも使いまわされるようなモティーフがプログラムされているのかもしれないが、私はもちろん、先月帰天したスピヌー(スピノザ)の「賛歌」を記念に作った。

私たちのトリオの共通の友人にルイ・ロートレックがいる。
トゥールーズ=ロートレックの本家にあたる家系のギタリストだ。
彼のために私たちで彼の名を使った曲を作って演奏したことがある。

ロートレックというのはフランス語でLAUTRECと書く。
これは LA - UT - RE -C と分解できる。
LAはラ、UTはドの古い読み方(フランスではつい最近までよく使われていた)、REはレ、Cはドの音名、

で、「ラ、ド、レ、ド」をモティーフにして組み合わせた小曲を彼に捧げて弾いたのだ。

そんなことを思い出してしまった。

このウィーン風スピヌー賛歌、スピヌーの動きが目に浮かぶようで気に入っている。

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# by mariastella | 2017-08-06 06:20 | 雑感

ウィーンで考えたこと  その1

ウィーンを歩いていると、東京やパリとちょっと違うなあ、というほほえましいものに出会う。

信号機の図柄もその一つ。

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青信号は女性が男性の手をひいて歩いているような感じで二人の間にハートが。

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赤信号も二人並んで待っている。

全部の信号ではないけれど中心部には多かった。

ジェンダー的な配慮??

しかもこの信号、なんだかチクタク、というかカタカタとまるでゼンマイでうごいているようなローテクな音をたてる。

言葉や表示は完全に英独の二択だ。

私は英語に次いで第二外国語がドイツ語で、昔はゲーテやシレジウスもドイツ語で読んでいたので、書かれたものはまあまあ分かるけれど、聞き取りは難しい。カフェでうっかりドイツ語で注文したりするとドイツ語が返ってくるので聞き取れなくて、慌てて英語で言い直すことになる。観光客はみな英語でしゃべっているせいか、

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こういうデザインがあって笑える。

確かに、英語ではAustraliaとAustriaは似ていて混同されるらしいが、日本語のカタカナだと一字違いでもっと問題になっているそうだ。
オーストラリアは南の国、で、ドイツ語の Österreich は 東の国(フランク王国にとって東の辺境だったからだ。それが「西」ローマ帝国を受け継ぐ神聖ローマ帝国のめいしゅになったのだからやこしくもある。

今回初めて、ドイツとのはっきりした違いを感じた。
変な話だけれど、「オーストリア生まれのドイツ人」だったヒットラーがハプスブルク家を嫌ったという理由も分かる気がした。
オーストリアの独特の退廃や倒錯の微妙な機微も。

音楽や美術や宗教を通してもそれがよく分かる。

昔はヨーロッパのどこに行っても、ただ、その地の文化を「拝見」しているだけだったし、日本人として刷り込まれているビジョンを「確認」するようなところがあった。

最近はどこに行っても感慨深い。

もし私が今女子大生だったり、あるいは、私が女子大生だった頃に今のデジタル・テクノロジーがあったなら、そういう「確認」をせっせと撮影してインスタグラムだのfacebookだのtwitterだのにアップする形で「消費」してしまっていたことだろう。

それにしても、今回はハプスブルク家とカトリックの関係をすごく考えてしまった。
フランスはもちろんイタリアやスペインやポルトガルやらのベタなカトリック国(の王様たち)と比べても、ハプスブルク家の「カトリック皇帝」みたいな矜持には独特のものがある。

私は昨年『ナポレオンと神』で、ナポレオン二世の運命とヒットラーとアンヴァリッドのことを書いた。そのせいで、大聖堂やフランシスコ会の墓所では胸が騒いだ。

近代フリーメイスン創立の300年記念ということで国立図書館の展示も興味深かった。
なるほど確かに、300年。私が講談社選書メチエから『フリーメイスン』を出したのは2015年だったが、今年になってネットメディアのインタビューを受けたし、もうすぐ発売の『サイゾー』からも取材を受けたばかりだが、300周年だったからなんだなあと今頃納得する。

私の本にももちろんモーツァルトのこと、ヨーロッパのフリーメイスンとアーティストの話が書いてあるので、その時にもいろいろな資料を読んだが、今年ウィーンで、モーツァルトがらみでフリーメイスンについて珍しい資料を実見することになるとは思わなかった。

いろいろなことを少しずつ書いていこう。


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# by mariastella | 2017-08-05 06:27 | 雑感

地球のために何ができる?  その6

承前


肩関節の拘縮という症状は、「見た目」には分からないが、日常生活に深刻な支障をきたすものだった。もともと身体能力が高いとも言えずタフでもない私だが、これまでの人生で、軽い捻挫くらいはしたことがあるものの大したけがも病気もなく、「骨折」さえ経験したことがなかった。

最初はひどい痛みもあったが、その後の「拘縮」の状態は、機能障害であり、私は「頭がクリアに働いていて、体が疲れてもいない、病気でもない」のに、「うまく生きられない」という状態をはじめて体験した。

腕を使わないですむシーンではスルーすることもできたが、たいていは四六時中「不自由」さが頭を離れなかった。何かの機能が決定的に失われたのであればそれなりにあきらめて別の生き方を工夫するということもあったかもしれないけれど、「拘縮」は「いつかは必ず自然に治る」と言われるものだった。

だから、周囲からも特に同情もされず、注意も引かず、「のど元過ぎれば熱さを忘れる体験者」との連帯感も結べず、孤独だった。


その体験が、「たかが、肩」というブログの開設につながった。

そこには、そこまで毎日不自由をしているのに「頭はクリアーで体は疲れてさえいない」という状況の不条理さの観察、心理状態の分析、回復を早める模索、それらすべてが、その時の自分、将来降りかかるかもしれない別の不自由に対する心構え、同じ状況にある他の人、などのために何らかの役に立つかもしれない、という思いがあった。

そのブログでも、互いにかばい合う右腕と左腕の対話が何度も出てきた。

無傷である「脳」は、インターネットで英語、フランス語、日本語の文献や論文や体験談を渉猟し、あれやこれやと考えることに動員された。

もし、左足の小指が痛くても同じことをしていたろう。

ひとつの体である私の中のどの一部に「不都合」が現れても、あるいは、目に見えないし自覚もなかった血糖値でさえ、内分泌機能の不都合を知れば、能力のある部分が全力で情報を収集し、体の各部がかばいあい、励まし合うのだった。

拘縮した肩に不平を言ったり、弱った機能を酷評したりしないし、無視することも切り捨てることもしなかった。

頭は肩になれないし、足も腕の代わりにはなれないが、もし足が動かなかったならどうだったろう、などと想像力は働いたし、弱いところだけではなく、体の各部分に「思いやり」を持つようになった。

どの部分も独自の機能を持っているけれど、全体に関与しているので、どんな小さな部分の不都合にでも、他のすべてが注意を向けるのだった。拘縮した肩は、「どこも痛くない右足にそんなことを言われたくない」、などと言わなかった。機能している部分は、弱い部分をカバーし支えるためにこそ機能しているのだと思えた。

すべての人はキリストの体の一部、とか、地球は一つの体、という言葉に現実感が生まれた。

地球の環境悪化は、生活習慣病のようなもので、必要な情報を取得して理性で管理するならば、全体を活性化できるかもしれない。自己免疫不全の病気は、「内戦」のようなものだ。ガン細胞も、全身の不調の一部が「過激化」して暴走したものかもしれない。


体の各部の形や役割が違っていても、どこかが不具合になっても、差別したり切り捨てたりしないで、「全体を生かす」という展望のもとに我慢したり妥協点を探ったりして助け合わなくてはならない。

リビングのソファに座って弱者に思いをはせ、全体の改善のために対策を練ることには意味がある。全身が痛いからと安楽死を望むようになってはいけない。

全体の「命」を見つめる余裕と能力のある「部分」には、弱い「部分」に思いをはせる義務がある。そこに「弱い部分」に対する「罪悪感」を持ち出すのは倒錯である。

私たちは誰でも、自分にできるいろいろな形で、「地球を救う」ことに参加できるし、しなくてはならないのだ。全体の命、つないでいく命を生かす、という視点を見失ってはならない。

私にはこれから、年と共にいろいろな「不都合」「不具合」が現れるかもしれない。

何らかの「事故」で、命がとつぜん絶たれる可能性だってある。

でも、地球の命のごく小さな部分である自分が全体の命に向ける意志がクリアである限り、私はいろいろな形で「救い」に参加し続けることができる。

そんなことがだんだん分かってきた。

罪悪感なんてケチな言い訳をしている場合では、ない。


(このテーマはこれでいったん終わりにします)


