Reconnaissance とAcceptationについて考えていた。
後者はすんなり受容と訳せるけれど前者は「了承、了解、認知、容認」など微妙。 考えていたのは、この認めるけれど受け入れられないもの、認められないけれど受け入れるものが混在しているということだ。 個人的で卑近な例でいえば、コロナ禍の人通りの少ない屋外でのマスク着用の必要など到底認められなかったけれど、フランスの場合の罰金可能性、日本での他人の眼、などの理由で、ずっと受け入れていた。 あるいは、同じコロナ禍でいうと、病院のキャパシティに限界があるから運ばれてきた患者をトリアージュして、若者を優先するなどのやり方など、理解はできるけれど、感情的には受け入れられないことなどだ。いろいろなプラグマティックな政策も、信条的に、思想的に受け入れられないことも多々ある。 この認めることと受け入れることは違う。 それを混同したくない。 このバランスをどうとって生きていくかというのが一瞬一瞬の選択だと言うことを忘れたくない。 最近、カミュのノーベル文学賞受賞スピーチの録音を久しぶりに全文耳にして、いろいろ考えさせられた。生の声というのはやはりインパクトがある。 日本語で全文紹介できないかと検索したらこの部分しか見つからなかったけれど、ここだけ読んでも、カミュの頃と今と、深刻さは変わっていないというか、ひどくなっているばかりだなあと思わざるを得ない。 (ちなみにこれを訳しているのは母の従弟だ。まだお元気だろうか。) フランス語ではもちろん全文読める。 このテーマを引き続き考えるためのメモとしてここに残しておく。
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by mariastella
| 2023-07-21 00:05
| 人生
Arteでやっていた『フェルメールの帽子』というのを視聴したら、一年前のモントリオールやケベックで知った「カストール」戦争の意味が別の次元で照らされるようだった。特に英仏、そしてアメリカとの関係ばかり観察していたけれど、17世紀前半のオランダの重要性にあらためて気づかされた。 ケベックで泊まったワンダケ(ユーロン)のホテルの部屋にあったカストールの毛皮の艶も思い出す。(この先住民センターのことも番組に出てくる。)フランスがワンダケをイロコイ族から守ってカストールの毛皮の取引をするという歴史は分かっていたが、オランダがイロコイ族に銃器を渡したことで、ワンダケが3万人から3千人にまで減ったということまでは把握していなかった。 絵柄とプロテスタンティズムとの関係もそうだが、オランダがマンハッタン島を先住民から安く買ったこと、北アメリカのカストールは撥水性もヨーロッパのカストールよりも高く、雨の多いオランダではカストールのフェルト帽が実用的でもありステイタスでもあったこと、世界で最初の「証券取引所」がアムステルダムにできた経緯、中国進出への憧れ、江戸幕府とオランダとの取引に至るまで、いろいろなことが有機的につながってきた。 フランス語OKの方は必見。 (過去記事 参考) #
by mariastella
| 2023-07-20 00:05
| アート
パリの12区は、47年前に深い縁を結ぶことになった場所だ。
でも、それ以来、ほんの限られたカルチエしかなじみがない。 6月初めに晴天の続いた時、12区のアリーグル通りにある文化施設「アンサンブルの家」(Maison des ensembles)の主宰するお祭りに参加した。 アリーグル広場。 #
by mariastella
| 2023-07-19 00:05
| フランス
ナタリー・エニック(Natalie Heinich)については、芸術社会学やの文脈で知っていたけれど、今はアメリカの大学の影響下にあるアカデミズムの中で高らかに反ウォーキズムを唱えるユニヴァーサリストとして、私にとって好感度絶大だ。
学問的な場(闘技場という言葉を彼女は使う)と政治的にアンガジェする場を分けて執筆する方針にも賛成できる。 ウォーキズムには全体主義のメンタリティがあるというのにはまったく同感だ。自由社会で広がっているかのように見えて、結局さまざまな「検閲」が大手を振ってまかり通る。そこでは、サイエンス、合理主義より、イデオロギーが優先する。その過激化は、「痴愚の洗練された形」に過ぎない。 フランスには、バダンテール夫妻やベルナール・カズヌーヴら、フレンチ・ユニヴァーサリズムを標榜する左派がいるのに、それはもとより地道な啓蒙で、ポピュリズムや全体主義的には広がらない。SNSで盛り上げてカルト宗教のように人を集める次元にはないから、どんどん埋もれてくる。 LGBTなどに対する彼女の考えは私の考えと同じだ。 ジェンダーや性自認や逆差別に対する考え方も同じ。 極端な被差別環境に置かれている場合をのぞいて、人が自分の国籍だの人種だの性別だの性的嗜好などを意識するなどは、人生の一時期でしかない。 意識する時でも、毎日、24時間それらのアイデンティティのくびきに縛られるわけではない。ほとんどの時間は、「人間」であり「人格」であり「自分」であるだけだ。 