L'art de croire             竹下節子ブログ

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休暇村で

数日前からオルレアン近郊の休暇村に来ている。もう10年近く同じ所に来ていたが、去年と一昨年は別のとこに浮気していた。で、3年ぶりに戻って来たら、大きな変化を感じた。

以前は、ここに来たら、ちょっと日本にいるようなリラックス感があった。
ちょっとゲーテッド・コミュニティみたいで、パリのような雑多な人がいない。色々なお店でも、警戒心を感じないし、荷物をプールサイドに置いておいても、窃盗などの危険がない。 仲間うち風の安心感がある。

それに、日本人の私がいうのも変だけれど、白人率が圧倒的に高くて、特に黒人の客がほとんどいなかったのだ。水泳選手にも黒人選手が少ないことを見ても想像がつくが、プールというのは黒人差別が根強く残った場所だった。
2年前に行ったのはブルターニュに新設された同じ系列の休暇村で、やはり白人率が高かった。ところが、3年ぶりに来たここは、パリから一番近いこともあるのか、「見た目外人率」が増えていたのに驚いた。アジア人のグループもいたし、黒人のグループもいたし、なんといっても目をひいたのは、イスラムの装束に身をすっぽり包んだ女性がいたことだ。

で、プールサイドにも、2人のムスリム女性がいた。
1人はいわゆるブルキニを身につけていた。首につながる頭巾がまっ黒なのでやはり異様な感じを免れない。もう一人は頭だけを黒い布で包み、水着は普通の水着らしいもの上からぴったりとタオルを巻いている。下はパレオのような長い裾がのぞく。この人は 目を惹く美女だった。
印象的なのは二人とも隣に夫であろう男性が並んで座っていて、イスラム髭面の顔つきがいかにもマッチョだったことだ。カリカチュラルなくらいだ。今まで映像でしか見たことのなかった現実を見て、軽く衝撃を受けた。

妊婦でもビキニを来ている人が目立つような中で、そこだけが緊張感を醸し出している。
「文化の違い」とか「多様性」とかとはちょっと違うイデオロギー感がある。
また数年経てば、もっとそれが増えているのだとしたら…。


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by mariastella | 2017-07-08 03:11 | 雑感

パリのレストラン

6月の末近くに招待されたパリのレストランは、シェフのAtsushi TanakaさんのイニシャルであるATというところだった。
私は食べたものの写真を撮ってブログにのせるというタイプではないけれど、ここで食べたものは とにかく「見た目」がユニークなので、思わず写真を撮ってしまった。

私が味としてもう一度食べたいと思ったのは、このフォワグラで、グレーのメレンゲの下に隠れている。

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グレーがテーマカラーだというのも、レストランとしてユニークだ。
タクシーで降りたら、トゥール・ダルジャンでお食事ですか?と言われた。
トゥール・ダルジャンのほぼ斜め向かいに位置しているのだ。

ATの方がはるかに今風というか、お洒落なのだけれど、全てが驚きのプレゼンテーションなので、正直言って、何を食べているのか分からない。説明してもらっても分からない。メニューにも素材を羅列してあるだけ。
驚きと、話のタネを食べるという感じがする。

素材を目でも見てみたいという感じがするので、もしリピートするなら、やはりトゥール・ダルジャンの方かなあ。

でも、セーヌの河畔を通って観光客の姿を見ていたら、テロとの「戦争」の緊急事態とかいったい何なんだろう、とまた思ってしまった。



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by mariastella | 2017-07-07 04:52 | 雑感

ファム・ファタル

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プチパレの入り口ホールにある「猿をつれた婦人」という20世紀初頭のこの像、ブロンズやセラミック、エナメルなどを組み合わせた技巧的なものだが、ファム・ファタル(魔性の女、運命の女)をシンボライズしたものだとも言われる。

ネオ中世様式だという猿は、女に捕らわれ繋がれた男の姿だというのだが、なんだか、すごく身につまされるものがある。
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なにかにとらわれて、不本意ながら離れることもできない自己嫌悪みたいな恨み節が猿の視線にリアルにあらわれているからだ。

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by mariastella | 2017-07-06 05:40 | アート

啓蒙の世紀のバロック その3

(これは前回の続きです)
今回の展覧会は、教会ではたいてい暗くてはるか高いところにある数々の絵を身近でけれども雰囲気を壊さない環境展示風の工夫のある空間で観ることができたのはとても興味深かった。