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# by mariastella | 2017-08-04 04:55 | 雑感

地球のために何ができる? その5

(承前)

今から2千年前のユダヤ社会では、律法遵守の形式主義が司祭階級の特権維持装置となっていたが、その欺瞞を批判して律法の本来の意義を取り戻そうとする「改革派」の運動が起こっていた。洗礼者ヨハネの率いるグループもその一つだったが、ローマ帝国支配下にあるユダヤ教のエスタブリッシュメントの中でも、民族宗教から普遍宗教への志向が生まれていた。

けれどもそれは「内包型」だった。

以下、10月に出る新書の一部を少しだけ引用する。

なぜイエスの説教が普遍宗教に発展したのに、他のユダヤ人改革者がユダヤ教自体を普遍化させるに至らなかったのかという理由についてだ。

 >>>まず、トーラー(律法とその注釈)の中にさえ見られる普遍宗教(地縁血縁を問わない救い)の方向性が「内包的」だったということだ。つまり、普遍性を志向する改革者たちも、「ある日すべての異教徒がエルサレムの神殿にやってきてユダヤの神を崇拝するだろう」という方に目を向けていた。「包括型」普遍宗教と言える。それに対してイエスの説教は、「神はもはや、ある場所、ある国、ある言語に縛り付けられることはなくなるだろう」という「拡大型」の普遍主義だった。<<<

つまり、

「うちの宗教とうちの神さまが唯一で絶対で、いつかは全世界がひれ伏して帰依するもんね」

というものが「包括型」だ。(ユダの国は結局イエスの死後40年ほどで滅びるので、包括型普遍主義の方向は断たれてしまった)

それに対して「うちの神さまは唯一絶対だから、いつかは全世界の人を救うもんね」

というのが「拡大型」。

「全世界の人を救う」から「福音」というわけだ。

「そんなこと頼んでないし」

と異教徒や無神論者が思うかもしれないが、思っていなくても神の愛はすべての人に注がれていて、全被造物は「キリストの体」なのだ。

人間が秩序や形式を与えようとする「共同体メンバー認定」や「よそ者排除」などは、神の業とは別物だ。「宗教」としてのキリスト教がせっせと異端を取り締まり、異教徒を殺してきた歴史は、ユダヤの祭司がイエス・キリストを十字架にかけたことの愚かな繰り返しである。

と、ローマ教会は20世紀も後半になってようやく学習し、謝罪までして、「地球を救う」環境保全にまで乗り出したわけだ。

これはある意味すごい。

たいていの宗教が、とっくに分裂していたり、消滅したり、堂々と私物化されたり、ビジネスとなったり、形骸化しているような時代に、

「うちの神さまを人質(神様だから人質というのもなんだけど)にして今まで好き勝手にやってきましたが、間違っていました。神さまを解放して地球上の至る所に聖霊が降り注ぐ本来の姿に戻します」

と言うのだから。

全世界を「キリストの体」に閉じ込めるのではなく、全世界を「キリストの体」と呼ぶことにしたようなものだ。

「キリストなんてうちの氏神様じゃないですけど…」

と敢えて拒否する必要もない。氏神様もみんな含めて、すべての人間の歴史や文化活動も、大きな体、大きな命、の大切な一部であって、排他的な関係ではなく、全体をなしているのだから。

すべてのものに「仏性が宿る」と言うことと、すべてのものに「神が宿る」と言うことは、同じ「普遍」の表現だ。

と、考えることが、私にとって「地球を救う」とは何かについて一つのヒントになった。もう一つは、五十代半ばから、食後高血糖の問題やら、肩関節周囲炎による腕の可動性拘縮の問題という「体の不都合」を体験することで得た気づきがある。(続く)


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# by mariastella | 2017-08-03 05:28 | 雑感

地球のために何ができる? その4

私がうちに引きこもってぬくぬくと「情報収集」と分析だけして、巷の慈善事業に大した寄付もしなければ、通りのマニフェストにも参加しない「頭」だけの危機感と使命感を持っていることに対する後ろめたさを払拭してくれたのは、伝統的なキリスト教の考え方だった。
前から知っていたが、見方が変わった。

それは、「私たちはみなキリストの体の一部である」というパウロの言葉だ。

もともとパウロは「キリストの体」というのを「教会」という意味で使っている。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソの信徒への手紙1,23) とあり、その上で、「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。」 などと言う文脈では、教会の共同体はみな一心同体で、奉仕に励みなさいね、みたいにも聞こえる。

実際、この表現はそういう「キリスト者の共同体」の一体感を強調し、教会の聖性を語るときによく引用される。でもこれとは別に、次のような言葉もある。これも有名なものだが、少し長いけれど引用しよう。(コリントの信徒への手紙一/ 12,12-27)

>>>体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。
神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 <<<

この後に、有名な「愛」のパッセージが来る。

で、この部分も、確かに、洗礼を受けたものならみな多様でも一つの体と言っているので「キリスト教徒」限定のようにも聞こえるかもしれないのだけれど、比喩としてはよくできている。

>>体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか」。 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 <<

>>すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。」<<

と言われれば、なるほどなあと思うのだ。

そして、キリスト教、特にローマ・カトリックは、1960年代の第二ヴァティカン公会議以来、「救い」について、「教会」や「イエス・キリスト」の外に救いなし、という伝統的な姿勢に新たなニュアンスを加えた。
宗教としての教義や典礼の伝えられていない時代や場所においても、聖霊が働いて義となる生き方をして天国に行ける可能性を否定しなくなったのだ。

別の見方をすれば、キリスト教やカトリック教会以外でも、「義人」は聖霊の働きを受けているのであり、「キリスト者」なのだと取り込んでいるわけだ。

これは、例えば、どんな宗教を信じている戦死者でも靖国神社が「英霊」として祀ってしまうのと一見似ているかもしれないけれど、実は、キリスト教がユダヤ選民思想の世界で生まれたのに「普遍宗教」として発展した背景の根本にある考え方だった。
(続く)

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# by mariastella | 2017-08-02 05:59 | 雑感

スウェーデンのカトリック その2


スウェーデンでカトリックが今だに政治レベルで過小評価されているのは、アンダース大司教が枢機卿となったニュースに国王も首相も祝いのメッセージを送らなかったということに現れている、と枢機卿は言う。

議員で唯一祝いを述べたのは福音派の保守党女性議員だけだったそうだ。

(と言われても、日本人にはピンとこない。フランスでもピンとこない気がする。政教分離が進んだ世俗国という点では日本とフランスは似ているから。スウェーデンと似たケースでは国教会のあるイギリスだろうが、イギリス人が枢機卿に任命されたらはたして女王や首相が礼儀上祝辞を述べるのだろうか。検索してみたが分からなかった)

ともあれ、アンダース師の枢機卿任命は、スウェーデンのプロテスタント諸派からは祝辞を受け、何よりも、マスコミ、メディアが大きく取り上げたのだそうだ。

そのせいで街を歩いていても、人々から声をかけられたし、最も人気のある夏のラジオ番組にもゲストとして呼ばれた。ルターの改革500年記念というのに、すっかり「宗教離れ」しているスウェーデンでは大した話題ではなく、ルーテル教会の牧師らは誰もメディアから呼ばれていない。

同じ首長を頂く一宗派として世界最大の普遍宗教であるカトリック教会にスウェーデン人の枢機卿誕生が生まれたことは、「アイス・ホッケーの世界大会でスウェーデンが優勝するようなもの」なんだそうだ。

普遍性が担保するナショナリズムなのだろうか。

 

各国に難民の受け入れを呼びかけるフランシスコ教皇は、スウェーデンの移民受け入れと統合を模範的なものだとしばしば口にしている。それは本当か?

