L'art de croire             竹下節子ブログ

その後のいろいろ

 この前、冷却水が大量に必要だから海岸に作られる原発について、フランスで平地にあるのはどうなっているんだろうと思っていることを書いたが、

http://www.project-syndicate.org/commentary/chellaney15/English

にあるように、やはり湖や川や河沿いにあるらしく、フランスの原発が一年に使う水は190億立方メートルで、淡水消費の半分は原発だそうだ。(フィガロ3/17)

しかも使用後に高熱の水を戻しているから川や湖の温度が上昇するので、2003年の猛暑のときは17の原発が発電量を減らしたという。

その熱湯をせめて冬場の暖房に回すとかの有効利用が出来ないのだろうか。原発は二酸化炭素を出さないからクリーンなどと言いながら、立派に地球温暖化している気もするが・・・

東京のフランス系企業も通常業務に戻ったようで、地震直後にもうフランスに避難させられていた駐在員などもこの週末に東京に戻るらしい。

駐在員などは旅費が出るが、フランス政府のチャーター機で帰国を呼びかけられた一般在日フランス人は自前で日本に戻らなくてはならない。実際、それが嫌で日本に残った人もいる。

フランスのTVニュースでもようやく被災地や福島県に報道班が入って臨場感のあるものを流しはじめた。

原発から30キロ地点の自宅に避難所から戻ってきて、80代のおかあさんと籠城する息子さんのインタビューなどもあった。

食品の汚染の話題も多く、日本からの食品輸入が規制され始めたらしい。

スーパーで売っている「わかめサラダ」だの「すし」だののパックには、すべてメイド・イン・フランスのシールがはられていた。これではパリの日本レストランにも影響が出ているかもしれない。

木曜日に海軍の人とチャリティコンサートについて話した。ギメ美術館のオリエント協会の会長さんにも紹介してもらった。

パリは4月9日から春休みに入るので集客にはやはりその後の方がよさそうだ。

知り合いのカウンターテナーのセバスチャン・フルニエ

http://contretenor.onlc.fr/

も、ぜひ一緒にと言っている。

彼は2008年のチベット弾圧のときにも支援コンサートに参加した。

奥さんも歌手なので、いろいろなことが出来そうだが、私たちのトリオが昨年秋に日本でバロック・フルートと共演した「精霊の踊り」を彼に歌ってもらうというのは少なくともやりたい。

多くの人の善意があっても、「やる気満々」の人がその中にひとりは必要だ。

できたらアーティストではない人で。

幸いそんな人が名乗りをあげてくれたので、実現する可能性は大きい。

もちろん大海の一滴だけれど、もうプロジェクトが動き始めたので、練習と、健康管理に気をつけなくてはならない。

遅れている仕事も再開しなくては。

けれども、この大震災についていろいろ考えたことで前よりクリアに見えてきたものもある。

私が直接被災したわけでなくとも、同胞の大きな試練の前と後では、世界との関わり方は、もう、同じものではない。
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# by mariastella | 2011-03-27 08:37 | フランス

チャリティコンサート

佐藤俊太郎さんのチャリティコンサートのお知らせです。

パリです。フランス人の知り合いがいらっしゃる方はフランス語の方をコピーしてお知らせください。

私の方はできたらもっと早く、4月の9日か10日を予定しています。

では、佐藤さんのコンサート。

J'ai organisé un concert de charité pour soutenir mes compatriotes car il s'agit d'une catastrophe nationale et internationale. En tant que chef japonais qui vient de Sendai, je voudrais m'investir dans une action pour mon peuple.


Concert de soutien

à l'Eglise de St-Germain-des Près 75006

le 15 avril à 20h30.


Programme:

Barber Adagio pour cordes

Mozart Symphony No.29, en la majeur K.201

Mozart Symphony No.40, en sol mineur K.550

Direction musicale Shuntaro SATO

Orchestre de musiciens professionnels japonais et francais bénévoles.

Le produit de la vente des entrées sera versé à la Croix-Rouge Japon via l'Ambassade du Japon en France.

Prix 20€

place non reservée

e-mail
concert.soutien.japon@gmail.com

Cordialement,

Shuntaro SATO




3月11日の地震で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

被災地の一日も早い復興のための義援金を送ると同時に、日本の未来を応援することを目的にチャリティーコンサートを企画しました。

今回のコンサートの収益金は、全て在仏日本大使館を通して、日本赤十字社に寄付されます。


コンサート日時 4月15日(金)20h30開演

サンジェルマン・デ・プレ教会

(Eglise de St-Germain-des Pres 75006)



プログラム:

Barber Adagio pour cordes 弦楽のためのアダージオ

Mozart Symphony No.29, en la majeur K.201

Mozart Symphony No.40, en sol mineur K.550


指揮、音楽監督 佐藤俊太郎

チケットは20ユーロで、自由席です。

現在、パリオペラ座管弦楽団、パリ管弦楽団の団員やソリストなどがメンバーとして参加してくれる予定です。

一人でも多くの方にいらしていただけるよう、このコンサートの事をお知り合いの方々にお知らせいただければ幸いです。

現在チラシを作成中です。

チケットを希望される方は、e-mailにてチケット枚数などをお知らせください。

concert.soutien.japon@gmail.com


皆様のご協力をどうぞよろしくお願い致します。
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# by mariastella | 2011-03-23 00:15 | お知らせ

昨日の続き(訂正も含めて)

昨日の「犬」の記事について、サイト http://setukotakeshita.com/ の掲示板にコメントをいただいた。まず、以下に、コピー。

>>はりきってフランスから犬を連れて行った救助隊が、結局日本政府の許可が下りず、まったく何もできずにもうすぐ帰仏するという話だった。

 >これがそもそも、完璧な捏造ですから。確かに阪神大震災のころは救助犬が検疫にひっかかって、そういうことがありましたが、今回の震災ではそのような事実はございません。現にフランス以外のスイス、韓国、オーストラリア、中国などの救助隊は犬連れで皆さん活動なさってましたし。それとも、フランスだけは拒否されたんでしょうか?それも、解せない、不思議極まりない話。

 ちなみにスイス救助隊の活動記です。

http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=29755998

>>竹の棒を持ってごそごそやっているところが移される。

 >これはですね、今の段階で遺体を発見しても、回収する余裕がない、あくまで生存者救助が優先するので、遺体を発見したら、事態が落ち着いた時期に回収できるように印をつけてまわっているんですが。そんなことも聞かなかった、確認しなかったんでしょうかね?

 というか、何も取材しない(としか思えない)で、現場で不眠不休で活動している消防、自衛隊、警察、その他ボランティアなどなどの皆さんを不当に貶めているとしかいいようがない話で抗議した方がいいような気がしますが。

コピーは一応ここまで。

で、このコメントを読む前、今朝このニュースのことを他のフランス人に話したら、テレビのニュースはひどいから見ないことにしている、とあっさり言われてしまった。

その後でこのコメントを読んで、フランス語ネットで検索したら、フランス救助隊の毎日の報告が出てきて、どうも、

そもそも犬なんて連れて行っていないようだ。

私も変だと思ったのだが。

で、彼らは、3月15日(追記: 14日到着でした)に仙台空港の近くで、2kmにわたって400mの幅で捜索を開始したとあった。そして16の遺体を発見、遺体の回収は日本人にしかできないことになっているので、その度に日本人チームに連絡。
次の日もがんばろうとしていたら、パリから指令があって、放射能汚染の危険があるから仙台より300キロ以上北にある米軍基地(三沢)に撤退するように言われて、そのまま何もできないとあった。

ではあのテレビニュースはなんだったのか ?

フランス政府が自国の救助隊をさっさと避難させたことを隠すため、日本が救助を許可しないなどという情報を、ねつ造した ?

そのついでに、阪神大震災の時にあった救助犬の検疫の問題かなんかを再利用した ?

それにしても、日本の自尊心がどうとかいうナレーションをかぶせるなんて・・・それって、もしフランスに大災害が起こったら、フランスは「いやぼくんちで全部やれるから」という印象を国民に与えなくてはいけないというのが常にあって、それを投影しているんだろうか。

どちらにしても明らかに悪質なルポルタージュだ。しかも、確か、そちらは第2チャンネルのほぼ公共放送。これはかなり問題があるのでは・・・

と思って、今2チャンネルのサイトを開いて昨夜のニュースをもう一度確認してみた(便利な時代だ)。

すると、改めて聞くと、そのルポを紹介する司会者がまず、「なぜ日本側が頼まないのか理解に苦しむと言っている」と言う。

その後、救援隊がほとんど何もしていない、といった後で「日本は検疫上の理由で犬を連れてくることを拒否した」というナレーションがあった。

なるほど、これが本当だとしたら、フランスは犬を連れてきたかったのに、日本に拒否されたのでそもそも連れて行かなかったのだという話になる。他の国の犬はいたのだから、もうそれ以上は必要ないということなのか、実際連れて行こうとしたのかどうかもはっきりしない。

私がフランスが連れてきた犬の活動を拒否されたと思い違いをしたのだろう。訂正します。でも、思い違いをされても仕方がないような言い方だったし、犬がいないんならそんなことをあらためてわざわざ言うのも意味がない。

それから、放射能汚染回避のために三沢基地に避難したこと、日本はそれに対して異を唱えたと言っている(ここのところは軽くスルーされているので印象に残らなかったのだ! アメリカがなんか関係しているのかなあ、と漠然と思わせるほどだった)。

次に、誰もいない被災地が映され、「不思議なことに救援隊の姿はほとんど見かけなかった。国の自尊心か、それとも弱みを見せたくないのか」というナレーションが入り、次に、「(レポーターが)ようやく遭遇したのは800キロ離れた京都からの救助隊で、捜索用の器機なしで竹の棒だけだった」というナレーションと竹の棒。

うーん…やっぱり最初のイントロダクションといい、ナレーションのし方と言い、日本が「機器を備えた外国人救助隊よりも、竹の棒を持つ自前の救助隊に頼りたい」と思っているというニュアンスにとられても不思議ではない。

もちろん他国の犬連れの救援隊の姿など映さない。

これなら、印象操作や編集ということはあっても、ねつ造とまでは断定できないかもしれない。しかし、フランス政府が原発パニックになって退避させたというのを、日本が助けてほしくなかったとすり替えているのは明らかである。私でさえ、妙な話だなあ、と思ったのだから、その意図は成功している。

イントロで「なぜ日本は助けを求めないのか? 不思議ですね、では現地からの報告を、見てみましょう」というノリでつっておいて、

「いやあ、ほんとはフランスが放射能が怖かったんで逃げたんですね、日本人からもあきれられてますよ」

というふうにはまとめないで、
その事実から目をそらしてミスリードするために、

犬がどうのこうの、竹棒がどうのこうの、救援隊の姿もほとんど見かけない、というシーンを流しているわけだ。

だから、ルポを見おわった後の印象も、

「不思議ですね・・・」のままだったのである。

ちなみに私はこの震災の情報はほぼ日本のNHKニュースを含めたネットと、ラジオと活字情報で得ている。フランス語のテレビも外信を配信するニュース専門チャンネルばかりだった(これは繰り返しが多いので長くは見ない)。

で、たまに、最も一般大衆向けの夕方8時の1チャンネルと2チャンネルのニュースを見ると、すごく変なものばかりにぶち当たるのだ。

そんなわけだから、センセーショナルな週刊誌や新聞など読むのも時間の無駄だからやらないけれど、印象操作の方法を細かく分析すればそれはそれで興味深いかもしれない。

ついでに、第1チャンネルの「ベンガジの犬」の方も、ビデオで確認してみようかと思ったが、あの犬の姿をもう一度見るのはつらいのでやめておく。

(追記 http://6318.teacup.com/hiromin/bbs/431 )
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# by mariastella | 2011-03-21 22:14 | フランス

犬。

日曜の夜のニュースを見ていたら、日本について妙なものと、リビアについて嫌なものがあった。

日本の方は、はりきってフランスから犬を連れて行った救助隊が、結局日本政府の許可が下りず、まったく何もできずにもうすぐ帰仏するという話だった。

そして、フランス人はもちろん、救助隊が全然いない被災地が映されて、救助活動がまったくなされていないような印象が与えられた。そして、ようやくやってきた日本人の救助隊というか捜索隊は、救助犬や機械でなく、竹の棒を持ってごそごそやっているところが移される。

日本が外国の救助隊を拒否するのは自尊心のせいかもしれないなどというナレーションが流れていた。

確か阪神大震災の時も、外国の犬連れの捜索隊を足止めしたというような報道があったのを覚えているが実際はどうなのだろう。

フランスは原子炉周囲で弁を開閉したり遠隔操作で作業したりできるロボットを持っている唯一の国だと言って、それを福島原発に貸し出すと、昨日のニュースで得意そうに言っていたが、あれもどうなったのだろう。

なんだかしっくりこないニュースだった。

もう一つは、フランスが空爆したリビアのベンガジの様子だ。

「フランスありがとう、サルコジありがとう」と反政府派が喜ぶところを映すのは、やらせだとしてもまあ理解できる。

ところが、その外に、ゴミ袋みたいなものを首に結びつけられた犬が映され、人々の言葉にフランス語がかぶされているのだが、カダフィは今この犬のような目をしているに違いない、だとか、カダフィは動物以下だとか、人々が犬を囲んで口々に罵っている。

犬はカダフィの代わりにさらしものにされているという設定で、最後に誰かが犬を殴るのがちらと見えたところで映像が切れている(1チャンネルの20h40頃)。

ベンガジでカダフィ軍の黒人の傭兵がリンチされていたことは前に書いたが、この犬の映像もショックだった。ものすごく後味が悪い。この後、どうなったんだろうか。

日本の震災でペットと離れ離れになった人や緊急で見捨てざるを得なかった人たちの悲しみは大きい。ただの揺れだけでも、猫の中にはパニックになって、外へ飛び出すものもいる。でも犬なら飼い主にぴったりついていると思う。

自分たちがいないと生きていけないような弱い存在を守るという行動は、見るだけで、何か信頼感をそそられる。

けれども、人間の敵に対する憎しみを、生きた犬に転嫁するなんて、目の前の敵をリンチするよりもある意味でもっと救いようのない、黒々とした闇を感じてしまう。

独裁者の写真を燃やすとか銅像を引き倒すとかならまだ分かるが。

はるばる日本にまで行ったのに何もできなかったフランスの救助犬、ベンガジで「ありがとうフランス」と歓声をあげる人たちからつるし上げられる哀れな犬。

善意に燃えても憎悪に身を焦がしても、人の心など、すぐ張りつめて切れそうなくらいに、弱くて、悲しい。

追記:この記事についての訂正や事実関係を次の記事
http://spinou.exblog.jp/16084675/
に乗せています。合わせてご覧ください。
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# by mariastella | 2011-03-21 07:52 | 雑感

震災のことなど その後

今回の大地震の少し前に日本を発ってパリに着いた水林章さんが、ラジオのインタビューで、「世界で唯一の被爆国である日本で原発が使われているのはなぜですか」と問われて、しばし躊躇した後、「日本人が忘れっぽいからかもしれない・・」などと答えていた。

私は、日本は被爆国だから核燃料反対のロビーはしっかり存在している、とフランス人に説明していたのに・・・

今回の震災について、「日本人の冷静さ」を称賛するような口調が最初は支配的だったが、自然災害である地震と津波の他に人災の面が大きい原発事故に関心が移ってからは、論調が変わった。

