L'art de croire             竹下節子ブログ

Ludibrionisme(ソリプシストKのための覚書9)

 サイトの掲示板でKの 「Je suis LUDENS absolu」という文が引かれていたので少し。

 Ludibrionisme は、K のソリプシスムのシステムにおいては重要なものの一つである。
 
 私には何となくシュールリアリズム系のイメージがあったのだが、K にとってはこの世の不条理からの逃走、絶望のねじ伏せの香りがする。

 K の中ではいろいろなISMが循環していて階層化しにくい。

 私がK の文の難解さの前で尻込みする理由の一つは、頭の隅にエリカのフランス語能力への不信感が拭いきれていないからだと思う。今日ついにそのことを遠まわしにエリカに言ったら、K の原文の方が難解で、エリカの翻訳のおかげで理解できたことがたくさんあるとチェコ人から感謝されているのだと言われた。

 11月にはチェコに行き、パトチカの国際学会の報告書をチェックして英仏語とチェコ語の翻訳語の検討をするのだそうだ。メール文書を送ってもらえないのかと聞いたら、メールではチェコ語のアクセントがとんだりスペースがあいたりとても細かいチェックができないそうだ。

 パトチカでさえ、翻訳は、伝言ゲームみたいに大変なことになって内容が変わっているケースもあるそうだ。
 例えば、彼にとっては重要な1936年に書いた論文は、カナダに移住した英語使いのチェコ人が、フランス語に逐語訳して、それをもとにベルギー人がリライトしたものだそうだ。たとえば、現象学にはよくあるKinesthésie(この言葉は、バロック音楽奏法でも使われる。バロックバレーでも重要な身体運動意識概念だ)という言葉を知らなかった訳者が、わざわざ「これはSinesthésie (共感覚)のことでしょう」とパトチカに言って変えてしまったというのだ。パトチカは絶望のあまり「ああ、それはいいですね」とか言って礼を言ったらしい。パリで学んだパトチカはフランス語が分るのでそのフランス語訳のひどさにがっかりした。
 そのひどいフランス語訳を読んで引用したイタリア人学者が、学会発表のためそれを学生に英語に訳させて、報告書ではその英語からまたチェコ語に戻されたので、最初のものとは似ても似つかない代物になっていた。ひどい話だ、
 
 昔、ノストラダムスの『予言書』の訳が、世界の終わりだとか歴史上の事件を予言していると類の話がはやったが、あの時も、日本の訳は英語からの重訳がほとんどで、もともと分りにくい詩がなおさら変な風になっていたのを思い出す。たとえば、原文のフランス語で動詞の原型がぽつんと置かれているのを、英語でも対応する動詞になっているのだが、英語では原型と現在形が同じであれば、日本語ではそれがちゃんと活用しているように訳されていたりした。ある意味で分りやすくなっているが恣意的だ。

 言語の壁はやはり大問題だ。私は個人的には、思想の核というのは非言語領域にストックできるような気がするのだけど、それを元の言語と違う言語で取り出すときには、逆の操作をした時にまた元に戻るかどうかというのは確かに微妙だし。

 エリカが pdf で送ってくれたテキストの分は、例えば Ludibrionisme で検索すると当該箇所が次々出てくるからこれはありがたい。もう少しじっくり読む時間が取れればいいのだけれど万聖節の休みはトリオの録音にかかりきりだったし・・・ そのうちもう少しまとまったことを書きたいが今はメモだけ。
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# by mariastella | 2009-11-10 09:25 | 哲学

V・Iはユダヤ人?

 『ダウンタウン・シスター』の後半には、

 「ガブリエラがユダヤ人だということでジャイアック夫婦から受けた昔の侮辱の数々がよみがえってきた」という文章がある。それに続いて、

 「よくも自分たちをクリスチャンだなんていえたものね。あなたなんかより、うちの母の方が千倍もクリスチャンにふさわしかったわ」

 というヴィクの言葉がある。彼女のアイデンティティ意識はどうだったんだろう。

 母方の祖母がユダヤ人の学者の家庭の出身で「一族はユダヤとの混血だった」というからには、例の、「ユダヤ人とは母親がユダヤ人であること」という「公式」にあてはまると自分を多少はユダヤ人と見なしていたのか?

 しかし母のガブリエラは、カトリック右派である大叔母に引き取られて、「ふしだら」ということで追い出されたくらいだから、叔母のところでは教会に通っていたはずだ。だからこそ罪悪感も一生引きずっていたのだから。
 しかしジャイアック夫婦がガブリエラをユダヤ人と侮辱していたのは、単に差別や憎悪の現われなのか、娘のヴィクの洗礼を「省略」したための言いがかりなのか、ガブリエラが私はユダヤの混血ですから、とでも言ったのか? ヴィク派サウス・シカゴのカトリック系の白人地区で生まれ東欧系カトリック小教区で周りが熱心に教会に通うような環境で育った。母の「秘密」を知らず、アーティスト風のリベラルさと女性の自立を教えてくれた母に感謝し、自分がいわば無党派でただ社会の差別と不正に戦いを挑む人間であることに埃を持っている。だから、別に自分はユダヤ人とかは思っていないだろうし、「うちの母の方が千倍もクリスチャンにふさわしかったわ」という言葉は、周りのクリスチャンの偽善は弾劾しても、キリスト教的慈悲の価値観は刷り込まれていたのだろう。

 ヴィクとロティの関係がもっと出てくる作品を読まないと分からないなあ。
 ウォーショースキー・シリーズは日本でもとても人気でファンクラブがあるくらいだから、こういうこともくわしく調べてる人もいるのかもしれない。アメリカ人には、別に気にならないのだろうか。

 ちなみに私の周りにもユダヤ系フランス人がたくさんいるが、母親がユダヤ人だからとユダヤ意識のある人もいるし、カトリック(洗礼は受けているが別に教会に通わない)と結婚して普通に子供も洗礼だけ受けさせている女性もいれば、カトリックのイタリア系女性と結婚したユダヤ人男性が、息子たちにしっかり割礼を受けさせて、離婚した後で、母親が慌ててカトリックの洗礼を受けさせてという例もあるし、「公式」なんてあまりない。
 ヨーロッパではもう二千年近く混血が進んでいるし、少なくとも日本人の目から見たら、誰がユダヤ人なのか全然分らないことも多い。アメリカのような棲み分けもないし。

 サラ・パレツキーの世界に興味ない人にはどうでもいいことだろうが、一応メモ。

 
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# by mariastella | 2009-11-09 20:18 | 雑感

V・I はなぜ洗礼を受けていないのか

 前回の、V・I が、クリスチャンではなかったことについて

 http://spinou.exblog.jp/12753225/

 もう少事情を知りたくて、つい『ダウンタウン・シスター』を読んでしまった。

 いろんなことが分った。シカゴのカトリックといえば、何となく、イタリア系、ポーランド系、アイルランド系、を想像していたが、ボヘミア系もしっかりコミュニティを形成しているみたいだ。そして、ポーランド系とは東欧つながりでまあ、連帯感がある。そういえば、ハンガリー・レストランというのも出てくるから、カトリック系東欧がしっかり存在感があったのだろう。

 市会議員の大物にアート・ジャーシャック、その秘書はメアシック、未婚で妊娠してボヘミア地区から逃げてきたのがルイーザ・ジャイアック、みんなしっかり、ボヘミア系の名だ。未成年で妊娠したルイーズは、聖ウェンツェルの修道女の施設に入れられようとした。聖ウェンツェルは10世紀のボヘミア大公でボヘミアの守護聖人聖ヴァーツラフのことだから、分りやすい。聖ウェンツェル系のカトリックがモラルの番人だったわけだ。
 ウェンツェルに行くのを拒否して家を出たルイーザが流れてきたのがポーランド地区。一応東欧系カトリック地区だ。そこで彼女を受け入れたのガ、V・I の母、ガブリエラだった。

 V・Iは、ジャイアックの実家に行って、「イタリア女の娘」とか「混血のあばずれ」とか罵倒される。ここで、ポーランド人であるヴィクの父がイタリア人と結婚しただけで、イタリア女とか、混血とかいう偏見をもたれていたことが分る。アイルランド人なら、アッパークラスで、聖パトリック祭がシカゴで一番盛大なくらいだから事情は違ったろうが、イタリア系は東欧系カトリックから見ると決して有利な立場ではなかったことが想像できる。

 ガブリエラは、「聖ウェンツェルから来た正義のご婦人たちが」ルイーザのうちの周りを練り歩くと、怒り狂って出てきて彼女らを追い払った。そのガブリエラは自分の隣人たちからは、非常識な女として批判されていた。特に娘であるヴィクの「洗礼を省略した」ことや聖ウェンツェルのシスターたちのクラスにやることを拒否したことである。つまり公教要理のクラスにやらなかったことだろう。ポーランドでは子供が7、8歳になった時の初聖体の儀式がとても華やかなイヴェントである。ヴィクはそれをしなかったらしい。

 それもこれも、多分、ガブリエラが、叔母の夫と不倫の関係にあったこととの罪悪感と、それに関して叔母に責められ続けてきたことへの反撥との両方があって、教会や宗教に関する忌避反応ができていたからなんだろう。ヴィクはその事情を知らなかったわけだが、東欧系地区で「母がイタリア人」という特殊な環境にあることと、母が音楽家=アーチストであるという意識からリベラルなのだろうと漠然と思っていたのかもしれない。
 
 ここではその他にメソジスト系の同窓生とか、ドイツ系の大金持ちとかが出てくる。
 ヴィク自身も母校に行って、時代の差を感じたようだが、1952年あたりの生まれだと思われるヴィクの育った頃のシカゴでは人種や性別や宗教の差が、大きな意味を持っていただろうし、それは今でも影で尾をひいて暗黙の了解がいろいろあるのだろうな。 日本やフランスのような国に住んでいるとなかなかぴんと来ない。

 全く関係ないが、この小説の中で、縛られて毛布にくるまれ沼地に投げ込まれて死にかけたヴィクを愛犬のペピーが、沼の腐臭に関わらず、見つけ出し、救い出す。その後もずっとヴィクを守ろうとする。

 そのシーンを読んでると、猫たちと暮らしてる自分がちょっとあわれだ。こいつらは、私が行方不明になっても、ぜーんぜん知らん顔であろうことは目に見えている002.gif
 やっぱ、信頼できるのは犬だなあ。でも頼りになりそうな大型犬は寿命が10年くらいだから、今から飼い始めても、私が老犬介護をするはめになるかもしれない。
 
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# by mariastella | 2009-11-09 06:15 | 雑感

キリスト教の話

 キリスト教関係の本を三冊買った。

 Didier Decoin の "Dictionnaire amoureux de la Bible"
 
 これは、お約束の作家の楽しい本。飽きない。

 Dietrich Bonhoeffer "Resistance et soumission"

 これはナチスの収容所で殺されたルター派の牧師で神学者の手紙。

Patrick Kéchichian "petit éloge du catholicisme"

 この人はル・モンド紙で長く文芸評論を担当していた。小さく単純だが個性的な本だ。

 BD(フランスのコミック本)も1冊。

 Marc-Antoine Mathieu "DIEU en personne"

 これ、なかなかおもしろい。SF の一種で、近未来のフランスに突如受肉して現れた「神」をめぐる話。
 現代に神が現れるという話では、たいてい、貧乏したり無視されたり精神病者あつかいされるのだが、ここでは彼は「神」と認められて、神の業に不服な人間たちから莫大な損害賠償の訴訟を起こされる。神が肉体として存在するなら責任も生じるというわけだ。

 最初の8ページがここで見られる。

 http://www.bdgest.com/preview-572-BD-dieu-en-personne-recit-complet.html.

 その神が消えた後の回想ドキュメンタリーの撮影シーンだ。

 かなりの不条理ストーリーなんだが、この手の話は、キリスト教の文化と無神論文化(そう、無神論は文化である)との、両者の教養の拮抗具合がちょうどいいバランスにあるフランスだから生まれるユニークなものだと思う。

 訴訟では、弁護団は、神の責任を軽減するために神の重要性を軽減しなければならないというジレンマがある。当然、被告である神の同定、あるいは、神の存在証明が問題とされる。
 「存在が証明され得るような神は存在しない神、または偽の神、偶像である。私を証明してみたまえ、私は存在しなくなるだろう」(パスカル)とか「神とは人間たちの孤独である」(サルトル)とか、「よくできたメディアのキャンペーンがあれば2ヵ月後には、誰でも神の存在を信じるだろう」(Maurice Donnay)、アインシュタインやルナールやユングの言葉もちりばめられている。ハイパーコンピューターがこれまでの人間と神の関係を全部インプットして総合した究極の質問が、被告への「神さま、あなたって誰なの?」という子供のような問いだったりもする。
 神をめぐる肖像権とかロゴとかコーチングとか、商魂のエピソードもおもしろい。

 まあ、神とはふるさとみたいに、「遠くにありて思うもの」であって、触れられるところに「降りてこられる」といろいろ不都合が生じてくるということらしい。
 よくできた話がすべてそうであるように、この話は決して神の話ではなくて人間の話であり、同時に、自己を無限に肥大化、神化させていく人間よりは、神の方がずっと「人間的」だったりする。
 
 笑え、考えさせられ、「真実」が説明され、それでいてオチは、なかなか怖い。このテーマを扱って、読むに耐えるということは、それだけですごいことだ。

 もう一つ、最近話題になったアングリカンの話を少しだけ。
 
 イギリスの国教会というのは日本でも有名な話だけれど、もともと、ローマ・カトリックの堕落を批判して分れたわけでなく、ヘンリー八世が離婚を認めてもらえないという個人的な理由でローマから離れて教会をいわば私物化したことに端を発する。

これが1534年、次に1547年にエドワード6世がカルヴィニズムを採用。これはカトリックをまともに批判した由緒ある(?)プロテスタンティズムである。
しかし彼の死後、メアリがバリバリのカトリシズムに復帰。
1558年から1603年、エリザベス1世が、プロテスタントとカトリックの統合というかハイブリッドなものを決めて設定した。政治的公正、という感じである。

 1833年に、アングカニリズムをもう一度カトリック化しようというオックスフォード運動が起こり、1930年代を頂点にかなりの成功を博した。イギリスの親カトと親プロテスタントの二極化の歴史はけっこう古いわけである。カト派の論客 John Henry Newman(1801-1890)は、しかし、結局、カトリックに改宗してしまい、あまつさえ、2010年にはカトリックの福者として列福が決まっている。

 アングリカンのカトリック流れがはじまったのは1971年の香港、1975年アメリカの女性司祭任命で、これを不服とする司祭や信者がローマに鞍替えした。8千万人のアングリカンには、38の自治管区があって、現在そのうち28が女性司祭を認めている。認めていないのは、中央アフリカ、エルサレムと中東、メラネシア、ビルマ、ナイジェリア、パプア・ニューギニア、タンザニア、東南アジアの8つで、南アメリカの一部とコンゴでは女性助祭のみが存在する。
1988年にはアメリカでついに最初の女性司教が誕生した。
しかし、本家のイギリスで最初の女性司祭が生まれたのは1994年だ。この時、95年から97年にかけて、アングリカンの約450人の司祭がカトリックに合流した。この時、ローマは、すぐに司祭職継承を認めたわけでなく、一定期間、一般信者と同じ身分に据え置かれた。しかし、その後、司祭職に叙階され直して、妻帯司祭も250人ほどいるが、もともと、教義的にも典礼的にも限りなくローマ・カトリック寄りの長い伝統を持つ人たちなので、10数年後の今も何の問題もない。

今回問題になったのは、10月20日にヴァチカンが、アングリカンの司祭が次には一般信者となる期間を経ずに、そのままカトリックの司祭として認められる(司教になるには独身誓願をしなければならないなどいくつかの条件がつくが)という発表をしたからで、これで千人以上の司祭がローマに合流すると言われている。

 これは、2003年にアメリカで、同性愛者のジーン・ロビンソンが司教に叙階されたのをきっかけに、保守的福音派アングリカンとアングロ・カトリックが共に、リベラル派から深刻に分裂し始めたことが背景にある。この人は、ゲイのカップルとして同棲していたので、単に性的傾向が同性愛というわけではなかったのだ。
 アングリカンは何とか教会を統一しようとして、2008年にLambeth会議を開いたが、福音派の270人の司教(リベラル派は670人)はこれをボイコット、ついに教会の中の教会として、事実上分離してしまった。

 このために、アングロ・カトリックはますますマイノリティとして孤立してしまったわけで、そこにヴァチカンが、ではどうぞ、と今回手を差し伸べたわけである。(正確には、2009年2月に、Geoffrey Kirkなどが、ウィーンの枢機卿Christoph Schönborn を訊ねて「カトリックの司教から独立したままでカトリックに全面的に受け入れられたい」希望を述べ、それが9ヵ月後に受け入れられたという)

これらの司祭たちは、移動する従軍司祭と同じで地理的な司教区には属さない。つまり、今いる場所のカトリック司教に従属する必要がなくて、アングロ・カトリックとしての別の司教に属することになるのである。神学生も同様の扱いで、事実上全く変わりなくそのままカトリック・ファミリーに入るわけだ。
しかしヴァチカンはこの決定をたった2週間前にしかカンタベリー司教に通知しなかった。

リベラル派の前カンタベリー大司教George Carey などは激怒して、これでは、40年にわたるエキュメニズムの努力が無に帰する、と言っている。現大司教のRowan Williamsは、前から予定していた11月21日のヴァチカン訪問でどういう風に語るかはまだ分らない。

