L'art de croire             竹下節子ブログ

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フリーメイスンの新資料について

昨日の記事について、サイトのForum


「フリーメイスンの雑誌、あるんですか。需要があるからでしょうけど、部数はどのくらいですか?それにしても、旧ソ連のKGBが何ゆえに、フランス・フリーメースンの大量の文書を保管していたのでしょうか? その目的とは・・。」


という質問をいただいた。


この雑誌は昔は予約購読制だったものが2009年からリニューアルして3万部の発行で一般書店の雑誌売り場に並んでいる。隔月が基本で年8冊刊行。

汎ロッジで、特定のロッジの刊行物ではない。


フランスとヨーロッパのメイソナリーの歴史、シンボルや典礼についても記事があるが、社会問題や、政治、哲学、書評も充実していて、総合雑誌の趣さえあり啓蒙の世紀を担ったフリーメイスンの伝統を継承している感じだ。信頼度は高い。メイスンかどうかとは関係のない論客の署名記事や、参考資料のリストも充実している。確かに、この雑誌の存在そのものが、アングロサクソン型のフリーメイスン、陰謀論型のフリーメイスンとの違いを明らかにしていると言えるだろう。

雑誌のサイトはこれ。


なぜフランスのロッジの記録がロシアにあったかというと、要するに、ナチスドイツがフランスで押収したものがベルリンに送られ、それが戦争末期に北ドイツやポーランドなどに移されて隠されたものを赤軍が見つけて押収したものらしい。だからモスクワだけではなく、ミンスク(ベルラーシ)などにも多く残っている。ミンスクには特にボルドーのロッジの18世紀以来の記録がほとんど全部あるという。

ニース大学の歴史学教授ピエール=イーヴ・ボールペールさんは、自分の学生であった日本人の研究者が18世紀ボルドーのフリーメイスンについて論文を書いていた2010年頃にミンスクに行ったが閲覧できなかったものが、20152月のメルケル、プーチン、オランドらとの合意によって可能になったので、その年の5月に行ってすべてデジタル化できたと言っている。広く研究者の役に立てるようにネット上で公開すると言っているので楽しみだ。

KGBが保管していたものは、エリツィンの合意でフランスに戻されたのだが、今はプーチンとの関係が悪くなってかえっていろいろ難しくなっている。

それとは別に、いわゆる、古文書コレクターというのがいて、啓蒙の世紀の文書は人気が高い。そこにもフランスのロッジの記録が散見される。


フランス革命のアイデンティティというのは、トリオ・ニテティスのブログ

に書いたばかりだが、フランス人にとってイデオロギー的にとても重要で、フリーメイスンはその部分と切り離せないから特別の位置を占めている。


10/6中公新書ラクレから『キリスト教は「宗教」ではない』という本が出るのだけれど、フリーメイスンについてはこのように新しい資料もいろいろ出てきたので、次は『フリーメイスンは「秘密結社」ではない』という新書が書けそうだ。(出版関係で興味のある方はぜひ声をかけてください !

お知らせ。

10/21のコンサートの申し込みがこのブログからできます。

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by mariastella | 2017-10-01 00:36 | フリーメイスン

「真理とは何か」と「フリーメイスンのロシア文書」(月刊雑誌から)

哲学の月刊誌『Philosophie magazine』の「真実とは何か」の特集で、久しぶりにMichel Serresがインタビューに答えているので買った。
もう87歳だが、もっとも信頼できる知識人の一人。

今の情報社会では「真理」を求める方向が変わってきている。
「アスピリンは効くのか?」というのを調べる代わりに、
「アスピリンは効くと思っている人はどのくらいいるのか?」という方向になっているのだ。

真理とはいつも、長く、謙虚で、忍耐強い探求の実りである、という。
探求の過程そのものに真理が宿っているのかもしれない。
その方向が間違っているかもしれないという可能性を認める謙虚さも必要だ。