ドイツなどでは初めから、

「日本人が冷静なのは情報を開示されていないからだ」

という口調だったが、フランスもだんだんと、東京にいるフランス人の報告で、

「東京の人たちは表面的には普段と同じように暮らしているが、一歩店に入ると買い占められて食品や日用品が亡くなっているから、内心ではパニックを起こしているに違いない」

という風にシフトしてきている。

それにしても、「原発=日本人は忘れっぽいから」、というのはあんまりな気がする。

フランス軍人と結婚しているタイ人のマダム・プーは私に

「日本が原発を所有しているのは科学技術力と経済力の誇示のためだけだ」

と言いきったが、そっちの方が真実に近いのだろう。

原発利権というのが莫大なものであることは想像に難くないし、原爆の被害を受けたのにかかわらず原発をつくったのではなく、自分たちも対抗して、核を含めた再軍備の可能性を何らかの形で視野に入れたからこその政策だったのだと思う。

現に岸信介が回顧録に

「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用もともに可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意思の問題である。日本は国家・国民の意思として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を強めることが出来る」

と書いていることを最近読んだけれど、さもありなんと思う。

原子力は兵器であろうと発電であろうと、「力」のシンボルなのだ。

マダム・プーの友人の日本女性は、最近アフガニスタンから戻ったフランス人軍人の夫と共に、タイに移住するのだそうだ。タイには原発もないし、津波の危険地域でなければ地震もないという。タイというと軍事クーデターがあったり、反独裁民主戦線が活発だったり、それほど安全なイメージはなかったのだが、たとえ衝突してもすぐに話し合える平和的な国民だと彼女は言う。

フランスはリビア空爆が始まったので、TVのニュースも日本の震災や原発危機からリビア情勢へと大きく変わった。

それでも、放射能を含んだ空気が来週火曜か水曜にはフランスに達するとか、日本から来る野菜や果物には要注意などと言っていた。ヨーロッパで毎年消費される日本製の野菜や果物の量も言及されていたが、食料自給率が低い日本からヨーロッパに野菜や果物をそんなに輸出しているのか、と、その方に驚かされた。本当なんだろうか。

サルコジは、原発について、フランスご自慢のEPR(European Pressurized Reactor)はシェルターが二重構造だからボーイングが突っ込んでも壊れない、とUMPの会合で今回自慢したそうだ。

このEPRというのは、高価過ぎてなかなか売れないが、値段が高いのは安全性が高いからだ、らしい。もっとも、現在はプロジェクトだけだとか建造中のものばかりで、稼働中のものはない。それも2003年に「航空機が突っ込んできたら耐えられないでしょう」と関係者がはっきり答えている記録があるのに。

どういうわけか今回はイギリスとつるんでアメリカまで引っ張ってリビア介入を決議させたサルコジは今鼻息が荒く、エリゼ宮で緊急サミットをやっていた。

2003年のイラク侵攻では、当時のシラク大統領が、「安保理にかけられたらフランスは拒否権を行使する」とはっきり言明していたので、英米らは国連決議なしに戦争を開始した。

それに比べれば、今回は反対する国が棄権はしても拒否権は使わなかったからましだったとは言える。

近く七州の選挙を控えているドイツは、アフガニスタンにフランスよりも多くの兵士を出していて批判されているので賛成はできなかった。

アメリカもイラク、アフガニスタンを抱えているからリビアは乗り気でなかったもののまあ賛成した。

自国の反体制派が騒いだ時に他国に介入されると困るロシアや中国はもちろん分かりやすい。

しかし、インド、ブラジルという高度成長国が他国の「民主化」の動きに無関心を決め込む形なのはなんだか残念でもある。

ともかく、自然災害を前にした人類は多少なりとも連帯意識や謙遜を見せるというのに、人災に対しては、原発やら兵器をつくったり売ったりしている国はとたんに欺瞞的かつ傲慢なところを見せるわけで、より鬱々とさせられる。

日本の震災の情報がテレビから消えないうちになんとかチャリティ・コンサートを実現させなくては・・・

仙台出身の佐藤俊太郎さんから連絡があって、4月半ばに一つパリでやるそうだ。私の方は、住んでいる町で一つできる予定だ。あと、フランス海軍のコネで去年のハイチ支援コンサートと同じ場所を打診したらうまくいきそうだったのだけれど、リビア空爆が長引くならダメになる可能性は大きい。

もう一つ、火曜日にパリ8区からコンサート可能かどうかの返事が来ることになった。

4月の日本行きをキャンセルしたので、その代わりにフランスでできることをやろう。
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# by mariastella | 2011-03-20 09:25 | 雑感

核アポカリプス

日本の大震災から一週間、いろいろな方からの連絡に対応するだけでまったく仕事ができなかった。

海外にいると、日本に何かあった時に、周りから、「そう言えば私の知ってる日本人=日本人代表」のように見なされるので、最初からお悔やみの言葉をかけられたり、妙にテンションが上がっているのに応えなくてはならなかったり、けっこう大変だ。

もちろんパリ在住の日本の方も、日本にいる家族への心配の相談や、このことについて話してストレス発散する必要もあるので、私は一日何時間も似たようなことを日仏語で繰り返している。

フランスは原発に80%近くを頼っている国だから、潜在的恐怖がここまで強かったのだと今更ながら驚く。

今のこの瞬間も、ラジオなどで、「福島のこの決死隊の冷却オペレーションが失敗したらカタストロフィが待っている」などという言いまわしを平気で使っている。

私は、ある意味でカタストロフィはすでに起こってしまったので、今はその被害をより少なくできるかどうかの段階だと認識しているので、カタストロフィ映画のようなこのトーンには閉口させられる。

フランスでは35万円くらいのガイガーカウンターのネット上の注文がすごいそうで、薬局でヨード剤を買う人も多く、1980年 以来初めて核シェルター(1700万円くらい)の注文もあったそうだ。チェルノブイリの時とはウェブによる情報の量が違うから人々の反応が速い。(情報リテラシーが高まったわけではないのが問題なのはもちろんだ)

放射能汚染への過剰反応というのは、被爆国の日本にあった方が理解しやすいが、フランスのこのカタストロフィズムはいったいどこからきているんだろう。

フランス人がヨーロッパ一の精神安定剤消費国だというよく知られた事実も、今回はじめて実感をもって納得できた。

もう大分昔の生徒の親が、うちの郵便受けに、それはそれは長い、お悔やみの手紙を入れてきたりするのだ。

「同情するなら金をくれ」

などという台詞も思い出され、それなら、このフランス人のエキサイトぶりを被災者の役に立てようと、今チャリティコンサートを企画し始めているところだ。

はやくしないとリビア戦争で、日本への関心が薄れそうだからね。

リビアへの介入は昨夜ようやく国連の安保理で可決されたのだが、拒否権こそ発動しなかったがはっきりと否定的だったのは、中国、ブラジル、ロシア、ドイツなどだ。

このドイツの態度のもたらすものは重い。

サルコジのスタンド・プレイがその前のEU会議に陰を落とし、結果、EUよりも国連を優先させるという前例がEU内にはっきりとできた形だからだ。

どちらにしても、カダフィの自国民殺戮の暴走を止める希望が生まれたこと自体はよかった。

人は天災や環境破壊の前に非力であり、

戦争や憎悪や支配者の暴力の前に非力であり、

個別の事故や病気や障害や老いの前にも非力だ。

リビアはこの2番目にあたり、そこで弱者を救うために駆けつけるためには、政治やら経済やら国際法やらイデオロギーやらの欺瞞的な兼ね合いをくぐりぬけなければならない。もう何か月も内戦状態のコートジヴォワールなどは野放し状態だ。

それに対して、日本の大震災のような場合には、ロシアでも台湾でもドイツでも、フランスでも、他の国と相談したり利害関係を計算したりしないで迅速にかけつける。

天災の前には「仲間うち」の範囲が「人類」に拡大して、連帯意識が生まれ、傲慢さや駆け引きが減る。

人の傲慢さや、「自分の仲間でない」と見なすものを排斥するという負の人間性はなくなることはないだろうが、時々発露するやむにやまない連帯感や利他意識が、全体としては、次代をいい方向に押し上げてくれるように、願ってやまない。
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# by mariastella | 2011-03-18 19:10 | フランス

アラブ世界で起こっていること  その8 サルコジ

さっき(3/10夜)ニュース番組を見て驚いた。

サルコジ大統領がリビアの革命側のリーダー(その一人はカダフィの政権とも関係が深かったともいう)とエリゼ宮で話し合い、フランスは正式に革命政権をリビアの正当な政権と認める、カダフィの空軍基地をピンポイント爆撃するのも辞さない、と約束したのだ。

おりしも明日、EUがリビアに対する態度を検討することになっていて、ブラッセル入りしているフィヨン首相や、EUの外務担当大臣も「寝耳に水」でショックを受けていた。スタンド・プレーとか勇み足というにはことが大きすぎる。

2/23のル・モンド紙に、フランスの元外交官ら現役外務官僚たちが匿名でサルコジ批判の記事を発表していた。サルコジが外交面ですることなすことはすべて衝動的で、素人策で、一貫性がない、というのだ。

彼らは、サルコジが、大統領就任時の演説で「地中海連合」の構想を語った時からすでにあわてていた。

「地中海連合」は、地中海に面していないドイツを仲間外れにしたいという受け狙いだった。それについて、地中海の南岸の二本の柱はベンアリとムバラクだなどと平気で言っていたのだ。

これに対して、現地にいる外交官らは、軍事独裁者についてのかなり厳しい情報をサルコジに送り続けていたらしい。彼らは、もしもウィキリークスがフランスの公電もリークしてくれていたら、自分たちがアメリカに劣らず辛辣に批判していたことが証明できたのに・・・と言っている。

今回のアラブ革命の先駆けとなったフランス語圏であるチュニジアの情勢を読むのも必要不可欠だったのに、サルコジもサルコジお抱えのMAM外相もそれをせずにぐずぐずしていた。

さすがにこれはまずかったと思ったサルコジは、今回は出遅れずにということで、目立とうとして、早々と「世界で最初にリビア革命政府を認めた国」の名乗りを挙げることにしたのかもしれない。

しかし、EUでの合議を待たず、リビアとはより関係の深いイタリアやドイツなどの体面や思惑を考えずに一方的にこんな宣言をすることに、全体として意義があるかどうかは大いに疑問だ。

同じことはメキシコのフロランス・カセ事件(フランス女性が子供誘拐と武器所持の共犯でメキシコで逮捕断罪された)の時にもあった。
60年の懲役が確定したこの女性をもし本気で救いたいと思ったなら、水面下でいろいろな策を練るべきだった。それなのに、「今年のフランスにおけるメキシコ年はフロランス・カッセに捧げる」などとテレビではしゃいだから、逆にメキシコ側からボイコットされてしまうという醜態となった。

外交には長期的な展望や広い視野が必要だ。

そのために外交のプロであるブレーンの意見を聞く、という基本的なことをせずに、目先のメディア効果ばかり狙うこの大統領が、とにかく早く任期を終えてくれないと、フランスはアラブ・アフリカはもちろんヨーロッパからも嫌われそうだ。

あの冷戦時代ですらNATOから撤退することで独自の存在感を維持していた過去のフランスの面影はない。

サルコジ路線と対照的なのはむしろヴァティカンやカトリック団体かもしれない。

イランでサキネ・モハマディ・アシュティアニという女性が姦通罪で石打ちによる死刑を言い渡された時に、息子がヴァティカンに助けてくれと訴えた。
この女性は結局助かったのだが、その時ヴァティカンは、教皇ベネディクト16世がこの問題を注視しており、外交ルートを通じて介入する可能性も排除しない姿勢だと述べたが、実際にしたことについては一切表に出さなかった。ヴァチカン広報当局は、教皇は過去にも人道問題について当事者ではない国から要請を受けた場合に外交ルートを通じて非公式に介入してきたといっている。特に死刑には完全に反対の立場であることは周知の事実だ。

教皇は世襲制でもないし、普通選挙で選ばれるわけでもなく、カトリックには領地も資源もなく、人気とりやポピュリズムを必要としない。理念に忠実に従える。水面下の外交が成功した時に、その「成果」を自慢してイメージアップを図る必要もない。

もう30年以上も前に、ソウル大学に留学中の在日韓国人のK君が北朝鮮のスパイといういいがかりで逮捕されて死刑の判決が下った時、私はパリからローマ教皇とロンドンのアムネスティ・インタナショナル(当時はまだ日本では知名度が低かった)に手紙を出したことがある。

その後、長い時を経て韓国の民主化と共にK君は釈放されたのだが、死刑が執行されぬまま来たのは、アムネスティのおかげかなあと漠然と思っていた。
しかし今考えると、韓国は日本よりはるかにカトリック人口が多いし、ヴァティカンが実際に動いていてくれたのかもしれない。

一方、アラブの軍事独裁国の実態についても、ACAT (拷問廃止キリスト教アクション)の2010年のレポートは赤裸々な報告をしている。中東と貿易しているわけでもないから、ビジネス上の配慮もせずにすむ。

つまり、カトリックは、

特定の人間を救うためには水面下で慎重に動き、それを公表せず、

多くの人を救うためには大声で告発したり正論を吐くなどしているわけだ。

これは、

ひとりの自国民を救うと称してテレビで騒いで話をこじらせ、

武器を売り石油を買うためには軍事独裁国で起こっていることは見ないふりをする、

というサルコジ路線と真逆ではないか。

まあ、自国民の救助にすら熱心でなく、外交センスもないような国もどこかにあるようだが・・・

今回のリビアで、「正義の空爆」を辞さないサルコジの挽回策を突然知らされたMarly(サルコジを批判した外務官僚たちが話し合ったパリのカフェの名で、彼らはそれをペンネームにしている)が何というか、ぜひ、聞いてみたい。

(そう言えばサルコジは、最近、イスラム牽制のためにカトリックの巡礼地を訪れて「カトリックがフランスのルーツであるのは歴史の事実だから」と、鬼の首をとったように言っていた。「歴史上の事実」なんて無数にある。そのうちのどれを取り出してどういう文脈で誰がどのように言うかが問題なんだよ。「カトリックがフランスのルーツである」ことが間違いなのではなくて、「この時期にフランスの大統領がそういうことを得意満面で言う」ことが間違っているのだ。2003年頃はブッシュの顔を見るのも嫌だったが、この頃のサルコジの表情を見るのはもっと気分が悪い。015.gif)
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# by mariastella | 2011-03-11 08:43 | フランス

アラブ世界で起こっていること その7 傭兵

リビアの情勢がますます血塗られている今、一番胸が悪くなるのはカダフィが黒人の傭兵を使っていることだ。
破格のサラリーを受け取っている噂もネット上でとびかう傭兵のやり口はかなり残虐であるらしいが、もっと嫌なのは、リビアの反政府派の人々が、たとえばベンガジで傭兵を捕らえた時によってたかってリンチして、そこに人種差別の言葉が露になっている事実だ。

西洋諸国の植民地になる前のアフリカにはガーナ王国、マリ王国、ソンガイ帝国のような黒人の強国があり、その支配者たちは戦時捕虜や領地内の貧しい人々をアラブ人やらトルコ人やらに売買していたことが知られている。

黒人奴隷貿易というと新大陸のプランテーションの労働力ばかりが強調されているけれど、その時代ですら、「奴隷」という資源を売って武器や装飾品を手に入れて喜んでいたのは黒人王国の支配者であり、アラブ人商人が活躍していた。