 私はこの話であらためて、uniatisme とoecumétisme  の違いを認識した。

 カトリック教会は、東方正教会系に関しては、オリエントの典礼を残したままでカトリック・ファミリーに合流できるようにというuniatisme 方式を採用してきた。今回のアングリカンの合流は、1833年以来続いているアングリカン内部のカトリック化(違いは独身制がないことくらいだ)の結末ということでニュアンスが違う。教皇B16 は最近も、第二ヴァチカン公会議を認めずに分裂したカトリック内保守派の受け入れで物議をかもしたのだが、何事につけ、意見の一致を待っていては本来のキリスト教的連帯とかコミュニオンというものはできない、という気持ちは分るので気の毒でもある。

みながばらばらに、自己責任で自由に競合または共存すればいいという今時の傾向の中で、「人類は皆兄弟」、式の普遍理念を死守するのは、容易なことではない。まあ、宗教者ならこそ、がんばってほしいと思うのだけど。
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# by mariastella | 2009-11-09 03:16 | 宗教

ベルリンの壁崩壊20年

 ベルリンの壁崩壊から20年、ドイツとは時差がないので、20年前にニュースを聞いていて突然この情報が流れた時の驚きは忘れられない。今映像を見ていてるだけで涙が出そうになる。私の世代では東西冷戦とかベルリンの壁とかはそのまま子供時代や青春時代の与件であり背景だったからなあ。

 今朝のラジオで当時、EU議長だったジャック・ドロールがインタビューに答えていた。
 ベルリンの壁崩壊の知らせをきいたドロールは、翌日にすぐ「あなたがたの場所はヨーロッパにあります」とか「私は怖れていない」というフレーズを含むコメントをドイツ語で発した。

 それに対して、フランスやイギリス内から、実はかなりの批判があったらしい。
 翌年4月には当時のEU 12 ヶ国が東西ドイツの統一を支援する決議を出したのだが、それまでにはいろいろあったそうだ。一般人レベルではお祭りの印象が強かったのだが。

 70年代の終わりに東京に少し住んだ時、ジェトロ(だったと思う)が出している毎年の国際統計のフランス語訳を頼まれたことがある。その時に、各種統計はほとんどが国別だった。フランスではもうすでに、その種の統計は国別のほかにヨーロッパ(当時はEC)の数字が並び、ECを合わせると、アメリカや日本に拮抗するものが多かった。それでそのことを提案して、その年から反映してもらったことがある。当時フランスでは、「フランスは政治の巨人、(西)ドイツは政治の小人で経済の巨人」という言い方がされていた。あからさまにいうと、ドイツは、20世紀の二つの戦争責任を一身に負わされて、各種賠償金の支払いのために、他の国の何倍も働かされて稼がされていたのだ。それでも敗戦国、というより戦犯国だから、政治的にはほとんど口をはさむことが許されていなかったのだから、「政治の小人」は、それ以外にあり得なかったわけだ。ECの数字は、フランスの「虎の衣」だったわけだ。(今はEU はどこでも立派に統計単位として認められているが)

 で、ドロールが「私は怖れていない」と発言して批判された(20年後の今も、フランスとイギリスから、と言うだけで、誰からだと名を挙げるのは避けた)というのは、「東西ドイツに統一されると、名実ともに巨人が復活して怖い」という、戦勝国側の警戒があったからなのだ。逆に言うと、ドイツが2分されていたことは、戦後の復興に必死だった西ヨーロッパ諸国には都合のいいことだったとも言える。EUの始まりは、ドイツとフランスの石炭鉄鋼産業協力だったわけだが、フランスの態度は、政治的には、「口を出すな、金だけ出せ」というものだったと言える。

 それでも、20年前は、東ドイツが西のレベルに追いつくには20年かかるとか、東のせいで西ドイツの力は相対的に弱まる(つまりフランスの力は温存される)、とか言われていたのだが、統一ドイツはまたたくまに復興した。ヨーロッパの中心にあり、面積も広く、人口も多く、ロシアとの仲介にも慣れており、もとより経済的には「巨人」、こうなると、20年後の今、この60年間、ドイツの政治家や思想家が決して口にしなかったタブーの言葉である「力」という言葉が口の端に上るようになってきた。それとともに、これもはっきりとは言わないが、イギリスやフランスの側からは、20世紀に培った「アンチ・ドイツ」のニュアンスがここかしこに見られるようになっているとドロールは述べる。

 第二次大戦でドイツの同盟国だった日本なのに、戦後生まれの私の「敗戦国イメージ」は大分異なる。もちろん、日本も、例えば「航空機産業」が未だに禁止されてるとか、国連での安保常任理事国の扱いとか、「戦後」のまま、という状況もあるし、基地のある町ではもちろん、いろいろな問題を引きずっているわけだが、島国のせい(おかげ?)で、もともと「壁」の建設を必要とするような国境問題がないし、ヨーロッパのような大陸的環境での葛藤とは大分違う。お隣の朝鮮半島は2分されたままで悲劇は終わっていないが、東西ドイツのように、その2国が統一されたら脅威になるかもしれないぞ、というタイプの警戒は、歴史的にも地政的にも成立しない。

 大井玄さんはしきりに、日本は島国という閉鎖系環境なので協調精神が発達し、西洋は開放系で自己中心的のようなことを唱える。確かに、「閉鎖系」の内部ではそうかもしれないが、外に目を向けない限りでの平和の幻想が成立しても、いざ外に目を向けると、「閉鎖系」内で培ったはずの協調のスキルを全く発揮せずに、自己中心的な狭い見方をすることが多いのは、「閉鎖系」の中にいればなかなか気づかない。
 むしろ、ヨーロッパ大陸の方が、その内部で似たような国が切磋琢磨というか相互監視というか、あれこれ平和共存を模索している分、大きい意味での「閉鎖系の協調」のスキルが養われるのではないだろうか。

 今でも、世界中に悲劇の壁はいたるところにあるわけで、アメリカとメキシコの国境とか、パレスチナのイスラエルの壁とか、サハラにも壁がある。
 ただ、今は情報の超国境性が飛躍的に進んでいるから、そこに「悲劇の壁」の撤廃と共存への希望が持てるかもしれない。旧東ドイツでは、壁の崩れる直前の時期まで、公営TV ではしっかり偽のプロパガンダ・ニュースを流していた。西ドイツではストが起こり、失業者が蔓延しているといったやつである。
 しかし、もうすでに東ドイツの人はそれが「嘘」だって知っていた。
 私は知らなかったのだが、冷戦中も、東ドイツの定年退職者は、西側の家族に会いに行くことが許可されていたそうだ。それで、東側の「普通の人」たちも、おじいちゃんおばあちゃんからが仕入れてくる情報やモノと日常的に接していた。国境付近でのTVや ラジオの電波をキャッチする試みはもちろんで、ある町では15メートルのアンテナを立てた人がいて、みんな知っていたが誰も何も言わなかったそうだ。

 しかし、情報のグローバル化は、逆に、反ユダヤ主義や反ゲルマン主義のような「タブーの復活」もまた可能にするわけで、不穏な空気の盛り上がりというのも確かに感じられる。 ヨーロッパはその後27ヶ国に膨れ上がっていて、イギリスは通貨を中心にますます距離を置くようになっているし、フランスが「政治の巨人」面をするのももはや不可能だし、ただの経済上の利益共同体になりつつある。

 戦後のフランスでは、第一外国語としてドイツ語が流行った。ドイツに占領されていた時代にドイツ語ができることが有利だったという世代が子供たちに勧めたこともある。フランス語と同じ系統のイタリア語やスペイン語は習得が楽だし英語は語形変化が少ないのでこれもとっつきやすい。というわけで、中学でドイツ語クラスに入るのは、「成績のいい子」の振り分けでもあり、公立学校内での体のいい棲み分けでもあった。

 それが、圧倒的に英語が優勢になったのは、1980年代も終わり頃だろう。
 それからはすっかり、英語、あるいは米語、アメリカのMBAなんかが幅を利かせ始めたのは日本と同じである。

 ただし、去年あたりから、中学で、女子生徒に久しぶりにドイツ語ブームがやってきた。ドイツ語を第一外国語に選ぶ子供が増えたのだ。ドイツの人気ロックグループ Tokio Hotel が、フランスの女子中学生に爆発的人気で、みんながドイツ語で歌うようになったという。とにかく異常な人気なのだ。

 Tokio はもちろん東京に由来する。ファンたちにはドイツへの怖れとか警戒とか当然ない。
 
 でも、トーキョー・オテル(フランス語ではH は聞えない)と聞くたびに、うーん、なんだか複雑な気分だ。
 
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# by mariastella | 2009-11-08 22:33 | 雑感

大恐慌?

 日曜の朝、ベッドでぐずぐずしながらラジオのニュースを聞くともなく聞いていると、「ジャポン(Japon)」という言葉が。寝ぼけていても反応するキーワードはいろいろあるが、ジャポンもその一つである。阪神大震災のニュースも朝のラジオで始めて知った。
 ところが、最初の5秒ほど、何を言っているのか全く分らなかった。

 5秒といえば、ニュースの見出しを理解するのに充分な長さである。
 日本語かフランス語なら、同じ程度に内容をキャッチできる。
 できないのは、スポーツニュースなどで、外国人選手の名がずらずらと出てくるような場合くらいだ。

 でも日本のニュースなら固有名詞でも、それがフランス読みでも、当然、推測できる。

 5秒ほどでキャッチしたのは、ノムラ、沈んだ、カタストロフ、という言葉。

 こんな朝に日本のニュース、しかもカタストロフィ? ノムラが沈んだ? ノムラ=野村證券というのが連想された。では、大手証券会社が破産したのか? 経済恐慌か? とその5秒ほどのうちに考えがめぐった。

 で、目が醒めて続きを聞くと、シバ(これは千葉だと分る)の海で、漁船が巨大ノムラに引きずられて沈没した。すぐに救助されたが、ノムラの巨大化は気候異変のせいかもしれない、とかいう。ノムラはクラゲらしい。

 すごく気になったので、起きてからネットで「千葉+クラゲ」で検索したら、10月末に千葉で漁船がエチゼンクラゲの重さで沈む事故があったと分った。では大ニュースでなく、日曜の朝に、最近の世界のちょっとした珍しいニュースを話題にしただけらしい。で、あらためてエチゼンクラゲを検索すると、学名が Nemopilema nomurai で英語名が Nomura's jellyfish とある。1920年代の発見者が野村さんという人だったらしい。フランス語のニュースでも、クラゲという言葉も使われたので理解できたのだが、基本的には何度もノムラが、ノムラが、と繰り返されていた。そんなに有名なのか、ノムラクラゲ?

 日頃、フランス語と日本語のバイリンガルは自分の中ですっかり自然だと思っていたので、棲み分けが侵されるこういうシーンにたまに出会うと、印象的だったので、ここにメモ。

 
 
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# by mariastella | 2009-11-08 19:49 | フランス語

イタリアの無神論

 アメリカの無神論のことを書いたが、逆説的だが、欧米キリスト教の原発地点であるローマ教会のあるイタリアでも、時折、フランス的にはもう一世紀前?というような感じの無神論運動が展開される。

 火曜日にEUの人権法廷が、イタリアの公立学校から十字架を外せ、と判決を出した。自分たちの信念に添って子供を教育する親の権利を侵害するというのである。

 フランスの公立学校から十字架がなくなってから、一世紀以上経ち、アメリカでは1960年代前半に取り払われた。イタリアにはまだあったのか・・・

 ことの起こりは、1990年代の終わり、Massimo Albertin という医者と、その妻でフィンランド出身のSoile Lautsi が、二人の子供の学校から十字架を外してくれと頼んだら断られ、政教分離に反するとして訴訟を起こしたことだ。このカップルは、合理主義無神論不可知論者連合のメンバーである。活動家なのだ。
 2006年に、「キリスト教の表象の高度に教育的なシンボリックな機能」を認めた参事院判決が学校に味方した。カップルは、これを不服としてEU 人権法廷に提訴、3年後の今、イタリアは敗訴、カップルに5000ユーロの慰謝料の支払いを命じた。政教分離から70年、イタリアは十字架を政治やスポーツの影で温存して他の宗教や無神論者を傷つけてきたというのだ。

 まあ、これには当然、賛否両論があり、ただ十字架がカルチャーの名残としてそこにあったのか、生徒が十字を切ることを強制されていたのか、にもよると思う。アメリカでは確か公立校でも1960年代初めまでは祈りが強制されていた。

 こういう議論になると何でも形ばかりが問題にされるのは残念なことだ。

 これを突き詰めると、マジョリティであろうとマイノリティであろうと、誰かが自分の宗教を表に出すだけで、即、別の宗教の信者や無神論者を傷つけるという論理になり、宗教的シンボルは一切禁止という、フランスの公立学校のようなことになる。

 両親が自分たちの信念を子供に押し付ける、というのも、ドグマ的なレベルなら、それも、問題ありだと私は思う。
 
 私の母は、「家内安全」とかを祈り願う対象がはっきり必要だった人で、うちには神棚みたいなのがあり、母が祈ってたのは見てきた。でも祈るように強制されたこともないし、「罰があたる」的な脅しをかけられたこともない。では、そんな母を迷信的だとか思ったかというとそうでもない。感謝していた。

 なぜなら、母が祈っているのは家族や子供たちの安全や幸福だと知っていたからだ。

 どんな親でも、もちろん子供の幸福を祈るだろうが、もし、母が、心の中でだけ祈っていたとしたら、私にはその心が見えなかったろうし、もし「私はいつもあなたのために祈っている」と口に出していわれれば、「頼んでるわけじゃないのに」とうっとおしかったと思う。

 でも、誰かが、誰に頼まれたわけでもないのに、自分のために祈ってくれているのを日常的に見ているのは、子供の精神の安定にポジティヴで、信頼感を育てたと思う。

 母は、もし子供が襲われれば、相手が武器を持つ強盗であろうが狂犬であろうが手負いの虎であろうが、決してひるまずに戦う気満々の人だった。実際は、幸い戦争もなく天災にもあわず、そういうシーンはなかったが、私は、それを「知っていた」。母が祈る姿は、家族に向ける母の愛の形で、それが、母の命よりも大切なものだと私は「知っていた」。そのような母を知っていたから、私は、彼女を決して裏切ることはしない、と思っていた。彼女の祈っていた「神さま」が何であるのかとか、その「神さま」に私も帰依するとかいう次元では、ない。

 小学校の教室に、何か宗教シンボルがあったとして、毎朝、先生が、授業を始める前に、神の栄光とか国の栄光とかではなく、生徒たち一人一人の進歩、成長、幸福のためにひっそり、やむにやまれず一人で祈るとしよう。その姿を子供たちが見て、「何、あれ? 変なの」と思ったとしても、そこに「心」が感じられれば、生徒たちは、誰かが頼まれもしないのに自分たちのことを、その人が頼みとしている「神」に祈ってくれている、ということを、嫌だとは思わないかもしれない。

 十字架の上の「キリスト教の神さま」が、頼みもしないのに「自分のために命を捧げてくれた」のだとしたら、その神さまを裏切りたくない、と思う人もいるだろう。

 特定の祈りや讃歌を子供に「強制」するのは論外だし、宗教における(それが無神論という名の宗教でも)独善主義や排他主義も、絶対によくない。しかし、子供にとってもっと重大なのは、「無関心」かもしれない。

 神棚に向っていようが十字架を見上げようが、ある人が、「その子のために祈ってくれている」ことをその子が知ることは、心をもらっていることであり、それが子供に信頼感を与えて、生かしてくれるのだ。

 ちなみに私は自分の周りに宗教シンボルを置くのは嫌いじゃないが、ある「霊能者」が、種類の違うお札や御護り類を向かい合わせにおくとパワーが衝突してよろしくない、と言うので、「もしものこと」を考えて、棲み分けられるように「飾って」ある。
もちろん、ここはフランスなのでたまに、家族代々の筋金入りの「無神論者」が来て聖遺物や十字架を見てアレルギー反応というかヴァイオレントな反応をされたこともあるので、家の中で、不特定の他人を招くレセプション部分にはキリスト教っぽいものは置かないように一応配慮している。母の形見の西国33ヶ所巡礼の掛け軸だけが観音菩薩を中心に目立っているのだが、それは誰も気にしない。

 他所の国の宗教は文化・教養であり、自分の国の伝統宗教は固陋・反動に見えるということはどこでもよくあることだ。

 政教分離や無神論やそれにまつわる反応も、歴史や文化や社会やその人の個人史と切り離しては考えられない。どんな神(または主義)の名でもいいから、神の名において他者に心を寄せ、他者の幸福を祈るのは歓迎だが、どんな神(または主義)の名にしろ、神の名において他者を弾劾したり排除したり差別したりするのは絶対に避けたいものである。 (これがなかなか、難しいのだけれど・・。)

 フランスでも、今、公立学校で年に一回は国歌を生徒に歌わせろとかいう議論が生まれつつある。
 これは、「共和国教」の一種だ。

 フランスでも『ラ・マルセイエーズ』がサッカーの国際試合の歌だと思っている子供がいるのは、日本で『君が代』が相撲の千秋楽の歌だと思っている子供がいるのと同じだ。

 私は、いわゆる儀式的な場での「斉唱」がむしろ好きだった。

 儀式的な場というのは少数の「偉い人」がしゃべるのを身動きしないで傾聴しなくてはならないという状況が多いから、それが苦痛で、そういう時に突如、堂々と大声を張り上げることができるのは、ストレス解消でもあるし、何だか厳粛なものを侵犯するような爽快感があるからだ。斉唱だから、大声で歌っても目立たないし。

