L'art de croire             竹下節子ブログ

フランソワ・バイルーかベイルーか

今回のフランスの大統領選では、中道のフランソワ・バイルーがマクロンを応援し、その後で法務大臣になり、スキャンダルのためにひと月で身を引いたなどの経緯から、このブログでも「バイルー」の名を何度も書いた。

テレビやラジオでもしょっちゅう耳にしたわけだが、やはり、はっきりと「ベイルー」と発音されることがあるので、10年前のことを思い出した。

サイトの「フランス大統領選について その2」(2007.4.3)の中に長々と書いている。

今回、思い立って日本語のネットを検索したら「バイルー」表記だった。

どちらにしても、普通のフランス人がバイルーとベイルーの違いを意識していないのは確かだと今回も思う。

10年前の記事にも書いたが、例えば「恵子」という日本の名前を外国でアルファベット表記をKeiko ケイコとされていても、eの上に横線があって長母音を示してケーコと書いてあっても、日本人はあまり気にしないだろうことと同じだ。

大学で日本語を習うフランス人にとっては、日本語では「え+い=えー」だと習うから、大問題だけれど。日本人が「け・い・こ」と発音すればそれは間違っているというかもしれない。

フランス語ではたとえばA+I=エと発音するのでアイではない。日本人のフランス語学習者ならしっかり気をつけるのと同じだ。

でもこういうのはもともと「音便」というやつで、フランス人は二重母音を嫌うのでこうなるわけだから、つづりが同じであるとバイもベイも同じように聞こえるのだ。不思議。



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# by mariastella | 2017-06-24 00:37 | フランス語

猛暑のフランスと新大臣とドレスコード

このところパリで35度を超す日が続いている。

6月の気温としてはフランス中で戦後最高記録の日々だ。

東京と違って交通機関にも事務所にもクーラーが少ないから、通勤者はつらい。

一般の人と接触する職場はたいてい男だけにドレスコードがある。サンダル、半ズボンが禁止だそうだ。

女性はサンダルにミニのワンピースでも何とも言われないから、圧倒的に女性の方が優遇されている。

それで、男性から性差別だと文句が出るのではないかと思っていたら、昨日、ナントのバス(と市電)の男性運転手たちがスカートで出勤したのをニュースでやっていた。

スコットランドのキルトなどがあるから、そうショックキングでもない。みんなデニムのような地味なスカートだし。

確かに、今の時代、女性の方が服装規定は自由だ。

公式の場所にズボンをはいていっても、どんな丈のスカートでも、上着があろうと肩を出そうと大丈夫だ。

男性のフォーマルは、イギリスのような気候のところがルーツだからいろいろと無理があるなあと思うが、軍隊の伝統と同じで男の方が「制服」っぽいものを受け入れるハードルが低かったのだろうか。

フィリップ首相の新内閣で、国防省の名がまた変わって今度は「陸軍省(と日本語訳で出てきたが、すべての軍が含まれる)」の大臣がフロランス・パルリーになった。史上二人目の軍隊の大臣グラールに引き続いての3人目。この人はジョスパン内閣の時に政権に関わり、その後エールフランスやフランスの国鉄の要職にもついていたという経歴の54歳だ。任命されたその日にさっそく引継ぎ式をしていた。

重そうで暑苦しそうな軍隊の前にスカート姿の二人の女性が立つ。グラールはさすがに上着を着ていたが、パルリーは半袖ワンピース。

記録的暑さの日なのだから正しい選択だけれど、ずらりと並ぶ制服組の方はさぞ暑いだろうと思うとなんとなく違和感を覚える。女性が軍のトップにいるのがおかしいとかいう問題ではなくて、全軍を率いるジュピターを気取るマクロンによる周到な「印象操作(この言葉、使い勝手がいいですね)」のような気がするからだ。

バイルーやフェランのようなベテランの後を埋めたのは、結局マクロンのお仲間で、例の同い年のバンジャマン・グリヴォーだとか「マクロンボーイ」と呼ばれる36歳のジュリアン・ドゥノルマンディなどだ。

マクロンに心酔している優秀な若者のようだが、どこの香水の宣伝のモデルですか、というような見た目だなあ。

まあ、ともかく徹底的に企業型成果主義でやっていくという新政権のお手並みを見るしかない。


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# by mariastella | 2017-06-23 02:48 | フランス

マクロン・チームの最初の危機?

総選挙で悠々の過半数の議席を獲得したマクロン新党、選挙に参加した大臣たちも全員当選したのに、ここにきて、選挙後の内閣再編を前にして、ひと月半前の新閣僚4人が次々と振り落とされたり自分から辞退したりした。

まず、過去の金銭スキャンダルが出てきたのにもかかわらず無事に当選したことで選挙民の信任を得たはずのリシャール・フェラン(元社会党)が、新議員たちを導くためと言って辞職したのに続いて、マクロンの当選に大きな力となった中道MoDemのフランソワ・バイルー、マリエル・ド・サルネス(この人は42議席を獲得したMoDemのリーダーとして専念するために辞めるのだと言っている)、そして国防大臣のシルヴィー・グラール(欧州議員として専念するから、と言っている。この人については前にも書いた )らだ。

MoDemは、FN と同じく、EU議員に対して交付される秘書の費用を自国内の党本部の経費に回していた疑いをかけられた。ルペンなどは、もともと反EUだから、「EUの金をフランスに還元したのだ」と言って開き直っていたが、バイルーは議員のモラルについての法案を提出したばかりなので、タイミングが最悪だった。

共和党のフィヨンを落選させた金銭スキャンダルのもとになった「妻子など家族を議員アシスタントとして雇う」ことを禁止するなど、政治家が私腹を肥やしたり身内を優先することを防ぐ法案だ。脱税がないかなど私産の透明化も推進する。

こうしてマクロン大統領下の新政府の重鎮があっさりやめてしまったので、一見するとマクロンの人選が悪かった、任命責任があることで打撃を蒙ったかのように見えるが、実はあまりそういう印象はない。

この「重鎮」たちはいずれもマクロンより年長のベテラン政治家で、この道で何年もやってきたら、みんなが当然のようにやってきた暗黙の金の使い方をしていた経歴があること自体は不思議ではない。

しかも、スキャンダルのせいで議席を失ったのではなく、再選されているのだから投票者から弾劾された形でもない。野党に問い詰められて辞職を余儀なくされたのでもない。

でも、マクロン新政権に影を落とすのはよくないから、自主的にやめた、

という印象を与える。

マクロンやフィリップ首相から勧告されて辞退したとか、新内閣から「落とされた」というイメージでもなく、組閣発表前に次々と「より役に立つ場所で働くため」に少なくとも形としては自主的に辞意を表明している。

これを書いている時点ではまだ新内閣のメンバーは発表されていないけれど、新メンバーは、よりマクロン大統領やマクロン新党の新議員たちのイメージに合致する新鮮なメンバーという可能性もあるだろう。

政治経験が浅かったりなかったりする若い人たちや一般人はまだ「地位や権力」がもたらす「甘い汁」を吸う機会がないから身辺は比較的きれいだろうと期待できるかもしれない。

最初の内閣も任命前に十分「身体検査」をされたはずだけれど、個人でなくEUから党へというタイプの資金流用の疑惑などは視野に入っていなかったかもしれないし、彼ら自身も不正の自覚などなかったのだろう、と思わせる。(バイルーさん、短い間だけれどこのモラル法案提出にがんばって存在感を発揮してよかったね。)

もちろん、内側では、しっかりマクロンやフィリップから圧力をかけられて「粛清」されたのかもしれないけれど、ともかく、外側から見ると、「人々の誤解を招くことのないように自発的に辞職した」というスタイルなので、対面は保てた。

フィリップ首相は40代だが十分ベテランで、「甘い汁」の誘惑は今までになかったのだろうか。マクロン自身は??

この2人はいくら探られても公明正大なのだろうか。

まあ、そんなに潔癖に追求していっても、抗菌グッズに囲まれて育った子供たちみたいな公務員ばかりでは免疫力がなくなるかもなあ、とも思う。

結果さえよければタレラン(政局が変わる度に時の権力者の右腕となった)でもOKだと、やはりだれでも少しは思っているのではないだろうか。

「国内」でいくら潔癖に襟を正したところで、一歩「国際社会」に出れば「陰謀論」とはいかないまでも、どんなあやしいことだってまかり通っているかもしれないのだから、「海千山千」の手腕だって必要だろう。

昨年の東京都の舛添知事のバッシングを見た時にも書いたけれど、どんな立場にも曖昧ゾーンというのはある。本当に必要とされるのは、「絶対の清廉潔白」などではなくて、時代の流れを見て、文脈を読んで、危機管理をする能力なのかもしれない。





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# by mariastella | 2017-06-22 02:26 | フランス

共謀罪成立とフランスと韓国

最近、フランスでも大統領選や総選挙、テロのニュースなどを連続して追っているのに加えて、日本でも内閣府にまつわるスキャンダルや共謀罪の成立や今度は都議会など、気になるテーマが続いたので、ついつい、いろいろなことを考えてしまう。

共謀罪が強引に成立したことで敗北感や恐れ、脅威を表明する人も多いが、私は正直言って、それ自体に限ったら、これだけ議論が生まれている状況についてはむしろポジティヴな印象を持っている。

それは、フランスの「緊急事態」がもうずっと続いているせいでもある。

アメリカの9・11後の「愛国法」などには危機感を抱いたけれど、
緊急事態宣言中、「テロとの戦争」宣言中であるはずのフランスにおける危機感は、実はあまりない。

「一般の人には適用されませんよ」、というやつだ。

もともと「表現の自由」や「生き方の自由」をイスラム原理主義過激派から守るというのが出発点であるせいか、戦争だ、非常事態だと言っていることとやっていることがだいぶ違って、そうとうヌルイ。

ジャーナリズムの言論は完全に枠外となっているし、もともとデモを規制する項目があったのに、フランス人が「外へ出てデモをする」ことを自主規制することも考えられず、全く変わっていない。「意思表示」の自由は共和国絶対の伝統だ。
2015年の無差別テロの後も、「外に出るな」みたいな指示があったようだが、あわてて日本人観光客や修学旅行生たちが日本大使館の指示でホテルにこもっていたという話は聞いたけれど、うちから出なかったなんていうフランス人の話は聞いたことがない。
「一般の人」が堂々と騒ぐのがフランスだ。

こういうと「さすがフランスだ」と思うかもしれないが、フランスだけではない。
私は韓国の民衆が昨年から今年にかけてパク・クネ大統領を大挙して糾弾し、ついに罷免に追い込んだのを見て、結局、どんな法律があろうとも、市井の人々の意志が強ければその表示はとめられないし、ついには国を動かすのだなあと思った。

なにしろ、韓国と言えば、いまだに北朝鮮と「休戦」状態だが戦争は終わっていないのだし、言い換えれば常に「非常事態」、戒厳令OKの国だ。
そして、日本の治安維持法をモデルにしたという「国家保安法」というのがある。共産主義を賛美する行為やその「兆候」まで取り締まりの対象になるというやつだ。
後はどうにでも拡大解釈可能で、実際、独裁政権からは恣意的に使われた。
「民主化」した後で廃止の動きもあったけれど、今もしっかり合憲とされ、有効だ。

1970年代に京大の医学部からソウル大学に留学していた私の知人は、この国家保安法を適用されたいわゆる「学園浸透スパイ事件」のでっちあげに巻き込まれて死刑判決を受けた。

彼が死刑囚として獄中にあった時に、今回失脚したパク・クネ大統領の父親であるパク・チョンヒ大統領(この人は大統領の直接選挙を廃止して永久政権化しようとした軍事独裁者だ)が暗殺された。
彼は13年も投獄された後、パク・クネ政権の時代にようやく再審無罪を勝ち取った。
もともと、確か彼が「北朝鮮」に行っていた、と断罪された時期には日本で国体に出場していた(陸上選手だった)ということで、冤罪は明らかだったのだけれど、当時は真実や事実で無罪を「立証」することなど無力だった。無法地帯で合法的な手立てを探しても意味がない。

