L'art de croire             竹下節子ブログ

ルルドの奇跡の起こり方 その12

脚がすっかりよくなったセルジュは、その年から今までに、サンチアゴ・デ・コンポステラへの徒歩巡礼路1750キロを踏破した(バックパックを背負っている姿のスナップを見ると、もともとは丈夫な人だったんだなあ、と思う)。

ルルドでのボランティアももちろん続けている。
地域の私立病院に入院患者のもとを訪れるボランティア活動も夫婦2人ではじめた。

2011年からは、家族を失った人の心のケアをするセラピストになるための講習も受け始めた。

マリアに感謝するために自宅の庭にミニ洞窟を造り、聖母像を設置した。

自宅の向かいにあるチャペルの管理もボランティアで行い、毎夕そこで、祈りの取り次ぎを頼まれている他の病者にために祈っている。

最後のエピソードは興味深い。

セルジュの教区にも、治癒前の彼よりも重症な病気や障害を持っていて彼よりも苦しんでいる人はたくさんいるだろう。

多くの人がルルドにも行ったろうし、聖母にも祈っているだろう。しかし、「奇跡」はセルジュには起こったが、他の人には起こらなかった。

それを見て、不当だとか不公平だとか、あるいは、嫉妬や羨望の念が湧いてきても不思議ではないが、どうやら、人々は、「恩寵」に対して感度のいいセルジュに聖母への「取り次ぎ」の役割を託すことを選んだようだ。

これは聖人信仰の心理とまったく同じだ。

超越的でどこにいるか分からない神よりも人としてこの世で苦しんでくれたキリストに、

キリストよりもその母として苦しんだ聖母マリアに、

無原罪の畏れおおい聖母マリアよりも、

人間仲間である各種聖人に、

さらに「xx病の守護聖人」と特化された聖人に、

というように、

人は「自分の手の届きそうな」手近な聖なる者に自分の祈願を頼む傾向がある。地元出身の国会議員に陳情に行くようなものだ。

で、セルジュという、比較的最近「奇跡の治癒」を得た人を目にして、「何であの人が・・・」と不信感を得るよりは、「なんだかよく分からないがあの人の祈りは効くらしい」という心理が働いて、セルジュに祈ってもらおう、ということになるらしい。

セルジュもそれに応えて、そういう役どころを果たすことによって、自分の恵みを信仰の文脈に組み入れることができる。
愛と希望と信仰という三点セットが機能するわけだ。

「御出現」は、「御出現」というわりには、特定の「選ばれた者」にしか感知できないが、奇跡とは「徴し」であるから、基本的に誰の目にも見えるものでなければならない。

だから奇跡は「情報」の一種だ。けれども、目に見えてもその意味が読み取れるとは限らない。つまり、奇跡が「徴し」として認知されるにはいわゆる情報リテラシーが必要とされるということになる。

それは図式的な解析ではなく、それが動かし始めた歯車の運動全体で判断されるらしい。

セルジュは、自分が治癒を得たらその後は他の人のために祈りますという条件を指定して祈っていたわけではない。先に他の人のために祈ったし、「聖母がいるよ」と励ました。

「神のひと押し」というのは神に働きかけることで得られるというよりは、積極的に他の人を助けることで得られるのかもしれない。

それとも、人が、たまに、やむにやまれず「他の人に寄り添う」とか「他の人に手を差し伸べる」という心境になることそのものが「神のひと押し」によるものなのだろうか。
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# by mariastella | 2011-04-27 20:15 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その11

「奇跡の治癒」から1年後、セルジュはルルドの医学局から呼び出されて、微に入り細に入る、山のような質問に答えなくてはならなかった。

それはまるで、セルジュの体験したことと違うことを言わされようとしているかのようだった。

セルジュは、聖母御出現を見たベルナデットに対して行われた執拗な尋問のことを思い出した。

嘘ではないか、幻覚ではないか、錯覚ではないか、などの疑いの前で、ベルナデットも、

「私の見たり聞いたりしたことと反対のことを言わそうとしても絶対に無理です」

と踏みこたえたのだ。

カトリック世界の奇跡や聖性の証明の手続きには、昔は「悪魔の弁護人」と言われる役があったように、まず、「それが嘘だと決めてかかる」ことでその真実性の強度を試す伝統がある。

実際、そのせいで、ルルドで公式に認められた「奇跡の治癒」の数は非常に少ないのだ。

多くの治癒例がこの検証の試練に耐えられなかったというよりも、申告すること自体に心理的バリアができるからだ。

2009 年にルルドの医局に検証手続きに出頭(?)した人は38 人、2010 年は33人だ。

事実上、毎週教会に通って教区の活動に参加して、司祭といっしょにルルドへ来ている人に「それ」が起こらない限りは、奇跡的治癒の申告の敷居は限りなく高い。

奇跡が認定されるまでには少なくとも一度はルルドの医局に戻って審問を受けなくてはてはならないし、さまざまな書類を用意しなくてはならない。

これまでに認定された68人のうち55人がフランス人だったというのも、その手続きの複雑が大きな理由だろう。

一方、不治の病や難病でなくても、カトリック信者でなくても、個人の巡礼であっても、「それ」は、起こっている。

私は個人的に、2人の日本人の「奇跡の治癒」の例をご本人とその父親から聞いたことがある。

2人とも「教会」やカトリック信仰とほとんど縁のない人だった。

正直言って、このセルジュのケースよりも劇的な証言だった。

「だからルルドでは本物の奇跡が日常的に起こっているのだ、すごい、」とかいう話ではない。

私にとって奇跡だと思える治癒だとか、今の医学では説明できない治癒などのケースは、絶対数はごく少ないにしても、多分、いつでも、どこでも、起こってはいるのだろうという話である。

もちろん、ルルドだとか、各種のご利益のある巡礼地だとか、聖地だとかには、病気や障害で苦しんでいる人が集まる率が多いので、病院以外では、そういう例外のケースが比較的多く起こるという可能性はある。

あるいは、今の病院では、投薬や治療法が管理されているので、「不思議な自然治癒」に至るチャンスがむしろ制限されているかもしれない。

でも「不思議な自然治癒」を得る確率など、どちらにしてもすごく少ないのだから、たいていは病院での医薬による治癒を目指すことになる。

では、病院では「もうこれ以上のことはできません」と言われた時点で祈りや巡礼に頼るものか、病気の最初から心理的アプローチやイメージ療法を併行して行う方がいいのだろうか。

これは、いわゆる「代替療法」だの「サプリメント」だの各種「健康法」とのつきあい方とも似てくる。

では、普通の「不思議な自然治癒」や「奇跡の健康法」や「奇跡の薬」と、「ルルド」との決定的な違いはどこにあるのだろう。

治癒を得た人の両肩にかかる使命感とか責任感とかなのだろうか。

(続く)
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# by mariastella | 2011-04-25 01:44 | 宗教

BHLとリビア

リビアからアメリカが手を引き始めたので、フランスとイギリスとイタリアが、軍事専門家を送って「自由リビア」陣営に武器の使い方を教えたり作戦の立て方を指導したりすると言っている。今のままではカダフィの軍隊と太刀打ちできないからだ。

NATOは陸軍を出さないことでは一致しているので、こういう変則的な形になっているわけだ。

なんだか泥沼化している。

3/16にはBHL(哲学者ベルナール・アンリ・レヴィ)の呼びかけに答えてリビアへの介入に賛成していた哲学者のクロード・ランズマンが、4/18のル・モンド紙でBHLを批判したので、BHLも激しく反論し返している。

ミッシェル・オンフレイなどもBHLを非難していて、サルトル以来アンガージュマンがお家芸のフランス哲学者たちはみなぴりぴりしているところだ。

BHLは、2003年のイラクへの介入にも、当時のフランスでは珍しく、アメリカを支持している。

「哲学とは戦争である」と言いきっている戦闘的な人なので、一貫していると言えば言える。

今や、「アラビアのロレンス」ならぬ「リビアのBHL」と言われるくらいで、本気で現地に行って反乱軍といっしょに戦略を練っているのだ。

彼の言い分は、ボスニアやルワンダの内戦で何年もぐずぐずしていて多くの死者を出してしまった過ちを繰り返してはならない、人権と人命が踏みにじられている場所にはどこであろうとすぐに駆けつけなくてはならない、と言うことに尽きる。(まあ、北朝鮮やチベットには駆けつけないが)

そのBHLの考えと、大統領選を来年に控えて支持率が大幅に下がっているサルコジが一気に「正義の味方」のヒーローを演じようとした先走りとが、ぴったり合ったということなのだが、最大の問題は別のところにある。

つまり、リビアの反政府勢力を正式に認めて軍事支援もするというような国家的決断を、一哲学者と大統領が2人だけでやってしまったことで、外務大臣も防衛大臣もましてや国会も、すべて無視したことだ。
フランスが苦労して確立した民主主義のシステムやプロセスがまったく動員されなかったということである。

そして、彼らがそれに踏み切ったのは、たとえそういう暴挙に出ても、「血に飢えたカダフィ」という「悪魔」を目にしているフランスの一般人から非難されはしないだろうという「読み」があったからで、実際、非難はされなかった。

言い換えると、民主主義の手続きをすべて無視しても、大衆の支持があれば何でもできてしまうというポピュリズム路線の強化につながるわけである。

そしてそれは、「緊急」だから、「非常時」だから、許されるということになる。

本当に、それで、いいのだろうか。カダフィ自身、同じようなレトリックを使って独裁を正当化してきたのではないのか。

武器に対していったん武器での交戦を始めると、もう水面下の交渉や外交戦や情報戦やネゴシエートの余地が限りなく少なくなる。

「緊急時」に国のトップやら、知識人やらがどのように考えてどのように行動するのが最適なのか、それはすべて「結果」を待たないと判断できないものだろうか、歴史には学べないものだろうか、問題は単純ではない。

今は、日本が原発事故で「緊急」事態にあり、どんな指導者がどのタイミングでどのような手続きをとるのが最適行動なのかということが焦眉の問題となっている時期だから、ますます考えさせられる。
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# by mariastella | 2011-04-24 08:11 | 雑感

宗教建築の素材の話

Arteでフランスのゴシック・カテドラル建築についての番組を見ていたら、今まで考えたことがなかったことを言っていた。

教会建築においては本来、木材がもっとも高貴で霊的でシンボリックだと考えられていたというのだ。しかし中世のヨーロッパで木が不足したためにやむなくカテドラルには豊富に採掘できた石灰岩などを使うことにした。石は木よりも不透明で霊的にも劣る。それで、その欠陥を補足するために、建物の表面に各種聖人像などを刻んだというのだ。

カテドラルを修復しているうちに、隠れた部分を鉄材で補強していたことも分かった。

鉄材は素材として、石よりもさらに霊性が落ちて、火での錬成を必要とすることから地獄と結びつけられることさえあった。イエスを救いのシンボルである木の十字架に打ちつけた釘も鉄だし、イエスの右わき腹を刺した槍先も鉄である。