と問われたアンダース師は、「一昔前まで、スウェーデンはバチカンの妊娠中絶反対の立場などに異を唱えていたが、今はバチカンがスタンスを変えることはないと理解した。今も、良心に従って中絶を拒否した二人の助産婦をめぐって議論があるがスウェーデンの立場も変わらない。」と言う。

確かに、平和主義、武器廃棄、難民受け入れ、貧困との戦いについてはスウェーデンとバチカンのポジションは同じだ。

と言っても、スウェーデンでも移民・難民地区での銃撃や麻薬の問題があり、ストックホルムは実はヨーロッパで最大の、社会地位による棲み分けが進んだ首都だ。一見寛容だと言われるが、スウェーデン人と移民との間の緊張は高まっている。教皇は理想化したイメージを持っているのかもしれない。

なるほど。

スウェーデンでも、フランスと同様、民族や出生地別の統計は禁じられているという。

でも、移民統合政策で教育社会主義が徹底しているはずのフランスでも事実上、移民ばかりが暮らす地区というのがあってゲットー化するのは事実で、「統計」に基づいた「逆差別」政策などがない分、偽善的だともいえる。

プロテスタントとカトリックの宗教間対話については、

以前は「解決困難な問題点」に集中して話し合われていたけれど、今は、「共にできること」について話し合うという。カトリック教会と世界ルーテル派連合は「確執から交わり(コミュニオン)へ」という共同声明にサインした。救いにおける教会の役割や秘跡についての話し合いでは先に進めないが、洗礼の意味や、人間観や福祉を出発点について話し合うことはできる。月曜には共同の祈りをするし、共同の黙想会もやっている。福祉活動でも我々は大切な役割を果たしている。

だそうだ。

枢機卿は続ける。

スウェーデンのルーテル教会はプラグマティックで、信者に社会活動を呼びかけるが、霊的な感性に向かうというイメージがない。今は、もし神の恩寵についての説教を聞きたいなら、プロテスタント教会よりもカトリック教会に行け、と言われているほどだ。

ラテン・アメリカやアフリカからの移民にはルーテル教会やカトリック教会でなく福音派教会に惹かれる人が増えている。

カトリック教会にはヴァイタリティが欠けているという人がいる。カリスマティックな運動には好き嫌いがあるが、私もこの夏にブラジルのシャロム運動のコミュニティに行き、ハレルヤ・フェスティヴァルにも参加する。彼らはスウェーデンに支部を置きたいと言っているが私は歓迎する。

だそうだ。

何だか、ラテンなカリスマティックはスウェーデンのイメージに合わない気もするが。

福音派というのはメガチャーチや、派手な演出、マーケティング、奇跡や異言がバンバン起こりそうな熱狂的な感じがして、アメリカでもすごい勢いで広がっている。カトリックのカリスマ派というのは、もっと閉鎖的で原始教会にインスパイアされた感じの共同体という感じだったが、カトリックから正式に認知されているので、福音派に惹かれるタイプの信者を吸収できている面もある。

で、スウェーデンに進出するというシャロム共同体、日本語で検索してみたらこういうのがあった。

マニフェストみたいなのを見つけた。

http://www.ultraman.gr.jp/shalom/shalomkyoudoutai.htm

安曇野で、自然と共生して持続可能な幸せな暮らし、ヒュッテ、オーガニックレストランやカフェ、ショップなどもある。経済は友愛であるという共生システムで21 世紀の生き方を考える、ともある。

どちらかと言うとディープ・エコロジーでキリスト教っぽくはない

ブラジルのシャロム共同体というのは、1982年にできたもので、2007年に世俗の共同体としてバチカンから認可されている。

ネットによると、パレスティナでユダヤ人とアラブ人の平和のための運動が呼称のルーツともあるし、日本のシャロム共同体というのは単に同名だけなのかもしれない。

『ラ・デクロワッサンス』なんかとも相性がよさそうだ。

マニフェストには

「分離の時代は終わりました。これからは一つに溶け合う時代です。あなたと私。宇宙もすべてが一つなのです。ジョンレノンは歌います。国がないということを想像してごらんと。今流れは分離対立から融合調和へと向かいひとつになろうとしています。人間も自然も木も草も虫も月も星もみんながつながっています。

それは、階級と競争による対立の時代、物質文明の時代から、自立した者同士による智恵の時代、精神文明の時代へと変化を促す、宇宙の意志の現れかも知れません。」

とある。

うーん。

「宇宙の意志の現れ」を「神のみ旨」と言い換えたら、カリスマティックや福音派にもつながるのかも。

しかしこういう流れは私のすごく苦手なものだ。「一つに溶け合う」のも嫌いだけれど、今世界が「精神文明の時代」へと変化するという言説は、カルト宗教にあってもおかしくない。

私は何にでもそうだが、「正論」に対しては「総論賛成」なんだけれど、具体的な共同体や指導者の顔が見える「各論」になるととたんに警戒するタイプだ。

もし本当に、カリスマティック共同体や福音派のメッセージが伝わっているなら、この世はもう少しましになっていてもいいと思うけれど。

スウェーデンのカトリックに関して書いているうちに話がそれてしまった。


北欧諸国というと、生活の質が高くて福祉と経済成長が融和している「成功例」みたいなイメージがあり、いろいろな意味でそれを可能にする程度の規模の国々なのだと思っていた。でもどこの国でも「世俗化」と、理念、理想の追求とが両立するためにはいろいろな工夫や努力が必要なのだなあとあらためて考えさせられる。

「総論」が実現するのは「神の国」だけで、「各論」はいつも誘惑と落とし穴だらけだ。でも、この総論と各論の間をどうやって行き来して「神の国」の方向にかろうじて顔を向け続けていられるかが大切な課題なのかもしれない。

日本国憲法の前文と中身もそんな関係だったりして。


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# by mariastella | 2017-08-01 05:01 | 宗教

北朝鮮と日米仏とシビリアン・コントロール

天木直人さんのブログで軍事のシビリアンコントロールについて考えさせられた。

 >>>たったいまNHKの正午のニュースが、岸田防衛大臣兼防衛大臣が記者団に対し、北朝鮮による今回の弾道ミサイルの発射を踏まえ、きょう30日午前、九州西方から朝鮮半島沖にかけての空域で、航空自衛隊とアメリカ空軍による共同訓練を実施したことを明らかにしたと報じた。(・・・)

  このタイミングで米軍と共同訓練することの危険性はあまりにも大きい。

 北朝鮮が繰り返し言い続けて来た事は、北朝鮮の目と鼻の先で米韓共同訓練をやめろということだ。

 挑発行為を繰り返すから、北朝鮮はミサイル実験を繰り返し、断固戦うという瀬戸際政策を取らざるを得ないのだ。

 米韓と北朝鮮は、あくまでも休戦状態でしかなく、依然として朝鮮戦争を戦っているのだから、米韓が共同軍事演習を重ねる事はまだ理解できる。

 しかし、憲法9条を持った日本が、米韓と北朝鮮の戦いに参加してどうする。

 この日米共同軍事演習は、日本が率先して北朝鮮との戦争に加わるようなものなのだ。

 その違憲性と危険性をいくら強調しても強調し過ぎる事はない。

 しかし、私が衝撃を受けたのはそれだけではない。

 この日米共同軍事演習が大臣不在で決定されたことだ。

 いうまでもなく岸田防衛大臣は防衛大臣になったばかりだ。

 日米共同軍事演習の決定が急に下されたなどという事はあり得ない。

 岸田外相が防衛大臣を兼任する前に決まっていたはずだ。

 防衛大臣を兼任したばなりの岸田大臣は、それを追認して発表したに過ぎない。

 そして2日前までは防衛大臣は稲田大臣だ。

 稲田大臣が防衛省の制服組から相手にされていなかった事は日報疑惑問題の迷走で明らかだ。 
  これを要するに、北朝鮮との戦争につながりかねない日米共同軍事演習の決定が、防衛大臣不在のまま米軍の命令で航空自衛隊との間で進められ、決定されていたと言う事である。

 これ以上ないシビリアンコントロールの逸脱だ。(・・・)

  日本は国民がコントロールできないところで戦争できる国になりつつある。

 はたして野党は8月初めにも行われる日報疑惑に関する国会閉会中審議で、この日米共同軍事演習に関するシビリアンコントロールの逸脱について追及するのだろうか。

 おそらく辞めた後の稲田前防衛相のウソ答弁の追及ばかりに終始するのではないか。

 もしそうだとしたら、この国の政治は国民を守る事は出来ないということだ。

 たとえ間違って野党が政権を取ったとしても、米軍の日本支配は何も変わらない、変えることは出来ない<<<<


というものだ。

これを読んで、まず、先日からのフランスでの大統領と参謀総長との確執、その中で、大統領が首相を通して任命した女性軍事大臣がほとんど一言も発しなかったこと、などの経緯とのあまりの違いに愕然とする。

日本の首相が防衛大学校の卒業式で自分が自衛隊のトップだと強調する姿とマクロンが「ぼくが一番」と肩をいからせる姿は少し似ているけれど、マクロンは少なくとも国民の直接選挙で選ばれている。

