L'art de croire             竹下節子ブログ

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ジャン=リュック・イエネールの『地獄』Jean-luc Jeener

ジャン=リュック・イエネールの『地獄』

完全にマイ劇場と化したThéâtre du Nord Ouestのこれも完全にマイ戯曲家(今回は出演もしている)と化したジャン=リュック・イエネールが「宗教とライシテ(政教分離)」のシリーズで問う新作『地獄』を観に行った。


重病のもたらす痛みに耐えられずに自殺願望を口にする重篤の夫を前にして悲嘆にくれる女性のところに、夫の友人である一人の司祭と一人の女性歴史学者が呼ばれる。同時に夫から呼ばれていたのは黒い長い司祭服を着てやってきた保守的な教区の司祭だった。彼は死にゆく男の最後の告解を聞いて赦しを与えてから終油の秘跡を与えて魂を天国に送るというのだ。

男は幼児洗礼は受けているが、教会から離れた無神論者だったはずだった。

妻も友人たちも驚く。

男は人格者であり、友人である司祭にとっては、無神論者であろうとなかろうと、男はその愛のわざによって救われている。告解をきいてやるなど考えたこともなかったし、男がそれを望んでいるのも知らなかった。

男の妻は、男が自殺するのをとめたい。


告解して秘跡を受けたその後で自殺しても天国に行けるのですか?

と司祭にたずねると、それはダメ、地獄に堕ちる、と保守派の司祭は断言する。


それを聞いている進歩主義の司祭は苦笑い。

彼にとっては、神はイエス・キリストを送って人の心につながることでアダム以来の罪を救ったのであって、何をどうしたらどこに行くとか行かないとかの理論はもはや本質的ではないからだ。

けれども、死の瀬戸際にある人間にとって、は元気な頃の思想信条がどうあれ、救われるのか救われないのか、などという言葉のディティールが思いがけない重みを持ってくる。


宗教史の女性学者マリーは、アリウス派についての研究書を出していて、保守派の司祭もそれを読んでいた。

何が異端で何が正統になってきたのかという歴史を研究していたら、その産物のひとつである一教派の教えを絶対化する教条主義など無知蒙昧の証しであると見えてくる。

「あなたのように、カトリック教会が人を脅かすための古臭いメソードである地獄をいまだに振り回している人を見たら、カトリックを捨てた自分の判断が正しかったとあらためて思うわ」、とマリーは保守派司祭をあざ笑う。

 

果たして、死の床にある男が3人にあてた手紙が開かれ、その中には、若い頃に誤って犯した殺人についての告白が記されていた。

死が近づくにあたって、その罪の重さは彼を苛み、社会的には時効が成立しているが、司祭による神の「赦し」を必要とする心境になったということであるらしい。

衝撃が走る。


自分たちの第一の務めは「魂を救う」ことだ、と「やる気満々」の保守派司祭。


死の前の弱い状態だからと言って、友人がそんな蒙昧の世界に舞い戻ることは許せない、正気ではない、と思う歴史学者。


そして、今そこにいる「友人を愛し、寄り添う気持ち」の方が、所詮神の業でしかない「魂の救い」に優先するという実感の中にいる進歩派の司祭。

その彼も、友人が、「魂の救い」について司祭である自分に頼ってくれなかったこと、別の司祭を呼んだことに対しては苦い思いを禁じ得ない。

そういうそれぞれの思惑が、ただただ絶望し嘆きわめく、男の妻のつくり出す絶望と怒りの空気の中で微妙にからみあってくる。


「死ぬ時まで神を信じ続けられるのか」「死ぬ時にこそ神を信じられるのか」、などのいろいろな人間的な疑問が2人の司祭と反カトリックの学者との間で互いにエスカレートしたり壁に突き当たったりする。

うーん。すごくフランス的だ。

結局、一見かなり「普通のフランス人家庭」であったこの「夫婦」であろうと、司祭になった男たちであろうと、どういう立場であれ、もとは「普通に幼児洗礼を受けた人たち」であるわけだ。それが、長じて無神論的イデオロギーに出会ったり、あるいは普通の意味で、子供が親の影響から逃れ出て自立する過程の一部として、「カトリック的なもの」と決別したりする。