そんなわけで、鉄材は、できるだけ目立たないようにただ天井部分の補強にのみ使われたと言う。木材も少しだが使われた。

日本の寺社建築が木造ではかなく、ヨーロッパの教会は石造りで耐久性がある、という対比ばかりなんとなく刷り込まれていたが、そんなに単純ではないらしい。

ヨーロッパも木材がもっと豊富だったら巨大な木造カテドラルの建築を目指していたのだろうか。

そう言えばノアの巨大な箱舟ももちろん木製だ。

バベルの塔はレンガで、ソロモンの神殿はレバノン杉や糸杉の他に石も切り出された。内壁はすべてレバノン杉で覆われ、石はまったく見えなかった。やはり「聖なるもの」は木材と結びついているらしい。

もっとも、ソロモンの神殿の要所には金もはられているから、金は別格だったのだろう。

「永遠」ということを考えると、木材はかなりはかない素材だが、それだけに「生命」と直結しているとも考えられる。

カテドラルの中も外も、最初は色が塗られていた。それも、石という素材を隠すためだったらしい。色(couleur)という言葉の語源は塗って隠すということだそうだ。

日本人にとって、ヨーロッパの宗教建築というともう一つは、ギリシャのパルテノン神殿のようなものを連想するが、キリスト教の神と違うからシンボルや霊性が違うのだろうか。それとももともと木材が足りない場所だったのだろうか。

それにしても、日本は草食文化、農耕文化、木の文化、西洋は肉食、狩猟、石の文化というような安易な対比はできない、とあらためて思う。
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# by mariastella | 2011-04-24 06:33 | 雑感

Piss Christ とクラナッハ

先週の日曜は復活祭前の「枝の主日」で、イエスがエルサレムに入城してから逮捕、処刑、埋葬、復活するまでをたどる聖週間が始まった。 

信者が小枝を持ち寄って聖水をかけてもらう特別なミサの後で、アヴィニヨンで展示されていたAndres Serrano の有名な『Piss Christ』が、カトリック教条主義者たちによって損壊された。

十字架のキリスト像の写真を尿の入ったケースに入れたというこの作品を私は2008 年のポンピドーセンターでの『Traces du sacré』展で実見したことがある。
「冒聖」のコーナーにあって、アメリカでも展示禁止になったことがあるというこの作品をこうやって普通に展示できるのはフランス的だなあ、と好感を持ったのだが、今回は、アヴィニヨンの司教が「クズ」だと言ったこともあって、実際に壊した人たちが出たことに驚いた。

作品としては確かに泡立つようなオレンジ色っぽいものの後ろにぼーっと磔刑図が浮かぶもので、タイトルが明言していなかったら、それが尿かどうかなんて分からない。実際はどういう仕組みになっているのかよく分からない。

ケースが壊された写真を見て、

http://www.lepoint.fr/debats/piss-christ-l-art-et-la-provoc-22-04-2011-1322530_34.php

それがもろにキリストの顔を傷つけているのも皮肉だし、「中身」が出なかったのかと気になったりした。

これに対してフランス司教会議はすぐに「行き過ぎ」の行為を批判した。

他の意見としては、イスラムにまつわる「冒瀆」には戦々恐々としている社会がカトリックにだけは何でもありでリスペクトを欠いているのは公平ではない、とか、現代アートだの「表現の自由」そのものを聖なるものに祀り上げて、それを少しでも傷つけるのはアートや表現の自由に対する冒瀆だとして騒ぐのは矛盾しているとかいうのもある。

十字架像に汚物を注ぐというテーマは現代の人間がキリストに対してしていることを象徴しているのだと言う人もいる。

作者であるSerrano自身は、自分はキリスト教アーティストだと言い、冒涜や挑発の意図は一切ないと言っている。修道女であり美術評論家である人もこの作品が冒聖だとは思わないと言っている。

私はどうかと言うと、アートであろうとなかろうと、個人的に、糞尿とか血とかを見せつけられるのが嫌いなので(そう言えば虫の死骸をびっしりべったり貼り付けた作品などもあったっけ)、この作品がこのタイトルとセットになっている時点で好きではない。

でも、テーマとしては、罪なき救世主がよってたかって傷めつけられて十字架に釘打たれるという残酷刑を受けている時点で、もう十分衝撃的だと思うので、そこに糞尿が加わろうが、大したことはないと思う。

陰惨な磔刑図が普通に聖なるものとして受容されていること自体が驚きだ。

私がフランスに来て一番にみたいと思った絵の一つは、アルザスのクラマールにあるイーゼンハイムの祭壇画の磔刑図だった。ユイスマンスの影響もあるが、当時のペストの流行と言う背景を考えても、一体どうしたら、こんなにおどろおどろしい磔刑図が描けるのか、実際に見て考えたかったのだ。

その後、もっと古い中世のいろいろな磔刑図も見てきて、その素朴とも言えるあからさまな残酷さに驚かされ続けた。

復活のキリスト、栄光のキリストを図像に掲げる宗派の方が理解できるし、彼らから見たら、磔刑像そのものが冒聖ではなかろうかと思うほどだ。まあ、だからこそほとんどの使徒が、その場から逃げだしたわけで、「なかったこと」にしたかったのである。

そんなことを考えながらリュクサンブール宮にクラナッハ展を見に行って、また衝撃を受けた。彼は16世紀だが、その頃も、血まみれのイエス像への信心が盛んで、とにかく顔も体も血だらけのものが多い。

クラナッハと言えば、これも、グリューネヴァルトと同じコルマールでかなり見たわけだが、イメージとしては、真っ白で胸が小さく猫背で下腹が出ているような小児体型でどこか倒錯的で不健康そうな裸婦像が印象に残っていた。藤田嗣治の裸婦像と重なる部分もある。
クラナッハについては表現主義的な印象を持っていなかったので、女性像のプロポーションの悪さは何となく、古い人だからデッサンが「下手」なのかと思っていた。

実際は、すでに解剖学や遠近法などが浸透したルネサンスの人なのだから、「下手」は選択の結果だった。

今回のクラナッハ展を見ると、彼が肖像画の天才だったことが分かるし、「下手」なんてものではなく、相当な技術を持っていたのに、そもそもプロポーションやら写実を目標としていなかったということが、よく分かる。現代のコミック作家が自由なプロポーションでキャラを創るようなものである。

ルターと組んでプロテスタントのブロパガンダとしての宗教画シリーズもどんどん描いたし、同じテーマをカトリック相手には聖母と天使を付け加えて描いたりもしている。工房でのチーム製作とは言え、はっきりと個性のある作品の残存がなんと1000 点以上あるそうで、70点しかないデューラーなどとは異質のものだと言ってもいい。

彼はよく言われているようにデューラーのようになりたくてなれなかったというよりは、まったく違うロジックで製作していたのだろう。

独特の裸婦だって、当時の宮廷やブルジョワにはそれがエレガントだとして気にいられていたから量産したわけで、彼のデフォルメは、彼のスタイルとして認知されていたのだ。

その証拠に、極写実的なプロポーションの画もあるし、ゴルゴダの丘の三つの十字架につけられた三人の描き分けもはっきりしている。

イエスを罵った犯罪人が小太りで醜く、イエスに天国へ行くだろうと言われた犯罪人の方は痩せている。こういう風に描き分ける約束があったのだ。イエスはもちろん一番痩せている。

昔、「痩せたソクラテスになりなさい」と言った東大総長がいたことになっていた(実際は原稿段階のことで訓示からは削除されていたらしい)が、ソクラテスは痩せていたというよりがっちりしていたイメージだ(だからあわてて削除したのかもしれない)。

しかし、精神性と「痩せ」をセットにする傾向は古今東西あったのだろう。苦行としての断食が意志の強さや自己犠牲を連想させるからだろうし、浄化というイメージがあるのかもしれない(クラナッハの描くルターの肖像はソクラテス型のがっちり小太りの感じだが)。

それでも、クラナッハの時代に、女性像が豊満よりも貧弱な感じがエレガンスと見られたことはマニエリズム的でもある。

グリューネヴァルトとデューラーとクラナッハはよく並べられるが、表現者としてまったく違う意識を持っていたのだとあらためて知らされる。

それにしても、磔刑図や殉教図などの血まみれの宗教画を見た後では、Serranoの「冒聖」など、タイトル以外にはインパクトのない上品きわまるものに見えてくる。

なお、このPiss Christは破壊されたままの形で展示を再開されているそうだ。

破壊によってキリストの受難はますます真に迫ってきたのかもしれない。
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# by mariastella | 2011-04-24 03:30 | アート

ルルドの奇跡の起こり方 その10

ルルドから帰ってから10日後、完全に痛みから解放されて歩行の困難も消えたセルジュは、自宅の庭で芝を刈っていた。

すると突然、左足に猛烈な痒みを感じた。

その夜、左足を観察したセルジュは、それまで何年もずっと抱えてかちかちになっていた足の角質が、粉のように細かくぼろぼろになって剥がれているのを発見した。その下からは、赤ん坊のような真新しいやわらかな肌がのぞいていた。

それを見た時、セルジュはマリアがルルドで彼のもとにやってきたことを確信したのだ。

このエピソードは興味深い。

私にはサラゴサの聖母の奇跡を思い出させる。

1640年に、スペインの農夫におこった奇跡だ。

それは、奇跡の治癒なんてものではなく、「奇跡の治癒」ギョーカイですら誰も語らないタブーになっている切断された四肢の回復というやつである。

事故によって片脚を切断された男に、2年後に、脚がついていた。

犬に咬まれた跡も残るかつての自分の脚である。

両親がそれを見つけ、町中大騒ぎになった。中世の話ではない。

公証人も記録を残し、切断手術をした医師も証言した。

25人の証人を立てて司教が「奇跡」を認定したのはずっと後だ。

しかも、最初に「くっついた」時は、黒く干からびて退縮していた脚が、だんだんと生気を取り戻して、ついに普通の機能を取り戻したのだ。つまり、最初に人々が驚いたのは脚がくっついていたことで、その後、それが「生き返る」のを皆が目の当たりにしたという話である。

おとぎ話なら、ぴかぴかの脚が生えてきてもいいようなものなのに、「聖母」は、もとの脚をくっつけて、それに命を吹き込むことを選んだのだ。

この話はあまりにも奇妙なので、今もローカルの域を出ていない。

たとえて言えば二次元の世界に三次元が介入したようなもので、その仕組みについて説明もつかないし想像もつかない。

これについては

竹下節子『聖女の条件』(中央公論新社)p91-92

に書いている。

つまり、10年間も痛みと歪みであわれな状態にあったセルジュの左足は、単に痛みが取れた、とか、神経の歪みが治った、とかではなくて、全体が、内側から新しくされた、ということだ。新陳代謝のスイッチが入って、再生した、という感じだ。

