L'art de croire             竹下節子ブログ

タグ:フランス語 ( 3 ) タグの人気記事

マクロンとフランス語

トランプ大統領の語彙が貧困だというのは有名だ。
日本の首相たちも漢字の読み方を間違えていることを何度も指摘された。
サルコジは俗語を使ったり悪文を弄したりしていた。
オランド大統領も文法の誤りを指摘されたことがある。

フランスでは「フラランスとはフランス語」だと言われるくらいに、フランス語への思い入れは深い。

マクロンは高校の演劇で出あったフランス語の教師と恋に落ちたくらいだからフランス語の能力は高い。
今回の大統領選で彼の勝利を決定的にしたマリーヌ・ル・ペンとの最終討論で彼が披露した語彙は話題になった。

若いのに古臭い言葉を使う、と言われもしたけれど、文学や哲学の教養は確かだ。

リストに上がった単語は、

La poudre de perlimpinpin

Galimatias

Saut de cabri

Antienne

Broutard


どれも文脈で大体わかるけれど私が使ったことのない言葉ばかりだ。
ペルランパンパンなんて、オノマトペが語源で、これですっかり有名になってyoutubeで出回った。
私も使ってみたくなる。

最後のBroutardは全く知らなかった。
その他にも、別の折に、イタリア語由来の In petto  やアラビア語由来の Chicaya なんて言葉を使っている。

私はバロック・オペラの歌詞を知っているし、古典もまあ読んでいるから、古臭い言葉は割と分かる。
今の若者の俗語や略語やネットの言葉みたいなのはフランス語でも日本語でもよく分からない。

どちらにしても、39歳の新大統領の語彙が豊富でうまく使いこなせるというのは「フランス」にふさわしい。

マクロンと言うとロスチャイルド投資銀行で働いていたということで「金持ちの手先」のように批判されるわけだけれど、マクロンの前にはポンピドー大統領もロスチャイルド銀行で働いていた。ポンピドーも詩に造詣が深くフランス語の教養があった。

そういえば、当選の夜のルーブルのピラミッドの前でのスピーチで、歩いてきた時はEUの歌である「喜びの歌」だったけれどオーケストラ演奏のみで歌がなかった。
ベートーベンでドイツ語だから、それでなくともEUはドイツに牛耳られているというル・ペン女史の言い分を想起させるようなミスをおかすことはできない。
スピーチの後のフランス国家の「ラ・マルセイエーズ」は曲だけでなくフランス語の歌詞をマクロンも人々と共に歌っている。
そのシンボリックな意味は小さくない。

スピーチの背景のピラミッドをフリーメイスンだという人もいたが、三角形は天と地を結び、三位一体の「父と子と聖霊」が共和国の「自由・平等・同胞愛」の三つの標語に置き換えられたことのシンボルだと言う人もいる。

サルコジが「(それまでのフランスから)断絶する」、オランドが「金融システムと戦う」などと言っていたのに対してマクロンは「愛を持って仕えます」とスピーチを結んだ。「謙虚に仕えます」とも言っていた。
その辺は完全にキリスト教の優等生的な言葉だ。

総選挙では男女半々で428人の候補を立てると今日発表されていた。
マクロンの「En Marche!」は「La République en Marche(REM)」と名を変えたようだが、EMはマクロンのイニシャルであると同時に「エム」と読め、つまり「aime(エム: 愛する)」の含意もあったそうで、言葉へのこだわりがここでも見られる。

言葉を制するものはリスペクトを得られる。
マクロンのスピーチで繰り出されるフランス語をウオッチングできる5年間になりそうだ。

[PR]
by mariastella | 2017-05-12 06:24 | フランス語

ジョルジュ・ペレックがフランスの文学殿堂入り。

ジョルジュ・ペレックがガリマールのプレイアッド・コレクションに収録されて、立派な「古典」の墨付きを得た。

で、例の有名な「eを使わない小説」である『La Disparition(消失)』にちなんで、ラファエル・エントヴェンがeを使わないで今朝のラジオでコメントしていた。すごい。(こういうの

私はクロスワード系のパズルが好きで、よくやっているが、もちろんまず注目するのはEで、eはたいてい最初に書きこめる。eを使わないクロスワード・パズルがあったら結構つらいだろう。ちょっと見てみたいが。eのないパズル。

で、まさかこの本の邦訳は日本で出ていないだろうと思ってペレックを検索したら『煙滅』というのがあった。
「煙滅」って何? でもこれが一番似ているかも、と検索したら、
やはり『La Disparition』だった。い・き・し・ち・に・・・など「i」のシラブルを使わないで訳したのだという。
だから「消失」は「し」が二度も出てくるからアウトで「煙滅」なのだ。