その当時、私の話を聞いた周りのフランス人の方がはるかに積極的に彼の救援の手立てを模索してくれたことの驚きを私は今もはっきり覚えている。

その韓国の人たちが、今回は堂々と大統領を弾劾したのだ。

悪法があっても、その気になればそれを適用できる為政者を罷免することもできる。
その適用を不可能にすることだってできる。

悪法や悪法の成立事情やそれを可能にした為政者に異を唱え、
自由と尊厳を守る断固とした意志を、
持続的に、
忍耐強く、
表明するならば。

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# by mariastella | 2017-06-21 01:39 | 雑感

総選挙後の声明を聞いて

(これはすぐ前の記事の続きです。)

フランス国民議会選挙の決選投票の後、またもや記録的な棄権率の判明した日曜の夜、主な党の代表が最初のコメントをしたのをテレビで見て、いろいろなことを考えさせられた。

民主主義の選挙政治という文化はヨーロッパ系言語の中で生まれたものだということが影響するのかなあ、と思うほど、政治家のディスクールはよくできている。

前も書いたが、特にフランス語は、市井の人が中身が何もない屁理屈をいう時でさえなかなか立派な押し出しの構成で驚かされる。

日本語のように寡黙が言語文化の中にポジティヴに組み込まれている国とは根本的に違うのかなあと思う。
近頃見聞きする日本の政治家の弁舌の貧しさに愕然としていたが、そもそも、「論戦」や政治的雄弁に合わない言葉なんだろうか、と思ってしまう。

今回、最初にコメントしたのは、自分自身が第一回投票でまさかの敗退をした社会党の書記長カンバレデリスだった。

この人は見るからにカリスマ性のない人で、今までちゃんと話を聞いたことがなかった。予備戦にも出ていなかったし。
今回、自分も含めて社会党が大きく敗退したことを受けて、自分の辞意も表明したのだけれど、言っていることはすごく説得力があった。

自分たちが抵抗しているのは新自由主義(マクロン)とナショナリズム(ルペン)であること、

選挙戦には敗れたが(社会の)不平等との戦争は終わらない、ということ、

今こそ「集合知」が必要とされる時だということ、

自分の責任は引き受けること、

などだ。

なんだかとっても潔くかつ信念を感じさせるし、「集合知」という言葉が気に入った。
ポピュリズムの対極にある「知性」に訴えるところがフランスらしい。
自分たちの望むのは何よりもフランスの共通善であり政権の成功を祈るという態度もいい。

その次がルペン女史の声明。

今まで4度落選していて今回が国民議会初当選だそうでけっこうご機嫌だった。
先週は3議席とか予測されていたのに、声明を出した時点で7議席は固いということだった(結局前回の2議席から8議席に「躍進」)。
「マクロン新党の圧勝」という予測に反応した人が、棄権したり共和党やFNに回って全体のバランスをやや良くしたという感じだ。
マリーヌ・ル・ペンの伴侶アリオー氏も当選したが、右腕であるフロリアン・フィリポ(兄さんも出馬していた)は落選した(EU議会の議員ではある)。
彼女も堂々と戦いの継続をまくしたてたけれど、聞いていて気分が悪くなった。

その次に声明を出したのが、大統領戦の第一回投票の時の勢いに比べるとぱっとしなかったメランションの極左「不服従フランス」党(声明の時点では19議席の予測: 最終的にも19議席だった。メランション自身もルペンと同じく初当選であり、極右と極左の代表が国会に行くことになる)だ。でも今まで存在しなかった党だという意味ではマクロン新党と同じくメランション新党だ。この人もまくしたてたが、聞いていてやはり気分が悪かった。
これだけ棄権が多いというのは市民がシステムに対してストをして抵抗をしているということで頼もしい、と言い、今のシステムに正当性がないと叫び、マクロン新党の勝利は不当だという(それなのに自分が当選していることには正当性ありだ)。 

ここ何十年もフランス共産党でさえ、投票結果を否定するようなこういう煽り方をしないのに、メランションは自己陶酔しているようで、これも気分が悪くなった。

社会党のカンバレデリスが見せた品格がまったくない。

次の共和党のバロワンは、これも話の構成に品格があった。民主主義の結果を受け入れて大統領がフランスのために最善を尽くすのを支えるという基本を押さえている。声がいいのはいつも通りだが、なんだか一回り痩せたような。まあ、みんな疲労困憊なのだろうけれど。

共和党の別の政治家ペクレスが、次からはもう社会党をまねた「予備選」はしない、と言っていた。予備選が内部の亀裂をあらわにして脆弱にしたからだという。そしてフランスは聞かれた時に自分は「左派」だというのがシックな国だから、予備戦でわざわざ右派だとレッテル貼りをする結果になったこと自体が間違っていた、と。

フランスでは左派がシック、というのをこういう風にはっきり保守政治家が口にするのははじめて聞いた。
ともかく、なにしろフランス革命にルーツを置くことを国是と決めた共和国だから、右派左派(この言葉自体がフランス革命政権にルーツを持つ)はともかく、「革新」というのが「保守」よりも知的、文化的、啓蒙的なイメージと結びついているのだ。

最後にマクロン新党のフィリップ首相の声明。
共和党から引き抜かれたこの人も、信頼のおけそうな力強い話し方をする。
「大きな謙虚の気持ちと大きな決意を持って」という言葉の並べ方もうまい。

この人の政府は、大臣たちにやるべきことのリストを与え、それがいつまでにどこまで進んでいるかを細かくチェックして、怠けていたり目標に達していなかったりしたら馘にする、というマクロン流の分かりやすい成果主義だ。
その手並みは見てみたいが、やり方を聞くと、なるほどこういう風にやったら確かに改革が進むのだろうなあ、私はこんなチームの一員になるのはまっぴらごめんだなあ、などと思ってしまう。まあ、ほんとうに「やる気満々」の人たちが憑かれたように国を動かすのならそれはそれで見ものだけれど。

マクロン新党は当選した人を集めて来週末にミーティングをして、政治家としての心得を伝授するのだそうだ。政治の素人が半数を占めているからだ。

蜘蛛のブローチの数学者も無事当選したので、今度は「政治家研修」に出るのだろう。
日本の政党が「有名人枠」で政治の素人を選挙に立てて票を取ることがよくあるけれど、その後にプロの政治家としてのレクチャー、研修ってどのくらいやっているのだろう、などと思ってしまった。

(昨日はまたロンドンでテロ、今日はまたシャンゼリゼでテロがあったらしい。ロンドンのものはイスラム教徒を狙ったそうで、アメリカで民主党支持者が共和党議員を狙ったように、なんだか、報復という負の連鎖の始まりのようなイメージだ。シャンゼリゼのものはここ最近のものと同じく「無差別テロ」ではなく警察とか警備の兵士とか治安車両などに「特化」したものだから、相対的にインパクトは少ないけれど、ノートルダムとかルーブルだとかシャンゼリゼだとかいうブランドイメージを攻撃するという意味では効果絶大なのだろう。ラマダンはまだ続く。
新展開として本当に衝撃的なのはテヘランでのテロだと思う。)

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# by mariastella | 2017-06-20 02:35 | フランス

フランスの総選挙が終わった

フランス国民議会の総選挙の決選投票、
予想よりもさらに棄権が多く、
しかし予想よりもマクロン新党に対する「野党」勢力が生き残った。

これは、極右や極左の支持者は棄権率が少ないこと、
マクロン新党の独裁はまずいと判断した人たちが「どちらにしても過半数は占めるマクロン新党」にわざわざ投票することをしなかったこと

の相乗効果らしい。

実際、わざわざ投票所に行き、いろいろ議論しながら、投票はしないという人にも出会った。

新議員は23歳から79歳まで、平均年齢が50歳を切っていて、学生1名、工場労働者1名 を含むあらゆる階層の議員が誕生、与党の首相ですらマクロン新党新議員の10分の1しか知らないのでこれから親睦と研修を始めるそうだ。

マクロン新党は、アメリカやイギリスでもあったような「国民の怒り」をオプティミズムに変えるのに成功した、というのが大方の見方だ。

昔ながらの右派と左派が解体するのか統合に向かうかの微妙な段階だが、ポピュリズムはしっかりと極右と極左で花開いている。

でもポピュリズムの煽動は、エネルギーを最大には見せない、という「フレンチ・エレガンス」の対極にあるから長い目で見ると大きな力にはならないだろうと期待しよう。

マクロン新党の党首になるだろうと言われているのがマクロンと同い年のバンジャマン・グリヴォーで、私はこの人が首相になるのかと一時は思っていたけれど、あまり似たような若者を立てることを避けたのは賢明だった。

このバンジャマン・グリヴォーは、マクロンのような過剰な教祖的カリスマがないけれど、すごく好感が持てる人で、話し方も気に入っている。「マクロン新政権」の主要メンバーの中で個人的に一番ほっとさせられる人だ。私の目からはほとんど「親戚の男の子」みたいなこういう感じ。

日曜の開票後の各党代表者のコメントについていろいろ考えさせられたことは、この続きに書きます。

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# by mariastella | 2017-06-19 22:44 | フランス

「90歳の娘さん」-- 年をとるということ

先日arteのドキュメンタリー映画『90歳の娘さん』でパリ近郊の病院の高齢者医療のアルツハイマー患者のセクションにおける「ダンス」のシーンを見た。

ティエリー・チィウ・ニアンというダンサーが一週間毎日通って患者の前で踊り、患者を誘っていっしょに踊る。車椅子の人とも触れ合う。

その中に92歳のブランシュという女性がいて、はじめは杖をついていたのに、彼と踊ると生き生きして、片足でバランスをとったり、彼のことばかり考えていると言ったり、完全に恋する乙女の目になっていた。

この女性はサンジェルマンでアーティスト的な生活をしてきた人だそうで、結婚歴はなく子供もいないという。自分のいる環境も気に入っておらず、自分が「劣化」したことにも絶望していた。他の患者たちのようにチィエリーのパートナーと共に「古い歌をみんなで歌う」という活動も馬鹿にしている。

けれどもティエリーとのスキンシップやダンスの中ではがらりと変貌する。

この番組を見たのは私がダンスによるセラピーに興味があるからだ

でも、さすがに、90代の人々というのは私も想定していない。
ティエリーの官能的なコレグラフィーや体の使い方はいいとして、体も認知能力も衰えているはずの超高齢女性が生き生きと反応して周りに嫉妬の感情まで引き起こすのは印象的だとはいえ、なんだかのぞき見をしているような気分になって居心地が悪かった。こういう感じ。(ビデオは多分広告の後で出てきます)

ティエリーというのダンサーは父親がベトナム人で母親がフランス人のハーフで、もう50代半ばだけれど、若い頃の坂本龍一みたいな感じで、しなやかな体つきは20代の若者のようだ。
白髪も混じる長髪なのだけれど、患者たちはみな彼に「若くて美しい」と賛美の言葉をかける。
彼は若い頃から国境なき医師団と共にアフリカやアジアでボランティア活動をしていて、高齢者のダンスセラピーも、ただ気まぐれにやっているのではなくて使命感に突き動かされているプロなのだ。
だから年齢のハンディを抱える女性たちに妙な思わせぶりをするわけではない。
けれど、ダンサーが本気になって他者と関わろうと思ったら、自然にホルモン全開でフェロモンをまき散らすのか、ブランシュたちも本気で何かを目覚めさせられ、枯れ木に樹液が満ちるようになるのが伝わる。

はじめは何か見世物みたいでいやだった。

ティエリーはプロ、ブランシュは慈悲の対象、一時の幻想を与えてどうなるのだ、と思ってしまう。彼女がどんどんと恋に落ちるのを見るのが苦しい。

実際、映画やドラマを別として、リアルな人間がまたたくまに恋に落ちていくのを実際に見る、ということは普通はあり得ない。ドキュメンタリーやお見合い系番組があったとしても、登場する人は当然だけれど世間を意識し、カメラを意識し、要するに「どう見られるか」を意識している。

でも、ブランシュは、認知症のおかげで、他のスタッフの目も患者たちの目もカメラも完全に無視しているし、後でこの番組を見る私たちの目も当然存在しないに等しい。

だからこそ「見世物」を覗いているような罪悪感があり、はじめは他のいろいろな患者の姿を見るだけでも落ち込んで、「こんな風に年とる前に死にたいものだ」などとしか思えなかった。
ティエリーの暖かさや誠実さやまごころやリスペクトも伝わり、おそらく彼自身もこの交流から多くのものを与えてもらっているのだということは伝わるのだけれど、番組の底には、どうしようもない「現実の残酷さ」をも切り捨てないという筋が一本通っている。
感嘆し感動もするけれど幻想は抱けない。