どこに軸足を置くかによって、論理的思考も変わってくる。
天動説と地動説みたいなものだ。
科学的真理とは別に、軸足を置く場所から見た真実というのもある。
みんなが地動説を認め、地球が太陽の周りを回っていることは納得しながら、毎日の生活ではやはりどの国でも、誰にとっても、日が東から昇り、西に沈み、太陽が高くなったり低くなったり、月が満ちたり欠けたり日が長くなったり短くなったりする。
それを蒙昧だとして表現が修正されることなどない。
真理の探求の出発点からすでに足元を確認する必要があるわけだ。

ついでにフリーメイスンの雑誌を買ったら、1999年にロシアからフランスに戻ってきた文書についての記事があった。
1940-45年、フランスのフリーメイスンは表向きにはすべて壊滅し、多くの文書が破棄されたのだが、ソ連のKGBの書庫に、グラントリアンの文書が段ボール750箱、フランス・グラン・ロッジのもの350箱、人権ロッジのものが30箱保存されていたのが冷戦後に分かったのだ。
全部で数十万点という記録は、18世紀以来、共和国の教会と呼ばれるくらいにアクティヴだったフランスのフリーメイスンの貴重な歴史を伝える。おもしろい。

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by mariastella | 2017-09-30 06:50 | 雑感

ウィーンの話 その18  フリーメイスンとヒトラー

ウィーンの国立図書館のフリーメイスン展示で実は一番興味深かったのは、二度の大戦間に、オーストリア生まれのヒトラーが総統として率いるドイツ国家社会主義のナチス党のオーストリア支部(1926年成立)がどのように台頭したかという状況だ。
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これは、1931年に起きたBauerという商人の殺害未遂事件に関して、フリーメイスンが関わっていたというプロパガンダのポスターで、オーストリア・ナチスの初期の活動家がそれについて講演している。
彼らがファシズムを広めるにあたって、フリーメイスンはかっこうのスケープゴートだった。
「フリーメイスンとユダヤの陰謀」というお決まりの陰謀論のルーツはこの頃にある。
世界恐慌による経済危機に苦しむ当時、フリーメイスンは分かりやすい「悪」の代表となった。
この1931年、ヒトラーはまだオーストリア人(しかし1925年にオーストリア再入国を拒否されて無国籍状態)だった。ヒトラーがドイツ国籍を得たのは1932年で、翌年の1933年にはドイツの首相になっている。
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私たちはオーストリアも1938年にナチス第三帝国に侵略され組み入れられた「被害者」だという印象を持っている。でもそれは、第二次大戦後処理で、ウィーンを占領したソ連が擁立した共産主義系の政権が西側連合国にかろうじて認められて分断が避けられ、「ナチスドイツの被害者」認定してもらえたからである。そして「永世中立国」の優等生の振りができた。

このフリーメイスン展でのフリーメイスンの扱いを見ていると、オーストリアナチスの黒歴史とヒトラーの出自をどう消去するか、という無意識の、あるいは政治的な選択が見えてくる。

「ドイツ性」とどう付き合うのか、その中で、ウィーンの特殊性をどう生かすのか、などの多層なニュアンスが見えてくる。

ウィーンはモーツアルトやソリマンのパトロンとなった自由で芸術的な都市でなくてはならない。それにはウィーンのフリーメイスンが必要だ。「ナチスドイツの被害者」面をするには「フリーメイスンの友」でなくてはならない。

フリーメイスンはウィーンの観光商品であるだけでなく政治商品なのだ。

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by mariastella | 2017-09-12 02:45 | フリーメイスン

ウィーンの話 その17  標本にされたソリマンの最期

ソリマンとモーツアルト(続き)

これも一次資料にあたっていないので確実には言えないのだが、ソリマンがフリーメイスンに入会して数年後に破産したとか大きな負債を抱えたという話もある。

彼の晩年がどのようなものであったかはよく分からないのだけれど、娘がしかるべき家庭の男と結婚して、前にも書いたように孫も歴史に名を残しているのだから、完全に無力な状態であったとは思えない。