それでさえ、ド・ヴィリエ将軍は、文官による軍のコントロールは大統領の独断ではなく議会における討論を経るべきだと言っていた。

生きるか死ぬか、殺すか殺されるかのような「軍事」に関する決定は、まさに人の「命」にかかわるものだから、慎重すぎるほど慎重にしても、ある意味で「瀆聖」である、という直感は、遠くから手を汚さずに司令する人にではなく現場にいる人にこそ働くものだろう。

それに対して、いくら自衛隊は軍隊でないとか戦闘には関わらないとか言っても、アフリカに派遣されたり軍事演習に参加したりする時点で、「自衛隊のトップ」の文官である首相が、ここまで「不在感を隠さない」というのは、例の「日本は主権国ではない」説を裏付けるものなのだろうか。

ネットで読んでいる週刊誌の記事にはこういうものがあった。

週刊新潮8/3号の宮家邦彦さんの『国際問題--鳥の目 虫の目 魚の目』というコラムだ。

彼は、自衛隊派遣現場の日誌など、もともと非公開の性格の情報を公開しないものは必ずしも「隠蔽」ではない、としたうえで、

「文民たる政治家が軍隊を統制することであり、軍事に対する政治の優先を意味する」

という「シビリアンコントロール」の定義に注釈をつける。

>>>真の文民統制とは、防衛省内局を含む文民が自衛隊の一挙手一投足を管理することではなく、自衛官(軍人)に政治責任を負わせてはならないということ。<<<

というのだ。

フランスの場合は、フランス政府の政治的判断による広域派兵に対して圧倒的に予算が足りていない現状に対して参謀総長が異議を唱えたことで大統領と衝突した。

日本とはいろいろな意味でまったく事情は違うけれど、共通しているのは、どの国の政府も、基本は、シビリアンコントロールによって「軍を管理」するのでなく「危機の管理」を優先させるべきだということだろう。

グローバルな時代のリスク・マネージメントは複合的だ。

核兵器を開発して人類を全滅させる潜在力が生まれたり、核エネルギーで地球全体の環境を破壊したり、と、リスクは、昔は考えられなかったような超複雑系になっている。

もはや、「一国の主権が隣国に脅かされる」、などといったナショナルな視座に立ってだけで判断できるようなものではない。

どんなに頭のいいエリートのリーダーがいても、すべてをカバーできない。

歴史学、地政学、経済学、自然科学、社会学を超えたグローバルな集合知が必要とされる。

一人ひとり、あるいは一国、一地域のエゴのレベルの危機管理はもはや意味がないのだ。

でも、今の時代だからこそ、IT技術を介した「正しい(つまりすべての人の尊厳を個々の共同体の利権より優先する)集合知」を築いていける可能性もないではない。

早い話、私がもしも、わずか100年とか150年前に日本の女性として生まれていたら、自分の家族とかご近所とか世間さま以上のものに目を向けていただろうか?

いや、50年前でも、ヨーロッパの情報など「教科書」程度しか知らなかったし、フランスに来たら来たで、日本の情報にうとくなったので、全体の相関性がうまくつかめなかった。だから、むしろ歴史や文献をさかのぼって、「特殊の中の普遍」をさかのぼるような形で比較文化史や宗教史を研究してきたのだ。

でも今は、国立図書館の膨大な資料も、主要大学の博士論文や学術雑誌の論文も、その解説も、毎日の各国ニュースや雑誌記事や市井の人々の反応まで自宅のパソコンの中で読める。

毎日毎日、入ってくるさまざまな情報を「グローバルな危機管理」に向けた有機的な集合知の形成というベクトルをもって篩にかけることも可能だ。

「正しい集合知」の形成がどこれからの世界のような展開を見せるのか、知的な興奮をかきたてられる。

そのためには長生きしたいが、地球にも、長生きしてほしい。


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# by mariastella | 2017-07-31 00:44 | 雑感

スウェーデンのカトリックと移民、難民  その1

スウェーデンのストックホルムのカトリック大司教が6月末にローマ教皇から「枢機卿」に任命された。次の教皇を選ぶ選挙権もある枢機卿はカトリック行政の上では教皇の下の最高位だ。(霊的にはすべての司祭の上に上下関係はない)

ヨーロッパの国の首都の大司教なら枢機卿になるのも順当に思えるかもしれないが、実は、スウェーデンでは初めてのことだ。

なぜなら、スウェーデンはいわゆるプロテスタント国で、カトリックは人口の2%というマイナーな国だからである。

スウェーデンの宗教などについてはここで書いている

しかも、67歳のアンダース大司教、

カトリックには20歳で改宗した人で、


元カルメル会の修道士で、


プロテスタント改革以来、はじめてのスウェーデン人司教(それまではドイツ人やポーランド人が任命されていた)だという。

なるほど。


日本のカトリックもスウェーデンよりさらにマイノリティで、昔は外国人司教ばかりだったけれど、戦中の国策ですべての外国籍司教が辞任して日本人司教に代わっていった経緯がある。20世紀の世界大戦で中立国だったスウェーデンではそういうナショナリズムはなかったのだろう。


アンダース大司教と共に枢機卿に任命された他の4人のうちの2 人もマリとラオスという「非カトリック国」の人であることも、カトリックは「カトリック教会」にとっての辺境や周辺地域でこそ仕えなくてはならないという今の教皇の方針を反映しているのだろう。

で、もっと驚いたのは、ルター派の福音ルーテル教会をスウェーデン国教会としているバリバリのプロテスタント国だと思っていたスウェーデンが、実は、今は世界でも有数の非宗教、非信心国であるという話だ。多くの国民は「キリスト教」が何であるかも漠然としか分かっていない完全な「ポスト・キリスト教」社会なのだそうだ。(宗教帰属意識が低いと言われる日本人にとって冠婚葬祭から初詣や各種の祭りなどけっこう「信心」行為のハードルが低いのと比べ物にならないようだ)

で、もっと驚いたのはそんなスウェーデンで、カトリックが今人気になりつつあるという話だ。プロテスタント離れしてしまったので、過去にあったアンチ・カトリックの偏見はほぼ消えてしまった。それどころか、今は注目されている。

それは「スウェーデン国教会」に対してカトリックが超国家的でユニヴァーサルだということで、スウェーデン内のいかなる共同体よりも、カトリック共同体は文化的にも民族的にも多様性があるからだという。

国教会に集まる「信者」は、人種的にも世代的にも社会的にも似たような人たちだが、カトリック教会に集まる「信者」は100以上の国籍が共存していて、多くの移民がいる。

そういえば、スウェーデンと言えば、2013年にシリアからの難民を制限なくすべて受け入れると宣言していた。今や国民の5人の1人は外国生まれだともいう。

ラテン系や旧植民地国も多く人種の混ざり具合が大きいフランスなどと違って、金髪碧眼率の高い北欧諸国では中東やアフリカの難民、移民は目立ちすぎて同化できないんじゃないかとか、カトリック教会が勢力拡大に移民を利用しているんじゃないか(ベルリンの例など)などというこれまでにも書いてきた私のゲスの勘繰りは、ほんとうに、ただゲスなだけなんだろうか…(続く)


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# by mariastella | 2017-07-30 01:10 | 宗教

「疑問票」の不思議

(今、取り込み中と移動中なので、「続きモノ」は後日再開します)

奈良市長選で、「疑問票」の取り扱いを巡って論議になっているという記事を読んだ。「疑問票」とは誤字脱字などを理由に、精査してから数え直す票だそうで、「今回の選挙では「仲」の字をにんべんのない「中」と書き間違えるなど仲川市長の疑問票が多くあり、これが勝敗の行方に大きく関わったというのです。有効・無効の基準を示したマニュアルには、ひらがな表記などについては明記されていますが、漢字の間違いについては記載がありません。」という。

前にも、同じような疑問票についての記事を読んだことがあり、その度に驚く。

フランスの選挙では、字を書かせるということがないからだ。

事前に登録済みの有権者の自宅に、候補者の紹介(マニフェストなど)と、投票紙(すでに名前や所属が印刷されてある)が届く。当日はその中の一枚を持って行ってもいいし、手ぶらで行っても、すべての候補者の用紙が投票所に積んであるので、みんな、誰に投票するか分からないように全部なり、何枚かなりを取り上げて、カーテンに仕切られた場所で選んだ候補者の名がある紙を封筒に入れてから、投票する。余った紙をその場でくず箱に捨てる人もいるし持ち帰る人もいる。