そのバランスがあまりにも絶妙なので、居心地が悪いと思いながらとうとう最後まで見てしまった。

最後に残った感想は、

人は何歳になってもどういう状態にあっても、愛と思いやり、スキンシップが必要だけれど、「その相手」は何でも誰でもいいわけではなく、

柔らかくてふわふわな子猫だとか
元気で忠実な犬だとか、
若くてしなやかな異性だとか、

「相手を選ぶ」のだなあということが一つだ。

自分と同じように杖をついてよれよれの高齢者を眺めたりしわだらけの乾いた手で触ってもらったりするのではなく、生命のほとばしりとか躍動とかを感じられる相手を必要とするのだ。

もう一つは、高齢認知症患者や、「死に行く人」らが必要としているのはスキンシップだけではなく、スキンシップやかかわりの「侵襲性」だということだ。
たんに世話してもらっているとか、そばにいてもらえるとか言うのではなく、ティエリーのように、まっすぐ、相手の中に飛び込み、引き出し、一体化することを積極的に、執拗に、忍耐強く示された時、すべての人は「よみがえる」のかもしれない。
変な言い方だけれど「無理やり」誘ってほしい。その中でこそ、彼らが長い間失っていた「必要とされている」感が再生するのだ。

「現役時代」の人は、あちらこちらから頼られ、必要とされ、仕事や役割を押し付けられて疲れはてうんざりすることの方が多いからなかなか気がつかない。若くてきれいな人やいろいろな意味で力のある人には、多くの人が寄ってきてそれこそ侵襲しようとしたり親しい関係を築こうとするだろう。

けれども、若さと力と認知機能を失った人は、そのような、「周りからいやおうなく働きかけられる」という関係をすべて失い、「お世話してくれる」人だけが残る。
そうなった時にはじめて人は「年をとる」のかもしれない。

その意味で、ボランティアに関わる全ての人が見る価値のあるドキュメンタリーだと思った。


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# by mariastella | 2017-06-19 00:49 | 踊り

ラッカでただひとり

シリアで「イスラム国」が「首都」として占領したラッカに住んでいた若い女性ニサン・イブライムさんという人が、2011から2015 年にかけて、日常をFacebookに綴っていた。

それを知ったISは激怒して2016年1月に彼女を「処刑」したと発表した。
ニサンさんは30歳だった。

その彼女の日記を編集したものがフランス語で出版されて話題になっている。

「アンネの日記」に匹敵する貴重な証言文学だという。
現代のアンティゴネだとも形容される。

また、これを読むと、ISだけでなく、アサド大統領の強権のひどさも自明のものとなるという。

けれども、そこには若い女性らしいユーモアも夢も希望も綴られているのだそうだ。

ユーモアも夢も希望も、ISが切り捨てたいものだろう。

アンネ・フランクも、もし今の時代ならFBで日常を綴っていたかもしれない。
当時多くのユダヤ人が情報を発していたら、その拡散力はすごかっただろうけれど、ナチスにチェックされてまたたくまに逮捕されていたかもしれない。
そうなるとSNSによる情報発信というのは両刃の剣だ。

でも、一度発信されたものはコピーされれば永遠に残る。


どんなジャーナリストの現場からの情報発信よりもすごい。

彼女の家族はこのFBの存在を知っていたのだろうか。

この本はぜひ読んでみるつもりだ。



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# by mariastella | 2017-06-18 00:55 |

アドナン・カショギの死

1935年生まれのアドナン・カショギという世界一の富豪(1980年時点で個人資産40兆円? 桁がかけ離れているので間違っているかも)が6日にロンドンで亡くなったというので、プロフィールが次々と紹介された。

サウジ王家の創設者の主治医の息子だがいわゆるプリンスではないので、あちこちに出る写真も、サウジ風の服装でもないし、普通。小柄で小太りの髭のおじいさん。

当然のごとく、巨額な武器取引で財をなした。

カネの世界には国境もなく、文化も宗教も乗り越えたグローバルなものなんだなあというのにあらためて驚く。

カショギ氏の人脈や金脈にはビン・ラディンの父親の名も出るがロッキードの名も出てくる。個人ヨットとして最も大型(映画ホールやプールもそなえたクルーズ船みたいなやつ)な「ナビラ」号を持っていたことでも有名だけれど、後にその新所有者となったのがあのトランプで(彼もその後で手離しているが)、トランプはそれを改装して「トランプ・プリンセス」となづけたのだそうだ。金さえあればプリンスにもプリンセスにもなれる。

カショギはフランスにもたくさんの住まいを持っているが、パリで若い頃の高田賢三に出会って彼のデザインを気に入り、彼が瞑想できるようにとパリに800平米の住居を与えた、と言うのも読んだ。

それはあの有名な、茶室や日本庭園のある旧高田邸のことなのだろう。本当だとしたら何だか親近感も覚える。

片時も離れないガードマンの一人は韓国の空手家だとあった。

彼の甥はダイアナ妃と共にパリで自動車事故で死んだ人だけれど、子供は息子3人とヨットの名につけたナビラさんというひとり娘の4人しか名が挙がっていない。
でも前妻というソラヤさんの間にはもう一人娘がいると英語のネットに出ていた。

ソラヤというのはイスラム名で、もとはイギリス人のサンドラさんなのだそうだ。(こんなどうでもいいことを検索したのは、最初にヨットの名が「一人娘」の名だと聞いたときに、一夫多妻もOKのサウジアラビアの大富豪で子供が一人しかいないんだろうか、だとしたらそれはどういう姻戚関係を生んだのだろうか、などと考えてしまったからだ。)

リヤドに行った時も思ったけれど、彼らは国内でどんなに戒律のある暮らしをしていても、「金」という万国共通のビザがあればどこでどんな暮らしでもできるのだなあ。

こういう人たちは、今のISだのカリフ国などを「本音」ではどう思っているのだろう。

いや、内戦が続いたり、外国が武力で干渉したり、戦火で損壊した地域を再建したりするたびに「金」が儲かる仕組みになっているのだから、そういうループから抜け出す思考はなかなか働かないのかもしれない。

富豪の中にはビル・ゲイツ夫妻のように「慈善」に目覚めて大活躍する人もいて、そのメンタリティについて考察している最中だったのでいろいろ考えさせられた。


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# by mariastella | 2017-06-17 02:54 | 雑感

フランス総選挙でマクロン新党が圧倒的多数を占めるという予測について

次の週末はフランス国民議会の総選挙の決選投票だ。
このままいけばマクロン新党の圧倒的勝利となりそうで、大統領の「君主」ぶりが想定される第五共和制自体への疑問が投げかけられている。

日本で自民= 公明の与党がどんな法案をどんな形でも通せてしまっている現状を見るにつけ、フランスの未来についても誰でも心配になってくる。

日本よりましなのは、
アメリカからの圧力には屈しないこと、
ジャーナリズムがまあまあ機能していること、
デモやストなどの直接民主制の力が健在なこと、などなどかもしれない。

今回、キリスト教信徒であることを公言しているフィヨン派(=共和党。分かりやすいように大統領選候補だったフィヨン派とこの記事では呼ぶ)の議員候補が軒並みにマクロン党の候補に追い出される現状を見て、保守ばかりでなくリベラル・カトリックもあせっている。
マクロンも、勝てば勝つほど、カルト「教祖」風の顔になってくる。

大統領選の第一回投票ではいろいろ分散していた票が、総選挙でどっとマクロン派に流れたのはいろいろな理由があると思うが、私のごく周辺の人々を観察しているといくつかの要素が見えてくる。

まず私の周りの親しい人々で観察しやすいのは大きく分けて、

1.インテリ・ブルジョワ
2.インテリ・アーティスト

の二種類がある。

このうちのインテリ・ブルジョワのグループは
大統領選の第一回投票で保守フィヨンに投票。
フィヨンに架空雇用スキャンダルがあったが気にしない。
国のためになって結果さえよければモラルは関係がない。
何度も寝返ったタレランが結局フランスを救ったではないか。
と、とってもプラグマティック。
レランについては今まであまり書いていない。このブログでこれくらいだ。

この層に多い団塊リタイア組はマクロンなど信じていなかった。


インテリ・アーティストのグループは、第一回投票でたいてい極左メランションを支持した。オランドの社会党政権が失敗して分裂していたのでインテリ左翼無神論系は自然にメランションに向かったのだ。

これがメランション躍進の理由だった。

社会党候補のアモンのカリスマ性のなさも大きく作用した。


私や少数の知人は、それでもアモンを支持していた。脱原発に一番はっきりした態度をとっていたから。私は個人的にヤニック・ジャド(アモンの支持に回った緑の党の候補者)が好みだったせいもあるけれど。


で、第二回投票は、フィヨン派もメランション派もアモン派も、ルペンを落とすためにそろってマクロンに投票した。


結果、マクロン政権誕生。


その後、今回の総選挙。


1.2のグループはどう反応したか。


1の、(私の周辺の)フィヨン派だった人の半分近くは、棄権またはマクロン派に投票したと思われる。


棄権の理由は、


フィヨン派の敗退と分裂を前にして見限った、

第五共和制ではどうせマクロン派が勝つのだから意味がない、


といったところか。


マクロン派に積極的に投票した人の理由は、


マクロン政権がフィリップ首相やル・メール経済相など旧フィヨン派を取り込むことに成功したので敷居が低くなった、


ということの他になるほどというものがある。


それは、インテリ・ブルジョワで「子供のいる人」ということだ。

これらの人は、フランスで初めて、自分たちの子弟を英語を第一外国語として学ばせた世代だ。で、子弟はたいていイギリスやアメリカやオーストラリアなどの英語圏に一度は留学して英語圏の学位を持っている。

そして、インターナショナルでグローバルな仕事について活躍している。日本で言うと団塊ジュニア世代で、マクロンももろ入っている。

で、インテリ・ブルジョワの子供たちの世代は大統領選の第一回投票からほぼマクロン派だった。親たちはマクロン政権なら自分たちの年金が減るし、社会政策風のものもあまり関係ないから、フィヨンを支持していた。

でも、決選投票ではル・ペンに対してマクロンに投票せざるを得なくなったので、そのすぐ後の総選挙では「慣れ」というか「慣性」が働く。


また、その後のマクロンのエネルギー全開ぶりを見て、自分の子供たちの姿と重なって、


「まあ世代交代も無理ないか、自分の子供たちの世代に有利な体制になれば、自分たちの年金が多少減ったとしても、子供たちに助けてもらえるし」


と意識下で考えたとしても不思議ではない。


というわけだ。インテリ・ブルジョワには子供のいる人が多いし。


それに比べて、インテリ・アーティスト系でメランションに投票した人は、総選挙でマクロン派に転向したというより、多くが棄権したと思われる。


インテリ・アーティスト系の人は子供がいない人が多いので、マクロンを「自分の子供の世代」に投影することはない。

既成の右派左派とかいう構図から逃れたいという「自由と冒険」の志向は強いから、総選挙でもメランション派に投票した人は少なくない。

でも、このカテゴリーの人にとってはメランション派は「党」としてよりもメランション個人のカリスマに反応する人が多かったので、総選挙のレベルではモチヴェーションが落ちて「棄権」が多かった、というわけだ。


以上があくまでも私の周辺にいるほぼ同世代二つのカテゴリーが大統領選に続く総選挙でどういう動きをしたかということを分析してみたものだ。


一方、大統領選の第一次投票や決選投票でルペン支持者だった人が総選挙では多くが棄権したり、フィヨン派やマクロン派に回ったりしたらしい理由については、メディアがインタビューしたり分析したりしている。

でも私の周りにはさすがにルペン支持者はまったくいないので分からない。


たった一人、楽器奏者でルペン支持を公言する女性がいたけれど、そのことで壁(私が勝手に作った壁だけど)ができたので、私はその人が総選挙でだれに投票したかとかマクロン政権をどう思っているかなどとは聞きだす気持ちにもなれなかった…。


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# by mariastella | 2017-06-16 02:56 | フランス