ともかく、1796年、75歳になっていたソリマンはウィーンの街を歩いていた時に路上で動脈疾患(心臓か脳か不明)の発作で斃れて死んだ。


パリではフランス革命が勃発して恐怖政治を経た後、ナポレオンがイタリア遠征をした年だ。モーツアルトが死んで5年、ソリマンを愛したヨーゼフ二世が死んで6年経っていた。ヨーゼフ二世には後継ぎがなく、弟のレオポルドが即位2年後に死んだその息子フランツ二世が後を継いでいた。


ソリマンの遺体はフランツ二世に引き渡され、内臓だけが埋葬され、皮が剥がされて木型のマネキンに貼られる形で標本にされた。

珍しい「黒人」の剥製を作るために売られたのだ。

その「標本」は、半裸で羽根をまとい、貝殻の首飾りをつけるという「アフリカ原住民」の姿で自然史博物館のアフリカのコーナーに陳列された。

ウィーンの動物園の守衛だった黒人や六歳の黒人少女ら3人と共に、サバンナの動物の剥製を配したアフリカ展示の一部となったのだ。

ソリマンをキリスト教徒にふさわしく埋葬してくれるようにという子孫の申し立てもあったが聞き入られなかったようだ。オーストリアはすでにフランス革命戦争に突入していた。

生前あれほど尊敬され愛されていたソリマンが死後にこのような無残な形で扱われたということの根っこに、ウィーンの持つ独特の退廃や倒錯を感じてしまうのは考え過ぎだろうか。

フランスには、「黒いモーツアルト」と呼ばれた混血の作曲家に有名なシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(1745-1799)がいる。

彼も失意のうちに死にはしたがそれは王家に庇護されていたことがフランス革命で裏目に出たからだったので、ソリマンとは全く違う。

シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュはフランスで最初の黒人のフリーメイスンで、グラントリアンの「9人の姉妹」ロッジでイニシエーションを受けたとされるがその正確な年は分からない。


しかし1781年にフリーメイスンの音楽家たちと共に「パーフェクト・ユニオンのオランピック・ロッジ」の後援でオランピック・ロッジ・コンサートという管弦楽団をオーガナイズしている。

パリのシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュのような生き方は、ウィーンのソリマンには不可能だった。


それでも、この二人を結びつけるのはモーツアルトでありフリーメイスンだ。


ウィーンのフリーメイスンはソリマンの尊厳を守ることはできなかった。


1848年、ウィーン会議以来の体制に反旗を翻すウィーン三月革命がおこり、爆薬を投げ込まれた自然史博物館が全焼し、ソリマンの標本も灰燼と帰した。


フランス・バロック音楽とウィンナ・ワルツの差には、実は、いわくいいがたい毒がひそんでいる。

いつか言語化できる日が来るかもしれない。


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by mariastella | 2017-09-11 02:51 | フリーメイスン

ウィーンの話 その15 ソリマンとモーツアルト

(これは前の記事の続きですが、前の記事に「追記」を加えました。合わせてお読みください。)

国立図書館のフリーメイスンの展示の中で、アンジェロ・ソリマンの肖像画が存在感を放っていた。モーツアルトハウスでも同じ肖像画が展示されていた。


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モーツアルトとソリマンを絡めてウィーンのフリーメイスンを語ることは、そこが知的で芸術的で自由で平等な啓蒙の世紀のサロンだったことを強調するのにぴったりなのだろう。

ソリマンはとにかくあらゆる点で秀逸な人で、これほどの人を前にしたら、教養のある人士ほど本気で傾倒したことはたやすく想像できる。知識人とアーティストは、人種のカテゴリーを超える。けれども、死ねば、ソリマンはただの黒人だ。黒い肌だけが残る。そして、黒人は「動物」と同じだという集団的な偏見に組み伏せられてしまった。ソリマンとはどんな人だったのだろう。