その中で敢えて、「イエス・キリスト」と出会った者、「呼ばれた」者は、司祭の道を選ぶが、その間には「信仰の夜」を経験するなどいろいろな試練がある。それらを経て、なお司祭としてとどまった者は、「信仰」を内的なものとして人々との愛の中に生きようとするか、人々との「魂の救い」のためにがんばるか、という道に分かれる。

日本なら、神社でお宮参りをしたとか七五三を祝ったとかいう「家庭の行事」について大人になってからその宗教的意味を自問する人などまずないだろう。クリスマス・ツリーのそばにあるサンタクロースからのプレゼントをもらった思い出について宗教的なアイデンティティに悩む人もいないに違いない。

キリスト教の歴史についていろいろな角度から調べているという点では、この芝居の中に出てくるマリーと私は似たような立場だ。異端の歴史を始めとして歴史的展開を見ていると、いわゆる教義のようなものがどんどん相対化されていくのもよく分かる。

でも私の場合は、それによってキリスト教の呪縛から解放されていくというのはない。最初から縛りがないからだ。

神が存在するとかしないとかを考えることなしに初詣で手を合わせて賽銭を投げることに抵抗がない多くの日本人と同じく、現実のキリスト教の組織が官僚化していようが偶像崇拝があろうが、それに対する拒否感から神を信じられなくなる、というような深刻な悩みなしにキリスト教シンパとして研究もすることができる。

神との関係も多分、良好。神が困っていたらなんとか助けてあげたい。

たとえ神と出会えなくとも、神を探している人たちと出会うのは大好きだ。

日本でなら、こんなふうに言ったところで、「無神論者」から馬鹿にされたり攻撃されたりすることもない。

でも、フランスで、こういうテーマを正面から取り上げるのは、21世紀の今でもやはり勇気がいるだろう。無神論者を攻撃するイスラム過激派との確執が深くなっている今ではさらに微妙なテーマだ。

芝居が終わってからイエネールと話した。

今回はThéâtre du Nord Ouestの小さいほうのホールが使われた。

観客は15人か20人くらいだった。席が全部埋まっても30人くらいしか入らない。

この芝居については、今回こちらのホールを使いたかった、ここでは、観客の重力が伝わる、感じられるとイエネールはいう。500席の劇場では絶対にない感覚だという。

観客としての私は逆だ。前の席に座っていると、登場人物と1メートルしか離れていなかったりするので、そんな登場人物たちが同じ場面にいる私たちに気づいていないかのようにお話が展開するのを見ていると、まるで自分が透明人間になったような気がするのだ。

私は芝居の登場人物らを見ているのに、彼らは、私を見ていない。私は見えていない、という感覚だ。でも、役者たちは、私たちの重力をずっしり感じているというのが意外だった。いや、透明人間だからこそ、重力だけがひしひしと伝わるのかもしれない。


そこに、保守司祭の役を演じたジャン・トムが加わって、イエネールは自分とは正反対の進歩派の司祭を演じて大変だったよね、みたいなことを言った。イエネールは、いや、愛し合うという福音が一番重要だというのはぼくの意見でもある、と答えた。

イエネールはがちがちの保守派と見られているとでもいうのだろうか?

カトリック作家であると自動的にそう思われるのだろうか。

私は彼の著作をキリスト教についてのものも含めてかなり読んでいるので、彼のリベラルなアーティストの感性と、信仰の真摯さというもののバランスをかなり良く理解できる気がしている。神学者でもあり、「受肉の演劇」「キリスト教戯曲」の意味を追求し続けるイエネールの文字通りすぐ近くでたまに時間を過ごせることは本当に贅沢だと感謝する。もっと続きますように。


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by mariastella | 2017-11-20 00:05 | 演劇

ローマ法王の異端糾弾

ローマ法王の異端糾弾、と言っても、ローマ法王が誰かを異端だと言って糾弾しているのではない。

糾弾されているのはローマ法王その人なのだ。

家族に関する司教会議の後でフランシスコ教皇が出した教勅「Amoris loetitia」(2016/3/19付け、公開は4/8)について、すでに、同年6月に、枢機卿会筆頭のアンジェロ・ソダノ枢機卿に対して、45人の神学者が連名で、教勅の中の19の提案について批判の手紙を出した。それらの提案は、異端を暗示し助長するものだという。