ナポレオンとサクランボとコニャック

朝市でサクランボの色がまぶしい季節だ。

私の好きなのは白っぽい「ナポレオン」というビガローの一種。
酸味と甘みのバランスがいいさわやかな味。

なぜナポレオンという名がついたのかというと、もろ、ナポレオンが気に入ったからだそうだ。
サクランボは中世からフランス人の食卓に上っていた。生や調理したものがワインに混ぜられたり、デザートに供されたりした。17世紀にはモンモランシー公の果樹園が有名だった。

サクランボを偏愛して新しい品種を開発させたのはルイ15世だ。彼の時代から、サクランボ栽培の近代化が始まった。そのうちの一種がナポレオンの好物となって命名された。

そういえばナポレオンというコニャックもある。

私の子供時代は、ナポレオンと言うと、

「ナポレオンは何故赤いズボン吊りをしていたか? していないと ズボンが落ちるから」

という謎々と、

「私の辞書に不可能という文字はない。」

という言葉と、

「三時間しか眠らない。」

という伝説と共に、ナポレオンという上等のお酒がある、という知識が共有されていた。
ある意味で懐かしい名前だ。

伝説によると、1815年にナポレオンがセント・ヘレナ島に流される船にニャックの樽を持ち込んだそうで、イギリスの士官たちがそれを喜んで「ナポレオンのコニャック」と呼んだという。
1869年にナポレオン三世が、クルヴォワジエに「帝国宮廷ご用達」のタイトルを与えた。
1909年にイギリス出身のシモン・ファミリーがクルヴォワジエのブランドを買い、VSOPよりも高級なコニャックをナポレオンと名付けてナポレオンのシルエットをロゴにした。
1950年にはナポレオンの愛したジョセフィーヌという名のコニャックも発売したが、そっちの名前は昔の日本で聞いたことがなかった。

この世で添い遂げられなかったカップルが、並んで芳香を発し続けている


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# by mariastella | 2017-06-15 05:43 | 雑感

モリエールとリュリーの『町人貴族--アルルカンの入場』

バロック・バレーもフランスの学年末なので、リュリーの『町人貴族』の「アルルカンのアントレ」を準備している。キャラクターダンスならではの内股などが入っておもしろい。
最後の8小節がさらに興味深い。
c0175451_01305756.jpg
(楽譜と振付譜が読める方はどうぞ)

3拍子だけれど、初めの2小節は1拍目がない。
最初の小節は、
無音の1拍目でコントルタン・ジュテ、
次の2拍目でシャセを2つ。
最後の3拍目でジュテ、
と4ステップが入る。

次の小節は2ステップ。
全部で、8小節の間に

4-2-4-2-3-4-2-1

というステップが不規則に割り当てられる。

いかにもバロックバレー的な予測不可能というかロジックのなさが内臓をゆさぶる。

来週はコンサートもあるが、ブランデンブルグを全楽章弾くだけでもかなり消耗する。
秋に日本で弾くトリオの新曲は、20小節ばかり反復するようにと今日指示された。
体力と精神力と筋力が要る。大丈夫か、わたし…。

座業といつまで両立できるのかなあ。






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# by mariastella | 2017-06-14 02:20 | 踊り

フランス総選挙とマクロン新党

第一回投票の結果は、予想通り、

1.マクロン新党の圧勝
2.過半数の棄権という投票率の低さ

となった。

フランスでは大統領選のすぐ後の総選挙で、大統領選の余波もある上、選ばれた大統領に議席の単独過半数を与えて公約を実行させてみる、という暗黙の合意があるので、たいていはこういう結果になる。

でも、今回の特徴は、議会には新顔である新党でもそれが通用するのか、という興味があった。
結果は、社会党の党首や、大統領選公式候補だったブノワ・アモンなどベテランが新党の新顔に敗退して決選投票にさえ残らないなどという過激なものだった。

棄権率の高さの理由としては、今回の大統領選は、はじめて共和党も社会党も予備選をやったので、選挙運動期間が長すぎで、もうみんながうんざりしたこと、ほおっておいてもマクロン新党で決まりでいいかと思ったこと、日曜の天気が良すぎてみな出かけてしまったこと、
などなどがある。

もちろん、マクロン新党以外はみな口をそろえて、

このような低投票率の選挙には信憑性がない、
従って、マクロンがそれほど支持されているわけではない、
圧倒的な単独過半数を許してはいけない、
民主主義の危機、

などと言っている。

これは一理ある。
こんなことなら、大統領選と同時に総選挙もして、
大統領選の第一回投票の票数の割合に合致する数の議員にすべきだ、
という意見もある。
そうすれば、真の討議ができる、と。

単独過半数など占めるとどうしても驕りや寡頭政治につながりやすい。
少数派の意見が聞えてこない。
まあマクロン新党については「政治家」として素人が半数いることだし、
右派からも左派からも構成されているので、内部だけでも意見のすり合わせが必要だろうから「独裁」の方には逸脱しにくいだろうけれど。
そして、アメリカと同様、ジャーナリズムがわりあいよく機能していると思われるのが救いだ。

私が個人的に注目していた新党の二人は、

例の神学者のクレマンス・ルヴィエと、超ユニークな有名人数学者のセドリック・ヴィラニだ。

前者は決選投票には残るが一位に大差をつけられているのでまず無理だろう。

後者は、市井の医者や看護師やホラー映画製作者など無名の新人が半数を占めるマクロン新党で、突出して目立つキャラなので、実際、47%を超える得票率だった。第二次投票も楽勝だろう。
フィールズ賞も受賞した天才肌だが、多動症っぽくも見える。
この人がどんな「政治家」になるのかを見るのが楽しみだ。

共和党や社会党を「裏切って」大臣になったブルノー・ル・メールやリシャール・フェラン(おまけに金銭スキャンダルでもたたかれた)は、それぞれが共和党や社会党からの候補として立候補した前回よりも高得票率を得たので、対立候補者からの「裏切り」というプロパガンダはうまく機能しなかったようだ。

週末はテロについてとトランプについてのサルマン・ラシュデイの記事を読んだ。
彼は今アメリカに住むが、まさかのトランプ当選にはいろいろな理由が挙げられるものの、最も本音の部分は、アメリカの白人たちが、8年間もオバマに牛耳られていたのががまんできなかったからだというのだ。とてもリアリティのある証言が続いていた。怖い。








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# by mariastella | 2017-06-13 02:12 | フランス

テロが続くイギリスとフランス

イギリスで数か月のうちに3度もテロがあった。

もちろんその度にフランスではさかんに報道された。
それなのに、

助かった人のインタビュー、
テロリストのプロフィール、
現場に花を捧げる人たち、
黙禱、

などのどのシーンをみても、あまり心を動かされなかったことに自分でも驚いた。
もちろん、フランスでのテロの報道に食傷しているのでデジャヴュという印象もあるからだけれど、テロが起こる度に

「テロに屈しない」、
暮らし方を変えない」、
「恐れてはテロリストの思うつぼ」、

などと言われ、それを実践しているうちに、感受性が鈍ってきたのかもしれない。

運が悪ければどんな事故にだって遭遇するかもしれないし、という達観に至る部分もある。

私が日本で他国で起きた大地震の報道を試聴したらひょっとしてこんな気分になるのではないかと思う。
恐ろしいけれど、どうしようもない、というやつだ。
一応最低限の「対策」や「安全情報」を耳にしていれば、後は恐れても仕方がない。
それでも、飛行機が嫌いな私は、旅の初めに説明される酸素マスクや救命具のつけ方の説明がある度に忌避感を持ってしまう。
大丈夫、統計的に言ってこの飛行機は落ちない、という自己暗示が自動的に発動するのだ。

フランスでも数か月のうちに3度のテロがあったのだけれど、こちらは単発で、ルーブル前、シャンゼリゼ、ノートルダム前でそれぞれ警備中の兵士や警官を特定してねらったものだった。
もちろんそれも十分恐ろしいことだけれど、すべては相対的で、これまで大量の一般人や未成年が狙われたシーンを見せられてきた者にとっては、ああ、こういうご時世にああいう職業は大変だなあ、と同情するものの、集合無意識の中では「テロ」の枠の周縁部に追いやられる。

で、このところはイギリスの方がテロが多くてフランスは少しおさまっているよな、などという印象を持ってしまうのだ。

それでもロンドンのテロで、観光中やバイト中やフランス料理のシェフなど3人のフランス人が犠牲者になってその一人一人の情報が繰り返して流されると、私自身のロンドンの思い出や最近ロンドンにいたあの人この人のことを思い出すので、テロは「またか」のテロではなくなり、悲劇として胸に迫る。出来事との関係性というのはとても人間的だ。

そういえば日本の知人がもうすぐ大英博物館で公演をするはずだ。
最初はロンドンの後でルーブル美術館でも講演するという予定だったのだが、子役もいることだし、「緊急事態」発令中のフランスは危険そうだというので、去年の今頃、フランスは中止になった。
その時に私も意見を聞かれたけれど、2017年も前年と同じくラマダンの最中だし、大統領選と総選挙でテロリストのテンションが高まっているかも、と答えた。
ところがイギリスでは今年の復活祭の後にメイ首相が解散と総選挙を言い出した上、その後の立て続けのテロの影響もあって総選挙の結果も思惑が外れ波乱含みとなった。

知人の公演がともかく無事に終わって実り多いものとなることを祈ろう。


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# by mariastella | 2017-06-12 00:59 | 雑感

ローマ法王とフランス大統領 その5


その5

最後の共通点はヨーロッパ。

「新大陸」出身のローマ法王は「旧大陸」ヨーロッパのことを「おばあさん」と形容する。もう新しいものを産まないが元気に生きている。
フランシスコ教皇の祖父母はイタリアからアルゼンチンへの移民だった。
EU議会で各国首脳の前で、「人権とデモクラシーと自由の志士であるユマニスト・ヨーロッパはいったいどうなったのか?」と喝を入れたことがある。ヨーロッパは先祖たちのキリスト教インスピレーションとルーツを取り戻せば袋小路から抜け出せる。それはキリスト教世界の再建という妄想ではない「魂」の問題だ。

マクロンの方は、大統領選のマニフェストの中でヨーロッパを基軸にした唯一の候補だった。就任セレモニーでEUの公式音楽「喜びのうた」を流して登場したのも記憶に新しい。今のヨーロッパを無条件に賛美しているのではなく、フランス国民をよりよく守るようにEUを再構築するという。東欧からの労働者の給与システムの改正についてはすでにEUの議題に乗せた。EU規模の投資は強化しようとしている。

この五つ目の「共通点」は、よりEUのルーツ(『キリスト教の謎』第12章参照)に寄りそう教皇に対して、経済共同体としてのEUのプラグマティズムに立脚するマクロンのアプローチの仕方の違いがはっきりしている。

ヨーロッパのように、ギリシャ、ラテン、ケルト、ゲルマンとルーツがばらばらで、貴族の姻戚により混血が進み(それを可能にしたのはキリスト教文化圏の形成だった)、しかもアフリカ、中近東と近いことと植民地の歴史のせいで「異文化」からの移民が多いという多元的な地域は、ある意味で異種共生の可能性を探るかっこうのモデルでもある。
それを可能にするのは、やはりキリスト教型、それが世俗化したフランス共和国型の「普遍主義」の追求であると思う。

アングロサクソン型の共同体主義では、「同種」ばかりが固まって、出身地域の文化や伝統を維持しながらやっていけることになる。共同体内部の「掟」が基本的人権や民主主義といった近代国家の理念より優先することも往々にして看過される。
イギリスで続いたテロの操作において、そういったアングロサクソン型共同体主義の弱点がはじめて語られるようになった。
早い話がこういうことだ。

人間の共同体が同質で、掲げている理念が同じであると、異質な人は目立つ。

日本のような同質性が高い社会の場合もそうだ。「人と違うと目立つ」ので、ある意味でセキュリティチェックが自然に働く。
これがフランスだと、移民が来ても、全員をフランス語と共和国主義によって統合、同質化しようとするので、そこから逸脱する人はある程度目立つことになる。
イギリスだと、共存する個々の共同体が何語を話していても、独自の服装規定などを持っていても干渉されない。だから、ある共同体が過激化しても、あるいは過激な共同体(つまり自分たちの価値観と異なるものを弾劾する共同体)が定着しても、チェックしにくい。

ヨーロッパ単位で言うと、個々の国には独自の言語も習慣もあるのだけれど、その中のどれかがやはり過激化(つまりナチスドイツのように)するリスクを避けるために、共通の価値観を定めようとしたのだ。

