L'art de croire             竹下節子ブログ

Brune Blonde

この前の記事で、オードレー・タトゥとナタリー・バイが母娘役を演じたラブコメディについて書いた。この映画で、娘のキャリアウーマンであるオードレーが黒髪で短髪であるのに対して、母のナタリー・バイが金髪を肩に垂らしていることの意味は象徴的だ。

映画にはこのコントラストがよくつかわれる。

『ロシュフールの恋人たち』なんていう双子の姉妹も髪の色は違った(ウィッグだったそうだが)。フランソワ・オゾンの『8人の女たち』での髪の色の使い方は服と同じくらい意味がある。金髪のドヌーヴと黒髪のファニー・アルダンが取っ組みあったシーンはこの髪の色の対比が最重要だったと言える。

ジャンヌ・ダルクの映画での髪形や髪の色の変遷も興味深い。

ジャンヌ・ダルクは黒髪で断髪だった。

それが男装の異端性ともからんでくる。

日本で刈り上げおかっぱ髪というと「わかめちゃん型」というようにフランスでは今も「ジャンヌ・ダルク型」という。

しかし、ジャンヌ・ダルクほどのイコンとなると、パレスティナ系の聖母マリアがヨーロッパでは長く金髪碧眼で描かれたように、史実よりも人々の脳内イメージで、少なくとも髪の色は変化した。

ジーン・セバーグやミラ・ジョヴォヴィッチなどは金髪の短髪がぴったりだった。北欧人であるバーグマンの黒髪はむしろ不自然だったと思う。

何よりもショックなのはカール・ドレイヤーの映画でジャンヌが火刑に処せられる前に頭を剃られるシーンだったかもしれない。

そんなことを考えていたので、先日、シネマティックでやっている「Brune Blondeブリュンヌ・ブロンド」という展覧会に行ってきた。

髪の色というよりも、もう、女の髪という極めてフェティッシュなものをめぐる怖さみたいなものを感じた。一見の価値がある。

ヨーロッパのイマジネールにおいては、もう一人の黒髪断髪の女性イコンがあって、それはクレオパトラだ。

白雪姫も黒髪だが、豊かな金髪のオーロラ姫と違って髪は短い。

肌の「白雪」具合を強調するための黒髪なのだろうが、白人でそれほど肌の白い人はメラニン色素が少ないから金髪になる確率が高いはずである。

髪の色と量や長さに託されるメッセージもおもしろい。

似たような骨格や目鼻立ちでも髪と目の色だけがラディカルに変わり得る西洋人において、その色の違いがもたらすインパクトというものはかなり大きい。

基本が黒髪黒目という日本人には想像がつかないくらいだ。

それは「選択」でもある。

カトリーヌ・ドヌーヴはドヌーヴ・ブロンドというカラーがあるくらい金髪がトレードマークだが、もともとは濃い色の髪の人だ。『トリスターナ』などでは黒髪で演じているのだが、みなに金髪だったと記憶されている、と言っていた。

シネマティックだから映像資料が多く、忠臣蔵の主君の奥方が切腹の日に髪を切るシーンもあった。

インドの聖地で、巡礼に来る人たちが全員髪を剃って供物にする場所の映像もあった。女性も丸坊主になる。

一日一万人が髪を剃って残していくそうで、その厖大な髪がウィッグ製作などに供給されるらしい。アミノ酸サプリにするという話もどこかにあった記憶がある。

それも怖い。

髪をめぐるオムニバス映画も上演されていて、日本のものは、若い女性が長い黒髪を梳くと、どんどん抜けて洗面器にいっぱいになるというものだった。四谷怪談のDNAを感じた。

スペインのものは、4歳の女の子に、映画のために、寝ている間に髪を切られちゃう役をしてもらいたいんだけどそれでもいいか、と執拗に聞いて執拗にnoと言わせる映像だった。

髪についての映像言説というのは、悪趣味と紙一重であることが分かる。
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# by mariastella | 2010-12-29 06:54 | 雑感

父と息子モノと母と娘モノなど

最近見に行ったフランス映画のうち、いくつか。

1.父と息子テーマが

 
Dernier étage, gauche, gauche

監督Angelo Cianci

Hippolyte Girardot, Mohamed Fellag, Aymen Saïdi


2.母と娘テーマが

vrais mensonges

監督Pierre Salvadori

Audrey Tautou et Nathalie Baye


3.友達群像をテーマにしたものが


Les Petits mouchoirs

監督Guillaume Canet

François Cluzet, Marion Cotillard, Benoît Magimel


いずれもコメディで、観客は結構笑っていたが私にはあまり笑えなかった。

父と息子テーマがバイオレンスで、母と娘テーマがラブコメでというのはいいとして、どれも今のフランスものなので、距離感が近すぎてリアルで、それが他の観客を笑わせているのだが、私を微妙な気分にさせるのだ。

1は、カビルの移民の父子で、父はまじめに働いてきて、息子にベルベル族の尊厳など説くのだが、実はアルジェリア独立戦争時のトラウマがある。

息子はドラッグの密売の手先をしているチンピラで、どうしようもないバカだ。

この2人が住んでいる公団住宅を差し押さえに来た執行吏を人質に取ってしまうことになり、奇妙な関係が生まれる。

カメラワークは無駄にうまい。いや、無駄ではなく、この映画に厚みを与えている。

この父親の方が、全く同じ世代の同じような境遇の知人にそっくりなのだ。

息子の方は似ても似つかないのだが、北アフリカ旧植民地出身の移民がフランスで暮らすと、次の世代には恐るべき格差が生まれる。

その差は何が作るのだろう。

などということをつくづく考えさせられた。

移民の第二世代では息子は父親にではなく社会によってフォーマットされることの方が多い。娘の方は少し違う。

2は、フランスらしい演劇を見ているようなラブコメディなのだが、ここで、娘の方に恋する男がまさに北アフリカ系移民二世の中の「勝ち組」である。最初は経歴を隠して美容サロンの下働きをしているのだが、実はグランゼコール出身のエリートだと分かり、学歴コンプレックスのあるらしい娘(オードレー・タトゥ。美容室の共同経営者であるキャリアウーマン)は、口が聞けないほどものおじしてしまう。

こういうところにリアリティがあるのは、フランスでは見た目とか移民出身とかではなく、やはり学歴、免状がものをいうエリート社会なのだなあと思う。

男はエリートで文学的教養がある。

娘の方はない。

だから彼から匿名でもらったラブレターの良さが分からない。どこかの年よりが書いたのだろうと思う。これを、別れた父(画家)を忘れられないで鬱になっている母親に転用するところからいろいろな食い違いが始まる。

ところが、この母親の方は、学歴インテリかどうかは知らないが、文学が分かり、芸術が分かるのである。

娘は実はそこにもコンプレックスがある。

フランスには学歴エリートの他に別枠の芸術家エリートがあり、彼らと「一般人」との垣根には、独特の文化的なわだかまりがある。普通は言語化されないが、恋愛やら家族関係の中にそれが出てくると、明らかになる。

そういうことがあらためて確認できて、単純に楽しめなかった。

勘違いして舞い上がった母親が長いラブレターの返事の代わりに簡単なメモを男のポケットに入れる。

そこには

「Je sais qui vous êtes, j'aime qui vous êtes.」

と書いてある。

これを読んだ男は、それが娘のものだと思って、そのシンプルさに感動する。

日本語訳するとそのうまさが全然分からなくなる。

「あなたが誰なのか知ってます。あなたをそのまま好きです。」

とでも言おうか。

男の長文のラブレターに現れる教養と、母親の短いメモの中に現れる感性が対照的だ。

ま、男はインテリなので、芸術家を求めているわけではなく、散文的な娘の方が好きなままなのだけれど。

3は、父と息子でもなく母と娘でもない、フランスの典型的な友人グループのバカンスでの行動観察である。

はっきり言って、みんな少しずつ不幸で、不満で、皮肉屋で、嫉妬深くもあり、手軽な欲望も隠さず、でも、グループで楽しむのは好きで、バカにもなれて、その中で少し個性を強調するのも忘れない。

こっちはみんな franco-français で、そのいいところも悪いところもみんな出ていて、彼らのような人たちも、行動のパターンも、ほんとうに大半のフランス人があてはまりそうだ。だからこそ、観客もまた、自分たちのことを見ているようで泣いたり笑ったりするんだと思う。

しかし私は全く感情移入できなかった。

よくできた映画には見知らぬ国の違う時代の群像を描写したもので観ている人とは何の接点がなくても、特殊が普遍に通じるというか、しみじみと理解でき、共感できるものがある。

でも、この映画に出てくる人たちの行動パターンはあまりにも私の周りに普通にあって、しかも私が忌避しているものなので、距離をおいてしまう。

同じような普通のフランス人のバカンス先での行動パターンをエリック・ロメールなどが描くと、関係性の一つ奥にある普遍的な生き難さへの視線がきっちり見えて別の味わいがあるのだけれど。

フランスのコメディで私がもっと笑えるのは、もっとリアリティがなくて、不条理を再構成したものかもしれない。

こんなものを見るならもっとお涙ちょうだいものの方がカタルシスを得られるかもしれない。

そういえば、日本か帰仏する時に機内で観た日本映画で、『おにいちゃんのハナビ』というのがあった。(監督 国本雅広 / 高良健吾 谷村美月)

兄がひきこもりで妹が白血病なんて、分かりやすい感動ストーリーが想像できて観る気がしなかったのだが、隣にいるトリオの仲間のMが見て泣いていたのに驚いて私も見ることにした。その後でHも見はじめて、彼の方は声を上げて泣いた。

私とHはもしこういう共同体に暮らしていて「みんなと一緒」に何かをしなくてはならないというシチュエーションではすごく不幸になるタイプだ。性格はもちろん、状況も暮らしも何の共通点もないし、そういう意味ではローリング・タイプの感情移入が不可能なのに、とにかくすごく泣けた。その後で1時間くらい私たちはなんで泣いたのか、について3人で話しあった。

その結果、かなりクリアになったのだが、そのことはまたいつか書くことにしよう。
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# by mariastella | 2010-12-29 05:39 | 映画

サイトの文字化けについて

最近、私のサイト

http://setukotakeshita.com/

が文字化けしているという連絡をいただいて、サイトを制作していただいたウェブ・デザイナーに問い合わせたところ、マイクロソフトの進化の仕方で問題が出てきたようで、とりあえず次のような指示をいただきました。

文字化けしている、という方は参考にしてください。


* Internet Explorer 8
* Internet Explorer 7
* Internet Explorer 6

で文字化けがおきています。

文字化けした画面のままでF5というボタンを押してください。

詳しくは


http://blogs.msdn.com/b/ie_jp/archive/2010/12/17/ms10-090.aspx?CommentPosted=true#commentmessage

をご参照ください。

これから先、マイクロソフトの対処法で改善しない場合は、違うコードにして改善する方向で対処します。よろしくお願いします。
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# by mariastella | 2010-12-27 05:57 | お知らせ

2人の神父さんの思い出

『おバカさんの自叙伝半分』ネラン神父の自伝。講談社文庫。

10月下旬に歌舞伎町のスナック・エポペに行った時にマスターからいただいた。

アンサンブルの仲間を歌舞伎町に連れて行く約束をしていたのだが、知り合いがいないと2丁目には行きにくいし、はじめての場所も不安だ。

で、ネラン神父のエポペだったら、ネットで検索したらフランス人の神学生だかなんかもバイトしていそうだったし、国際色も豊かでいいかなあと思ったのだ。

向かいが2丁目っぽい店だった。

エポペでは、がちがちの陰謀論を熱心に語っている客がいた。

フランス人はいなかった。

90歳のネラン神父は、はさすがにもうめったに顔を出さないそうで残念だった。

ネラン神父に昔習ったことがあるんですよ、

とマスターにいうと、この本を見せてくれた。

この本の中で一番印象的だったのは、1950年 リヨンでの叙階式のショックについて書かれた部分だ。
 
「叙階は、長い年月の祈りや学問という準備期間の末にたどり着いた到達点」ではなく、「信者にとって神父になるということは大変なこと」である。

「夜突然闖入する泥棒のようにキリストが来て、私の蓄えてきた知識や経験などを全て一瞬にして奪い去られた、という感じだった。そして、キリストはその抜け殻になった私を、静かに自分の力で見たしていったのだ。」

そしてネラン神父は叙階の後一週間も眠れなかった。

ずっと後で知り合ったなかよしの日本人神父さんの回顧譚には、その逆で、叙階の前に毎夜毎夜、極彩色の悪夢を見続けた、というエピソードがあった。

このような話をくと、彼らの選択は、ある教えや共同体への共感などではなくて、ただ、一人の「生けるキリスト」に突き動かされたものなのだなあ、と思う。

婚約したり結婚したり子供を持った時に、これほど強烈な何かに促された、という人は少ないのではないだろうか。

ネラン神父は私が駒場のフランス科で受けていたフランス人によるフランス語での講義の必修二つのうちの一つを受け持っていた。

最初のレポートはサルトルの『蠅』についてで、「主人公はなぜ・・・したのか?」というような問に答えるものだった。

ドイツ語からの転向でフランス語は苦手だった私は、講義のフランス語ですらほとんど聞き取れなかった。サルトルの作品は幸い翻訳がある。それを読んで、まず、日本語でいろいろ考えた。自分でもなかなかいいと思う答えを思いついて、それをフランス語に訳していった。 その頃は、フランス語のエレガンスというものを知らなかったので、関係代名詞がいっぱいの複文だったと思う。

返ってきたレポートには至るところに「???」のマークがついていた。

全然通じていなかったのだ。

今から思うと、その時の私のフランス語の思考過程が想像できる。今は、時々、日本人の書いたフランス語を見て、フランス語としてはまさに「???」なのだが、元の日本語が何であったのかが悲しいほどよく想像できる場合があるからだ。

