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L'art de croire             竹下節子ブログ

ノートルダム・ド・ラ・サレット  その2

巡礼センターに戻って、一ヶ所しかない食堂に行く。巡礼団を迎え入れるために広い。修道会のシスターたちが給仕をしている。メニューは一種類だけ。
前菜がニンジンのおろし、メインが小鴨のもも肉と巡礼センターに戻って、一ヶ所しかない食堂に行く。巡礼団を迎え入れるために広い。修道会のシスターたちが給仕をしている。メニューは一種類だけ。
前菜がニンジンのおろし、メインが小鴨のもも肉とサヤマメ、チーズ、デザートがリンゴのタルトとある。
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全て修道会のメンバーの手料理なので、家庭の味という雰囲気があり、とてもおいしかった。
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記念品コーナーでカードやお土産のメダイなど買い込んだ。
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次に修道会の神父によるサレットの歴史についての映像と質疑応答がある部屋に移動。
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この神父さんに勝ったばかりのメダイなどをまとめて「祝福」してもらった。いろいろな意見の交換もできた。
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上の階の書籍コーナーでご出現の調査に関する本と、次の年に奇跡の治癒を得た小学校教師による8年に渡る聖地、教区の観察日記。読んでポンマンと比べるのが楽しみだ。
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( 続く)



# by mariastella | 2023-08-26 00:05 | 宗教

ノートルダム・ド・ラ・サレット その1

グルノーブルからタクシーでラ・サレットへ。
夜の蝋燭行列も見たいからサレットで一泊したかったのだけれど、いわゆるホテルがない。聖地全体をサレット修道会が管理していて、巡礼者用の大きな施設があって、そこに、大部屋ゾーンと小部屋のゾーンがある。
ルルドはもちろん、ポンマンやファティマとも違って、要するにアルプスの山の中なので、アクセスが限られている。巡礼者を対象にした巡礼土産物屋やホテルやレストランなどが周囲にできていくということがない。

たとえばルルドなら、ご出現に立ち会った少女は地元の少女だったから、今巡礼に行けばそのベルナデットが当時住んでいた村の中の家なども巡礼ルートに入っている。
でも、ラ・サレットのご出現を見た二人は、どちらも、サレットの村の出身ではない。ラ・ミュールの出身で14歳のメラニーは、夏の間いろいろなところで羊飼いや牛の放牧という季節労働に奉公していた。11歳のマクシマンはコールの出身でその日たまたまメラニーと組んで牛の放牧を請け負っていた。

そもそも、サレットの村と言っても、拠点となるラ・サレット・ファラヴォーという村は、聖母出現地とはるか離れている。タクシーでも延々と登っていくのだ。歩いて登れば数時間かかりそうだ。ポンマンのように親の家からすぐ、村の中心部でのご出現でなく、ルルドやファティマのように予告付きで何度もご出現が繰り返されて人々が集まるようになったというわけでもない。一度きり。
(順序でいうと、まず1830年のパリの奇跡のメダルのご出現、そしてこのサレット、続いてルルド、その後がポンマン、20世紀に入ってファティマだ。)
子供達も村人たちも洗礼は受けていても、日曜も働き、教会に通うわけでなければ神を敬ったり祈ったりする習慣もなかった。神やイエスと言う言葉は驚きや罵りの表現に使われていたくらいだ。