 だから、私にとっては、子供の頃の「無理やり斉唱」というのは、国歌(のおかげで日本音階のテトラコルドを体感できたが)だろうが蛍の光だろうが、嫌な思い出はない。

 でも、歌いたくない人にとっては、儀式の間じっと黙ってる苦痛の上に、しかるべき時に無理やり声を出さねばならない苦痛の二重苦だから気の毒である。

 結局、何でも、「心」に自信が持てないから形にこだわるようになるのかなあ。

 サウジアラビアで出会った隠れ「無神論者」は、自分の子供のために自分も祈りに参加してイマムの説教を聴くようになった、と言う。子供たちと話し合って、原理主義に洗脳されないように注意するのは親の義務だからだと言っていた。

世界には、無神論者が国相手に訴訟でごり押しして勝てるヨーロッパのような国だけがあるわけではないし、またヨーロッパの「人権原理主義」が最善であるとも、いったい誰が断言できるだろう。


 
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# by mariastella | 2009-11-05 23:41 | 宗教

無神論原理主義

 今の世の中、無神論原理主義が元気なのはアメリカだろうな。

 キリスト教的信仰と無神論が光と影のようにセットになっていることを今書いているわけだけど、その先鋭的な場所では、切り立った稜線の片側に一神教原理主義と偶像崇拝がびっしり並び、もう片側に戦闘的無神論が負けじと支えている。どっちかに崖崩れがおきそうだ。

 ネット資料をカバーしていたらきりがないのでできるだけ見ないようにしているのだが、デリダのインタビューのYoutubeを見ていたら、つい、彼の無神論に行き当たり、続いて、無神論プロパガンダの森に迷い込んだ。

 なんだか、気の毒だ。

 たとえば、無神論は悪くない、っていう主張がある。
 
 アメリカのキリスト教徒は75%で、刑務所に入っている人の75%もキリスト教徒。
 無神論者は10%で、しかし、刑務所には0.2%しかいない、とか、
 離婚率も無神論者の方が有意に少ない、とか。

 こだわりの元は、『詩編』14-1で、

 「神などない」と言う人は、

 「腐敗している。忌むべき行いをする。善を行うものはいない」

 というところで、これに反論してるのだ。

 そして、エディソンとか、スピルバーグとか、マリー・キュリーとか、ジャック・ニコルソンとかブルース・リーとか、いろんな人を、その反証となる無神論者として挙げている。

 かなり普通の日本人で、普通のフランス人の感覚でもある私から見たら、こういう発想そのものが、強迫的としか思えない。挙げられている人の中には、いわゆる不可知論者も入っていて、もっというと、定期的に教会だの宗教施設に通ってない、というだけの感じの人もいる。

 こういう「運動」が成り立つのは、「無神論者=信用できないやつ」という偏見があるからなんだろう。
 古代のギリシャ・ローマと変わらない。初期のキリスト教徒もそんな世界で無神論者として迫害されてきたのだ。

 フランスなんかは、こういう原理主義的無神論のフルコースを経て、かなりヌルイ社会になっているわけだが、こういうのをただ黙って見ているわけにはいかない。原理主義との戦い方そのものを忘れている。キリスト教原理主義とキリスト教無神論の戦いに疲れて、そこで得た智恵というものを風化させて、別の形の原理主義や不寛容や偶像崇拝とどう向き合うかを真剣に考えなくなった。

 Youtubeのデリダだが、愛について訊ねられて、「え?愛?それとも死?」なんて聞き返すところとか、この人って、なんかコンプレックスがあるのかなあと思った。隣にフーコーのインタビューがあって、こっちはとても分りやすい。こういうのは著作だけでは分らないおもしろさである。

 
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# by mariastella | 2009-10-31 03:40 | 宗教

柳田國男対談集

 手元に『柳田國男対談集』(筑摩叢書)というのがある。

 高校時代に読んだ本なのだが、今の方が、時代の差を感じて感心もしたし笑えもした。

 高校生にとっては、同時代の作家やインテリも、一昔前の作家や学者も、等しく遠い存在だったので、住む世界の差はあっても、時代の差をあまり意識しなかったのだ。
 
 いろんな意味ですごく面白い本だ。

 昔の対談というのは、速記でもして、そのまま原稿にしたんだろうか。あまり手を入れた後がなくて、誰かが何か言いかけたのに無視されたりされたところとか、そのまま載っている。
 その自然な感じが、床屋談義みたいでおもしろい。

 清水義範という言葉の達人の小説に、『三人の雀鬼』という短編があって、三人の認知症気味の老人が、不条理な掛け合いのような会話をしていく奇妙な話があるのだけれど、この対談集の最後の柳田國男と芥川龍之介と菊池寛の掛け合いなんかは、ほとんどそれに近い雰囲気だ。

 例えばこんなの。 



 菊池 「(四国に狐が)いないというのは、弘法大師がこさせなかったと言うのですけれども、いないというのは不思議ですね。(・・・)あれだけの海だから渡れそうなものですが、渡れないのですかね。」

 柳田 「船頭をだまして渡ればいいわけですが。」

 芥川 「現に僕の友達などは動物園にどうしてあれだけの大勢の人がはいろうとするのかというと、あそこには狸がいるから、化かされて入るんだろうと言うんですよ。」

 柳田 「 その人自身がおかしいじゃないですか。」

 芥川 「多少おかしいかもしれません。」




 と、こういう調子で、実におかしい。
 この対談は昭和2年に掲載されたもので、芥川はこの年に自殺している。そんなことも考えると、少し感慨深い。

 この対談集を読んでいると、明治期に輸入された西洋無神論というものが、日本では無神論という形でなく、「明治初年の科学万能、迷信打破、という浅薄な功利説」という形で入っていたのが分るのもおもしろい。

 日本文化論(『改造』昭和15)について、対談者がみんなアナトール・フランスの『Sur la pierrre blanche』を読んでいて、日露戦争で日本が勝って白人の資本主義の植民地運動をひょいと食い止めたと演説する男の話を読んで初めて、日本はえらい仕事をやっているのだ、と気づかされた、日本は馬鹿にできないと目が醒めた(和辻哲郎)、とか言っているのも、へえっと思った。日露戦争って、なんだか、勝った当初から日本ではそういう見方が合意だと思っていたからだ。ひょっとして、日本人はただ、必死だっただけで、そういう「歴史上の意義」的な見方自体が、「西洋」経由だったのかなあ。
 
 
 
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# by mariastella | 2009-10-29 00:03 |

友川かずき

 知人の息子が日本人のミュージシャンのドキュメント映画を作成中だと報告してきた。
 その歌手を知ってるか?と聞かれた。

 私は、フランスの歌手のことすら知らないのに日本の歌手のことなんて無理無理、と答えた。

 一応ネットで検索すると、なんと、私と同世代の歌手だった。でも、知らない。
東北出身で、コンプレックスがたくさんあり、岡林信康に影響を受け・・・という話で、姿を何となくイメージした。自分と同世代といわれて、うらぶれたおじさんを自然に想像するのもちょっと悲しい。

 ところが、写真を見て、ちょっと驚いた。 こういうの。
 
 http://www.interq.or.jp/www-user/kurenai/info/info.html

 なんだかとてもかっこよすぎる人だ。

 知人の息子はどんな風にこの人とめぐり合ったんだろう。

 前にこの知人の息子の映画を見に行ったとき(2008・6・6)書いた感想をコピーしよう。

 「A Skin a night-The National と 6days-REM 
 パリのサン・マルタン運河の水辺にある現代アートの巣窟みたいなところLe Point Ephemereでやってる「音楽を撮る」というフェスティヴァルに行ってきた。
 知人の息子 Vincent Moonが2作品を上映するというので。

 入口の反対側は、普通の下町の通りだが、入口は、運河に面した別世界になってる。
 美術学校に紛れ込んだみたいな感じで平均年齢はすごく若そう。そんなとこでもベビーカーに赤ちゃんを乗せた若い女も混じってるのがパリらしいと言えば言える。

 Vincent出品の2本の映画は、どちらもロックグループのコンサートやスタジオ録音の舞台裏を追ったドキュメントだ。

 私はロック・グループのことは全然知らない。

 最初のは、The National という若いグループで、メンバーには兄弟が二組いる。だから親密感がある。
 
 私は、ヘッドフォンをつけて、聴衆の嬌声の中でがんがん音を出すグループって、シャーマン状態とか、エクスタシー状態で演奏しているのかなあと何となく思っていた。

 そしたら、演奏の前に、ヴォーカルの男が、

 「Really scarely」

 と言っていた。

 その顔は、まだ少年のようでもあり、繊細で脆弱だった。

 このひと言のつぶやきで、なんとなく、演奏家って皆同じなんだなあ、と親近感を抱いた。
 
 その上、彼らは演奏家であるだけではなく、作詞、作曲をやるクリエーターでもある。
 インスピレーションと閉塞と、不安と爆発の間を往き来する姿は、アーティストとしての真摯さと孤独がにじみ出てる。

 次の映画は、REMという、これは有名なグループみたいで、言葉は少ない。でも映像的にも音楽的にもこっちの映画のほうが完成度が高い。

 しかし、このグループのメンバーの姿を見てちょっと驚いた。
 The National とは世代が違うのである。

 80年代にすでに活躍したというから、メンバーは皆50がらみだ。

 ロック歌手って、50になっても60になっても、若いときのままの削がれたような体型を維持してる人というイメージがあって、それが、「年とること」を否定、または、時間性のないところで燃え続けるアーティスト、ってブランドイメージかと漠然と思ってた。

 でもREMの人たちは、The Nationalの映画を見た後のせいか、あるいは、上演場所にいる若者たちのせいか、一目見て、「おっ、同世代」って、感じの年配だった。

 もちろん、メタボ体型とかではないんだけど、彼らは、明らかに、厚みがある。文字通りの意味で「充実」してる。つまってる。

 ここで、彼らは、「おじさんたち」とか、「昔の青年」とかには見えない。

 そして、そんな彼らのヴィジュアルは、凝縮力があって、大人感、本物感がある。

 不思議だ。

 よく、40過ぎの顔は人生の履歴書だとか、生き方が顔に現れるともいうが、REMのミュージシャンとしての、また、人間としての、背負ってきたものが詰まってる感じがする。

 The National のメンバーは若くて感受性が強そうで緊張感もあって美しいし、そこでいっしょに映画を見てた若者たちもみな、スタイリッシュできれいだ。

 でも、彼らとは明らかに異質なもの、年月を背負ったREMの発する力と存在感は、それだけで、映画を支えている。彼らにはもう、孤独が怖くない。慄えていない。
 孤独を血肉にしてしまっている男たちの充実。

 音楽もなかなかいい。
 アートの普遍性というより、人間の普遍性を再確認して、楽しかった。 」

 私は、The Natinal も REMも、友川かずきも知らない。友川かずきは、世代的にはREMと近いな。でも、国が違う。見た目の雰囲気も違う。画家で競輪評論家(!)でもあるそうだし、人間的にはさらに深みがあっておもしろいんだろう。Vincentはフランス人を扱わないで、アングロサクソンから日本に目を向ける。どんな作品になるのか興味津々だ。
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# by mariastella | 2009-10-28 22:37 | 雑感

V・I はクリスチャンではなかった!!

 サラ・パレツキーの『センチメンタル・シカゴ』(ハヤカワ文庫)を読んで、びっくりした。

 前から、パレツキーの描くシカゴの宗教事情はすごく説得力があるなあと思っていた。

 ヴィクのポーランド人の父親が警察でアイルランド人の派閥に阻まれて出世できなかったが、明らかにカトリックつながりでアイルランド人の親友がいたこと、イタリア移民の母親と結婚したこと、ポーランド人とイタリア人のカップルというだけで、これも当然カトリックつながり、だと思っていた。
 ミュージカル『ウエストサイド・ストーリー』がはじめユダヤ人とキリスト教徒の恋に設定しようとして、それはあり得ないからカトリック同士にした、というエピソードがある。ジェット団もシャーク団も、カトリックだからこそ、仮想結婚が一応可能なのである。アイルランド移民子弟とポーランド移民子弟がカトリックのプアホワイト同士でつるんでいるのも分る。
 ヴィクが最初に結婚して別れた男はWASP、つまり、アングロサクソンのプロテスタントだった。互いの家庭から反対されたのもまあ分る。

 シカゴは、少なくとも30年前とかなら、マフィアのイメージが強く、マフィア=イタリア=カトリックというので、カトリック教会の影響が強いというのも分る。
 この小説に出てくるコルプス・クリスティというカトリック秘密組織がポーランド人教皇に忠誠を誓って暗躍するという構図も、ダン・ブラウンによって描かれたオプス・デイの陰謀のお粗末さよりもずっとリアリティがある。

 で、ポーランド人とイタリア人の両親を持つヴィクは当然カトリックだと思っていた。いや、彼女のフェミニズムとの係わり合いなどを見ても、筋金入りのインテリ左翼であり、メンタリティ的にはむしろピューリタン的自助努力派であるのは分っていた。しかし、少なくとも、カト的文化教養があって、洗礼は受けたが教会を離れたというか、まともに信じたことがないのだと思っていたが・・・・

 カトの右派がシカゴ大学を「ユダヤ人や共産党員の学校」と呼んでいた、とあることからも、ユダヤ人医師ロティとの友情も、そのような「インテリ左翼」心性+ロティの出身地オーストリア(カトリック)文化の親近感が混ざっているのかと漠然と感じていた。

 しかしヴィクは、この作品で何度も、「私はクリスチャンじゃない」「カトリックではない」と言い、洗礼を受けていない、と言明している。いや、カトリック右派のおばから「洗礼すら受けていないくせに」と言われている。
 母はフィレンツェの出で、母のおば(母の父親の妹)に当たる人ががちがちのカトリックなのだから、家族は当然カトリックだと思うのだが・・・
 母方の祖母がユダヤ人の学者の家庭の出身で「一族はユダヤとの混血だった」とヴィクは言っている。その辺もロティへの親愛感の原因の一つなんだろうか。しかし、ポーランド人移民の父親との組み合わせは、どう考えてもカトリックだと思っていたのだが。

 この組み合わせで一人娘に洗礼を受けさせなかったというのは不思議だ・・
 想像できるのは、ネタバレになるが、ヴィクの母親がひどい罪悪感に悩んでいたことで、彼女が「信心深い」としたらなおさらそれは重大だったろうし、それがヴィクの無洗礼と関係があるのかもしれない。

 パレツキー自身はどうなんだろうと思って、英語版のサイトを見てみたが、はっきりしなかった。
 ミステリーマガジンに連載されていた自伝も学生時代からデビューにかけての部分しか読んでないので、確かめようがない。サラって名前はユダヤっぽいし、パレツキーはポーランドっぽいし、見た目はスラブとラテンの混血と言われると通る感じだ。まあ、彼女のアイデンティティにとって最も重要なのは、宗教的頑迷や不寛容やマイノリティ差別と戦う部分にあるのだから、ことさら、親の宗教とか洗礼の有無とかで自分を形容したくないのだろうけれど。

 シリーズの他の本をもっと読まなくちゃ。
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# by mariastella | 2009-10-27 00:55 | 雑感

sacrificium

Cecilia Bartoli の新作CD の sacrificium を買って聴いた。

http://www.ceciliabartolionline.com/cms/francais/sacrificium.html

 で試聴もできる。

 このCG合成の写真、うちのトリオの連中は気に入っていたが、私はぞっとした。何とかならないか。
 もちろん、実際のカストラートの体はこういう筋肉質じゃないだろうから、カストラートのふりをしてるわけじゃない。Mは、アンドロギヌスだと言ってたけど、そんな中性的でもない。
 カストラートの伝説、いや、去勢そのものについてミニ百科みたいなのもCDについていて、それはそれで、おもしろいのだが、あらためて分ったのは、カストラートのセクシュアリティの実体は謎に包まれているということだ。宗教的神話的な話は別に目新しくない。

 フランス人一般がカストラートに示した嫌悪については前にマルキ・ド・サドの手紙でも触れた。ナポレオンがイタリアを征服してカストラートを禁止したことことからも、王党派も共和派も、その手の倒錯には同じ禁忌の念を持っていたようだ。ドイツにはけっこうあったことから見ると、必ずしも「ラテン的倒錯」ではない。じゃ、やはり、バロック音楽のメンタリティにおいて、ドイツがイタリアと軌を一にしていた証拠である。

 最近読んだ論文に次のようなものがある。

LOUBINOUX Gérard – La voix entre âme et viscères dans les textes de la
Querelle des Bouffons.