さらに、2017/8/11、ついに、62人の連名で、今度は教皇に直接長い手紙が送られた。

その「異端の伝播に関する副次補正」が9/24に公開された。

最初の部分は、このように教皇を批判することが自然法においても、キリストの法においても教会の法においても正当であることを説明するものだ。「歴代教皇たちの教義における不可謬性」と両立しないことを教皇が言った時に信徒はそれを批判する権利がある、ということだ。

この教勅とそれに関する教皇のコメントは教会内に信仰とモラルに関するスキャンダルを引き起こした、モラルや、結婚や、聖体拝領の秘跡について司教たちが神の啓示による真実を護ろうとしている時に、異端の言説がまかりとおり、教皇から叱責されないで黙認されている。

逆に教皇に疑問を呈した者には沈黙によって無視している、と言う。

疑問というのは教皇からの返事がないというので201611月に公開された4人の枢機卿による質問状のことだそうだ。

今回の「補正」が「異端」とするのは、再婚者が聖体拝領を受けて「救い」至ることができる可能性についての提案(2)などを含む七つである。

そして今カトリック教会がこのような状態に至った理由はふたつある、という。

1. 神は教会に最終的な真実を与えてはいないという近代主義解釈

2. マルティン・ルターが教皇に及ぼす影響

だそうだ。

もともと第二ヴァティカン公会議以来、カトリック教会がプロテスタント化したという批判は常に内部で存在した。

今回の62人は国籍も多様でそのほとんどが神学者か大学教授、聖職者も信徒もいる。

フランシスコ教皇が全面改革を目指すヴァティカン銀行の前責任者のエットーレ・ゴッティ・テデスキ(2009年に解雇された)や最近ルーヴァンのカトリック大学から追われた哲学者ステファン・メルシエ、アンチ・イスラムのビデオ発信で知られるパリの司祭ギイ・パジェスも名を連ねているから、政治的な匂いもする。

聖ピオ10世会の総長ベルナール・フェレーの名もある。

聖ピオ10世会は2009年に破門を解かれ、フランシスコ教皇からは赦しの秘跡の有効性を認められた。

そのことを、ヴァティカンとの妥協だと見なして不満な会員に向けててのスタンドプレーかもしれない。

フランシスコ教皇が、

バリバリの伝統主義者に手を差し伸べることと、

排除されていた再婚者に手を差し伸べることは

どう考えても同じ「寛容」の裏表だと思うのだが。

政党でもそうだけれど、なんでもかんでも踏み絵を踏ませて党首の色一色で全体主義に道をつけるよりも、多様性を共存させる幅や懐の広さや深さというのは大切だと思う。


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by mariastella | 2017-10-02 03:49 | 宗教

猿でもわかるパラダイス その1

問1 なぜパラダイスは上にあるの ?

多くの文化で「善」に向かっての進歩していくことと「天に上る」ことはセットになっています。そのせいで、パラダイスは天にあることになりました。縦方向のシンボル性がとても強いです。神が十戒を記した板を渡したりイエスが訓示を垂れたりしたのも「山の上」ですね。と言っても、「彼岸」「あちらの世界」が地獄だの天国だのという空間で表現されたとしても、それは物理的な場所ではありません。

Sekkoのコメント

うんうん、やはり人間が空を見上げた時の広大無辺な感じが「あちらの世界」をイメージさせるのかも。阿弥陀来迎図も雲に乗ってやってくるシーンだし。


でも、死者の国が「水平線の彼方」にあるという信仰もあり、それもナチュラルな感じはする。今村昌平の「神々の深き欲望」で難解の孤島から沖に流される小舟のシーンは強烈で「海の向こう」の死者の国というイメージが焼きつけられた。


死者の国は地下にあるという道教的イメージを教えてくれたのは私の『ヨーロッパの死者の書』(デジタル版で読めます)を訳してくれた台湾の潘さんだった。そこは別に地獄でなくて死者が生前と同じように暮らしているのだとか。日本留学中に故郷のお父様を亡くして、そういうパラレルワールドでは「喪」が完成しないで悩んでいた時に私の本と出合って翻訳を決意したという話だった。


亡くなった親しい人が「お星さまになって見ているからね」、と言ってくれるイメージは一番心やさしい気もする。(「完成に向かって上昇していく」なんていうイメージは少なくとも私にはない。)