カダフィーはコーカソイドであるべルベル人で、厳密にはアラブ人ですらないけれど、前から「アフリカの王」だと豪語していた。

もともとリビアには黒人労働者もたくさんいて、カダフィは自分の都合で何十万人も強制退去(1995年から96年にかけて)させたことも有名だった。

この1月に黒人地域の南スーダンがアラブ地域の来たスーダンからの独立を求める住民投票で98,83%という驚異的数字をはじき出したことからも、同じイスラム教であろうとなかろうとアラブ人と黒人が共栄を求めていないのがよくわかる。

今、アラブ世界で、せっかく、腐敗した軍事独裁政権を倒して自由や民主主義を求めようとしている人たちが、独裁者のカダフィよりも、目の前にいる黒人傭兵への憎しみと人種差別を混同して表現しているのは、あとを引きそうでおそろしい。

ヨーロッパ諸国は、自国でアラブ人も黒人もまとめて差別していたり、過去の奴隷貿易だの帝国主義だのの「贖罪」義務があったりという事情のせいで、この様子を見ておろおろしている感じがする。

リビアの戦闘が長引くと、その先カダフィがどんな最期を遂げようと、彼の利用した人種差別のせいで、わかいアラブ人たちの「自由」の希求が泥にまみれるのではないかと心配だ。
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# by mariastella | 2011-03-09 09:38 | 雑感

神殺し

3月3日、イスラエル首相から、ローマ教皇ベネディクト16世に、積年に渡るキリスト教からの「神殺し」ユダヤ人という無実の罪を晴らしてくれてめでたい、という書簡が寄せられたそうだ。

B16が『ナザレのイエス』の第二巻で神学的コメントとして、ユダヤ人が「民族」として「神であるイエス・キリスト」を十字架につけたのではなく、イエスも使徒もユダヤ人であったのだから、「ユダヤ人」という言葉には民族的意味もなければ差別の意味もない、と明記し、誤った解釈の長きにわたる弊害を認めたからである。

特にヨーロッパのキリスト教社会で「ユダヤ人=神殺し」というレッテルが貼られてユダヤ人迫害の口実にされてきたのは周知の事実だが、ナチスのホロコースト以来、そういう言辞は今はとっくに消しさられていたと思っていたので、意外だった。

キリスト教がユダヤ民族の手を離れてヘレニズム世界に広がり、ローマ帝国の国教となった時点で、キリスト教をローマ化、さらにヨーロッパ化する必要があったヨーロッパ諸民族が、イエスやマリアなどを「脱」ユダヤ化する必要があったので「ユダヤ人=神殺し= 人類の敵」のようにエスカレートさせていったのだと思っていた。イエスに死刑判決を下したローマ人ピラトを免責することも必要だったからだ。

といっても、イエスや使徒の出自がユダヤ民族であることを聖書が隠しているわけではないのだから、ユダヤ人が神殺しという言い方の誤謬は明らかだと「実は」誰でも了解していたのだと、私は考えていた。しかし21 世紀にローマ教皇が明言しなくてはならないほどに根深いことだったらしい。

確かにヨハネの福音書などには「ユダヤ人が殺そうとねらっている(7-1)」など、まるで「ユダヤ人」一般とイエスを対立させているような書き方がいろいろ出てくる。でも、普通のリテラシーがあれば、この時代の書き方がこうなんだろう、と思うところなのだ。

しかし、パウロらの手紙の中でも「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりではなく、私たちをも激しく迫害し・・・(テサロニケ2-15)」のように、「ユダヤ人」が「キリスト教徒」を迫害するという図式が繰り返されているので、いつのまにかそれが定着したのだろう。

もっともパウロは「私は彼ら(イスラエル)が救われることを心から願い…(ローマ10-1)」のように言っている。

だから、べつに偉い神学者でなくとも、新約聖書でイエスを殺したり使徒を迫害したりしたのは律法教条主義者をはじめとする一部のユダヤ人を指している、というのは外部の目からも自明だと思うのだが、二千年も「神殺し」のレッテルを貼られてきた「言葉の力」というのは恐ろしい。

だからこそ、教皇がその著書で明言することも重みがあるのだし、それにすぐに反応するイスラエル首相の言葉も重い。

言葉が偏見を生み偏見が歴史を動かしてきたなら、新しい言葉は新しい関係を築き平和を招き寄せてくれるかもしれない。

そうなると、イスラエルとパレスティナ、ユダヤとイスラムの間でもこのような魔法の言葉があればいいのにと思う。

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教はアブラハムに由来する一神教として兄弟のように認識されているのだが、ユダヤ教は民族宗教、キリスト教とイスラム教は地縁血縁を問わない普遍宗教だ。

でもキリスト教は普遍宗教として広まる時に、ユダヤを離れてギリシャ・ローマ人を中心に受け継がれていったのに、イスラム教を担ったアラブ民族の方は、アブラハムの嫡子誕生後に母子ともに追い出された、エジプト人女奴隷との間の庶子イシュマエルの子孫ということになっている。

キリスト教徒がユダヤ人を神殺しなどと言って切り捨てたのに比べて、アラブ人はユダヤ人となまじ「血がつながっている」ことになっているのでかえって屈託もあるかもしれない。

今やパレスティナで大々的に迫害されているのはキリスト教徒たちだ。いや、パキスタンのマイノリティ担当大臣もカトリックだったがつい最近暗殺された。一方イスラエルがパレスティナ人に強権的なのはずっと続いている。

一神教同士なんだから何とかしてほしい。

もちろん日本でたまにいわれるように「一神教のやつらは互いに自分たちの神しか奉じないのだから当然他の一神教を殲滅しようとする」というような話ではない。

同じ民族だろうと同じ宗教だろうと、多神教だろうと無神論者だろうと、人間というものは「自分たちと同じ仲間」でないものを排除すると衝動にかられて殺し合うのが常だ。

だからむしろ、一神教同士なら、今回のように「ユダヤ民族はキリスト教の敵じゃありませんよ」とローマ教皇がひと言いうだけで緊張が緩和するとっかかりがあるのだとしたら、勇気ある権威者がその気になれば、イスラエルとパレスティナにも、イスラムとキリスト教にも、平和をもたらす言葉が見つかるかもしれない、と期待したいのだ。無理かなあ。
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# by mariastella | 2011-03-05 09:43 | 宗教

POLONIA

パリの移民の歴史博物館で今日から開催のポロニアpolonia(ポーランド人の離散のこと)のオープニング・パーティが昨日行われた。招かれたので、顔を出してきた。

二度の世界大戦間のフランスでは、イタリア人移民に次いで多いのがポーランド移民だった。古くからの移民にイタリア人、ポルトガル人、ポーランド人などが多いのはカトリック国だからだと思っていたが、啓蒙時代やフランス革命の理念も本気で愛されているらしい。特に、ナポレオンがポーランド人をフランスの軍隊に組み込んで、1807年にはプロシアからワルシャワ公国を分離独立させたことで、ポーランド人からはますます気にいられたようだ。

キュリー夫人などのようにポーランドからの移民でフランスの国民的スターになった人もいる。それでも差別があったり、姓をフランス風に変更したりという話は昔はよく耳にしたが、日本人の私にはピンとこなかったし、差別の話をするとフランス人はいつも、フランスは第二次大戦ではポーランドを守るために参戦したんだ、と強調するのが常だった。

姓のフランス化については、フランス語が子音の連続に慣れないので、簡便のためであって、フランス人のふりをしたりアイデンティティを否定したりなどではないという。

確かに母音の多いイタリア名のイタリア移民などは普通にイタリア姓を名乗っている。

名前の方はカトリック国だからいわゆる「聖人名」が多く、聖人名の基本はもともとラテン語だから、ポーランドの名もイタリアの名も、フランス風に読み替えても同じ聖人なので問題ない。

名前さえフランス読みの聖人名なら姓が外国風でもまったく違和感が持たれない。

(シンガポールなどで、アジア人が通称として普通にキリスト教系の名を使っているのは心理的にどうなんだろう。)

今や、ポーランドはヨーロッパ連合の一員だし、フランスも、西アフリカや北アフリカからのイスラム系移民対策と差別の方に熱心(?)なので、ポーランド系差別など過去のことになってしまった感がある。それにポーランド系の人は言語能力にも優れているし、芸術シーンで活躍する人も多いので華やかだ。最近セザール賞を取ったポランスキー監督へのほとんど過剰な支援もそのいい例だ。

しかし、ノールの旧炭鉱では、ポーランド人=炭鉱夫というイメージが強く、今回の展示でもその写真が多いので、その偏見が嫌だ、と語っているポーランド人もいた。

しかし、ポーランド人移民炭鉱夫の2代目の多くは、フランスの学校システムを活用して、平均的フランス人を上回るキャリアを築いている。

同じような労働に駆り出されたアルジェリア系移民とはそのへんが大分違う。

普遍的人権、基本的人権、と言っても、内実は長いこと

「人間=白人キリスト教徒(カトリックがベター)」

だったわけだ。

それでも、長い目で見れば、

昔は

「人間=同じ領土内にいる白人で資産を持っている男」

が内実だったので、進歩している。

これは、人がエゴイズムを捨てるようになったからではなく、単にそれまで見えなかったものが少しずつ見えるようになってきたということでもある。

まだまだ見えていないものは、きっとたくさんある。
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# by mariastella | 2011-03-02 19:58 | 雑感

おかず

私は朝、たいてい床の中でぐずぐずしてラジオを聞いている。

好きなのはインタビュー番組で、寝ぼけながらぼーっと聞いていることも多く、聞き逃しや聞き落としする言葉も少なくないが、別に支障はない。たまに、固有名詞で知らないものがあると、メモしておいて後で検索したり、分からなかったものはネットでもう一度番組を聞いて確認することもある。

単に、ある人の名がRoland と Laurent (日本人耳にはどちらもローランと聞える)のどちらかなのか聞きとれないことはあるが、そういうものが問題になることは少ない。分からないと困るのは団体名の略称などで、後で確認することが多い。

ところが先日、ある人のインタビュー(政治論議だったっけ・・・)で、二度「オカズ」という言葉が聞えて、意味が分からなかった。

普通は言葉一つなら意味が分からなくても全体として困らないのでスル―するのだが、短時間に二度も出てきたので注意を引いた。

あまりテーマの本質とは関係がなくただの言いまわしだとは思ったが、

「おかず」?

何だ、これは・・・日本語のおかずみたいだなあ、と寝ぼけた頭の隅にひっかかった。

それで目が覚めてしまったので、インタビューの終りの方でもう一度「オカズ」と出てきた時には、文脈からようやく意味が分かった。

au cas où (・・・という場合には)

と言っているのだ。

私は驚いた。

これはごく普通の表現で私もよく使うが、

「オ、カ、ウ、」と言う。

これって、ひょっとしてリエゾンするのか?

この国に35年も住んでいて気づかなかったのか?

さっそく起きて、すぐにインタネットで調べてみた。

すると、最初にフランス語のとある掲示板で、

「au cas où」というのはokazou と発音するのでしょうか、という質問が出てきた。

そこにいろいろな返事があり、台湾の人とか、いろいろなフランス語学習者が書き込んでいるのが分かった。同じ場所に、

「Fais attention!」(気をつけて)というのもフェザタンションでしょうか、と続いている。

私は一瞬目を疑った。

突然、なんだか、すべてに自信がなくなってきた。

幸いその掲示板からすぐに、アカデミー・フランセーズのサイトにとぶことができた。

結論を言うと、特定の言いまわしを除いて、

発音されない子音で終る名詞の単数形の後にはリエゾンはない。

ほっとした。

そりゃそうだ。「Ce pays est ・・・」とか「Le chat est…」という文がリエゾンしてたら大変だ。

二人称単数動詞の後もしかり。

他にもいろいろあって、すべて納得がいく。

http://www.academie-francaise.fr/langue/questions.html#liaisons

私がソルボンヌでリエゾンについて習った時は、

pas encore(まだ…ない) のリエゾンは必須だが、あえてリエゾンしない時には「まだで助かった」というニュアンスが加わるのだということと、英雄の「héros」という単語はもとはmuetのhだったが、複数でles héros という時にリエゾンするとレゼロとなって「zéro」と区別がつかないと不便だからリエゾンしないhに変更されたのだ、女性形のヒロインは l’héroïneとリエゾン可能なままなのだという話題だけを今でも覚えている。

何であの頃、アカデミー・フランセーズの規則をまとめて教えてもらわなかったのだろうと思うが、まあ、いろいろ習っても、こちらのレベルが低いと意味がなかったかもしれない。

で、「オカズ」は明らかに間違いなのだが、フランスの掲示板でも、「たまにオカズと言うのを聞くのですが・・・」ということで迷って質問が寄せられていたわけである。

だから実際にオカズと言っている人はいるのだ。

方言でリエゾンをあまり使わない地域はある。また、近頃はリエゾンをしない人が増えてきたという現象もある。

でも、リエゾンのない場所でリエゾンをする方言もあるのだろうか。

そして、もちろん、学者がラジオで「オカズ」と10分以内に3度も発しても、インタビュアーが「それはおかしいですよ」などとは言わない。
だからこの人はこれからもいつまでも気にせずにオカズを連発するのだろう。

そう思うと、複雑な気分だった。

参考にリエゾンの規則だけコピペしておこう。


***

liaisons

En français, la liaison peut apparaître entre un mot qui se termine par une consonne et un mot qui commence par une voyelle ou un h non aspiré (voir aussi l’article Le haricot), si ces deux mots ne sont séparés par aucune ponctuation ni par aucune pause orale. Selon les cas, elle est obligatoire, facultative ou interdite. Les noms propres sont également soumis à la liaison.

La liaison est obligatoire :
- entre le déterminant et le nom : des(z)amis, tout(t) homme ;
- entre l’adjectif antéposé et le nom : un(n)ancien(n)usage ; ainsi on dira un savant(t)aveugle si aveugle est un nom, mais un savant aveugle si savant est le nom ;
- entre le pronom (sujet ou objet) et le verbe : ils(z)aiment, on(n)aime, ils vous(z)aiment, ils(z)y vont, courons(z)-y, donnez(z)-en ;
- entre est et le mot qui suit, dans des formes impersonnelles ou dans la forme présentative : il est(t)évident qu’il viendra ; c’est(t)à voir ;
- entre l’adverbe et le mot unis étroitement : trop(p)étroit ; bien(n)aise ;
- entre la plupart des prépositions monosyllabiques et le mot qui suit : dans(z)une heure ;
- dans la plupart des mots composés et locutions : un pot(t)-au-feu, mot(t)à mot, de temps(z)en temps.

Elle ne se pratique pas :
- après la conjonction et : un fils et une fille ;
- après la consonne finale d’un nom au singulier : un temps idéal, un nez épaté ;
- après le s intérieur dans les locutions nominales au pluriel : des moulins à vent ;
- après la finale -es de la 2e personne du singulier de l’indicatif présent et du subjonctif présent : tu portes un habit vert ; Il faut que tu lui écrives un poème. On fera en revanche la liaison lors de la lecture de vers ;
- après les mots terminés en -rt en -rs, sauf s’ils sont suivis de il, elle, on ou s’il s’agit du t de l’adverbe fort ou du s de toujours : de part en part, tu pars à huit heures (mais : quand dort-(t)on ? quand sort-(t)elle ?) ;
- devant un, oui, onze et les mots étrangers commençant par y : des oui ;
- devant les noms de lettres de l’alphabet : des i, des a.

Dans le reste des cas, on peut choisir de faire ou non la liaison mais celle-ci est plutôt la marque d’un langage soutenu.