次のレポートで単位がとれるかどうかが決まる。

私は、どんなにしゃれたことを考えても、自分にはそれをフランス語で表現できないことがもう分かっていた。

で、最後のレポートのテーマが何だったのかは全く思い出せないのだが、

私はそのテーマのレポートで、

小論文をひねり出すことを放棄して、

ト書きつきのシナリオ、というかスケッチを提出することにしたのだ。

つまりほとんど会話文である。

それは政治参加について話しながら東大のキャンパスを歩いている2人の学生の会話である。2人は地震研究所に属している。

そこに、一人の学生が時計台の煙突から投身自殺したという騒ぎが起こる。

学生の一人は、時計台の中に据えられている地震計がその落下によってどう動いたか、何が記録されたかを見るために走る。

もう一人は、倒れた学生のもとに駆け寄るのである。

学問の進歩のために反応するか、死にかけている同胞に反応するか、という話だ。

その前に2人が話していた天下国家についての高邁な理念との対比が現れる。

話し言葉だから、センテンスは短い。

レポートが返って来た。

称賛の言葉と共に「優」をもらえた。

私とネラン神父の接点はこれだけだ。

その後卒論を書いた時に、この時の経験を生かして、複文を使わずにできるだけ単純な構文だけを使うことにした。

考え抜いたことを単純な形式に乗せればいいのだ。

東大の先生は学生の卒論のフランス語を事前にいっさい添削しない、というのが規則だった。

だから私は、卒論を書く半年間、アテネ・フランセのアヌーイ神父による井上靖の短編の仏作という講義に通うことにした。フランス人の知り合いも、頼りにできる先輩もいないので、アヌーイ神父に添削してもらおうという下ごころがあったからだ。毎週、最前列に座って、印象付けた。

締め切りぎりぎりで仕上げて、自分で単純ミスのチェックすらせず、ある日、講義の後で「これ、見てください」と頼んだ。

よほどせっぱつまって見えたらしく、サンタクロースのようなアヌーイ神父は、にっこり笑って、

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、、ぼくがいるから、もう、だいじょうぶ。」

と言ってくれた。

そしてきっちり一週間後に、タイピング・ミスまで丁寧に赤で直してくれた原稿を返してくれて、

「すばらしくおもしろい、でも、これが理解できる先生がいるか、それが心配です」

と言ってくれた。

その論文には聖書の文句もたくさん引用してあった。

そんなものを神父さんに見せたのは今思うと冒険だったけれど、アヌーイ神父さんは何の抵抗も見せなかった。

フランスに住む前に私が直接関わったことのあるカトリック関係の人はアヌーイ神父とネラン神父の2人だけだ。

キリスト教関係では、荒井献先生に古典ギリシャ語を習ってお宅にまでおじゃましたことがあるし新約聖書のギリシャ語ゼミにも出たことがあるが、厳しく近寄りがたい感じがした。

フランス人神父の方が、フランス語の不自由な私には敷居が高くてもよかったのに、アヌーイ神父はサンタクロースみたいで甘えやすかったのだ。

ネラン神父は言っていること(フランス語)が何しろ分からなかったので近寄れなかった。自伝を読むと日本語ぺらぺらだったのに。

言葉はやはり世界への窓だ。

白水社『ふらんす』に今連載中のジャンヌ・ダルクがもうすぐ終了する。来年度は読者参加型の仏作文について書いていくことになった。

フランス語が不自由なのにごまかしてレポートや卒論まで書いてしまった経歴のある私だから、ちょっと違う「???」のフランス語を書く人たちの目線がよく分かると思う。

窓を開くお手伝いができてネラン神父やアヌーイ神父へのわずかながらの恩返しになればいいのだけれど。
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# by mariastella | 2010-12-26 03:50 | フランス語

フランスのライシテと仏教徒

私の義妹はフランス仏教連合の代表者の一人で、今、特に、仏教の僧侶の社会保障や年金についての問題を扱っている。

その関係で、仏教連合が、内務省からBertrand Gaume、外務省からOlivier Poupardとを招いて9月に話し合った時の記録を最近読んだ。

Bertrand Gaume は、Bureau Central des Cultes, ministère de l’Intérieur, de l'Outre-mer et des Collectivités territoriales の長官である。

フランスのライシテについてあらためて考える。

フランスのライシテは、

信じることと信じないことの自由を保証すること、、
国の中立性、
各宗教に序列を認めないこと、
宗教活動に干渉しないこと(公共の秩序を乱さない限り)

からなっている。

他のヨーロッパ国と大きく違っているのは、国がある宗教を「公式に認定することはない」ところだ。
宗教は特殊なアソシアシオンの一種 Association cultuelleとして認められると、税制優遇などを獲得するが、「宗教」として認められるわけではない。

しかし国はそれらのアソシアシオンの活動や、個人の信教を「援助する」ことが想定されている。

「宗教」としては認定されていないので、そのような援助を求めて各種アソシアシオンが宗教の名で国と対話するには、フランス仏教連合のような「代表組織」を別に作らなければならない。

個人の信教を援助するとは、どういうことだろう。

たとえば、国は特定宗教者に給料を支払ってはならないのだが、そこに例外があることによって、はっきり分る。

つまり、

- Pour les personnes, empêchées de se rendre dans les lieux de culte de leur choix
du fait de la maladie, de contraintes scolaires ou universitaires, de leur
engagement sous les drapeaux ou d’une privation temporaire de liberté, l’État a
prévu de rémunérer sur fonds publics des aumôniers pour assurer la liberté de
religion dans les hôpitaux, les établissements scolaires et universitaires, les
prisons, les armées. Le symbole de cet alinéa 2 de la loi de 1905 mérite d’être
souligné. Il est la synthèse de cet équilibre entre la liberté de conscience, le libre
exercice des cultes et la séparation des Églises et de l’État. Il renvoie directement
aux textes fondateurs de la République (cf. art.10 de la déclaration des Droits de
l’Homme et du citoyen de 1789)

病気や刑務所や軍隊や学業の場所にいるせいで地域の宗教の行事に参加することができない人のためにそれらの場所に、国が金を出して常駐の宗教者を雇うことができる。

これが国立のリセや大学に常駐するカトリック司祭や従軍司祭や公立病院に必ずチャペルがあることなどを説明している。

だから、理論的には、仏教徒でもイスラム教徒でも、病床で、宗教者にセレモニーを頼んでくれということができる。

実際は、それが、たった一人や極少数や例外的であったり、要するに、国が常駐の宗教者に金を払うほどの正当性がない時は「ボランティアで来い」ということになっている。

だから、事実上、ほとんど、カトリックの司祭が占めている。どんな軍艦にも常駐の司祭がいる。

Olivier Poupard の方は、 Conseiller pour les affaires religieuses (CAR) で、このポストはフランスの公務員で唯一「宗教」の言葉がつくポストだ。

外務相にこのポストが生まれたのも、初めは、もちろんカトリックがらみ、キリスト教がらみだった。

1920年に、依然としてナポレオンのコンコルダ体制のまま、1905年のライシテ法に組み込まれなかった
l’Alsace-Moselleが、フランスに戻ってきたこと、

そして、

シリアとレバノンに対するフランスの委任統治の必要上である。

この二つの国では、「オリエントのキリスト教徒」の保護が、フランスの影響力の行使とセットとなっていたので、その対策が必要だった。

最後に、1904年以来絶縁していたヴァチカンとの国交回復という課題に向けての準備である。

だから、最初のLouis Canetが26年もポストについていたように、「キリスト教の専門家」が想定されていた。

外交の専門家がこのポストにつくようになったのは1993年以来で、アフガニスタンの戦争やイランのホメイニ革命などの後である。

今は、 CAR は、フランスの宗教指導者が外国を公式訪問するときにその国の情報を与えたり、その国の大使館に便宜や保護を求めたり、逆に外国から宗教の指導者がフランスに来る時にあれこれのオーガナイズや国との橋渡しをする。

そういうアシスタンスのポストなのだ。フランス的な特化の仕方である。

またフランスに神学などの勉強に来る外国人にも、ヴィザの取得手続きなどをアシストする。

その目的は、はっきりしていて、

「フランス語のプロモート」だそうだ。

なるほど。

ローマに並んで、カトリック神学の一大中心地だったパリなどの持つ「歴史的強さ」を、「フランスとフランス語の影響力の保全」のために利用しているのだ。

そんなわけで、「文化価値は高いが、初期の戦闘的ライシテの後遺症で貧乏な」フランスのカトリック教会を、国がそれなりに戦略的にアシストしているわけである。

なかなか奥が深い。

で、宗教者専門の社会保障制度も、元がカトリックの司祭用にできているものだから、独身の男が前提で、配偶者をカバーしないし、妊娠や出産に関する保護もない。

他の宗派の妻帯司祭や女性司祭にとっては不備だし、瞑想が活動の中心というタイプの仏教宗派や、一切の経済活動をせず布施だけで生きる宗派や、教育や文化の伝達は関連アソシアシオンに任せている宗派にとってなど、いろいろな不備がある。2000年以来、フランスに3ヶ月以上暮らす人はみなどこかの社会保険に積立金を払うことが義務付けられているのだが、宗教者用のCAVIMACは月々の支払いが410ユーロ、4万円以上だから、無収入の宗教者にはとても払えない。(仕事をしている宗教者は雇い主が一般社会保険に支払っている。)

フランス仏教連合は、カトリック離脱から生まれたライシテが諸宗教に平等に保証するばかりでなくアシストもしてくれるはずの制度に切り込んでいる途中だ。

旧植民地国の移民などが多いムスリムと違って、「フランス人の仏教徒」は、元インテリ左翼という感じの人が多い。フランスの法やソシアルに対する意識も高い。ライシテについてはもちろんだ。そういうインテリが、チベットの亡命僧などの権利を守るために奔走している。

2010年、CAVIMACに積み立てている宗教者は、

仏教徒 が79 人、
イスラム教が 86人、
正教徒が 77人 、
エホヴァの証人が 715 人

だそうだ。

この数字をどう見るのだろう。

よく見るとかなり、驚くべき数字だ。

フランスのライシテの実態を別の角度からのぞく窓にも、なる。
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# by mariastella | 2010-11-24 01:46 | 宗教

Potiche、Vincent Peillon、湯浅誠さん

Potiche、Vincent Peillon、湯浅誠さん。

三題噺みたいだが、昨夜から今に賭けて、見たり聞いたり読んだりしたことが、連なって、頭から離れないので覚書。

Poticheは、François Ozon の新作コメディで、1970年代後半を舞台に、ブルジョワの女性が労働問題や政治に目覚める戯曲をもとにしている。

Catherine Deneuve, Gérard Depardieu, Fabrice Luchini という芸達者ぞろいで、ドヌーヴの代表作の一つになるだろうとも言われている。主人公はセゴレーヌ・ロワイヤルにインスパイアされているとも言う。

 このドヌーヴ演ずるシュザンヌは、ドヌーヴ自身と同じく、私とそう変らない同世代。映画の舞台は1977年なので、私がフランスで暮らし始めた頃に近いから、その意味では、映画の中のシュザンヌの娘の歳や状況とも二重写しになる。だからこそ、この30年あまりのフランスの変化や、変わらないもの、そして、若者が30年経って新しい若者世代とどのように連帯できるのか、経験値は力に転換できるのか、などといろいろなことを考えてしまった。、そのせいで、映画の中にちりばめられているサルコジへの揶揄とか、いろいろなカリカチュアの誘う笑いに今ひとつのれなかった。

 フランスのフェミニズムの特異性はやはりその社会政策の歴史と構造にあると思う。
 これについてはまたゆっくり書こう。


 さて、サルコジが週初めにTVで長々とインタビューに答えて、サルコジスムのトーンを捨ててシラク路線になってしまったという印象を一部に与えているのだが、それについて、各派からコメントがいろいろ出ている。

 その一環で、今朝のラジオで社会党の欧州議員であるVincent Peillonがインタビューに答えていた。

 その時、彼の言ったフレーズが、なぜか、頭に残る。

 「フランスの伝統は、政治とソシアル(社会福祉)の分離ですから。」

 つまり、ソシアル路線は、政権交代とは別に継承されていかねばならないものだと認識されているのだ。

 これが、どういうことか分るだろうか。

 それは、「政治とソシアルの分離」 が、
 実は、「政教分離」 とセットになっているということである。

 なぜかというと、フランス革命の直前の100年ほどは、

 都市化が進み、都市労働者や貧困の問題が深刻になっていた。工場労働者というものが生まれ、女性や子供など弱者の搾取が進んだ。
 
 で、この時代に、都市における社会福祉型の修道会というものがすごい勢いで発展した。

 貧困者や病者や独居者を上からと下から両方向で支援するのは、彼らの始めたことだ。

 上からというのは、予算を出してプロジェクトを組んで、教会や修道会がいろいろなものを支給することである。炊き出しから、孤児院、学校、施薬所、施療所、ホスピス、などだ。
 下からというのは、修道院から街に出て、徹底的に、独居家庭やら、ホームレスやらを、個別に、各状況に応じて継続的にパーソナルにサポートすることである。

 当時は、カトリック教会の影響力の大きさを嫌って徹底的な反教権主義に向う中間層が多かった。
 
 私が『無神論』で触れたように、そもそも、カトリック教会の教義やらキリスト教の教義そのものをもう信じなくなっていた人が多い。キリスト教は冠婚葬祭用と女子供の教育用ツールとして残していた人が少なくない。

 そんな中で、社会活動型の修道会は、説教やら宣教やらとは別に、純粋に、社会のセーフティネットとして機能していた。

 ところが、フランス革命が、キリスト教をいったん潰した。

 しかし、活動修道会だの信心会などが張り巡らせていたセーフティネットを無効にするわけにはいかない。

 だから共和国国家は「福祉=ソシアル」をまるごと受け継いだのだ。
 非宗教化して。

 それは徹底していた。教会の結婚式のようにセレモニーができる市民婚のホールだの、子供の洗礼と洗礼親の設定を受け継ぐために市役所での「洗礼」まで作った。司祭は市長に置き換えられた。

 だからこそ、「国家による福祉」は、反教権主義、非宗教主義、政教分離にとって、絶対に手放せない要なのである。

 で、三題目。

 さっき、福島みずほと市民の政治スクールでの、湯浅 誠さんの講演(11月15日)を読んだところだ。


 湯浅さんは、反貧困ネットワーク事務局長で内閣府参与の方だ。

 日本のここ2世代ほどに渡るめまぐるしい変化の分析は、鮮やかだが、かなりつらい。

 こういう部分がある。

 「自己責任論というのは、人々の余裕のなさを糧に大きくなるものです。皆が余裕なくなればなくなるほど、安直な答に食いつきます。考えなくてすみますから。そういう中では、傘の外のすべり台というのは感覚的に「わからない」で終わってしまうということですね。「他に方法があったはずだ」とよく言われるわけです。「家族に頼れたはずだ」「探せば仕事があったはずだ」「ナニナニしたはずだ」というわけです。傘の中にいる人はわからないからですね。あったはずなのにそうならなかったのは、何か本人に問題があったからなんでしょ、という結論の落とし方が一番簡単なんですね。 」