けれども、特別展示会場を出て、常設展示を見て軽くショックを受けた。
常設展示は何度も見ているのだけれど、「啓蒙の世紀」からフランス革命とナポレオン時代を経た19世紀にはすべてが変わってしまったのだなあという衝撃だ。

社会派自然主義の数々の絵、クールベの絵を見るとテーマ自体の落差に驚くが、
宗教テーマの絵にしても、ギュスターヴ・ドレの大作が2点あって、『涙の谷』で十字架を背負って歩くキリストの遠景の光にはカルチャーショックすら覚える。
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さらにシスレーやドガやモネの印象派の展示に進んでいくと、いったい何が起こったのだろう、と思ってしまった。

最近、岡崎乾二郎さんの「抽象の力」という論文をネットで読んでいろいろ考えさせられたばかりだ。
啓蒙の世紀のバロック」の宗教画が人間性の深みに降りていこうとしているのに引きずられていた直後に印象派の作品を見ると、人は被造物の立場から「創造者の秘密」に迫るのを辞めて、「創造の秘密」に迫る試行錯誤を始めたんだなあ、と感慨を覚える。

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by mariastella | 2017-07-05 01:39 | アート

バロック美術展 (その2)


(これは前回の続きです)
フランス革命前の「啓蒙の世紀」のパリで、教会から注文を受けた50人ほどのアーティストたちの作品が集められている。
後半はネオ・クラシックの時代の始まりで、改革カトリック以来のバロック芸術とネオ・クラシックが融合していく気配もおもしろい。
肖像画家のニコラ・ド・ラギリエール、ジャン・ジュヴネのマニフィカート(ノートルダム大聖堂が注文した珍しい正方形の絵)、ピエール・ペイロンのキリストの復活、フランソワ・ルモワンヌのイタリア風優雅な天使、ジャン・レストゥの聖書の絵。マドレーヌ、パンテオン、サン・シュルピス、サン・メリー、サント・マルグリット、サン・ジェルマン・デ・プレ、サン・ロックなどパリ中の教会から集められた絵画のうち30点はこの展覧会のために修復された。

原画が描かれた当時から、すでに、マケット的な小サイズの絵も同時に用意されていたのが展示されているのも興味深い。香や蝋燭の煙で黒くなり痛むことが分かっているので最初から「修復」を想定して元の色や形を記録していたわけだ。

群像の表情(特に、ノートルダム・デ・ヴィクトワール教会の聖アウグスティヌスの生涯の連作)、

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背景のだまし絵的な奥行き、バロック・オペラの舞台装置や演出とも共通している。

エマウスに向かう二人の弟子が復活のイエスを認めた時の視線が新鮮だ。
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これらの絵が最初に飾られた時は、そのわずか数十年後にパリのカトリック教会がフランス革命によってすべて没収されるなんて誰も考えてもいなかったろう。
教会音楽がかすかに流れるプチパレは、修道院とカテドラルを足したような不思議な空間づくりに成功している。「修道院の窓から漏れる光が床に映る」という照明の演出もしている。あるコーナーでは、ジャン=フィリップ・ラモーのオペラ『カストールとポリュックス』のTristes Apprêts(1764年、ラモーの葬儀ミサで演奏された)がかすかに流れていたのが私のツボにはまった。

啓蒙の世紀の特徴としては、ジャンセニズムの影響と典礼の変化が感じられる。教会が明るくなった。色彩が鮮やかになった。殉教者や奇蹟のテーマはぐっと減り、一七世紀のヴァンサン・ド・ポールのような人間的な活動、聖母やイエスの表現も周りの「普通の人間」の表情と親和性がある。
聖母マリアの誕生、イエスの誕生、子供たちに囲まれるイエスなど、「子供」のテーマも多い。それはルソーの教育論『エミール』などにもみられるように、この世紀には「子供の人格」というものが意識化され、見直されたからだ。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの磔刑図のキリストは苦痛よりも自問の表情だ。手足の傷や十字架の木肌のリアリズムもロココ美術とは一線を画する。ネオ・クラシックがイタリア・バロックとフランス・バロックを融合させたということだろう。
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by mariastella | 2017-07-04 05:34 | アート

シモーヌ・ヴェイユの死

アウシュヴィッツの生き残りで、二週間後に90歳を迎えるはずだったシモーヌ・ヴェイユが亡くなった。(Veilで、哲学者のWeilとは違う)

シモーヌ・ヴェイユと言えばフランスでは1975年に妊娠中絶を合法化した保健相として有名だ。

当時の国民議会には女性議員が9人しかいなかった。(今回の総選挙では223人、38,7%が女性議員)
彼女が中絶の選択の自由を訴えると、「アウシュヴィッツでジェノサイド(民族抹殺)を生き延びたのに胎児のジェノサイドをやるつもりか」などと男たちから揶揄されたという。