 歌手にはイタリア語がよくて、声楽をやる人はフランス語で歌うと声帯を傷めてしまうというのは今でもよく言われるし、素人耳にもイタリア語の方が母音がはっきりしていて歌いやすそうとか思うかもしれないが、Querelle des Bouffonsの時代には、フランス人はイタリア語の歌を「騒音」扱いしたし、イタリア人はフランス語の歌を「わめき声」扱いしている。それぞれけっこう分析しながら。
 まあ、このカストラートのレパートリーを聴いていると、確かにアクロバットというか、サーカスであり、イタリア語とかいう「言語」の次元じゃなくて、喉、傷めると思う。

 だから去勢という特殊手段に出たんだろうけど。

 今、こういうレパートリーを歌える人は少ないし、セシリア・バルトーリは中でも、普通はもう誰にも歌えないようなレパートリーを掘り起こして力技を披露してるので、どれも珍しいものだ。伴奏もGiovanni Antonini で実にしっかりしているけれど、バルトーリって、怪物だなあ。

  Cadrò, Ma Qual Si Mira   のような、Francesco Araia の曲なんて、初めて聴いた。イタリア人聴衆が熱狂して涙を浮かべてブラヴォーと叫ぶのが聞えてきそうだ。

 私の好み、つまり、基準を、「一日の初めにベッドの上で聴いて、一日の終わりにもベッドの上で聴くとしたら」、というのに定めると、好きなのは、最後の

Antonio Caldara の『アベルの死』のうちの

 Quel Buon Pastor Son Io

 だけど。

 今ちょうど、フランスでは、小児性愛の累犯者が、自ら去勢されることを願っていることについて、フランスでは肉体損傷刑を死刑と拷問と同列で禁じているので、いろいろな意見が飛びかっている。今朝のラジオでロベール・バダンテールがいわゆるホルモン療法などの、可逆性があるものならOKと言っていた。
 医療行為以外の、可逆性のない肉体への介入に関して、フランス人の持つ文化的忌避観と、「フランス式倒錯」との関係は興味深い。これは、ひいては、ユダヤ世界やイスラム世界の割礼やアフリカの女子割礼(フランス国籍を得たアフリカ系女性が毎年フランス国内で家族内で強制的に割礼を受けている)などの、文化的慣習的な肉体介入にどこまで干渉できるのかという深刻な問題にもつながる。

 へミングウェイの短編にも、『God Rest You Merry,Gentlemen』とかいうのがあって、欲望といっても小児性愛とかではない)を自制できない男が医者に去勢を頼んで断られたので自傷した話だった。思春期を過ぎてからの去勢は断種できても性的行動を変化させないという説もあるから、どうなんだろう。
 性的行動がすべて、「脳」の中にあるというのは本当だと思う。

 うちの雄ネコのスピノザは、いろいろ事情があって、まだ無邪気な子猫であった6ヶ月半くらいで去勢したのだが、避妊手術されていないメス猫サリーと暮らしているうちに、サリーが発情するたびに「学習」して、今は、何だか分らないがすっかりサリーの本能を満足させられるようになった。もちろん誰も教えてないし、完全室内飼いだから他のネコを見て覚えたわけでもない。

 ライオンのようにかっこよく、シンプルでやさしい、男の美点をすべて備えたようなやつである。
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# by mariastella | 2009-10-27 00:03 | 音楽

正律弦が欲しい

 せっかく夢の正律ギターを手に入れたのに、今度は弦の調整に悩まされている。

 ヴィオラの弦はギター弦に比べてずっと高価だが、長持ちするし、音も安定している。
 調弦もネックの糸巻き部分だけでなくて、緒の部分にも微調整のアジャスターがついているし、何よりも左手の指の押さえ加減で演奏中の「土壇場の微調整」というのが可能である。耳さえしっかりと、「鳴る前の音」を聴いていれば大丈夫だ。その点で、声楽と同じである。

 しかしギター弦は、例えば、開放弦に対して第3ポジション(開放弦より一音半高くなる)が低すぎると感じた時に、弦を締めると、開放弦は変わらないのに第3ポジションがちゃんと高くなる時がある。

 一方でしか締められないこととマチエールの関係?、ナイロン弦の上に巻かれたメタル線の向きの関係?

 弦が古びると弾力を失うからもちろん不正確になるし、調弦への反応の仕方も変わる。
 新しい弦でも、同じメーカーの同じ張力の弦でも、音の立ち上がりと終わりとの音程の差が大きすぎる弦にあたることも少なくない。楽器との相性というのもある。

 私たちの「正律ギター」は、各弦のラを418に調弦している。だから、例えば、第2弦と第4弦のラを同時に弾くと、当然、完璧にオクターブが重なる。ところが、同じ第2弦と第4弦のレを弾いてオクターブにすると、僅かなうなりが生じるのである。

 錯視というのもあるから、音程にあまり神経質になって正確な判断が下せないんじゃないかと一瞬思ったが、うなりという現象は、明らかにずれを示している。

 今朝の練習で、ニ長調のLoureの出だしでこの問題が起こったので、あれこれといろいろ悩んだ。
 正律ギターへの「信頼」に影が差したのである。

 で、結論は、よくあることだが、弦のせい。

 弦のメーカーとか張力とかもう少し試行錯誤しなくてはならない。それでもあたりはずれがあるし、しょっちゅう変える必要もあるから完璧な解決はないだろう。

 平均律で何の悩みもなくて思うままに練習できるピアニストがうらやましい。
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# by mariastella | 2009-10-26 23:05 | 音楽

K のソリプシズムの考えかた その後

 必要があって、手元にあったD・クーパーの『反精神医学』(岩崎学術出版社)を35年ぶりに読み返した。

 関心のあり方が変わると本が変わる。本も環境と同じで、自分との関係性の中で始めて存在するプロダクトであるんだなあ、と今さらながら思う。
 この人の「反精神医学」の実践は今どうなっているんだろう、とネットで検索してみたら、なんと、1986年に55歳の若さで亡くなっていた・・・・

 35年前も、脱自(Ex-stasis)と入自(en-stasis)と宗教神秘体験の関係に注目したのだが、今回は、私があるという存在(=being that I am )と私があるという無(=nothing that I am)という切り口に特に反応した。

 「私」が戦略的に解体した非存在とは、特殊な限定された無であって、それは一般的な空虚とか無効化された存在(=a-voided being)ではない。
 一般的な意味での自我的な「存在」と、非特異的な無との2極に拡散される間の微小な地点に「具体的特異的な私の存在」がある。

 今、11月下旬に出る『自由人イエス』(C・デュコック、ドンボスコ社)で展開された「自由」論を、宗教としてのキリスト教の言葉を使わずに書きなおす試みをしているのだが、それにすごく役立ちそうだ。

 Kのソリプシズムの理解にもつながりそうだ。

 K のソリプシズムについては、はじめは、無神論の一形態かと思った。

 次に、神秘主義のヴァリエーションかと思った。

 今は、哲学的自由論の枠の中で語れると思っている。

 ソリプシズムは自我的でない自由の一形態であり、自己の解体と再統合を可能にする練り上げられた生存戦略の一つなのである。

 実は、最近読んだ大井玄さんの環境と自己論には、正直言って、そのバイアスのかかり方にがっかりした。こういう、「はじめに結論ありき」という論の立て方は誰でも陥りやすいので要注意だが。
 でも、まあ、人間が実存的不安や情動を最小にするために世界や自己やその関係を仮構するというのは分るので、その仮構の仕方が「キリスト教世界 対 非キリスト教世界」だったり、それがいつの間にか、「西洋近代の無神論的物質主義 対 多神教的協調世界」になってたりとぶれるのも、分らないではない。そういうのを整理するためにこそ、私は無神論の系譜研究を始めたのだから。

 どういう世界の仮構の仕方が、最も平和と共存を望めるのかという問題はもちろん複合的なのだが、それには、「自由」の問題の根本的な検討が必要になる。Kのソリプシズムは一つのユートピア的自由地点である「特異化した無」を標榜することによる「遍在」の試みなのかもしれない。

 D・クーパーは、正常と狂気を対立項におかない。正常の反対は異常であり、統計学的概念に過ぎない。ある種の「精神病者」とレッテルを貼られた人は、単に「正気」を選択しただけかもしれないという。「異常で正気」という組み合わせもあるのである。

 精神異常についてもそうだとしたら、いわゆる生活習慣病もそうかもしれない。
 各種検査で「異常値」が出ても、それは、必ずしも、「病気」とイコールではない。正常値とは健康な人の検査値の平均あたりを指すだけで、「健康」な人の「すべて」が「正常値」というわけではない。

 検査の「異常値」や生活上の「異常行動」は、必ずしも「疾患単位」ではない。それはある個人と環境(あるいは他者)との相互作用のパターンの一定の組み合わせであり、それが多かれ少なかれ特異であるだけだ。
 精神病や生活習慣病は、ある個人の「内に」起こっているのではなく、環境との間に起こっている何かなのである。人間の臓器ももちろん内的な閉鎖系ではなく、たえず呼吸や摂食などにより外の環境と連動している。

 こう考えると、「病気」や「狂気」を疾患単位として封じ込めたり排除したりして「正常」への復帰を目指すcureとは別に、健康とか正気とはそれぞれの人にとって何なのかを考えて再統合を手伝うhealという考え方が大切だということになる。偏った生活習慣もそうだが、単に「老化」するだけでも人は検査上の「異常値」の方に向うのだから、そのへんの考え方は、これからますます重要になるだろう。真のQOLに一番大切なのも「自由」だし。
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# by mariastella | 2009-10-21 18:52 | 哲学

正律ギターその後

 正律ギターでトリオの練習を続けている。バスが10弦ギターになったので、その調整が最も難しい。
 6弦ギターは、弾いている方には何の不都合もない。
 3つのギターの和音の響き方が、これまでとは全く違って、快感としか言えない。

 これだけ気持ちいいのだから、このフレタージュが知られるようになれば、すべてのギタリストが採用するかなとも想像したが・・・・

 この特殊フレタージュでは、上からミシソレラミの調弦しか不可能である。
 第6弦をミでなくレに下げて弾く曲は少なくない。
 開放弦だけなら問題ないが、フレットを押さえるとなると、ずれてくる。

 クラシックギターを始める人が誰でも弾きたがる曲に、「禁じられた遊び」の他にタルレガの「アルハンブラの思い出」に「タンゴ」がある。このタンゴは、6弦をミに、5弦をソに下げて、ポジションをずらしながら弾く。

 こういうのは、正律ギターは使えない。使えないわけではないが意味がなくなる。

 正律ギターの調弦は、私たちは今のところ、418ヘルツをラにとって、各弦をラにあわせる。開放弦を使えるのは5弦だけだ。これは少し面倒だけど、慣れるとどうということはない。

 ピアノというのは平均律だが、一音に一つのキーしか対応しない。その上、和音とかが混ざる。だから、それなりに、脳が微調整して聴いてしまう。本来ならばヴァイオリンソナタでピアノ伴奏なら、違和感があるはずなのだが、たいていはスルーされる。平均律に慣れていなかった明治の日本人はピアノ伴奏のヴァイオリンソナタをラジオで聴いてその不正確さに驚いたというが、今の人は生まれたときから平均律に慣れてるし。

 私は初めてチェンバロを弾いた時、そのタッチの違いや音色の違いに気をとられて、調弦の違いは気にならなかった。和音が混ざらないで各音が立ち上がってくるのが一番気に入った。これはギターのトリオと同じだ。

 ギターの一番の問題点は、一台で和音を弾くと楽器の内部で混ざってしまうし、平均律になっている上に同じ弦で別々の音を出せないから、ずれがピアノよりも広がることだ。私たちのように三台のギターで弾く時は、主要和音がきれいに響くように調弦を微調整しておくことが可能だが、そうするとオクターブや開放弦が合わなくなる。その上、一音の初めと終わりで高低差の大きい弦に当たることもあるし、フラストレーションは大きいのだ。

 ヴィオラで和音を弾くと指の位置で調整できるのでぴったりと決まってそれは気持ちがいいが、けっこう難しいし、基本的にメロディラインなので、私の場合いつまでたっても和音が上達しない。しかし、中年になって初めてヴィオラという非平均律楽器を手にして、正確な五度のハーモニーとそこから出発する音程の安定を自分で創って耳にした時の生理的な気持ちよさは忘れられない。

 五度が正確に鳴る正律クラッシック・ギターで、バロック・オペラを演奏するというのは革命的なアイディアだったと思う。しかし、このフレタージュはラディカルなものだから、一人の製作者が初めからやるのでなければリスクも大きいし、心理的抵抗も大きい。エピセアでニスの薄い最高級のギターを「いじる」のは、今思うと無謀な冒険だったが、私たちにはなぜか、無邪気な信頼と、結果への確信があった。

 パリでは来年の1月30日にこの世界で唯一の正律クラシック・ギターの22弦トリオによるコンサートをやる。日本でも来年秋に予定しているので、またここでお知らせすることになるだろう。

 
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# by mariastella | 2009-10-20 18:13 | 音楽

無神論の系譜とジャンヌ・ダルク

 今回の日本では、「書店に行って本を眺める」というような暇がなかった。手元にある必要な情報をとりこむのも遅れているので、新しい本を読んでる暇がないので、誘惑されないですんだが。私は決して読むのが遅い方ではないので、他の人たちがいったいどうやってますます増える情報をインプットしているのか謎である。

 それでも、せっかく日本にいるのだからと移動中に読みやすい文庫本や新書を少し買ってよんだ。

 野中広務さんと辛淑玉さんの対談本『差別と日本人』角川新書

 この二人の立場の違いや世代の世代がきっちりと現れているので興味深かった。外交と人間性についての考察も大切だと思った。また、どんなに意識が高くても、差別の実態や情報を知らされていない政治家はそれに対処できない。それには被差別者自身も差別を意識してその撤廃を「運動」に結びつけなくてはならない。このへんは難しいところである。ロビーイングとか、特定の共同体への非干渉とか、ユニヴァーサリズムとか、文化相対主義とか、いろいろな要素がからむ。フランスでの差別問題の多くは肌の色など「見た目」が違う場合が多いから、ここで取り上げられている日本の被差別部落とか「在日」の被差別者は、より構造的、歴史的な「排除される他者」なのだが、だからこそ、差別する側の「暗黙の快楽(辛さんの表現)」度が大きくなるのだろうか。

 新潮新書で本郷和人さんの『天皇はなぜ生き残ったか』。これはまだよんでいる途中。
 後は、科学モノ。佐藤勝彦さんの『宇宙は我々の宇宙だけではなかった』PHP文庫とか。

 日本モノと科学モノの二つのカテゴリーは、フランス語で手に入らなかったり、フランス語では読みにくかったりするので、できるだけ日本語で読むようにしている。

 これらは駅の売店でとりあえず買ったものだが、唯一、自覚を持って購入した本が、

 大井玄さんの『環境世界と自己の系譜』(みすず書房) 。 期待通り、すごく面白そうだ。

 来春からジャンヌ・ダルクについて某雑誌に連載し、後で本にまとめる予定なのだが、今は相変わらず『無神論の系譜』をやってるので、「ジャンヌ・ダルクと無神論」をくくって考えてみたら、これはもう、フランスの近代のライシテ論争そのものだと分ってくる。

 ジャンヌ・ダルクは、左派からも右派からも、国のシンボルとして愛されたが、彼女の活動の発端にあるのは、信仰であり、「神の声」である。キリスト教的無神論の世界では、神は存在しないのだから、それはジャンヌ・ダルクと、フランスの王権神授を否定することになる。それは、必然的に、「神を否定しながらフランスを肯定できるのか」ということになるのだ。日本では、「神の国」を否定したり、「天皇」の神性を否定したり、無宗教こそ日本の宗教などといったりしても、なんだか、うやむやになって、深刻なアイデンティティの危機はそこから生まれないようになっているが、フランスでは重大問題である。西洋近代における無神論の展開におけるフランスの近代国家としてのアイデンティティの危機が、ジャンヌ・ダルクをめぐる言説に全部現れているのだ。

 で、ジャンヌ・ダルクの聞いた「お告げ=声」について調べているうちに、

 La Voix dans la culture et la littérature françaises (1713-1875)
 http://www.msh-clermont.fr/article1076.html

 という本を見つけた。

 この中には、音楽と「声」についての論考もあって、

 JAMAIN Claude – Images de la voix dans la première moitié du XVIIIe siècle.
LOUBINOUX Gérard – La voix entre âme et viscères dans les textes de la
Querelle des Bouffons.
FABIANO Andrea – Le chant italien en France à l'époque des Lumières : mythe et
réalité.
BERTHIER Patrick – Musset et la Malibran.
PEYLET Gérard – La voix et la musique dans En route : surface et intériorité de
la sensation.