共同体主義のイギリスがEUとなじめず離脱を決めたのはその難しさを表している。

ヨーロッパの真の共生が成功するなら、いつかそれが地球全体で成功するかもしれない。でもEUがこのまま崩壊するなら、普遍主義も地球の平和も夢物語だ。
「夢」を「夢」で終わらせないために、精神主義だろうがプラグマティズムだろうが、EUの理念を掲げるリーダーは存在し続けてほしい。

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# by mariastella | 2017-06-11 03:13 | フランス

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》その4

これは前の記事の続きです。

カトリック雑誌が挙げるローマ法王とフランス新大統領の共通点。
後ふたつあるので続けます。

その4は、「同時に」という考え方だ。

まずローマ法王。

フランソワ教皇は亡命者や移民の弁護人だ。そして「同時に」、各国の為政者に対して移民政策において慎重であるようにと促している。
妊娠中絶は恐ろしてことだと言うが、司教時代には中絶を余儀なくされた女性のために戦った。
同性婚には反対だけれど、私には裁くことなどできない、と言った。

その一見すると一貫しない態度は、教皇の敵からはポピュリズムであることの証明だと批判される。
けれども教皇にとっては、真理とは、罪びとたちのためにやってきたキリストというペルソナ(人であり、同時に、神である)であり、単純なイデオロギーなどではない。

教皇は、「対立するものは助け合う。人間の生とは対立するものの上に構築されている」と言う。
ベネディクト16世と同じく、イタリア生まれでドイツ育ちの神学者ロマノ・グアルディニの影響を受けている。

マクロンの方も、矛盾点を政敵から揶揄される。
経済相を自認した時「確かに私は自由と平等を選択した。成長と連帯も選ぶ。企業と勤め人も選ぶ」と言ったからだ。
マクロンの尊敬するポール・リクールの研究家であるオリヴィエ・アベルは、「マクロンの《同時に》は、リクールの考え方に近い。彼は対立物を、完全に合意に至らないとしても実りある緊張であると捉えている」とコメントした。

つまり二人とも、「ポジションをはっきりしない」と批判されているわけだが、人間の社会は黒白や善悪の二元論で解決するものではない。
反対意見や少数意見を排除しないで話し合ってすり合わせていくという平和的解決は現実的でもあるし、何かを強引に決めた後で起こりやすい逸脱を避けることにもなる。
黒か白の一色にしてはいけないし、かといって混ぜて灰色にしても本質が失われる。たえず他のポジションを意識することで自分のポジションに疑いを投げかけることも必要だ。
黒白二元論でなく価値多元主義で自分は自分、人は人というのも間違っている。どんなたくさんの色があるとしてもばらばらでなくひとつの絵を描いていくために必要な普遍的な価値観というものも模索したい。

この週末に総選挙が始まるが、マクロン新党LREMが過半数をしめるという予測が出始めている

サミットでのトランプとの握手の仕方が痛快だった、ハンサムで英語が話せて、EUへの働き掛けも積極的で、というマクロンの姿をフランス人は自分たちに重ねているのだそうだ。
そういえば、サルコジが大統領になってすぐにアメリカの富豪の豪華ヨットでバカンスを楽しんでセレブ生活を見せつけたことを、フランス人はまるで自分たちのステイタスが上がったかのように満足していた。
これがドイツの首相なら大スキャンダルになって失脚ものだと言われたが、フランス人は自分たちの代理として大統領に目立ってほしいのだ。

で、いろいろ批判されていたマクロンも、今は、若くてハンサムで自分たちにぴったりなどと思われ始めているらしい。

今にして思えば、「ノーマルな大統領」になりまーす、と宣言したオランド大統領はイメージ戦略を誤った。
フランス人は自分たちと変わらないようなノーマルな大統領を欲しているのではなく、自分たちの妄想を託すことのできる大統領を欲しているのだ。

総選挙で私の注目しているのはパリのカトリック学院で神学と社会科学を教えるポール・リクールの研究家である女性神学者クレマンス・ルヴィエが当選するかどうかということだ。
彼女はマクロン新党からの候補者で、かなりリベラルだ。
カトリック的に不都合などんな政策でも、時代の文脈を見て、そのベースに愛と慈しみがあるなら受け入れられるという。終身助祭の夫と成人した三人の子供がいる。
彼女なら「ローマ法王とマクロンの共通点」のシンボルになるかもしれない。


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# by mariastella | 2017-06-10 06:38 | フランス

前川さん証言と詩織さん事件 その3

前川さんに続いて詩織さんのことを書こうと思ったのだけれど、結局どう書いていいかまだ分からない。
あるブログで、フェミニズムの女性論客たちがほとんどこの件について発信していないことを指摘したものがあった。上野千鶴子さんや香山リカさんやらのツィッターに何も出ていないということだった(今は知らない)。
江川紹子さんはきっちりと発信していて、私も読んだけれど、彼女って本当にすてき。

個人的に言うと、「顔出し」をした詩織さんの外見があまりにも私の好みだったので、まず外見に反応した後ろめたさがあって、距離をおけなかった。
江川さんはもちろん詩織さんの外見などには触れない。

家族に配慮して姓は公表しないという話だったが、私も他の多くの人と同じくネットで彼女のFBをすぐに見た。ますます見とれた。

彼女が私の娘だったら、私もばんばん表に出て支援するだろうし、彼女が私の恋人だったとしても、顔出しで共闘すると思う。

そういうバイアスがかかっているので、彼女が戦おうとしているモノや彼女を踏みにじったヒトたちに対してどういうひどい言葉を発してしまうか自分でも分からないので、やはりここは自粛して、真に役立つ言葉が醸成されるまで待つことにした。

若くて美しい女性を前にして、やにさがるのも、征服しようとするのも、逆におとしめて攻撃するのも、みんな同じルーツであるような気がする。

詩織さんに見とれている自分が上等だとももちろん思えない。
でも彼女を応援します。

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# by mariastella | 2017-06-09 02:54 | フェミニズム

前川さん証言と詩織さん事件 その2

これは昨日の続きです。

前川さんと出会い系バーのことで私が連想したのはアンリ・マレスコ―という人だった。

アンリ・マレスコーは、1943年生まれで今年74歳。

ヴェルサイユのブルジョワ家庭に生まれ、フランス最高の学歴のひとつエコール・ポリテクニックを卒業。50歳でその母校の総長になる。

56歳で陸軍大将、58歳で全軍総監察官という華麗な経歴。

22歳で結婚した妻との間に5人の子供と、今は19人の孫がいる。

55歳から、ヴェルサイユのリセの生徒たちのためのカトリックの教理のクラスでボランティアをしていた時に、司祭から「終身助祭になるつもりはないか」と言われた。終身助祭とは、司祭叙階の前の段階としての助祭ではなく、助祭としての役割のみを果たすものだ。結婚や洗礼の司式はできるけれどミサの神降ろしの一種である「聖変化」の秘跡はできない。妻帯者でもなれる。

マレスコーは助祭になる勉強を始めた。妻は驚いたという。

その彼も、教区の手伝いをする意思はあったものの、59歳で、突然パリの娼婦の支援機関で奉仕するように言われた時は自分も驚いた。

教会の奉仕者は「まず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ奉仕者の務めに就かせなさい(テモテへの手紙一/3,10)」と聖書にあるようにそれは一つの試練なのだと思って引き受けたという。

その2年後、ヴェルサイユで助祭に叙階され、さらに5年後には自分で「タマリス協会」を立ち上げて、売春組織の犠牲者の女性支援に携わっている。

2017年だけでも、5月までで350人の女性が、無条件の援助、行政、司法、医療の手続きなどの支援を、30人ばかりのボランティアを通して受けている。そのうち150人以上が売春から抜け出すことができた。

週2日パリの事務所を解放して相談にのったりフランス語を教えたりする他に、二週間に一度は、2人組で町や森に出て、客待ちの娼婦に声をかけて相談にのる。女性たちはほとんどがナイジェリアで騙されて売られてきた。皆ひどい目に合っている。タマリスでは友情と連帯も得られ、フランス語の勉強もできる。(2前まではほとんどが東欧の女性だった)

マレスコーの活動を紹介するビデオがある。
接触するポイントは、娼婦たちに会いに行くときにかならず男女2人組でいくことだ

車を停めて降り、ボンジュールと言い、握手して、私服警官ではなくて売春婦支援団体のメンバーであると告げ、フランス語のレッスンを受けられることを伝えて携帯電話の番号と名刺を渡す。それを毎回繰り返す。

センターはムーラン・ルージュの向かいにある聖女リタ(『聖女の条件』参照)のチャペルの上にある。そこに来ればコーヒーとケーキがふるまわれる。週二回の午後に50人から75人がやってくる。
対応するのは15人のボランティアだ。

まず、話を聞くこと。
生活を変えたい、という女性が多い。
フランス政府の支援で国に帰る手段があると伝える。
フランスに残りたいという人には仕事を見つける手助けをする。
95%は不法滞在者で、滞在許可を得るのは難しく時間がかかることを告げるが、モチヴェーションがあれば支えていくことを約束する。

このマレスコーさん、いかにも上品でエレガントでエリート中のエリートで、家庭にも恵まれ悠々の老後を満喫するのが似合いそうなのに、パリの盛り場で、貧困の犠牲者である売春婦たちに囲まれて一生懸命に話を聞き、相談に乗っているわけだ。

彼がただの「上流階級の慈善活動家」ではなくカトリック教会の助祭というステイタスがあることが、彼を助けるボランティアにとっても彼に助けられる売春婦たちにとっても、「信頼」の基礎になる

たとえ同じモチヴェーションがあったとしても、文科省次官がオフの時間に一人で出会い系バーに出かけて若い女性を連れ出して話を聞いて援助すれば、当然、第三者がスキャンダルに仕立てるのは簡単だ。

社会のメジャーの側にある強者が最底辺の弱者に奉仕しようとする時、パリで長い間社会福祉を担ってきた歴史と伝統のあるカトリックのストラクチャーが残るフランスは恵まれている。

マレスコーさんのような使命感のあるエリートは日本にもいるだろう。
出会い系バーで買春者を待つ若い女性の話を聞いてアドヴァイスをしたいと思う人がいたとしても不思議ではない。

前川さんがどんな方なのかは私には分からないけれど、「あんな場所に行って下心がないはずはない」などと決めつけるのは想像力の貧困さの現れであって、ひよっとして、経済的な貧困よりももっと深刻な何かの喪失を示唆しているような気がする。

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# by mariastella | 2017-06-08 00:39 | フランス

前川さん証言と詩織さん事件 その1

(ちょっと寄り道の話題です)

このところ主にネットで見ることのできる雑誌を通してだけれど、加計学園と文科省の問題、そして御用(?)ジャーナリストによる性被害にあった女性の問題について、リスクの大きい「証言」を敢えてした二人の印象が特に強く残った。

まず、前者。

前川さんという方は、ほんとうに正義感が強くて、意志も強く、他の人の証言からもうかがえるように、現場主義で現場調査というのが好きな人なのだろうと感じる。だから、出会い系バーにだって出かけて行った。
保身の意識がある人ならばしなかっただろうけれど、使命感と探求心が強かったのだろう。生まれた時からすべてに恵まれている人だし、個人的な野心というものとは縁がないのだと思う。
「男ならだれでも」などという人も多いようだけれど、骨の髄まで清廉な男というのは存在する。
ああいう場所に行って個人的に話を聞き、支援し、大きな運動や対策の視野も持つというのは、フランスならカトリック系ソシアルでよく見られることだ。

だから前川さんにも何かキリスト教的な背景があるのかなと思ったが、実家は浄土真宗系のようだ。日本のエリート家庭によくあるように奥さまやお母様がミッションスクールの出なのかもと思ったけれど分からない。

ただ、おじいさまに当たる前川製作所の創業者喜作氏のエピソードがどこかキリスト教的だと思った。

私財と情熱を投じて、学生の教育の場として「和敬塾」を目白につくり、

「財は子孫に残さず、命も金も子供も、また身に着けている者は一切神仏からの預かりもの。ゆえに、自分が生きている間に自分に託されたあらゆる物は自分の力で社会にお返しする」と言っていたそうだ。
単に寄付したというのでなく実践した。
その上、目立つことを嫌い、「左手でやることを右手に知らせるな」とよく言っていたそうだ。