それが皮膚の再生というところまで目に見えるようになったのが10日後ということである。

仕組みが解明されたらアンチ・エイジング産業が泣いて喜びそうな話だ。

しかし、1640年はもちろん、21世紀のルルドでも、「医学的に合理的な説明」はできなかった。

(続く)
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# by mariastella | 2011-04-24 00:37 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その9

セルジュを叫ばせた激痛は、2分後に消滅した。

それと共に、全身が楽になった。

ずっと冷たかった左脚が温まってくるのを感じた。

ゆっくりとホテルに向かい、聖ヨセフ門への坂をのぼりながら、突然、マリアが彼を助けに来てくれたのだと理解した。

これはただの幻想なのだろうか。

セルジュは妻に電話して、何か分からないけれど何かが起こった、と報告した。

次の朝、セルジュの体調は完璧だった。

ではあれは夢ではなかったのだ。

セルジュはホテルにいる司祭に報告し、2人で医学センターにこの「治癒」を申告に行った。 (続く)
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# by mariastella | 2011-04-23 07:11 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その8

洞窟の前で祈ったセルジュは、天に昇った心地になった。

思わず自分の額に指で十字を切った。

それまで一度もしたことのない仕草だった。

マリアがベルナデットに促したように、セルジュも水を汲み、飲み、顔を洗った。

その後で立ちあがって歩いた。

10メートルほど進むと、左足全体に強烈な痛みが走り、セルジュは倒れた。

人々が駆けつけた。気分が悪くなったのだと思われたのだ。

セルジュは木にもたれて落ち着こうとした。

けれども激しい痛みがまた襲ってきて、脚がもぎ取られるかと思った。

セルジュは叫んだ。

この時にセルジュの体に何が起こったのかは分からないが、ともかくそれは、強烈な痛みとして感じられるものだったのだ。

体の歪みを治すと称する施術の後でも、痛みが取れる前に、一時、施術前よりも痛みがひどくなる、というような症状はよく耳にする。

「治り方」が超自然でも、「感じ方」は普通の生理的神経的なものになるのだろうか。

直前にセルジュの得た多幸感と、その後の激痛は対照的だった。

(続く)
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# by mariastella | 2011-04-22 07:52 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その7

ホテルの部屋の窓から蝋燭を灯した聖母行列がサン・ミッシェル門の方に向かっていくのが見えた。

行列が途絶えた頃、セルジュは突然、洞窟に行きたくなった。

急いで服を着た。

ホテルの廊下を歩いていると、誰かに後をつけられているような気配がした。

マリアがそばにいるような感じだった。

エレベーターの前に来ると、すべてのドアがひとりでに開いた。

(パリの不思議のメダイの聖堂での聖母御出現でも、天使に起こされた見習い修道女カトリーヌ・ラブレーが聖堂に向かうと、すべてのドアが次々とひとりでに開いた、といわれる。不思議話によくあるレトリックに過ぎないのか、御出現に立ちあうような異常な精神状態にある人自身が無意識に放射するサイキック・パワーなのか、第三者による隠れた演出なのか、あるいはそこいらにいた浮遊霊のような超常的なモノの仕業なのか、何かの偶然でセンサーが働いたのか、エレベーターなら、前の階で降りた人が間違ってボタンを押してしまっていたのか、まあいろいろな「説明」も可能だが、セルジュのこの話の中で、この状況でエレベーターのドアが開くシーンは、似合っている、と思う。)

不自由な脚でようやく洞窟にたどり着くと、巡礼団に加われなかった人たちから託されていたさまざまな願い事の祈りを繰り返した。

ベルナデットが最初に跪いた場所にセルジュも跪き、ロザリオの祈りを10度繰り返した。

ほとばしる泉の音が大きくなったような気がして、心が奪われた。

セルジュのような人は地元の教区の主催するルルド巡礼に来ている。だから、地元を動けない人々のための「代願」も託されているわけだ。

その人の快癒を祈って大蝋燭を供えたり、託された祈願の紙を洞窟の奥にあるボックスに納めたりする。そこで共同祈願に組み入れてもらうのだ。

みんなのためにルルドの水を持って帰るのも「お約束」である。

そんなことを毎年繰り返しているセルジュだから、この時も、ごく自然に、他のいろいろな人のことを思い浮かべて祈ったわけだ。

ルルドに来ると、自分のことが後まわしになってしまうことは、そんなに不思議なことではない。

本当に自分の病気を治したいと思う人はすでに病院に行っている。  (続く)
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# by mariastella | 2011-04-20 23:57 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その6

セルジュ・フランソワが泣き出した女性を思わずだきしめて、

「マリアがここにいるよ、ぼくたちと一緒に。ぼくたちを見ている。しっかりして、大丈夫だよ」

と口にした、まさにその瞬間、

はげしい震えが彼を貫いた。

それは足元から頭を突き抜け、脳天が破裂するかと思った。

その週は毎日のように雨が降っていた。

風邪をひいたのかもしれない、

とセルジュは思い、ホテルの部屋に引き上げることにした。(続く)

  
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# by mariastella | 2011-04-19 21:43 | 宗教

ぜひ見てください。

フランスにいるBD作家やイラストレーターたちのコミュニティが、日本の震災復興支援のために作品を出している。

4月30日にパリのギャラリーArludikでオークションにかけられる350点のデッサンがネットで見られる。

鉄腕アトムやトトロ、仮面ライダー、女学生、鯉、ナマズ、相撲取り、武士、日本刀、中国服っぽい着物、日の丸、富士山、桜、

ありとあらゆるステレオタイプが並んで、危機における日本のイメージはこれなのか・・・とはじめは斜めに眺めていたのだが、

次々と繰り広げられるイマージュの連続にだんだんと圧倒されて、

善意が素直に感じられて、

中には涙なしには見られない感動作も・・・

http://cfsl.net/tsunami/

他のどの国の地震や災害も、短期間にこのような作品群を生むことはなかったろうと思うと、感慨深い。

30日はパリを留守にするので残念だ。
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# by mariastella | 2011-04-19 00:43 | お知らせ

Paul Claudel « Le Chemin de la Croix n°2 »  

復活祭の聖週間が始まる前日ってこともあって、クローデルの未発表テキスト『十字架の道行n.2』 というマイム演劇を観に行った(Théâtre du Nord-Ouest)。

このテキストは5月にPléiadeから出るそうだ。

一時間にも満たない短いテキストで、なんというか、正直言って違和感ありまくりだ。

クローデルの娘さんが、Etienne Decrouxの弟子にあたるBernadette Plagemanにこの上演を望んだのだそうだ。上演後にこのベルナデットさんと話せたので聞いてみてその経緯を教えてもらった。

彼女は私が日本人だと知って、どうだったか、能を思わせたか ? と逆に質問してきた。

クローデルは、Etienne Decrouxが能にインスパイアされて創った"Les Arbres"というマイム(ネット上で見ることができる)を見て、それにインスパイアされて1952年3 月23日の夜にこのテキストを一気に書き上げたそうで、マイムとテキストが相互にサポートし合うようにできているらしい。クローデルも能に影響を受けていたからだという。

私が、十字架の道を、二人の罪人が縦木(十字架の柱の部分)を2人で担いで先に歩き、イエスが両腕を横木に結びつけられて人間十字架になってその後をついて歩いたというプレゼンテーションに驚いたと言うと、ベルナデットさんは、十字架が贖罪のシンボルになっている解釈は「禅」だと思うか、とまた聞いてきた。

エティエンヌ・ドゥクルーはフランスのマイムの草分けの人で、ムーンウォークの創始者であり、ジャン=ルイ・バローやマルセル・マルソーを育てた人でもある。

ネットの動画で見てみたら、あまり姿のいい人ではない。
そしてベルナデットさんも、どかっとしたおばさん体型の人だ。
ダンサーとか舞台人は体が表現の場になっているのだから、やはり表情やら体型に個性や切れが期待される。

やたらどっしりした肝っ玉母さんみたいな人がシーツをまとってマリアやイエスを演じても、なかなかなじめないし、クローデルのテキストも、熱に浮かされたような異様なところはあるのだが、マイムと一体化、と言われても・・・

パントマイムというのはいろいろな芸能の境界線上にあってすごくあやうい芸だと、あらためて思う。

そういえばマルソーも能にインスパイアされたと言っていたなあ。

ヨネヤマママコさんは、最高に美しいところだけを見せるのがダンスで、花の散り際まで見せるのがマイムだと言っていたが、マルソーとかママコさんとか無駄がそぎ落とされた爬虫類のような強烈なカリスマがあってこそ、十字架の道行だって危機迫る感じでできそうだ。

お能であっても、面をつけ、衣装をつければ、嘆きの聖母は表現できそうだ。

このクローデルとベルナデットさんは中途半端すぎる。

それにしても、フランス人の日本文化(能と禅)趣味の枠って、クローデルから今まで、あまり進化していないのでは・・・

能でも禅でもマイムでもクローデルでも十字架の道行ですらないハイブリッドな代物を観たという感じだ。

去年、パリのENSでも演ったとかで、その時の写真では上半身裸の若い青年がイエス役らしい感じで、ベルナデットさんは白いドレスで聖母役に徹しているように見える。

確かに、彼女のマイムの動きはともかく、凍りつく stabat mater dolorosa の視線には、背中がぞくっとさせられたのだが・・・




 
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# by mariastella | 2011-04-17 06:35 | 演劇

ルルドの奇跡の起こり方 閑話休題その2

フランス、ベルギー、スイスの『癒しの泉とチャペルガイド』新刊。

http://www.amazon.fr/Guide-fontaines-chapelles-gu%C3%A9risseuses-Belgique/dp/2841975452

ルルドの泉はパリからのアクセスがよくないのだけれど、パリやパリ近郊にも癒しの泉はたくさんある。

日本でいうと神社水のようなものだ。

パリの中では有名なサン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の外側の泉。

「貧しい聖ジュリアン」はイエスの御出現を得た。

狩りから帰ってきた若い貴族のジュリアンは夫婦の寝室の床にいたカップルを、妻の不倫だと思って殺した。

それは、妻が招いて、うちで最も立派な部屋だった寝室に休ませていた自分自身の両親だった。

親殺しとなって出家したジュリアンは、旅人を背負って川を渡す隠者となり、ある嵐の日に重い皮膚病の患者を背負ったら・・・それがイエスであったという話。

いや、ここで書きたかったのは、パリ近郊Val d'OiseにあるSaint-Prixの奇跡の泉で奇跡を得るやり方についてだ。

7世紀のクレルモンの司教聖プリの聖遺骨がこの地にもたらされたのが13世紀。奇跡を求める巡礼が盛んになったのが15世紀で、泉の効能と相まって盛んになったのが16世紀。

今ではただのポンプになっていて、どう水浴するのか分からないが、とても美しい場所である。

で、そこでは、三度水浴して、その度に

「ミラクル、ミラクル、ミラクル!」

と三度唱えなくてはならなかった。

三三九度のミラクル。

普通なら、奇跡の治癒が起こった後で

「ミラクル!」

と叫びそうなものだけれど、

ここでは先取りして叫ぶのだ。

一種のイメージ療法?