 という内容もある。これはフランス・バロックにおける「歌」の身体性にも関係していそうで、楽しみだ。
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# by mariastella | 2009-09-30 22:51 | 雑感

日本で見た映画のことなど

 日本から戻ってきた。こちらはもう新学期(新学年)が始まっていて、昨日、トリオの最初の練習を再開、明日からは生徒のレッスンが始まる。生徒を増やしたくないのだが、突然、小学生の時にギターを教えていた生徒の親から電話があり、今は21歳になったその生徒が、また習いに来たいという。今はグループを作って作曲もしてセミプロの音楽活動をしているが、クラシックギターと音楽理論を学びなおしたいそうだ。その他に、やはり昔ピアノを教えていた生徒が自分の息子を教えて欲しいと連れてきたので、これも、何だか感慨深くOKしてしまった。

 やらなければいけない仕事にかからなければならないのだが、忘れないうちに日本で見た映画についてメモっておこう。と言っても、暇がなかったので、映画館で見たのは『火天の城』一本だけで、後は飛行機の中で5本の映画を見ただけ。

 戦国時代モノが2本
  『火天の城』
  『Goemon』

 感動モノ2本 
  『余命一ヶ月の花嫁』
  『60歳のラブレター』

 ロマンチック・コメディー
  『De l'autre côté du lit』(フランス映画)
  『The proposal』(アメリカ映画)

 戦国モノが一番おもしろかった。
 安土桃山時代というのは、反宗教改革のカトリックのバロック・アート華やかなりし頃なので、宣教師を通じて、本格的な芝居や音楽や踊りも紹介されて、バロック・アートと日本文化の接触の刺激的なテーマがたくさんある。映画人の想像力も駆使できて、バロッキーでエキゾチックな華麗な装飾や、メガロマニアックな舞台が展開されるので楽しい。オルゴールなどの小物も彩りを添えている(ちらと見えるメカニックは18世紀っぽい感じだったけど)。火天の城の信長が椎名桔平、Goemonの信長が中村橋之介など、比べるのも楽しい。石川五右衛門が織田信長に拾われた天才忍者でいろいろな陰謀と関わったりする話もおもしろかった。
 どちらにもに寺島進が出ていて、この人は、「ナンバー2」の役どころにぴったりはまっていて、上手いなあと思う。

 『火天の城』の方は、建築そのものが興味深かった。

 今回の日本は忙しかったので、唯一、自分の希望を反映したのがこの映画と、青山のワタリウム美術館の「ルイス・バラガン邸をたずねる」という展示会だ。
 構成が妹島和世+西沢立衛のチームというところに興味を持った。バラガン邸のダイニング・ルームでお茶によばれて説明を受けるという趣向で、定員10名だが、最初にこの中で建築家はいますかと聞かれ、2人が手を挙げ、庭の十字架型の窓枠の強度やエアコンについて質問していた。私の質問したのは、寝室にあった十字架で、ある意味すごくモダンなデザイン性のあるグロテスクな一品だが、16世紀の「ウルトラ・バロック」ばりばりのもので、メキシコ国外に出すのに許可が必要だったそうだ。
 バラガン邸の色使いは、ブーゲンビリアの花だとか、メキシコの自然に依拠しているという解説だったが、あの十字架を見ても、ウルトラバロックの感性と共通しているのは確かだと思う。確か当時のスペイン系イエズス会文化はメキシコ・バロックを通過してアカプルコを経て日本に来たと、メキシコの音楽学者が言っていたから、バラガンと安土桃山の建築も、どこかで共鳴しているような気がする。実際、信長は、カテドラルのような吹き抜けの城を造りたいと最初に言ったことになっているし、メキシコ・バロックの意匠と安土桃山時代の建築や意匠の比較は面白いかもしれない。

 感動モノは、「お涙ちょうだい」モノでもあり、『余命一ヶ月の・・・』は『ある愛の詩』とか『愛と死をみつめて』とかと同じ、不治の病に侵された若い娘のラブストーリーで、何だか安易なお約束でずるいなあ、と思いながら、お約束どおりたっぷり泣いてしまった。カップルのそれぞれの親たちの方に感情移入してしまうのが昔と違う。
 『60歳の・・』の方は、逆に私とほぼ同世代のツボにはまるような設定が目白押しで、セックスレス夫婦の定年退職離婚とか、夫の糖尿病(低カロリー食で禁酒、ひたすらウォーキングという固定観念にはまいったけれど)を厳しく管理していた妻の方が脳腫瘍で大手術とか、もとグループサウンズとか、自由業キャリアウーマンの孤独とかなど、20歳の悲恋の泣かせどころの「お約束」が世界共通なのと違って、60歳となると、国民性や時代や文化、風土をたっぷり背負っているなあと思わせる。(でも、泣いたけど。)

 ラブコメの2本は、フランス映画の方がダニー・ブーンとソフィ・マルソーの人気カップルで、倦怠期の夫婦が役割をすっかり入れ替えるという、クラシックだが真実味のない設定で、たいして笑えもしなかった。もう少し何とかなってもいいのに。アメリカ映画の方は、これもカリカチュラルな男女逆転(女性が上司で昇進を条件に部下に偽装結婚を迫る)シチュエーションで、しかし実は男の実家がアラスカの大実業家で大家族で、女の方は孤独で愛を忘れているという、御伽噺のヴァリエーションだ。でも、さすがアメリカ映画の方がこういうのは上手いなあ、と思った。それにしても、けっこう裕福な人たちにおける家族、仕事、ジェンダー、恋をめぐるごたごたと女性のフラストレーションというのは、どこの国でも変わらなくて、何か根本的におかしい。『60歳の・・・』に出てくるような弱小自営業の共働きのカップルというのが、大変だけど一番人間的で幸せそうである。
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# by mariastella | 2009-09-24 00:39 | 映画

マルキ・ド・サドとイタリア・オペラ

 先日、「Sade と Michel Onfray」 の記事で、サドが権力者の確信犯で、一種、貴族的特権のもとに、過大な文学的評価を受けていることを私も変だと思っていることについて書いた。

 その時もジル・ド・レのことを引き合いに出したが、少なくとも19世紀までは、どこでも、権力者たちにとって、庶民には人権などなく、子供が昆虫を引き裂くように、易々と、心身を踏みにじっていた。こういうと、西洋は狩猟社会で肉食だから云々と、また的外れなことを思う人もいるかもしれないが、残念ながら古今東西、同じであるというしかない。

 奴隷売買のように、労働力として家畜代わりに使われるのはまだいい方で、女子供となると、あらゆる性的倒錯の対象になる。私のようなものから見ると信じられないエネルギーで、ジル・ド・レだとかサド(この人は夫人や家族からの願いで投獄されて自由を奪われていた時期が長かったから創作の世界に行ったが、もし野放しにされていたら同じだったろう)などは、決して「例外」ではない。

 そのサドが若い頃にイタリアに行った時、フィレンツェ貴族の性的逸脱ぶりというか今なら立派な性犯罪ぶりを手紙で報告しているのも興味深い。ただ、この手紙 (Voyage d'Italie, Oeuvres complètes, tome VII, Paris, Jean-Jacques Pauvert, 1965)には、私にとって見過ごせない部分がある。

 18世紀のフランス人がイタリアに行ってオペラを観て驚くのは、カストラートの存在と人々の熱狂ぶりである。
 カストラートは、女性禁止の聖歌隊で高音を維持するために去勢された男性歌手に起源を持つのだが、なぜだか、フランスでは嫌われた。フランスで公演したカストラートもいたのだが、今ひとつ聴衆の熱狂がなく、当時あれほどイタリアと張り合っていたフランス音楽界はこの方法を無視している。

 フランス・バロックとイタリア・バロックの本質的な違いの何かが、このカストラートに反映していると私は思う。
 で、サドの反応だが、これが、この人はルソーと違ってしっかりフランス・バロックのエスプリを真ん中でつかんでいたのだなあと思う。ここだけ読んでると、サドはすごく健全なのだ。

 カストラートと呼ばれる人たちが、ホルモンの失調で、しばしば巨体になったことは知られている。映画で見るような美形とはかなり違う、異様な感じだったようだ。少なくともオペラ座に行ったサドは、彼らを怪物と形容しているし、彼らを愛好することはとても理解できないし、反発をおぼえると書いている。

 巨体から絞り出される極端に高い声、その驚きに一瞬、喜びを感じるものの、醜い不器用なしぐさ、胃を膨らませる時のひどいしかめ面、声と一緒に出る嘔吐のような音や不愉快な摩擦音に台無しにされ、いい加減耳がおかしくなったところに、聴衆がBravo, bravissimoと声を揃えて張り上げデリケートさのかけらもなく叫ぶので、耳が裂けてしまう、とコメントしている。

そして、一般にイタリアでは男女の倒錯がさかんで、それは多分ローマ・ギリシア時代からの名残で、ローマ教皇もこの罪に免罪符を与えていたという噂もあるくらいだ、と書いている。

 サドは別に清廉ぶってこう言っているわけではない。その後で、貴族の性犯罪(若い娘を拉致監禁するなど)について書くときには別に嫌悪感を見せていない。本当にカストラートと聴衆の反応に嫌悪を抱いたようだ。

 サドの快楽は、「美徳」とか「悪徳」とかがタイトルに出てくるように、何か健全な「聖なるもの」の価値観を必要として、それを侵犯するところにあるので、「人工的な異様さ」にはないのかもしれない。

 そういえば、サド・マゾと対にされるマゾッホも、ラテン系ではない。「倒錯がリアルで伝統的な世界」では脳内逸脱が花開きにくいのかもしれないな。

 
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# by mariastella | 2009-08-31 02:47 | 音楽

Demain dès l'aube...

Demain dès l'aube...

ユゴーの詩の話ではなく、今年のカンヌの出品作だった Denis Dercourt 監督作品のタイトルだ。
 『譜めくりの女』は女性二人の心理スリラーだったが、今度は男性二人、兄弟が主役だ。
 Vincent PerezとJérémie Renier。ヴァンサン・ペレスがこんなに名優だったとは今まで気づかなかった。

 二人ともはまり役だ。

 いろんな意味で私のツボにはまる映画である。

 ドゥ二・デルクールは私と同じヴィオラ奏者で、音楽院教授でもある。だから、音楽の現場が必ず、かなりのリアリティで描かれる。
 ヴェルサイユあたりで自分のエージェントも兼ねている妻と息子とブルジョワ風に暮らす国際的ピアニストがヴァンサン・ペレス。個人教授もしている。
 もう少し遠くの郊外の一軒家で暮らす母と弟。弟は工場に勤めている。この弟が、ナポレオンの軍隊のローリング・プレイのグループにはまっているのである。母は、癌の再発で入院、次男のことが心配で、長男に自分が入院している間、弟と一緒に住んでくれと頼む。弟の方は、兄が妻と別居したのだと勘違いしている。
 で、この弟が、勤めが終わると、森で、ナポレオン軍の野営や訓練のコスプレをしているのである。そこに集まる人は皆、昼間の顔とは別の、こちらの世界の顔、役割、ヒエラルキーがある。

 その辺が怖い。
 
 私はリアルにこういう人たちを多少知っているからである。

 フランスには中世愛好家のコスプレグループ、第一次大戦愛好家、第二次大戦愛好家がいて、雑誌も出ている。かなりマニアックなグループだとは分る。秘密結社みたいだ。

 中世はまだしも、こういう「戦争愛好家」のプレイが私は苦手だ。
 ノルマンディ上陸作戦の記念日にも必ず、アメリカ人の愛好家たちが当時の軍服を着て毎年模擬上陸をやっている。一見観光のパフォーマンスのようだが、かなり本気である。

 日本でも模擬戦争とか、模擬サヴァイヴァル体験というのも時々聞く。
 でも、関が原の戦いとか、戦国時代とか、そういう「時代物」の戦争や日清日露戦争の愛好家のグループのかなり危険なコスプレとかあるんだろうか。時代物映画がTVの撮影か、テーマパークしか思いつかないのだが、日本でも、やってる人いるんだろうか。それともヴァーチャルにとどまっているだけなのだろうか。

 私の知り合いは過去のピアノの生徒の親で、同じ通りに住んでいる。ナポレオン画家で、当時の服や小物も全部手作りしている。地下室にアトリエがある。

 小柄で華奢で、戦争マニアのイメージとはギャップがある。

 くらくらする。

 彼の実兄は、等身大自動人形オートマタの製作者である。

 これも怖い。

 変な話だがヒトラーにかぶれてナチスのコスプレなんかしているとドイツなどでは刑法に触れる。
 
 ナポレオンには歯止めがない。

 けっこう怖い。

 ナポレオンは、聖母被昇天祭の8月15日生まれである。
 だから、聖母被昇天祭を聖ナポレオンの祝日にした。
 聖ナポレオンをでっち上げたのだ。

 映画では、弟を止めようとする兄がだんだんと異様な世界に引き込まれていく。

 その世界で、命をかけた決闘が組織される。
 死者がでれば、古式の狩をしているうちの事故であると皆が口裏を合わせることになっている。

 私はいつかナポレオンについて書こうと思っている。
 ナポレオンはジャンヌ・ダルクとルイ14世に並んで、最も多くの本が書かれたフランス人である。

 でも最も多くの人を今でもパラレルワールドに引き込んでいるのは、ナポレオンだけではないだろうか。

 
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# by mariastella | 2009-08-21 06:30 | 映画

Jean-Jacques Rousseau

 Jean-Jacques Rousseau についてはどういうわけか情緒的でアンビヴァレントな反応をしてしまう。

 無神論について読み返すために『エミール』の田舎司祭のとこだけでやめておけばよかったのに、なぜか『告白』を読んでしまった。

 彼が一生ジュネーヴ人として、パリの文化人の弱点をカテゴリー外の目線で捉えていたことなど、30年以上フランスに住む私が共感を持ってもいいはずなのに。

 音楽家としての凡庸さ、勘違いぶりは憐れをそそるが、これも凡庸な音楽家である私(勘違いはしていないが)が親近感を覚えてもよさそうなのだが。

 私が大のラモー好き、ヴォルテール好きだから仕方がないとしても、彼らの目から見てルソーが「いじめられキャラ」だったことがすごくよく分かる。

 『告白』の赤裸々な正直ぶりにも嫌悪感がある。

 教育に自信がないといって5人の赤ん坊を次々と「赤ちゃんポスト」に投げ込んだのも嫌。
 排尿障害を苦にして王の謁見を辞退したのも実感がこもりすぎていて嫌。
 生まれつきの尿管閉塞かなんか(『ルソーの病気』という本も出てるし、最近の医学雑誌で診断もされている)で、生活の質がすごく下がるハンディキャップなのも分るし、同情をそそられるのだがそれ自体も嫌。
 ヴァランス夫人を「ママン」と呼ぶ度、気持ち悪い。
 闘病生活や晩年の鬱病や被害妄想もみんな嫌。

 そういうのを嫌う自分にも自己嫌悪。

 私が大学の卒論をフランス語で書く前に、どなたか失念したが、フランス語の先生が、アナトール・フランスの短編をひとつとルソーの『孤独なる散歩者の夢想』のどこか1章を丸暗記しなさい、と勧められた。ドイツ語からの転向でフランス語が下手だった私は、おお、なるほど、と思って、アナトール・フランスの短編とルソーの1章をタイピングして暗誦した。フランスのものは明快で分りやすく、ルソーのものはセンテンスも長く、でも何だかロマンチックで詩的でかっこよく感じた。今にして思うと、あの二人の組み合わせって・・・・・

 「自然状態」を秩序ある「理想」と見なすこと自体もそもそも「文化」的解釈に過ぎないのに、しかもストア派回帰の一種なのに、自分ではコペルニクス的転回みたいな熱に浮かされていることも、田舎っぽい自然神信仰も、『新エロイーズ』のお粗末さも、みな、軽侮したくなる。

 なぜだろう。

 日本で、バロックオペラの研究者が、一度私に電話を下さったことがあった。喜んで出たら、もともとルソーがご専門だったということで、なぜか、私の脳裏には「むすんでひらいて」のメロディが流れ、がっかりしてしまったことがある。

 まあ、日本の「近代化」にまで大きな影響を与えたルソーのようなビッグネーム、私がこんな失礼なことを言っても、まともに怒る人もないと思うから書いてしまったのですっきりしたが。

 ルソーはラモーやヴォルテールの攻撃を嫉妬だと言ってる。嫉妬なのか?
 ラモーにもヴォルテールにもルソーを嫉妬する理由はなかったと思う。ただ、仲間外れにしたい、切って捨てたいという感じは見える。ルソーは独学でラモーのハーモニー論を勉強したが、本当は最後まで理解できなかったので、通俗的な旋律作曲家になったのだと思う。ラモーはそれを当然理解していただろう。

 まあ、世の「天才」たちが皆『告白』を書き始めたら、凡庸な人間が業績を評価しようとしたら目がルサンチマンに曇らされて、「好き嫌い」の鏡に自分自身を映し出してしまうんだろう。だとしたら、ルソーが自分で言っている『告白』の目的は達せられたわけだ。ルソー、恐るべし。

 
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# by mariastella | 2009-08-14 20:55 | 雑感

floccinaucinihilipilification

 無神論的言辞に注目して「西洋思想史」を見ていくと、結局すべてを見ることになる。
 無神論のにおいのしない思想も哲学も宗教もないと言っていいくらいだ。

 それは、無神論を考えることは神について考えることだからだ。
 普通に、伝統や習慣通りに宗教っぽい儀礼をこなして、忙しくサヴァイヴァルしている人たちは神のことなんかあまり考えない。考えるとしたら、「神さま、どうぞ何々してください」という、取引の対象だか殿様としてくらいである。
 神がいるかどうかなどと考え始める人たちは、不可知について考えているのである。

 「死」について考えていると言ってもいい。

 無神論のにおいというのは死のにおいなのである。
 
 人間が多少なりとも実存的な問いを抱き始めたら、「死」が出てくる。

 神を考えるのと死を考えるのは、同根なのだ。

 死だけが、人間が想像できる「永遠」だからだ。他の人間の死を見て、少なくとも自分の生きているうちにはその人と会えないことを認め、「死=人間の永遠の消滅」という認識が生まれる。

 死者は語らないし、目にも見えない。死は永遠とか無限に属するらしい。
 誰でも死ぬのは確実らしい。しかし、生きている時(有限の世界にいる時)はそれを体験できない。

 神の姿も見えない。神も永遠や無限に属するらしい。
 死ねば神の姿が見えるらしい。生きている間は、神を体験できない。

 こういうパラレルな状況がキリスト教的死生観にあって、「この世の死=神の国での永遠の命」というところに落ち着いた。

 ところが、近代の合理主義とか、科学主義は、アレゴリーを認めない。
 この世の生は、意味が無く、単なる偶然の積み重なりである。
 永遠とまで欲張らなくとも、生物の種も惑星にも太陽系にも宇宙にも寿命があって、そのスパンの中で考えるだけでも、個人の生などは、絶対の無意味でしかない。floccinaucinihilipilification。
 