封筒に敢えて何も入れないとか、自分で他の名を書いた紙や白紙を入れるという「無効票」や「白紙投票」もやろうと思えばもちろん可能だ。

フランス人は悪筆だということももちろんあるし、候補者には外国起源の名も多いから綴りを間違える可能性も、日本で日本人の候補者の名前を書くよりもずっと多いのだろう。

フランスが何十年もこうやっているのだから、日本がコストや技術の関係で印刷済みの投票用紙を選ぶというシステムができないわけがない。識字率が高いからなのかなあ、と思ってネットで少し検索したら、《国政選挙で「手書き(自書式)」の投票を採用しているのは、 ほぼ日本だけだ》、というのが出てきた。

日本の投票率が低いというのはよく聞くし、選挙権を引き下げて若者に主権者意識を持たせて、とかいうのも聞くし、最近は、「LDP(自民党)新潟政治学校第2期生募集中。政治は オトコの身だしなみ。」なんていう驚きのツイッターも話題になっていた。

「手書き」っていうことが、どこかで無意識のハードルになっているのじゃないかと思ってしまう。

日本って、何かと言うと「外国では」みたいなのに「横に倣え」するのにどうしてだろう。

Wikiでは、記号式投票だとリストに並ぶ順に左右されるデメリットがあるとあったけれど、フランス式ならリストにチェックを入れるのではなくて、各候補者に一枚ずつ用紙があるので、順番は関係がない。

しかも、日本では、「1994公職選挙法改正により一旦は国政選挙における記号式が採用されたが、一度も国政選挙が行われないまま、翌1995に自書式に戻された」とあった。

誰のどういう思惑が働いているのだろう、と思ってしまう。


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# by mariastella | 2017-07-29 01:40 | 雑感

地球のために何ができる? 3

承前

さて、『ラ・デクロワッサンス』紙の記事。

見出しは「エリザベト・バダンテール  システムの哲学者」というものだ。

フィガロ紙のジャーナリストのウージェニー・バスティエはカトリック系エコロジー雑誌『リミット』の主幹でもあるが、自著の中でデクロワッサンス(つまり成長の反対の縮小)主義の先駆者でもあるクリストフ・ラッシュを引用して、フェミニズム運動が資本主義に汚染され、広告産業のようにスローガンを選択していると述べている。同書の中でバスティエ女史はバダンテールも称賛しているのだが、そのバダンテールは「女性をモノ化(疎外)しているのは広告ではない、私は広告が好きだ」と『パリジャン』紙で語ったことがあるという。

つまり、バスティエ女史は、成長戦略に異を唱えながら、バダンテールを称揚することでメディアの金権体質の中にある。

『ラ・デクロワッサンス』紙は消費者に無駄な欲望をかきたてる広告業界を徹底的に告発する立場に立つ。だから、広告代理店大手のピュブリシスの資本の10%を所有して10億ドル以上の資産を持つバダンテールは完全に新自由主義経済のシステムの内側の立場だというわけだ。

そして、ほとんどのメディアは広告収入で成り立っているから、バダンテールを批判することは絶対になく、メディアの調査する「フランス人の好きな知識人」の上位にはいつもバダンテール女史が来るというのだ。

「金持ちの味方」という視点でバダンテールを見れば、2011年にDSKNYのホテルで黒人メイドからセクハラ告発された当時のIMFトップ)を擁護したことも、売春や代理出産の合法化支持(女性の体の使い方を国が管理するべきではない)も、「貧しい女性」の側に立つものではなく、フェミニズムは新自由主義経済推進のツールでしかない、という。

バダンテールが女性の育児を効率化するために粉ミルクや使い捨てオムツを推進し、母乳育児の推奨は女性を20世紀初めのように家庭に閉じ込める退行だと主張するのも、エコロジーに真っ向から反している、とする。

うーん。

確かに、昔は、使い捨てといっても布のおむつカバーの中にナプキン型の紙おむつを当てるというのもあったけれど、今のフランスはすべてが前も後ろも可愛いプリント柄のついた完全な紙おむつしか見かけない。

エコロジー系や仏教系フェスティバルでは地球にやさしい布おむつのスタンドが出ているけれど。(カトリックはフランシスコ教皇がエコロジーを重要テーマとしているのだけれど、フランスのブルジョワ・カトリックでは、布おむつ系を推奨する人に会ったことがない)

私は「広告」を見て新しいものにとびつく方ではないけれど、「広告」のランガージュと現代美術の関係などには非常に興味がある。

そして「広告」が金になる社会では多くのすぐれた才能が「広告」業界に向かうので、ますます面白い「作品」が生まれる。同時に、そういうすぐれた才能も往々にして「使い捨てられる」もので、巨大な新自由主義経済の中で押しつぶされるか消費されつくすことがほとんどであることも分かっている。

でも、バダンテール女史が言っていることやこれまで言ってきたことは、そういう搾取者側に立つに自分に利益誘導するようなものではない。すでにすべてを持っている人だからこそ、正論を口にすることもできる。

彼女が紙おむつを勧める時、紙おむつの広告収入のことなど考えていないのは明らかだ。紙おむつが使い捨てられる「環境汚染」だって、そうでない場合のいろいろなメリットとデメリットを全部検討したら、総合的に最悪の選択ではないかもしれない。

でも、強者の個人情報が簡単に拡散されてしまう今の世の中、社会的強者(被害者、犠牲者ではない人)の正論は、いろいろなバイアスによって歪められてしまう。

「エリート」に対する単純で根拠のない偏見ほど自然で正しくに感じられるほどだ。

そのことを痛感しているので、私はあまり大きな声で正論を言いたくない。

「そういうお前はどうなんだ」

とつっこまれたくないからだ。

最近、例のオジャランのフェミニズムについて私が知るきっかけとなった藤永茂さんのブログでこういう記事を読んだ。


>>>ヤズディ教徒のクルド人に伝染したように、オジャバ革命の理念がイラク北部のクルド自治地域のクルド人たちの間にも広がって、現在のトルコ、シリア、イラク、イランの国境線がそのままに保たれたまま、三千万人を数える世界最大の少数民族クルド人が多数派住民である平和共存の広大な地域が中東に出現して、そのついでに、世界核戦争の危険性も次第に消えてゆく、これが私の大きな夢です。
**********
 確かに、これは大きな夢です。この夢の前に立ちはだかる高い障壁の数々が、ISの首都ラッカの陥落の後に、具体的な形をとって、我々の前にその姿を現すでしょう。とりわけ、ロジャバのクルド人たち、トルコのクルド人たちの苦難は深刻さを増すばかりでしょう。リビングルームのソファに座ったままでロジャバ革命に声援を送っている私のような人間はどうすればよいのか?<<<

藤永さんのような方が「リビングルームのソファに座ったままでロジャバ革命に声援を送っている私のような人間」とおっしゃっているのだ!

90歳の藤永先生が、ぶれることなく被抑圧者の側に立って情報を発信していてくださるから、それに反応して動く人だってきっといる。

夢を伝える、意識を変える、教育する、という使命を持っている方がいてこそだ。

では、私も「地球のために何かする」ために「リビングルーム革命」を目指せばいいのだろうか?