注: カトリック雑誌(La Vie 2008/10/30)を訳出したものですが、読むと同時に訳しているのでそのまま先に書いているあることは分からないままのコメントです。


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by mariastella | 2017-09-27 02:34 | 宗教

宗教共同体の変化や被昇天のことなど

聖母被昇天祭、2年ぶりに、パリ19区のビュット・ショーモン近くにある被昇天のノートルダムのビュット・ショーモン教会に行って軽いショックを受けた。


今年は遠出が不可能だったので、パリの中にある被昇天のノートルダム教会の別のところに行ってみようと思った。
教会の建物や歴史として圧倒的に興味深いのはリボリ通りの近くにある教会だけれど、ここはポーランド語教区教会となっていて、ミサも全部ポーランド語だし、いかにも熱心なポーランド人が集まりそうなので、こういう特別の祝日にいくのはなんだか敷居が高い。
16区にも被昇天のノートルダム教会があって、ドーム屋根をもったまあまあ感じのいい19世紀末風の教会だけれど、こういう日は16区のブルジョワ・カトリックのメンタリティが芬々としていたりして…と思って、パス。
結局、お話が圧倒的にうまいルヴェリエール師のいる19区なら、少なくとも興味深い説教が聞けるだろうし、と考えて、19区にしたのだ。

教会の名前が被昇天のノートルダムなのに、この日に取り立てて何もないのは分かっていた。

その後、聖遺物の「拝観」やら、
元気印のルヴェリエール師とは何度も個人的に話もして好感度は高かった。

ところが、去年は行っていないのでいつからこうなったのかは知らないが、今回行ってみると、
「被昇天のノートルダム」の名にふさわしいというか、もう被昇天一色で、運河から船に乗ってのノートルダム大聖堂への巡礼まで付いていたのだ。

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こんな感じの聖母子像の神輿みたいなのも飾られていて、これを4人で担いで行く後を外の広場まで「行列」したり、その他にも被昇天のタペストリーも飾られ、教会内のあちこちにイエスの聖心の絵がかかって蝋燭に火がともっている場所だとか、いろいろできている。驚いた。

2年前は、被昇天祭だから被昇天の名のついた教会に行ってみようと思ったので、もしこんな感じだったら満足したと思う。けれども、2年前には聖母のアイン・カレムの訪問の話しかしていなかったのに…。

今回はしっかりと被昇天の教義の由来やら、神学的解説を延々として、あまりにも真剣なので、ルヴェリエール師ではない別人かと思ったくらいだ。あの陽気さ、楽しさ、喜びに満ちた感じが消えて、すぐに祈りの中に沈潜する黙禱が何度もあった。

アペリティフの時に私を見つけてにっこり笑って再会を喜んでくれたのでやっぱり彼だったと分かったのだけれど、たった2年で、同じ祝日の演出や雰囲気がこんなに変わるなんて。

ひょっとしてアイン・カレム信心会の人たちが中心になっていた?

変な話だけれど、よくパリの郊外のモスクで、原理主義のイマムが着任してあっという間に「過激化」してしまう、というのを連想してしまった。radicalisation、ラディカルになる、イスラムなら過激化と言われるが、カトリックなら「急進化」とでもいうニュアンスになるかもしれない。
別に他の宗教や宗派の批判をするわけでもないし、社会や政治の批判をするわけでもないし、ただ、熱心な信心会の雰囲気、というそれだけのことだ。

私が驚いたのは、2年前とのあまりにもの違いだった。
それを見て、とまどって、
なるほど、同じ宗教共同体の同じ場所の同じ行事でも、いくらでも変わるのだなあ、
と感心したのだ。
イスラム教の普通のモスクで普通の礼拝をしていた人たちがいつの間にか聖戦の煽動に洗脳されてしまうことだってあるだろうなとリアルに想像してしまった。

早い話が、2年前の9月の献堂式、大司教が梯子を昇って12の十字架をよろよろとひとつずつ祝別していた時、列席していた壇上の司祭たちがいっせいにスマホを向けて撮影していた。だから、他の会衆もみんなあれこれと撮影した。