イギリスも国民の一人一人を人種、出身国、性別、宗教などで細かくカテゴリー分けする国だが、アメリカではそれが130種にも及ぶという。 たとえばある人の人種、出身国、性別、年齢、宗教帰属だけでなく、両親や祖父母に至るまでのそれが公に記録されるらしい。 日本はまたまったく別の社会的文脈の国だが、どうしてあっさりとアングロサクソン発のポリコレを受け入れるのか理解できない。 日本ももともとは家族共同体や地域共同体の絆が強かった国だと思うけれど、明治維新、敗戦、都市の核家族化、少子化、見た目の多様性が少ないなどで、フランスとは違った意味で鷹揚な普遍主義ができていたはずなのに、どうしてこんなことになったのだろう。 ちなみに、ナタリー・エニックのルーツは、ユダヤ系ウクライナとプロテスタント系アルザス(普仏戦争の後フランスに移った)からの移民だ。バダンテールもそうだけれどこういう人が普遍主義を掲げてくれるのがフランスの心強いところだと思う。 彼女の話はいろいろなところで視聴できるがここにはこれを貼っておく。学問の世界にウォーキズム、コミュノタリズムが侵襲することに警鐘を鳴らしている。 #
by mariastella
| 2023-07-18 00:05
| フランス
メディ・ジャーディ(Mehdi Djaad)という役者が一人で15役をつとめる芝居『カミングアウト』はカトリックの小さな教区で演じられてからパリの大劇場オランピアにまで進出した人気作だ。
メディはアルジェリア系、つまり「移民の子孫」として生まれ、貧しい生活、学業の放棄などを経て、カトリックに「回心」して改宗した。イスラム系の国では死刑にすら値するほど不可能なことだ。ところが演劇に目覚めて演劇の学校に通うようになると、周りのアーティストたちは、無神論者がデフォルトであることを知った。啓蒙の世紀とフランス革命を経た共和国フランスでは「自由=知性=無神論」がセットになっていたのに気づかなかったのだ。 家族や友人のムスリム社会でカトリックであることをカミングアウトすることも、アーティストの仲間にカトリックであることをカミングアウトすることも、微妙なことだった。(21世紀の若者は変わってきた。毛沢東に心酔したような共産主義シンパがオピニオンリーダーだった戦後の「インテリ=左翼=無神論」が天安門事件などで息をひそめてしまったからでもある。) 日本で「実存主義」が流行ったころ、サルトル(プロテスタント)やボーヴォワール(カトリック)がある日、「神はいない!」と覚醒して「自由」を手に入れた、というような話を聞いていたものの、日本人にはぴんとこない。 神仏に祈る習慣に子供の頃から懐疑心を抱いた思想家などのエピソードを聞いても、それほど「罰当たり」とも思わないし、影響も受けない。 宗教の「教義」を強く信じたり、行動規範を固く守ったりする人たちももちろんいるのだろうが、戦後生まれで都会の核家族に育った私のような人は、宗教と文化や伝統は同じような「空気」の中にあったのでタブーを構成していなかったと思う。 フランスでも、ユダヤ人やムスリムとの一神教同士の確執とは直接の関係がない東アジア人ということで、キリスト教やカトリックへのシンパシーを表明しても、それほど反発は感じなかった。 メディは有名なコメディアンのガド・エルマレとも共演している。 ガドは、モロッコ生れのユダヤ人だが、カナダの教会で聖母マリアと出会い、神秘的関係を隠さないでそのカミングアウトを種に映画も撮っている。(彼はモロッコ公室のシャルロットとの間に子供がいて、子供のカトリックの洗礼を受け入れている。) ガドが、どんなに聖母マリアに心酔していても自分がユダヤ人であることは揺るがないというのは、日本人がカトリックの洗礼を受けて教会に通っても日本人には変わらないというのと同じくらい自然だ。 一昔のフランス人にとって「神を信じる」かどうかがアイデンティティの根幹に問われることだったのが、今はイスラム世界からの多くの移民のうちに改宗者が出たり、逆に彼らに影響されて「無宗教」フランス人がムスリムに改宗したりということも「よくあること」になった。 ガドやメディのような人気スターが自由に考えを述べ、表現することで、68年世代の「無神論イデオロギー」の要塞が崩れている。 メディは、フランスの「表現の自由」を感謝、称賛している。 それはほんとうだなあと思う。 (5月半ばに日本からフランスに戻ってから日本の女性週刊誌をネットで読んでいたら、屋外の「園遊会」で皇族が全員マスク姿なのを見て驚いた。岸田首相はサミットでせっかく「欧米並み」ノーマスクの映像をせっせと拡散していたのに、園遊会に出席できるほど健康な皇族が顔の半分を覆うマスクをつけたままなのだ。 これでは出席者も当然マスクなのだろう。 それを見ていると、日本のマスクは「建前」は個人の判断で「自由」でも、「実態」は、自由とはほど遠い、と思わざるを得ない。 マスクはそれが可視化している例だけれど、きっと「表現の自由」を含むすべての面で、「建前の自由」と「実際の不自由」が乖離しているということだろう。) #
by mariastella
| 2023-07-17 00:05
| 演劇
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