これは明らかに新約聖書の

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(マタイによる福音書6-3)」から来ているのだろう。

和敬塾も東京カテドラルのすぐ近くだし、明治や大正のインテリには、洗礼を受けなくとも内村鑑三の聖書講義から影響を受けた人は少なくなかった。安倍能成、田中耕太郎、天野貞祐らの文部大臣もそうだ。

前川喜平さんも喜作さんのこのような家風を受け継いでいるとしたら、納得がいく。

別にカトリック国の政治家の方が清廉潔白度が高いと言っているわけではない。ただ、超少数者である「清廉潔白で弱者の側に立つ権力者」がいる場合、カトリック国の方が、中立的なストラクチャーを簡単に見つけられるから共感、協力してもらえやすいかもしれない。

そのことで私の頭に浮かんだのはアンリ・マレスコーさんのことだ。

見るからに誠実そう。(続く)

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# by mariastella | 2017-06-07 00:58 | 雑感

ローマ法王とフランス大統領 その3

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その3です。
この記事は、このカトリック雑誌がマクロンを評価し応援しているからというのではない。「善きカトリック」の代弁者のように支援されていたフィヨン候補の敗退によって迷う信徒や、フランスにおけるアイデンティティ・カトリック(伝統やブルジョワ的価値観を共有する階級)とリベラル・ソシアルのカトリックの分裂を解消して、マクロン体制のフランスをカトリック的に何とかいい方向(格差拡大の減少、弱者支援、難民ら移動者支援、反戦、環境破壊防止など。自国ファーストの経済成長や軍事力などはもちろんスルー)に向けたいという意図のあらわれだろう。カトリック・シンパがマクロンの足を引っ張ってフランスを分裂させないようにというメッセージでもあり、またマクロン陣営へのメッセージでもある。

その3は、人格の尊厳について。

人格という言葉はもともとキリスト教の三位一体の父と子と聖霊をペルソナとしてとらえたものが後で人間にも再転用されたものだ。

まずローマ法王。
教皇は、地球温暖化で土地を捨てる難民、グローバル経済からはじきとばされた人たち、スラム街の住民、まだ生まれていない子供たち、障碍者、高齢者、病人、死に行く人、など最も弱い立場にある人々を守るために熱弁する。自由経済の逸脱、人々を道具化する利益効率第一主義などを、人間の尊厳を傷つけるものとして糾弾する。子供をつくるのは権利であって授かるものではないとか安楽死は尊厳死であるなどと説明する主流秩序の「偽の慈悲」を弾劾する。

マクロンは、ルペンとの公開討議で障碍者支援のテーマを強調した。
任命されたばかりのフィリップ首相の最初の訪問先は障碍者と健常者が共同作業をして暮らすメゾン・シモン・ド・シレーヌだった。
マクロンの元ロスチャイルド投資銀行の金融マンという顔の陰に、人間の尊厳への深い関心がある。フランス社会の和解というイエズス会のテーマが見える。「最も脆弱な部分からスタートすることで社会が《他者への恐れ》を克服するすることにつながる」とシモン・ド・シレーヌ共同体のディレクターは分析する

カトリック系リセでずっと教えてきたマクロン夫人ブリジットも、障碍のある生徒に接した経験から、この問題に深く関わっている。就任式のパーティで司教や大ラビに「夫のための祈ってください」と頼んでいたブリジットは、選挙運動中も知覚障害、精神障害の子供たちの学校を訪問していた。彼女はミシェル・オバマのような役割を果たすだろうと言われている。



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# by mariastella | 2017-06-06 01:29 | 雑感

ローマ法王とフランス大統領 その2

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その2です。

2番目の共通点とは去年の春、まだ社会党内閣の経済大臣だったマクロンが独自に立ち上げた運動 En Marcheだ。

En Marche は日本語では「前進」と訳されているようだが、単に歩くという意味だけではなく、動いている、うまくいっている、目的に向かう途上にある、などのいろいろなニュアンスがある。

まず法王。

ヴァティカンのように何世紀もイタリア領邦国家の利権とずぶずぶだった巨大組織は、前進どころか慣性で一歩も前に進めないというイメージだけれど、この教皇は、どこかの国の「岩盤規制の一点突破」みたいなやり方ではなく、広く全方向的に窓を開いていくような動き方をしている。

離婚して再婚したカップルを再び共同体に迎え入れること、
多宗派とのエキュメニカルな理解と前進、
ヨハネ=パウロ二世時代にいったん破門された聖ピオ10世会との歩み寄り

など、いろいろな分野で、たとえ歩幅は小さくても少しずつ動き進むことを好む。問題の解決とは人々が並んで歩くことによる出会いの中で見い出されるものだろう。
目は天を仰ぎ、足は地に着けて「歩いていく」ことがフランシスコ教皇のやり方だ。

マクロン大統領は、その「前進」という運動名はイデオロギーではなく現実との接点を表現する。彼の政策のいくつかは、その運動の内部から自発的に生まれた。また、頭の中だけではなく実際に体を動かせるという「可動性」の徳も強調する。物理的なアクセス可能は、社会的公正を目指す政治の一部だ。彼が大臣時代にそれまで公共機関の独占だったバス路線を「自由化」したことで、フランス中を長距離バスで移動する人が大幅に増えたことがその典型だ。<<


これはやはりプラグマティズムに基づいているのだけれど、
巨大な権威を持つ教皇が広く浅く少しずつ「伝統」を揺さぶろうとしているのに、民主主義と議会制度に縛られるマクロンの方が、強硬に自由化の法を整備して目に見える結果を出すのが対照的だ。

政治家には「次の選挙」というハードルがあるし、常に「政敵」からの攻撃を受ける対策も必要だ。「今ここで」自分の実力を見せつけることが必要とされる。
教皇の方は時として挑発的なコメントを小出しにしながら、様子を見て、パン種が発酵するのを待っている。政治生命のスパンが全く違う。
次の選挙や選挙の地盤を後継者に譲るなどの憂いもない。
配偶者も子供もいないし、時空を超えた神や聖人たちとの交わりの中で足を地につけている。

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# by mariastella | 2017-06-05 17:12 | 宗教

ローマ法王とフランス大統領

カトリック雑誌の記事の続き。

カトリック雑誌『La Vie』は必ずしもマクロンを評価していないのだが、なんとフランソワ教皇とマクロンの「五つの共通点」という記事があった。

確かにこのふたりは、年齢はマクロンが教皇の半分もいっていないけれど、前任者たちと違って型破りであるという共通点はある。

で、その1
もちろん、イエズス会つながり。

教皇は1958年に21歳でアルゼンチンのイエズス会の志願者に。規律正しいところに惹かれたという。自分は生まれつき規律正しくないのに不思議だ、と言う。理想を上から押し付けるのではなく現実から出発して人々を具体的な状況から、神との関係においての自由を得るように助け導く、そのために分別を働かさねばならない。

マクロンは、アミアンのイエズス会系中公一貫校(フランスでは7年)で学び、両親が不可知主義者なのに12歳で洗礼を受けた。学校にイエズス会士が常勤していた最後の世代の生徒だった。パーソナルな能力に注目して個別の成功を目指すことと、体制的よりも内的に霊性へアプローチすることを教えられたという。

イエズス会が、時代の波の中で生き残って今まで続いて、ついに教皇まで輩出したことは驚きだが、それはローマ・カトリック教会が時代の波の中で今まで続いて生き残ったことが驚きであることと似ている。

(続く)

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# by mariastella | 2017-06-04 07:15 | 雑感

猫と音楽と学年末

ツボにはまりすぎてとろけそうになる。

(動画のリンクが開かないようなのでアドレスを貼り付けます。これをコピペして開いてください)

https://www.facebook.com/FelineLovers/videos/397358127288508/

写真はこんな感じ。
こんな風になるのは至福だけれど、でも私の場合、実際は、猫にまつわりつかれると練習できないのでドアを閉めている。

楽器を爪で引っ掻かれるのも怖い。

去年の今頃はフィルハーモニーで弾く曲の暗譜のおさらいとスピードアップで忙しかった。

今年もフランスでは「学年末」なのであわただしい。
23日にヴィオラでバッハのブランデンブルク協奏曲を弾く。
私は第一ヴィオラ。
緊張するのは第三楽章の32分音符が形を変えて出てくるところだけだ。
第一楽章は楽だし、第二楽章は一小節しかない。

生徒たちも混ぜることになったのでテンポをやや落とすので楽になった。
チェロとコントラバスは音楽院の教師が加わってくれる。

今日の午後も3楽章を4度も通しで弾いた。
いつも思うが、全く「間」のない曲で、弾いていると酩酊状態になりそうだ。
あんまり考えないで済む、というのは助かる。
その他に、カルテットで、イギリスの曲Giles Farnaby(1560-1640) のHis Humor 。
もう一つパサカリアを弾くのだけれど、このメンバーにはバロック・バレーの想定というものがまったくないので、フラストレーションを感じる。

その他は、秋のトリオのコンサートの練習をしている。
ある程度「毎日」さらわないと、左手の小指の筋肉が落ちるからだ。

ヴィオラでも左手の小指を使うけれど、ギターほどに角度がいろいろ変わらないしあまり力を入れなくても音が出る。ギターが一番大変だ。

田村洋さんのオリエンタル・ダンスの全楽章がそろったので、最近通しで弾き始めた。

物語が展開する第一楽章、
ゆったりメロディックなのにバッハっぽい場所もある第二楽章、
そしてリズムがおもしろく、ゲーム音楽にもなりそうな第三楽章。

第一楽章はのっけから「ダンス」が見える。
第三楽章はもちろん体を動かせる。

難しいのはダンス曲としての第二楽章をどう扱うかだ。

この楽章にだけ「dream trees」という副題がついている。
だんだんと見えてくると思う。

10月の山陽小野田市での初演が楽しみだ。





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# by mariastella | 2017-06-03 02:42 |

パリ協定とマクロン(続き)

(これは前の記事の続きです。)(今朝日本語のネットを開いたらパリ条約でなく協定だっので訂正。直訳だとパリ合意かなあとも思っていたのですが。)

今朝のラジオでものまねコメディアンが、マクロンになって、
「パリ協定を離脱したのがアメリカでよかったよ」と言った。

「なぜですか?」

「もし中国だったら、ぼくの中国語はイマイチだから」だって。

このままいけば未来の大統領は中国語のバイリンガルが現れるのかも。

私の前のピアノの生徒でいわゆる生粋のフランス人だけれど、小学校の頃から中国語の家庭教師についていた男の子がいた。親が将来のキャリアに役に立つと思ったそうだ。

今は20歳の学生だ。

その時は、パリの中国人の子弟でフランスの学校に通い国籍も持つ子供たちで中国語の補習にも通いバイリンガルの若者はたくさんいるのだから、見た目ヨーロピアンの若者が多少中国語をできても、直接のビジネスの交渉などは中国系フランス人の方が有利だろうから意味がないのでは…などと思っていたけれど、政治のシーンなら、なるほど切り札の一つになるかも、と今回は納得させられた。

フランスの中等教育では、戦後は第一外国語はドイツ語が主流だった。

ドイツ語が話せたことで占領下のフランスで有利にふるまえたフランス人から得た教訓だった。
ドイツ語の方が文法も難しいので、成績のいい子供たちのクラスに振り分けられることもエリート選別への道だった。
だから「フランス人が英語を話せない」というのは有名だった。

それが、1980年代から、「これからは英語だ」ということで、エリート家庭の子弟も英語を第一外国語に選ぶようになった。

マクロンはその世代だ。

時代は変わる。


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# by mariastella | 2017-06-02 17:52 | フランス

トランプ パリ協定を離脱(追記あり)

今、トランプの声明の中継を聴いたところ。

予定より30分も遅れたので、イバンカさんが必死に説得しているんではないかと希望的観測をしていたコメンテーターがいた。何しろ「パリ協定」と名のつくフランスのご自慢の「普遍的」協定だからね。

ようやく現れたトランプも、私はピッツバーグ市民に選ばれたのでパリ市民に選ばれたのではない、などと言っていた。アメリカがサインした時には世界中が拍手した、当然だ、アメリカが一番たくさん払うのだから、みたいなことも言って笑えた。