 自己責任論はそもそもWASP的ソシアル(福祉とは、自助努力で成功した者が自分の徳を高めるために慈善するのが基本)に根を持つと私は思っている。

 湯浅さんは、日本の過去にあった国や企業や家庭の傘が次々と閉じられて、社会の闇に落ちていく人は、

「企業福祉にも家族福祉にも支えられない中で、基本的に選択肢はあとは四つしかない」

と言う。

 一つはホームレス状態になってしまうこと、

 二つめは自殺、

 三つめは犯罪、

 四つめは、どんな条件でも働くという労働者になること。

 ショックだ。

 で、解決法についてはこう語る。、

 「解決法は基本的に二つだということになります。一つは制度の光を太く、厚くしてゆくことだと、これがいわゆる、福祉国家的な方向に向かうということになると、例えば、雇用保険の支給期間をもっと厚くするとか、障害の範囲を広くするとか、制度の光を強めたり、広げたりする、というこれが福祉国家に向かうときに諸国が直面する課題です。もう一つはそれだけでは闇の部分が完全にはなくならないので、やはり家族とか友人に代わる、その人に光を、スポットライトを当て続けるような人が必要だということになります、これが寄り添い型伴走型支援と言っているもので、これがパーソナル・サポート・サービスという話で言っているものです。」

 前者は、福祉国家以前的な問題で、これをプレ福祉国家的な課題で、
 後者はポスト福祉国家の課題といえる、
 
 そうだ。

 日本では、高齢化や少子化などの問題が急激に来たので、ヨーロッパなどに比べて対応が遅れていると。

 フランスのことを考えると、前者のプレも、後者のポストも、17,18世紀に都市型の活動型修道会がすでに始めていたことで、「国家による福祉」は、その宗教色を廃止したい一心で「近代国家」の創立理念に組み込んでいかざるを得なかったものだと分る。

 アメリカの建国理念が「自助努力のフロンティア精神」にあったのとはまったく違うのだ。

 で、今のフランスではどうなっているかというと、カトリック系修道会や在俗組織も相変わらず、「ソシアル」を続けている。「その道のプロ」として、国家福祉のプロジェクトに関わることも多いし、「ポスト」の部分であるパーソナルサポートを強化することも多い。

 だから、とにかく国家は「福祉」をやめられない。それが政教分離の基盤でもあるからだ。

 国家にとって、政治と福祉は別、ということはそういうことなのだ。

 特定宗教は否定しても、

 ソシアルが「聖域」

 であることからは、どの政党も逃れられないのである。
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# by mariastella | 2010-11-18 22:28 | 雑感

ヴェルサイユ

 この前のコンサートの解説で、フランス・バロック音楽は、中央集権の絶対王政の国で芸術好きの王様が統治した時にだけ現れるタイプの総合芸術だと話した。特にルイ14世にとっては、音楽アカデミーもダンス・アカデミーも科学アカデミーも対等の存在で、音楽や踊りはユニヴァーサルな科学の一種だと見なされていたのだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチのような人がルイ14世に仕えていたら互いにさぞ舞い上がっただろうと、半世紀に渡ったヴェルサイユの造営にまつわるさまざまなテクノロジーを見て想像してしまう。

しかし、ダ・ヴィンチがいなくても、一人のクリエイティヴな絶対権力者がいれば、最終的にはすごいことができてしまう。

今は500ヘクタールしか残っていないヴェルサイユの敷地は当時は6600ヘクタールもあり、それが43kmに渡る壁で囲まれていた。
最初から、フランス各地の森から堂々たる大木を運んで植え変えるためにさまざまな技術が開発された。

かと思うと、比較的近間のコンピェーニュの森からドングリ300万個を集めて柏の木の道を造るために植えるなど、壮大なのか可愛らしいのか分からないやり方もしている。

ローマ郊外にあるハドリアヌス帝のヴィラ・アドリアナに行ったことがあるが、あれは、自分の征服した世界の風景を再現してしまうことで所有を確認するという壮大なテーマパークだった。

先月岡山で公演した時に後楽園に連れて行ってもらったが、あそこには、領主が再現した水田や茶畑があって、ヴェルサイユの広大な菜園だのトリアノンだのにイメージとしては近い。天皇家にも稲作や養蚕などがあるが、それはシンボリックであり風景の再現が趣旨ではないし、江戸時代の有力な武家たちも基本的には儒教的な質実剛健が旨だったから大規模庭園などは大っぴらに造れないし、審美眼のある趣味人たちも、茶室や盆栽など、どちらかというとミニチュアの方向に行かざるを得なかったのかもしれない。

ルイ14世の狙ったのは総合科学芸術センターの創出に近い。

ヴェルサイユや総合芸術としてのバロック・オペラが可能になるには、

「中央集権の絶対王政の国で芸術好きの王様が統治する」

という他に、実は、もうひとつ条件がある。

一定の期間、戦争がないことだ。

ルイ14世の頃は1678年から1688年の10年がそれにあたっていた。

この10年がなければ今のヴェルサイユはなかっただろう。

早い話が、ヴェルサイユの造営に「兵力」を投入できたからである。

スイス池と呼ばれている人工池は、それを掘るためのスイスの傭兵が重労働でバタバタ倒れたためにその名がついたらしい。

現場の労働者の七割以上が兵士であり、なぜなら、兵士の給料は市民労働者の三分の一だったからだそうだ。

労働者の日給は今にして2千円以下、現場監督でその2倍、片脚を失えば5万円ほど、片目で7万円、死ねば未亡人に20万円くらいの保障が出て、日常的に怪我人や死者が出ていたらしい。

個人的にはこういう時代には生きたくない。

私は自分の生まれた場所や時代の恩恵を十分受けている。

しかし、こういうルイ14世のような並はずれた人物が、並はずれたものを造って残してくれたことには結果的には感謝している。

大権力者が、人々を酷使して、死後に自分が入る広大な墓ばかり造っていた時代や場所に比べたら、ルイ14世の残してくれたものは、貴重な贈り物だと言える。
戦争で大量の犠牲者を出すこととはもちろん比べ物にならない。

ヴェルサイユのバロック音楽研究所には私の『からくり人形の夢』(岩波書店)が置かれている。精巧なバロック・オ-トマタもまた、ヴェルサイユに象徴される総合科学芸術の産物だった。

ヴェルサイユ宮殿では今、来年2月末まで、当時の科学技術展が見られる。
http://sciences.chateauversailles.fr/

夏のバロック・バレーの招待には行けなかったので、冬のヴェルサイユに久しぶりに行ってみよう。
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# by mariastella | 2010-11-15 21:47 | フランス

ドイツの多文化主義

 演奏旅行からフランスに帰って、たまった雑誌類をまとめ読みしていたら、ドイツで「多文化主義が失敗した」と発表されたとあって、複雑な気分だった。

これは、一般化して言っているが明らかに「トルコ人が多すぎる」という意味なんだそうだ。

ドイツは公的場所でも宗教の自由が大きく、公立学校で女児の親がイスラム・スカーフの着用はもちろん、男女ミックスの体操や行事に参加させない、泊まりがけの旅行にも参加させない、などいろいろな問題があることは知っていた。

一応のライシテの建前のあるトルコ本国の方がスカーフ禁止などうるさいので、ドイツの方が住みやすいと言って移住する人もいるらしい。

フランスのように、公教育の場では宗教規定よりも共和国主義を優先するように義務づけている国では、それを全体主義的だとか、二世代後にはみんなフランス人になって元の文化が失われるとかいうような批判もされるのだが、ドイツはその逆だった。

まあ、ドイツはもとが領邦国家の集まりの連邦国で、宗教戦争の後は、各公国の首長の選んだ宗教(カトリックかプロテスタントか)によって住民全部が改宗を迫られるという時代もあった。

同じ頃のフランスでは、ナントの勅令以来の何世代かは、宗派の有無を問わず共通の「市民の義務」を果たすことで「市民の権利」が保障されるようになっていたから、ユニヴァーサリズムの模索の歴史はけっこうある。

ユニヴァーサリズムのもとでの多文化共生が最も難しいが最も理にかなっていると私は思う。

「文化」というものは、絶対不変の価値ではなく、時代と共に変わっていくものだし、人権意識のない時代の価値観を引きずっている部分もたくさんある。

「由緒正しい文化や伝統」などが、奴隷制だとか優生主義や人種差別や性差別の上に成り立っていることも多いし、弱者の犠牲を想定していることもある。

そういうものは、ユニヴァーサリズムとのすり合わせで、少しずつ、変化していった方がいいと思う。現に、今のような社会では、「他の文化」の情報が多すぎて、「昔ながら」を疑いなく受け入れる弱者はどんどん少なくなっているだろう。

そんな中で、女性司祭、ひいては女性司教の司教区に組み入れられることを断固拒否する英国国教会の一派が、最近、ローマ・カトリックへの改宗を明らかにした。彼らがローマに打診して、昨年の秋に教皇が改宗方法の条件を示したものに同意したのだ。

これを受けて、小教区ごと帰属を変えるところも出てきているらしい。

英国国教会ではすでに女性司祭は日常的な風景の一つになっているし、アメリカではもう20年来のことだ。

ローマ・カトリックにおける女性司祭や妻帯司祭の拒否というのは、これも「伝統墨守」の一種なのだろうか。

それとも、他宗派からの改宗を受け入れたり、一度切り離した改革拒否派を再び受け入れたりする動きも、彼らなりの「多文化主義」の一種なのだろうか。だとしたら、受け入れを決めた相手を、カトリックの本来の意味であるユニヴァーサリズムの光に照らして、共に「回心」を更新し続けていってほしいものだ。

コミュニティに他者を新たに受け入れることは、実はコミュニティ自体の回心であり刷新だというのを聞いたことがあるが、含蓄深い。

これは国家と移民の問題にも共通する問題だ。
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# by mariastella | 2010-11-14 19:33 | 雑感

Sagrada Familia

 教皇B16が、バルセロナのサグラダ・ファミリアを訪れて祝別したという記事を読んだ。その上、ガウディを聖人にするという話も出ているそうだ。全く知らなかった。

数年前にサグラダ・ファミリアを訪れた時、道行く近所の人に話を聞いたことがある。

「近くにあるカテドラルはローマのもので私たちのものではない、このザグラダ・ファミリア教会こそカタルーニャのもので私たちのものだ」

と、得意そうに言うのが印象的だった。

その時はそんなものかと感心した。そんな場所にローマ教皇が行って、ガウディを聖別するというのはカタルーニャの人にとってどうなんだろう。

カタルーニャはスペインでも一番、毎週教会に通うカトリックが少なく5%しかいないそうで、それにも驚いた。マドリードとのライヴァル意識も大きいようだ。
マドリードのカテドラルへのわだかまりもあるそうで、スペインはなかなか複雑だ。

聖ガウディか・・・

認定には奇跡が必要だな。

増殖し続けるサグラダ・ファミリアそのものがすでに奇跡みたいなものだけど。
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# by mariastella | 2010-11-13 06:14 | 宗教

お知らせ


今から日本に出発しますので、3週間ほどはトリオのブログのみのチェックとなります。

http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/


これを読んでくださる方と、どこかのコンサートでお会いできたらいいですね。

私は肩を痛めているので演奏時のポジションを変えています。後で体中がこわばりますが、演奏には差し支えないところまで回復しました。日本でも治療を続けます。

だから、体の向き、肩が上がっていることなど、気にしないで、よい子のギタリストは決して真似しないように。トリオの他の二人を見てください。
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# by mariastella | 2010-10-21 16:57 | お知らせ

フェミニズムの効用

前に書いたブノワト・グル―

http://spinou.exblog.jp/13901370/

の自伝『Mon évasion』を読んでいる。

これを読んでると、もう、60歳になったらフェミニズムに邁進しなくちゃ、と思ってしまう。

昨日の記事で「伝統医療と代替医療』という時の日仏の差を書いたが、「フェミニズム」という言葉や女性差別の実態も、日仏で全く違う。

フランスのフェミとWASPのフェミがかなり違うことはすでに書いたことがあるが、

日本の女性差別には儒教的な伝統があって、キリスト教的女性差別とは種類が違う。

キリスト教フェミの中では、

プロテスタント世界では、女性が身体をはって権利拡張のために戦い、男世界を女世界にラディカルに書き変えようとし、家庭内では理解ある夫が家事に参加、という感じの進歩になる。

カトリック世界では、ユニヴァーサリスムに目覚めた男が世界を変えようと戦い、夫と妻は家事を誰かに委託していっしょに戦いに出かけたりする。

まあこれは短絡化した図式だが、キリスト教の根本にいるナザレのイエスの家庭は、けっこうカトリック的フェミだったし、イエスもフェミニストだった。

フェミニズムの一番の効用は、女性の権利がどうこうというよりも、「質の良い男」をもっと素晴らしくするところだと思う。

差別を支配の道具にしている社会は多い。
江戸時代には、支配者は、農民に非人を卑しみ憎むように仕向けることで支配を楽にしたし、黒人差別が露わだった頃のアメリカでは、黒人たちはプエルトリコ人をさらに差別していた。そして、最低のランクのグループ内ではさらに女性が差別される。

差別する人もされている人もある意味でマインドコントロール下にあるのでその意味が分からない。そればかりか、そのような情報操作のおかげで、非差別状態の苦しみをあまり意識せずにサバイバルできることもある。

だから、理念だけで「寝た子を起こす」のは不毛だし、差別されている人は時として「解放者」を疎ましく思ったり蔑んだりするのだ。

けれども、差別されていないグループの中で、「覚醒する」人は必ず出てくる。

その人たちの人間としての質の良さは、まさに「新しい人間」の誕生のようである。人類に貢献したどんな立派な哲学者でも芸術家でも、思想家でも、生まれた時から染みついたmisogynieから自由になれる人は少ない。

私は文学者としてのドォルヴィリィやユイスマンスやジードは好きだけれど、コンドルセやフーリエのような「覚醒者」とは対極にある。

フランス文学界における女性差別は長い間強烈であって、日本人の想像を絶するものだ。

日本では『源氏物語』の昔から、なんだか、文学だの小説書きだのは、どちらかというと「女」の分野として、分野そのものが支配の構造からは少し離れたところにあった。

以前のヨーロッパにおける「学問」からの女性の排除の凄まじさも、日本とは少し違う。

日本ではむしろ、学問に2種類あって、文科系は女性が得意、理科系は男性の分野、のようなイメージがあったような気もする。

ヨーロッパ思想史とフェミニズムの関係については結構前から調べているのだが、フェミニズムの比較文化論は奥が深いと思う。

個人的には、昔から、女性であることがむしろ不当にプラスになっていると意識してきた。

今の時代で面白いのは、厖大な個人ブログによって、今までは知りえなかったような「他の人」たちの実態や意識に触れられることで、それを見ていると、フェミニズムなんて、実質上はあまり実を結んでいないと分かる。