イギリス軍から解放される数日前に母親がチフスで死に、助かった妹も数年後に交通事故で死に、2005年のアウシュヴィッツ解放60周年に出席した時にもまだ、自分は死の床でもアウシュヴィッツの光景を思い浮かべることだろう、と証言していた。癒えることのないホロコーストのトラウマを社会変革のエネルギーに変え続けてきた人だった。

戦争を生き延びたユダヤ人少年だった故パリ大司教リュスティジィエ枢機卿と、とても親しかったという。

リュスティジィエ師が、ユダヤ人の「改宗カトリック」で枢機卿に上り詰めた人であることや、カトリック的には「妊娠中絶」なんて「罪」であることなどを考えると、この2人の友情の深さや質のさまを想像できる気がする。

ヴェイユ女史は欧州議会の議長にも選ばれ、「多様性の中の統一」を掲げた。

アウシュヴィッツで一度死を経験したから、「不死」の中に生きていたという。
「難しい人」だったという。絶えず「悪」へと傾く人間の社会では、「たやすくて戦わない人」でいれば「未来」はない、絶えず困難な戦いを続けなければならないと。
亡くなった後たった一晩でもう25000人が彼女の遺体の「パンテオン入り」を大統領に訴える署名をしたそうだ。一日後には20万人にもなった。

ひとまずは、マクロンも出席するアンヴァリッドでの葬儀が決まっている。

ヴェイユ女史が、苦しい過去の上に平和を建設したようにやはり少し前に亡くなったドイツのヘルムート・コール元首相も、大戦の確執を乗り越えて平和を築いた人だった。

けれども彼は家庭的には最悪だった。政治の最悪な部分にも関わった。彼の遺品(各国元首との書簡を含む貴重な歴史資料)は、現政権を恨む二度目の妻が絶対に渡さないと言っている。

それに比べるとヴェイユ女史は3人の息子に11人の孫がいる家庭にめぐまれたが、政治的に「中道」であったけれど2007年にサルコジを支援したことが記憶に残る。サルコジは忠実な友だと言っていた。同性婚にも反対していた。今回の大統領選ではバイルーがマクロン支援に回ったことを裏切りのように評していた。
ナチスの全体主義への絶対拒否を持ち続けていたから、何度かもちかけられた首相の座も断ってきたし、ジュピターと称される今のマクロンの神格化の演出にも抵抗があっただろう。

まあ、コールと同じで、亡くなった今となっては称賛の声ばかりが聞こえてくる。
コールやヴェイユをしのぶことによって、政治家たちが自分たちの正統性の印象付けに利用するのではなくて、二度の大戦で殺し合った独仏の連帯と平和を目指すヨーロッパの理念に立ち戻ってくれることを願おう

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by mariastella | 2017-07-03 00:13 | フランス

啓蒙の世紀のバロック その1

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プチパレのパリ市美術館で、「啓蒙の世紀のバロック」展を見てきた。
2年かけてパリ市内の有名教会の30点の絵画を修復したのを中心に集めたもので、なかなかすばらしい。

まず、テーマ的に啓蒙の世紀っぽくて面白いと思った、サンメリー教会で1722年に実際にあったという聖体パン(ホスティア)冒聖事件をテーマにした作品(1759年のサロン出品)を紹介。

聖体パン入れが落とされて、キリストの体であるご聖体が床に散乱。(実際は、器が何者かによって盗まれた後でチャペルの中で壊れて発見されたという)


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もちろん聖職者たちはパニック。

ああ、神罰が当たる。

もし犯人がいるならもちろん火炙りだ。

でも分からないから、毎年の復活祭後の最初の日曜(カジモドの日曜日)にこの事件を忘れないためのセレモニーをすることになった。その後、それを記念するためこの絵が納められたという。

で、この絵の上部では、怒り狂った大天使ガブリエルが剣を振りかざして「罰」を与える気満々でいる。

そのそばに浮かんでいる天使の顔も厳しい。
でも、何しろ、すべての罪びとの代わりに死んだキリストの十字架を持った「宗教(女性形なので女性に擬人化)」が、まあまあととりなして、父なる神が天使を制している。
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よかったね。

それまでは、「ご聖体」を貶めるなんて万死に値する冒瀆できっと管理責任も問われたのだと思うけれど、

それって、イエス・キリストが身をもって人の罪を贖ったという本来のキリスト教の精神に反しているのでは?