サレットのご出現はその場所もタイミングもその後の展開も、かなりユニークで、このことはポンマンと比較してじっくりまとめるつもりだ。ここでは写真の覚書。

盆地のグルノーブルを出てどんどん登っていく。聖地は海抜1700m程でそよ風も吹き、快適そのものの天気。(この日のグルノーブルはフランスの都市で一番の最高気温37°を記録したそうだが、アルプスは別世界だった。影に入ると肌寒いくらいだ)
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突然、山に登っていく道を横切る羊の群れに遭遇。ああ、アルプスなんだ、と嬉しくなる。
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他に車を見かけないので、閑散としているんじゃないかと少し心配になったが、聖地への道の標識が現れ、バジリカ聖堂が見えてくる。
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バジリカ聖堂の前に、まず巡礼者センターがある。ここに食堂も、滞在施設も、展示や説明、書店や記念グッズの店、講演や会合の場所、修道会の本部など全部そろっている。巡礼グループのバスも停まっていて、たくさんの人が来ているのだと分かった。
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サレットの聖母は座って泣いているところ、立って涙を流しながら子供たちにお告げするところ、そして昇天するところという3シーンがある。このセンターの入り口で迎えるのは、立っている聖母。
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バジリカ聖堂でのミサは終わったばかりだったが、数分間オルガン演奏を聴くことができた。
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天井のイエスはちょっと強面だが、お告げには、みなが回心(日曜日には働かないでミサに出ること、神の名を罵詈雑言に使わないことなど)しないとイエスの鉄槌(とは言わないが、怒りの徴)が下るので、私がなんとかとりなすのが最後のチャンスですよ(とも言わないが、まあそうとも解釈できる)とあるので、この顔を見て心を引き締めるのかなあ。
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下にあるのは、1846/9/19に聖母が腰かけて泣いていたという石の一部。
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お告げの聖母のチャペルにはびっしりと感謝の奉納版があった。
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十字架のイエスの右には手足を釘うった金づち、左にはその釘を抜いたペンチ。
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食事の予約をしてから聖堂の外に出て、山の中腹にあるチャペルに上る。その前に十字架の道があって、ご出現の場所に合わせた記念像がある。
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着いた。
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被昇天のチャペルと呼ばれるこの聖堂はバジリカ聖堂が建てられる前に最初に作られたものが移転されたもの。
ご出現が1846年、聖堂は1853年、バジリカ聖堂は1865年完成。
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(続く)













# by mariastella | 2023-08-25 00:05 | 宗教

グルノーブルへ 

ル・ピュイ・アン・ヴレイを後にして、グルノーブルへはタクシーを使う。電車だとリヨンでの乗り換えがあって時間がかかりそうだからだ。
グルノーブルに着いたらイゼール河だ。向こうに五つ並んだ丸いケーブルカーが見える。グルノーブルの名物だ。
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大都市なのでフランスの他の都市と大して変わらない街の風景なのだが、あちこちの通りの切れ目に山が見える。パリでは絶対あり得ない。
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そう、グルノーブルは盆地なのだ。高校の先輩で京大の数学科にいた人が、私と同時期に確かグルノーブルに留学していたと思う。私はなぜかグルノーブルに来たことがない。今回がはじめてだ。今回も目当てはグルノーブルではなく、アルプスの聖地ラ・サレットだ。
日本でも京都のような盆地や、海と山に挟まれた都市などは慣れているけれど、ここではあちこちに見える山が険しそうなので雰囲気が違う。

ホテルの近くには聖ヨセフ・バジリカ聖堂がある。7月初めの「暴動」で窓やドアが壊された跡の生々しい店も数件見かけた。聖堂は閉まっていた。
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ここのホテルのダイニングの一画も、壁一面が本だが、これは装飾でなくてペーパーバックの本がぎっしりと並べてあった。
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朝食ビュッフェは6h30から10h30までと長い。新しいホテルなので機能的だった。
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(続く)

# by mariastella | 2023-08-24 00:05 | フランス

クロザティエ博物館 ル・ピュイ紀行  その6

コレクションの充実で有名なクロザティエ博物館に行く。
でも、入ってまず目を引かれたのは美術品ではなく、この謎のオブジェ。
足を踏んで、鼻の下に手をかざしてアルコール消毒をどうぞとある。フランスはもう長いことマスクも消毒もスルーなので誰もいないけれど、コロナ禍の間には愛用されたのだろうな。楽しそうなのでもちろん消毒した。すごくユニーク。
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最初の部屋の真ん中に、ポール・リシェの「最初のアーティスト」の彫刻がある。1890年のサロンに出された石膏像でその後ブロンズ像になったらしい。
象の形を彫って満足している古代人?
満足そうな無邪気な表情がほほえましい。見たことのある何かを描いたり彫ったりして再現することは人間が人間であることの第一歩なんだなあ。
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展示室は広々している。
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エジプトの棺も。
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大理石の古代彫刻を修復したもの。牡羊に乗るディオニソス。
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ダイナミックだ。
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16世紀末のカップル像がなぜか気になった。ストーリー性すら感じさせる。
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宗教テーマのコーナー。
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15世紀の木彫で、華奢だから聖女像かと思ったら、トゥールーズの聖ルイ司教だそうだ。
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サン・ヴィダルの乙女と呼ばれる14世紀の聖母子像。衣装の襞もこまやかだが、何やら生意気そうな息子を抱きながら余裕の表情がすごい。視線の先が知りたくなる。
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14世紀のローマ教皇クレメンス六世の墓所の周りを飾っていたレリーフ群の一部。宗教戦争の時破壊されて残ったものらしい。40体ほどの群衆像なのに、重なり具合や表情、ディティールが見事で、ピエール・ボワイエのアトリエ作品と言われている。
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これは14世紀ごろの聖女像だが誰か分からない。冠をかぶっているので殉教聖女だと分かる。悟ったような表情が印象的。
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これは、カテドラルのチャペルで見つかった有名な「リベラルアーツ」のフレスコ画(15世紀)をもとにした19 世紀のコピーだ。リベラルアーツは七科で哲学の女神も入れて八人いたはずだから、これはその半分なのだろう。左から文法、論理学、修辞学、音楽の女神がゆったり座って、男たちに教えを授けている。