すべての祈りは感謝の祈りでなくてはならない、

と言われるけれど、

まだ起こっていないミラクルを叫べば、

ぼーっとしてた聖人の魂が揺さぶられて、

「えっ、なになに、ミラクルだって?
そういや、ぼくの仕事は奇跡の治癒だったっけ・・・」

と仕事にかかってくれるのかもしれない。

チャンスを最大にしようとする昔の人の智恵は侮れないな。

中世風の民衆の智恵が息づいている巡礼地とは違って、

ルルドの奇跡には、また別のプロセスがあるらしい。
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# by mariastella | 2011-04-16 23:08 | 宗教

まだ公開されていない映画、など


Xavier Durringer の『La Conquête 』(征服)

フランスでは珍しい、現職大統領がモデルの映画が次のカンヌ映画祭に出品される。

検閲はなかったが、製作費の捻出はけっこう難航したそうだ。

「権力を得て妻を失った男」、というキャッチフレーズで、左派からは、来年の大統領選を前に、分裂している与党に利する御用映画だという批判も出ているのだが、まだ全貌を見ている人はいないだろうから少し好奇心がある。

私はサルコジが内務大臣やら財務大臣だった頃からものすごく嫌いだったし、近頃はそれも頂点に達しているのだが、この人の「外見」を見ると、けっこうつらくなる。

任期中ずっと小男、小人、などという形容をされてからかわれていることに対しては、ずっと気分が悪かった。

この人は子供の頃に骨結核を患ったそうで、その後遺症か、身体も少しゆがんでいて、動きがぎくしゃくしている。それを見るのもつらい。

そう言う外見のハンディと権力志向と伴侶へのこだわりはきっと切り離せないものなのだろう。

フランスはドゴールから、ジスカール=デスタン、シラクと、190センチを超す堂々とした体躯の大統領を選出してきた。社会党のミッテランは別として、同じ党派内でサルコジの宿敵であるドヴィルパンも長身痩躯のスポーツマンだ。

社会党前書記長のオランドは、非常に頭が切れそうなのに、下ぶくれで愚鈍な印象で損をしていたのが、ダイエットをして、すっかり精悍な感じになって大統領候補予備選に名乗りを挙げている。といっても、社会党シンパですら、頬のこけたオランドを貧相で老けた、と言ってこき下ろしている人がいる。

社会党で一番人気のDSKは、このところ中年太りがひどくて重苦しい感じであり、オランドに倣ってダイエットしなくては、と揶揄される。

オランドの元伴侶だったセゴレーヌ・ロワイヤルは4人の子の母であるのに相変わらず美しいということで、それはそれで、フェミニストの神経を逆なでするような形容をされる。

そのセゴレーヌのライバルとされる現書記長のマルチーヌ・オーブリは、激務のストレス太りか、完全に「おばさん」外見となり、これもセクハラめいた揶揄の対象になっている。

社会党の別候補のマニュエル・ヴァルスなどはスマートだ。

庶民的というより小汚い感じだったボルローは最近与党を離れたが、アルコールを断ったとかで、前よりすっきりと小奇麗になった。

病気や生活習慣などを別にしても、背の高さや体形、性別などは遺伝子に左右されるから、どうしようもない与件であるのに、今のようなビジュアルな時代にはそれが発現内容の印象をかなり左右する。

公職を目指す人間はその外見もまた公的なものになるわけで、外見を整えるのも公衆を尊重する意思表示のうちだろう(日本の大震災の後で民主党が一斉にロゴ入りの作業服を新調したなどというエピソードも思い出したが、実質のないコンフォルミズムはまた別の話だ)。

ピューリタン的な政治的公正の規制が比較的少ないフランスは、政治的信念やマニフェスト、個人のカリスマなどと、「見た目」のギャップが比較的軽々しく口にされる。その中で、けっこうなハンディを背負いながら、権力と金と美女を手に入れてそれを誇示するサルコジの運命の不思議は、やはり最初の現職大統領ダネ映画が製作される原動力になったのかもしれない。

そう言えば、今年のカンヌには、ウッディ・アレンの新作にサルコジ夫人がチョイ役で出演している。彼女は出席を辞退したが、サルコジは是非観に行きたいと言っていたが、この時期にまずいと言ってとめられたそうだ。

身体的な外見や社会的出自を含めた与件と、行動の選択と自由意思との関係については、いろいろな哲学者が考察してきた。

私が今一番おもしろいと思っているのは、サイトの掲示板でも触れたヴォイティラによるトーミズムの現象学的再考である。

長い間ヨーロッパの知的根幹をなしていたアリストテレス-スコラ哲学は、「西洋近代」が脱キリスト教化した時に、視野から外れてしまった。これを再統合しないと、思想と行動の間にある不確かさが見えてこない。

昨夕は、佐藤俊太郎さん指揮のチャリティコンサートに行った。

短い間にボランティアの奏者を集めて、よく自分の表現したいものを伝えられたと感心した。彼のモティヴェーションが奏者の一人一人に伝わったのだろうし、聴衆にもよく伝わった。

パリは復活祭休み中なので心配したが人もたくさん来ていてほっとした。

モーツァルトのテンポもイメージ通りだったし、アンコール曲がG線上のアリアでなじみの深いバッハの第三管弦組曲も、後に続く連帯と再出発を促すように奏でられて、このところ震災報道で過飽和していた心が癒された。

この曲ならもっと少ない構成でもやれるから、他のバロック・アンサンブルとの組み合わせが可能かもしれない。

この先の展開を調整中。
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# by mariastella | 2011-04-16 20:14 | 雑感

ルルドの奇跡の起こり方 閑話休題

ルルドではいつも何か心身にいいことが起こりやすいのは、ここが「傲慢」からの解放地区になっているからかもしれない。

ではなぜルルドで「傲慢」から自由になれるかというと、

病気や障害の前で絶望したり孤独に苦しんでいる人が多いからかもしれないし、聖母の前でみんなが一種の退行を起こしてみんなが「乳兄弟」の仲になるからかもしれない。

「父なる神」を頂いた「きょうだい」というイメージでは、結局誰がその「父」の後を継ぐのかという父権的な権力や権威の継承争いも起こりがちだが、「乳きょうだい」で母の胸に頭を寄せ合っていれば傲慢はない。

平和革命が実現したかに見えるチュニジアでも

「自由で近代的で、政教分離で寛容なチュニジアを愛する! 」

と叫びながら多数で1人を吊るしてリンチしている動画がある。

ぞっとする。

リビアの反カダフィ軍もカダフィの傭兵をリンチしている。

去年のカンヌ映画祭に出品された『チャオセスクの自伝』というルーマニアのドキュメンタリー映画があるのだが、

ソ連と手を切るくらい全体主義的社会主義を批判していたなかなか骨のあるリベラルなリーダーだったチャオセスクが毛沢東や金日成に憧れの視線を向けた頃から、「独裁者」の道にまっしぐらとなった。

そのチャオセスクが1989年のクリスマスに妻ともども公開処刑されたシーンはテレビで流された。

報復とセットになっている自由や民主主義や寛容なんてあり得ないのに。

思えば、イラクもチュニジアもリビアもエジプトも、ムスリム国の中では、穏健なスンニー派が中心にいて一定の政教分離のある国だった。イラクのもと副首相ターリク・アズィーズはカルデア派キリスト教徒だったし、ムバラクもコプトを保護していた。

「民主化」の後はみな、憲法に宗教制限条項が入りそうだ。

イラクなんて、スンニー派、シーア派、クルドが政治に参加できるような配慮がされて、キリスト教徒はほとんどみな殺されるか逃げた。

「独裁者」が宗教原理主義者を牽制して一定の政教分離をしていた国々だからこそ、自由や民主主義の要求が生まれたのかもしれない。

二代目は別として、一代で「独裁者」となったような人たちは、最初はある種の「大義」に殉じる信念の人だったのだろう。

最初から誇大妄想や人格異常だったとは思えない。

アルコール依存が人格を変えてしまうように、権力や富が人を変えてしまうのだろうか。

傲慢とうぬぼれ、これが最も毒性のあるドラッグなのかもしれない。

誰でも少しずつ、これに汚染されている。

この二つから解放されれば、

心身はかなり楽になる。

ルルドは、ひょっとして、傲慢とうぬぼれのデトックス・センターなのかもしれない。
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# by mariastella | 2011-04-15 20:04 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その5

聖女ベルナデット教会で、突然声を立てて泣き始めた若い女性を思わず両腕にだきしめて、セルジュは慰めの言葉を探した。

「マリアがここにいるよ、ぼくたちと一緒に。ぼくたちを見ている。しっかりして、大丈夫だよ」

ユダヤ人の収容所でエティ・ヒレスム(1943年にアウシュビッツで殺された)が妊婦や赤ん坊の世話をしていたシーンがなぜか思い浮かぶ。

エティはこう書いた。

不幸に襲われるときはいつでも、人々は助けの手を差し伸べ、救える者なら救おうとする自然の本能を発揮します。今夜私は、赤ん坊に服を着せ、母親たちを落ち着かせる「手助け」をしようと思います。それだけが、私にできそうなことですから。

エティは、地獄のような光景の中で、

微笑して、明るく話しながら、途中で出会うすべての人に親切な言葉をかけ、きらめくばかりのユーモアにさえあふれていたという。

祈りについてエティはこう書いた。

自分に何かをくださいと神に祈るのは、あまりにも子供っぽ過ぎて、お話にならないように思える。

他人の幸せのために祈るのも、同じように子供っぽいように思う。
人は、他の人がその重荷を背負うのに十分な力を持てますように、とだけ祈らなければならない。

そうすれば、その人自身の力の幾分かを他の人に貸すことになるのだから。

(以上、引用は『エロスと神と収容所』(朝日選書298)より)

エティたちを襲った「不幸」は、ナチスのユダヤ人殲滅政策という人為的な悪だった。

それはまるで天災のように襲ってきた。

ルルドにやってくる人たちを襲った不幸は、集団的なものではなくて、個々の不運や遺伝子や環境など、千差万別の理由によって起こった病気や障害だ。

千差万別ではあるけれども、老いや病や死がすべての人の共通の運命であるという意味ではどれも決して「他人事」ではない。

そう思うと、人生は大きな「死の収容所」のようでもある。

けれども、そこには必ずエテイ・ヒレスムのような人がいて、一番暗いひと隅に、灯をともしてくれる。

すると、人生はまた、大きな「ルルド」のようにも見えてくる。

セルジュが若い女性を抱きしめて

「マリアがここにいるよ、ぼくたちと一緒に。ぼくたちを見ている。しっかりして、大丈夫だよ」

と言ったのは、ルルドがルルドであり続ける奥の奥にある祈りの言葉だといえるかもしれない。

ルルドでは、泣けば、呻けば、倒れれば、誰かにきっと抱きとめてもらえる。

その「誰か」は、いつも、「泣くあなた」を「慰める私」ではなく、

「ぼくたち」であり「私たち」なのだ。

「どうしてこの自分が・・・」という「自分だけの不幸」が、その時に、変容する。
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# by mariastella | 2011-04-15 00:21 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その4