なかなかアクロバティックだ。
こんな技は、PSの時代でなければ不可能だろうなあ。
まず日本語をローマ字で書いてみて、i を含む言葉をすべて換えて、i が消えるまで工夫するのだろうなあと思った。

試しに今の上の文

「まず日本語をローマ字で書いてみて、i を含む言葉をすべて換えて、i が消えるまで工夫するのだろうなあと思った。」

には、

日本語の「に」と「ローマ字」の「じ」、「書いてみて」の「い」と「み」、「消える」の「き」の5文字が「い」を含む。

意外に少ない。じゃあ、書き換え。


「まず和文(または翻訳文)をアルファベットで打ったあと、i を含む言葉をすべて換えて、i がなくなるまで工夫するのだろうなあと思った。」

うむ、わりと簡単かも。

と言っても私は日本語を打つときは、日本語キーボードではひらがな入力(ローマ字入力より1.5倍のスピードで書ける)なので、量が多いとどうなるだろう。
特にフランス語の翻訳などカタカナ語が多いと、ローマ字入力はとても効率が悪い。

たとえば 「FRANCE」は6文字、日本語で書くときはこれを「フランス」と日本語で考えるからそのまま打って4文字。
けれどもローマ字入力すると「furannsu」とその倍になって、その上、アルファベットの綴りが違うから脳内で不自然な中継地点を通ることになる。昔は「腐乱酢」などと変換されることもあったっけ。

なんにしろ、言葉遊びはおもしろい。

どこかの国のリーダーたちと違ってフランスの政治家たちは語彙が豊富だから、彼らを観察する方も、やはり「語彙を広げること」が必要とされる。

でも大切なのは語彙が全体でどういう意味を持つかである。
ペレックの小説も、単にeがないだけではなく、自由とか消失、表現の縛りが内容と深く関わっているのだ。
グザヴィエ・ドランの映画『マミー/Mommy」を連想させる。
普通の映画の画面のサイズから両サイドを切り落とした形の正方形の画面は、単に斬新な試み、というだけではなく、テーマの核と結びついている。(この映画については後日書きます。映画コメントがたまっているので少しずつアップします)

[PR]
by mariastella | 2017-05-10 02:37 | フランス語

改宗と宣教の違い?

フランス語と日本語のニュアンスの差に愕然とすることが最近いくつかあった。

ひとつはカトリックに関する日本語のサイトで、エキュメニズムを批判している記事の中で日本のカトリック教会が他宗派や他宗教を招いて祭壇の前でみな並んで云々というのを批判している人のものだった。

他の宗教の人が祈りを捧げる時に十字架や聖体の前ではまずいだろうからと十字架を外したり聖体櫃の場所を移したり云々とというのはいかがなものかという話もあった。

パリの仏教のパゴダでよく行く諸宗教の平和の祈りなんかの行事では、どでかい金ぴかの仏像の前でイスラムもユダヤもキリスト教も平気でパフォーマンスをしているのを見ても誰も何も思っていなかったけれど…。

で、カトリックは他の宗派をリスペクトするあまり、自分の教会で何かをする時に遠慮しすぎている、とかいう文脈で、何しろ「改宗は教会法で禁じられているから」とあった。
まあ教会法の前後を読めば、禁止されているのは「改宗の強制」「強制的な改宗」だと分かるし、それには、帝国主義の歴史の中で、カトリック教会が行ってきた強制改宗の歴史などを反省してという文脈も分かるのだけれど。

それにしても「改宗が教会法で禁止」って、「宣教しても改宗させるな」ということだと誤解を招くのではという人がいるわけだ。

この話は2009年8月のマニラでのアジア司教協議会総会というところで教皇名代のアリンゼ枢機卿が「福音宣教は即改宗を意味しない」ことを強調した、と日本の司ある司教が報告して「改宗させることは教会法でも禁じられているという。」と書かれたことへのリアクションらしい。

実際に枢機卿が述べたのは、

 Papal delegate Cardinal Francis Arinze opened an assembly of Asian bishops in Manila, stressing the Eucharist's transforming power, and emphasising evangelisation rather than "proselytism, which is forbidden by canon law."
だそうで、

Proselytism, on the other hand "seeks to influence people to embrace a certain
religion by means that exploit their weak position or put some other pressure on
them," he said.