 これがポストモダンのニヒリズムであり、「神の死」である。
 
 問題は、

 「神」が死んでも、「死」は死なないことだ。

 神の存在証明や非存在証明に、神学者や哲学者や数学者まで躍起になったことがあるが、それも下火になった。「死」の存在証明とか非存在証明はなされなく、いまや永遠の命だとか神とセットにできなくなった分、タブー化したり、余計に不気味な物となっている。「死」が解決できないのだから、「神」にあっさり退場してもらっても困る。まあ、昔ながらに、宇宙とか自然とか、代替物も遠慮がちに復活しているのだけれど。

 自己正当化や他者を裁くための口実として持ち出される「神」たちはまた別物である。
 しかし、無神論者たちは、こういう「神=偶像」を暴くうちに、「死」を孤児にしてしまったのだ。
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# by mariastella | 2009-08-07 07:41 | 宗教

Sade と Michel Onfray

 私は Michel Onfray が無神論にかける情熱が理解できなかった。
 アメリカではあるまいし、今のフランスで、あれほど熱心に無神論を唱えたり、反キリスト教論を展開する理由が分からなかったのだ。しかも、議論の種が古い。1905年の政教分離法の前ですか、と言いたくなる。カトリック攻撃も、十字軍やガリレイ裁判や異端審問が悪いと責めんばかりで、何だかダン・ブラウンばりに無教養というか、第二ヴァチカン公会議も、現在のフランス司教会議の立場とかも知らないのか、と脱力する。

 ところが、先々週の『Le Point』誌のサド特集で、彼のコメントが載っているのを読んで、ああ、この人って、こんな人だったんだ、と思った。

 彼は、サドが無神論の嚆矢で近代哲学の始まりなどではなく、むしろ封建時代の最後の哲学者で、アポリネールやブルトンらに持ち上げられたせいで、安易に「古典」の地位を獲得したことをに批判的だ。カミュの『反抗的人間』などの方を評価している。Michel Onfray は、「表現の自由」の名のもとに人間の尊厳が傷つけられるのが間違いだと思っていて、物書きとは一定の義務を負う者だと信じている。

 好感度アップだ。口が悪いと思っていたが、ピュアな人なんだね。

 サドは有力貴族だったので、家族が願い出なければ、ほとんど罪が野放し状態だったというところはジル・ド・レも似たようなものだ。ただし、サドの時代の一部貴族の性的放縦というのは半端ではなかったし、彼は、ジル・ド・レと違って、実際に人を殺すことはしていない。閉じ込められて、しかし「表現の自由」を得て花開いたのだが、だからといって、何でもありというのは変だと思っていた。文豪の裏小説みたいなものならそれなりの含羞というか、罪悪感もあって別だが、権力者の確信犯っていうのは、全体主義の芽を秘めていると思う。
 ナポレオンはサドを口を極めて罵っているが、ほんとに真逆のタイプだ。
 
 サドは無神論を自称していたが、冒涜冒聖に快楽を見出していたので、聖なるものにはすごくこだわった。神を無視したのでなく、例えば十字架を穢すことに至上の歓びを感じていたのだ。聖なるシンボルはどれも大切な小道具だった。でも、汚辱や破壊やタナトスの魅力をことさら言い立てるのがそんなに上等なこととは私には到底思えない。サドは、今では、原文をすべてネット上で読めるし、古典文学にも入っている。それを近代がタブーや偽善から解放されていった進歩と見るのか、サドがその侵犯を快楽としていた「聖なるもの」そのものがなくなったことで失われたバランスの意味を考えるべきなのか、難しい。ヴァーチャルであればどんな犯罪のシミュレーションでもOKなのかという、今日のモラルの問題にも通じるだろう。
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# by mariastella | 2009-08-03 06:23 | 哲学

聖遺物追っかけ、今度は仏舎利じゃない。

 今日は Notre Dame des Victoires で、リジューの聖女テレーズの両親の列福(昨年10月)以後初の公式典礼と聖遺物公開+崇敬というのに行ってきた。

 『ふらんす』(白水社)7月号に、知られざるフランスの自然文化遺産という連載で、リモージュの七年に一度という珍しい聖骨披露の記事が載っていた。頭蓋骨に直接接吻できるというのはなるほど珍しいと思ったが、聖遺骨そのものは、どこの教会にでもよくあるし、見えるものもあるし、半世紀前までは、どこの家庭にでもちょっとした聖遺骨が額なんかに入っていたものだ。

 「聖とグロテスクが一体になった、類まれなる儀式だった」と、ジャーナリストの羽生さんという方がコメントなさっているのだが、聖遺物好きで何十年も追っかけをやっていて、最近はネット動画でのなまなましさにかえって毒気を抜かれてしまった私には、このように「類まれなる」と形容されること自体が、何か新鮮だった。

 で、ここら辺で、どこの馬の骨?だか分らない「中世」の聖骨ではなくて、新しいだけに由緒正しい聖骨披露に行ってみよう、と思い立つ。今回の列福を可能にした奇跡の認定は、2002年に重篤の呼吸障害で生まれた新生児の奇跡の治癒に関するものだった。これからは列聖に向けて、次の奇跡が待たれているから、効験とかご利益の点では一番勢いのある(気がする)時期の旬の聖遺物なのである。

 透明ケースの中で、厨子みたいなのが開かれていて、そこに、娘である聖女テレーズのデザインによる聖遺物入れ。といっても、聖女が自分より百年遅れて両親の骨が崇敬されるなどと思ったわけではなくて、彼女の残した刺繍などからモチーフをとったもので、白百合、白薔薇、などが連なった、テレーズ好みの少女趣味である。
 その上の透明の部分にまた、二つの小さなガラスケースみたいなのが並んで、二人の骨のかけらが収まっているが、茶色っぽくて、あまり新鮮な感じではないが、全国で見られるテレーズの遺骨もこんな感じである。

 だから、聖骨に直接接吻というのは不可能で、ケースの上からでも私の見る限りさすがに誰もしていず、ケースに指をじっと当てて黙祷しているというのが基本形のようだった。

 パリの副司教によるミサは、オルガンとトランペットのソロとで、なかなか感動的なものだった。Vitryの仏教センターでの木魚と銅鑼もそれなりによかったが、幼いテレーズの信仰心の対象となり、ローマに巡礼に行く前に訪れて祈ったというこのパリのバジリカ聖堂の持つ「地」のオーラと呼応して、ユイスマンスの気分が分るくらいに審美的な満足を得た。

 驚いたのは私のすぐ前に、ベトナム人らしい母親と7,8歳の男女の子供がいたのだが、その眼鏡の男の子が、Nintendo DS を手にしていて、最初から最後まで、ずっと、画面に見入ったまま、それこそ渾身の、といった感じでゲームに熱中していたことだ。ミサでは、式次第によって、着席したり立ったり(跪く人もいるが)という姿勢の変化があるのだが、この男の子は終始、座りっぱなしである。

 これを見て、

 「なに、このおかあさん、あまりにもリスペクトというものを教えなさ過ぎじゃないか」
 「それとも、ゲームしてていいからという条件で無理に連れて来たのか」

 とか思って驚いたわけではない。(多少は思ったが)

 この子が、あまりにも、自分の世界に入っていたことに驚いたのである。

 周りには、荘重なオルガンの音、トランペットの音、香の匂い、ぎっしりと埋まった人々、なぜか分らないが泣き崩れている人までいる。ゼリー・マルタンは乳ガンで亡くなったので、ガンの人にも特別の祈りがある。それでなくともここは「不思議のメダイ」のチャペルと並んだパリの聖母御出現の巡礼スポットだから、普段から、濃密な敬虔さが垂れ込めている場所だ。特別の場所での特別の典礼で、特別な思い入れをしている人もたくさんいるだろう。

 もし、サイコ・エネルギーをキャッチする霊能者なんかがいたら、「おお」っと金縛りにあいそうな何かが漲っている。

 子供なんて特に、感受性が強そうだしな・・・・

 それが、この子は、微動だにしないで(いや、時々、ゲームの進行が上手くいったらしい時は「やったー!」みたいなガッツポーズが出ている)、ヴァーチャル世界に没入だ。
 それとも、いつもこういう場所にばかり連れられてきてもう好奇心なんか使い果たしたのか?

 感性とか感動の世界って、奥が深い。テレーズのような子供もいれば、完全に自分ワールドの子もいる。それとも、幼いテレーズがたえず対話していた聖母だの幼いイエスだのとの世界だって、ヴァーチャル世界に入り込んでで身じろぎもしない子供の世界と、通じるところがあるのだろうか。

 さて、話を戻すと、こういう普通の夫婦が「カップル」として、一組で聖化されるというのは、実は非常に珍しい。
 ルイとゼリー・マルタン夫妻の前には、2001年に列福されたイタリア人夫妻がいるだけで、その列福式には、4人の子供のうちの生存者(当時85、82、77歳)が出席したという異例のものだったが、4人とも、修道士とか司祭とか修道女とか在俗修道女とかである。だから当然孫はいない。

 マルタン夫妻はといえば、9人の子をなし、4人が早く亡くなり、残った5人の娘が全員修道女。特にカルメル会には4人がそろうなど、そこだけ見ていると、母親が早く亡くなった後で、なんだか正常な家族関係が築けないで、みんな思春期神秘熱に伝染したんじゃないかと思ってしまうが、まあ、実際はもう少し複雑である。
 そして、では、聖なるカップルというのは、「子供を神に捧げたカップル」ですか、それを模範にしていたら人類は滅びるのでは、とも考えたくなるが、この辺も、実は、いろいろおもしろい。

 ルルドのベルナデットもそうだが、若くして「聖母を見る」などという「恵み」を得た者を、聖女として認めるかどうかというのは、なかなか難しい政治的教育的判断を迫られるものである。これは「奇跡の治癒を得た者」も同様で、せっかく「神の恩寵」を得たのに、長生きして詐欺犯として捕まるとか、結婚離婚を繰り返すとか、あまりにもひどい展開があると、「恩寵」は希望でなく不条理のシンボルになりかねない。
 教育的でない、とか言う以上に、「意味の期待」としての信仰の根本を揺るがしかねないのである。

 それは子々孫々についても言えることで、せっかくの「大聖人」の五代後の子孫が大量無差別殺人犯になったというのではまずいだろう。まあ、たいていの場合は、法外な「恩寵」を得た人の多くは生涯を神に奉献する気持ちに駆られるようなので丸くおさまる。 長じて、「聖母を見たといったのは嘘でした」とカミングアウトするようなケースは非常に少ない。どんな奇跡や恩寵だって、個々の人生の文脈の中で進化していくものだから、無難におさまるところにおさまることがほとんどなのである。

 これに対して、孔子廟などでは、孔子の両親や先祖はちゃんと祀られている。さすがに親を敬う儒教の精神で、孔子を世に出したすべての祖先はそれだけで敬われるべき存在だ。だから儒教的な文脈では、聖人の「子孫」の方はどうなろうと原則的には聖人の聖性のハンディにはならない。

 キリスト教では、聖人の親といえども、別に聖性のDNAを子供に伝えたわけではなく、あらゆる命はすべて、「神からの賜物」なのである。だから、聖人の聖性を讃えるのは神を讃えることであり、特にその親に感謝して敬うということにはならない。

 そんなキリスト教が、はじめて、聖女の両親をまとめて聖人の列に加えようという試みとして、マルタン夫妻のケースはここ15年(つまり徳を認められた尊者となった後、福者となるために奇跡を待っていた間)非常に私の興味をひいていたのである。

 しかも、聖女テレーズと言えば、生前目立たずに夭折したのに関わらず、今や教会博士の称号さえ獲得した異様に評価の高いビッグ聖女で、近代カトリック界のアイドル的聖女だ。
 そしてその名は、ノルマンディはリジューのカルメル会と切っても切れず、リジューの聖テレーズと通称されるほどだ。リジューはもちろん大巡礼地として栄えている。
 父のルイ・マルタンはめでたくリジューで死んでいるので、リジューの司教区が列福手続きなどを扱ったが、問題は妻のゼリーである。彼女はアランソンで死んだし、フランシスコ会の第3会に属していて、アッシジの聖フランチェスコに特別の崇敬の念を寄せていた人だ。で、ゼリーがカルメル会の聖女に取り込まれるのはフランシスコ会が快く思わなかったとかいう噂も流れた。

 そういうカトリック教会内のいろいろな事情もあったのだが、とにかく、二人のカップルとしての(つまり、神の愛を結婚の秘蹟の愛のうちに証したものとして)列福はようやく実現した。

 二人の亡くなったのは、1877年と1894年だ。

 一方、一足先にカトリック教会初の「カップル」列福を果たしたイタリアのQuattrocchi 夫妻が亡くなったのは、1951年と1965年で、夫は社会派弁護士、妻もビジネススクールを出ながら赤十字活動をするなど、具体的ではっきりした活動記録がある。この二人が、子供たちが現役のうちに早々と列福されたことから考えても、マルタン夫妻の列福が必ずしも楽な道でなかったことは推測できる。

 まあ、子供が現役の教会関係者というのと、子供が聖人だというのは、いろいろな意味で違うが、それにしても、カップルをカップルとしてまとめて聖化しようという最近の動きは、一体、教会はそれに何を託そうとしているのか、人はそれに何を求めるのかという問いを引き出さざるを得ない。

 教会の言いたいことは比較的よく分る。

 結婚というのは、夫と妻という二人だけの愛したり愛されたりというだけの関係性だけではなくて、神の愛を地上で示すという使命を帯びたものであるべきだということだ。

 要するに、昔は、ほっておいても、結婚は「本人同士」だけのものでなく、社会的家族的経済的などのいろいろな縛りやしがらみがあったので簡単には解消できなかったが、今はそういう絆が弱くなったので、「本人同士」だけに任せておくと、あっという間に解体していく。人と人の「はれたほれた」などというものは所詮はかないものであり、簡単にエゴイズムのぶつかり合いになる。で、そこに、双方が絶対にリスペクトできる「神」のような超越価値を立てて、愛を常に更新しなくてはならない、という話である。
 
 この日の説教では、

 「我々の唯一の富というのは、地位でも金でも典礼でもありません。それは我々の生命です。そしてその生命というのは私たちに属するものではありません」

 と言う言葉があって、一見逆説的だがよくできているなあ、と思った。

 そして、

 こうしてめでたく福者の列に加えられた聖人候補たちは、

 聖遺骨ケースに並ぶのである。

 墓から掘り起こされ、

 骨を分けられ、

 茶色く、はかなく。
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# by mariastella | 2009-07-13 02:43 | 宗教

Le Hérisson と Bambou

 軽くて楽しいフランス映画を見ようと思って、動物が出てくることもあって、2本選んだ。

 軽くて楽しい、というのは、意外に難しいということが分った。
 芸達者な俳優ばかり出ている割にはいかしきれていないし、いろいろ不自然だし、今ひとつ見ている間夢中になれなかった。パリが舞台、前者には小津さんという日本人も出てくるし、3つの家庭でみな猫を飼ってるし、後者は犬だが、ヒロインはピアニストだし、何となくなじみの世界でとっつきやすいかなあと思ったのだが。

 Le Hérisson( Mona Achache)はベストセラー『ハリネズミのエレガンス』の映画化だ。シックなパリのアパルトマンの住み込みの管理人のおばさんが実は、本好きのインテリだったという設定で、彼女の真の姿を知るのは、大臣の娘で、早熟で自殺願望のある11歳のパロマと、何をしてるのか分らない初老の金持ちそうなおとこやもめの日本人小津さんだけ、この3人に信頼関係や愛情が生まれる。

  ヒロインはJosiane Balaskoで、初老でぱっとしないもっさりした掃除のおばさんが実は・・・というのは『セラフィーヌ』のことも思い出す。けれど、セラフィーヌが実はシャーマニックでアーチストで絵を描くのに没頭してるのはすごいと思ったけど、このヒロインのルネは、ただつまみ食いしながら本を読んでいるだけで、正直言って、どこがすごいのかよくわからない。ドアを開けたら何だか天文学の研究をしてるとか、哲学の論文かいてるとか、古文書を解読してるとかならすごいなあと分るけど、ただ、本がいっぱいあるだけだ。
 しかも、小津さんとは、トルストイの文章なんかを応答しあうことで、「趣味の高尚さ」が通じ合うような設定なのだが、この小津さんって、フランス語が別に特に上手くもないのに、暗誦するほどの愛読書がトルストイの仏訳ですか・・・
 それならまだロンサールの詩なんかを引用しあって「おっ、趣味があいますね・・」とかいう方が自然じゃないか。モンテーニュの引用とかでもいいし。
 「本がある」のが偉いのなら、大臣の家にだって、たくさん本はあるみたいだった。でも彼らはどうしようもない俗物として描かれている。それに対して管理人のルネは、「ハリネズミ」で、人はなかなかそばに寄せつけないけれど、実は中味は繊細でエレガントであるというのである。ところが、私はルネが実は読書家だと知っても、別にエレガントだとは思えないのである。ミスティフィカシオン即エレガンスにはならないし、「小津さん」だって、変なやつだと思う。