目には目を、歯には歯を、って良くないってことになったのでは?

すべての人は神の子で、典礼のグッズにすぎない聖体パンを貶めたからと言って命を奪われるなんておかしい。

などと、啓蒙の世紀の人々がひそかに考え始めていたのかもしれない。

いや、ホスティアがほんとうにキリストの体だとしたって、そのキリストはそれこそ自分の体を人々に差し出し、貶められ釘打たれ磔にされるままになることで「子なる神」の道を示したのだから、床に落ちたくらいで人々をパニックに陥らせるというのはいかがなものか、

と、啓蒙の世紀の「光」が問いかけたのかもしれない。

この絵が描かれた30年後に、フランス革命が起こって、教会も美術品も没収された。

この絵の所有者もパリ市だ。パリ市が、それぞれの教会やしかるべきところに返して飾っている。





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by mariastella | 2017-07-02 02:47 | アート

マクロンの公式写真

フランス中の市役所に飾られるマクロン新大統領の公式写真がネット上で公開された

ネットで公開というところがすでに「新しい」。
その写真は背後の窓を開けた執務机に腰掛けるようなスタイルでそれも新しい。

その机の上にいつも使っている二つのスマートフォンを重ねておいてあるのも今風。
彼が自分でそれを机の上にレイアウトしている様子のビデオも公開されている。

そのビデオには、机の上に広げたドゴール将軍の『戦争回想録』の分厚い本のどのページを広げるかをマクロンが選んでいる様子も見える。

どのページだったのか知りたい。

ドゴール将軍の本の反対側にはスタンダールの『赤と黒』、アンドレ・ジッドの『地の糧』の2札が重ねられている。うーん、このチョイスもなかなか意味深だ。

『赤と黒』のジュリアン・ソレルがナポレオンを崇拝していたことも想起される。

本棚の前での大統領肖像写真というのも定番だったころもあるけれど、多くの本ではなくてこうして選択されているとメッセージ性がある。

ジッドの『地の糧』は一つの詩の世界でもある。

サンシュエルなテーマが私の好みだけれど、マクロンのイメージと重ねると、

Ose devenir ce que tu es. Ne te tiens pas quitte à bon compte. Il y a d'admirables possibilités dans chaque être. Persuade-toi de ta force et de ta jeunesse. Sache te redire sans cesse : il ne tient qu'à moi.

という箇所などぴったりだろう。

すべての人には感嘆すべき可能性がある、君の力と若さとを信じたまえ、

みたいな感じだ。

エリゼ宮の庭の木立がなすV字型とマクロンの両腕のなす逆V字型の交わるところに青い視線がくるように計算されている。

両手の薬指に指輪がある。
ヨーロッパ旗と三色旗を配したのもマクロンらしい。








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by mariastella | 2017-07-01 06:24 | フランス

トランプ大統領、パリ祭(7月14日、フランス革命記念日)への招待に応じる

6/28にマクロン大統領がトランプ大統領と電話で15分話して、7/14の革命記念日のシャンゼリゼでの軍事パレードにトランプを招待したのをトランプが応諾したんだそうだ。

シリアのアサド大統領がまた化学兵器による攻撃を準備しているとかいう情報でマクロンは、オバマとオランドは見逃したが今回はそんなことがあったらフランスは単独でもシリア軍を攻撃する、と宣言したばかりで、トランプも「じゃあ、うちも」ということになったところだった。

マクロンが今回トランプを招待するのも、別にアメリカ大切でトランプに尾を振っているわけではなく、どちらかというと、プーチンをヴェルサイユに招待したように自分の権威を強化するためだということがある。
同時に、トランプがパリ協定から抜けると声明を出した時に

私はパリ市民に選ばれたんじゃない、ピッツバーグ市民に選ばれたんだ」

などと言ってのけたことに対して、「パリ」を見せつけ、しかも、パリ協定に背を向けたアメリカを追い出すのではなく対話を続ける用意がある、ひいては懐柔する、という意味もある。

国民の祝日で派手に軍事パレードをするのは、社会主義国家や全体主義国家、軍事政権国家以外の「先進国」ではフランスだけだ。以前には軍隊パレードを見直す、と言った大統領候補者が叩かれたこともあった。その時の記事に私の考えも少し書いている

軍隊と言えば世界最大の軍事国家はもちろん桁違いでアメリカなのだけれど、そのアメリカのトランプを敢えてパレードに招いたことは、トランプが力の誇示の好きな人だからけっこう乗り気になるだろう、という見とおしがうまくいったとも言われる。