罪悪感を払拭してくれる答えは別のところから来た。(続く)


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# by mariastella | 2017-07-28 00:13 | 雑感

クリストファー・ノーラン『ダンケルク』

ここのところ、フランス映画2本、ドイツ映画1本を観たのだけれど、うーん、なかなか末梢神経をくすぐられるところはあったけれど、真剣に映画評を書く気になれなかった。

結局、一番印象的だったのが、国籍も米仏英蘭とマルチなブロックバスター映画で、クリストファー・ノーランの『ダンケルク』だった。

そのスケールはまさにハリウッド映画だが、そのエスプリは完全にイギリス映画。

戦争映画など大嫌いな私が行こうと思ったくらいだから、まず、音や迫力はすごいけれど、いわゆる手足が吹っ飛ぶ的な残虐映像はない。

もちろん多くの戦死者が出ているのだが、殺されて死ぬときは、多分攻撃する方も、「無名」、「匿名」性が高くて、モノのようにコトが過ぎる。

けれども、救う時、救われる時は、ヒトであり、命であり、「関り」が生まれる。

この映画の死の中でただひとつ人や思いや関係性のもとに描かれるのは、軍服でなくセーターを着た17歳の少年の死だ。

敵によってはでなく父親の船の中での小競り合いで打ちどころが悪くて死んだ。

最後にこの少年の「死」が「英雄」として地元紙に掲載されるのも皮肉だ。

全部が、戦争の不条理につながっていて、よくできた戦争映画というのはすべて反戦映画になっているなあと思う。

といっても、フランス人からは、イギリスのナショナリズムに不快を感じたり、このダンケルク救出作戦「ダイナモ」で、フランス軍が果たした役割を無視しているという不満も出た。

7/17のル・モンド紙で4万人のフランス人に失礼だというコメントがあったのがイギリスでも掲載されて、イギリスの歴史学者マックス・ヘイスティングスという人が、ノーランは自分の解釈で自分の描き方をする権利がある、スピルバーグの映画がアメリカ的であるようにこの映画はイギリス的であるだけだ、と言ったそうだ。

といっても、スピルバーグ映画の方が、アメリカ的というより、インタナショナルなマーケットを意識して政治的公正が加味されているようにも思えるのに対して、このノーランの映画は、フランス市場なんて気にしていないのがよく分かるのだけれど。

「敵」であるドイツ軍は「飛行機」の姿以外ほとんど現れない。最後に英軍パイロットが多分捕虜になる時に現れるだけだ。この戦いで実際に捕虜になった英軍兵士はポーランドの強制収容所に連れていかれて働かされたという。

でも「敵」がドイツ、という単純な二元論でなく、ひとりひとりが果たしてサバイバルできるかどうかという運命と向かい合っているように描かれているところがエレガントと言えばいえる。

映画の「国籍」に入っているオランダ人もフランス人も一人ずつ登場する。でもオランダ人はドイツ人と間違われて、必死に自分はオランダ人だといい仲間に入れてもらい、フランス人の方もドイツ人のなりすましだと疑われて、イギリス人から「ギブソン(だったか?)と発音して見ろ、ドイツ人ならなまりがある」と迫られて窮し、結局はフロッグ・イーターのフランス人だと白状させられる。

でも、生きるか死ぬかの仕分けではスコットランド人でも微妙に差別されているので、同盟国同士でも差別があったのは当然なのかもしれない。

ここに出てくるイギリス人兵士はまったくアングロサクソンの若者たちという感じだ。イギリス軍は共同体社会だから、インド系はインド系の部隊というようにはっきり分かれていたようだ。

でも、実際は、フランス人かドイツ人かオランダ人かは外見では確実に判別できないわけで、話させて訛りでテストされるなど、なんだか日本でもあったような話で気分が悪くなる。こういう局面においては、「母語」がナショナリズムの判定になるのだなあ。

私は実はダンケルクにちょっとした縁があるのでそれもこの映画を観に行った理由の一つだけれど、それにしても、1940年の5/26-6/4に展開されたというこのダイナモ作戦が、イギリス側で「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、「英雄」物語になっているのは、政治的判断とはいえ確かに不自然な部分はある。


ドイツ軍に追い詰められたイギリス軍にはもう戦うことも勝つことも不可能だった。前が海で退却も不可能だった。けれどもチャーチルには「降伏」という文字はなかったので、「救出」しかなかったのだ。

でも軍を回す余裕はなかった。

で、民間の船に呼びかけて、市井の人々が自分たちの船で英仏海峡を渡ったのだ。奇跡的だったのはむしろ好天に恵まれたことの方だったらしい。

40万人近くが追いつめられていたのを、イギリス軍が救えるのはせいぜい3,4万人の見通しだったのだけれど、結果として、民間の何百艘という船が応えたこともあって、338226人が救出された。

イギリスについて列車に乗ると、兵士たちはブラボーと歓呼の声で迎えられ、英雄扱いされる。「おれは生きのびただけだ」と、彼らは思うのだが、この「帰還」を作戦が成功した「凱旋」のように報道するのはもちろん政府の判断だった。


確かに、すごい犠牲を払って救出することが「勝利」なのだったら、最初から戦地へ送らなければ ? などと思われるとまずいから、「英雄譚」を創ることが必要だったのだろう。

戦争映画が苦手な私でもストーリーを追えるのは、陸・海・空からの話の展開を細切れにしてつなげているサスペンスがよくできているからだ。しかも、同じ割合で挿入される陸・海・空の時間の流れが、浜で救出を待つ疲弊した兵士の大群の一週間、海を渡ってダンケルクに向かう初老の男(長男は参戦して三週間で戦死した)と二人の若者の一日、そして戦闘機で勇敢に戦うパイロットの一時間、と三通りの密度で組み合わせるというテクニックがほどこされている。

空からの映像がすばらしく、息をのむほど美しい。実際にコックピットにIMAXカメラを取りつけたそうだ。船底で溺れそうになったりする映像とのコントラストが強烈だ。

浜で列を作る軍服の大群の後で、ネクタイさえしめて自分の船を操縦する男の姿が新鮮だし、たった一人で戦うパイロットの孤独も胸を打つ。(6月末のパーティで、制服姿の空軍のパイロットと話をしたばかりだったので、あらためて、今ここにある戦争のことも考えさせられた。)

この映画を観た97歳のイギリス人元兵士は、当時20歳で、まったくこの通りだった、と語った。そしてその夜、泣いたと言った。77年経っても、地球に平和が来ていない、人が人を殺し合う愚かさから脱していないことが悲しい、という。

確かに、この映画では、爆弾や銃弾の命中率がそんなに高くない。

今の高性能ミサイルだの無人爆撃機だのの時代の戦争ならもっと容赦ない非人間的なものになっているのだろう。

そして、攻撃すること、殺すことの効率や技術は高まっても、「救う」ことの技術は今も昔も、「人間的」でしかないのだろうなあと思う。

このダイナモ作戦の「成功」は、19406月4日

映画の終わりに司令官は、自分はダンケルクに残る、まだフランス人を助けなくてはならないから、とかっこいいことをいう。

でも、6月22日に独仏休戦協定が結ばれて、ダンケルクもパリも、ドイツ占領下に置かれることになった。

連合軍のノルマンディ上陸作戦は、それから4年後のことだった。

ダンケルクはノルマンディではない。

日本人の目から見ると、やはりイギリスって島国だから、もちろんドイツ軍の絨毯爆撃を受けたにせよ、ある意味で「大陸」の戦争からは「要塞」のような位置にあるなあと思った。そして、日本が南洋などで取り残された日本軍を救出に行かなかったのか行けなかったかに比べたら、やはり、「救出」するというのは「殺す」という戦争のベクトルと逆であって推奨すべきことであり、生き延びたことは「ブラボー」に値するのだなあとすなおに思う。

そして、何よりも、この二度の大戦でぼろぼろになったヨーロッパが、EUとなって互いの間の戦争を放棄したことの貴重な意味を考える。Brexitとか言っても、もう独仏英が殺し合うことは考えられない。

この「殺し合うことがもう考えられない」ということが、つい80年前には考えられなかったのだ。


この映画を観たら、やはり日本は今のままの「憲法九条」を掲げるのが最良の道だと思えてくる。互いに顔も見えない相手と殺し合うなんて、いったいどうしてそんな事態に陥ってしまうのか、そしていったん歴史がそちらの方に傾いたら、大きな車輪が回り始めてすべてを押しつぶしていく。

兵士たちはみな、若い。

若者を戦場に送ってはいけない、

それがたとえ「聖戦」と呼ばれていても。


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# by mariastella | 2017-07-27 02:58 | 映画

地球のために何ができる? 2

承前


エリザベト・バダンテールはアングロサクソン型の男女同等、犠牲者主義(男は敵で女は被害者)、クォータ制、逆差別推進というタイプのフェミニストではなく、人類は皆自由と平等だというフランス型普遍主義のフェミニストだ。すべての人が人間としての尊厳を損なわれないで生きていけるための戦いの一環としてだけフェミニズムも現れてくる。

私はそういうフレンチ・フェミニズムの支持者だ。

「男と同じようになる」とか「男に勝つ」とか「男を敵にする」という二元論的闘争は苦手だ。でも、「男と戦う」のでなく「自由のために戦う」女性を見るのは好きだ。オジャランのロジャヴァ革命の理論やクルドの女性戦士なんてぞくぞくする。