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リベラルアーツというのは「自由」を獲得するための「知」であり、ギリシャの女神たちのこういう知的優位(?)をカテドラル内部にまで掲げて、聖母マリアも崇敬しまくっていたわりには、カトリック教会内は神学的にも男性独裁だった。いや、男性独裁を維持するために、「聖母」や「聖女」や「女神」でバランスをとる必要が無意識にあったのかもしれない。
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男尊女卑全開の天地創造の絵もある。アダムが退屈しないようにお人形さんを創ったよね、という感じのイヴ。
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これは男の弟子に囲まれたイエスの最後の晩餐。17世紀のジャン・ソルヴァン作。
みな、誰が裏切り者なのかとがやがやしているのに、金の入った革袋を握りしめたユダだけが、こちらに視線を向けている。この絵を見ている人はみな、イエスを売った共犯なのだ、と言うかのようだ。
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他にもたくさんの作品があって堪能できる。
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「人生の四つの時代」という16世紀の作。四は四元素に四福音史家、四季に通ずる。ここでは左上から、誕生、青春、聖人、そして死となる。虚栄を捨てて神の方を向きなさい、という教え。
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15世紀半ば、バーテレミー・ダイクの『聖家族』。ピュイのクラリス会修道院のためにベルギーのリエージュ出身の画家が描いた。フランドル派絵画。
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家族の様子もフランドル地方。おもしろいのは、聖母はイエスを抱いているけれど、読書に夢中で、天使が支えてくれている本をずっと読んでいる。養父ヨセフの方は、イエスに果物を剝いてやっている。キリスト教のスタートには、知の女神たちのように、「知」を求める女性と、家庭の現実を支える男がいたわけだ。


トランプ原画のいろいろ。
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一番古い15世紀のトランプ。
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ミュージアムの真ん中に当たるホール。
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その窓からは、公園と、さらに向こうのカテドラルの鐘楼にノートルダム・ド・フランスが見えている。
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ミュージアムは広大で、自然科学史の展示や機械技術の発展など、パリの自然史博物館のように充実したコーナーがいろいろあった。
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公園からミュージアムを振り返る。暑い日だが湿気がないので影は涼しい。
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(続く)





# by mariastella | 2023-08-23 00:05 | フランス

ノートルダム・ド・フランス   ル・ピュイ紀行 その5

サン・ミッシェルの岩山を降りると、今度はノートルダム・ド・フランスのある中心地に向かって坂を上り続けることになる。ようやく入り口にたどり着く。ここからは階段の連続だ。
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中腹から眺める。
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カテドラルの鐘楼が見える。
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反対側にはさっき上ったばかりのサンミッシェル聖堂が見える。ここが三つのシンボルの真ん中に位置するからだ。
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上がってしまうとカテドラルははるか下に見える。
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聖母像の後ろ側に出る。クリミア戦争の後、ロシアの大砲700?だかを溶解して建設したというナショナリズムのシンボルだ。聖母はロシア正教でも崇敬されているから、武器を平和のシンボルに変えるというのはいい考えかもしれないけれど、戦勝記念というなら、もしロシアと戦争したらミサイルを撃ち込まれるかもしれないなあ、などと思ってしまった。
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聖母に向かって跪く司祭。

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中を登っていくのだけれど、狭い階段ですれ違うことができない。途中で所々踊り場があるので調整。家族連れも少なくない。小窓がところどころ開いている。
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内部の構造を見ながら、外側のどの辺なのかを考えるのもおもしろい。最上部には、聖母の冠を覆っている透明の窓から外を眺めるためのはしごもある。
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降りていく。
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カテドラル側に降りる。
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山羊チーズのサラダ。
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仔羊とレンズ豆
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近隣農家の特産品の店に寄る。
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このチーズを買う。かちかちだけれど中はソフトで脂肪分は多いそうだ。冷蔵庫には入れないように、と念を押される。
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(続く)


# by mariastella | 2023-08-22 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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