けれども、「質のいい男」とも出会える。

それまではフェミニストを自称するような男なんて、ただの恰好付けか、偽善者か落ちこぼれか、男としてルサンチマンがあるんじゃないかとか、漠然と、まじめには考えてこなかったのだけれど、何年もブログを読み続けて筋金入りの「覚醒者」が存在することも分かった。

私も、覚醒しつつある。
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# by mariastella | 2010-10-18 22:20 | フェミニズム

伝統医学

 今、自分が肩を痛めたリハビリを通して、代替医療についてのレポートを書こうとしているのだが、それについてフランス語で読む時と、日本語で読む時の差に気づいて改めて考えさせられた。

 昨年鳩山内閣は代替医療のエビデンスを確立したいというような統合医療を目指す方針を出したらしいが、日本では、

「近代西洋医学」

    対

「伝統医学」または「代替医療」

という図式があって、

「近代西洋医学」は科学的でエビデンスを追求し、普遍性があるが、機械論や細部にとらわれて全体を見ない、個々の人間を見ない、副作用で体を壊すこともあり、冷たい、

それに対して「伝統医学」や「代替医療」は自然にやさしく人間にやさしく、ホーリスティックで全体を見て、理論は確立していなくとも実績がある、温かい、

という印象がある。

これが、フランスでは根本的に違う。

もちろん、近代医学が解決できない難病などの前に、代替医療系の特効薬や奇跡の治療が紹介される時には、確かに医薬産業を脅かすということもあって、徹底的に叩かれることもあるのは、「先進国」では共通したことだ。

しかし、「効く」代替医療の特集などが雑誌類に載る時は、「伝統医学に対する補完医学」という書かれ方をすることがよくある。「古典(クラシック)医学に対する新医学、代替療法」という言い方もされる。

ここで「伝統医学」とか「古典医学」というのは、

もちろん日本でいう「西洋近代医学」を指しているのである。

当然ながら、ヨーロッパにおいての伝統医学とは、ヒポクラテス以来、進化してきた医学の全体を表わしているので、修道院での薬草栽培やルネサンス以来アラビア人やユダヤ人がもたらした医薬の伝統もすべて入っている。フランスには今でも在野の治癒師がいるし、火傷の急患がいると、救急医空の連絡を受けて痛みをとる念を送る役の人もいる。
フランスでは癌の診断が下されると一切の治療はキャッシュレスになるし、癌の「機械論的」治療と並行して、カウンセラーやホーリスティック医療のチームが病院に組み込まれていることも少なくない。

どこの国でも、人の病気をホーリスティックに直したいと思うのはベースにあるわけで、その中で、ある種の病気については、外科的とか化学的薬品的なピンポイント治療が有効だと分かって光のあたる場所に出てきただけだ。

だから、フランス語で「伝統医学」というのは、「西洋近代医学」だけではなく、「西洋近代医学」は氷山の一角に過ぎない。その水面下の部分に、鍼灸だとか、「気」だとか、アユルヴェーダなどの「他の国の伝統医学」だのホメオパシーやオステオパシ―などの近代代替医療も取り入れて、氷山の上の部分を補完しようとする。それらの医療が大学で研究されたり治療として保険適用されたりするのだ。

氷山の上の部分が万能だなどと言っていないし一番偉いとも言っていない。特化した部分であるだけだ。

フランスの医学部の博士論文の審査にはヒポクラテスの胸像が同席していて、合格した者は、その胸像に向かって宣誓するのだが、それはいわゆる「ヒポクラテスの誓い」の直訳ではなく、「貧しい人の治療を拒みません」とか「治療した以上の報酬は受け取りません」というようなものだ。

日本は近代と共に「西洋近代」を輸入してきたもので、そこに傾倒する部分と、「西洋近代」の弊害をあげつらって、伝統回帰が一番、のような反動の部分がある。
「西洋近代」医学に従事する者は、それが、西洋の伝統医学の一部分でしかないことを自覚せずに、「蒙昧な伝統医学」を切って捨てるような態度をとる者もいるし、それこそ機械論的な非人間的治療をする者もいる。

代替医療をめぐる言説というのは、だから、日本語の文脈で考える時と、フランス語の文脈で考える時とでは、微妙に違うのだ。
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# by mariastella | 2010-10-18 00:56 | フランス語

enantiodromie

Klimaのsolipsismeと無神論は相通じると日頃思っている時に、私の中でそれを結びつける言葉はenantiodromieだった。

これを日本語でなんと言うのか調べようとしてカタカナにしてネットで検索しても分からない。心理学用語集を見ても。ヘラクリトスとかユングも見てみたのだけれど。
どんなものでも究極に突き進めると真逆のものと一致する、みたいな意味でかなり普遍的なパラドクスだが、「神」と「無」のような、それ自体「無限」というか「絶対」を抱合しているものもその一形態のような気がする。
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# by mariastella | 2010-10-18 00:02 | つぶやき

BenedictusXVI

『カトリック中央協議会ホームページ』にある2010年9月26日の「お告げの祈り」の教皇の言葉を読んで、すごく心に残った言葉。

「愛は感情ではありません。
愛は、キリストの愛に結ばれて、他の人に奉仕することです。」

というところ。

愛は感情ではありません。

・・・・・肩の荷が下りるような言葉だ。

なぜだろう。
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# by mariastella | 2010-10-13 05:37 | つぶやき

フランス・バロック音楽のオリジナリティについて

『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)に書いたことの一部を、分かりやすく言い換えてみよう。

フランス・バロックの音楽は、1650年から1750年の100年間に、その後いわゆる「西洋近代音楽」に発展したイタリア・ドイツ系のバロック音楽とは全く違う、いわば「ガラパゴス」的な展開をした。その後、ある種のヨーロッパ・グローバリゼーションと民主化と産業革命の流れの中で、フランス・バロックは絶滅種となってしまう。

ここでフランス・バロックと言うのは、別にフランス人がフランスで作曲したものと言うわけではなく、スタイルの問題であり、バッハもたとえばフランス組曲を書いている。

フランス・バロックは非常に複雑で知的な体系だった。

それを可能にしたのはルイ14世に頂点をなした中央集権的な芸術の囲い込みと言う政治的経済的背景である。宮廷や首都に、コーラスやバレエ団やオーケストラや大がかりな機械仕掛けを常駐させるオペラ座を抱えて維持することは、ローマ教会のによる典礼の縛りの強いイタリアや領邦国家群であったドイツには自明のことではなかった。

フランス・バロック音楽がなぜ特殊かと言うと、それは、身体性のランガージュと通して音楽と出会う二つのルーツ、「語り」と「踊り」を対等に、同時に取り込んでいるからである。

まず「語り」から説明しよう。

歌になりやすいイタリア語と違って、フランス語は「詠唱」に適していた。ルネサンス以来、ギリシャ演劇の伝統を最もよく受け継いだのはフランスの古典演劇だった。それを可能にしたのは、中世においても脈々と受け継がれてきた弁論術や説教術の伝統だ。その朗朗とした韻律は体の芯に響き、揺さぶり、その効果を最大限に高めるためにコード化された身振り手振りによって演出されていた。

イタリア人のリュリーがフランス語のためのオペラを作るようにと言われて、毎日古典演劇に通い詰めて頭に叩き込んだのは、韻律に富んだ語りが身振り手振りと共にくり出される様子だった。リュリーは、まず、俳優にその韻文を歌わせることにした。コード化した身振り手振りにのって歌われる語り、それに配されたのが音楽である。だから器楽部分は、語りの部分の効果を高めるように作曲されたし、楽器も人の声が語るように演奏された。音楽のランガージュとフランス語のランガージュは一体化し、切り離せなかったのだ。

これは、イタリア曲のように、音階やアルペジオのような純粋な音楽要素を展開させたり、歌手も声を楽器として音楽要素で競い合う、というものとは全く逆の道をいくものである。

次に「踊り」である。

いわゆる民衆の野外の踊りなどと別に、ルネサンス以来、貴族や法官らの支配者層は、教会に向かう時などに移動する姿の美しさを追求するようになった。歩き方の工夫、体の重心の把握と重心の移動のコントロール、それらの方法論の体系化は、やがて、踊りを、馬術、剣術と共に騎士階級にとっての必須の訓練科目に組み込むことになった。

踊りは、武器をもたぬ武術であり、基礎訓練でもあった。踊りの体系化は、行進や武術の方法論とセットになって、音楽とは独立して進化したのである。

バロック時代のダンス曲は、踊りのために、踊りのコードに対応し、踊りのランガージュと共存するために作られた。「既成の曲に合わせて踊った」のではない。
踊りのステップが、ダンス曲の構造を決定したのである。そこでは作曲者も振付家もダンサーも観客も批評家も同じファミリーだった。若きルイ14世が毎日汗びっしょりになるまで踊りの稽古をし、舞台にも立ち、ギターを弾いたことはよく知られている。宮廷では王と王妃を前にして、貴族たちを両側に、オーケストラを後ろにした空間で、一人ひとりの貴族が、社交界での生命をかけて自分の身体制御能力を披露したのだ。

このように、一方で、身振り手振りを基礎にした「語り」を効果的に音楽にのせること、もう一方で、身振り手振りと移動の仕方を基礎にした「踊り」を効果的に音楽にのせることが、フランスのバロック音楽を形作った。音楽は独立したランガージュではなく、言葉による語りと踊りによる表現という他のランガージュと組み合わさったものなのだ。

「言葉による語り」と「踊りによる表現」との共通点は、その身体感覚である。フランス・バロックの語りが、身振り手振りを伴う雄弁術から派生したように、貴族の基本教養となった踊りにも、同じ伝統が組み入れられていた。語りのコード、身振りのコード、踊りのコードは、身体と世界の関係(体と重力の関係)の意識化を前提としていた。だから歌と踊りのために作曲されたフランスのバロック音楽は、独特のリアルな身体意識なしには演奏できないし、鑑賞もできない。

リュリーの天才は、語りの音楽と踊りの音楽を一同に集めるために、古典演劇とは正反対の非日常的な超自然世界を舞台にしたオペラを発案したことだ。そこでは、人間だけではなく、神や精霊や怪物たちが自在に現れる。彼らのランガージュは「踊り」なのだ。こうして、歌と物語と踊りが混然一体になって進行するフランス・バロック・オペラが誕生したのだ。オペラ座こそがフランス・バロックのガラパゴスだったのである。

それを支えたのが絶対王政であり貴族階級であったのは間違いない。次の時代には、ブルジョワの台頭、民主的なコンサート、フランス革命、すべてが、フランス・バロック・オペラとバレーを壊滅させた。

時代は、分かりやすい音楽だけのランガージュを残すことになった。芝居やバレーは特化した。音楽に合わせて歌がうたわれ、音楽に合わせて踊りが踊られ、演奏家や踊り手の超絶技巧が商品となっていった。
ロマン派の時代には、人の感情を直接表現するランガージュとしての音楽が普通になった。悲愴な気分は悲愴な音楽で、楽しい気分は楽しい音楽で表わされ、そこにはもはや身体意識に基づいて複雑に再構成するという演出はない。ひたすら感情を増幅する音楽が聴衆を全体主義的に同じ船に乗せようとするのである。

その傾向は批評の世界にも広がる。神学のディスクールにも似た「正統」の権威が確立し、超絶技巧演奏家は偶像と化し、祭司がひしめく。人々は、ある時は音量に圧倒され、ある時はむき出しのセンチメンタリズムに酔い、集団催眠にかけられ、それが「わからない」人は排除される。

近代日本が「西洋音楽」を輸入した頃は、まさにそういう時代であった。そこに「舶来信仰」が加わる。思えば皮肉なものである。近代以前の日本の音楽とはむしろフランス・バロックにも似た朗唱や語りと一体化したものだったからだ。

「西洋音楽」は、グローバリゼーションという名の悪しき標準化、均一化に向かう民主的ツールとなる一方で、「西洋クラシック音楽」という名のエリート宗教を残した。その神殿で学ぶものは「完璧なテクニックで感情をこめて」パフォーマンスすることを要求される。

20世紀後半に復活したフランス・バロック音楽は、当然、その前提となる「踊り」と「語り(における演出)」の再発見を必要とした。
フランス・バロック音楽を「完璧なテクニックで感情をこめて」弾いても意味がない。その色彩豊かな和声進行や知的な構成や繊細な装飾音や神秘的な不協和音は、音楽だけのランガージュで生まれたものではなく、踊りと語りのランガージュと共に織りなされたものだからだ。

フランス・バロック音楽奏者や歌手たちが、必ずと言っていいほどバロック・ダンスの講習やバロック・ジェスチュエルの講習に参加するのは当然だ。曲の根っこにあるのは、感情ではなくて、踊りと語りの兼ね合いによって再構成する演出と、それを支える身体感覚なのである。

(この記事は特にフランス・バロック音楽奏者に読んでほしいので、トリオ・ニテティスのブログ
http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/
の方にも転載してあります。)
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# by mariastella | 2010-10-07 08:10 | 音楽

La dolce fiamma

『La dolce fiamma』というPhilippe Jarousskyの新作CDを聴いた。

http://www.amazon.fr/Jean-Chretien-Bach-Dolce-Fiamma/dp/B002P2SA4Y

ジャルスキーと言えば、ヘンデルとかヴィヴァルディしか聴いたことがない。

そもそも、Johann Christian Bachのオペラを聴いたのも初めてだ。

非常に興味深い。
偉大な父親JS バッハがドイツに根を下ろして教会音楽に軸足を置いていたのに対して、この末息子は、ミラノやロンドンで活躍し、カトリックに改宗し、オペラの魅力にとりつかれた。しかも、父親譲りの堅固なポリフォニーの教養に拠って立っていた。

歌手のジャルスキーは、現代フランスの若手の人気コントルテノール(カウンター・テナー)で、音楽性やテクニックはもちろん、美しく、知的で、カリスマ性もある。

彼が言うように、「英雄は男らしい低い声」、というのは近代以降の刷り込みで、17、18世紀には高音域が、純粋さと力強さとを併せ持つと考えられていた。

その後のオペラにおいても、低音のバスは老人や悪役が多く、ヒーローとヒロインはテノールとソプラノの組み合わせが多いのは、高音の方が、感情の高揚を心に届けやすく、訴求力も大きいのかもしれない。赤ん坊も高音の方を早くからキャッチすることが知られている。

だとしたら、男性ヒーローを表現する時も、裏声でコントラルトやコントルテノールで力強く絶唱する方向に向かうことは十分考えられる。バロック時代にすらカストラートが流行らなかったフランスで、地声が普通のジャルスキーのような青年が今、高音の男性役アリアに挑戦するのはおもしろい。