ただ、もういわゆる「地球温暖化否定」はせずに、これからも交渉を続けるかも、というニュアンスを残したのはイバンカさん対策?
とにかく延々とアメリカファーストを繰り返し、退屈したので、メモをとっていた用紙に落書きしてしまった。

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思わず似顔絵を描いてしまうキャラって、なんかこの人、憎めなかったりして。
中国はパリ条約を守ると言ったらしいので、中国がヨーロッパのパートナー認定、みたいな政治的空気になってきた。マクロンはこれを受けて、30分後に声明を出すんだそうだ。フランス時間の23時。楽しみだから見よう。
政治がどんどん劇場型になっていく。

(続き)
またまた予定より大幅に遅れてようやくマクロンが登場。
ホワイトハウスの光輝く中庭の雰囲気とは打って変わって深夜のエリゼ宮。
すでにトランプに電話して、パリ協定緩和の交渉の余地はないと告げた、と言う。
アメリカの企業や科学者で地球温暖化と戦う人にはフランスは第二の祖国と思ってほしい、とアピールし、アメリカは大切な友人ということも、一週間後に迫るノルマンディ上陸作戦の記念日を念頭にリップサービス。
その後に、フランス大統領の公式声明としてははじめて、英語で直接、「アメリカの友」に対して、同様のことを改めて呼びかけた。
トランプの「アメリカを再び偉大に」、というスローガンをもじって、
make our planet great again
とも言った。
ベルリン、バリ、ローマの市長も声明を出している。
イギリスが今のところ何も言っていないのは、BREXITを感じさせる。

私はフランスがCO2排出量の規制を声高く叫ぶ姿をもともとシニックに見ている。

世界最高レベルの原発依存国に言われたくない。
「原子力がCO2を排出しないきれいなエネルギーだ」という例のプロパガンダを思い出す。

そういえば先ほどのトランプの声明でも、アメリカは世界一?水も空気も清らかな国、みたいなことを口走っていた。ポスト・トゥルースというやつなのか。

まあFBIを敵に回して、もうすぐ何がどうなるか分からないトランプにとっては、セルフ・アピールのチャンスだったし、総選挙前のマクロンにとっても「make France great again」の担い手だと印象付けるチャンスだったのだろう。



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# by mariastella | 2017-06-02 05:34 | 雑感

『ロダン』(ジャック・ドワイヨン)2017

先日のカンヌ映画祭でも上演された映画『ロダン』(ジャック・ドワイヨン)。


ロダン死後100周年でグラン・パレでもexpoをやっている。

ロダンの作品はいわゆる「好み」ではないのだけれど、アートとは何かを考えさせられる圧倒的なオーラがある。昔はよく、ブールデル美術館(ブールデルは好み)に行った後でそのままロダン美術館に行くことでロダンの秘密を探ろうとした。

ロダンの天才は音楽で言えばラモー型だと思っていた。

それ以外では私が最も影響を受けたのはリルケによるロダン論だった。


で、この映画の切り口にも期待していたのだけれど、なんだか『アマデウス』の映画でモーツアルトがはしゃぐ姿を見た時に似た「こんな男がこんな作品を…」と肩をすくめる気分になった。


40代ではじめて国から「地獄の門」の注文を受け、カミーユ・クローデルとも出会い、スキャンダラスなバルザック像を完成するまでの10年間のエピソードの積み重ね。いわゆる伝記映画ではない。


ロダンとカミーユ・クローデルと言えば、1988年のブリュノ・ニュイッテンの『カミーユ・クローデル』がイザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューという濃い人たちの主演で鬼気迫っていた映画を思い出す。


アジャーニはすごいけれど、「演じている」というより憑依しているという感じの人だから、他と比べようがない。劇場で芝居を観た時にはもっとそれを見せつけられた。


今回はポスト・ヌーヴェルバーグのジャック・ドワイヨンの作品でロダン役がヴァンサン・ランドンだからずっと地味で「創作の秘密」を掘り下げるようなものかと期待していたら、カミーユはもちろんヌードモデルとのからみなどが多くてなんだか引いてしまった。


でも、「土」をヒエラルキーの上に置こうとして粘土をこねまわし執拗にディティールを付け加えるやり方は意外だったし、モデルを見据える目の演技も印象的で、愛人のカミーユも妻のローズも、ナチュラルでナチュラルゆえの絶望の深さ、傷の深さがかえって際立つ。カミーユとの「契約書」やローズとの追いかけあいのシーンも独特の雰囲気だ。


仕事一筋、天才、アーティストの孤独という面よりも、それらを成り立たせている肥大したエゴイズムの強靭さというものを感じてしまう。


なんというか、エゴイスティックで卑しいささいなことの積み重ねによる疲労と喪失とフラストレーションの末に、それでも生まれる天上的な作品、愛がなくても美は生まれる、地獄の門を通っても天国には行ける、という話だ。


映像や音楽(チェロが美しい)はすばらしいけれど。


アトリエの助手の中にブールデルがいるはずだけれど、と思ってみていた。


バルザック像のモデルが妊婦だったり、ガウンは、本当のガウンを石膏に浸して張り付けたものであるというエピソードも印象的だ。


ラストに近い場面で、変な着物を来た日本人女性のモデルが裸になれと言われたのに「すみません、おっしゃっていることが分かりません」と日本語で答え、ローズが入ってきて「中国人が…」なんとか言って「全部脱ぐのよ!」と叫ぶシーンがある。


で、ラストシーンだが、ロダンの死後のパリでようやくバルザック像が設置された後、突然2017年、日本、箱根彫刻の森美術館というキャプションが出て、ブロンズのバルザック像に小学生の子供たちが駆けよって「だるまさんがころんだ」と言って遊んでいるシーンに切り替わる。

この着地は、夢から覚めたように鮮やかではあるのだけれど、日本人にとっては、その前の不自然な着物の日本人モデルのシーンでの日本語も聞えているので、妙につながってしまって、効果が薄れた気がする。


ロダンの創作という興味あるテーマでこれだけいろいろ工夫しながらこの程度の結果しか出せなかったのは残念だ。



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# by mariastella | 2017-06-01 17:31 | 映画

モリエール賞とサボテンの花

先日、いつもは見ないのだけれど、珍しくモリエール賞の授賞式をTVでみた。

すべてのスケッチのシナリオを用意したニコラ・ブドスの才気と逸脱に関心があったからだ。
この人は父親も有名コメディアンのギイ・ブドスで、フランスの左翼BoBo(つまりブルジョワのボヘミアン)の典型みたいな人で、スマートな好青年風(今37歳)なのに、毒舌が多すぎて、これまで何度も罰金刑の対象になったり、脅迫されたりしている。

「シャルリー・エブド」みたいな人だ。ある意味、すごくフランス的な人である。

授賞式では、目を閉じたマクロンの画像を出したり、マクロンが高校生で演劇の主役(ジャン・タルデューの短編戯曲で案山子のコスチューム)を演じた有名な画像ももちろん使われた。

うーん、こういう演出、シナリオを見ていると、ほんとうに、例えば今の日本のテレビに出るような「お笑い芸人」には絶対期待できない過激な政治性、表現の自由、全規制撤廃オンパレードだ。文化大臣も出席しているのだけれど、「忖度」などという現象はかけらもない。

そういえば、シャルリー・エブド襲撃事件のすぐ後で、やはり挑発や冒瀆全開の催しが大々的に行われてコメディアンが活躍したのを思い出す。

このモリエール賞は別にコメディだけではなくすべての芝居が対象だけれど、その祝祭はやはり、政治的公正やブルジョワ的上品さなどを過激に壊すことを通して、「自由」を表現するのがフランスの伝統なのだ。

それでも彼らの過激さとエネルギーと演劇への情熱とに酔いそうだった。

で、その授賞式の前に昨年のモリエール賞の主演女優賞を受賞したカトリーヌ・フロの『サボテンの花』が放映されていたので観た。

映画『偉大なるマルグリット』で、音痴の歌姫がカトリーヌ・フロで、金ほしさに彼女に個人レッスンをする奇怪な歌手がミッシェル・フォーで、この個性的な2人が『サボテンの花』の主役の歯科医と助手を演じる。

私は芝居でも映画でもいわゆるラブ・コメディというのはあまり関心がない。

けれどもこの『サボテンの花』というのは、フランスとアメリカの比較文化を考えるにあたって興味深い作品だ。

元の戯曲は1964年が初演で、大ヒットして翻訳されブロードウェイでも上演された。

話はブルジョワの客を持つ中年の歯科医師ジュリアンと、若い恋人のアントニアと、歯科の受付ですべてを仕切る有能な中年の女性助手ステファヌ、アントニアの若い隣人イゴールらの込み入った関係だ。

ジュリアンは、独身で、結婚を迫られないように妻と三人の子供がいると嘘をついていた。アントニアはそれをジュリアンの正直さだと好意的にとっていた。

ある時、ジュリアンはアントニアを真剣に愛し始めて結婚を決意する。

おくさんははどうするの、と聞かれて、妻とはもう離婚の合意があるとか、妻も実は浮気しているとか、嘘に嘘を重ねていき、妻と会いたいというアントニアのためにステファヌが妻の役を演じることになる。

ステファヌは母親と愛犬と暮らしている。妹の子供たちが時々やってくる。

まあ、いろいろあって、ボードヴィルというかドタバタ喜劇でもあるのだが、ステファヌは妻役を演じているうちに意識下でジュリアンを愛していたことに気づくし、妻の役を演じているうちに「女」として目覚め、若いイゴールにまで迫られ、すべての登場人物が「嫉妬」の感情によって愛に気づくという微妙な心理劇だ。

アメリカでステファンを演じたのがローラン・バコールだった。

大人の「職業婦人」が「職場の上司」との関係、老いた母との関係、客(歯科の患者)との関係の中での「顔」から、「妻」のふり、「愛人」のふり、若い女性や若い男性との個人的な関係の発生を通して、感受性の窓が次々と開いていく、女優としていろいろな魅力を見せることのできる役がステファヌだ。

で、1969年にアメリカで『サボテンの花』として映画化され、ステファヌ役はなんと当時54歳のイングリッド・バーグマンで、若いアントニア役がゴールディ・ホーンだった。この時、シチュエーションは少し変えられて、バーグマンは独身ではなくシングルマザーという設定だ。

こういう話はアメリカ好みらしく2011年にもリメイク映画ができている。「ウソツキは結婚の始まり」という邦題で、そこでは独身の外科医が、不幸な結婚をしているという嘘をつくことで女性の同情をひいて愛人にするという設定になっている。時代の差を感じさせる。

この時のステファヌにあたる役がまだ40代初めくらいのジェニファー・アニストンだ。今や40代はじめなどとても若いので、1960年代の「結婚をあきらめた女」の設定とは、見た目も社会的なスタンスも違う。

で、2015年、60歳のカトリーヌ・フロが原作の戯曲を再現。

あらためて、よくできた芝居が「古くならない」こと、男と女の機微をめぐるフランス語の豊かさ、年の差やら身分やらを超えた心理戦などにおける「国民性」はあるのだなあなどと確認できた。

個人的には登場人物の誰にも共感も感情移入もできないにもかからわず、細部の感情の動きや感慨は確かに普遍的でもあり、また、フランスで暮らしている私の周りの具体的な誰それの行動の仕方やシチュエーションと重なるのでリアルでもある。

しかもこのセリフとこのセリフ回し。映画でなく芝居ならではの魅力が満載だ。カトリーヌ・フロとミッシェル・フォーという際立った個性派と、「若者のステレオタイプ」のようなアントニアとイゴール役の対比のバランス(その他に カリカチュラルな患者たちも彩を添える)が絶妙だ。演劇はやはり贅沢だ。


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# by mariastella | 2017-05-31 06:22 | 演劇

マクロン、プーチンと会う

ロシアのピョートル大帝がはじめてパリにやってきた1717年から300年、ピョートル大帝をテーマにした展覧会がヴェルサイユのグラン・トリアノンで開催され、その開幕にプーチンがやってきた。

プーチンは選挙運動期間にル・ペン女史に会ったり、フィヨンを支持するコメントを出したりしているのでマクロンとは微妙だ。

朝のラジオでフランスのロシア大使は、ロシアとフランスの今の緊張はウクライナ、シリアと、すべて別の国が原因になっているので、ロシアとフランス自体の昔からの絆は変わらない、と強調していた。