On distingue par ailleurs deux types de fautes de liaison :
- le cuir qui consiste à faire une liaison en t à la place d’une liaison en z, et plus généralement à effectuer à mauvais escient une liaison en t : Il s’est mis(t)au travail ; J’ai cru(t)apercevoir un écureuil ;
- le velours qui consiste à faire une liaison en z à la place d’une liaison en t, et plus généralement à effectuer à mauvais escient une liaison en z : vingt(z)euros ; les dix-huit(z)ouvrages ; Il est venu aujourd’hui(z)encore ;
Ces deux types de liaisons fautives sont aussi appelés des pataquès.
Par extension, on désigne par pataquès, cuir ou velours toute liaison fautive, quelle qu’elle soit.
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# by mariastella | 2011-02-28 04:59 | フランス語

アラブ世界で起こっていること その6 チュニジア

流血沙汰が比較的少なくて独裁者ベンアリが早めに国外逃亡したことでアラブ世界の「民主化ドミノ現象」のきっかけとなったジャスミン革命のチュニジアで、新たにヴァイオレントな衝突が起こっている。

フランスの外務大臣のMAM(Michèle Alliot- Marie)は、この革命初期に、チュニジア政府に「世界的に知られたフランスの治安維持のノウハウを用いて暴動を鎮める」提案をするという失態のせいで、さすがに更迭されそうになっているが、それでもここまで持ちこたえたのは、政権にある人々がみな「脛に傷持つ」感を持っていたからだろう。

それはMAMが年末のチュニジアのバカンスで、ベンアリに近い人間から接待を受けていたというスキャンダルのスクープが続いたからだ。

政権にある者は、社会党政権の時代であっても、あちこちの国の権力者の接待を受けている。アフリカの独裁者であったベンアリでもムバラクでもカダフィでも同じだ。

理由はいろいろあるだろう。

武器だの飛行機だの原子力発電だのといったものをセールスして国益を図りたい。

石油や鉱物資源などの利権を確保したい。

これら「独裁者」たちは、一応「民主主義」の選挙で選ばれている。

他の主権国の内政に干渉はできない。

彼らは「西洋帝国主義」に搾取されてきたアフリカの独立のために戦った「英雄」たちの系譜にある。少なくともそれを看板にしている。だから引け目がある。

ここ20年は、グローバリズムと新自由主義経済のせいで、実はどこの権力者も、国益がどうとかイデオロギーや理念がどうとかいうのはもうどうでもよくて、ただただ、互いに私腹を肥やす可能性に目がくらんだ。

などなど・・・

若者が不満を爆発させることも、既得権益者がなんとしてでもそれを守ろうとするのも、ある意味「人間的」であり、単純な善悪や正・不正の二元論でくくれないのはもちろんだ。

しかし、力と経験とがある者は、それを、より力のない者や経験の少ない者のために役立てる義務があるのは明らかである。

といっても、実際には、権力者は、平気で建前と本音を使いまわすし、欺瞞や偽善やデマゴーグを駆使する。

これはアメリカだろうが、チュニジアだろうが同じだ。

そして人は、自分の信じたいものを信じ見たいものを見る傾向があるから、欺かれやすい。

欧米の政治家のアフリカ軍事独裁者との慣れ合いは、分かりやすい。

でも、そのような利権もなく国家権力もなく、クリーンで、弱者の側に立つ原則を持っている人でさえも、騙される。

独裁政権を長く維持できているような人たちは、それなりのカリスマ性や演技力があり、裏で私腹を肥やしていても、表は本気で理念を信じていることもあるのだろう。だから説得力があるのかもしれない。

共産党の不破哲三さんが2003年にチュニジアの与党党大会に招待された時の話を読んでいると、感慨を覚える。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-08-25/01_03.html

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一九八七年にベンアリ氏が大統領になってからの党大会には、すべて大会の性格を象徴する合言葉が選ばれている。一九八八年が「救国の大会」、一九九三年が「堅忍不抜の大会」、一九九八年が「卓越の大会」、そして今回が「大志の大会」である。
 開会演説に、その「大志」を具体化した計画や政策がもりこまれているわけではないが、その主眼はなによりも、国民生活の安定的発展にむけられているようだ。大統領演説が、冒頭の部分で、かつての民族独立の任務と独立チュニジアの社会的発展という現在の任務とを一つの流れのなかで表現したことは、そ の象徴だったかもしれない。
 「この大会をもって、立憲民主連合は、新たな世紀に入る。われわれの活動は、国の解放の時代だけにとどまらない。植民地時代の立憲民主同盟の活動 の焦点は、『国土の一ミリでも植民地下にあれば国民の尊厳は不完全だ』という自覚を広めるところにあった。現在われわれは、『みじめな暮らしをしている国 民が一人でもいれば、国民の尊厳は不完全だ』という自覚を広める努力をしている」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-08-31/03_02.html

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とか、

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 独立闘争といえば、その指導者だったブルギバ前大統領にたいする評価も、興味ある点だった。ブルギバは、政権党・立憲民主連合の創立者であり、三 〇年代からチュニジアの民族独立闘争の先頭に立ってきた、いわゆる「建国の父」である。一九五六年に独立をかちとり、一九五七年に王制を廃止して共和制に転換した時、初代大統領になり、三十年にわたってこの地位にあった。最後の時期には、制度的にも自分を「終身大統領」に位置づけたうえ、個人的な権力に固 執する専横の傾向が強まった、と言われている。
 そのブルギバ氏に任命された最後の首相がベンアリ氏だったが、ベンアリ氏が首相就任の一カ月後に、「執務不能」という医師の診断書をブルギバ大統 領につきつけて「終身」大統領の退陣を実現したのが一九八七年、それによってベンアリ大統領を中心とする現体制が実現したのである。一九八七年のこの政変は、論者によっては「無血革命」とも呼ばれるが、公式にも、国と党を破滅から救った歴史的な「改革」と位置づけられている。
 興味深いのは、ブルギバを強引に退陣させた一九八七年が、現在のチュニジア政治の出発点になっているにもかかわらず、歴史の見方がブルギバ時代の全否定とはなっていないことである。ブルギバ前大統領は、退陣後に亡くなったが、首都チュニスの中心をつらぬく幹線道路は、いまでもブルギバ道路である。 この大会でのベンアリ演説でも、ブルギバをはじめとする先人たちの建国の功績への感謝と、ブルギバ体制を終結させた一九八七年「改革」への礼賛とが並列し て強調され、ブルギバへの評価を述べた時には、ひときわ大きな拍手が起こる、という情景があった。
 この評価は、表面だけの儀礼的なものではないようだ。私たちの世話役ハマム氏の解説によれば、ブルギバは民族独立闘争で大きな賢明さを発揮した指 導者で、その賢明さは、たとえば、第二次大戦の時、反フランス路線に固執することなく、反ファシズムの立場でフランスをふくむ連合国に協力する立場をとっ たところにも、表れたのだという。
 第二次大戦中に世界の反植民地独立運動がとった路線の問題では、インドにこれとは対照的な実例があった。国民会議派をはじめとするインドの独立運 動が、反イギリス路線を根拠に、第二次大戦に「中立」の立場をとり、一部には日本軍に協力する流れさえ生まれたのである。ハマム氏が、世界の大局を見るブ ルギバの賢明さを評価するのは、納得できる話だった。こういうことを含めて、「建国の父」ブルギバにたいする高い評価と、晩年のブルギバ専横を終結させた一九八七年「改革」への礼賛とが、合理性をもって共存しているのだとすると、ここに、独立運動の歴史にたいするとらえ方のチュニジア的な柔軟さがあるのかもしれない。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-09-01/03_01.html

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などというくだりを読んでいると、おそらく誠実なだけに、MAMだのサルコジだののご都合主義やマキャベリズムとはかけ離れている分、複雑な気分にさせられる。
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# by mariastella | 2011-02-27 22:50 | 雑感

中央公論3月号

送っていただいた中央公論3月号を読んだ。

明るい気持ちになれたのは「復活!理系大国ニッポン」という特集。どれも楽しい。

たった一つ、せっかく楽しいのにがっかりしたのは例の比喩があったことだ。

それこそ「文系」の人は不用意に連発するが「理系」の人でも言うんだなあ。

省エネでエコロジカルな日本の技術を世界に輸出しよう、というのはいい。

そのシンボルとして「こたつ」を出して、「新こたつ文明」と呼ぶのも楽しい。

でも、

欧米人がこたつを発明できなかったわけは生活習慣だとして、次のように解説される。
 
***

(欧米人は)基本的に狩猟民族であるから、夜でも「窓の外を食べ物である鹿が通れば、弓矢を持って飛び出す」という感覚を、文明の底流として持っている。そのために、室内でも靴を脱がない。/ 日本民族は、水田耕作を生業としてきたので、その日の農作業が終われば、夜の間にやることはないので、履物を脱ぎ、ゆっくりと「こたつ」に入ってくつろぐことができる。/ 日本民族的な生活の方が、いつでも獲物を探している西欧文明的な生活よりも、幸福なのではないだろうか。(P88-89)

   ***

これではあまりにも突っ込みどころが多いというものだ。

現在でも狩猟を主として暮らしている民族はいるが、熱帯地域なら、そもそも「こたつ」はいらないのでは・・・とか、

夜行性動物を狩るなら昼間休むだろうし、まあ人間の狩りは目がきく昼間が多いと思うので、夜になったら休むのでは・・・とか、

窓の外を鹿が通ってから飛び出してももう遅いのでは・・・とか、

もちろん、ヨーロッパ人も農耕定住に入ってから文化を蓄積するようになったので、弥生時代以降の日本人と同じではないか・・・とか、

例の「ヨーロッパ人は肉食だから草食系日本人より残虐だ」的な論と同じくらい変だし、間違っているし、リスペクトを欠いているのではないだろうか。

面白おかしい文脈ならもちろんそれでもOKかもしれないけれど、せっかく「理系日本」の素晴らしさを鼓舞している話題なのだから、気持ちをそがれた。

私は、日本人は優秀だと思うし、欧米人と差異化が可能な技術を生むことにも長けていると思うので、そういう話の時にこのようなステレオタイプのレイシズムが出てくると残念だ。

この号にはもっと深刻な、私を暗澹とさせる話題もある。

ジェフリー・ゲルトマン「永遠に戦争が続くアフリカの現実」

だ。

ニューヨークタイムズの記者が書きそうな偏見も入っているが、要するに今のブラック・アフリカは、暴力のための暴力から抜け出せない、という話なのだ。

「イスラムは民主主義と両立しない」式の言辞は、今のアラブ世界革命で覆されつつある。それによって、欧米の「リアルポリティクス」民主主義の欺瞞が浮き彫りになるのは痛快ですらある。

しかし、このブラック・アフリカの現状を見ていると、そのうちに、白人から「文明の衝突」よりも「人種の衝突」と言いだされかねない。

ブラック・アフリカは、イスラム教も多いし、土着宗教もあるし、過去の宗主国の遺産であるキリスト教も多い。だから、「宗教の差」という言いわけはきかないからだ。

今、この瞬間も、ブラック・アフリカで虐殺される弱者や虐殺者に仕立て上げられる子供たちの問題をとどのように取り組めばいいのか、というのは今の人類の共通の最大の問題ではないだろうか。

もちろん、すべて過去の帝国主義者たちが悪い、とか、欧米から利を得た独裁者たちが悪いとか、いうことだけでは片づけられない。

誰でも、時代や環境や状況によって簡単に「鬼畜」になったり「非人間」になったりする。鬼畜とか非人間というのは人間の特性かもしれないと思えるくらいだ。

しかし、どんなにひどい状況でも、極めて少数だが、人道的に「ぶれない」人というのは、存在する。

「存在する」のだ。

(人間にいいように使いまわされる神が存在するより心強いかも。)

このことはまた別の折に。
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# by mariastella | 2011-02-26 01:05 | 雑感

アラブ世界で起こっていること  その5 イラク

今日はイラクの「怒りの日」で、どうなるかと思っていたら、やはり死者も出たらしい。

教育や医療システム、飲料水や電気などの深刻な問題はあるか、イラクの若者の蜂起を見ているとやはりつらい。

他のアラブ軍事政権諸国での若者の要求と、イラクの若者のそれは、微妙に違う。

たとえば、チュニジアやエジプトでは雇用促進を求めるものがあった。独裁者の汚職に関しても、独裁者の中には、最初は社会改革を目指していた人もいたのに、それがここ20年の新自由主義経済によるマルチナショナルな投資の余禄が肥大して、個人資産の拡大に突っ走ってしまった、という事情がある。

ところが今のイラクは、「アラブ世界の民主化をドミノ倒しに達成する」といううたい文句のアメリカによる一方的な戦争で荒廃した上、今のイラク政府はそのアメリカから来る復興予算(8億ドルと言われる)を一部の閣僚が懐に入れている。

今度の騒ぎで、政府は一般公務員の給料を引き上げて、大臣の給与は半額にカットすると言ったらしいが、要するに、今のイラクの汚職の中心は、自由投資家からの賄賂や場所代などを独占しているからではなく、アメリカなどから供与されている復興予算で私腹を肥やしているところにあるのだ。

だから、若者の不満も、

「自分たちに職を与えろ」

というよりも

「復興予算を公平に分配しろ」

というのがあって、その辺が、悲しい。

国の富を独占している独裁者に分配を要求しているのではなくて、国自体がぼろぼろ状態だからだ。

構造的に違う。

サダム・フセインを打倒する、というようなかたちの民主革命にはもうなり得ないからだ。

誰がこんな風にした?