私自身は

力を誇示したり崇めたりするところでは魂は必ずひずみを受ける」

というシモーヌ・ヴェイユの言葉の信奉者だから、軍事パレードなんてもちろん嫌いだ。

しかも、フランスがアメリカと組んで軍事的に目立ったりすると、またテロリストの標的になるだけで迷惑だという忌避感もある。

マクロンとトランプって「力の誇示好き」ってところで似た者同士なのかもしれない。やだやだ。

でもそもそも「国際政治」とは力の誇示で成り立っているのだとしたら、そういう人しか政治家にならないのかもしれない。

プーチンがインタビューで「力のバランスだけが力の行使を防ぐ」と言っていたけれど、彼の口から語られると、「抑止力」とか「必要悪」という言葉がリアリティを持って迫ってくる。

それでも平和への道は別にもあると信じながらジャン・ラプラスやアンドレ・ルーフの本を読んでいる。

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by mariastella | 2017-06-30 01:27 | フランス

披露宴のスピーチ--- 新郎の場合

週末の結婚披露パーティでの新郎の父のスピーチのことを昨日書いたが、新郎のスピーチにも少し触れると、

彼は

「今日は特に数字をひとつ挙げたいと思います。それは66です」

と言った。

666なら黙示録の悪魔の数字?かと思ったけれど、すぐに説明が続いた。

まず、フランス大統領選でマクロンが獲得した66%の数字。

そして、アメリカのトランプ大統領の不支持率。

だそうだ。

で、最後は、自分たちは3度の披露宴をやるので、2度目の今日が終わったところで、3分の2が終わるので66%だという。

66.666・・・%という気もするが。

カップルはもう数年前からロンドンで暮らしていて、去年の暮れにボストンに赴任が決まった時に、グリーンカードの取得ができるようにと、11月にロンドンで結婚式を挙げて1度目の披露宴もやったのだ。

で、今回がフランスでの披露宴、来年の夏がカナダ(モントリオール)での披露宴と決まっている。

3度とも出席する人もいるようだ。

新郎の両親は、アメリカの大学を出た母親とフランスのビジネススクールを出た父親がカナダの大学院で出会って結婚した歴史がある。両親が中東に赴任した時に息子がモントリオールの大学に留学してその後でボストンのMITで博士号をとった。

国籍もフランスとカナダとの両方を持っている。

で、息子(新郎)のスピーチの最後は、

今日は聖ヨハネの祝日です」

ということだった。

なるほど、再々従弟のイエスよりも半年前に生まれた洗礼者ヨハネの誕生日はクリスマスより半年早い6/24だ。

グレゴリオ暦でずれが生じていて、昔はこれが夏至と冬至に当たっていた。

日照時間が一番長い日と短い日が「太陽神」の儀礼の日となっていたものを、キリスト教化するために、イエスとヨハネの誕生日にあてたのだ。

で、カナダのケベック州では、17世紀の初めからフランス人がこれを広めて、1834年からはケベックの国家祝日(フェット・ナショナル)となっている。つまり、ケベックのアイデンティティと結びついた最大のお祭りなのだ。

ちなみに新郎も新婦もカトリックの洗礼を受けているが、カトリック教会での結婚式はスルーしている。

私はこの「新郎」が26年前に「コミュニオン・ソロネル」(初聖体ではなく、フランスでは11歳くらいでやる教会の行事で、まあ「元服」にやや近い通過儀礼の一種)のパーティをやった時、当時すでにルイ・ロートレックらと組んでいたアンサンブルでコンサートを担当したその時も100人くらいは集まって3日くらいかけたパーティだったけれど、もちろん両親が全面的にオーガナイズしていた。

パーティを盛り上げるコンサートだったので、バロック曲でなくほとんどがポピュラー曲やラテン・アメリカの曲だった。

今の私のトリオのMも加わった6人のアンサンブルで、食事や滞在や観光もついたいいアルバイトになっていた。

トリオのHはまだ学生だったのでその時のメンバーではなかった。

その時の少年は、翌年、父親と共にベルギーに引っ越して6年を過ごしてから単身でモントリオールで学んだのだ。

ベルギーのリセ・フランセでは最初ドイツ語を第一外国語にしていたのを途中で英語に変えていた。

その少年が、ボストンに住み、「新郎」になって故郷に戻って英語とフランス語でスピーチをしているのかと思うと、不思議だ。彼の親の世代はみな白髪となり、同世代は世界を動かしている。

私はあいかわらずアンサンブルをやっている。



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by mariastella | 2017-06-28 02:27 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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