西洋音楽をやる人は、「ナチュラル・ニュアンス」というのを習う。特に指定のない時は、連なる音が高くなればなるほどクレシェンド、すなわちだんだんと大きな音で弾いたり歌ったりし、音が下がって行くとデクレシェンド、すなわち音量も下がるというものだ。

これが「自然」だと言われると、少なくとも、西洋的文化の文脈では納得させられる。「助けて」と叫ぶ時は、高い声で大きく、一方、内緒話は低い声でぼそぼそささやくというイメージだ。

しかし、これはそれほど自明な「自然」でもない。昇ってゆく高音は雲の彼方に去ってだんだんとか細く消えていく、とも言えるし、逆に、低音は大地に達して、地鳴りのごとく増幅するとか、ドスの利いた大声で怒鳴りつけて威嚇するとかいうイメージも考えられる。

あるいはジェンダーの問題もあるかもしれない。一般に「女子供」の声は、大人の男の声よりも1オクターヴは高いからだ。女子供の発言を封じる社会では、

「高い声でキイキイ叫ぶんじゃない、黙っていろ」

と押さえつけることも考えられるし、逆に、男には、

「そんなにぼそぼそと女々しく口ごもるんじゃない、堂々と低い声を朗々と響かせるんだ」

という圧力がかかるかもしれないのだ。

そう考えると、高音に力強さを重ねることを「自然」だと見なす文化はそれなりに含蓄がある。

音楽を教えていると、もう一つ自然な傾向というのがあって、高音に向かうメロディーは「速く」なり、音が下がって行くと「ゆっくり」になるというものだ。しかしこれは、指定がない限り、同じテンポを維持しなくてはいけない。音列の上下と速度の緩急を分けることは、初心者には結構難しい。しかも、音列の上下に対して音量の方は「ナチュラル・ニュアンス」として連動することが認められているわけだから、音量の多寡と速度の緩急も分けなくてはならないのだ。

日本の謡曲などでは、話が佳境に入れば歌い手の鼓動も息も速くなるのだからテンポやピッチが微妙に上がっても「ナチュラル」だということがある。基音のピッチですら、リーダーの体調やその日その場所の環境全部によって微妙に変わり、直前の音合わせで決まったりするのだ。

それに対して、西洋近代音楽は特に、いつでも等しい再演が可能な機械的な均質性に向かっていったから、テンポやピッチの初期設定の維持にはうるさい。

それでも、テンポやピッチや音量の変化が、「自然」だったり「作曲者の恣意的なもの=不自然」だったりしながら、揺らいだり、そこにまた、演奏者が、自分の「自然」だの自分の「文化」だのをすり合わせる。

音楽はメッセージをのせているヒューマンな言語なのだ。
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# by mariastella | 2010-09-29 23:13 | 音楽

イギリスのカトリック

昨日、教皇ベネディクト16世がイギリスを公式訪問していることに触れた。

ヨハネ=パウロ二世も1982年にスコットランドを訪問したのだが彼は人気があり、英国国教会との歩み寄りに大きな意味があった。

今回は、「公式訪問」であり、ゴードン・ブラウン前首相が正式に招いてしまったのでイギリス側に膨大な経費の負担がかかることになったわけだ。

イギリスのカトリックは10%弱の600万人ほどらしいのだが、JP2の頃は主としてアイルランド系ということだった。

今のイギリスではカトリックの6人に1人はポーランド人で、ポーランド人の修道会もいろいろできている。

ポーランドがEUに加入してから門戸を開かなければならなかったからだ。アフリカ系、フィリピン系のカトリックも昔よりずっと増えたらしい。

スラブ系の人は言語的に区別する周波数域が広いので外国語を学ぶのに有利だということを聞いたことがある。実際、スラブ系の人はマルチリンガルが多く、ヨーロッパ中に進出している。

でも、かなり「昔風カトリック」。

イギリスでは、反カトリックの人は、何かというと教皇庁の反動的な倫理観を攻撃する。今回、イギリス人に教皇を歓迎させるにはバチカンが避妊具を売り出すしかないというジョークもある。歴史的な経緯のせいで、国教会との差異に敏感だ。

カトリックが一応マジョリティであるフランスでは、「普通のカトリックの人」は、避妊に関する教皇庁のスタンスなんかほぼぜんぜん気にしていない。

だいぶ差がある。

生粋のイギリス人で、マイノリティであるカトリックをやっている人も、けっこう「古い」のかもしれない。

ネットで世界的に有名になったおばさん歌手のスコットランドのスーザン・ボイルさんは、熱心なカトリックで、有名になったのも、神のおかげ、自分の才能も神の恵み、カトリックは私の生活の根幹、とか言っている。ルルドにも3回巡礼に行き、マリア信心会にも入っている。教会の聖歌隊メンバーであるのはもちろんだ。

JP2が1982年にグラスゴーに来た時ももちろんミサに参加して感激し、教皇のために歌いたかったそうだ。
今回のB16の訪問で、ようやく「教皇の前で歌う」夢がかなって特別コンサートを念入りに用意し、満席だったのに、教皇はなぜかごくはじめに退席してしまったということだ。気の毒。

B16の側近って、ほんとうに、彼の人気を高める戦略がゼロである。



 
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# by mariastella | 2010-09-17 22:46 | 宗教

ガーディアン・エンジェル

 サラ・パレツキ―のV.I.ウォーショースキーのシリーズの『ガーディアン・エンジェル』を読んだ。
 発表時の順不同で読んでいるが、いままで読んだもののうちで一番構成がしっかりしていて、展開の仕方やディティールや着地点が見事なので、満足させられた。

弁護士のフリーマンがヴィックに、「おいで、ジャンヌ・ダルク。」とやさしくからかうように話すシーンがある。

そういえば、20世紀の初め頃、ロンドンで

St.Joan's Political and Social Union

というのができて、フランスがそれに加入して国際ジャンヌ・ダルク連盟としたのは少し後だったと思う。

今でもユネスコでもブレインになっている、カトリックのフェミニスト・グループだ。

カトリックが10%しかいないイギリスに今ローマ教皇が初の公式訪問中で、移動だの警備などの費用がかかり過ぎるとして問題になっている。カトリック教会が一部を負担するためにミサ出席を有料にしたり、教皇グッズを売ったりして費用の一部を捻出しようとしているが、30ユーロという高額で、思ったより売れていないらしい。夕方のニュースで、スコットランド入りして女王とも会った教皇が、タータン・チェックのマフラーを肩にかけて車に乗っている姿が映っていた。

話を戻すと、そんなわけで、カトリックのフェミニズムが、ジャンヌ・ダルクをシンボルにしているのはおもしろいと思っていた。それがイギリスで生まれたことも。

ジャンヌ・ダルクはフランスではやはり、イギリス軍を追い出したフランスの救国の少女、というイメージがあるが、その敵であったはずのイギリスでは、20世紀初頭(ジャンヌが列福された後で、聖女となる前)においては、むしろフェミニズムのシンボルだったのか。

そして、20世紀末に近い頃、シカゴの女探偵が「ジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。

「戦う女」だからか。

フェミニズムのシンボルだからか。

フランスのフェミニズムにおいては微妙である。

フランスでは20世紀初頭、反カトリックの勢いが強く、フェミニズムの陣営はどちらかというと、左派で反カトリックだったからだ。

フランスのフェミニズムの初期の立役者の女性が目立った場と言えば、フリーメイスンのことに思い至る。フリーメイスンか無政府主義。

アングロサクソンにおけるフェミニズムとカトリックとジャンヌ・ダルクの関係を調べてみたい。

で、この作品でのヴィクは、元夫のWASP系の男や、新しい恋人である黒人刑事や、ラテン・カトリック系の隣人ら、いろいろなタイプの男たちと相変わらず強気の心理的葛藤を繰り返すのだけれど、ユダヤ人女性のロティとも溝ができる。

それによって、それまで男対女というジェンダーの問題だとヴィクが思っていた依存関係への恐怖が、別のニュアンスを持って現れる。

ヴィクやロティのように、強がりで強情な女たちを評して、一見家族の犠牲になっているように見える看護師のキャロルという女性が最後の方でこう言う。

「あなたもロティも分かっていないのね。自分を愛してくれる人に頼るのは悪いことじゃないわ。ほとんよ、ヴィク。」

含蓄のある言葉だ。

頼るのは、単なる依存でなく信頼関係であり、それには愛が前提になるのかもしれない。

誰かを愛したら、その人から頼られたい、と思うのは分かる。「愛する人に頼る」のではない。「愛する人に頼られたい」のだ。

神とか仏とかはそうやって衆生を愛してくれるのかもしれない。

ヴィクやロティは、きっと、「愛したい」のだ。

愛した時に湧き上がってくる「頼ってほしい」という思いは甘美で優しいものだ。

相手が動物であっても。

「愛し愛される」ことのバランスに悩むよりも、
「愛し、頼られる」ことの方が、満足感や平和を確実に得られるのかもしれない。

苦手な相手から頼られてますます嫌になるということはよくあるが、それは向こうから愛されてない証拠だと無意識に感知するからだろうか。

ヴィクは悩み多い女性だが、こういう言葉を配するパレツキ―はさすがだと感心する。
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# by mariastella | 2010-09-17 05:39 |

楽器の形態学でびっくりしたこと

 昨日は、チベット・フェスティヴァルのことを書いたが、実は、一番の収穫は、「どこがヒマラヤなんですか?」という感じの南インドのカルナカタ音楽のスタンドで、ヴィーナ奏者でダンサーでもあるRaghunath Manetさんとお話したことだった。

 私はギター奏者で、ウードやウクレレも真似事で少し弾くが、この手の楽器が人体にたとえられる時、膝や腿に置く丸い部分が胴体のように見なされることが普通だと思っていた。

 実際、ギターなら、真ん中がくびれているので、よく女体にたとえられたり、体の前に抱えて弾くので、抱いているような感じがある。

 ウードやリュートは、ギターに比べて共鳴胴の下が丸いので落ち着きが悪いなあ、と思うことがある。

 タミール地方のヴィーナは日本の琵琶の原型とも言われている。

 大体この種の弦撥楽器は、シルクロードを通って、東西に分かれて発展したので、みんな親戚でもある。正倉院にはすばらしい楽器が残っているようだ。

 それなのに、少なくとも私は、これまで、Manetさんの話を聞くまで、この手の楽器の胴体が「頭」だという比喩を全く知らなかった。

 ヴィーナに関しては、人体の各部の比率が完璧に応用されていて、ダヴィンチの人体図を見るかのようである。下に抱える部分は頭で、24のフレットは、背骨、つまり、頚椎7、胸椎12、腰椎5に対応しているのだそうだ。この比率はすべて、奏者の親指の長さや手を広げた時の親指の先から小指の先の長さを基準にしているので、本来は、楽器は、奏者の体格に合わせて作られなければいけない。

 ギターでもそうだが、駒に近い方のフレットは間隔が長く、胴体に近づくにつれて間隔が狭まる。

 これも、背骨の骨の間隔と同じなのだそうだ。そこからも、抱いているところは、「胴体」ではなく、明らかに、「頭」だと分る。

 で、「弦を指ではじく」ということは、声を出すことであり、指は「舌」なんだそうだ。

 「頭」の「口」にあたるところで「舌」を動かして「(神に)語ったり祈ったり歌ったり(これは同義である)」するのが、弦撥楽器を弾くということなのである。

 しかしその声は、口からではなく、チャクラのある仙骨から発せられるようでなくてはいけない。腹から声を出せ、というやつだ。だから、ヴィーナには、仙骨にあたる部分にもう一つ小型の共鳴胴がついている。


 ギターではこれが一体化しているのだとしても、やはり、下の方が頭で、上の方が腰ということになる。

 発想の転換。

 ギターを抱えて爪弾くというのは、何となく、女体をかき鳴らすという官能的な比喩の方向に向うことが多いが、ヴィーナの見方でいくと、楽器は実は自分と同じサイズ(頭からである仙骨までなので身長の半分)である分身である。。それをまるで自分の反物質だか陰陽の片割れだかのように、逆に抱えて、重なる。自分の腰の近くに頭を置いて、自分の腹の近くで指を舌のように駆動して音(=声)を出す。ヴィーナで奏する祈りが最もシヴァ神の気に入るといるのも、太陽叢あたりを口にして歌うことになるからなのか?

 Manetさんの本を購入したので他の楽器についてももっと読んでみよう。

 楽器演奏は、ある一定の段階に行くと、こういうちょっとしたイメージ操作が大きな変化をもたらすこともある。
 この話明日の練習でをトリオの仲間にするのが楽しみだ。

 
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# by mariastella | 2010-09-14 00:42 | 音楽

フランス人の人種差別

私のサイトの掲示板

http://6318.teacup.com/hiromin/bbs

で、最近、フランス人の人種差別意識の実態について質問されて答えた。

その後で考えてしまったこと。

今日は、年に一度のチベット・フェスティヴァル、正式には、チベットとヒマラヤの人々の文化フェスティヴァル。
10e Festival Culturel du Tibet et des Peuples de l’Himalaya


フランスのチベット人コミュニティは今700人ほどだそうだ。

私と彼らのつき合いは、私とフランスのつき合いと同じくらいに長い。

このヴァンセンヌの森のパゴダ周辺で行われるチベット祭にも何度も来ているが、去年からどちらかと言えばフランス仏教連合の開催するものに参加する方が多かったので、「チベット文化シンパ」のフランス人独特の雰囲気を久しぶりに味わった。

入場料は3ユーロ50。400円くらい?