他の場所でなら今でも臨終を連想させる緊張感のある「病者の塗油」も、ルルドの聖域内では「日常」の光景だ。

その秘跡を受けない人たちも、病んでいる人や苦しんでいる人、障害のある人たちが次々と励ましを求めて列をなす様子を見ると、人間の非力さや人生のはかなさや健康の危うさの実感が腹の中にずんと投げ込まれたようになり、言葉を失う。

自分や自分の近い人が病や痛みなどを抱えている人ならば、来し方行く末の不安に締めつけられるかもしれない。

セレモニーが終わりに近づいた頃だった。

セルジュのすぐそばにいた若い女性が、突然、しゃくりあげるように泣きだした。

いろいろな思いが交差して感極まるせいか、ようやく究極の慈母である聖マリアの聖地にやってきたという安堵感でそれまでの緊張が一度に緩むのか、ルルドで泣きだす人は少なくない。

全体としては、不思議なほどに明るい非現実的な場所であるのに、いや、明るさと善意と信頼の漲る場所であるからこそ、痛みや苦しみや諦念や絶望も、抑圧を解かれて涙となってほとばしることがある。

隣で声を立てて泣き始めた若い女性の苦しみが何であるかはセルジュには知る由もなかった。

思わず彼女を両腕にだきしめて、セルジュは慰めの言葉を探した。

「マリアがここにいるよ、ぼくたちと一緒に。ぼくたちを見ている。しっかりして、大丈夫だよ」

それは、

その時、

起こった。
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# by mariastella | 2011-04-14 00:01 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方  その3

それが起こったのは、ポー河の向かい側だった。

ルルドの聖域は、増え続ける巡礼者の便のため、川筋を変えるなどして少しずつ整備されてきたのだが、メインはやはり、三つのバジリカ聖堂が集まり、水浴場や洞窟がある左岸だ。ポー河の向かい側の右岸にはキャンプ場や、講演会場や、病人の巡礼者の宿泊施設などがある。

そちら側に1988年にできたのが聖女ベルナデット教会(l'Eglise Sainte Bernadette)だ。

無原罪の宿り、ロザリオのノートルダムと、ルルドのメインキャラクターである聖母に捧げられたバジリカ聖堂の後が、ローマ教皇ピウス10世に捧げられた聖堂で、最後がようやく、ルルドで最も貧しい家庭の貧弱な少女であったベルナデットにちなんだ教会だったわけである。

ベルナデットが早いうちからルルドを離れたヌヴェールの修道院に隔離(?)されたこともあって、ルルドのスターは聖母と泉だった。

御出現そのものは4年後の1862年に司教から認定されたが、ベルナデットはそのまた4年後の1866年にルルドを去り、1879年に亡くなっている。つまり、彼女は聖母の大聖堂の姿を一度も見ていないわけだ。

彼女が聖女の列に加えられたのは1933年だった。

でも、御出現100周年の大聖堂は、彼女より遅く1954年に列聖されたピウス10世に捧げられた。

で、1988年にようやく彼女に捧げられた教会は、三つの大聖堂の反対側にあって、建築としても平凡な近代建築である。

ただし、その場所は、1958年の7月16日に、最後の御出現の時にベルナデットが跪いた場所だとされている(洞窟からすごく離れているのだけれど、そんなものなのだろうか)。

そんなルルドの聖女ベルナデット教会は、バジリカ聖堂ではない。

バジリカ聖堂とは名誉称号のようなもので、ローマの歴史的な大教会を別として、特定の巡礼地や、メジャーな聖人に捧げられた教会で、教区を超えて多くの人が集まる場所に与えられる。

バジリカ聖堂ではないその比較的地味な教会で、2002年4月12日の午後4 時、病者の塗油のセレモニーが行われていた。

これはカトリック教会の秘跡のひとつで、第二ヴァティカン公会議以前には、終油の秘跡と呼ばれ、原則的には死に行く信者の魂をキリストにゆだねる一度だけの秘跡だった(回復した時には次の危篤の時にまた受けられる)。

今は、病気で苦しむ人が罪を赦され、力を得ることができるようにと祈るものとされて、何度でも受けられる。

ルルドのような場所では、毎日、そのためのミサがあって、病者が列を作っては次々と聖油を額に塗ってもらう光景が繰り広げられる。担架で運ばれている意識のない人もいるし、車椅子の人も多い。

あまりにも重篤そうな人が多いので、軽い病気の人や慢性病みたいな人は遠慮することになる。

毎年ルルドに来ているセルジュ・フランソワは、その病者の塗油の儀式を伴ったミサに出席していたわけだ。

だから、とりたててその時に「自分の治癒」を必死で祈願するという理由はなかった。(続く)
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# by mariastella | 2011-04-13 01:43 | 宗教

佐藤俊太郎さんのモーツァルト40番

ルルド効果なのか、このところ突然アクセスが増えているので、15 日のコンサートのお知らせをもう一度コピーしておきます。

東日本大震災チャリティコンサート

コンサート日時 4月15日(金)20h30開演

サンジェルマン・デ・プレ教会

(Eglise de St-Germain-des Pres 75006)



プログラム:

Barber Adagio pour cordes 弦楽のためのアダージオ

Mozart Symphony No.29, en la majeur K.201

Mozart Symphony No.40, en sol mineur K.550


指揮、音楽監督 佐藤俊太郎

チケットは20ユーロで、自由席です。


これについての佐藤さんのインタビューがここで読めます。


http://www.newsdigest.fr/newsfr/content/view/4593/83/


ここにあるように、佐藤さんは、日本の音大のxx先生門下などという家元メンタリティとはかけ離れたユニークな存在です。

今回の3曲は最初が犠牲者の鎮魂のため、次が、明るさを強調、最後が若い時の佐藤さんを救い、これを指揮するために指揮者になったというモーツァルトの40番です。

この第一楽章のメインテーマは、多分世界でも最もポピュラーなクラシックのメロディかもしれません。

今ではネット上で、いろいろな指揮者の演奏が聴き比べできます。

ある意味、その指揮者の人生観、あるいは、人生そのものがどんなものだったかが見えてくるような曲です。

というのは、交響曲の第一楽章のメインテーマというには珍しく、息の短い動きだからです。

「疾走する悲しみ」だったか、小林秀雄による有名な形容(正確には弦楽五重奏の方ですが)もありますが、私にはそうは思えません。

喘ぐような、とか、メランコリックなとかとも違います。

この最初のラソソ、ラソソ、ラソソミーという部分、

私にはバロック・ダンスのジュテのパが思い浮かびます。

ジュテ、ジュテ、コントルタン

です。

このテーマが二度目に裏側からこっそり出てくる時はもうその明らかな感じはなくなるのですが。

非常にマニエリスム的で職人的な技の積み重ねですが、それが暴走していくのがスリリングです。

第三楽章のメヌエットは、この文脈ではダンス曲の原形から離れて、やはりマニエリスム的な独立した器楽曲だと思われていますが、

この変則的なメヌエットも、コントルタンをふんだんに使って、変則的で複雑な交差図形を床に描けそうな、脳内ダンスの楽しみがあります。

この交響曲はダンスを内包していて身体感覚を揺さぶってくれるからこそ、再生の力を持っているのではないでしょうか。
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# by mariastella | 2011-04-12 18:56 | 音楽

ルルドの奇跡の起こり方  その2

大巡礼地ルルドでは、いろいろな巡礼団が、聖域の中のいろいろな場所でミサに参加する。

小さなチャペルもあちこちにあるが、大きなバジリカ聖堂だけでも三つあることから、わずか150年ほどの歴史しかないルルドが人々に与えた影響力の大きさがうかがえる。

http://www.lourdes-france.org/include/plan_fr.php


最も早くできたのは、聖母御出現のマサビエル洞窟を覆うように建てられた上部聖堂「無原罪の宿り」(聖母の異称であり、ベルナデットに名を聞かれた聖母が自分で名乗ったとされる言葉でもある)だ。

湿った岩肌の洞窟の中には聖母像が置かれ、足元にはルルドの泉の源泉(?)も目にすることができるので、この聖堂はルルドの心臓部、いや、子宮のような洞窟を抱える聖母の体のような位置づけだ。

1871年の聖母被昇天祭に祝別された。この時期が、普仏戦争の敗北と重なっているせいか、フランスのナショナリズムと傷病兵の治癒祈願もあって、ルルドはすごい勢いで発展したのだろう。

さらに、ディズニーランドのシンデレラ城のように華麗な「ロザリオのノートル・ダム」聖堂が続けて建てられた。

ロマン・ビザンティン様式でモザイクをふんだんに使ったギリシャ十字型のバジリカで、1500 人を収容できる。聖別されたのは1901年だ。シーズン中に毎夜行われるろうそく行列の光がこのバジリカの両脇のスロープをゆっくり動くさまは幻想的で美しい。

それでもまだ足りないというので、御出現100周年の1958年、受胎告知の祝日に、先の二つのバジリカから広場を隔てた反対側に、今度は目立たないように地下大聖堂が造られた。大戦中ドイツ軍の占領地域ではなかったルルドは、二度の大戦に疲弊したヨーロッパ中のカトリック信者を慰めるシンボルの場所となっていた。

これが、25000人を収容できる聖ピウス10世大聖堂である。

聖域の中には、この他に、ルルドの水を自由に飲んだり汲んだりできる蛇口のスポットや、有名な水浴場、山麓を回る十字架の道などの巡礼コースがある。

けれども、2002年の4月12日に奇跡が起こったのは、それら三つのバジリカ聖堂の中ではなかった。

洞窟の前でも、水浴場でも、水飲み場でもなかった。(続く)
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# by mariastella | 2011-04-12 00:34 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方  その1

2011年3月27日、ルルドの新しい奇跡の治癒が宣告された。70件目で、6年ぶりのことだ。

ルルドの国際医事評議会がその治癒が現代医学で説明不可能であることを認めたのは昨秋だが、それが最終的に神の恩寵の徴しであると宣告するのは、治癒を得たものが属する教区の司教で、今回はフランスのアンジェのデルマ司教がその任にあった。

アンジェの南にあるNotre-Dame des Gardes のミサで、現在65歳の教区民セルジュ・フランソワが2002年4月12日のルルドへの巡礼の際に「驚くべき治癒を得た」ことと、それがキリスト教信仰によって解釈できることを宣言したのだ。