ということだ。

で、問題となる「教会法748」というのは

「すべての人は、神及びその教会に関する事柄の真理を探究する義務を有する。かつ、認識した真理を受け入れ、保持する神法上の義務及び権利を有する。なんびとも、他者の良心に反して、カトリック信仰を強制することは許されない。」

というもので、要するに「信教の自由」という基本的人権思想にのっとったものだ。
キリスト教が最初は迫害されてきて、後にローマ帝国の国教となるなど政治と結びついた時点から迫害する方に回ってきて、などという歴史の末に、たどりついたものだ。
そういう歴史を背負っていない宗教がメインの文化圏では、近代理念としての「信教の自由」を言われても受け止められ方の実際はわからない。

で、この「改宗」のproselytismはフランス語では「prosélytisme」。

Prosélyteはギリシャ語では新参者という意味だったけれどラテン語のproselytusになると改宗者ということになる。

(マタイによる福音書/ 23, 15
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。 )など。

これも文脈から見ると、強引に教義を押しつけるという感じである。

20世紀末からは完全に「カルトの勧誘」に使われて、ネガティヴな意味になった。

だから私などはフランス語でプロゼリティスムと聞くと、「カルト宗教の勧誘」くらいしか連想しない。

「正しい宗教」「老舗の宗教」は勧誘しないし、してはいけない、みたいな感じだ。

アメリカの教会が米軍を通じてアフガニスタンで大量に聖書を配ったり、リビアのカダフィがイタリアで聖書を配って「イスラムは全ヨーロッパの宗教にならなくてはいけない〉と言ったりしたのはプロゼリティスムだと言われる。
「強制的」というより「しつこい勧誘」というイメージだ。

でもフランスのカルト規制法などで言われるカルトの勧誘のプロゼリティスムは、基本的に弱者への勧誘を指す。キリスト教だろうが何だろうが、学校、病院、高齢者施設の中や近隣での勧誘は禁じられている。未成年や心身が弱っている人には「入信」への自由意思を行使できる能力が十全ではないとみなされるからだ。

大地震などの被災地に援助とともに布教する団体もたくさんあるし、日本でも新興宗教や新宗教と呼ばれるものが、共同体から疎外された人や社会的な不全感をもって悩んでいる人などにターゲットを絞って、(中には保育所という枠を使ってまで)「布教」「勧誘」がされることが多かった。
マーケッティング戦略としては当然かもしれない。

老舗宗教は代々の信者がいるのでそういう必要がないともいえる。

カトリックはヨーロッパの老舗宗教だが、民族宗教ではなく普遍宗教で、地縁血縁も関係なくすべての人を救う、ということになっている。
もともとヨーロッパに広まったのも、先住のギリシャ・ラテン人やケルト人のいたところに「移動」してきた「異教徒」のゲルマン人が勢力拡大戦争を通して「統合」のために採用したものだから、その後の覇権主義とも相性がよかった。
内部で分裂して大規模移民や内戦を繰り返してきたので、まあそれらの「経験資産」が豊かで、それを本当の意味で「普遍的な救い」に結びつけるように進化するだけの知性もあったということなのだろう。

だから教会法の言葉はその智慧の結集だとも見える。

まあ「信教の自由」にまつわる「良心」に反してとか「良心に従って」とかいう「良心」という言葉自体がまた大問題で、キリスト教的な特殊な含意なしには考えられないのだけれど。
 
ともかくそんな「プロゼリティスム」がただ「改宗」と訳されると、確かに変だ。

改宗という日本語をフランス語にしたらむしろconversion(回心)だ。それは「人からの勧誘」というより「神からの呼びかけ」とか「聖霊の働き」によって改宗するというイメージだろう。

日本語でも、「布教」という言葉はやめて「宣教」になったそうだが、布教だと無理やり広めるニュアンス、「宣教」だと福音を勝手に宣言するだけだから強制するわけではないですよ、という感じなのかもしれない。

それでなくとも日本のカトリックは、信徒の世話をするという感じで積極的に外に出ていかない、ということで、宣教師だったネラン神父が新宿にバーを開いてマジョリティの日本人である「サラリーマン」のそばに行くと決心したエピソードは有名だ。別にバーで「プロゼリティスム」をするわけではなく、福音を生きる生き方を見せることで分かち合おうという形だった。

ともかく、ここ30年くらいのフランス語の「プロゼリティスム」は完全にネガティヴな言葉だ。何でもかんでも自分の主張を押し付ける人に対しても普通に使われる。

特に、21世紀に入ってからは、またここ最近は「イスラム国」がウェブを通して若者を煽って「改宗」させたり「回心」させるし、実際に勧誘したりすることと結びついてしまったので、「プロゼリティスム」が「悪い」という見方はすっかり広まってしまった。

だから、今や、帝国主義の歴史云々の前に、「カトリックはプロゼリティスムはしない」というのは、「カトリックはカルト宗教ではありませんよ」というほとんどアイデンティティにかかわるニュアンスをもっている。

こういうフランスをはじめとするキリスト教文化圏では共有されている含意が、日本語に訳されるとかなり微妙になるんだなあと思うと、宗教に関する言葉の難しさを改めて考えさせられる。

(他の言葉についてはまたそのうち書きます。)
[PR]
by mariastella | 2016-09-02 17:27 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