 まあ、これを成立させているのは、パリの立派なアパルトマンの住み込みの管理人というものが、口やかましかったり、ポルトガル移民の夫婦だったり、住民の赤裸々なすべての側面を見ているのだが、住民からは実は人格を無視されているという、独特の差別構造なのである。つまり、そこにいるがいないのと同じだと思っていた「2級人間」が、実は、部屋に書架を並べるような「人間」だった、という驚きで、彼女をそういうレッテルで見ない子供とか外人だけが、真の姿を見つけるのだという、安易な寓話的枠組にこの原作や映画はのっとっているわけである。原作を読んでないから何ともいえないが、読み始めたら11歳の子の小難しい言い回しに飽きて途中でやめた、という人を知っている。この設定なら私だったらもっとましなものを書けると思う。映画のパロマちゃんは可愛いし、白黒の絵のセンスもなかなかすてきなので細かいところは楽しいのだけれど。
 愛猫としては、大臣のブルジョワ家庭にはペルシャ猫、ミステリアスな小津さんちにはシャム猫っぽいの(ロシアンブルーみたいだが、しなやかに痩せている)、管理人のうちには、テーブルの上に平気で座り込むしつけの悪い雑種猫がいて、そこんとこだけがうちと同じで、うちの猫の飼い方は、階級的にいうと最下層なんだなあと妙に納得した。
 後、通いの家政婦が、大臣のところは時給8ユーロで安いが、12ユーロのところを見つけたのでやめてやる、と言っていたが、うちの家政婦さんの時給は10ユーロなんで、まあ妥当かなあとほっとした。13ユーロ払ってる人も知っている。

 もう一つは、Bambou(Didier Bourdon)で、完全なコメディなのでもっと笑えるかと思ったが、冗長だった。
 子供が欲しいカップルのところに突然犬がやってきて、カップルの邪魔をする上に、女性の方が急に国際的なピアニストとしてのキャリアが可能になってうちを留守にし始める。
  Didier Bourdon, Anne Consigny, Pierre Arditi, Eddy Mitchell, Annie Dupereyと、個性的な人が多いし、設定ももっと楽しめるかと思ったのだが、こうなると、やはり演出が下手なのか。
 ここにはアジア人の家政婦が出てくる。支払いの場面も出てくる。ブルジョワ的なアパルトマンに住んでた主人公がいきなり屋根裏部屋に引越ししたりして、ここでも、階級とかパリの外国人の人間模様とかいろいろカリカチュアライズされている。中途半端にリアルだと笑えないなあということがよく分かった。これくらいならハリーポッターの新作を見に行った方がましだったかもしれない。

 ちょっとがっかりという点では、今読み始めたEmmanuel Carrèreの『D'autres vies que la mienne 』もやや期待はずれだった。お手軽な感動や笑いを求めている場合じゃないのかも。今ぼーっと読んでいるものでなんとか面白いと思えるのは三角関数論と、サラ・パレツキーくらいかなあ。後はB16が最近出した回勅。貧困についての考え方には根本的な新しさ(実はイエスの頃から一貫してるのだが・・)が見られて、危機感やら絶望よりも何だか希望を感じさせてくれる。悪くない。
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# by mariastella | 2009-07-12 07:41 | 映画

バッハの「平均律」

 昨日の記事について、サイトの方で、

 日本では、バッハの『Das Wohltemperierte Klavier』を『平均律』クラヴィエ曲集と呼ばれているので、ピアノは音程が均等に調律されているのかと思っていた、というお話があった。

 『純正』調は(イデアの世界だけで)現実には(竹下流に云へば身体的には)在り得ないもので、皆少しづつ調子が違うからこそ美しいハーモニーが奏でられるのではないか、とも。

 そう、ピアノの調律は微妙で、まあ、自由に転調しても誤差が少ないようにできているのだ。だから、クロマチックに弾いても現代風12音音階とかにならない。
 そういうピアノの音で育って「絶対音感」のある人なんてけっこう悲劇で、バロックを弾いても聴いてもハンディになる。絶対音感って、共感覚の一種で、音の高さとその名のレッテルを連動して想起できるというだけのものなので、名前と高さの連動が歴史的に変わるし楽器によっても変わるということを想定していないからだ。

 大体バッハは、「平均律」の作曲家みたいだが、自分はしっかり純正律で弾いたり作曲していたそうだ。

 純正律の演奏は、調性と調律と音を選べば可能である。バロック音楽では不協和音も多用するが、和音が純正であるほど、不協和音の「おいしさ」が際立つし体のくすぐられ方も快感になってくるので、整数比の三度や五度をきっちり押さえておくことが「バロック人生のクオリティ」にとっては大事である。
 私たちはハイポジションでもオクターブと五度が保証されるギターを使い、三度は3台のギターの振り分けによって調整しようと思っている。知覚や認知のシステムはミステリアスだが、多くの人と気持ちよさを共有することは可能だと思っているし、場合によっては、理論と期待以上の飛躍も夢じゃないと思う。私たちにとって、純正律はアカデミックな志向でも美的イデアでもなく、美味の追求である。そうやって嵐の中で吊り橋を渡っている時に、突然、揺れのない無時間的な体験があり、野をわたる風の光だけが浮かんだりするもので、それは閉鎖的なものではなく、「分かち合っても減らない」奇跡のパンなのである。
 
 バッハの平均律に戻ろう。平均律は英語で言うと、「ウェル・テンペラメント=Well-Temperament」で、ほどよく調律された、という意味なのだが、英独仏でこの「ウェルなんとか」、という言葉は、日本語にするといつも誤解を招く。「ほどよく」というのは、「適当に」とか「良い加減に」とかいうことだが、今や日本語では「ほいじゃ適当にね」とか、「あの人はいい加減だ」などと、「不適当」を意味していることがほとんどだ。
 いい例が国連のWHOが使うWell-beingで、確か「幸福」と訳されたりしている。これについてはこれまでもいろいろ書いたからここでは繰り返さないけれど、「スピリチュアル」の訳と同様、いろいろな意味でずれが大きくなる。
 
 純正律と言えば「純」が排他的なので、それこそイデアの世界のもので、現実には不可能だと思われるし、そこで私は今のところ「正律」という中途半端な言葉を使ったのだが、ほんとうなら、ウェル・テンペラメントこそ、平均律でなく「正律」、あるいは「純」でなくて「準正律」みたいなニュアンスかもしれない。
 まあ、純正律によって引き起こされる Well-being も、複雑系の話であるから、単純な整数比だけの問題ではない。ハーモニクスとか、音「色」とか、音響とか、温度とか湿度とか、体調とか、それぞれの持っている音楽や音の体験によって刻まれた先入観によって変わってくるわけだ。だからこそ、少なくとも同じ空間を共有した者同士で Well-being を分け合えればいいのだけれど。
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# by mariastella | 2009-07-08 18:21 | 音楽

正律ギターについて

 この秋に日本で予定していたトリオの公演を来年に向けて仕切りなおすことにした。

 理由はいろいろあるが、ニコラ・エスコーと協力して広く知ってもらいたい正律ギターの調整が間に合わないこともそのひとつだ。「正律」ギターというのは今のところ使うことにした私の造語だ。

 西洋音楽の音階を弾くための楽器の調律には大きく分けて二つある。

 ピアノやギターなどの平均律と、ヴァイオリンなどの純正律だ。

 「西洋音楽」といっても、音の高低や、その比率感は人間にとって普遍的で、たとえば、周波数が2倍になると、音の高さが2倍高いが同じ音に感じられるとか、他にも、周波数が整数比をなす長3度とか完全5度だとか、きれいに「ハモる」音がある。

 それは普遍的なのに、それを調律するのはなかなか難しい。ピタゴラスの昔から、いろいろな工夫がなされてきた。あっちを立てればこっちが立たず、というふうに、とても単純で明快に感じられることなのに、複雑な手続きを経ても上手くいかない。説明すると長くなるので、

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B

 をはじめとして、音階や音律などで検索してみてほしい。

 平均律という調律つまり、オクターブを調整して、その間を12に分けるという調律法ができて以来、それまでの純正律のシェアは絶対的に少なくなった。平均律では、たとえば、長三度は純正律の長三度より音程が広くなる。こういうとかなり微妙な話だと思うだろうが、普通の人が、ドミソ、と口ずさむと、ドとミの間は自然に純正の長3度になって、ピアノのミよりも確実に低い。それくらい、純正律というのは、身体的なのだ。
 邦楽には平均律がなかったから、明治時代にはじめてヴァイオリンソナタ(平均律ピアノが純正律ヴァイオリンの伴奏をする)を聞いた日本人は、「何、これ?」とその不協和音ぶりに驚いたという記録がある。もちろん、平均律を使い始めた頃の西洋だって、その不快さ、不正確さに耐えられなかった人は多い。

 今ではそういうことを言わなくなったのは、まあ、何にでも慣れというものがあることと、人間の脳というものは上手くできていて、多少のずれは脳内微調整して聴いてしまうからである。

 私は何十年もピアノとクラシックギターを弾いてきて、平均律に慣れていた。頭の中で音を作らなくとも、楽譜の通りに鍵盤を押したりフレットを押さえたりすると平均の音が出るという安易さにも慣れていた。

 しかし、ギターは、ピアノのような完全な平均律には調律できない。
 ギターの調律の仕方にはハーモニックスを使うこともあるし、どの弦を基準にするかでいろいろな方法がある。上からや下から順番に調律していくと、後で両端の開放弦がちゃんと2オクターブの差にならないので、あれこれ組み合わせるのが普通である。それでも、フレットを上のほうで押さえるとずれてくる。
 調弦用の器械もあるのだが、それで一弦ずつ電気的に合わせても、平均律である限り、ずれてくる。ピアノなら一弦一音だが、ギターはフレットによって、同じ音を2,3本の別の弦で同時に弾くこともできるので、はっきり言って、完全に調律するのは不可能なのである。

 まあ、それでも「慣れる」し、脳による微調整もあれば、ギターの胴の中での微調整もある。ギターの音は、弦をはじいた後で木製の胴の内部で反響し増幅されてから出てくるので、たとえばドレミの和音が微妙にずれても、うなりが生じる前に、胴の中で共振、共鳴して「それなり」の「馴れた」音が出てくるのである。

 もうひとつは、弾く曲の調性や多く使う弦によって、開放弦の調律を完璧にしておくとか、その調の主要和音がきれいに響くように優先的に調弦しておくなどという手もある。

 私たちのトリオは実際そうしているし、ドミソの和音なら3人で弾き分けることもできるので、ソロでは消すことのできない濁りを消すこともできる。

 実際、純正律のチェンバロなどは、調性にあわせて調律しているから途中で転調する時は、濁る音程を回避しながら弾いたりするし、そもそも純正律時代には、作曲家がそれを熟知していてそれに見合った曲の作り方をしていた。

 さて、ニコラ・エスコーというギタリストは、ずっと自分の耳で調弦していたが、ある時 調律器械を使ってその矛盾に気づき、解決法がないかと考え始めた。

 純正律と平均律の「戦い」というのは、二者択一になりがちだ。
 (ここでいうのはもちろん鍵盤楽器とフレット楽器に関してのことである。)

 純正律なら転調があるところでは不正確になる。
 平均律は全体に不正確だが転調が自由にできる。

 というものである。

 彼はこれ以外の可能性を探った。

 それが正律フレタージュである。

 物理学を学び、試行錯誤を繰り返して、オクターブの他に完全5度を4ヶ所で作る今の形にたどりついた。
 
 注文によっては、正確な長三度を優先することもある。短三度はやらない。
 短三度は、ヴァリエーションがあり、感じ方が微妙に違うからである。

 どの人も普遍的に「ハモる」と体感するのは、オクターブと五度と長三度なのである。
 だからこそ、脳神経的な音感障害というケースは別として、普通の人は、これらの音程を外さない。

 これがなぜなのか、分らない。骨伝導の仕組みと関係があるのだろうか。

 私は15年前にビオラを習いだして以来、生まれてはじめて純正律が身体的な快感と良好感を与えてくれるのを知った。
 はじめは、たとえば、レのシャープとミのフラットが同じ場所でないことに面食らった。同じ音符でも、下降で出会う時と上昇で出会う時と、文脈によって押さえるツボが違うことも分らなかった。

 慣れてくると、蛋白質のレセプターみたいな突起だか穴だかがあって、そこにぴったりの音がすっぽりと収まることを発見した。それは本当に、パズルのかけらの両端がぱしっと合う感じで、その音程の正しさが確認できるのである。脳内微調整では味わえない身体感覚だ。

 去年、トリオの仲間がはじめてニコラのギターを持ってきた時、その揺らぐような相貌にも感動したが、ギターによって完全五度がきれいに弾けることにぞくぞくした。ハーモニーが腹におさまるあの感覚である。

 一度その可能性を知ったからには、それをもう忘れることはできなかった。トリオの仲間は、リュートやテオルブやチェンバロやオルガン弾きでもあり、純正律の身体性をよく知っている。

 私たちのトリオはルイ15世時代のフランス・バロックの舞踊管弦楽曲を専門に弾いている。
 その時代には、身体を動かすことの気持ちよさが曲を誘導したと言えるほど、身体性と曲の構成が切り離せられない。

 私たちが、ニコラのギターを使うという選択は自明だった。

 しかし、いろいろな問題がある。

 低音用の10弦ギターはアルゼンチンに注文した。バロックのピッチで弾くこともあるので、低音4弦の指定や弦の強度の選択もなかなか難しい。

 もう一つは、高音と中音部のギターの選択である。
 注文制作しても、フレットなしでニコラの手元に届くので、基本的に、弾いて試して選択することができない。

 楽器は生き物であるから、相性もあるし、抱き心地、手とのなじみ方もある。弾いてみないで選ぶことは不可能なのである。しかも、安くとも何十万円もする楽器である。運任せにはできない。

 私たちは、バロックギターによく使われていたエピセア材が表板になっているものを選ぶことにした。
 事情があってくわしくは書けないが、一応満足できるギターと出会えた。
 これが、このトリオ用の、アンサンブルのみを優先したはじめての「同時調達」である。

 問題はもう一つある。

 木の香も新しい生まれたてのギターは、一曲弾くごとに、それこそ、生まれたての赤ん坊のように、いろんなことを覚えていく。正確には木の細胞内の水の分子が振動によって微妙に移動するのだそうだが、少し経つと、本当に「私の子」という、抜き差しならない関係ができる。性格や特色も分ってきて、潜在力も見えてくる。

 そんなギターを、ニコラに渡すことができるだろうか。

 フレットを全部取り外し、その溝を埋め、新しい溝を掘り、新しいフレットを取り付けるのだ。

 すでに完璧な有機体である「うちの子」に、無理やり外科手術を施すわけである。
 性格が変わる可能性だってある。
 その子自体には無用の手術だし、よく言っても、親の勝手で優生学的手術を受けさせるか、美容整形をするようなものだ。

 剥がれたニスを塗りなおすとか反ってしまったアームの部分を削るとか、浮き上がったフレットを調整しなおすとかいうような、「治療」ではない。

 「冒涜」である。

 禁忌の観念が私たちを苛み、「この子を絶対人手に渡したくない」という気がする。
 罪悪感すらある。

 しかも、一度正律フレタージュをすれば、開放弦は別として、たとえば6弦をミからレに下げたりするのも曲によっては微妙である。ソリストとしていろいろな調性の曲を弾く時には、純正律の部分がある故に、むしろ、欠点の部分が強調されるかもしれない。全部が曖昧であれば、それはそれで気にならないのに。

 まあ、そんなこんなで、私たちのよく使う調性や、各パートのバランスも鑑みて、ニコラとじっくり話し合った上で、私たちは、新楽器との出発に踏み切ることにしたのである。

 この辺の経緯も含め、身体性と音との関係、それが精神性どう関わるのかも考えながら、『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)の続編を書く予定であり、どうせなら、日本のギタリストにも、「正律」の気持ちよさを伝えたいと思うので、それができた頃にあらためてコンサートの可能性を探ることにした。

 もちろんバロック・バレーと組み合わせるつもりだ。

 エレキギターやフラメンコギターでも、ニコラとは少し別の「曲がったフレット」というのを制作している人もいるのだが、たとえばあまりにも速いパッセージなどでは意味がなくなるし、バロック音楽でこそその真価が発揮できるはずである。

 まあ、極端に言えば、たとえば2台の普通のギター(はっきり言って平均律というより、不正律)と1台の正律ギターとで弾けば、違いがはっきり分るが、3台の正律ギターでは、見た目の不思議な魅力は別として、聴いている人には違いが分らないと思う。人は物理学や生物学だけではなく心理学でも「聴く」からだ。

 でも、だからこそ、弾いている側が、身体的良好感を持って踊り手とも共振しているということが、聴いたり観たりしてくれる側の受容の良好感を高めてくれると思う。

 私たちのトリオは、正律クラシックギターを使った唯一の、最初のトリオであり、私たちのレパートリーは、これもほとんど世界で私たちだけである。(昔の演奏の一部が有料のダウンロードのサイトでいくつも挙げられているのには驚いたが・・もちろん著作権侵害である)

 新しい試みの連続、それ自体が、フランス・バロックのエスプリである。
 ほんとうに楽しみだ。

 参考  http://www.guitaretemperee.com/

 

 
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# by mariastella | 2009-07-07 02:32 | 音楽

Kandinsky

 ポンピドーセンターにカンディンスキーの回顧展を観にいった。ミュンヘンの後がこのパリで、その次はNYに行くそうだ。カンディンスキーは革命後のソビエトを逃れてドイツに来て、ドイツ国籍をとったものの、今度はナチス政権のもとで剥奪されてフランス国籍をとってフランスで死んだ。ポンピドーセンターには豊富なコレクションがある。しかも、フランスでの最晩年の作品が、高齢と戦争に関わらず、活き活きと軽やかで明るいものが多いので、少し感動的である。