デルマ司教は「奇跡」という言葉は少しばかりprésomptueux(厚かましい)だと思ったのでremarquableという形容詞に変えたのだそうだ。

これはルルドのペリエ司教が2006 年に判定基準を見直してから最初の治癒認定例になったものだが、要するに、現在の科学では説明がつかず、突如として起こり再発しない治癒であれば特に「奇跡」と言わなくてもいい。

ルルドの奇跡は1858年の聖母の出現にあるのだから、それをさらなる奇跡によって証明する必要はない、というわけだ。

これは、イタリアのサン・ダミアーノやボスニア=ヘルツゴヴィナのメジュゴリエでの「聖母御出現」に伴って数々の「奇跡」の治癒が語られたことに関する反発でもある。

今のカトリック教会は、新たな聖母の出現だの血の涙を流す聖母像などの「奇跡」を公式に宣言する立場を取らず、大きな逸脱がなければ「黙認」しているかっこうで、「奇跡」という言葉の価値が下がることを快く思っていない。

「奇跡の治癒」程度は、神にとっては決して難しいことではないのだろうから、治癒を得た者がそれを回心のきっかけとして信仰を深めて他者の回心をも促し得るかどうかが、ルルドでは問題となる。

今回のケースは、2002年4月と、9年前のことで比較的新しいし、治癒認定の基準も変わった後なので興味深い。

数回にわたって、その詳細を紹介することにしよう。

テレビの修理販売業者のセルジュ・フランソワは、1992年、40代半ばの時に頸椎ヘルニアの手術を受けた。

排膿管を入れた時の手違いで硬膜血腫が起こった。

左の腰と脚にひどい痛みが続き、歩行が困難になった。

毎日、理学療法士による施術を受け、鉱泉湯治にも滞在し、リハビリ・センターにも通ったがどうにもならず、ナントのペイン・クリニックに行き、毎日の鎮痛皮下注射を受けた。モルフィネのパッチ剤によって痛みはやや緩和したが、歩行障害は変わらなかった。

セルジュは元気な頃に2度、ルルドで病者を介助するボランティアの経験があった。

具合が悪くなってからは教区の主催する年に一度のルルド巡礼に参加するようになった。

そうして10年。

10年の痛みと苦しみ。

10年のルルド通い。

自分よりももっと悲惨な病人や障害者も見た。

多くの人が祈る。

泉の水を飲み、水浴し、持ちかえり、聖母に祈って行列をして、病者のミサにあずかる。

みんなが治癒を得るわけではない。

ルルドの巡礼の目的は、ほとんど、ただ、そこにいて、祈ることだけだ。

しかし、夥しい数のボランティアがそこで働き、弱者優先と連帯のユートピアのような場所だから、ピレネー山麓のすがすがしい空気と相まって、たいていの人はそこに来たことを後悔しないし、また戻りたくなる。

こうして2002年の4月12日がやってきた。

一体、何が、前の年と違ったというのだろう? (続く)
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# by mariastella | 2011-04-11 07:07 | 宗教

レヴィ=ストロースLévi-Strauss 、そして、フクシマ・・・

レヴィ=ストロースClaude Lévi-Strauss
の未発表エッセイが2冊相次いで出版された。


http://www.liberation.fr/livres/01012330207-claude-levi-strauss-sous-l-emprise-du-soleil-levant


1979年から2001年のもので、5歳の時に父から贈られた広重の浮世絵を見てから自分の一部は日本と共にあったというようなものから、生まれ育った場所でない文化の深奥には達することができないという構造文化人類学者らしからぬあきらめの言葉まで、さらに、日本は伝統とテクノロジーのバランスを獲得した国であるというコメントもある。

今や毎日の「フクシマ」報道で日本の放射能が強迫観念として振り続けているフランスで、タイムリーだから、ちょっとした話題になりつつある。

今発売の科学雑誌も軒並み原子力特集、日本特集・・・

地震や津波よりも原発事故はフランスの恐怖のツボにはまるせいか、アフリカ情勢やら与党の分裂やらといった緊急の話題が豊富にあるに関わらず「日本報道」は大震災から一ヶ月後も根強く続く。

「ヒロシマ」と「フクシマ」がフランス風に言うと「脚韻を踏んでいる」のも、覚えやすいので二つ合わせて唱えられやすい。

ヒロシマの方はフランス語では、イロシマでしかも「ro」の発音がかなり違うから、日本人にとってはよその国の都市のような響きだが、フクシマはフランス人もちゃんと発音するので、存在感が増す。

ヒロシマの「ヒ」は「hi」でフランス人はhを発音しないからなのだが、福島の「フ」は「fu」と表記されるのでちゃんと発音されるのだ。

「ひ」と「ふ」でこんなに違う運命が待っている・・・

(ex 福田首相はフクダで、鳩山首相はアトヤマとか・・)

私の室内楽友達のヴァイオリニストであるジャンは、3月に予定されていた日本への豪華客船旅行が中止になったのに続いて、5月に行くはずだったウズベキスタンへの旅行も、日本の放射性物質を含んだ雲の危険のために中止になったと言ってがっくりしていた。

5月のウズベキスタンに放射能拡散の風予報が出ているのだろうか?
それとも原油高騰でペイしなくなった観光旅行を、旅行会社が、放射能を口実に中止しているんだろうか。
こんな話が他にもあるのだとしたら妙なことではある。

この調子で「日本による全北半球放射能汚染」話がエスカレートしたら、本当に、これからは日本からフランスにくる観光客だって警戒されかねなくなるのでないか、と心配だ。
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# by mariastella | 2011-04-09 19:57 | フランス

エジプトの新憲法

国民投票で認可されたエジプトの「民主」憲法だが、コプト・キリスト教徒が大統領になることが禁じられそうだ。

昔、レバノンが、パレスティナのキリスト教国家として創られた時も、首長の宗教制限があったことを思い出す。

ムスリムが多数決でムスリムの大統領を選出すると言うならそれはそれでいいわけだが、マイノリティのコプトはダメとあらかじめ排除する時点で、「民主主義」とは言えないのでは・・・

そういう条項を発想するだけで、もう、民主主義とか自由とか人権とかの前提が共有されていないのでは、と心配だ。
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# by mariastella | 2011-04-08 20:44 | 雑感

拍手のし方

15日にパリで東日本大震災支援のチャリティ・コンサートをする佐藤俊太郎さんとお話しした。

イギリスやフィンランドや日本のオーケストラを指揮する時の団員との関係のお国柄の違いや、聴衆の反応の違いについていろいろ話を聞いていたのだが、

フランスでは、コンサート後の拍手の後、それがだんだんと、アンコールを要求する手拍子になるのだが、それは他の国ではないと言われて驚いた。

私は昔から日本でいろいろとクラシックのコンサートに行ったし、フランスでもさまざまなコンサートに行くし、両方の国で多少なりとコンサートをする側にまわったこともある。

アンコール演奏をしてほしい時には聴衆が拍手のリズムを変えるというのは、あまりにも普通だと思っていたので、それが、いつもどこでも同じだと思いこんでいた。

そう言えば、日本ではなかったんだっけ?

日本では昔はあまり声をかけなかったが、いつからか必ずブラボーという声をかけてくれる人が出てきて、たまにだがスタンディング・オベーションもある。
アメリカではそれがいつもお約束だそうだ。

フィンランドの聴衆の拍手は地味で、はじめて振った時は心配したが、それが普通だと言われたそうだ。

フランスで、ものすごくアンコールを要求する時は足踏みまですることがある。

一度何かのコンサートで、なかなか始まらなかった時にも、聴衆が待ちきれなくて手拍子で開始を要求したことがある。

演奏後は最初は普通の拍手なのだが、だんだんと手拍子がシンクロしてはっきりとした意思表示になるのだ。

個人主義の国の癖に、何かを要求する時は足並み(いや、手並みか・・)を合わせるやつらだなあ。

演奏する側としては悪い気はしない。

そのかわり、もうアンコール曲を弾かない時は、それをはっきり意思表示しないといけない。楽器を持って戻らないとか。もう終わりだというジェスチャーをするとか。すると、普通の拍手に代わって静かに幕となる。

アンコールのない芝居やオペラの時でも最後は手拍子になるが、それはカーテンコールの要求だ。それがいつまでも続く時は、もう終わりということを知らせるために客席のライトがつけられたりする。

本当にフランスだけなのだろうか。
いつ頃からこんなふうなのだろう。
イタリアなど他のラテン国はどうなのだろう。

思い立ってネットで検索したら、

http://books.google.fr/books?id=5fKPlLV2ofgC&pg=PA58&lpg=PA58&dq=scander+l%27applaudissement&source=bl&ots=kPsJmW9T6g&sig=3ZPMZe8MTo6ezec_hrfrfCZBaDg&hl=fr&ei=FSeeTa6DB9KZhQeMwpGmBA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CBgQ6AEwAA#v=onepage&q=scander%20l%27applaudissement&f=false

という拍手の歴史の本が読めた。(読めない部分もある)

フランス語で曲を弾く時はexécuterという単語を使うのだが、それは死刑執行と同じ単語なのだが、それを取り上げて、生も死も拍手をともなう、なんてことから始まっていてなかなか面白そうだ。
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# by mariastella | 2011-04-08 06:21 | フランス

ロシア正教の教会建設とライシテ

ほとんど一世紀に渡った公式無神論の時代を経て、モスクワ市長が、市の所有地に60の教会を建設すると発表した。

信者500人を収容できる規模のものもあるそうで、全部で200の新教会が建てられるらしい。
ロシア正教会の教会は今350残っているそうで、それでもけっこう多いと思ったが、1917年の革命前にはその5倍もの教会があったという。

驚き。

その建設費用の分担を知りたいところだ。信者の寄付、モスクワ市や国の助成がどのくらいあるのか ?