でも、すぐそばに無料で散策できるヴァンセンヌの森と湖があるのだから、「普通のフランス人」が偶然通りかかって金を払ってまで入る、ということは、まず、ない。

チベット文化シンパの人たちがわざわざ来るのだ。

仏教連合の方は、フランスには旧インドシナ系の仏教コミュニティがあるので、ラオス人とかミャンマー人とかベトナム人とかがたくさん来る。アジア色豊かな感じ。ZENも人気だ。

しかし、チベット人は総数が少ないし、もとが移民じゃなく亡命者だから、こういうフェスティバルでも、歌や踊りを披露する側にはいても、参加者のほとんどはフランス人である。

パリのヴァンセンヌの近くの地域などは、移民も外国人も多いのだが、こういうところに集まっているのは、いわゆる生粋のフランス人が目立つ。

冷静に見たら、かなり、独特だ。

一昔前のフランス人のチベット文化シンパは、ブルジョワ出身のインテリ左翼が多かった。

インテリ左翼なので、反教権主義の伝統があり、伝統宗教に批判的で距離を置いたが、実は霊的なものを必要としているタイプ。
宗教や宗教指導者などに憧れを抱いているのだが、いわゆる宗教というものは蒙昧であるという刷り込みがあり、近づくのは教養が邪魔をする。

そこに「宗教じゃない、哲学である」と言われ、「超越神を立てない無神論である」と言われている仏教登場。

しかし、旧植民地国の仏教はなんとなく敷居が高い。で、大乗仏教ということもあって、日本仏教やチベット仏教に向かう。フランスの日本人コミュニティの仏教徒としての連帯は限りなく希薄だから、日本に行って仏教を学んだフランス人が帰って来て「偉く」なったりする。

チベット仏教は、ある意味でもっと魅力的だった。

戦争や植民地にまつわるやっかいな歴史がない。
ヒマラヤの神秘。
大国中国に侵略された犠牲者、悲劇の民。
ダライラマの亡命政府。
輪廻転生の思想。
仏陀の智恵を体現するラマ。

ヨーロッパには、そうやって人々をひきつけてほとんどカルト化したチベット系仏教コミュニティもところどころにある。

そういうところに、昨今のエコロジー・ブームで、「自然に還れ」という感じのやや反動的な教条主義も表れた。これはどちらかといえば保守派。カトリック信徒も少なくない。カトリックの人々は、「仏教は哲学」だと言っているので、チベット仏教にのめりこむのにさして抵抗がない。むしろ、がちがちの保守カトリックではなくて自由で開かれたカトリックだと自負している。

帝国主義時代には「西欧の進んだ文明の高みに黒人を引き上げるのが自分たちの義務」と言ったり、「新」世界の資源を無邪気に搾取奪略したりしていたフランス人たち。

チベットには略奪する見込みがなくて、犠牲者であるチベット人を助けるという、いかにも無償の行為。

住むところを失って世界中にちらばりつつ、文化と信仰心を維持しようとするチベット人の運命は、ユダヤ人のそれと似た構図もある。

ユダヤ人に対する葛藤、迫害、差別、憎悪、偽善、罪悪感などは、教養あるフランス人にとっては抑圧したい原罪にも似たトラウマでもある。歴史、経済、政治、いろいろなファクターが多すぎて、「贖罪」は難しい。

そういうもやもやの一部が、チベット人を支援することで解消されているのではないだろうか?

誰もこんなことは言わないが。

ユダヤ人だけではない。

フランス本土に住む、旧植民地出身のアラブ人や、黒人や、カライブなど海外県の黒人や、中国人らに対する、ぬぐいきれない差別意識への罪悪感が、見方によってはもっとエキゾティックなチベット人を支援することによって、軽くなるのかもしれない。

しかも、他の外国人にひそかに期待するような、「フランスにいるんだからフランス人になりきりたまえ」という、上から目線の「同化」主義じゃない。

チベット人がチベット風であるのは大歓迎。それどころか、ぼくたちフランス人もダライラマの前で五体投地するし、本気で尊敬するし、憧れるし、チベット服も着るし、チベットに同化せんばかりの勢い。

ほらね。

人種主義者じゃないでしょ。

白人優越主義でもないでしょ。

近代文明賛美者でもないでしょ。

植民地主義や帝国主義じゃないでしょ。

平和主義でしょ。

そんな人たちが、このフェスティヴァル会場の一歩外に出ると黒人に差別意識を抱いていても、全然不思議じゃない。

前述したように、一昔前は、

「インテリ左翼だが、宗教と縁を切るには繊細過ぎ、弱過ぎて、また、フランス人の個人主義的競争社会に居心地の悪さを感じていた人たち」

の魅力的な受け皿となっていた「チベット文化シンパ・サークル」に、今は、

「テクノロジーの進化を苦々しく思う保守派や、自然に還れ、的なエコロジー原理主義たち」

が加わったのだ。

黒人もいない。

アラブ人もいない。

中国人もいない。

(ユダヤ人はいる。フランスの伝統社会にもユダヤの伝統社会にも違和感を持っているインテリ左翼ユダヤ人は、こういう場所でほんとうに「フランス的自由平等友愛」の連帯を感じるのかもしれない)

ヒマラヤのヤクの背に乗ってはしゃぐ金髪の子供たち。

みんな和気あいあい。

自由、平等、友愛、平和。

チベットがシャングリラとか桃源郷っていうのは、ほんとだなあ。

30年以上も、フランスのチベット・シンパ・コミュニティの皆さんをウォッチングして来て、思う。

この中では、私は差別されてない。

フランスの他の場所では、中国人もベトナム人も日本人も区別せずに漠然とした差別意識を持っている人は少なくないと思う。

しかし、さりげない「エリート意識」が漂うチベット・シンパのフランス人は、もちろん、ベトナム人と日本人を混同したりしない。しかも私は「日本人コミュニティ」として参加しているわけではない。

どっちかというと「インテリ左翼」の仲間、と思われてきた。

しかし、東洋人だから、仏教のことなどフランス人より詳しそうだし、チベット人とも近そうだ。
ちょっと、牽制。
ちょっと、嫉妬。

そういうスタンスが多かったかも。

私が最初に知り合ったパリのチベット人コミュニティは、次世代、次々世代に移ろうとしている。

感慨深い。

それに対して、最初に知り合った「インテリ左翼」フランス人のチベット・シンパの人々は、

私と共に老いてきた。

子供がいない人、独身の人が圧倒的に多いからだ。

一方、新しいチベット・シンパのフランス人は、保守派や自然志向、エコロジー志向の人が多い。結婚して、赤ちゃんを産んで、わざわざ布オムツを使っているような人たち。

そんな人たちが、大挙してくるから、子供たちが駆け回っている。

新しいところでは、引退した68年世代が、健康問題をかかえたりして、何か心のよりどころを求め、今さら教会などに戻る気はないので、エコロジーで環境に優しそうで健康にもよさそうなチベット仏教はどうかなあ、という感じでけっこう来ている。

自由、平等、友愛。

平和。

和気あいあい。

こちらでは子供たちがはじけるように笑い、
あちらでは初老の女性がチベット健康茶を真剣な面持ちで購入している。

仮設舞台では歌手が、空気をつんざくような高い声で「ルー」という伝統歌謡を絶唱している。

連帯なのか。

これって、連帯なのか。

でも、

とても、

とても、

フランス的だ。
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# by mariastella | 2010-09-13 06:07 | フランス

『神々と男たち』Des hommes et des dieux

Des hommes et des dieux
Xavier Beauvois

Lambert Wilson, Michael Lonsdale, Philippe Laudenbach
 
今年のカンヌ映画祭で放映された後で8分間も拍手が鳴りやまなかったという「感動」作で、批評家賞も獲得したこの映画。モデルになった事件は1996年にアルジェリアで7人のフランス人トラピスト修道士がテロリストに誘拐されて惨殺されたというもので、つい最近もそれが実はアルジェリア正規軍による誤殺だったのではないかという疑いが話題にもなり、フランスでは強烈な事件だった。
修道院長であったクリスチャン・ド・シェルジェがテロリストに殺されることを予測して残した手紙が発表されて、それが単純な悲劇や英雄行為でないことが明らかになった。彼は、悪や弱さに対する洞察の中から、自分の命を奪う者と自分のどちらもが、イエスの両脇で処刑された2人の罪人と見なし、共に神に救われる希望を捨てなかったのだ。

 で、この映画だが、三つの観点から興味深かった。

 一つはまさに修道士たちのその生き方という「内容」であり、映画という形で見せられて気づくことも多く、非常に啓発的だった。特に「自由」とは何かについて。それは別のところに書くことにする。

二つ目は、この映画に対するフランス人の反応のおもしろさである。フランスと言えば、『無神論』でも紹介したように、カトリック・アレルギーや戦闘的ライシテ守護者の勢力を多く出してきた国だ。反教権主義がこの国の近代の牽引となったといってもいい。

しかし今となっては、この映画の監督もそうだが、もはや戦闘的だったライシテの時代も知らず、伝統や教育によって叩きこまれた宗教のくびきや罪悪感から逃れるために必死に苦労した一昔前の知識人の葛藤もない世代がたくさんいる。機械的にアンチカトリックを名乗っていても、何がどうアンチだったのかも分かっていない。
「チベット仏教がおもしろそうじゃないんじゃない?」というのと同じノリで、「カトリックの修道生活ってエコロジーで今風じゃない?」と思ったりする人ももはや少なくないのだ。

そういう人たちは、カトリックシンパだと見なされて蒙昧なやつだと思われるんじゃないかと、もはやびくびくしていないから、この映画の霊性を素直にほめたりする。

まあ、単純に言って、地元の人への奉仕活動に専念していた善意の丸腰の年輩の男たちを武器を持った暴力集団が拉致して惨殺ということで、「善悪」の対照は明らかだから、犠牲者側を批判するようなことは誰も言えない。

「カトリックを扱っているからもっとbondieuserie(神さま仏さま)かと思って警戒していたら、押しつけがましくなくて好感が持てた」と言ったりする。

でも、長年の反カトリックの反応パターンから抜けきれない人もいる。

だから、批評や感想にバイアスがかかりまくりだ。

それを観察するのがおもしろい。

たとえば、「長すぎる」とか「隣で観ていた私の妻は涙を流していた」「基本的に女性向けじゃないか」という批評家もいた。

これは、「宗教とは女子供用のものである」という、これもフランス史の中にずっとあった欺瞞の表現なのだ。

反応のバイアスは、それだけではない。フランス内部の宗教的なものとは別のもう一つの歴史によるバイアスだ。映画の中でもアルジェリアの当局が、自分たちの国がこういう状況にあるのは、過去におけるフランスによる組織的奪略の結果による遅れである、という嫌味を言うシーンがある。

アルジェリアがフランス領であった頃から活動してきたトラピストたちの存在そのものが、政治的に不公正というのである。これに加えて、映画はこの修道士惨殺事件の真相を探ろうとしていないという批判もある。

これには、昨今のフランスにおける旧植民地出身の移民の二世三世世代をめぐる経済格差や差別、イスラムを視野に入れた新たなライシテ問題などが背景にある。

けっこう「タブー」な場所に首を突っ込んだ映画なのだ。

それを「感動もの」に仕立てるには、「女性向き」な「感動巨編」で、そのために大の男たちが次々と涙を流す。

まさにそこが、三つ目の、映画としての観点における問題だ。

映画の文法としては非の打ちどころがない。

美しい景色、地元の人々との生き生きした自然な交流のシーン、『12人の怒れる男』顔負けの『8人の悩める男』たちの迫力あるクローズアップ、そして暴力が登場するシーンの臨場感、繰り返し挿入される典礼の静的な美しさ(日に五時間もかかるこの典礼をこなす暇がないから、リュックという医者は、その義務のない平修道士の地位に留まることを選んでいる)。

そして、この映画のためにほんとうにトラピストの修道院に滞在して歌も覚えたという俳優たちの本気の一体感。

そこがなあ。

ロマン派過ぎる。

役を構築して表現しているというより、「なりきっている」。

ロマン派的名演だ。

バロック的でない。

バロック奏者の私が違和感を持つのは自然すぎる。

あまつさえ、最後の晩餐にあたるシーンでは、彼らの一体感、信頼感、高揚と、最後まで残る不安や懐疑などが、『白鳥の湖』の音楽にぴったりとのって、ドラマティックに展開するのだ。

ここが、まさに、「妻が泣いた」という「泣かせどころ」なのである。

典礼の音楽は典礼が本来持つ「演出」という枠の中であるから、どんなに情念が漂っても、マキシマムに出さない抑制があり、それが、深いところにある情緒の根に触れる。最初にテロリストに踏みこまれて追い返すことができた後のクリスマス・イヴの典礼の喜びや優しさは胸をうつ。

しかし、最後は、「白鳥の湖」だよ。

女子供、19世紀センチメンタリズムと言われてもしょうがない。

こういう着地のされ方をすると、困る。
驚きのない予定調和の世界だ。

「やり過ぎ」のさじ加減が、フレンチ・エレガンス好きの私には合わない。

この映画が、映画としての観点から私にとってもっとも意味があったのは、そのタイトルかもしれない。

『Des hommes et des dieux』(神々と男たち)

直訳すると人間と神、どちらも複数である。

「人々と神々」

一神教なのに複数なんて変じゃないかと思われるかもしれない。

修道士たちがみんな神さまと言っているが実はみんなそれぞれ思いこみのマイ神さまなんだ、という意地悪な意味ではない。

イスラムのテロリストも神の名のもとに「聖戦」を唱えて殺しているし、殺される修道士たちも神に命を捧げているが、人の数だけ、あるいは人の信念の数だけ神はいるんだなあ、という皮肉でもない。

題名の由来は映画の最初にすぐに出てくる。旧約聖書『詩編』82にある

あなたたちは神々なのか
皆、いと高き方の子らなのか

という箇所だ。

ここがまた、厄介な箇所なのだ。

文脈から言うと、神の名において神聖な裁きをするはずの者たちが、不正に裁いていることの批判である。

ヨハネ福音書(10-33~36)で、イエスのことを、「人間なのに自分を神と言って神を冒涜している」と言って、打ち殺そうとする人たちがいた。

イエスはそれに反論して、

「わたしは言う。あなたたちの律法に、あなたたちは神々であると書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている」

と答える。

私たちには所詮「神」のことなど分からない。
人間のことですら分からない。

神と人間が一つになれるのかなどが分かるはずがない。

ナザレのイエスが神であるのかどうかが、キリスト教の初期に論議の対象であったように、このことは、なかなか不都合な議論である。

しかし、「正統派」がイエスを「人間であり同時に神である」と言ったので、それ以後は、「人が神になることをうながすために神が人になったのだ」という考えは不都合ながら続いてきた。

 ニッセのグレゴリウスは「人は力において小型の神である」と言ったし、セザレのバジリウスは「人とは神になるようにと呼ばれた動物である」と言った。 
イエスが「人間の神化」の起源でありモデルであるという考えは東方教会に常にあった。

プラグマティックには、イエスが言ったように、人の「神化」は、「善い業」によって信じなければならない。
カルヴァンが「人は神の協働者」だと言い、シュヴァイツァーが「人を救う欲求そのものが神である」と言い、ソロヴィエフは「人は神の自由な協力者であり、それによって『神-人』は『神-人間性』となる」と言った。

だとしたら、この映画の題名は、「人は神においてみな兄弟、一つであって平和を実現しなければいけない」というメッセージをこめているのだろう。
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# by mariastella | 2010-09-10 23:21 | 映画

ジャンヌ・ダルクは「痛い」のか

私は現在、白水社の『ふらんす』という月刊誌に『ジャンヌ・ダルク異聞』という連載記事を書いている。

来年にはまとまった本にする予定だが、先日、日本画家の松井冬子さんが子供の頃、ジャンヌ・ダルクの本を読んで感動して甲冑を身につけた女性の絵を書いた、柔道も習いたかったが父親に反対されたというような記事を読んだ。

松井さんといえば、少女の死体から内臓が見えていたり、幽霊画だったり、確か、「痛みが美に変る時」というTV番組のことについても読んだことがある。

松井さんのような美女で、作品はグロテスクで猟奇的な細密画のようなテーマというので、一昔の私だったら絶対に萌えそうなキャラだけれど、本気なのか販売戦略なのかやたらジェンダー・バイアスがかかっているところが、今の私には違和感がある。

女の痛みをくっきり描いて、女性たちはよく描いてくれたと同調して癒されるといい、男は逃げ腰になるような反応の違いは望むところだ、というような話もあった。
 
実際に松井さんはDVの犠牲者という話で、その話も典型的過ぎる。美貌や化粧や服装や学歴が作品と共に彼女にとって甲冑の役割になっているらしい。

で、芸大の博士論文が「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」だって。

ほんとなのか?