 私はクレーのバウハウスでの講義録は少し知っているのだが、カンディンスキーの理論派ぶりもなかなかのものである。いろいろな意味でラモーのことも連想して、ある意味、フランス・バロックの精神を持っているなあ、と思った。つまり、ある意味で近代以前であり、しかし、かなり科学的普遍的なものを志向していて、理論と芸術が一体化しているところだ。

 抽象絵画の祖だといわれているくらいだから、アヴァンギャルドで「近代的」だと思われるだろうが、なんだか本質的に貴族的で頭脳的で、それでいて、「宗教的」なのである。

 「西洋」の「近代」は宗教離れが旗印だったので、カンディンスキーの「宗教」色は、「東洋的」だと思われていた。たとえば20世紀初頭のパリなどは、アートの世界などかなり国際的だったわけだが、そして、日本人から見ると、ロシア人のカンディンスキーだろうがスペイン人のピカソだろうがスイス人のクレーだろうが、みんなヨーロッパ人、西洋人に見えてしまうが、一歩中に入ると、「ロシア人=オリエント」というレッテルがはりついていたらしい。それどころか、その頃流行ったアフリカのプリミティヴ・アートのマスクなんかさえ、「オリエント」と言われている。西欧以外はみなオリエントっぽいわけだ。

 カンディンスキーは、モスクワ生まれで、小さい頃から絵も上手かったが、経済学や法学の学位を持ち、ピアノやチェロを弾き、テニスや乗馬もよくした。30歳で、大学教授のポストがあったのを捨ててミュンヘンの画学校に入る。修道院に入るように、俗世間のキャリアを捨ててアートの世界に入ったと言われているのだが、貴族の出の修道者があまり下積みを経験せずに、自分で修道会を創立したり修道院の院長になったりしてしまうように、勉強した後でアカデミーに入れなかったら自分で美学校を創ってしまう。その後も、いろいろ挫折するたびに、親が金を送ってくれて旅行させてくれたり、落ち込むと、離婚していた父が菓子を、母がキャビアを送ってくれたと言うから、何だか基本的に幸せで恵まれた人だったのだ。女性にももてたみたいだし。アトリエでの写真もネクタイをしめてたりして、いつもなかなかダンディだ。金があったから、いつも美術協会やグループを作っては、展覧会も開けたし、理論書も世に出せた。
 24のアパルトマンのある建物を所有していたのを、第一次大戦と革命で48歳にして失い、はじめて金に困るのだが、まあ最後まで、それなりの生活ができた。彼がフェルナン・レジェを評して、「根が健全でそこからアートの力強さと構造とを引き出している」と言った言葉があるが、それはそのまま彼自身に当てはまる気がしないでもない。

 カンディンスキーの一連の作品には、

 Impressions というのと、Improvisations というのと、Compositions という三つのグループがあるのだが、 

 Impressions というのは、ある形、目に見えるものを見て、その直接の印象を描いたもの、
 Improvisations  は、無意識など、内面の事象が突然浮かんでくる印象を描いたもの、
 Compositions  は、外面や内面の事象の最初の印象を自分の中で熟成させ、合理的に、意識的に、意図的に再構成したものである。それは計算に基づいたものではあるが、感情は表出する。

 この再構成というところが、フランス・バロック的なのだが、20世紀のフランスはもうバロック時代ではない。
 19世紀末から問題になっていたのは、芸術のための芸術か、アール・デコのような実用性と関係あるアートかということであるが、カンディンスキー的に言うと、それらの「西洋的」なアートは基本的に無神論的アートであり、自分のオリエント的なものは、スピリチュアルであるという。つまり、魂の表現であり、神という言葉も平気で使う。そのへんも、フランス・バロックの科学主義における理神論などと通低している。

 「西洋」的なものは形と色重視の「メロディー」的なものであり、オリエントは内面重視の通奏低音とかポリフォニーの世界で内面重視だと言っている。

 音楽家は音楽で勝負とか、画家は絵がすべてだとか、クリエーターは作品でのみ自分を最もよく表現し、それについてあげつらうのは批評家や評論家だという場合もあるが、一流の画家や音楽家が膨大なと理論書を出したり、他の作品の批評や分析や、アートの歴史や、社会との関係などまでしっかり論じてくれるのは楽しい。文による表現力も大したもので、白いキャンパスを、生命の源の海のようなものと見なして、そこに色と形を描く時に、描かれて表出したものが自ら形を成そうとして内部から蠢くこととの緊張が生まれるというような言い方も非常におもしろい。これは、何もないのっぺりした空間に外からひとつの凝縮したエネルギーを投げ込むことによって、空間に緊張を生むという、それこそ東洋風の「余白の芸術」とは真逆の考え方である。

 このような理論家が、そのまま、色や形やアートの直感の天才でもあったことは喜ばしい。
 
 実際、具象時代の作品の色と形の美しさは息を呑むほどのものだし、スラブ風の作品もすばらしいものである。Improvisations なんかは、玉石混交だとも思うのだが、理論と経験と芯にある健全さと直感と天才が翼を得て自由の境地に飛んでいるような晩年の作品は、彼に影響を与えたと言われるワグナーだの、彼が抽象絵画を始めたのと同時期に無調性音楽を創始したことで彼と例えられるシェーンベルグだのの音楽よりも、ラモーの音楽をやはり連想させられる。

 個体発生は系統発生を繰り返すと言われるが、現代の「抽象画家」だの「前衛音楽家」だのも、そこに行き着くには、まずクラシカルな勉強や具象や調性の体験や試みを重ねてから「進化」していくのだろうか。鑑賞者はどうだろう。私には無調性音楽は身体性を裏切るように思えるので、抽象絵画とは同列にできない。いや、その性質上、もともと、絵画は、音楽が本来持っているような抽象性を希求して進化したので、メロディだとか、ポリフォニーとか通奏低音だとかいう言葉もよく使われる。クレーやカンディンスキーの絵画技法が極めて数学的や物理学的であることも、比率の学問である音楽に似ている。(彼らはそれに生物学的感性も加えているのだが。)クレーはヴァイオリニストでバッハやモーツアルトが好みだったし、特定の曲の動きを絵画に表現しようと積極的に試みたりしている。カンディンスキーにも楽器のモチーフや音楽モチーフは明らかにあるのだが、もう少し有機的な感じもする。クレーはバウハウスの学生に決して自分の作品の批評はさせなかったそうだが、カンディンスキーは、平気で自分の作品の分析をさせたそうだ。何となく、分る。近代美術の評論をやろうという人にとっては、カンディンスキーの一連の著作が必読書であるというのも、実によく分かる。
 
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# by mariastella | 2009-07-06 07:53 | アート

ナウル共和国の哀しみ « L’îl’e dévastée »(La Découverte) de Luc Folliet

金さえあれば一国の繁栄と幸福は実現できるのか、というテーマについて、以前『不思議の国サウジアラビア』(文春新書)に書いたことがある。その時はまだ、9・11テロの前で、イスラム原理主義についての警告的なことは書けないという事情があったこともあるが、あるローカルな地域に、突然資本主義先進国の必要とする資源が発見され、そのことで国が豊かになり、後進国の搾取にもまわり、国民は、働くことを忘れてしまうという構図の不思議である。
労働とは、人間の自然に組み込まれた活動なのか、あるいは、その必要がなくなれば、人は、無為に突入してまうのだろうか。

サウジアラビアに行った時は、ナウル共和国のことを知らなかった。
サウジアラビアにとっての石油がナウルの燐鉱石である。
ナウルは21キロ平方のインド洋の島だが、ヴァチカン市国やモナコに次いで小さな独立国だ。

1968年に独立した後で、農薬などに必要な燐鉱石の輸出国となって、70年代には国民一人当たりの年間生産では2万ドルと世界一リッチな国になったそうだ。13000人の島民が医療を受ける時などに滞在できるように国は、オーストラリアなどに土地や建物を買い漁った。もちろん税金もなし、電気代も無料、ナウル国民の家の掃除は国が雇った中国人家政婦がする。食料輸入率は120%、調理済みの食事が家々にデリバリーされた。国の建てたビルが林立し、オペラ座ができ、TV局もできた。

島の慣習や伝統行事や伝統産業はなくなり、言葉も英語が席巻し、死亡原因の第一は糖尿病合併症となった。

しかし、20世紀末には、その燐鉱石がほぼ枯渇する。生き残りのために、オーストラリアのアフガニスタン難民を受け入れたり、税金天国にして世界の400の銀行をヴァーチャルに受け入れたりするが、国は破産状態、荒廃を極めているという。最大の問題は、誰も働いたことがないということである。燐鉱石以外の産業もない。

国はあわてて、若い女性をフィジー島に研修にやって料理や家事を習わせたり、伝統織物のノウハウを再教育したり、男性には船の作り方や、漁の仕方、耕作の仕方を教えているそうだ。

Vinci Clodumar という、国営ナウル航空、ナウル燐鉱石コーポレーションの元トップで、法務、厚生、教育、財務、労働大臣を歴任して今国連大使である人による対策は、先進国の最新のテクノロジーを用いて、より深いところにある燐鉱石の採掘を可能にすることらしく、それによると後30年分は、「過去の栄光」を再現できる埋蔵量があるらしい。

そんなのでいいのか、ナウルの人。

一度、男女の分業が消滅したこと、全員が有閑階級になったこと、人は簡単に伝統を手離すこと、長期的な展望を忘れること、そしてそれらを可能にしていた「資源」がなくなると、目指されるのは「貧しくても幸せだった」遠い過去への復帰か、「あのリッチだった」近い過去の夢をもう一度かのどちらかになるのか。

人は、得たものや失ったものを通して何かを学ばないのか。
単純労働から解放されて余暇を手に入れた時に、ここぞとばかり哲学したり精神世界を深めたり芸術的な飛躍があったりとかしないのか。

サウジアラビアがまだ何とかなっているのは国の大きさ、イスラム教の求心力、石油の力、その他の地政学的な要素のおかげなんだろうか。

ちなみにナウルは、過去にオーストラリアやニュージーランドやイギリスなどの支配を受けているので、「キリスト教国」(3分の2がプロテスタントで残りがカトリックだそうだ)である。第二次大戦中は4年ほど日本に占領されていたこともある。

ナウルには軍隊もない。

小国というのは、いろんな生存戦略があるけれど、ナウルを見ていると、なにか悲しくなる。近頃、こんな風に暗い気分にさせられたのは、ハイチと中央アフリカだ。意味はそれぞれ違うのだが。

このようなカルチャーショックの後では、日本とフランスなんか、親戚みたいなものである。
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# by mariastella | 2009-07-06 00:57 | 雑感

ソリプシストKのための覚書その9


 先日エリカに会ってゆっくり話せたのでその後の経過を書いておく。

 エリカはKの手稿をいくつかは手元に持っているが、チェコから持ち出したわけではなかった。彼の手稿は、最期に暮らしていた女性に残され、Kを嫌っていた(8歳の時に母が同棲を始めたので)息子の手に渡り、その甥に譲られ、さらに彼がある収集家に売ったので、ウィーンに渡った。エリカがそれを最初に見たのはウィーンのようだ。彼女はドフトエフスキーのソリプシズムに興味を持っていたので、Kの噂に飛びつき、Kを読むためにだけチェコ語を学び〈すでにポーランド語の素養があった〉、ブキニストをめぐって、生前に刊行されていた本を漁っていた。

 やがてその収集家は、ビデオゲームの収集に宗旨替えして、Kの手稿をプラハの国立図書館に売却した。冷戦後Kの全集刊行の企画がもちあがったが、1900年以来何度かの正書法の変化のあるチェコでは、出版社は現代語表記への変更などを厭い、手稿を無視することにした。そこでエリカが、一人で、図書館に通い、手稿をまとめてその精密な注釈を施したわけである。

 彼女が最初にKを紹介し始めた時、クンデラをはじめ、チェコ人は、西側世界にKを知らせることに好意的ではなかった。パトチカはKの論理学について触れたが、Kを稀有のソリプシスト哲学者として全貌を把握した者はいなかったし、チェコ人インテリや文学者は、自分たちの売り出しとサヴァイヴァルに懸命だったからだ。 

 私は最近グレゴリウス・パラマスの神学や正教のヘシカズムとKをすり合わせようとしていた。
ラテン教会のfilioqueを考えに入れない方が、父なる太陽の光線である「神」同士の関係性が成立するのではないかと思ったからだ。

 しかし、私の考えはエリカに却下された。Kは他者との関係性を拒否していたというのだ。そして、KによるVladimir Soloviev についての膨大な批判論考の仏訳をpdfで送りつけてきた。書簡の中で正教神秘主義と自分の違いを語っているところも教えてくれた(エリカは、何年何月の書簡に何が書いてあるかをすべて暗記しているのである)。

 しかし、神秘主義と自分の差異をわざわざ分析すること自体が、Kのこだわりを示しているのではないか。

 パラマス風の太陽光線の比喩をあっさりと斥けられたので、私は次に「山の比喩」を持ち出してみた。一度山の頂に上って空や地上の光景を見たものは、たとえ下山したからといってその体験がなかったことになるわけではない。神秘体験は「体験後の世界」も変革するのである。

 すると、驚いたことにエリカは、一蹴せず、そのシェーマに従って説明してくれた。

 「自分は神である」という「山の上」体験をする前のKは、すでに、自分が孤絶した存在だと知っていた。生の苦しみを逃れるためにKが採用したのはストア派的な克己主義である。生への執着を捨て、自分を物質的なものから精神的なものへ変革しようという修行にも似ていた。

 しかし、ある日、突然、頂上に立つ自分を見る。

 「自分は神である」。

 すべてであり、全体であり、絶対である。

 これは一種の至福体験でもある。

 ところが、それは、すべての神秘体験と同様、持続しない。

 頂上の光景というのは、当然、この世では描写できない。論理や説明を超えたところにある。
 それを、詩的言語で表現する人もいれば、一筆の円や、公案の逆説で暗示する人もいる。それ以降の生き方で証ししようという人もいる。いや、地上に戻った後でも、はるか彼方の空とつながったままの吹き抜け状態で生きる人もいる。

 Kにとっての、神体験(神との合一体験ではなく、自分が神であることを知った体験)は、突然襲った啓示だった。

 彼はそれを持続するために、また、再現するためにいろいろな方法を考える。修行ではなく、意志のコントロールという方向である。しかし、そのたびに失敗する。
 Kは至福の記憶と予感と期待と失望と絶望との間をジェットコースターのように急速に上下する。緻密な論考を揺らがせるその痙攣が彼の魅力である。

 山に登ったことのある人の中には、次に来る人のために地図を書く人、アドヴァイスをする人もいるし、道の選択や方向を示す人もいる。どのへんに山があるのかを指差すだけの人もいるだろう。

 しかし、Kはそうしない。
 Kは、頂上にたどりつくまでのことは何も書かない。それは意図してなされたことではないからだ。しかし、頂上からいかに戻ったか、転落したか、という降下の過程ばかりをこれでもかこれでもかとKは執拗に書き続けるのである。彼のソリプシズムには、帰りの切符しかなかったのだ。

 こうしてみると、単に、神秘主義のヴァリエーションとしても、Kは面白い。しかも彼は根っからの哲学者で論理学者でもある。
 頭脳明晰な合理主義者が、ある日、自分が神であると気づいてしまう。まさに不条理劇でもある。

 エリカに言われたところだけでもじっくり読んでまた考えてみることにしよう。
 
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# by mariastella | 2009-07-01 22:56

左右非対称のこと

 数日前、フランソワ・ド・サルの生前肖像画において目が左右大きさが違っていることについて書いた。

 http://spinou.exblog.jp/11831115/

 普通、人は、シンメトリーがきれいな左右対称の顔を「美しい」と感じるものだと思っていたので、美丈夫という噂の高いサレジオの目の非対称ぶりが不思議だったのだ。でも、考えてみると、イエスに最も似ているとも言われたサレジオなのだが、キリストのイコンの中でも、左右の目というか、その表情が違っているものがある。それとも、基本がそうなのだろうか。片方は優しく、慈悲=愛を、片方は厳しく、真理=正義を表現し、この世にはびこる慈悲なき正義や真理なき愛がどちらも不十分であることを示している。

 その左右の違いは決まっているのだろうか。

 フランソワ・ド・サルの肖像画における非対称はむしろ、斜視のせいか、義眼のせいのようにも見えるのだが、キリストのイコンの表現とひょっとして関係があるのだろうか。
 
 そういえば、サレジオ会の金子神父が2003年に出された『風いつも吹く日々』(ドン・ボスコ社)の表紙絵や挿画をされた池田宗弘さんも、イエスの左右の表情を変えていた。神であり人であるとか、死んだが復活したとか、逆説に満ちたイエスには左右対称ののっぺりした顔は似合わないのかもしれない。

 そういえば、能面にも、左右の表情が違うものがある。橋懸かりから出てくるときに見せる右の横顔は。まだこの世への恨みや執念で苦しんでおり、成仏して去っていく時には穏やかな左の顔を見せるしかけである。

 『左右の民俗学』という本を読んだことがあるが、左右非対称と文化の関係はさまざまである。

 次に何か見つけたときに繋げるために一応ここに覚書しておく。
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# by mariastella | 2009-06-29 20:16 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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