フランスでは有名な1905年の政教分離法があるのだが、当初の目的はナポレオンとローマ教会の和親条約を破棄して、国家の重荷になっていたカトリック教会への出費を軽減することだった。

第2条には共和国はいかなる宗教にも助成金(subventions)を与えないとあるが、19条には、公的な礼拝場所の損傷を修繕する費用は助成金とは見なさない、とある。

1942年にペタン元帥が私的な礼拝場所(つまり1905年以降に建設された教会)にもこれを適用することにして、1944年にドゴール将軍がそれを追認した。

今のフランスではマグレブからの移民を中心としたイスラム人口が増えているのにモスクが足りないことから、人々が町中で礼拝することについて論議が展開されているところだが、これについても、

必要な礼拝所の建設への援助は助成金とはみなさない、

と新たな条項を付け加えればいいのだと言う人もいる。

1905年法は実は少しずつ、50ヵ所も修正されてきたのだが、その方向は、概して、最初の総合的な政教「分断」を、状況に応じて緩和する方向のものだった。

ライシテ(1905年法にはこの言葉は出てこない。1958年憲法に共和国はlaïque であると確認されているだけだ)の根本理念は政教分離よりも「信教の自由」にあると言え、EUも、フランスの1905年法のその部分を共通基盤にしている。

実際は各国がそれぞれ、伝統宗教と特別な関係を持っているし、イギリスなどはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドなどみな別々の法規定がある。

国の中心にシンボルとして宮中祭祀の一部を「国事」と見なす一方で、寺社との関係を養うことなく「無関心」型ライシテを営む日本のような国からはいろいろな意味で想像がつかない状況がたくさんある。

モスクワの教会建設ラッシュも、パリのモスク建設助成も、ライシテ論議も、本当は、日本にとって著しく不可解な話題なのだが、それすらもたいして意識せずにスル―してしまうところが、日本にとっていいことなのか心配なことなのか、よく分からない。

そう言えば、ロシア大使館はパリのセーヌ河岸に建設予定の正教教会の模型を発表した。金色に輝く五つのドームを戴いたものだ。

いいのか、これで ?

http://www.orthodoxie.com/2011/03/le-vainqueur-du-concours-pour-la-construction-de-la-nouvelle-%C3%A9glise-russe-%C3%A0-paris.html
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# by mariastella | 2011-04-07 07:40 | 宗教

姉弟コンサート

少し前のことになるが、3月15日に

バリトンのMARC MAUILLON
ルネサンス・ハープのANGÉLIQUE MAUILLON

の姉弟による17世紀音楽の共演リサイタルを聴きに行った。

作品は、イタリアものが

Giulio Caccini, Jacopo Peri, Claudio Monteverdi, Tarquinio Merula, Girolamo Frescobaldi, Benedetto Ferrari,

フランスものが

Étienne Moulinié, Sébastien Le Camus, François Dufaut

だ。

最初はピアニストによる伴奏だった予定が、ピアニストの都合がつかなくなってお姉さんがハープで伴奏した。

音量や音質のバランスがよくとれて、ドラマティックなシーンでもアグレッシヴなところがなく、好感度大の姉弟デュオとなった。

聴衆も40名ほどの家庭的な雰囲気でほんとに家族コンサートのようだった。

アンコールの2曲目がルネサンスでもバロックでもなくバルバラのUne Petite Cantateだったのもなごんだ。

東日本大震災のニュースのすぐ後だったので、音楽のくれる力というものをひしひしと感じた。私たちトリオが被災者支援のコンサートを最初に申し出たのもこの夜のことだった。
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# by mariastella | 2011-04-04 22:46 | 音楽

またリビアのことなど

3月18日に国連安保理がリビアへの連合軍介入を認める(これは必ずしも空爆ではなくてカダフィ軍の航空禁止区域の設定ということだが結果は見えていた)決議をする前日にリビアにいたロシア大使が解任されたという記事があった。

21日にモスクワに戻ったウラジミール・チャモフ元大使は、

「リビア人が抑圧されていたって?そんなことはまったくない、利子なしのローンはあったし、ガソリンは安いし、食料品も安価だった」

と言ったという。

彼はロシアが国連安保理決議で拒否権を発動することを主張していたそうだ(以上ル・モンド紙 2011/3/31)。

モスクワ特派員によるこの記事はさらに、ロシアが大国主義を捨ててリアルポリティクスに向かいつつあると分析するのだが、ともかくロシアは今のところカダフィ政権と国交を断絶していない。

この報告は本当なのだろうか?

ある程度は当たっているのだろう。

カダフィが反乱軍を最後の一人まで血祭りにしてやるなどと叫ぶところやこれまでの言動を見ればこの人がかなり異常な精神状態にあることは察せられるが、豊富な石油マネーを各国首脳だけではなく自国と自国民にもばらまいてきたことは確かだと思う。

今度のアラブ世界での「反乱」に怖れをなしたサウジアラビアで国民を懐柔するために初の地方選挙が行われたことも記憶に新しい。

リビアのことは知らないが、サウジアラビアについては10年前に紀行文を書いたことがある(『不思議の国サウジアラビア』文春新書)。

その時はまだ9・11の前で、お世話になった現地のフランス人やサウジ人から、検閲が厳しいので決して宗教や王室のあからさまな批判は書かないでくれ、と言われていた。だからイデオロギー的なことはまったく書かなかったのだが、一般サウジ人の安楽な生活ぶりと言論統制とが表裏をなしている実態について述べたつもりだ。

人が本当に必要としているのは安逸なのか自由なのか、消費文明と基本的人権について大いに考えさせられたのだ。

そこにはジェンダーの問題もあった。

女性が子供と同じく男の保護下にあることについて、それでも、いわゆる「労働力の搾取はされていない」という現実がどのような倒錯を生むのかについて考察したつもりだった。

ところが、ネット上で、あるフェミニズムの論文に私のこのレポートが引用され、まるで私が物質的に恵まれていて法的責任主体ではないサウジ女性を羨望しているかのように書かれているのを発見して驚いたことがある。

それはともかく、「自由や民主主義を金で封じることができるか」というのが、石油マネーで豊かになった支配者たちのテーマの一つだったのはまちがいがない。

ロシア大使のいうことが本当なら、リビアもそういう国の一つであり、ブレアにもクリントンにもサルコジにも金をばらまいて「民主主義」を買っていたのだとしても不思議ではない。

民主主義とは、ある多数派が、次の新しい多数派に安全に政権を引き渡すことができるシステムだ。多数決で選ばれた次の権力者に前の権力者が無理に抵抗したり、逆に次の権力者から弾圧されるというのでは民主主義とは言えない。

フランスでさえ、革命の後では恐怖政治、ナポレオン、王政復古、帝政復古、何度も新たにされた共和国を経て、まともな民主主義が機能するようになったのはほんの一世紀くらいでしかない。

その意味でサウジアラビアの王権はもちろん、選挙のあった国のカダフィ政権やベンアリやムバラクの政権でも民主主義だったとは言えないし、民主主義とセットになるべき言論や信教の自由が著しく制限されている(た)のは間違いない。

それでもそれらの国で、金があるところでは、人々をある程度満足させることができていたのも事実だ。

民主主義が機能している国でも、政府への不満や欲求や政権交代の論戦のテーマといえば、購買力の向上、労働時間の短縮、雇用の安定、減税、年金や医療の充実などがほとんどである。

一方、たとえば20世紀の後半の半ば頃のサウジアラビアでは、選挙もなく信教の自由もないのに、国民は最低でもみな中の上の公務員、税金はなく医療も教育も無料、生活はすべて国王丸抱えのような状態を呈していた。

それでは、一般人の政治参加のモチヴェーションが上がらないのも無理はない。

もっともその「繁栄」とは、持続可能ではないエネルギー源である石油と、時として奴隷のごとく扱われている豊富な移民労働者の犠牲のもとに拠っていた。宗教原理主義者とアメリカ化した王侯たちの力の拮抗と欺瞞、人口分布の年齢別のいびつさによって予測できる社会的危機などもはらんでいたのだ。

だからリビアがどんなに金持ちでカダフィが国と国民に投資していたとしても、それだけでは民主主義や自由を賄うことはできないし、結局はひずみが露になることも明らかだ。

それでも、

冒頭のロシア大使の言葉、

あるいは藤永茂さんの言葉、

「寿命・教育・生活水準などに基づいて国ごとの発展の度合いを示すHDI(Human Development Index,人間開発指数)という指数がありますが、2011年度試算では、リビアはアフリカ大陸で第一位を占めています。また、幼児死亡率は最低、平均 寿命は最高、食品の値段はおそらく最低です。若者たちの服装もよく、教育費や医療費はほぼキューバ並みの低さに保たれているようです。」

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/03/post_7724.html

あるいは私が前に書いた記事

http://spinou.exblog.jp/15983854/

の中の不破哲三さんによるベン・アリの評価のことなどを思うと、今意気盛んなアラブ世界の「自由と民主主義の戦い」にもいろいろ疑問がわいてくる。

「独裁者」の追放や報復、処刑の流れそのものは「民主主義」とは程遠いからだ。

権力の座を降りた敵対者の「自由」をどこまでどのように保証するかによって、民主主義の中身が問われるのではなかろうか。

それが独裁者であったのならなおさら、その人を独裁者にしてしまった政治のシステムだの構造をじっくり分析して次の政権が同じ轍を踏まぬように学習しなくてはならない。

「民主主義」下で対立する二つの勢力が互いに互いを排除・殲滅すべき「敵」と位置づける限り、それは民主主義と程遠い。
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# by mariastella | 2011-04-04 03:24 | 雑感

国立文書館の二つの展示会

今パリにいる人に見学お勧めのミュージアムは国立文書館。

http://www.exponaute.com/lieux/63-archives-nationales/expositions/

僅か6ユーロで、歴史建造物や内装を見学することができて、8 世紀のシャルルマーニュの免状やらナントの勅令やナポレオンの遺書のオリジナルなども見られる上に、今は、対照的な二つのテーマの展示会がある。

一つは14 世紀初めのテンプル会殲滅作戦展示で、

もう一つは17、18 世紀の絶対王朝華やかりし頃のmenus plaisirs du Roi の資料だ。

後者の期間は、フランス・バロック音楽の全盛期と完全にかぶる。

このmenus plaisirs du Roiの日本語の定訳というのを知らないのだが、国王付きの行事を取り仕切る特別部署で、冠婚葬祭、オペラから花火まで受け持った。

Jean Berain の大道具のデッサンなどを見ていると、ミラノでのダヴィンチを思い出す。

あらためて、ルイ14 世の壮大な「演出」趣味に感動する。

このような、大がかりでぜいたくで、技術と芸術とを駆使して、誇大(古代でもある)趣味のうちに、自然や超自然や神秘を再現しようという意図を遂行され得たのにはそれなりの条件があった。

中央集権、絶対権力の王、そしてその王が芸術好き、祭り好きで、長生き、しかも、10数年におよぶ戦争のない期間の存在、などだ。

同じ時代の日本も戦争がない平和な期間だったし、歌舞伎などが盛んになったけれど、支配者の表向きの理念は儒教的、あるいは武士道的な質実剛健だったので、芸能はいわゆる「悪場所」での出来事で、公の豊や力の誇示とは別の世界だった。
戸外での祭は収穫祭などの神事の枠内で盛んだったかもしれないが、時間と場所が管理されていたわけだし、花魁道中だの商家の贅沢だのも、時間と場所が極めて限られていたわけだろうから、中央集権的な圧倒的な贅沢の誇示とは比べ物にならない。

ルイ14世のヴェルサイユ宮での饗宴は、日本ならむしろ安土桃山末期の豊臣秀吉の聚楽第のエピソードなどを連想させるが、秀吉の政権は安定からほど遠く、聚楽第も跡形がない。後も続かなかった。

まあ、フランスではこれだけの壮大な祭りが繰り広げられたのだから、それがやがてはフランス革命にもつながっていくわけだけれど、絶対王権の文化遺産というのは、ある程度残されてきたので、私たちは今でもまだそれを享受できるというわけだ。