ところが、今回の聖母像や行列も、何だか気軽にカメラを向けることなど絶対にできない雰囲気だった。
広場に出てようやく、という感じだ。

ルヴェリエール師が目を閉じている間が長く、目を開くと天を見上げる動作が多く、2年前の「マーフィの法則って知ってますか?」というあのノリは影も形もない。

いったい何が起こったのだろう。

もともとインスピレーションに満ちたカリスマ風だったのは確かだ。
でも前はそれが喜び、親しみ、若々しさ、親愛の道を通して個性的に熱く語りかけてくる感じだったのが、
普通に保守的、伝統的になっている。そういう意味では急進化という言葉は当たっていない。

今回初めてここに来たのなら、何も感じなかった。
リーダーが変われば社風や校風が変わるということはあるだろう。
同じ共同体だと思っていても、人間の集まりって、時と場合や特定の人の恣意や歴史の大きな流れによっていくらでも変わるのだなあという、当たり前のことを考えさせられた聖母被昇天祭だった。

と長々と書いたが、一番の収穫はやはりルヴェリエール師の説教で、被昇天のAssomptionという言葉の語源がassumerというのと同じだということを意識したことだ。
これまでは「ad sumere」で「上に運ばれる」というのでキリストのように自力で? 昇天するのでなく、聖母は天使によって上げられる「被昇天」だという理解ばかりだったけれど、キケロの時代のラテン語でassumptioというのはまさに、決意して、あるいは納得して引き受ける、という assumer だったという。

神が人となることや、聖母が神の子の母となることに、合意した、決意した、引き受けた、ということと、被昇天とは関係しているのだと思うと奥が深い。





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by mariastella | 2017-08-16 02:43 | 宗教

ウィーンの話 その4

シュテファン大聖堂の「宝物館」には、工芸として立派な祭服だの聖体容器、聖杯、聖遺物入れなどの他にカトリックのフォークロリックな「聖遺物」がたくさんある。

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十字架を担いでゴルゴタへの道を行くイエスの顔を拭ったヴェロニックの布だとか、

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最後の晩餐のテーブルクロスだとか、

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イエスの十字架の木の一部だとか、

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茨の冠の棘だとか、

こういうものって、例えばヨーロッパ中にある十字架の木の聖遺物を合わせると森ができると言われるほど、どこにでもあるといえばある。たいていは、4世紀のコンスタンティヌスのあたりから、エルサレムに行っての「聖遺物収集」が始まって、それがイタリアやコンスタンティノープルで崇敬されていたものが、十字軍の時代にコンスタンティノープルから収奪してきたということになっている。
また、神聖ローマ帝国の皇帝やヨーロッパの王とローマ教皇とが対立していた時に何度も侵略や戦争があったので、フランス王やらドイツやオーストリアの王、皇帝、選挙候などもイタリアの各地からメジャーな聖遺物を収奪したりしている。
ケルンの大聖堂などはミラノから略奪した東方の三博士の遺骨を納めるために建設されて、その威光でローマに肩を並べるほどの大巡礼地となった。つまり経済効果があったわけだ。
十字軍の騎士たちに「聖遺物」を売りつける商人たちも跋扈していた。
存在が確認さえされていない三博士はもちろん、あきらかにでっちあげやら真偽のあやしいものはたくさんある。
しかも、手に入れた経緯は略奪やら時には他の巡礼地から盗み出すなど、到底、立派な行いとは言えないものが多く、これらこれらの夥しいメジャーな聖遺物は、巡礼者に宣伝するのは別として、基本的にひっそりと、つまり、本物であることを「強調する」とか「証明する」というようなロジックと別のところで祀られている。

これらの聖遺物を「本物」にするのは、巡礼者、信仰者を集める「実績」であり「ご利益」や「奇蹟」の「実績」であるからだ。聖遺物は崇敬されることで「本物」になり、崇敬による一種の集団サイコエネルギーみたいなものが、「奇跡の治癒」を生み出していく。

中世の人間とはいえ、本気でこんなものをありがたがっていたものだろうか、とその本気度を疑いたくなるかもしれないが、当時の王侯貴族が「毒消し」のために食器や飲み物入れに異常な神経を使っていたことを見るとそれが別の角度から分かってくる。彼らは常に毒殺されるリスクを抱えていて警戒していた。だから食器やカップなどを毒消しの効果のある動物などで装飾したり、毒消しの効果のあるとされていたヤギの胃の石灰化したものをくりぬいて金細工してコップにしたりしている。