ずいぶん前に女性編集者から「竹下さんのフェミニズム論を読んでみたい」と言われた時には意外な気がした。

私はすでに、アングロサクソン風フェミニズムの裏返しである恩恵ばかり受けてきた人間なのでそのことが後ろめたかったからだ。

詳しいことは書かないが、要するに、ただ、これまで甘やかされ放題で生きてきたということだ。まともに振り返れば、ほとんどアベル症候群になってもよさそうなくらいだ。

(アベル症候群を説明するのに、今、日本語で検索したらこういう論文〈天理大学カウンセリングルーム紀要 第 l巻 2004 共感との関連からみた罪悪感:発達的観点から〉というのが出てきたので該当部分をコピーする。)

>>>>富裕の罪悪感  他人と比較して自分が恵まれた幸せな境遇にいることを自覚することで生じる罪悪感である。 1960年代の有産階級出身の若者を社会運動に駆り立てた動機がこの富裕の罪悪感であったと Hoffmanは考えている 。社会経済学的にいえば、それは「階級的罪悪感」ともいえる。これは共感の最終段階である「目前状況を超え出た視点からの共苦を基盤に形成される発達的に上位段階での罪悪感である。しかし、時代、地域といった文化的影響を受けやすく、現在では目にする 機会が減ったと述べている 類似の現象については、 Modell(1984, chap. 5)が論じている 。この種の罪悪感の背後には、 「自分が何か良いものを手に入れることは、他の誰かが剥奪されることを意味する」 p75)という空想が伺えるという。(註九

Ellenberger (1954)は、この種の罪悪感を「アベル症候群」と呼び、その心理的構成要素に ついて、論じている 。アベル症候群のひととは、「運命に甘やかされた人」で、「他人より幸福 なのを自覚して、漠然とした罪業感を覚え、他人のやっかみを感じているが、十分な自己防衛はきていない人」(p306)である 。アベル症候群は、「(1)幸運と、(2)その結果としての漠然と した罪業感と、(3)羨望の的となっている事実と、(4)不十分な自己肯定感(p307)とから構成されているという <<<<

私の「幸運」は、平和な時代に豊かな国に生まれて育ってきたこともあるが、その中には、たまたま「女の子」だったからすべてが許されてきたというのも含まれていたので、犠牲者主義のフェミニズムに対しても罪悪感があったのだ。

飢えで死んでいくソマリアの子供たちとか、ナパーム弾で焼かれるベトナムの子供たちとか、ありとあらゆるこの世の不幸と不条理は子供の頃から耳にし目にしてきた。フランスでは知識人がアンガージュマンを、と言って、ラテン・アメリカのゲリラに加わったりスペイン戦争やらに参加したりしていた時代だった。

でもフレンチ・フェミニズムは犠牲者主義ではなく、男たちとも連帯して「人間」を扱ったものだったから、私にはハードルが高くなかった。

その第一の論客がエリザベト・バダンテールだったのだ。

しかも彼女はシンプルでエレガントで、知的で堂々としていてすてきだった。

夫君のロベール・バダンテールと同じ理念と志をもって歩んでいるところも理想的だった。それ以上のプライバシーには興味がなかった。

ところが、ある時、彼女が自分には3人の子がいて孫たちもいる、とインタビューに答えた時、なんだか裏切られたような気がしたのには自分でも驚いた。

少し調べると、パリの一等地のすばらしいアパルトマンに住んでいて、世界有数のの広告代理店の創業者の孫で大株主だということも知った。

それ以来、彼女がどんなに弱者の側に立って社会正義のために正論を言っても、失業中のシングルマザーやDVを受けて子供と非難している女性などの苦境にほんとうに共感できるのだろうか、愛も家族も金も知性も地位も権力もすべて持っている「あんたに言われたくない」と思われないだろうか、などと違和感を感じるようになったのだ。

一方で、民衆が立ち上がったフランス革命の理論的支柱となったのは、啓蒙の世紀の貴族や聖職者の知識人たちである。ほんとうに虐待されたり奴隷状態にあったりする人はその日のサバイバル以上のことは考えられない。生活に困っていない人だけが、広く他者に目を向けることができる、と言うのは真実だとも思った。

目を向けるだけでなく、フランスの大貴族のラ・ファイエット侯爵が自費でアメリカに渡って独立戦争を助けたように、身の危険を冒してでも遠くにいる他者の支援に駆けつける人も実際にいた。

恵まれた環境でぬくぬくしているのではなく積極的に「行動」を起こす人もいるわけだ。日本でなら、先ごろ亡くなった犬養道子さんのような人も思い浮かぶ。「おじょうさま」で特権もあり知名度も人脈もある人が、貧しい子供たちに出会ってから人道支援、難民救済に尽くした。

弱者に寄り添うために同じ弱者である必要はない。ビル・ゲイツだってメリンダ夫人(カトリック)と共に、世界最大の慈善基金財団を創って実際に「現地」へ足を運び続けている。

そうは思っても、バダンテールでもなく犬養さんでもなくビル・ゲイツでもなく、ただ親や周囲の人に甘やかされてきたというだけでチキンな私が、いくら世界の不公正に義憤を覚えても、地球の環境悪化や温暖化に危機を感じても、何もできないし何もやらない日常は変わらない。資源ゴミをリサイクルして、多少は省エネを心がけたしたとしても、原発依存国フランスで電気をたくさん使って不自由なく暮らしている事実は変わらないのだ。

私は『ラ・デクロワッサンス』のようなメディアから叩かれるような有名人ではもちろんないから、それでも、ひっそり偽善的に生きていける。いや、この新聞を買うだけで、多少の「償い」感を得させてもらっているくらいだ。

で、バダンテール女史はいったいそこでなんと言われて叩かれているのだろうか ?

おそるおそる読んでみると・・・


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# by mariastella | 2017-07-26 06:18 | フェミニズム

地球のために何ができる? 1

La Décroissance という月刊新聞を私は時々購入することで応援している。


デクロワサンスというのは成長の反対で、衰退とか退行と解釈されがちだけれど、別に「昔に戻れ」と言っているわけではなく、「成長路線」を唯一善とするような世の中を批判して、別の道を歩もうというエコロジー新聞だ。

すべての「広告」に反対するというのがポリシー(主幹は元広告業界のアートディレクターだった人だがラディカルに反広告エコロジストになった)だから、全く広告収入がないので割高だけれど、存在し続けてほしい媒体なので時々買っている。


7-8月合併号の記事はとても参考になった。

私はどちらかと言うと、ディープ・エコロジストが苦手だ。

絶対菜食主義も、絶対殺生禁止も、「絶対」とつくものは警戒してしまう。

けれども、環境問題は科学とテクノロジーによって、言い換えれば「経済成長」によって必ず解決策を生み出せる、というタイプのエコロジーはうさん臭いとは思う。


原子力発電はCO2を排出しないクリアなエネルギーだという宣伝と同じで、巨大企業の利権や政治があまりにも透けて見えるからだ。

今回の記事は、環境問題に対して「成長による解決(要するに金による解決)」という積極的発言をする人たちの論点を一望にできるようにまとめてくれているのでなかなか役に立つ。

今の大統領や環境相も、極右ルペンも極左メランションも、「パリ協定」は今や」「国是」みたいなものだから、「エコロジー」「地球を救う」ということ自体は全員が口をそろえて言っている。

けれども、科学の力で、走れば走るほど空気をきれいにする自動車を開発するといった類のビジョンは、ロボットが進化すれば人間は苦しい労働から解放される、というたぐいのものと同じで、そもそも、なぜ、今のような環境危機を招く事態になるような方向で科学技術に予算が与えられてきたのかという根本的な問いがすっぽり抜けている。


技術の発展と環境保護は両立できるんですよ、という幻想には明らかにごまかしがある。


とはいえ、私など、

すでにいろいろなレベルで「洗脳」されてしまっている上に、

日常生活のレベルで自分も十分テクノロジーの恩恵を受けているからなあ、

テクノロジーがいまさら後戻りしてもらっては不便で困る、

私は自然の中でサバイバルなどと縁の遠い人間だし…

などという「共犯意識」が働くので、多分正論であろうこの新聞の過激な記事には、なるほどと思っても腰が引けてシニカルにながめることの方が多かった。

時々自分の罪悪感を確認することで、良心の呵責を弱めていただけなのかもしれない。

でも、今回の号で、そうそうたる論客たちが堂々と「テクノロジー」による「成長」によって環境汚染や温暖化などを克服できるという楽観主義をそろって開陳しているのを読むと、それがあまりにも説得力があるので、かえって、欺瞞点が見えてくる。