ともかく、イラクが他のアラブ諸国の「民主化」余波で、今後どのような展開をするのか注目したい。
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# by mariastella | 2011-02-25 20:34 | 雑感

アラブ世界で起こっていること  その4 フランスとアメリカ

エジプトの次はイエメンかバーレーンかと思っていたがリビアになりそうだ。
その血なまぐささは半端でなく、2007年にサルコジ大統領がエリゼ宮にカダフィを歓待した時に「フランスは血にまみれた足を拭くマットではない」と批判して左遷された当時の人権大臣ラマヤデは溜飲を下げているだろう。

アメリカもイギリスもドイツも、当時すでにカダフィと石油と武器の交換貿易の成果をあげていて、フランスもあわてて遅れを取り戻そうとしていたのだ。

(追記:ヨーロッパでリビアに最も利権を確保しているのは旧宗主国イタリアであることはもちろんだ。もう一つ、カダフィはアフリカ大陸からヨーロッパへの不法移民を防ぐための海岸線警備に有能だった。昨年、それを強化して「ヨーロッパを黒くしないために」とEUに5億ユーロだかを要求し、さすがに断られていた。)

サルコジ政権以来、フランスは

「人権理念よりもリアルポリティクスね」

となりふり構わずやってきたが、それでも、その都度、それを攻撃したり揶揄したりする人が、野党にも庶民にもたくさんいる。

それに加えて、フランスに染みついた「中華思想」と「自虐癖」のせいで、いったん、自分たちの化けの皮が剥がれれば、与野党の区別なく過去の政治家たちのご都合主義を皆が暴き始める。

「中華思想」と「自虐癖」はセットになっている。

自分たちが何でもイニシアティヴをとっていると思っているから、失敗したと思った時に「…のせいだ」と責任を押しつけることが難しく、わりと簡単に自己批判をするのだ。

フランス人のアイデンティティの一つが「フランス革命の肯定的評価」なのだが、これが相当苦しい欺瞞に満ちたもので、それでも、啓蒙思想によって生まれた理念を背景に「抑圧されているものが支配者を倒した」という図式にしがみつくことで、かろうじて良識の居場所を確保している。

エジプトのユモリストがフランス人のインタビューで、

「ムバラクが死んだらナセルとサダトが待っていて、『死因は何だ、毒か、銃器か』と聞かれて『facebook』と答えた」

というジョークをとばしていた。

(追記:リビアには150万人のエジプト人が働いているのだそうで、誰でも家族か知り合いがリビアにいるので現在も今後のことも心配だと言っていた)

さらに、インタビュアーが

「これからのエジプトの取る道についてフランスの知識人に期待するか」

と聞いたら、

「外国や世界のことなんかどうでもいい。エジプトの若者に期待する」

と切って捨てたのが気持ちよかった。

これを聞いてまたフランスは自虐に向かうわけだが、アメリカではこういうことは起こらない。

彼らの建国神話の中では、「アメリカは宗主国の支配に打ち勝って独立した」というのが肯定的になっていて、基本的にずっと変わらない。帝国主義的植民者の支配に打ち勝って独立したというのでなく、自分たちが植民者で、先住民のホロコーストの末に出身国から独立しただけなのに、この欺瞞をずっと抱えたままアメリカン・ヒストリーでごり押ししている。無理があるのだが、無理があるほど必死に粉飾するものだ。

フランスの場合は、革命の後、テロル、内戦、ナポレオン戦争、新旧勢力入り混じりあうヨーロッパの再編成、さらなる2度の革命と王政復古に帝政復古、と、ごまかしのきかないボロボロさを呈した上に、2度の大戦でガタガタになり、ドイツに占領されたり、ベトナムやアルジェリア戦争の罪悪感がつもりつもっている。

その上で、なお、

「でもフランス革命は正しかった」

ことにしよう、という決意は、それなりの「抑止力」をとどめていると思う。

それに比べると神に祝福された「アメリカ民主主義教」の一宗派独裁のアメリカは、一党独裁のどこかの国と変わらないな。

http://www.youtube.com/watch?v=N-Vy8fFnz18&feature=player_embedded

の映像が世界中に流れたのは痛快だ。ヒラリー・クリントンに反抗する老人は公衆の面前で手錠をかけられて排除されるのだから。

これからどうなるか分からないが、懐疑よりも希望を抱くところにしか平和は見えてこないと思う。
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# by mariastella | 2011-02-24 20:40 | 雑感

Hereafter

昨日久しぶりに映画のことを書いたのでもう一つメモ。

Clint Eastwood の 『ヒアアフター Hereafter 』
/Matt Damon, Cécile de France, Thierry Neuvic,

この興味深い題材とうまい俳優と大きな予算を使って、よくこれだけ残念な結果を出せるなあ。

私がシナリオを書いたら100倍くらいおもしろくできたのに・・・

何気ない出来事を積み上げていってクライマックスで盛り上げるのとは反対に冒頭の津波シーンや事故のシーンが最も迫力があって、結局それ以上には、感動の面でも謎の面でも、まったく進展しないで尻すぼみ。

また、フランスでのこの映画の評に、「パリでのシーンの会話が非現実的だ」というのがあったが、まったく同感だ。ジャーナリズムと出版界の描写や、業界の男と女の様子が、あまりにもアメリカ的なのだ。

セシル・ドゥ・フランスは若い頃のMiouMiouをより繊細にした感じで、もともと気にいっていたが、ますます魅力的になった。映画の中でやつれていく彼女をながめるだけで楽しめる。

それにしても、繰り返し垣間見せられる「死後の世界」はあまりにもつまらない。映画なんだからせめてもう少しマニアックな仮説を立ててもいいのに。
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# by mariastella | 2011-02-18 18:42 | 映画

The King's Speech

Tom Hooper監督でColin Firth主演の

The King's Speech

を観た。

日本でのタイトルは『英国王のスピーチ』?

英国王にあたる部分が

原題が大文字の「The King・・・」で、

フランス語タイトルは

『Le Discours d'un roi  』

と、小文字の「a king」

に相当するもので、

王一般や英国王やこの映画に対する言語別、文化別の微妙な視線の違いが感じられる。

皇室の皇位継承問題についていろいろ話題になっている日本での受け止められ方はまた独特のものがあるのだろう。

高貴な身分の者の苦しみやら努力やら友情やら家族愛に加えて第二次世界大戦というドラマティックな背景という要素を並べるだけでリスクの少ない感動ものに仕上がる。

私の注意を引いたのは、

ジョージ5世の次男であったアルバートが兄の退位にともなって急遽即位することになった時、

「アルバートの名ではドイツっぽいから、ジョージ5世との継続性を強調したジョージ6世でいきましょう」

とアドヴァイスをうけたことだ。

兄さんはディヴッドと呼ばれていたのにエドワード8世だった。調べてみると、正式の名は

「エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド・ウィンザー」で、

「名前のうち、エドワードは伯父クラレンス公アルバート・ヴィクター、クリスチャンは曾祖父のデンマーク国王クリスチャン9世にそれぞれ因んだもので、アルバートは曾祖母ヴィクトリア女王の強要によって含まれたものだった。また、洗礼名のジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッドは、いずれもイングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの守護聖人に因んだものだった。ちなみに、家族と友人からは終生、最後の洗礼名である“デイヴィッド”の名で呼ばれ続けていた。」(Wikipedia)

とある。では、やはり最初のいわゆるファーストネームを王の名にしていたわけだ。
セカンドネームの「アルバート」は「曾祖母ヴィクトリア女王の強要によって含まれた」とあり、次男の時にはこれが晴れてファーストネームに昇格したわけだ。

そのアルバートというのは、曾祖母ヴィクトリア女王がこだわったという通り、ヴィクトリア女王の夫アルバート公の名だ。で、そのアルバート公は、ドイツのザクセン公子で、やはりザクセン公国出身のヴィクトリア女王の母方の従兄にたる。もともと今のハノーヴァー朝はドイツ系で、第1次大戦の時にすでに敵国ドイツのイメージを避けるためにウィンザーと改名した。

で、第二次大戦に参戦する重大な局面においてアルバート王というのはまずい。ここはイングランドの守護聖人であるジョージ(洗礼名には含まれている)で行こう、ということになったわけである。

このことは、1978年にヨハネ=パウロ1世が在位33日目に急死した後で選出されたカトリック初のポーランド人教皇のことを思い出させる。
彼がポーランドの聖人であるスタニスラスという名で即位したいというのを、それではあまりにもポーランド色が強いのでヨハネ=パウロ2世にしろとアドヴァイスされたという話だ。

フランス語ではアルベールという名はベルギー王とかモナコの大公とか王の名としてもなじみだし、もとになった聖人はフランスも込みのフランク王国系ルーツなので、いわゆる「ドイツ色」があるわけではない。

映画の中でもその雄弁ぶりがジョージ6世と比較されているのはヒトラーだが、ドイツ人は名前をずらずらとつけないのだろうか。アドルフというのはゲルマン系の名で、聖人もいないわけではないが、近代以後のイギリスやフランスではごく少ない名だ。

ヒトラーのすぐ下の弟(夭逝)はEdmundという。もしヒトラーのファーストネームがEdmundだったりしたら、エドワード8世も別の名前で即位していたかもしれないな。
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# by mariastella | 2011-02-17 19:36 | 映画

Instiut Jeanne d'Arc

先日のイランについての記事
http://spinou.exblog.jp/15921346/
を補足する。

シスター・クレールが20年勤めていたテヘランでのジャンヌ・ダルク学校のことだ。

Institut Jeanne d’Arc とか、 Ecole Jeanne d’Arcとか呼ばれるこの学校はシスター・クレールがバスケットボールクラブを作って未来の王妃ファラがキャプテンとして活躍したことが有名なように、上流階級のご用達だった。

19世紀を通じてイランのエリートは啓蒙思想とフランス革命が好きで、フランス文学も大好きだった。

イギリスの英語やロシア語が幅を効かせていた時代だが、それらの言葉さえもフランス系の学校内で教えられていたほどフランスびいきだった。当時国境を接していたイギリス(インドを通じて)やロシア帝国へのけん制もあったのだろう。

やはりアジアに根を広げていたアリアンス・フランセーズははっきりと商業的メリットをうたっていた。
他にフランスのユダヤ系共和国主義のフランス語学校もあった。
しかし一番上流どころはカトリック系フランス校だったのだ。

ジャンヌ・ダルク女子校ができたのは19世紀半ばで、男子校はラザリストによる「サン(聖)・ルイ」校である。

彼らはまったく宣教活動はしていなかった。ラザリストも愛徳姉妹会も、17 世紀の聖ヴァンサン・ド・ポール(ヴィンセンチオ・ア・パウロ)が創設した社会事業中心の活動修道会だ。

でも、どうして、この名前なのだろう。

シスター・クレールはこの2人がフランスを代表する名前でフランスの守護聖人であるからだと言った。
つまり、宣教活動はしない代わりに、学校の名前によってフランスのアイデンティティを強調したのだろうか。

ジャンヌ・ダルクが聖女として正式に認められたのは1920年、その前段階である福女になったのが1909年、その審査が始まったのが1894年、オルレアンの司教がジャンヌの聖性を示唆したのが1869年、ミシュレーがジャンヌを民衆の聖女だとしたのが1841年。

テヘランのジャンヌ・ダルク学校は1860年代の初めにできた。だから、聖ルイ(ルイ9世、13世紀)と違ってジャンヌ・ダルクはまだ聖女(サント)ジャンヌ・ダルクと呼ばれていない時期だ。

ジャンヌ・ダルクがオルレアン解放のために立ちあがる時に聞いた天の声の中にはこのサン・ルイの声があった。
だからこの2人の組み合わせでは、どちらかというと王党派のイメージで、イラン人の好きだったフランス革命とはニュアンスが変わってくる。でも当時のイランはガージャール王朝の支配下にあったわけだし、フランス革命的や啓蒙時代のイメージよりもそのような「曖昧ゾーン」の方が都合よかったのかもしれない。

だからかどうか知らないが、ジャンヌ・ダルクが福女になったり聖女になったりした後も、この学校の名には「サント・ジャンヌ・ダルク」と称号を付け加えられなかった。

フランス本国の内部では、その名前の女子校が公立でもたくさんできたというのに。

ジャンヌがフランスの守護聖女となったのもずいぶん後のことである。

フランスの守護聖人としてはノートルダム(聖母)もいるのだから、ノートルダム女子校としてもよかったはずだが、そうならなかった。

ノートルダムではキリスト教色が強すぎる。

当時のイランには宣教色が強いアングロサクソン系プロテスタントの学校もあって、プロテスタントはノートルダム崇敬を認めないので微妙だったからだろうか。

聖ルイもジャンヌ・ダルクも歴史上の人物。

2人とも戦場で戦った。

そういう理由で選ばれたのかなあ。

でもジャンヌ・ダルクの列聖はあまりにも同時代すぎて政治色が濃いので、「聖女」と付け加えるのはさすがにはばかられた、ということだろうか。
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# by mariastella | 2011-02-16 08:40 | フランス

アラブ世界で起こっていること  その3 イエメン

イエメンとの仕事に最近挫折したフランス人ビジネスマンと話した。
仕事の挫折は最近の情勢と関係があるのかどうかと私は聞いてみた。

この人は確かに現大統領の家族とコンタクトがあったので、今の体制が崩壊するとすべてを失うことになるから、ビジネスがストップしたこと自体は後悔していない。

けれども、問題は、それよりも、カートにあったという。

カートは麻薬の一種で、イエメン人はカートの葉を朝からくちゃくちゃと口に含み始め、反芻するかのようにかみしめていて、午後1時頃になると多幸がピークになるので、ほとんど仕事にならないそうなのだ。

飲酒が禁じられているという事情があるとはいえ、とにかく町中でも家庭内でも老いも若きも1日中できるだけ長い間カートの葉をチューインガムのように噛んでいるらしい。

もちろんアディクションが起こることははっきりしている。

反体制を目指す若者たちのツイッターなどにカートの話題は出てくるんだろうか。携帯にも依存症という現象があるが、軽いものだとは言え比喩でない本物の麻薬中毒の状態で革命などできるのだろうか。

もっとも、カートは一種の覚醒剤なので、効いてくると怖いものがなくなるということで、革命などの意気昂揚のために有効なのだろうか。

ひょっとして、その背後に、自分はカートを全くやらないで民衆の行動を操作しようとしている一部の人間がいるのだとしたら、それも怖い。
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# by mariastella | 2011-02-16 04:06 | 雑感

アラブ世界で起こっていること  その2 イランについて

今度の土曜日(2/19)、パリで、イランの故パーレビ国王(シャー)の次男であるアリレザの追悼式典がパーレビ未亡人であるファラ元王妃を中心にした関係者で行われる。

1月6日にNYでの彼の自殺を直ちに知らされた愛徳姉妹会のシスター・クレールはもちろん出席する予定だ。

11歳の頃からテヘランのジャンヌ・ダルク学校でファラの力となってきたシスターは、ファラの子供たちの中でもアリレザが特に優秀だったことを回顧する。

今93歳であるシスターは1979年に王(シャー)夫妻と同時期にイランを出てからもずっと彼らを陰から支え続けていた。

彼女が回想するのは、あのニューヨークの夜のことだ。

夫婦はイランを出てから、半年の間にエジプト、モロッコ、バハマ、メキシコとたらいまわしにされてきた末、1979年7月にメキシコでパーレビの癌が発覚した。手術の目的でニューヨークのコーネル医科センターに偽名で入院するために到着したのは10月20日、手術は24日だった。

ところが、その10日後、11月24日にテヘランのアメリカ大使館が襲われて人質にとられてしまう。

国王(シャー)一家の悪夢が始まった。革命政権は明らかに人質の解放と交換にパーレビの引き渡しを要求したのだ。

病院の前で、「王に死を」という叫びがやまず、当時13歳だったアリレザと8歳だったレイラ(2001年にロンドンで自殺)は恐怖と恥辱に震えた。放射線治療のためには、真夜中に起こされては地下通路を100メートルを息絶え絶えに歩かされて治療施設に赴かねばならなかった。その施設は数年前にパーレビの母を治療してくれたところで、王は百万ドルの寄付をしていた。

容態は悪化し、厄介な存在である王が治療中に殺されるのではないかと恐怖に怯えた彼らは中米のパナマに逃げた。

結局最初に受け入れてくれたエジプトに戻り、王は1980年にカイロで死んだ。

一家の忠実な友であり、保護者となったサダト大統領は翌年、イスラミストに殺害された。今回の民衆蜂起で去ったムバラクはその後で独裁者となったわけだ。

サダトを第二の父のように慕っていたアリレザは、さらなるトラウマを受けた。

アリレザは成長してからアメリカに居を構え、プリンストンで数学、物理、音楽学を専攻した後は、憑かれたようにイラン史にのめりこみ、コロンビアやハーヴァードで学位を得た。

兄のレザはNYにいるが、アリレザはずっとボストンを離れなかった。NYは瀕死の父を鞭打った場所であり続けたのだ。

44 歳で一人暮らしでピストル自殺を遂げたアリレザはアメリカで火葬された。

父を見捨て追いやったアメリカの地に埋葬することは問題外だった。
遺灰はファラがパリに持ってきて、2月16日のセレモニーの後で、カスピ海に撒かれる予定である。

ホメイニが1979年にイラン入りする前に、フランスに3ヶ月滞在したことがある。

その間に130 に及ぶインタビューが行われた。
そこでホメイニは、

新しいイランは表現の自由と宗教的マイノリティを尊重する完全で真実の民主主義国家となる

と繰り返し言明した。

無神論者のサルトルでさえ当時はそれを神の恩寵のように評価したものだ。
あの時点でホメイニは確実に「欧米」の支持を得ていた。

現在、当時のホメイニのインタビューや会見はすべて事前に提出されていたものであり、側近の委員会が答えを作成していたことが分かっている。

パーレビ国王(シャー)はイランの近代化を目指していた。その「近代化」は必然的に欧米出自の民主主義や人権理念に基づいている。19世紀半ば以来、イランのエリートは啓蒙思想やフランス革命のファンだった。