医学の発達していない時代に、病気や怪我や中毒などは神罰やら運命やらに一撃される不可抗力の恐れだった。
いいというものにはすべてすがってみる、というのは信仰や迷信というよりもっと実存的な欲求だったのだろう。

このような聖遺物崇敬の「迷信」はプロテスタントから一笑に付され、一掃されたわけだが、ましてや明らかに出自のはっきりしない聖遺物について、今のカトリック教会はもちろん大っぴらに宣伝するわけもないし、新しく公認された「聖人」の真正の「聖遺物」だって、「それがどうした?」と部外者に言われればそれまでなのだから、中世の王侯経由で聖堂や修道会に伝わるコレクションについては、崇敬されてきた歴史を尊重するだけで、「真偽」を問うようなことはしない。

で、この大聖堂が捧げられたイエスの使徒ステファノ、聖シュテファンの聖遺骨はどこに?どこに? (続く)

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by mariastella | 2017-08-12 07:10 | 宗教

スウェーデンのカトリックと移民、難民  その1

スウェーデンのストックホルムのカトリック大司教が6月末にローマ教皇から「枢機卿」に任命された。次の教皇を選ぶ選挙権もある枢機卿はカトリック行政の上では教皇の下の最高位だ。(霊的にはすべての司祭の上に上下関係はない)

ヨーロッパの国の首都の大司教なら枢機卿になるのも順当に思えるかもしれないが、実は、スウェーデンでは初めてのことだ。

なぜなら、スウェーデンはいわゆるプロテスタント国で、カトリックは人口の2%というマイナーな国だからである。

スウェーデンの宗教などについてはここで書いている

しかも、67歳のアンダース大司教、

カトリックには20歳で改宗した人で、


元カルメル会の修道士で、


プロテスタント改革以来、はじめてのスウェーデン人司教(それまではドイツ人やポーランド人が任命されていた)だという。

なるほど。


日本のカトリックもスウェーデンよりさらにマイノリティで、昔は外国人司教ばかりだったけれど、戦中の国策ですべての外国籍司教が辞任して日本人司教に代わっていった経緯がある。20世紀の世界大戦で中立国だったスウェーデンではそういうナショナリズムはなかったのだろう。


アンダース大司教と共に枢機卿に任命された他の4人のうちの2 人もマリとラオスという「非カトリック国」の人であることも、カトリックは「カトリック教会」にとっての辺境や周辺地域でこそ仕えなくてはならないという今の教皇の方針を反映しているのだろう。

で、もっと驚いたのは、ルター派の福音ルーテル教会をスウェーデン国教会としているバリバリのプロテスタント国だと思っていたスウェーデンが、実は、今は世界でも有数の非宗教、非信心国であるという話だ。多くの国民は「キリスト教」が何であるかも漠然としか分かっていない完全な「ポスト・キリスト教」社会なのだそうだ。(宗教帰属意識が低いと言われる日本人にとって冠婚葬祭から初詣や各種の祭りなどけっこう「信心」行為のハードルが低いのと比べ物にならないようだ)

で、もっと驚いたのはそんなスウェーデンで、カトリックが今人気になりつつあるという話だ。プロテスタント離れしてしまったので、過去にあったアンチ・カトリックの偏見はほぼ消えてしまった。それどころか、今は注目されている。

それは「スウェーデン国教会」に対してカトリックが超国家的でユニヴァーサルだということで、スウェーデン内のいかなる共同体よりも、カトリック共同体は文化的にも民族的にも多様性があるからだという。

国教会に集まる「信者」は、人種的にも世代的にも社会的にも似たような人たちだが、カトリック教会に集まる「信者」は100以上の国籍が共存していて、多くの移民がいる。

そういえば、スウェーデンと言えば、2013年にシリアからの難民を制限なくすべて受け入れると宣言していた。今や国民の5人の1人は外国生まれだともいう。

ラテン系や旧植民地国も多く人種の混ざり具合が大きいフランスなどと違って、金髪碧眼率の高い北欧諸国では中東やアフリカの難民、移民は目立ちすぎて同化できないんじゃないかとか、カトリック教会が勢力拡大に移民を利用しているんじゃないか(ベルリンの例など)などというこれまでにも書いてきた私のゲスの勘繰りは、ほんとうに、ただゲスなだけなんだろうか…(続く)