ところが、私の信頼するエリザベト・バダンテールの偽善が身も蓋もなく論じられているのには複雑な気がしてしまった。(続く)


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# by mariastella | 2017-07-25 03:45 | 雑感

女性の罵詈雑言

何だか最近の日本で話題になっている女性議員の「罵詈雑言」についての意見を求められた。


私は、今はネットでの日本の雑誌配信サービスを利用できるのでこの話は週刊誌の記事ですでに知っていた。意見を求められたのでネットで録音をちらっと聞いてみた。

感想は…通り一遍に言われていること以上のものはない。

本人も含め関係者全員、お気の毒にと思うばかりだ。

思わないのは、「誰にでもこういうことを思うことはあり得るし時と場合によっては口にだってしかねない」というタイプの反応だ。

前にも舛添さんのことで書いたけれど、私は、他の人のどんなスキャンダルや隠していた「不都合なこと」が露にされてバッシングされても、たいていは身につまされる。

嘘も、裏切りも、使い込みも、身内びいきも、保身も、忖度も、ごますりも、程度の差こそあれ、いかにも自分でもしそうなことだったり、してきたことだったりだからだ。

また、今までにしてはいないしこれからも多分する機会はないにせよ、時代の流れや状況によって、また群集心理や恐怖やパニックにとらわれれば、弱者の虐待やら差別やらホロコーストへの加担や密告や、拷問や死に通ずるボタンを押すなどと恐ろしいことも、自分なら絶対にしないなどという自信はまったくない。

私は多分単独のすごい「ワル」ではないけれど、みんながやっているなら「石打ち刑」にでも参加しそうな危うさがあることを自覚する程度の良心はある。

その私が、「絶対にしない」というか「できない」と思うのが、罵詈雑言を口にするということなのだ。

多分、幼い頃に「禁忌」とされた言葉にはブロックがかかって、よほどの「治療」でも施さない限り音声言語化できないのだと思う。

私に関して言うと、多分戦争体験のトラウマなんだと思うけれど、いつも優しくて何でも好きなことをさせてくれた実家の母から、「死ぬ、死ね。殺す、」などの言葉には耐えられないから絶対に口にするな、とそれは真剣に訴えられた。

多分きょうだいげんかをしていて、それに類した言葉を兄や私が発していたのだろう。母は血相を変えて禁じた。その母の顔を私は今も覚えている。

だから私は、そのたぐいの言葉を、単独で発するということができない

「日本、死ね」とかいうようなネット語も、多分書けないし、誰かに憎しみを抱いたとしても、頭の中でさえその種の言葉を罵詈として形成できない。今回の女性の発したような言葉はどれも、私の口にできる語彙にない。

フランス語の方が若干、「ダメだろ、おい、」みたいな感じの口調はブロックされていないので口に出せるけれど、いわゆる汚言は、誰でも気軽に口にするようなものでも相当な決意がないと口にできないし、頭にも浮かばない。でもこれは幼い時の母の表情や真剣さとはセットになっていないから、無理をすれば出てくる。

けれども、フランスの子供でも、その言葉を小さい頃から禁じられており、家庭では絶対に耳にしない環境で育った場合に、学生になってから仲間といてハンディキャップになるほどに「口にすることが不可能になる」場合がある。それを「言わない」のではなく「言えない」ということが周囲にばれると揶揄されたりハラスメントを受けたりする可能性もあるので細心の注意を払うという。大人になってしまえば、汚言を口にできなくても別に深刻なハンディとはならない。

今度の罵詈雑言事件で、ある女性作家が自分は18歳までずっと母親からそのような暴言を浴びせられ続けてきた、とブログで書いていたのを目にした。よく耐えてきたものだと思う、と言う。

「汚言を口にするな」という母からの禁忌がこれだけ功を奏するのだから、暴言というDVを親から受けてきた人がそこから回復するのは大変な困難だろう、と思う。

今回の女性がどういう経緯でそういう言葉を口にできるのか私には分からない。議会で飛び交うヤジでさえ、私にはハードルが高い。

これは人格の高さとかとかは関係ない。

前述したように、どんな嘘やごまかしや背信だって私には多少の身の覚えがあるし、それに類したことをしないなどという自信は毛頭ないからだ。

ただ、ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群のことを考えた。

長い間「悪魔就き」の典型的な症状のように思われていた時代もあった。「汚言症」というチックの一種で神経障害の難病だ。そうなると、普段口にするはずのない罵詈雑言や本人が知るはずのないような卑猥な言葉などがすごい勢いで発せられる。「悪魔払い」の映画などで少女や修道女などがこれを発するとそれこそ鬼気迫る印象的なシーンができあがる。

アルツハイマー病に罹った高齢女性で、昔は上品だったのに、急に怒りっぽくなって暴言を吐くようになったというケースを見たこともある。

私はいろいろな誘惑になびかないように努力はしているけれど、「暴言」を吐く心配だけはして来ずに済んだ。

願わくば、これまでひょっとして無意識に抑圧してきた罵詈雑言がどっと解放されるようなタイプの神経症や機能障害に縁がないままこの先も穏やかに暮らしていけますように。
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# by mariastella | 2017-07-24 04:08 | 雑感

スピノザ頌  (終)

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スピヌーの遺灰が戻ってきました。
白の陶器の壺か、絵柄で装飾された白の陶器壺か、エコロジカルな段ボール容器かどれにするかと聞かれました。はじめてです。値段は同じです。うちにはもうサリーとマヤの二つの絵柄付き壺があり、灰は庭に埋めましたが壺は捨てることもできず残っています。で、紙製でOKと言いました。エコロジー・ブームのせいか、いっしょに埋めたらお花が咲くという種のついたハート型の紙もついていました。
(考えたら、母の骨壺も、お骨を土に戻すように布にくるんでお墓に納めた後で、どうしますかと聞かれてそのまま引き取ってもらいました。その後リサイクルしているんだろうか。母のために「購入」した壺も前の人のリサイクルなのかなあ、と思ったことを覚えています。) 

c0175451_02173223.jpg
スピヌーの遺灰のそばに寄りそうイズーくん。

c0175451_02183320.jpg
おにいちゃんはどこ…


c0175451_02190447.jpg
ずっといっしょだよ…

....


以上、と、いうのは、2枚目以降、全部「やらせ」です。

イズーの座った横に壺を置く、
壺の上にカリカリのおやつを一粒置く、
庭から切ってきた薔薇の花にちょっかいを出しに来るイズーくん、

というのが事実です。

スピヌーが死ぬために部屋の隅に陣取って動かなくなった時、イズーがちょっかいを出したりすると嫌だから隔離しようかと思ったのですが、驚くほど関心を示しませんでした。スピヌーをさがす様子もなく、完全に気配がなくなったようです。

人間の方はなんだか「死の香り」を感じて暗澹としていましたが、イズーはただ、突然に、孤独の中にほうりこまれたようで、いつもよりも私たちに甘えていました。
猫は死ぬときに隠れるといいますが、イズーに対してはもう、完全に隠れて消えていたようです。私たちの愛撫や声かけは拒否しないで受け入れてくれたので、人間との関係は「別」で、人間の方は面倒だけどかまってやらないとだめだなあ、と気をつかってくれたのでしょう。

スピヌーの遺体を医院に持っていくとき、あまりにも「聖人」崇敬が頭にあったので、一瞬、聖遺物をとっとこうかと思いました。

白くてぴんと張った髭。

でも、こんなの、時々床に落ちてるし。
ブラッシングした毛は球にしてとってあるし。

美しい耳を見て、一瞬、この耳をとっておこうかという、聖遺物信仰の類推呪術が一瞬、頭をよぎりました(ジェイコブスのホラー小説の『猿の手』とかまではさすがに連想しませんでしたが)。呪術と関係なく、なんでもいいから愛する者の体の一部をとっときたいという原始的な衝動だったのでしょうか。

すぐに、モノとしての亡骸ではなく、私のそばにいるスピヌーに現実に引き戻されました。

ぼくはここにいるよ、

って。

スピヌーに勇気づけられて、ちゃんと「喪」の手続きをすることにしました。
偶像崇拝してちゃいけない。
それにはイズーも参加してもらわなくては。
というわけで、一連の撮影となったわけです。

スピノザ、ありがとう。

このシリーズはこれで終わりです。
書くことがいっぱいたまっているし仕事も遅れているのにこれ以上ぐずぐずしていたらスピノザに叱られます。君にもらった力をきっと生かすからね。


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# by mariastella | 2017-07-23 02:52 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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