シスター・クレールは彼らのブレーンとして、コーランと聖書の共通点から普遍主義を引き出そうと白色革命に協力していた。

今エジプトで起こっていることは、彼女にとってデジャヴュのように不安を掻きたてる。

私は2月6日にタハリール広場で、コプトの司祭がミサを挙げて、その後ですぐにムスリムのイマムが結婚式を司式したことを話し、ムスリム兄弟団には社会政策はあっても人権だの平等だのに対する政策がないこと、イランの時と違って、若者がウェブでつながっていることを強調した。

また、ナセル時代に5年間投獄された元コミュニストで無宗教の作家ソナラ・イブラヒムSonallah Ibrahim( 2003年にカイロ文学賞を拒否して独裁政権を批判した)が、自分は今の若者が戦いもせずFacebookの依存症になっているだけだと未来を悲観していたので、このようなことが起こるとは信じられなかったと喜んでいることも話した。

そして、文明の衝突などと称してイスラムと西洋風民主主義が両立しないかのように、冷戦後の1990年以来、それまでの仮想敵だった共産主義をイスラミストにすり替えてきたメディアの弊害を話し、イスラムもキリスト教と同じルーツの普遍的救済を語る宗教であることを思い出させた。

民族や出自に関わらず、人は信仰によってあまねく救われるというのが普遍宗教であり、その「信仰」の中身や神の属性を都合よく変容させるのは人間なのだ。権力者が「神」の名を口実にする誘惑は大きい。

するとシスターは、そうそう、と言って笑い、敬虔なカトリックだったドゴールにまつわるジョークを披露した。

自宅の浴室でドゴールが裸になっていた時、ドゴール夫人がうっかりドアを開けてしまった。

「Mon Dieu!!」と夫人は言った。

「Pas entre nous.」とドゴールが答えた。

最初のは「あら、まあ!」という感じの「オーマイゴッド」だが、神のように崇められているのに慣れているドゴールは「私の神」と妻が呼んだのだと勘違いして「いや、我々の仲だから(神と呼ぶ必要はないよ)…」と答えたというのである。

アリレザの死以来落ち込んでいたシスター・クレールは少し元気になった。

イランの若者たちもリアルタイムで中東情勢を追っている。

これから情況がどうころぶか分からない。

93歳のシスターのオプティミズムが少しでもファラとレザの慰めになればいいのだが・・・
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# by mariastella | 2011-02-15 02:22 | 雑感

アラブ諸国で起こっていること その1  トルコについて

トルコについて

チュニジアやエジプトが大激動のこの時期にどうしてトルコかというと、世界についてのオプティミズムを維持したいからだ。

トルコは国民の大部分がムスリムであるにかかわらず、世界でただ一つと言うくらい忠実な「フランス風ライシテ」を採用している国である。

もちろん、フランスがライシテに至ったのとは歴史的経緯が全く違うので、どこか変なところはいろいろあるし、EUへの加入問題も含めて、微妙な問題もたくさんある。

でも、2009年の1月のダボス会議(世界経済フォーラム)で、イスラエルのペレス大統領がガザへの攻撃を正当化しようとして延々と自分たちがいかにハマスに苦しめられているかと述べた時に、怒りをあらわにしたトルコのエルアドン首相が席を発って退場したシーンは、ネット上で何度見ても、感動を覚える。

あの時、西洋諸国はもちろん、アラブ連合の代表も、席に着いたままだった。

イスラエルと国交を持つ数少ないイスラム国であるトルコのあの時の態度は印象的で、アナトリア通信によると、あの後でペレスは電話でエルアドンと会談して謝罪したそうだ。

で、今回、チュニジアやエジプトで、アラブ国では初ともいえるタイプの抗議運動(そこでは「反米、反イスラエル」の言葉がなく、民主主義や人権や平等など欧米由来の理念が普遍的なものとして掲げられていた)が進行していた最中の今年の1月27日、トルコ国内のシナゴーグでアウシュヴィッツ解放記念の式典が行われた時に、トルコの首脳が初めて公式に参列した。

何か、トルコのこういうタイミングの読み方というか、宗教やイデオロギーと人権理念をきっちり分けて見せるやり方は、貴重だと思う。

エジプトやチュニジアの革命がイランのようなイスラム革命にならないかとびくびくしている国際社会に対して、イスラムがマジョリティである国であることとライシテや人権理念を掲げることが矛盾しない、普遍主義とはそういうものであるということをアピールする意味は大きい。

もちろんトルコが過去に行ったアルメニア人のホロコーストを頑として認めないこと、それをヨーロッパ勢から追及される時の切り札としてナチスのホロコーストの犠牲者であったユダヤ人に接近するというトルコの戦略も確かに存在する。

そのようないろいろな思惑が交錯していることを差し引いても、アラブ人でないイスラム国トルコの存在感は無視できない。アラブ系でないイスラム国のインドネシアの歴史も別の可能性を示唆するが、今回の出来事に対して地政学的にはインパクトが少ない。

トルコがライシテを掲げてくれていてよかった、と心から思う。

次回はイランについて。
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# by mariastella | 2011-02-14 08:58 | 雑感

la sororité

昨年から途切れ途切れに読んでいた

Benoîte Groult (以下B.G)の『Mon évation (Le livre de Poche)』を最近ようやく読み終えた。

ステファヌ・エッセルが93 歳ならこのB.G.も今年91歳、長老だ。

フランス語にはsisterhoodに当たる言葉がない。

フランス革命の理念の一つであるfraternitéはbrotherhood で、兄弟愛なのだが、男が普遍的概念を包括することが多いのは男のエゴを助長することになるとフェミニストは主張するわけだ。

日本語ではその辺をカバーするためか友愛とか博愛とか訳されていた。

ニュアンスは微妙に違う。

で、la sororité (姉妹愛) 。

Elisabeth Badinter が、フランス風の平等(égalité )理念に立っているのに比べて、B.G.はアングロサクソン風の同等、同権主義(parité)に近い。

 だから、B.G.は女性名詞を独立させることで「同等」に近づこうとしている。そもそもフランス語には名詞に性別があること自体が、それのない英語圏のフェミニズムと異なる文化が作られがちなのだ。

彼女が65歳で書いた小説(運命的恋愛小説だが、男は死んで女は生き延びて再出発する)が、ドイツで200万部を超えるベストセラーになったがラテン国ではいまひとつ受けなかったというエピソードも興味深い。

彼女は50歳を超えてからフェミニズムに目覚めた。その時、それまでに押し付けられていたネガティヴな女性イメージから「解放された」と感じてはつらつとした新生の「若さ」を得たのだが、自分の外観が若さを失っていることとのバランスがとれなくて、美容整形のリフティングの施術を受けたそうだ。整形していないジャンヌ・モロー(?)が10歳年上のダニエル・ダリューの母親に見えるとか、なかなか辛らつだ。

L'égoïsme, c'est la santé. (エゴイズムって健康のことよ)

L'égoïsme, est une vertu de délivrance.(エゴイズムは解放の徳の一つよ)

など、威勢のいい言葉もあって、自分でも認めるように高齢でなければなかなか口にできない本音もたくさん出てくる。

痛快だ。

しかし、

「本音」が「正論」とは限らない。

「Les vrais egoïstes (本物のエゴイスト)とはles perpetuels déprimés(永遠に落ち込んでいる人たち)だ」

と言い切るのも、90 歳の女性が言うとそのポジティヴ思考ぶりに感心して見習わなくちゃ、と思うが、若くても欝のスパイラルに陥って抜けられない人たちもたくさんいるのだから複雑だ。

一番気に入ったのは、その彼女の自由な言動が、たまにその思想と矛盾していてもいいんですか? と問われた時に、

自分の理論に殉じなくちゃいけないなんて、自殺よ、

純粋理論なんてスターリニズムよ、

矛盾こそ人生の調味料だわ

と答えている部分だ。

バダンテールも論客で、スーパーウーマンで、しかも美しくて優等生だが、B.G.のようにあちこちが少し破綻している方が、魅力はある。

B.G.は、バダンテールが擁護するフレンチ・フェミニズムにもそうこだわらない。

同じ政党や同じ宗教内部でもいろいろな派閥があるのよ、人類の半分が関係しているフェミニズムにいろいろな立場があるのはノーマルだわ、

という雰囲気でやり過ごす。

私も la sororité が好きだ。

いわゆるガールズ・トークも好き。

将来父親や母親になる幼児たちの教育に最大の影響を与えるのは女親ということが多いから、女性が女性の部分できっちり連帯することはやり重要だと思う。

B.G.を見てると、

le féminisme, c'est la santé.(フェミニズムって健康のことよ)

と思ってしまいそうだ。

(関連記事 http://spinou.exblog.jp/13901370/
など)
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# by mariastella | 2011-02-03 22:59 | フェミニズム

Suzanne Ramon を聴く

Suzanne RamonのチェロとEmmanuelle Swierczのピアノをジャクマール・アンドレ美術館の音楽サロンで聴く。

この美術館は私の好きな場所のひとつだし、シャンパーニュ付で、グラスを片手に常設展示をぶらぶら眺めた後でゆったりとコンサートを聴く気分は贅沢でほっとする感じだ。

19世紀ばりばりの環境と雰囲気とそれにぴったりのプログラムだったが、フランスらしい演奏でよかった。

チェロという楽器は、音域も低めだし、落ち着いた大人っぽいイメージがあるが、その楽器を使って感情だだもれの演奏されると、正直言って痛すぎて、バロック耳には逃げ出したくなる。

プログラムにあったドビッシーを聴きたかったのに、変更になって、結局、

ラフマニノフのVocalise

フランクのソナタ、

サンサーンスのソナタn.2

フォーレのエレジーという組み合わせだった。

ラフマニノフを別にしたら、時系的に並んでいる感じだ。

私がヴィオラで弾いたことのあるのはラフマニノフだけである。

サンサーンスは始めて聴いた。

どれもみな、抑制がきいていて知的で、繊細で、ピアノとチェロのバランスが絶妙だった。

こういう感じのピアノとチェロは、抑制がきいていればいるほど、芳醇な感じになる。

どこの音楽院の作曲科でも必ずチェロとピアノのデュオを書かせるくらいに、この二つの楽器のバランスは、楽譜のレベルですでに難しい。

チェロの音域がピアノの左手と重なる部分が多いので、メロディーをどこに位置づけるかというのがかなり微妙だからだ。

これがヴィオラだと一オクターヴ高いので、アルトの女声を歌わせているイメージなのだが、チェロは男声のようでありながら人格を変えることができる。
だからバッハの無伴奏のように多声部で出来ている曲だと威力を発するのだが、ロマン派の曲をチェロで人格統一しようと思ったら演奏者の「感情」を色濃く乗せてしまうはめになる。

チェロの名手が完璧なテクニックの上に立ってこの感情のたがを外してしまうと、センチメンタリズムに陥る。

どんなにテクニックがあっても、センチメンタリズムの持つポピュリズムの力には拮抗できない。

フォーレのエレジーなんてその種の誘惑に満ちている。

シュザンヌ・ラモンによる抑制のエレガンスは大したものだ。
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# by mariastella | 2011-01-31 23:39 | 音楽

ユニヴァーサリスム

前に、世界人権宣言デーの記事で、Stéphane Hessel
のことを書いたこと
がある。


この人の書いた薄い小冊子で『Indignez-vous!(義憤の勧め)』というのがあって、百万部にも達して、去年のクリスマスシーズンに爆発的に売れたそうだ。

フランス人のクリスマス・プレゼントの定番は昔も今も本、香水、チョコレートであって、私もクリスマスごとに毎年いろんな人から本をプレゼントされているし、している。美術書やハードカバーのBD(コミック)というヴァリエーションもある。

この本についてや著者について、猫屋さんのブログ(2011/1/20の記事)でも少し読めるし肉声も聞ける。
 

この本がすごい売れゆきだったことは、本がクリスマス・プレゼントになるということも含めてすごくフランス的なのだが、そのせいで93歳のエッセルは突然時の人になった。

最近、サルコジ政権が改悪しようとしている年金システムや社会保障制度のすべては対独レジスタンスの中枢が編み出してきたものだということを、もはや数少ない当事者であるエッセルが強調するのは今や新鮮だ。

私の気にいったエピソードは、人権宣言にかぶせる形容詞について、

アングロ・サクソン国(英米だろう)は、internationaux を提案したのに、フランスのRené Cassin が 
universels に固執したというところである。

その形容詞は直接的には「宣言」にかかっているが、René Cassinがこだわったのは droits universels の意味である。

つまり「国際」法ではなくて「普遍」法という意味だ。この宣言での「droits」は権利であって法ではないし、宣言であって法的な拘束力もないのだが、国際間の関係に関する合意ではなくて国籍などを超えた普遍的なものを目指しているという方向性は、それによって明確になった。

日本語では「人権に関する世界宣言」のような訳なので、なんだかワールドだとかグローバルとかを連想してしまい、アングロ・サクソンの世界観とフランスの普遍主義が拮抗する感じが伝わらない。

インタナショナルでは個々の国の存在が前提になる。

この人権宣言が出た時に「連合国」の念頭にあったのは、過去の主権国ドイツの首長であったヒトラーがホロコーストを国の政策として掲げたことに関して、「他国の主権を侵害する」とか「他国の内政に干渉する」ことの是非を超えて人類に対する罪をもっと早く弾劾すべきであったという反省だった。

これはフランスのような国では、国内の共同体に関して、それが家庭であれ、伝統的な共同体であれ、その中で基本的人権を侵されている人がいれば国家が直接干渉するという基本方針に反映している。

共同体の秩序だの伝統よりも、個人の人権の方が重い。

たいていの秩序だの伝統だのは構造的弱者の犠牲の上に成っていることが多いから、これは革命的だ。

この勇気ある理念の当然の帰結として、言い出しっぺのフランスの植民地が次々と独立したりなどということにもつながったわけである。

しかし、イラク戦争など、主権国内での独裁者による人権蹂躙に対して、どの国が、あるいは国連軍が、どの程度、どのタイミングで干渉するかという判断については、政治的、経済的な利害やそれこそインタナショナルな力関係がからんで複雑極まりないものになるのも事実だ。

それでも、ユニヴァーサルを常に視野に入れていないと、インタナショナルはエゴのぶつかり合いや競争原理にのみ傾いてしまう。

義憤という人間的な正論をクリスマス・プレゼントに乗せて広くばらまくフランスにはまだまだ希望がある、と思いたい。

(エッセルが93歳の今まで、戦中も戦後も実に精力的に素晴らしい活動をしてきたことには感嘆させられるが、実は、今回の人気で彼のプライバシーも目に入り、妻の死後に72歳で30年来の愛人と再婚したなどという経歴を知り、私の中での彼の「カッコよさ」は半減した。尊敬するバダンテール夫妻にもそういう理不尽な幻滅を感じたこともある。私のような人がいるから、天下国家について立派な理想や正論を吐く人たちは、私生活もある程度マネージメントする必要があるのではなかろうか。そういう意味では独身で使命を貫くタイプの聖職者にはやはり心理的に付加価値がつくかもしれない。)
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# by mariastella | 2011-01-24 08:02 | フランス