プーチンの保守主義とマクロンのリベラルという価値観の違いはあるけれど理解し合える、と。

そして今になって、ちょうど10年前にサルコジがG8サミットではじめてプーチンと会談した直後に記者会見の場に現れた時の様子が何度も流された。


明らかにふらついていて話すこともしどろもどろ、当時は、ウォッカを飲まされたに違いない、と言われていた。

しかし、プーチンもサルコジもアルコールを飲まない。

それが今になって、あの時は実はサルコジはプーチンに脅迫されてショック状態にあったのだと暴露され始めたのだ。それが単に「言葉だけのものではなかった」とも言われているのだけれど、完全には説明されない。

その時のG8におけるサルコジについて、ベルギーのテレビがまさに「上級生のいる運動場に入って興奮している下級生のようだ」と揶揄して、後から謝罪している。

そのために、先日のG7でのマクロンのパフォーマンスが注目されたのだ。

マクロンはうまく立ち回った。

で、次は注目のプーチン。「力関係」が決め手だとはマクロン自身も言っていて、用意周到だろう。

まず、最初の出会いの握手

握手しながらマクロンがすぐに左手でプーチンの腕に触れると、プーチンもすかさず触れ返した。

さて、午後、ヴェルサイユ宮殿の「戦いの間」での記者会見の中継をネットで全部見た。会見が終わって握手して2人がカメラに背を向けて去る時にマクロンの腕がプーチンの背にあてられた。マクロン得意の、「上から労り」ジェスチャーだ。

すごいなあ、大した度胸だ。

プーチンはヴェルサイユに来たのは初めてで感嘆している、と言った。

場所の選定も、ピョートル大帝の記念という口実も、G7の直後というタイミングもうまい。サンクトペテルブルク生まれのプーチンはピョートル大帝を尊敬しているし、ロシアはフランス文化に憧れていた。

記者会見でより多くしゃべっていたのはマクロンで、ロシアの触れてほしくないチェチェンでのLGBT迫害だの、大統領選中にスプートニク通信社が報道したマクロンがゲイでゲイのロビーに支えられているという噂についても、デマやプロパガンダを垂れ流すものはジャーナリズムだとは見なさないと言って名指しで批判した。

シリアやウクライナ問題についても言うべきことは全部言い、それでもことを進めるためにプラグマティックに解決する用意があるとも言った。

選挙運動中に言っていたことをすべてそのまま口にしている。

もとがトランプのような暴言ではないので、一貫しているという意味だ。

会見の様子を見て、マクロンはプーチンと対等に話した初の大統領だ、などとコメントした人がいた。

もしマクロンの対ロシア外交がアメリカへの従属に終わるなら大失敗だと言われていたが、これはまず成功の部類だろう。

会見の背景に映る両国の国旗も、ロシアも三色旗(上から白、青、赤)なのだが、白を真ん中にするフランス国旗の方がはっきりしていたし(マクロンの顔が白地の前になる)、その後ろに並べられたヨーロッパ旗が、フランスはフランス一国でなくてヨーロッパが背後についているという威嚇と同時に、フランスがヨーロッパの旗手であるという風にも見える。いや、そう見せる意志が伝わってくる。

10 年前、何があったのかは知らないがあのサルコジをすら打ちのめしたプーチンに対してともかく「対話」をした。(オランド大統領にいたっては建設的なことは何もできていない。)

こんな風に書いているとまた私は「マクロンびいき」だと言われるかもしれないが、実は、日本のことを考えていた。

マクロンとプーチンの会見を見ていて、安倍首相とプーチンの会見のことを思い出して暗澹としたのだ。日本の政権とメディアをめぐる今の状況を憂えているので、記者会見でのやり取りを聞いて、そのことも考えずにはいられなかっのだ。

日本の為政者にとって他国の為政者と対等でいられるということはどういうことなのだろう。

G7の首脳を伊勢神宮に連れて行っても、それはヴェルサイユのような意味は持たない。ロシアに関しては、プーチンをわざわざ地元の宇部に迎えてその後に山荘に招いて「温泉でゆっくりどうぞ」なんてあまりにも…敵を知らなさすぎる。

ロシアとの歴史と言えば日露戦争だったりするし、一度だって憧れを持たれたことがないと思う。

欧米の国で伝統的に日本文化に「憧れ」を持っている唯一の国はフランスなんだけどね。

表現の自由、メディアの独立性、外交においても言うべきことをきっちり言うこと、説得力を持たせること、展望があること…。

スポーツの試合では対戦相手のプレイのビデオを何度も見て、相手の弱点などを分析して戦略を立てるなどということがよく知られている。

国際関係に携わる人はなおさら、歴史の経緯も含めて勉強、研究が欠かせない。内向きのポピュリズムで満足している場合ではない、とつくづく思う。


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# by mariastella | 2017-05-30 02:18 | フランス

G7サミット、マクロン、トランプ、ローマ法王

トランプ大統領は「無難にこなした」初外遊を終えて、嵐の吹きまくる自国に戻って今頃は大変だろうなあ。

もともとトランプとローマ法王の会談の三つのテーマは、移民難民、イスラム、エコロジーだった。

トランプがメキシコとの「壁」を公約した時にローマ法王は「橋でなく壁を作るのはキリスト者ではない」と言っている。イスラム教国からの入国禁止の処置も基本的に「国教のない」カトリック教会と真っ向からぶつかるものだし、オバマによるパリ会議の批准(守らなくても罰則規定はない)を無視しようという公約も、地球環境保護キャンペーンの先頭に立って回勅を出しているローマ法王と対立する。

でもフランシスコ教皇はエジプトから帰る飛行機の中の記者会見では、「会わないで人をジャッジすることはできない」と言って、トランプをあらかじめ弾劾することはなかった。

パリ条約はいうまでもなくフランスの誇りみたいなイベントだった。大規模テロのあったすぐ後だったけれど世界中の代表者を集めて成功させたという文脈があるし、京都議定書と違って、二酸化炭素の最大の排出国アメリカと中国にも批准させたからだ。

で、フランスはローマ法王がまずトランプにエコロジーのことで「説教」するのを期待していた。その後でマクロンがNATOでのトランプとの会見でプッシュして、G7で合意させる、と。

結局ローマ法王との会見はほぼ意味がなかった。

難民移民問題についてはもともと移民国家であるアメリカの内部で司法や議会が機能してトランプは譲歩せざるを得ない状況だから、ローマ法王がことさら何か言う必要はない。

イスラムへの偏見の問題にしても、ローマに来る前にサウジアラビアで「兵器産業の上客」へのリップサービスで平和を訴えたし、イスラエル・パレスティナでもちゃんと模範的にふるまった。

だから残りはエコロジー問題だけだったのだけれど、結局、「平和を目指す」合意のようなものしか出なかった。トランプに環境問題の回勅をプレゼントしているから、まずこれを読みなさい、ということになったのかもしれない。

(でもサウジでスカーフを被らなかったメラニアさんは、バチカンではちゃんと黒服で黒ヴェールを被っていたし、ミケランジェロの最後の審判の前にも夫婦で立った。メラニアさんは歴史的にはハプスブルク圏カトリック国スロバキアに生まれたのだが、当時の共産主義下で幼児洗礼は受けていなかった。現在はきっちりと日曜ミサに出るカトリックで、今回も聖母像の前に花束を捧げたり、教皇にロザリオを祝福してもらったりしていた。カトリック国の首長夫人は教皇に合う時に白服と決まっている。ヴェールはプロトコルの義務ではなくメルケルはバチカンでもかぶっていない。オバマ夫人はかぶっていた

ついでに言うと聖公会の長であるエリザベス女王は前はプロトコルに従っていたが、自分が教皇より年長になってから?は、「規制緩和」した。最後は薄いパープルのスーツだった。)

でG7に話を戻そう。マクロンのことを、最初は「上級生の運動場に出ていく下級生(高学年の遊んでいるところに混ざる低学年の生徒、または高校生の中庭に出る中学生のようなイメージ)」みたいな表現があった。

テレザ・メイやトランプだってこれが初G7だったけれど、見るからに貫禄がある。

マクロンは「貫禄」がない。若さとエネルギーでは「貫禄」に立ち向かえないのでオーラが必要だ。

で、フランスのメディアからの評価はまずまずだ。

世間では「フランス人もEU離脱を望んでいる」などという報道のされ方もあるが、

フランス人は、EUが嫌いなのではない。

フランス主導のEUは好きなのだ。

第二次大戦後、最初にドイツと和解してEUの元を立ち上げた時から、

ドイツに稼がせて貢がせて、

うちは戦勝国だけど、お宅を対等に扱いますよ、

と「政治主導」のヘゲモニーを持つ、

というEUが好きなのだ。

だから、マクロンがEUの中で存在感を増して、

イギリスは勝手に出ていくから、G7参加のEU3ヵ国のうちで、

ドイツとイタリアって、敗戦した枢軸国だしさあ(うちは占領されていたけれどそれは関係なし)、

ヨーロッパの真の旗手はイエス・キリストやナポレオンと同じ若いボクだよね、

というオーラを振りまいてくれるなら、

EUもフランス人に好感度アップというところか。

実際、メルケル首相が、環境問題の合意を妨げたアメリカの態度に不満を隠さなかったのに、マクロンはなぜかオプティミストだ。

自信満々なので、一週間後だと言われるトランプの方針表明がパリ協定寄りになることを知っているかのようだと希望的に推測する人さえいるくらいだ。

アメリカがパリ協定離脱を表明すれば中国やインドだって続くかもしれないし、批准した途上国への援助も難しくなる。マクロンがなんというのか聞いてみたい。

まあ、今は、G7の様子がネットなどを通してあちこちに配信されるので、全体としてマクロンが例の父性的演出を駆使して堂々とプロとしてふるまったのに比べて、トランプの方は、しぐさも発言も、アマチュア感がぬぐえなかった。

そういえばG7で、マクロンがトルドー首相との雑談で、「子供の話」が出て「私には孫が7人」と答えていた。

日本に昔「七人の孫」っていうテレビドラマがあったのを思い出す。

孫も七人になると、家父長のオーラが出てくるのだ。

トランプは3人の夫人との間に5人の子と8人の孫がいる「部族長」だけれど、「若い妻」がいるというクラシックなオーラでは新鮮味に欠ける。

フランスの総選挙が迫っているが、これまでは、フランス人はロジックだからいったん新大統領が選出されたら大統領の党に過半数の議席を与えて一貫性を求めるというのが通説だった。

はたしてどうなるのだろう。


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# by mariastella | 2017-05-29 00:13 | 雑感

「忖度」とグラムシのヘゲモニー論

今年の流行語大賞候補とか言われている「忖度」という言葉。

これを聞くと、グラムシのヘゲモニー論を思い出す。

20世紀イタリア共産党の創始者グラムシの唱えた「ヘゲモニー」とは、法に依る権力や経済権力による「支配」とは別の、

「指導」や「同意」として行使される権力の形態のことだ。文化による権力だともいえる。

これはまさに今話題の文脈における「忖度」の定義のようだ。

ヘゲモニーとは「同意を積極的に調達するもの」ということだが、「忖度」そのものだ。

自発的な同意を行使させる「忖度」だけではない。

日の丸君が代を起立して歌い敬う「指導」がいつしか処罰をともなう強制に変化してきたように、「忖度」を拒否する人を監視し取り締まる「共謀罪」も成立しようとしている。

安倍一強のヘゲモニーは、出生率の向上や女性の就労支援などといった生き方のありようそのものにまで広げられている。これもグラムシの分析した「生き方を含む対抗文化」の戦略を裏返しにしたものだ。

阿部首相は安保法制の議論の中で「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と言ったそうだけれど、ヘゲモニーを可視化しすぎ。

グラムシは「新しい時代」を切り開くにあたっての知識人の役割を強調した。

政治とは哲学にひとしい。ある文化圏の中に強固な地層を残している哲学は批判の対象になる。

歴史的に形成された文化と知の要素を批判的に洞察する必要がある。そのためには「すべての人は知識人である」必要がある。

ポピュリズムの対極にある考え方だ。

となると、出自を「でじ」、便宜を「びんせん」とか読む文科副大臣がいたり「云々」を「でんでん」と読むリーダーがいたりする政府によって、無批判に「戦前」の思想を持ち上げられてヘゲモニーを形成している国って…。



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# by mariastella | 2017-05-28 00:08 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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