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by mariastella | 2017-07-30 01:10 | 宗教

前川さん証言と詩織さん事件 その2

これは昨日の続きです。

前川さんと出会い系バーのことで私が連想したのはアンリ・マレスコ―という人だった。

アンリ・マレスコーは、1943年生まれで今年74歳。

ヴェルサイユのブルジョワ家庭に生まれ、フランス最高の学歴のひとつエコール・ポリテクニックを卒業。50歳でその母校の総長になる。

56歳で陸軍大将、58歳で全軍総監察官という華麗な経歴。

22歳で結婚した妻との間に5人の子供と、今は19人の孫がいる。

55歳から、ヴェルサイユのリセの生徒たちのためのカトリックの教理のクラスでボランティアをしていた時に、司祭から「終身助祭になるつもりはないか」と言われた。終身助祭とは、司祭叙階の前の段階としての助祭ではなく、助祭としての役割のみを果たすものだ。結婚や洗礼の司式はできるけれどミサの神降ろしの一種である「聖変化」の秘跡はできない。妻帯者でもなれる。

マレスコーは助祭になる勉強を始めた。妻は驚いたという。

その彼も、教区の手伝いをする意思はあったものの、59歳で、突然パリの娼婦の支援機関で奉仕するように言われた時は自分も驚いた。

教会の奉仕者は「まず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ奉仕者の務めに就かせなさい(テモテへの手紙一/3,10)」と聖書にあるようにそれは一つの試練なのだと思って引き受けたという。

その2年後、ヴェルサイユで助祭に叙階され、さらに5年後には自分で「タマリス協会」を立ち上げて、売春組織の犠牲者の女性支援に携わっている。

2017年だけでも、5月までで350人の女性が、無条件の援助、行政、司法、医療の手続きなどの支援を、30人ばかりのボランティアを通して受けている。そのうち150人以上が売春から抜け出すことができた。

週2日パリの事務所を解放して相談にのったりフランス語を教えたりする他に、二週間に一度は、2人組で町や森に出て、客待ちの娼婦に声をかけて相談にのる。女性たちはほとんどがナイジェリアで騙されて売られてきた。皆ひどい目に合っている。タマリスでは友情と連帯も得られ、フランス語の勉強もできる。(2前まではほとんどが東欧の女性だった)

マレスコーの活動を紹介するビデオがある。
接触するポイントは、娼婦たちに会いに行くときにかならず男女2人組でいくことだ

車を停めて降り、ボンジュールと言い、握手して、私服警官ではなくて売春婦支援団体のメンバーであると告げ、フランス語のレッスンを受けられることを伝えて携帯電話の番号と名刺を渡す。それを毎回繰り返す。

センターはムーラン・ルージュの向かいにある聖女リタ(『聖女の条件』参照)のチャペルの上にある。そこに来ればコーヒーとケーキがふるまわれる。週二回の午後に50人から75人がやってくる。
対応するのは15人のボランティアだ。

まず、話を聞くこと。
生活を変えたい、という女性が多い。
フランス政府の支援で国に帰る手段があると伝える。
フランスに残りたいという人には仕事を見つける手助けをする。
95%は不法滞在者で、滞在許可を得るのは難しく時間がかかることを告げるが、モチヴェーションがあれば支えていくことを約束する。

このマレスコーさん、いかにも上品でエレガントでエリート中のエリートで、家庭にも恵まれ悠々の老後を満喫するのが似合いそうなのに、パリの盛り場で、貧困の犠牲者である売春婦たちに囲まれて一生懸命に話を聞き、相談に乗っているわけだ。

彼がただの「上流階級の慈善活動家」ではなくカトリック教会の助祭というステイタスがあることが、彼を助けるボランティアにとっても彼に助けられる売春婦たちにとっても、「信頼」の基礎になる

たとえ同じモチヴェーションがあったとしても、文科省次官がオフの時間に一人で出会い系バーに出かけて若い女性を連れ出して話を聞いて援助すれば、当然、第三者がスキャンダルに仕立てるのは簡単だ。

