L'art de croire             竹下節子ブログ

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マクロン、マリヘ行くーー女性国防大臣の意味は?

マクロンのはじめてのヨーロッパ外の訪問は、アフリカのマリのフランス軍駐留地で、7時間いて、閲兵した後は兵士たちといっしょにセルフサービスのテーブルについた。

フランスの国防大臣はオランド政権の5年間、ジャン=イーヴ・ドリアンが続けて存在感を示していた上に、早くからマクロンを支持していたので、続投かと思ったら、欧州・外務大臣に任命された。
要職だから文句はないとしても、新国防大臣にシルヴィー・グラールを当てたのはなんとなく分かる。

マクロンは「大統領は軍の総帥」だということを強調したかった。
もともとナポレオン路線をたどっているから、「軍隊を率いる」というイメージはもっともシンボリックなものである。
就任式の後、シャンゼリゼでパレードした時に普通の車でなく軍用車に乗り込んだのも明らかにそのための演出だった。
年長者に対してやたら「父性的」なしぐさをすることは前に書いたけれど、兵士たちの前をゆっくり歩く足取りも、それを意識している。

そんな「ナポレオン」に、ドリアンのようなベテランの国防大臣は「不都合」だろう。

シルヴィー・グラールは首相候補だともささやかれていたベテランの欧州議員だ。
実績、実力は問題ない。「国防」大臣のポストは、「戦争」大臣、「軍隊」大臣(今回はこれに戻った)など名前はころころ変わるのだが、やはり圧倒的に男性が占めてきた。

フランス史上最初の女性国防大臣はシラク時代のミッシェル・アリオ=マリーで、この人は最初の女性大統領になるかもと言われたくらい見た目もなかなか堂々としていた。彼女がこのポストに就いたのは、2002-2007で、シラクとル・ペン(父)が決選投票した後だ。その後はまた男性が続き、マクロンがル・ペンと決選投票になった後でふたたび女性国防大臣が登場したのは偶然だろうか。
ル・ペンと言えば、ジャンヌ・ダルクを政治利用することで有名だ。
ル・ペンを選挙戦で敗退させた後で、軍隊に女性大臣を配することには隠れたメッセージがあるのかもしれない。

何かと男女の同権や平等が言われる時代だ。女性大臣と言えば教育とか文化、健康、厚生などのポストを受け持たされることが多いことも批判される中で、「軍隊」という伝統的に男の世界のトップに女性を据えること自体の「政治的効果」はもちろんあるだろう。日本でも、稲田朋美防衛大臣が女性初の小池百合子(2007)に続いて2番目だ。

マクロンの場合は、女性国防大臣を置くことで、やはり「真のリーダーは男である自分」、ナポレオンのように軍の先頭に立つリーダーなのだ、ということを「自然に印象付ける」という効果もあって一石二鳥というところか。

この人のやることはすべて計算し尽くされている。
果たして計算通りにどこまでうまくいくのだろう。

しばらく姿を見せなかったル・ペン女史もピカルディの選挙区に姿を見せた。
決選投票で58,2%を獲得したエナン=ボーモンだ(すでにFNのスティーヴ・ブリオワが3 年前から市長をしている。この人は大統領選の間FNの臨時代表をしていたが、TVでのコメントを見ているとまるでFNのイメージのカリカチュアみたいだった。16歳からFNに入ったというからすごい)。

娘と敵対していた父のル・ペンも独自候補を出さずに支持に回った。笑顔を振りまく彼女の姿がまたメディアに登場した。

エナン=ボーモンに住んでいなくてよかった。

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by mariastella | 2017-05-20 06:58 | フランス

新内閣のスポーツ相とブラックフェイス

今回のフランスの新内閣の構成で、男女の同比率はきっちり守られたし、出身階層や学歴についてもいろいろ分析されていた。閣僚全部で88冊の著書があるとかいうのもフランス的だ。政治家の本はよく売れるし、フランス人は今でもクリスマス・プレゼントに単行本を贈り合うのが珍しくない。

でも、何しろ公の「人種別統計」が禁止されている国だから、閣僚の「人種」のバランスは問題にされない。

今回の唯一の黒人閣僚は、ローラ・フェッセルで、スポーツ大臣、過去のオリンピックで金メダル2度、世界チャンピォン6度を征したフェンシング選手(エペ)である。

黒人閣僚は、海外県担当大臣(別枠)を除くと、近年有名なところではラマ・ヤデやクリスティーヌ・トビラという大物がいたが、ローラ・フェッセルも含めてみな女性だというところが意味深長だ。

アメリカではオバマ大統領の登場も含めて黒人問題は今も重要テーマだけれど、フランスではかなり温度差がある。とはいえ、アメリカの影響で寄り注目されるようになっている。