この展示会を見たら、総合アートにこれほどの金と時間をかけてくれたルイ王朝に感謝したくなるし、展示会に置かれたノートにも、「フランス万歳 ! ただしサルコジは抜きで」などという書き込みがいくつもあった。

さて、そんな「フランス万歳!」な展示と同時に、1307年のテンプル会一斉検挙にまつわる文書展示があるのだ。

テンプル会殲滅の徹底ぶりを見ると、なるほど、こうやってフランス王は最大のアート・メセナになり得るだけの富を築いてきたのだなあ、ローマ教会やキリスト教の神に遠慮せず自らをジュピターや太陽神になぞらえて天地を再現するオペラを上演する土台ができたのだなあ、と思わせられる。

しかしこれほどなりふり構わぬ一方的なでっちあげ異端審問の嵐を前に、初めは消極的だった神学者たちはもちろん、翌年(1308/5/5-15)には、トゥールで、司教たちや都市参事会や貴族たちが王に招集され、テンプル会撃滅挙国一致体制を可決してしまったたその文書も展示されている)。

挙国一致が全体主義的にまとまっていく様子は、正直言って怖い。

もっと複雑な気がしたのは、この展示会でマルグリット・ポレートの異端判決資料を目にしたことだ。

ベギン会の女性カリスマだったこの人のことは、『ジャンヌ・ダルク-超異端の聖女』(講談社現代新書)の第一章でジャンヌ・ダルクの先駆者として書いたことがある。

ジャンヌ・ダルクのルーアンでの火刑が1431年の5 月31日。マルグリット・ポレートのパリでの火刑は1310年6月1日だ。

異端判決が出たのはその前日の5 月31日。

この日付の意味は大きい。

なぜなら、1307年10月13日に一斉検挙されたテンプル会士のうち54人が
1310年5月12日にはじめて処刑されたからだ。

教皇と王の間の緊張は高まっていた。

ことは複雑なのだが、あえて単純化して言うと、テンプル会から没収した厖大な財産をフランス王が独占すると理解した教皇が異を唱え始めたわけで、その教皇の注意をそらすためにマルグリット・ポレートの火刑が演出されたらしい。

もともと異端審問にはこれといった特別予算がなく、異端宣告を受けた者から没収した財産が資金になっている。言い換えれば、没収すべき財産のない者を異端認定したら赤字になるわけである。

だから、16世紀以降の魔女狩りなどとは違って、個人の、しかも、財産のない女性がわざわざ糾弾されて火刑にされることは異例だった。

つまり、女性が単独で火刑にされるのは、他に別の政治的意図がある場合だということだ。

マルグリット・ポレートもしかり、ジャンヌ・ダルクもしかりである。

ジャンヌ・ダルクの異端審問費用を出したのはイギリス軍だった。

マルグリット・ポレートのそれはフランス王による一連のテンプル会糾弾予算に組み込まれていたのかもしれない。

権力や富の飽くなき追求がなされる時、社会的弱者である女性にスポットライトが当たってスケープ・ゴートにされる。

やりきれないが、唯一救われるのは、これらの犠牲に供された女たちのカリスマというのは、時を超えて生き続けたり蘇ったりするということだ。

彼女らはイコンになる。

その一方で、財力と特権を享受していた男たちのテンプル会士の悲劇の中から生まれ生き延びた神話は、その隠れた財宝だったり、ジャック・ド・モレイの呪いだったりした。

それを思うと感慨深い。
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# by mariastella | 2011-04-03 06:09 | フランス

ロボットだらけ。

こういうのがネットにあった。

2011.3.31 09:51

 ドイツ政府は30日、同国のメルケル首相が同日に菅直人首相と電話会談した際に、福島第1原発事故に対応するため、原子炉の修復作業などに使う遠隔操作ロボットの提供を申し出たことを明らかにした。
 ロボットの詳細について明らかにしていないが、無線で操作できる特殊装置という。ドイツ側によると、日本政府はこの提案を受け入れるか検討するという。
 福島第1原発をめぐる協力では、米エネルギー省が、高い放射線が出ている環境でも作業ができるロボットを、日本に送る計画を明らかにしている。(共同)


ドイツも・・・

ちょっと遅いかも。

フランスのニュースが「世界でうちだけ」と言ってた原発用ロボットだが、要は遠隔操作できれば原発用でも惑星調査用でもいいわけだし、みんな、考えることは、放射能汚染環境で作業するには人間でなくてロボットが一番ということだ。

昨日書いたようにその操作の訓練をしなくちゃいけないのなら、やはりアメリカ製の方が言語的にもベストなのかなあと思う。

けれども、そもそもロボット大国の日本にそういうものがないのは不思議だ。

アメリカやフランスやドイツに提供を申し出られるような状況なのだろうか。

京大の小出裕章さんは確か、配管の修理などはロボットなどでは全然無理で全部手作業しかないとおっしゃっていたなあ。

今日は一週間ぶりにメトロに乗った。

すると、隣に座っていたの黒人のおじさんが口角泡を飛ばしてリビアの情勢を語り、世界中の先進国をめった切りにしていた。通路を隔てたシートに座っていた連れらしいおじさんも時々合いの手を入れていた。

私は最初、彼がアフリカの人だったら、今のリビア情勢のことをアフリカの人がどう思っているかに興味があったので、聞き耳を立てていた。というか、その人、隣で大声でまくしたてていたのだが。

すると、

「もし、このままなら、私はしまいにセゴレーヌに投票してしまうよ! 」

と言ったので、グアダルーペ系のフランス人だと分かった。

セゴレーヌ・ロワイヤルの4人の子の父親である元連れ合いのフランソワ・オランドは今日、来年の大統領選のための社会党の予備選に出ることを表明した。髪を黒く染め、ダイエットして精悍な感じにイメージチェンジしていた。
私はなんだかこの人が好きではない。

先週末の地方選で社会党が一応躍進してオランドも当選したのだか、不思議なほどにセゴレーヌはなりをひそめている。4年前に予備選を勝ち抜いてサルコジと対決したとは思えない影の薄さだ。

そんな状況で、このおじさんの「セゴレーヌに投票」という言葉が出たので私はつい、声を立てて笑ってしまった。

そしたらおじさんがこっちを振り向いて、私にも向けて話し始めた。

唾がとんできた。007.gif

これまで、パリのメトロが混んでいたり途中で止まったりした時に、隣にいるおばさんたちと「やーですねえ」などと言葉を交わしたことは何度もあるが、おじさんの唾がかかったのははじめて。

モンパルナスで隣の座席(四人がけ)があいたので、おじさんはそちらに移り、私にも仲間に加わるように言った。おじさんがリビアの石油とサウジやイラクの石油の質の差について話し始めたので私はそれは知っていると言って補足した。

その後、おじさんの先進国批判をまとめて、

「それは要するにarrogance(傲慢)なんですよ。」

と言った。

おじさんが我が意を得た、という顔をして喜んだので、私は日本テイストを出そうと思って、

「自然の脅威に対して人間がこんなに無力であることが分かっている時に人間同士で富や石油をめぐって殺し合いするなって思いますよね」

と言い、今度の震災で時々目にしたお気に入りの言葉を援用し

「奪い合うと、ものは足りなくなり、分け合うと、ものは余るんですよね」

と結んだ。

次の駅で、同じシートの2人が降り、その次の駅で私が降りたので、おじさんは一人になった。

じゃあ、誰もおじさんの連れではなかったわけだ。

メトロの中で知らない人同士が談論風発、唾も飛ばされたけど(しつこい)、なんとなく楽しかった。これがアラブ人がどうとかライシテがどうとかル・ペンがどうとかいう話だったら、周りにどんな人がいるか分からないので怖がりの私は絶対に口を出さなかったと思う。028.gif

その後で、タイ古式マッサージ(肩関節拘縮の治療)に行ったのだが、そこでもタイ女性の施術師が、マッサージをしながら、

「シリアやイエメンの方がずっと大変なことになっているのにリビアに集中するのは利害関係が透けて見えて気分が悪い、私はそのうちタイに帰る」

としきりに言っていた(彼女の夫はフランスの軍人だ)。

それでも、絶望しちゃいけない。

行きつ戻りつしながらも、人は、普遍的な連帯の中にこそ人間性があるということを、少しずつ、少しずつ、自覚していっていると思いたい。
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# by mariastella | 2011-04-01 06:15 | 雑感

フランスのロボットなどあれこれ

私のサイトhttp://setukotakeshita.com/

の掲示板でいろいろ話題になっていたフランスご自慢の原発作業用ロボットのことだが、

まず:

一方、アレバ社は28日、本紙に対し、原発事故用にフランスで開発された作業用ロボットの提供を申し出たところ、東京電力が断ったと明らかにした。
 ロボットは1986年のチェルノブイリ原発事故後に同社や仏電力公社が開発にあたり、高性能カメラや作業用アームを搭載。放射線量が高い場所で、 遠隔操作により作業ができる。アレバ社報道担当は、「東京電力はロボット使用は決定的な効果がないと判断したようだ」と述べた。
(2011年3月29日11時41分 読売新聞)

という報道があり、、その後、アメリカのロボットが採用されたと出た。

3月30日付のル・モンド紙にも、フランスのロボットは福島の問題には何らの有効性がないと言って断られたとあった。で、すべての器機はフランスの空港でストップしているそうだ。結局送られたのは放射能汚染除去の専門家五人だけということで、その間にアメリカのアイ・ロボット(2 Packbots 2 Worrior)が採用されたがまだ日本チームはその操作の練習中だと書いてあった。

荒れた猫を何とかしようとしている日本のネズミに、われ先に鈴を提供しようとするフランスネズミやアメリカネズミがいるが、いざその鈴を誰が猫の首にかけに行くかといえばニホンネズミしかいないわけで、訓練しているうちに猫が虎にならないかと心配だ。

サルコジは念願(?)の日本入りを強行するようだが、今度は大被災地に乗り込む憐れみ深い国家元首という役どころでなく、はっきりとフランスの原発を売りつけるプロモートだとフランスでも認識されている。

本当に今回の危機を迅速に収束させてくれて汚染を回避させてくれるなら、「フランスありがと、サルコジありがと」くらいはいくらでも言うが、火事場泥棒的な感じも否めない。

アメリカがエジプトのムバラクをあっさり見捨てたということで、サウジアラビアなどのアメリカ離れが始まっていて、それを機に、フランスがサウジの選抜陸軍の訓練権を全面的に譲られることになったという(ル・モンド同上)。

今回アラブ諸国で唯一戦闘機を出したカタールの軍備はほぼすべてフランス製であり、アラブ首長国連合にも2009年からフランスの基地があって、石油利権という以前にやはりパワーゲームなんだなあと思う。
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# by mariastella | 2011-03-31 17:09 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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