ナポレオン、ジェンダー、チュニジア革命

今、こちらの一番の話題はチュニジア革命。

23年にわたる独裁者ベン・アリとその家族がついに逃亡した。甥たちが町中で襲われ始めていた。身の危険を感じたのだ。

いわゆる指導者がいなかったということで新しいタイプの革命だと言われているが、確かにウェブを通して情報が行きわたっている世界ならではの出来事かもしれない。

ベン・アリの逃亡先はサウジ・アラビア。

ご都合主義の民主主義の末路はサウジアラビアへの亡命で、サウジからはテロリストが世界へ散らばる。

去年はビルマといいコートジヴォワールといいウクライナといい、選挙って何なんだ、といいたくなるケースが相次いだ。

冷戦時代であっても、西側諸国が民主主義陣営であったわけではない。親米独裁政権はアメリカの仲間だった。

政治の理念やモラルなど、肥大する欲望の前には単なるお題目でしかない。

権力への欲望は本当に人を芯から腐敗させる。

近頃ナポレオンをジェンダーで読み解く作業をしているのだが、ナポレオンが権力を一家郎党や子孫に伝えたいとか姻戚関係によって安全を担保したいとかいう感情には、本当に脱力させられる。

ナポレオンとジェンダーなんて、どう結びつくのかとフランス人からも驚かれるのだが、支配欲と戦争=暴力、権力を保証する権威と聖なるもの、をめぐる欺瞞の歴史は、もうすぐ連載が終わるジャンヌ・ダルクからも一直線につながっている。フランス人が「闘う処女マリア」を経て、処女戦士であるジャンヌ・ダルクを半俗半聖の戦うヒロインとする過程で、ナポレオンは男である「軍神」の地位に上りたかった。

いつも弱い者の側に立って、殺されても抵抗せずに男の弟子たちを失望させたナザレのイエスは、ジェンダー的には女性の立場に近い。そんなキリスト教が軍神マルスを否定してから、キリスト教はなかなか権力者たちが必要とする「軍神」的なキャラを持てなかった。

最も戦闘的なのはジャンヌ・ダルクにもお告げをもたらした大天使ミカエルだが、翼が生えていて中性的だ。勇ましく悪魔に立ち向かって罪人の魂を取り返してやるのも、もっぱら聖母マリアの役どころである。

ナポレオンは本気で男たちの軍神になりたかったのだ。

そのために彼の考えた装置や演出は非常に興味深いものである。(これについては別の機会に書く)

それもこれも、結局は、自分の権力を子々孫々に継承させることが可能な権威につなげたかったからだ。

やはり、不死ならぬ人間にとっては、「自分の子供を持つ」というのが、すべての煩悩の根源になりそうだ。

そういう意味では、カトリック教会がいまだに聖職者の独身にこだわるのは、危機管理の智恵の一つでもある。

だからこそ、啓蒙思想の影響を受けて共和主義を称揚したピウス七世は、ナポレオンの恫喝に屈しなかった。

一代限りの独身の権威の強みでもある。

5世紀頃まで聖職者の独身制はなかった。6世紀の西方教会で独身制が導入され、妻帯者を叙階することもあったが、叙階された後に子供をつくった者は罰せられた。

ところが、ヨーロッパがすっかりキリスト教化した中世においては聖職者に庶子がいるのは珍しいことではなくなってしまった。1022年のパヴィアの公会議では、この状況が洗い出されている。

その時カトリック教会が決めたのは、聖職者の子供は、教会の隷属者であるというスタンスである。

聖職者というのは生涯を教会に捧げた身分であるから自由人ではない「隷属者=奉仕者」だ。

普通は、自由人の女と奴隷の男の間に生まれた子供は自由人の身分を得ていたが、ローマのユスティニアウス皇帝は、6世紀に、国家の奴隷と自由人の間に生まれた子供は自由人になれないとする条例を出した。

その例に倣って、カトリック教会は、教会の奴隷である聖職者の子供もまた教会の奴隷であること、すなわち私有財産を持てないこと、教会の奴隷は自由人の名で財産を獲得してはならないことを確認した。

聖職者やその庶子の領地や財産は没収された。

つまり、これは、早い話が教会の財産が四散することを防ぐための決まりだったわけだ。しかしそのおかげで、封建領主としてのローマ教会や各種修道会などが、その財産を権力者の子孫に継承させてしまうという欲望の連鎖は断ち切りやすくなった。

とはいえ、それ以降も、ルネサンス時代に顕著なように教会のモラルは内部では十分に腐敗していったわけだが、宗教改革やカトリック改革を経て、啓蒙の世紀を生きたピウス七世などは、ナポレオンなどよりもよほどまともなフランス革命の理念の継承者で、民主主義者となっている。

ナポレオンはエジプトではイスラムに改宗した、という形になっているし、ユダヤ人を軍に召集できるならソロモンの神殿だって再建する、と言っている。

権力者と宗教の関係を考える時に非常に興味ある事例でもある。

ナポレオンは織田信長にはなれなかった。

神聖ローマ帝国とも戦わねばならなかったし、姻戚を結ぼうともした。

彼の母親やその兄弟はローマ教会の側に立った。

彼が最後の日記でイスラムを称揚しているのを引いて、本当にイスラムに改宗していたのだと言いたがる人もいるのだが、啓蒙思想における「反教権主義=無神論」の文脈で読み返してみると、ナポレオンの語る「一神教比較」は別に新しいものでもない。

ナポレオンを無神論の文脈で語り直し、ジェンダーの問題と絡めて、「軍神の文化史」を書いてみたい。

ジャンヌ・ダルクがフランスのナショナリズムのシンボルとして使われるようになるのは、ナポレオンの失脚と、プロシャ戦争の敗退によるナポレオン三世の失脚があったからである。

ここに軍神とジェンダーの微妙な関係が見える。

ジャンヌ・ダルクの単行本をまとめる時にこの辺を掘り下げることになるかもしれない。
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# by mariastella | 2011-01-16 03:34 | 雑感

ヨハネ=パウロ二世の列福

前ローマ教皇JP2の列福が5月1日に決まったらしい。

奇跡の治癒例が認められたそうだ。

B16は自分が在任中にJP2を正式に聖人の列に加えたいのだと思う。

彼のバランス感覚や知的なイメージの裏にポーランド人教皇へのけっこうエモーショナルな愛情を感じてしまうのは錯覚だろうか。

カトリック教会がいい形で脱ヨーロッパ化するには、ナチスの時代を生きてきたポーランド人とドイツ人という2人の教皇の時代を経なければならないのかもしれない。
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# by mariastella | 2011-01-14 20:54 | 宗教

コプトのキリスト教など

イラクのキリスト教徒たちは、国外に逃げられる人たちはもはやほとんど逃げて、残った人たちは教会にも行けないほどの脅迫を受けている。

エジプトのコプト教会でも自爆テロまであって大変だったのは記憶に新しい。

コプト教会にはカトリック(22万5千人)もいるせいか、フランスではかなりの大騒ぎになった(フランスには4万人のコプト・コミュニティがある)。

エジプトは言わずと知れた初期キリスト教の揺籃の地の一つで、アレキサンドリアはローマと並ぶ国際都市で、あり、神学においても中心地だった。

「コプト」というのはエジプト人を指すギリシア語のaiguptiosを、642年にイスラム教と共にやってきたアラビア人がアラビア風に読んでキリスト教共同体を指すようになった言葉だ。

コプト教会というのはなかなか辛酸をなめてきたグループである。

ヘロデ王による嬰児虐殺を逃れるために生まれたばかりのイエスを連れて聖家族が亡命してきた由緒ある場所であり、使徒マルコが最初の教会を組織したと言われているし、旧約聖書を最初にギリシャ語訳したのもこの場所なのに、ディオクレティニアヌス帝時代の大迫害の時代には厖大な数の殉教者を出した。

それでもキリスト教が壊滅しなかったこと自体(コプト元年は284年)が奇跡だと言われているくらいだし、その上、グノーシスだのマニ教などの二元論の洪水の前にも踏みとどまって、後の隠遁修道会の基礎も作ったし、ニカイアの公会議、エフェソスの公会議と、キリスト教の基礎を築くのに貢献した。

ところが451年のカルケドニア公会議でローマと袂を分かち、東方正教会の一部となり、その後で7世紀のイスラム侵入によって、迫害されたり条件付きで共存を許されたりを繰り返しながら、14世紀にはついにマイノリティになった。エチオピアに移住した者もいる。

その頃からにわかにコプト教会のためにがんばりだしたのがフランシスコ会で、1895年にカトリックのアレキサンドリア主教区ができる頃にはコプト教会のうち10 %がローマの傘下に入った。

しかし90%イスラム化したエジプトの中で、昔ながらのコプトのコミュニティが持ちこたえてくれたからこそ、キリスト教と共に古代エジプト語が継承されたわけで、コプト経由のエジプト語の知識がなければフランスのシャンポリオンが象形文字を解読することもできなかった。

1973年にはカトリック(パウロ6世)とコプト教会による共同信仰宣言も出て、正教会のいうキリストの神性のうちには「受肉した神性」も含まれる(「monophysisme 単性論」で誤解されがちなキリストの人間性の否定でなく「miaphysisme」であること)のだというところがあらためて確認されたこともあった。

こうして1500年以上もキリスト教の内輪でいろいろあったわけであるが、21世紀におけるコプト教会の新しい試練は、テロを辞さないイスラム教原理主義者からやってきた。

この責任はどこにあるかというと、イラクでもそうだが、やはり「欧米の介入」が、アラビア色でまとまっていたイラクや中近東の文化的なバランスをくずしてしまったことだと思う。

少し前まではイスラムがマジョリティであるという安定のもとに、中近東は「アラビア語文化圏」としてまとまっていたのだ。

たとえていえば、そのアラビア語文化圏の中に、サブ・カルチャーとしてエジプトのコプト教会があったりイラクのカルデア教会が共存していたりという形である。

ところが、アメリカなどが介入して民主主義という名のグローバリゼーションを押しつけたので、反動で、その地域にイデオロギーとしてのイスラム勢力がトルコやイランから流入してきた。

トルコ人もイラン人も、アラビア人ではない。コーランを戴くがアラビア語文化圏ではない。

そこで何が起こったかというと、イラクやエジプトにおいて、「アラビア」が「イスラム」に置き換わったのだ。

すると当然、イラクのキリスト教徒やエジプトのキリスト教徒は排除される。

アラビア「文化」からイスラムという「宗教」に合わないものが排除され始めたのだ。

いいかえると、それまで、イラクのムスリムにとってイラクのキリスト教徒は「文化」の違う人であって「宗教」の違う人ではなかった。マジョリティ文化とマイノリティ文化ほどの違いである。

日本人にとってはわりと分かりやすい。

日本では、日本人とか日本文化のくくりがアイデンティティになっているから、少なくとも老舗宗教に関しては、

実家が浄土真宗だとか、宮司の家系だとか、母親がキリスト教で幼児洗礼を受けただとかによって差異化されることはあまりない。

新宗教やあやしげなカルトですら、サブカルチャーの一つぐらいだと思われている。

それはそれで今の時代では危険なのだが、それはまた別の話だ。

とにかく中近東での現在のキリスト教徒大迫害の経緯を見ていると、

世界の平和の秘訣が何かが少し分かる。

人は互いに、

自分の宗教だけを宗教だと思っていればよく、

他の人の宗教は文化だと思っていればいいのである。

無宗教の人は、宗教全般を多様な文化だと思えばいいのだ。

フランスでは長い間のカトリック教会との戦いの歴史の中で、すっかり、政教分離のライシテが根付いているのだが、それは平たく言えば、「宗教は文化と見なして平等にあつかおう」という考え方だ。
宗教を「権力」と見なさずに共和国の「上から目線」で見ているわけである。

フランスのカトリックもその考え方に慣れて、「自分たちの宗教は宗教だが、他の宗教は宗教という名の文化である」という事実上のスタンスをとるのが今や標準である。

だから他の宗教とも国ともけんかにならない。

ところが、そこに宗教イデオロギーをふりかざすイスラムがやってきたから、フランスは少しあわてた。
イスラムから喧嘩を売られて、あらためて「そうか、イスラムは宗教なのか」、と気づくばかりか、「そうか、カトリックって宗教なのか」と気づく人さえ出てきた。

フランスのある町で、公共の広場にクリスマスシーズンにキリスト誕生の馬小屋セットを設置したら、政教分離団体やイスラムからクレームがついたのでひっこめてしまった。公共の場所での宗教シンボルはライシテに反するというのだ。
クリスマス・ソングからも慎重に「祈り」や「幼子イエス」の言葉がカットされたりする。

フランスの地方の町でクリスマスに馬小屋セットが出るのは、宗教じゃなくて文化というかフォークロアであるのに。

日本でクリスマスに町に馬小屋セットが飾られたり
讃美歌が流されたりしても、舶来文化の雰囲気作りの演出だとしか思われない。クリスマスが終わってあわてて正月飾りが置かれても、寺社に初詣に行ってさえ、特に宗教行為をしていると思う日本人は少ない。クリスマスも文化、初詣は伝統文化、くらいの感覚だ。

バレンタインデーはサウジアラビアでは2001年に禁止され、イランでも今年から禁止されるそうだ。

自分ち宗教イデオロギーの強化のために、ただの輸入文化や商業祭が宗教に「昇格?」した例である。

フランスでは中国人コミュニティが陰暦の新年を派手に祝うが、それが年々お祭化している。シャンゼリゼを竜が練り歩こうと、道教の最高神「玉皇大帝」に菜食の供えを奉げて、線香を手に祈ろうと、誰からもクレームがつかない。

中国の宗教は文化でありフォークロアだと思っているからだ。

公立学校での宗教シンボルは禁止令が出ているが、もし日本人の生徒が日本の神社のお札や仏さまの掛け軸を持って行って見せたら「文化紹介」と見なされるだけだろう。

イデオロギー闘争や権力のツールにさえ使われなければ、実際、多宗教は平和に共存できるのである。

だから、平和の秘訣はやはり、

人は互いに、自分の宗教だけを宗教だと思っていればよく、他の人の宗教は文化だと思っていればいい

ということだなあ。

そして、文化とは、互いに影響し合ったり、栄えたり衰退したり変貌したりするものだということも忘れていけない。

外にむかって開かれていない閉じた系、エネルギー交換のない系は生き延びることができない。

まあ、世界中の宗教者が少しずつこういう風に考えをシフトしてくれれば平和が来る、と思いたいところだが、それはそれで別のイデオロギーや全体主義や独裁者がはびこるのを抑止することができなくなるかもしれない。

もちろん「文化」だってイデオロギーの道具になって他の文化を滅ぼすこともある。

だから単純化や一般化はできないのだが、それでも、現在のイラクやエジプトの悲劇を見ていると、イスラムとキリスト教がアラビア文化のサブ・カルチャーのように共存していた頃がむしょうになつかしく感じられる。
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# by mariastella | 2011-01-10 04:46 | 宗教

新年のあいさつの話

私はサイトの掲示板http://6318.teacup.com/hiromin/bbsでフランス語やフランス文化に関する質問などに答えることがあるが、長いフランス生活の中で、当然ながら、フランス人から日本語や日本文化についての質問をされることも多い。