暴力と縁のない世界に生きてきた人間にとっては「痛みが美に変る」とも思えない。

 痛みは感情を形成し、それが理性の判断に影響を及ぼすというソマティック・マーカーの理論のは分るのだけれど、外的で視覚的な痛みは、自分の体の内外をモニタリングした痛みの情報と違って、別の回路を巡るとは思うが、それが「美」に向かうには、暴力にまつわる恐怖や屈辱の記憶みたいな「不当感」というファクターが関わるのだろうか。

 ティム・バートンの、『アリス・イン・ワンダーランド』では、ジャンヌ・ダルクの死の歳と同じ19歳のミア・ワシコウスカが甲冑を着て剣を手にして怪物を倒す。長く波打つ金髪。

 「痛い」のか?

 女の子が同調して憧れるより倒錯的なロリコン心を刺激しないか?

 「痛い」ジャンヌといえばベッソンの映画でのミラ・ジョボヴィッチのジャンヌも相当倒錯的だった。

 「痛み」はトラウマということらしい。

 暴力によるトラウマ、性的トラウマ、ジェンダーによるトラウマ、子供が大人になるトラウマ・・・

 constructionnisme social 理論も、ネガティヴばかりでは大いに疑問がある。

 ジャンヌ・ダルクは彼女の歴史の文脈では、異形ではあったけれど、多分、痛い存在ではなかった。火刑台の上でさえも、きっと、痛みの感情よりも畏怖を誘ったのだろう。

 若くも美しくもなく、女性ですらなく、暴力や痛みにさらされる人たちはたくさんいる。

 その人たちの痛みは決して美には変らない。

 痛みと美をジェンダー処理すると、そこからはじき出されてますます苦しむ人が出てくる。

 人は生まれた時の所与の条件から自由になって生き方を自分で構築できるという考えかたには実は、罠がある。その時の社会でより優位にある者のモデルを理想としがちになることだ。

 だから、女に生まれたものが男のように振る舞ったり、弱いものがことさら自分を鍛えたり、黒人や東洋人は白人の真似をしたりするのだ。優劣の解消という方にはなかなか向わない。

 難しい問題だ。

 だからこそ、勇ましく勝利したのに結局生きたまま火刑にされたり、人を救いに来たのに十字架にかけられて殺されたりしたジャンヌ・ダルクやイエス・キリストのような逆説的な人たちが必要なのかもしれない。
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# by mariastella | 2010-09-09 03:16 | フェミニズム

トリオ・ニテティス

 長いヴァカンスの季節が終わってようやく新学期モードになりました。

 秋の日本でのコンサートに向けて、私のバロック・アンサンブルについてのブログをスタートさせました。音楽の無神論についての新刊はコンサート後になるので、そちらのブログで音楽について書いていきます。

 http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/

 このブログに今まで書いてきた音楽や踊りのカテゴリーと合わせてお読みください。

 新公式サイト
http://setukotakeshita.com/

からは両方にリンクできます。
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# by mariastella | 2010-09-02 00:59 | お知らせ

トリック・アート

 損保ジャパン東郷青児美術館の『トリック・アート』展。

 いつか本物を見たいと思っていた上田薫さんの食べ物シリーズを3作見た。
 写真をスライドにしてキャンヴァスに映して描いていくという手法の独特の触感は、それをまた写真で見ると、情念が失われる。実際に見てみると、その精緻さや触感より、寸法の大きさに驚く。実際の写真でこれほどの解像度を得られるということはないだろう。

 情念が失われる、と書いたが、この画家は感情的な要素や情念を排除して、いわばフェティッシュなものに徹底して不思議なパワーを狙っているのだろうが、画家が作品の上で排除したはずの情念は、作品の向こうにはっきり透けて見えるので、見ているものにその動きが伝わる仕組みになっている。複製だけではその「向こう側」は見えない。でも、一度本物を見た後で、その「向こう側」の印象を自分にインプットしておけば、複製を見ても表象記憶として湧き上がってくる。

 桑山タダスキーさんの「円」のように、これも、「純粋に機械的な絵画、完全に人間の情感を拭い去った画面を書きたい」という意図らしいが、やはり、逆説的に、そういう「意図」が拭い去ろうとした「情念」が、作品を前にすると、脈打って伝わってくる。

 最初に図版だけを見ると、意図は達成されている。

 制作は、ろくろに似た回転台の上でカンヴァスを回し、その上から絵筆を静止させ息を凝らすという機械的な方法で同心円の連なりを描いたということだが、作品という「境界面」を実際に前にすると、「息を凝らした」念が全部にじみ出てるのだ。こっちの「見る」視線によって顕在化してくるのかもしれない。

 「息を凝ら」さなくても描けるCGなんかでは、情感は多分、排除できるんだろう。少なくともランダム画像なら・・・

 同じ機械的な緻密な幾何学図形の連続技でも、桑原盛行さんの『群の光景』などでは、作者が自分でも驚いたというくらい有機的な感じがする。逆にこれは、複製写真でも有機的な感じがする。錯視画像と同じで、見ている側の有機性があらわに出て来るのかも知れない。

 しかし、これらの作家における、この「情感を排したい」という誘惑や志向はどこからくるのだろう。作品をニュートラルに、透明にしたい、それによって、作品のこちら側(制作)と向こう側(鑑賞)の間の垣根を取っ払って純粋な出会いだけを出現させたいのだろうか。

 福田美樹さんが、名画の中の一人物の視点から名画を描きなおすというシリーズもおもしろかった。単に二次元世界を三次元世界にしてその中に侵入するという楽しさだけではない。
 たとえば、ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』の聖アンナは、実は13頭身くらいでとてもデフォルメされているのだけれど、二次元ではバランスよく見えているというのだ。ミケランジェロの天井画なんかでも、上を見上げた角度とか天井の丸みによってデフォルメされる分を計算して、見た目にバランスよく描かれているが、実測すると非現実的だというのと同様だ。そういう、原画の二次元でのみ保たれているバランスを、三次元に入ることでどう処理するかというおもしろさがある。これをコンピュータが二次元画像をそれこそ機械的に取り込んで三次元に変換、処理して、幼児キリストからアンナを見上げさせるならば、かなり恐ろしいことになるのだろう。

 二次元の名画を三次元のオブジェ化して個人テイストで処理する森村康昌さんの世界はなじみだったが、やはり楽しかった。
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# by mariastella | 2010-08-14 15:15 | アート

Comment vas tu?

 A.R.Damasio の本(日本語訳)を読んでいて、単純な「ご機嫌いかが?」の「How are you? 」と違って、「How do you feel?」という特殊な問いは、進行中の身体状態に対する感覚を問う「気分はどう?」を意味するものだという話が出て来た。
 人は継続的にモニタリングしている全身状況に基づいた基本感情(気分)があるという文脈の中だ。

 フランス語訳ではどうなっているのだろう。気になる。

 フランス語では、「How are you?」は 「Comment vas tu?」に当たる。

 「vas 」は「aller=行く」という動詞だ。
答えは「je vais bien.」となって、英語に直訳すると「I go well.」である。
 
 こうなると、あいさつにbe動詞を使う英語が瞬間に切り取られた静的な状態を問う感じなのに比べて、フランス語の方が「走行状態」というか、動的だ。

 「How are you?」の直訳は「Comment es tu?」で、かなり不自然だが、むしろ英語の「How do you feel?」のほうに近い。もちろんフランス語でも「Comment te sens tu?」の方が自然だが、再帰動詞だしもっと主観的な感じになるかもしれない(再帰動詞でない方のsentirなら、「Que sens tu?=何がにおう?」のようなイメージ)。

 「Comment es tu?」の方が身体的、即物的な感じだ。
 たとえば、新作マッサージチェアに座りながら試している人に向かって、「どんな感じ?」と聞いてるような場合で、「Je suis bien(=I'm well.)」と答えると、「あ、いい感じだよ」というニュアンスになる。

 英語とフランス語のこの差は結構奥が深い。

 日本語では「お元気ですか?」「おかげさまで」みたいなのが挨拶の基本で、「御加減(ご気分)はいかがですか」「はい、なんとか」などは身体的だが、この「元気」というのも「文化」と切り離せない。
 「元気とは元(もと)の気で、もともとの気が少ない人もいる、と言った友人もいた。いや、気はそこいらに充満してるので、もともと「気のレセプター」が少ない人がいるのかもしれない。元気な人は、だから、「おかげさまで」と言ってしまうのかも。エネルギーがないタイプの私にはなかなか微妙な言葉だ。

 「いい走行状態だよ」という動的なフランス語表現のニュアンスは、「とりあえずやってます」という感じで、私にはぴったりかもしれない。英語圏に暮らしてたら fine でもないのに毎日「I'm fine.」って言わなきゃいけないんだなあ。長い間には性格や国民性に微妙に影響してくるかもしれない。


 
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# by mariastella | 2010-08-14 12:36 | フランス語

美術展覚書

 明日帰仏するので、日本滞在中のことを忘れないように少しメモっておくことにする。

 うちから比較的アクセスのいい美術館ふたつ。

 根津美術館。

 新創されてからはじめて行く。暑さにかかわらず、庭園も散歩した。それまで街中ばかりにいたので気づかなかった蝉の声が耳を刺す。新しいNEZUCAFEやミュージアムショップも楽しみ。

 八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品『いのりのかたち』展。

 もっとも興味深かったのは、釈迦多宝ニ仏坐像。銅造鍍金。北魏時代、5世紀のものらしく、法華経見宝塔品にある釈迦と多宝という二つの如来が並んで座っている。

 如来像といえば両脇に脇侍菩薩を従えて中央に君臨しているというイメージだったので、膝を触れんばかりに仲良く座っているのが新鮮。

 多宝如来が、露出が少なくシンメトリックに下で手を組んでいるのに、、向かって右に座る釈迦の方は、左肩を衣で覆い、意味ありげに微笑みながら裸の右腕をⅤ字に曲げて、手のひらをこちらに向け、隣の如来の左肩に触っている。左手には何か持っている。そのしぐさは、「これが兄弟分の多宝如来です、よろしく」と紹介しているようでもあり、多宝如来も、「うんうん、そうなんですよね、よろしく」という表情で、意味ありげ。
 小さいのに物語が詰まっているようなレリーフで、とても気になった。

 山種美術館。

 こちらも最近広尾に引越しした贅沢空間で、オリジナルグッズも充実。

 『江戸絵画への視線』展。

 私は幕末から明治期に日本画が洋画化していく過程に10年以上前から興味を持ち続けてきた。
 パリ時代の山本鼎の調査を頼まれたり、京都円山派の流れの岡本月村の貴重な資料を、お孫さんからいただいたりしたご縁からだ。月村の娘さんは、上村松園の内弟子の岡本松香で、そのエピソードも非常におもしろかった。

 この『江戸絵画への視点』では、江戸時代からすでにさまざまなかたちで洋画の影響が見られていたことがよく分るのでおもしろい。

 展示の最後には、まさに、洋画の影響を受けて確立した明治以降の「日本画」コレクションの一部がある。私は個人的にも一時期日本画を習って、多少描いたこともあるので、好きな画家もたくさんいる。長生きしてくださったおかげで一応「同時代人」として新作に感動して来たヒーローは前田青邨さん安田靫彦さんだが、前田さんの86歳のときの小品『鶺鴒』があって、「たらしこみ」の手法の青い海を背景に一羽飛ぶ白い鶺鴒に見とれた。

 近頃、アート作品と接するとき、作品を通してアーチストの全歴史と環境、私自身の全歴史と環境(見ている瞬間の体性感覚を含む)をオンライン接続して鑑賞するというのを、意識してやっている。この方法は、複製では不可能だ。「生(なま)」だけが可能にしてくれる。その後は、その時にインプットされた印象を私の「全歴史」の部分に組み込んで、後で取り出せる表象記憶にしておくのだ。一度そうやれば、後は複製を前にしてもスイッチが入って、関係性を少しずつ変えることができる。

 今までは現物を見ることと、そのはかなさというか、それが結局「ただの記憶」になることとの落差をどう処理していいか意識しては分っていなかったのだが、この方法を訓練するとすごく楽しい。
 それには作品や作家についての情報が多いほど楽しくなる。その情報の眼鏡で見るのでもなく、自分の貧しい直感にたよって見るのでもなく。オンラインのダイナミックな地図を自分の中にだんだんと形成できるように見るのだ。音楽も同じで、「生(なま)」体験なしにはこの地図はできない。

 
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# by mariastella | 2010-08-14 11:38 | アート

キエフ・バレー

 先日、キエフ・バレエのソリストを中心にして、ファルフ・ルジマトフと吉田都を呼びものに掲げた『バレエの真髄』というのを新宿で観た。

 日本でクラシック・バレエを観るのは久しぶりかもしれない。

 軽いカルチャー・ショックを感じた。

 ひとつには、今アートの無神論について考えていて、踊りの特殊性を考えているからだ。
 つまり、アーティストとアート作品との間にあるアートというものについての論考なのだが、いろいろなアートの中で、踊り(演劇を含む)だけは、アーティストの肉体とアート作品を切り離すことができない。

 絵画だって造形だって、音楽でさえ、アーティストの顔や形と独立して鑑賞しうる。

 しかし、踊りだけは・・・

 肉体の外的条件と切り離せない。

 実際、老舗バレエ学校は子供の入学に、家族の体型まで確認するのが普通だ。
 群舞においては、身長はもちろん、首の長さ、つき方、腰の位置、頭の大きさ、すべての相似が考慮される。