社会のメジャーの側にある強者が最底辺の弱者に奉仕しようとする時、パリで長い間社会福祉を担ってきた歴史と伝統のあるカトリックのストラクチャーが残るフランスは恵まれている。

マレスコーさんのような使命感のあるエリートは日本にもいるだろう。
出会い系バーで買春者を待つ若い女性の話を聞いてアドヴァイスをしたいと思う人がいたとしても不思議ではない。

前川さんがどんな方なのかは私には分からないけれど、「あんな場所に行って下心がないはずはない」などと決めつけるのは想像力の貧困さの現れであって、ひよっとして、経済的な貧困よりももっと深刻な何かの喪失を示唆しているような気がする。

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by mariastella | 2017-06-08 00:39 | フランス

パリのファチマ

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これを書いている5/13は、ポルトガルのファチマで3人の牧童に聖母マリアがはじめて姿を見せた日から100年の記念日。

ファチマではフランシスコ教皇が巡礼して、幼くして病を得て死んだフランシスコとヤシンタという2人を聖者の列に加えた。殉教者ではないはじめての子供の聖人となる。

私は去年の秋に一足先にファチマの巡礼に行ったから、親しく感じてパリでの記念ミサとロザリオの集まりに出て見た。フランスにいる移民で最も多数なのはポルトガル人だ。ポルトガル人とのハーフの数もとても多い。で、パリには、 ポルトガル人の教会と称されるところがある。ファチマのノートルダム教会とも言われ、ファチマの聖地の出張所みたいな格付けになっている。ファチマの聖母の言った通り、毎月13日(12日の夜)にロザリオの祈りがささげられる。
この教会は19区の端にあって、第二次大戦後のパリ解放の記念に建てられたゴシック様式のもので、十字架のイエスが栄光の姿であるところが近代的。
かなり広いが人はいっぱいで2階席も使われた。
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ロザリオの祈りは、先唱が、病の床にある人の嘆息のようにひそやかにはじまり、「大声を出さないように」と何度も注意がある。ロザリオの祈りというとつい機械的に繰り出されるし、ファチマで聞いたのも念仏みたいなものだったが、ここでは、隣の人の祈りを聞きなさい、とまで言われた。そうしてはじめて共同の祈りとなる。なるほど。

司式をした司祭はユーモアもあって、

実は今からファチマの秘密を公開します、

と宣言し、それは十字架のイエスが、自分の母をもうママンとは呼ばずに、婦人よ、と呼んで、全ての人のママンとして捧げ、新しい母性を創造したということです、と言った。だからみんなは聖母をママンと呼んでもいいのだ、と。

その後で、献金の籠が回される前には、

ファチマの第二の秘密も明らかにしましょう、

聖母は、銅アレルギーなのです、
紙が好きです、

と言って笑わせた。

で、1ユーロ以下の銅貨は入れられず、見ると、5ユーロ札が一番多かった。
ヨハネ-パウロ2世の聖遺物もあった。
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入り口では私も去年ファチマで買った公式ロザリオなどが売られていた。
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途中でも最後にも、「ファティマのノートルダム、」「私たちのためにお祈りください」という掛け合いが三度続いた後に、二人の子供の新聖人の名が「聖」を冠して呼ばれて「私たちのためにお祈りください」、と続く。聖人の連祷という奴だが、この三者に限定したところが新鮮だ。早逝したこんな子供たちが、突然「聖ナントカ」と呼ばれて祈りの取次ぎをたのまれても戸惑っているかもしれない。

ともかくここのミサでは跪く人の割合も高くて、アヴェ、アヴェ、アヴェ・マリアという時に掌を上に向けて高く上げる人の数も多く、化体(聖変化)の時には鈴音が響くし、聖体拝領を手で受けない人の数も多い。ポルトガル風味だ。

でも、こういう場所のこういう「演出?」を見ていると、フランスのような国で選挙戦を戦うような人は、少なくとも教会でどういう典礼がどのように行われ、どういう言葉が使われているのかを熟知している必要があるなあとあらためて思う。マクロンがイエズス会の学校で洗礼を受け「超越の存在」から使命を託された印象を述べ、愛を持って謙虚に仕えるなどと語るルーツは多くの人からサブリミナルにキャッチされているのだろう。



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by mariastella | 2017-05-14 03:16 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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