最近聞かれたことがある。

もう何十年も日本人と文書上のつき合いがあるフランス人が、

日本人に新年のあいさつを書く時期について、いつも理解できないままに迷って迷って何十年もすぎた、と言うのだ。

日本人たちからのカードは12月初めから届き始める。

それで、受け取った方は、すでに焦ってしまう。

日本人の私のところに来るカードもそうだ。

私は日本人だからなんとなく分かる。

私が日本にいた頃と今ともし基本情報が変わっていなければ、

欧米人にはメリー・クリスマスとハッピー・ニューイヤーを組み合わせたカードを送る。

それは絶対にクリスマスイヴ前に届かなくてはならない。

しかしこの時期はクリスマスカードが大量に動く時だから、航空便でも時間がかかる。

間に合わせるには12月初めには出さなくてはならない。

ところがたいていはそんなにかからずに数日で着いたりするので、はやばやとカードが届くわけである。

フランスでは新年のあいさつカードはクリスマス前後から1月いっぱいはOKなんだけれど、日本ではそれでは遅すぎるのか、とずっと悩んでいた、とその人は言った。

いやいや、日本人同士だったら、年賀状が12月に届くと大失敗で、「年賀」と書いておいてまとめて投函して、それが一月一日にわざわざ配達されるのだ、

と私は説明した。

フランスでメリー・クリスマスやハッピーニューイヤーにあたる言葉を言うのは、クリスマスおめでとう、新年おめでとう、というよりも、「楽しいクリスマスを」(あなたが過ごされるように願っています、とか「よいお年を」(あなたが迎えられることを願っています)というこちらの気持ちの表明だ。

フランスでは、朝誰かと出会えば「よい1日を」とあいさつするし、月曜か火曜日に会えば別れ際には「よい週を」とあいさつするし、木曜か金曜日なら「よい週末を」、お昼前なら「よい食欲を」と言ったり、昼過ぎなら「よい午後を」など、わりとこまめにヴァリエーションをつける。

だから「メリー・クリスマス」も、直前にしか言わない。まあ12月半ばで、その年はもう会わない人であれば、「よい年末のお祭りを」(これはクリスマスイヴから新年までまとめている)と言って別れることはある。

確かに「メリー・クリスマス」はイヴとクリスマス当日だけで「賞味期限が短い」ので、過ぎれば間が抜ける。だから「メリークリスマス」のカードはイヴ前に出すが、日本と違ってクリスマスと新年でデザインが変わるわけでないので(つまりクリスマスツリーは新年まで有効だ)、日本で言うとクリスマスカードのデザインのものに「Bonne Année(ハッピーニューイヤー)」と書いたものの方が今は多いし、それは1月中なら使えるわけだ。

そこで私はフランス人に説明した。

日本では、正月とは基本的に、年神さまをお迎えする行事。

昔は御先祖さまの霊は盆と正月(陰暦だが)に戻ってきた。

今の日本では、盆には個別の御先祖さまをお迎えし、正月はもっと集合的な年神さまをお迎えするイメージになっている。

で、門松などの依り代を立てる。家を掃除して体も清めて清浄な心身でお迎えしなくてはならない。前の年のものは不浄だから捨てる。正月飾りも燃やす。

そういう年神さまがいらっしゃって互いにめでたい、喜ばしい、と言うのが新年のあいさつのペースだから、前の年に口にすることはできない。

「よいお年を」と言うのは年末に言えるが、正月になってから「よいお年を」と未来形では言えない。クリスマスがピンポイントであるように年神さまの滞在期間もピンポイントだから、「この一年がハッピーでありますように」というフランス型の意味では「よいお年を」の有効期間は短いのである。

そう言えば私の子供の頃は、元旦に起きると、魔法のようにすべてが新しくなっていた。干支の飾りはもちろん、こたつぶとんや座布団や洗面所のタオルやバスタオルや浴室やトイレのアクセサリーが全部新品で、正月のおせちには普段の箸を使わずに、使い捨ての祝い箸を使う。

そんな思い出も、多少の罪悪感と共に語る。

何しろ今の私はそんな「まっさらな気分の新春の祝い」みたいな演出は全くしないし、クリスマス飾りの隣につけ足す正月飾りも前年の使いまわしであるからだ。

しかし・・・

では、今やエコロジーのお手本のように言われている日本人の

「もったいない」

と両立しないのではないか、

とやや疑問がわく。

クリスマスの方が毎年毎年同じ飾りを取り出している気がするが。

フランスではクリスマスには家族、新年のイヴには友人でわいわいというのが基本である。

クリスマスは商業化してはいるけれど、それでも家族の祝いというのを「馬小屋で生まれたイエス」というイメージと結びつけて、馬小屋セットを置く人や質素なイメージと結びつける人は少なくない。

後は食べたり飲んだりが一大事であり、そこのところはフランス文化の根強い部分である。

で、私の結論。

日本人に新年のあいさつのカードを送る時期についてそんなに悩まなくてもいいよ、どうせ外国から届くカードなんだから誰も日本的プロトコルを期待していない。
外人なんだから、ということで時期もデザインもあいさつの文句も不問に付されるよ。

まあ、私の方は日本人なので、日本の知り合いにカードが元日前に届くかどうかを見計らってあいさつ文を微調整しているのは当然である。

こんなことも、多分次の世代にはどうでもいいことになっていくかもしれない。

今週、今年の初レッスンにやってきた生徒たちには全員、会った時に

「 Bonne Année, Bonne musique!!」 と言ってやった。

よく練習してきた中学生に

「Bonne continuation」(この調子で今年もがんばって、という意味で)

と言って送りだしたら、

「Vous aussi」(先生も)

と答えられた。

何人でも何語でも、子供にとっては、あいさつの機微は難しいものだなあ。
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# by mariastella | 2011-01-09 03:15 | 雑感

フランスの熟年女優たち

雑談。

前のニ回の記事で、ナタリー・バイやドヌーヴ、ファニー・アルダンなどの名を出した。

この3人の女優はいずれも60代だ。ドヌーヴが67歳、ナタリー・バイが62歳、ファニー・アルダンが61歳。

最初の2人がブロンドのイメージで、ファニー・アルダンが暗く情熱的なブリュネットのイメージ。

ドヌーヴは冷たい感じで、ナタリー・バイはどちらかといえば庶民的な感じだ。昔は、地方出身のコンプレックスのある女の役などうまかった。

若い頃のドヌーヴはポランスキーの『反撥』などの狂気じみた役もなかなかうまかった。美女の代表でもあったけれど、私は友人の映画研究家のHさんに「ドヌーヴってロバみたい」と言われてから、彼女を見る度にロバを思い浮かべてしまう。

最近作ではジャージ姿でジョギングをする冒頭の姿がすっかりおばさんふうだとも言われたドヌーヴだが、この作品でのわずか25年ほどの回想シーンは、ドゥパルデューともども、別の若い俳優が演じていた。

ぼかせれば本人でもいけるんじゃないかと思ったが、やはり体型が無理だったかもしれない。ドゥパルデューはいわずもがなだ。

それに比べると、ナタリー・バイやファニー・アルダンは、若い頃からまったく体型が変わっていないので、30代くらいのシーンならまだまだ演れそうだ。

もう一人、ドヌーヴよりは一回り若い、これも大スターのイザベル・アジャーニは、ここ1、2年は驚くほど太った。

でも相変わらず名女優で相変わらずの激情型で、だれも外見のことを言わないので、フランス人は気にしないのかと思っていたら、最近、ラジオで「前の3倍になった」と揶揄する人がいたので、はじめて他の人も気づいているのだなあと思ったほどだ。

外見が資本の一つである女優だから、パーソナルのコーチなどついていてもおかしくないし、どうして不健康に見えるほどに太って、何事もなかったかのようにカメラの前に立つのかが不思議でもあったのだが、インタビューに答えて「私はカメラが回っていない時にはおばさん風になるタイプだから・・・」とも平気で言っているのだ。

ファニー・アルダンの方は逆に拒食症で、とにかく食べるのが大嫌い、と言っていたことがある。

アジャーニもファニー・アルダンも黒髪だが、この二人ほど対照的な女優も珍しい。

私はこの2人を舞台で見たことがある。

ストリンドベルイの『令嬢ジュリー』の芝居だ。

アジャーニが途中で倒れてファニー・アルダンが代役をしたのだったかもしれない。

この戯曲はインパクトがある。

アジャーニは、令嬢ジュリーの欲望や倒錯や秘められた狂気などにとり憑かれたように演じていた。演技というよりシャーマニズムの実演のようだった。

終った後のカーテンコールで汗びっしょりで、息も荒く、上気して、まだ、芝居の人格と現実のはざまにいるようだった。これでは途中で倒れても不思議ではない。

観客も、その興奮に巻き込まれて、教祖を前にした集団のようだった。

憑依型の女優なのだ。

そのアジャーニの令嬢ジュリーを見た後では、もう誰が演じても気の抜けたものになるだろうなと思っていた。

アジャーニ以外では想像もできなかった。

ところが、ずっと落ち着いて内面的で別の恐ろしさがあるファニー・アルダンが演じた令嬢ジュリーは、想像もできなかった別のものだった。

ファニー・アルダンは、シャーマンではなく、女神のようにふるまった。いや、魔女すれすれだったかもしれない。

アジャーニの熱狂を超えられないのではないかと思っていたのに、彼女は別の呪文を唱え、別の世界へと観客を導いたのだ。

同じ設定の同じ台詞なのに。

芝居とか役者について、再現芸術について、これほど強烈な印象を残した体験ははじめてだった。

ファニー・アルダンもナタリー・バイも、若い頃は何か「イタイ」感じの女だった。
今は、ファニー・アルダンは生まれついての大物という感じに熟成しているし、ナタリー・バイは肩の力の抜けた自由で自然体のいい感じの女優になっている。

アジャーニだけが、前よりも「イタイ」感じになっている。

ドヌーヴは自然体というより余裕と貫禄がにじみ出ている(この人はサン・シュルピスの警察署横に住んでいて、地下駐車場からすごい勢いで車を出してきた時に轢かれそうになったことがあった。一度だけ実物を見たのはその時だ)。

ドヌーヴとアジャーニは、10代から女優デビューしている。

しかしドヌーヴはもともとフランスの俳優の家系の娘だが、アジャーニは生まれた時にはまだ旧植民地であったアルジェリア人の父親とドイツ人の母親の娘だ。この辺の背景はフランスでは気にしないようでいて、幼少期には微妙である。

ナタリー・バイはコンセルヴァトワールの演劇科を出た演技派で、ファニー・アルダンは、政治学を専攻したインテリだった。今のフランスではインテリとアーティストとの「職能(メチエ)」の溝は大きいから、彼女もけっこう屈折している。

私はかろうじて50代だが、この4人とほぼ同世代だ。つまり、彼女らの若かった頃を実物を含めてずっと見てきて、今、歳を重ねてそれぞれがどんな熟年になったかを見ている。

若くてきれいな女たちは、ある意味で似ている。

歳のとり方には個性が出てくる。

幸福の形は似ているけれど不幸の形は不幸の数だけ違う、

などというのと同じだなあ。

歳をとることが不幸といっているのではもちろんない。

容貌とか肉体の生理機能とかは必ず老化する。

崩壊したり凋落する。

その崩壊や凋落の形やリズムには個人差が大きい。

女優のように、その外見が資本の中核に置かれる職業の人、その変遷をずっと他人の目にさらしている人々には、それは重大なファクターとなる。

誰がどう生きてどう壊れていくのか、それを見たいという好奇心のせいで、長生きしたいなあ、と思ってしまう。

もちろん自分も肉体的にはしっかり壊れているのだけれど、観察する視線さえ健在なら、いつまでも楽しめそうだ。「一回性」はいつもスペクタクルだ。
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# by mariastella | 2010-12-30 02:19 | 雑感

Brune Blonde

この前の記事で、オードレー・タトゥとナタリー・バイが母娘役を演じたラブコメディについて書いた。この映画で、娘のキャリアウーマンであるオードレーが黒髪で短髪であるのに対して、母のナタリー・バイが金髪を肩に垂らしていることの意味は象徴的だ。

映画にはこのコントラストがよくつかわれる。

『ロシュフールの恋人たち』なんていう双子の姉妹も髪の色は違った(ウィッグだったそうだが)。フランソワ・オゾンの『8人の女たち』での髪の色の使い方は服と同じくらい意味がある。金髪のドヌーヴと黒髪のファニー・アルダンが取っ組みあったシーンはこの髪の色の対比が最重要だったと言える。

ジャンヌ・ダルクの映画での髪形や髪の色の変遷も興味深い。

ジャンヌ・ダルクは黒髪で断髪だった。

それが男装の異端性ともからんでくる。

日本で刈り上げおかっぱ髪というと「わかめちゃん型」というようにフランスでは今も「ジャンヌ・ダルク型」という。

しかし、ジャンヌ・ダルクほどのイコンとなると、パレスティナ系の聖母マリアがヨーロッパでは長く金髪碧眼で描かれたように、史実よりも人々の脳内イメージで、少なくとも髪の色は変化した。

ジーン・セバーグやミラ・ジョヴォヴィッチなどは金髪の短髪がぴったりだった。北欧人であるバーグマンの黒髪はむしろ不自然だったと思う。

何よりもショックなのはカール・ドレイヤーの映画でジャンヌが火刑に処せられる前に頭を剃られるシーンだったかもしれない。

そんなことを考えていたので、先日、シネマティックでやっている「Brune Blondeブリュンヌ・ブロンド」という展覧会に行ってきた。

髪の色というよりも、もう、女の髪という極めてフェティッシュなものをめぐる怖さみたいなものを感じた。一見の価値がある。

ヨーロッパのイマジネールにおいては、もう一人の黒髪断髪の女性イコンがあって、それはクレオパトラだ。

白雪姫も黒髪だが、豊かな金髪のオーロラ姫と違って髪は短い。

肌の「白雪」具合を強調するための黒髪なのだろうが、白人でそれほど肌の白い人はメラニン色素が少ないから金髪になる確率が高いはずである。

髪の色と量や長さに託されるメッセージもおもしろい。

似たような骨格や目鼻立ちでも髪と目の色だけがラディカルに変わり得る西洋人において、その色の違いがもたらすインパクトというものはかなり大きい。

基本が黒髪黒目という日本人には想像がつかないくらいだ。

それは「選択」でもある。

カトリーヌ・ドヌーヴはドヌーヴ・ブロンドというカラーがあるくらい金髪がトレードマークだが、もともとは濃い色の髪の人だ。『トリスターナ』などでは黒髪で演じているのだが、みなに金髪だったと記憶されている、と言っていた。

シネマティックだから映像資料が多く、忠臣蔵の主君の奥方が切腹の日に髪を切るシーンもあった。

インドの聖地で、巡礼に来る人たちが全員髪を剃って供物にする場所の映像もあった。女性も丸坊主になる。

一日一万人が髪を剃って残していくそうで、その厖大な髪がウィッグ製作などに供給されるらしい。アミノ酸サプリにするという話もどこかにあった記憶がある。

それも怖い。

髪をめぐるオムニバス映画も上演されていて、日本のものは、若い女性が長い黒髪を梳くと、どんどん抜けて洗面器にいっぱいになるというものだった。四谷怪談のDNAを感じた。

スペインのものは、4歳の女の子に、映画のために、寝ている間に髪を切られちゃう役をしてもらいたいんだけどそれでもいいか、と執拗に聞いて執拗にnoと言わせる映像だった。

髪についての映像言説というのは、悪趣味と紙一重であることが分かる。
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# by mariastella | 2010-12-29 06:54 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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