 だからよく言われることだが、肉体的条件の違う日本人ダンサーなどは、ソリストとしてしか存在できない。
 このグローバル化の時代に、身体能力も高いはずの黒人の姿は、クラシックのレパートリーにまずほとんどない。

 それを差別と呼ぶ人はない。

 で、この日のファルフ・ルジマトフは、日本で非常に人気で毎年来日し、追っかけもいることが分った。実際、彼が何をしても熱狂し、終わりのステージに花束を持って駆け寄る女性たちがたくさんいた。
 私の若い頃にはあり得なかった光景だ。フランスにもない。

 最初のバレエ名場面集にも違和感があった。どのヴァリエーションも、女性ならフュッテ・アントゥルナンとか連続回転をいかにぶれずに回れるか、男性ならグランジュテの回転をいかに高く跳ぶかというようなものばかりで、まるでサーカスを見てるようだった。フィギュアスケートの解説で、

「あ、これは高いですねえ、着地もぶれてませんね」とか、

「あ、回転が少し足りませんでしたね」

とかの声が聞こえてきそうな雰囲気で、TVの前の人が一億総評論家になってるような感じというか、微妙な上から目線。

ローザンヌ・バレーコンクールのTV解説の声も聞こえてきそうだ。

『ああ、いいですよ、表現力はありますね。やわらかいです」とか。

 多くの女性のお目当てのルジマトフはこの第一部では「阿修羅」という興福寺の阿修羅像を模した新作をやるのだが、これはロシアでは受けるかもしれないけれど、アクロバティックな刺激はないなと思っていたら、この人に関しては、何をやっても、顔と姿を見られるだけで、観客は夢中なのだ。この踊りは謡曲のような掛け声が入っていて私にはおもしろかった。

 もうひとつ、日本人ダンサーがいて「侍」というのをやり、これも、日本では今ひとつという題材だ。まあ私はこの岩田守弘さんは、すごくうまいと感心した。逆に、この人が、ロシア人ダンサーと古典のパ・ド・ドゥなどを王子様服でやると、すごくうまいのに、人種の差による微妙な体型の差みたいなのがなんだか国際結婚を見てるみたいで、体の情報とアートが切り離せないという問題にぶつかる。

 その点、女性の方が東洋人であると、もともと女性の方が小柄というバレーの普遍的バランスがあるので、違和感が少ない。
 
 しかし、吉田都さんは、他のソリストのように、名人芸を見せない。
 オーラはあるんだけど。
 しかも、多くのカップルが同時にリフトをやる時に、彼女の腿にだけ、ダンサーの手が添えられた。

 あれは、もう、彼女が故障していたとしか思えない。
 その日が公演の最終日でよかった。
 他人事ながら、ほっとする。

 ちなみに、ルジマトフは白系ロシア人ではなく、中央アジアのタジキスタン出身であり、かなりあくが強くエキゾティックだ。
 イギリス人のロバート・チューズリーなんかのほうが、やはり、クラシック・バレーの雰囲気には合っている。

 そんなエキゾティックなルジマトフの肉体条件が本領を発揮するのは後半の「シェヘラザード」で、アラビアの宮殿の奴隷役というのが、ぴったりで、エレーナ・フィリピエワとの絡みはすばらしい。色彩も美しく、群舞も美しく、ドラマティックで、ルジマトフの個性と、円熟しながらも初々しい感じのフィリピエワの組み合わせが抜群の効果をあげている。これは踊りよりも演技力の卓抜さともいえるかもしれない。ここではもう、フィギュアスケートの解説やコメントは脳裏をかすめす、豊かで贅沢な時を過ごせた。
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# by mariastella | 2010-07-26 21:23 | 踊り

日本映画二つ

 
 忘れないうちにメモっておこう。

 日本映画二つ。

 機内で見たのが

 『ダーリンは外国人』 小栗左多里原作、宇恵和昭監督、井上真央、ジョナサン・シェア

 東京で見たのが、

 『告白』 湊かなえ原作、中島哲也監督、松たか子、岡田将生、木村佳乃

 前者は、原作のコミックは時々見たことがあり、髭面のダーリンって、なんとなくインド人かと思っていた。普通のアメリカ人だと知って意外だった。じゃ、草食系というか、ちょっとニューエイジ入った人?
映画を見て、出会いのこととかいろいろ分り、このジョナサン・シェアというのが、すごく誠実で好感を持てる人なので、すべてに説得力がある。ラストにアメリカの家族の前でひざまずいてプロポースするシーンを見て、アメリカにおける「ひざまずきプロポース」のオブセッションって、ほんとうにいきわたってるんだ、と感心した。あれは、どこの移民がどう行き渡らせた風俗なんだろう。
それが21世紀もしっかり残る理由は? 
それとも、新しいのか?
でも、日本側の親の偏見とか、そういう非典型的カップルでも女性がしっかり家事をするという構図でスタートして破綻しかけるという展開など、いろいろ引っかかる点はある。日本語ぺらぺらで「日本文化だーい好き」という感じの「白人」たちを胡散臭く思ってしまう私自信の偏見は抜きがたい。まあ、この映画の中にはそういう「いかにも」的なアメリカ人も出てきて、それがまたダーリンの誠実さを際立たせるんだけど。

 後者の『告白』は、15歳未満禁止とかこわそうな映画だと思ったのだが、結論としてそんなに怖くなかった。多分、小説で読んだ方が効果的だったと思う。

 しかし、ここに出てくるシチュエーションは、まったくのフィクションで、あり得ない設定なのだろうか。

 それとも、こういうこと、つまり、教師が自分の子を学校に連れてきて保健室においておくとか、罰として生徒にプール掃除させるとか、中学一年生が全員携帯電話をクラスに持ち込んで、いっせいにメールしあっているとか、いじめもそうしてオーガナイズしているとか、先生の話を聞かずに勝手に教室から出て行くとか、とかの事項は、部分的には、日本の現実の中学の実態を多少とも反映しているのだろうか。私には分らない。

 フランスでもいろいろな問題があるけれど、こういう感じのはあり得ない。
 落第もあるからクラスの生徒たちの年齢がまちまちだったり、経済状態に差があったりして、このような形での団結(?)はないし、子供のいる教師の保育の問題もないし、学校の掃除はすべて専門の人が毎日ケアしている。携帯も、普通に、持込禁止。

 もちろんこれはフィクションだから、と思ってみても、もうそれだけで胸が悪くなる。
先日ちょうど、TVで、永山則夫のドキュメンタリーをやっていて、彼が母親に捨てられたトラウマから連続射殺魔になったことや、その後の勉強から、どんな人も教育によって新しい可能性を与えられるということがよく分った。

 しかし、永山時代から何十年経っても、この映画でも、父と別れた「母に捨てられた」トラウマが、人を絶望させ、人生を崩壊させるという設定になっているのは苦しい。これも、フランスでは、たとえ離婚しようと別居しようと、未成年の親は、子供が成人するまでその住所を明らかにして、共同親権者として子供に責任を持たねばならないことが法律で決められている。
 一週間の半分を母と、残りを父と暮らす子供もいる。だから、一方が遠方に引っ越すなど子供の生活に支障をきたすような移動は裁判所の許可がいる。逆に未成年の子供がフランスにいれば、その子供が成人するまでは外国人でも滞在許可証を与えられる。

 両親のどちらかがかなりの異常性格だったり、嫉妬深かったり、いろんなケースがあるので、この「フランス型」が必ずしも子供にとってベストの選択とは言えないのだが、少なくとも、母親に捨てられた、居所も分らない、というようなタイプのトラウマにはなりにくい。

 エイズの扱われ方も、なんだかなあと思う。

 これらが、すごく今風なのか、どろどろした日本の偏見みたいなものが特殊化してるのか、よく分らない。

 どちらの映画にも、ちょっとカルチャーショックを受けた。
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# by mariastella | 2010-07-26 20:13 | 映画

にゃんとも猫だらけ

 先日、秋のコンサートの会場の下見をするため京都に行った時、梅雨のさなかですごい雨だった。

 そのほかに、立体曼荼羅を見てどうしても確かめてみたいことがあって東寺に寄ったのだけれども、雨に濡れるとなんだか気が萎えて、立体曼荼羅を前にしてもじっくり観察する意欲が出てこなかった。

 だからその後もあまり動き回らなかったのだが、幸い、京都駅ビルのデパートに隣接した美術館「えき」というところで、私にぴったりの展覧会をやっていた。京都の駅ビルって、ここから一歩も出なくても、ミュージカルに行ったり各種ミュージアムに行ったり、買い物も飲食も宿泊もできるし、大好きだ。

 それは「にゃんとも猫だらけ」展と言って、歌川国芳を中心に浮世絵の猫を集めたものだ。

 すばらしい。

 猫好きには眼福の極みだ。

 国芳の猫は有名で知っていたけれど、こんなにあるとは。猫だけでなく猫をデザインした着物や扇子や小道具もいっぱい描かれている。すごくマニアックだ。

 他に、猫というと、藤田嗣治とか、コクトーとか、ピカソの猫の絵や、ジャコメッティの猫のブロンズも好きだけど、浮世絵の猫、いずれもすごい。

 美人画と組み合わされると、必ず、懐に入る、着物の裾にまつわりつく、裾の中にもぐりこむ、などの姿態が出てきて、なるほど、和服と猫は相性がいいと気づかされる。

 思えば、たとえば今から150年前を比べて、フランスと日本の美人画というか女性の肖像画には、表現に大きな差がある。様式の差もあるし、和服やドレスのような文化の差もあるし、髪型も、体型も、理想とされる美の基準も大いに違っただろう。

 しかし、猫は・・・

 今ジャパニーズ・ボブテールと呼ばれる尻尾の短い猫たちが浮世絵には確かにたくさんいるけれど、そして、ペルシャ猫やシャムネコ、シャルトルー、ノルヴェジアン風のはいないけれど、しかし、どの1匹をとっても、今のどの世界でも一発で理解してもらえる普遍的な「ねこ」がそこにいる。完全にインタナショナルだ。

 そのあまりにも優れたデッサンや表現力、ネコとヒトとの関係や愛情をとらえた様子、まったく古びていないどころか斬新そのもの。

 ネコを配してはじめて、その関係性の中で、逆に浮世絵の本質が見えてくる。浮世絵の「美人」たちが本当はどういう風に生きていてそれをどういう風に描かれたのかということが、普遍のネコを軸にして分ってくる。いやあ、おもしろい。猫たちのしなやかさ、柔軟さ、いたずら、ネコを前にした時の人間が「支配関係」「主従関係」の誘惑を逃れて、ひたすら、人間的にユーモラスになっていくところ。

 支配関係がないところでは人は真にユーモアを解する。

 私が行ったのは会期のほぼ終わり頃だった。 

 雨の日の、幸運。
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# by mariastella | 2010-07-26 18:51 | アート

Ne jamais admirer la force

 フランスの空港で出発前に買って飛行機で読んだ本 、レジス・ドブレの『イスラエルの友へ』"A un ami israélien" Régis Debray( Flammarion)の中に、レジスタンス時代のフランスで若くして死んだ有名なシモーヌ・ヴェイユの言葉が引かれていた。

 平和な世界を実現するための最も大切な三つのこと。

 
 ne jamais admirer la force, (決して力を尊敬しないこと)

 ne pas haïr les ennemis  (敵を憎まないこと)

 et

 ne pas mépriser les malheureux. (不幸な人を軽視しないこと)

 正確に言えば、ヴェイユは、これを、ホメロスの『イーリアス』について書いている。、戦争や政治において「力」の効果は常に栄光に包まれていて悲惨さを隠すようになっていって、近代ヨーロッパでは悲劇はむしろ悲恋など「愛」の物語に応用されたことを書いている。

 そして、力を尊敬すること、敵を憎むこと、不幸な人を軽んじることの三つは、人間にとって宿命的なほどに大きい誘惑だと書いているのだ。

 中でも、決して力を尊敬しないこと、は、最初にあげられていて、さらに、「決して」と強調されている。

 人間が「力」を誇示し、崇めるところでは魂はいつも、ひずみを受けるというのだ。

 私たちは、強いものや大きいものにあこがれる。

 動物行動学的に言うと当たり前、そうプログラムされていると言われるかもしれない。
 弱肉強食で、強いものが選択されて生き残ってきた。
 メスはサヴァイヴァルのチャンスの大きい強い遺伝子を持っていそうな大きくて強そうなオスを配偶者として選択する。
 縄張り争いで勝ったものが子孫を残す。

 力はいつも、数値化されて比較対照され、差別化に使われる。

 力の大小や多寡は、人の価値や優劣やましてや尊厳には何の関係もないのに。
 実際、異種間では、そういう比較には使われない。
 ゴリラがヒトより強くても、チータがヒトより速く走っても、別に尊敬はされない。

 人間同士で力を優劣や勝敗の基準にする世界では、必ず、強いものが弱いものを支配する形で利用されるのだ。

 それでも、力崇拝の遺伝子の誘惑は大きい。

 日本に帰ったとき、サッカーのワールドカップと大相撲などで、スポーツ番組がたくさんあった。

 強い、天才的、というプレーや、それを可能にする才能、すさまじい根性や気合や努力の物語があふれている。

 分りやすい。

 見てると、すごいなと思い、尊敬し、自分も少しは努力しなきゃと思う。

 私は今肩と腕を痛めているので、TV画面で大写しになる力士の裸の腕や肩の筋肉の見事さになおさら感嘆する。力と力がぶつかりあう。全力を尽くして、勝敗が決まる。

 「死闘」という言葉がある。

 ヴェイユは、人が人に力を行使すると究極的には相手を死に追いやりモノ化するという。あらゆる支配とはモノ化だ。

 死闘を見て高揚する私たち。

 ローマの闘技場では、ライオンと人との格闘に狂喜した人たちがいた。

 パレスチナでは、後に神の子と崇められる人が、辱められながら、期待された何の力も行使せずに、十字架上で、苦しみながら悶絶した。 
 
 ne jamais admirer la force(決して力を尊敬しないこと)

 というのは、「その人」が身をもって伝えたメッセージだった。

 力を崇め、求める限り、老いや病気や障害や体質その他いろいろな理由で不幸にも力を持たない弱者を軽視することとつながるかもしれない。ヴェイユの三つ目の戒めは、一つ目を自戒しなければ本当には実現できない。

 「力の発揮を前にして感動する」という分りやすい体験を、何か危険なものへの「誘惑だ」として一度も自問しない人は、十字架をシンボルにする宗教に、全然似合わないと思う。

 
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# by mariastella | 2010-07-14 16:50 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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