3、4年前だったか、『エル』の女性ジャーナリストが黒人女性に扮した写真が差別だと問題にされた。

あるパーティで、ファンであるビヨンセの妹に扮した写真をインスタグラムにアップして批判されて叩かれ謝罪したのだ。

「黒塗り」はコスチュームではない、と抗議される。

アメリカとは歴史が違うから、差別への感受性も違う。

ヨーロッパでは「ナチスの仮装」の方が罪が重い。

1980年代初めのフランスでは黒塗りのコメディアンが「アフリカ人」というタイトルでコントをやっていた。

今なら完全にレイシストだ。

シェイクスピアの『オセロ』は16世紀以来白人俳優が黒塗りで演じてきた。ヴェルディの『オテロ』も白人歌手が黒塗りで歌う。

日本でも二期会の公演の写真を見ると、テノールの福井敬さんが黒塗りで歌っている。

劇団四季のミュージカル『ライオンキング』を東京で観たが、黒塗りではなく「アフリカ人」をメークしていた。

同じ『ライオンキング』がパリでは全員黒人歌手やダンサーだったことに驚いて、なるほどなあ、と思ったことがある。

オペラ『蝶々夫人』での白人歌手の「日本人メーク」の歴史もいろいろありそうだ。

アメリカでは白人が黒人を演じる「ブラックフェイス」というのが19世紀にジャンルとして確立した。

映画で有名なものに黒人歌手を描いたものがある。


1964年からはもちろん自粛された。

今はいわゆる「仮装大会」でしか見られないが、それでも問題になるわけだ。

フランス映画のコメディで女性のブラックフェイスを描いたのもあったっけ。

で、その逆のホワイト・フェイスというのはない。

一般に、女性の男装は、男性の女装よりも社会的に容認される。

女性として生まれてしまったにかかわらず、男性という「上位」に倣い、希求するのは上昇志向でOK。

せっかく男性として生まれたのに、女性という「下位」に身をやつすのは脱落者。

黒人の場合は、それが少し歪んで、

白人が黒人に扮するのは動物に扮するのと同じファンタジー(差別)、

黒人が白人のふりをするのは越権で許せない。

あるいは、社会的な差別体系の中で上位の者が被差別者に扮するのはそもそも「差別」の一形態であるから、逆のケースはあり得ない。

ローラ・フェッセルの場合は、競技種目がそもそも剣を使って戦う剣術だ。

そしてフランス語がつかわれるフランスっぽい競技。

記録を競う競技でなく相手を破って勝ち取る競技。

そこでチャンピォンでオリンピックの旗手も務めたローラ・フェッセル。

で、黒人。

で、女性。

2024年のオリンピック開催を目指すフランスにとっていろんな含意がありすぎる人選だ。






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by mariastella | 2017-05-19 03:00 | フランス

『アエラ』のマクロン記事にびっくり 

フランスの大統領選についての日本語の記事を偶然、ネットの雑誌記事で見て驚いた。

日本の個人のブロガーなどが的外れなことを書いていても別に気にならないけれど、アエラって朝日新聞社の雑誌じゃなかったっけ?(5/22号 p58-59)
しかも、編集部とライターの署名記事。

突っ込みどころが多すぎる。

タイトルからして

《「ナチスの教訓」が勝った》

というのだ。

ドイツじゃあるまいし、フランスが極右を排除しようとするのは、口をそろえて「共和国精神に反する」からで、この建前だけは、なかなか外せない。

そしてサブのテキストが

「仏大統領選で有権者が選んだのは、同国史上最年少の大統領となる元銀行員。」

だって。

「銀行員」!!

政治家として官僚として最高のエリートのグラン・ゼコールを出た人なのに。
「銀行」と言ってもロスチャイルドの投資銀行に3,4年いて大口の買収を成功させて何億ユーロと稼いだ人。

その後、大統領の特別顧問、経済相になった男を「元銀行員」。
フランス語を本気で読み違えているのだろうか。「元銀行家」ならまだしも・・

>>無所属の「泡沫候補」でしかなかった人物<<

に期待が託されたのはまるでトランプ選出を見ているかのようだ、だって。

マクロンは社会党に属して大臣だった頃にすでに自分の団体を立ち上げて気勢を上げていた。
若いし確かに最初はまさかとは思われたが、知名度では「泡沫」どころではない。

「グローバリズムへの反発」が起こって、「傍流が主流になる選挙」だとも書いてある。

メランションが勝ったならそう言えるけれど、マクロンはグローバリズムの勝ち組で推進者だ。

「かろうじてEUに残ることを決めた有権者たち」

というのもおかしい。もともとEUに入ることをフランスから拒否されていたイギリスが抜けたこととはまったく意味が違うし。

記事の下のコラムもひどい。

例によってマクロン夫人のことで、まず、

「超・年の差婚」にも寛容な大人の国ですが…

というキャプション自体が不愉快。こんなところに「寛容」という言葉を使うのも嫌だ。

「高校生だったマクロン氏が、高校教師だったブリジットさんを前夫から奪った略奪愛。」

という解説も不愉快。女性は前の所有者から「略奪」されるものなのか。

>>7人の孫を持つ女性とは思えぬ美脚が自慢で、レザーパンツやミニスカート、ハイヒールがよく似合う。
微塵もコンプレックスを感じさせない熟女の星だ。
日本では「母のくせに」「妻のくせに」となどと非難されそうなものである。<<

これもひどい。孫は自分で生むのではないから年のとり方とは関係がない。
コンプレックスを感じさせないところが「熟女の星」だなんて。

彼女は、インスタグラムにアップしようと高校の屋上で危険な写真を取っていた生徒数名が停学処分になった時に、彼らを負傷者のいる病院でボランティアで働かせることを提案したという。ほんとうに怪我をした人たちとその周囲の人たちがどういう状態になるのかを知らせることが最も教育的ではないかと考えたからだ。障害のある生徒にも積極的に関わってきた。

先日、娘のインタビューを聞いても、非常に好感が持てた。

私はシカゴ学派の別名のようなグローバリズムはフランスの「共和国主義」と伝統的な社会民主主義路線に反すると思っているので、マクロンのやり方そのものには賛同していない。

でも、アエラのこの記事の的外れ具合とコメントを見て、ショックを受けた。
コラムも署名記事で女性のライターのようだ。

こんなのでいいのか、日本?












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by mariastella | 2017-05-15 05:37 | フランス



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