ソリマン(1721-1796)は今のナイジェリア北部で生まれ、子供の時に馬一頭と交換されて奴隷としてヨーロッパ人に売られた。10歳まではラクダの世話係をさせられていた。すでにその頃から、利発だったのだろう。その後でシシリアの富豪に引き取られ、その妻から語学と数学の教育を与えられ、1732年にカトリックの洗礼も受けてアンジェロ(天使)という洗礼名を得た (本名はMmadi-Makeだったらしい)。ヨーロッパ白人の仲間になる第一歩だ。洗礼を受けた911日を自分の誕生日だとした。その後で帝国の執政官に売られ、執事となった。

執事長として主人と共に旅行し、戦争にも行き、戦場で主人の命を救った。

服装のセンスも群を抜いていた。肖像画は29歳の頃の姿だ。英・仏・伊・独・ラテン語にチェコ語を自在に操り、剣術、航海術、チェスの達人で、作曲もした。

1755年、ウィーンで、主人の死の後32歳でリヒテンシュタイン公に仕え、皇太子の教育係にもなった。1764年リヒテンシュタイン公と共にフランフルトに行き、「ファラオン」を演じて得た大金をオーストリア東南部のコバルト鉱山に投資してさらに儲け、解放されて独立した。1768年にはウィーンの中心部でアルザス貴族出身の未亡人マグダレナと結婚した。ナポレオン軍の将軍も出した家系だ。結婚はシュテファン大聖堂の枢機卿による特別の計らいで実現した。

オーストリア皇帝ヨーゼフ二世も彼を敬愛し、名実ともにウィーンの名士となっていた。

この時点では、彼は本当に尊敬されていたのだと思う。「黒人なのにすごい」という偏見はなかったと思う。

ヨーロッパ人の中で圧倒的に目立つ黒い肌だから、その「見た目」は無視できないと思うかもしれないが、ヨーロッパのエリート階級は、一般に、ある状況(この場合は知性や教養や芸術や武術)のサークルの中では、人種差別をしない。建前や偽善ではなくて、本気で同胞になってしまうのだ。特に、伝統的なカトリック国(つまりアイデンティティ意識がもう希薄になっているユルイ社会)ではその傾向が強い。この点では日本の方がずっと「見た目」による偏見や差別がすべての階層に根強いというのが、今の時代でも通ずる私の実感だ。

ソリマンの孫のEduard von Feuchtersleben も高級官吏となり、作家として名を残している。『モンテクリスト伯』で有名なデュマの父も黒人奴隷と白人のフランス人との間に生まれていた。啓蒙の世紀のエリートたちに認められた点で共通している。

で、ソリマンとフリーメイスンとモーツアルトの関係は?(続く)


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by mariastella | 2017-09-09 05:09 | フリーメイスン

ウィーンの話 その14 国立図書館とフリーメイスン (追記あり)

世界で最も美しいと言われるウィーンの国立図書館。
(私はプラハのストラホフ修道院の図書館の方がすてきだと思うけど。)

で、中は確かに豪華でこんな感じ。
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まるで宮殿みたいだけれど図書館らしいのはこういうところ。
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でも、驚いたのは、ここで、近代フリーメイスン創設300周年記念展をやっていたことだ。至る所に展示品が並んでいる。
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確かにモーツアルトハウスでもフリーメイスンのロッジの絵があって、魔笛もそうだけれど、モーツアルトの音楽とフリーメイスンの音楽が切り離せないことも分かるけれど…。
ウィーンって、国立の歴史建造物の中で、国をあげての観光の目玉にフリーメイスンが取り上げられる町なんだなあ、と感心したのだ。

パリにもフリーメイスン博物館がなかなか充実した展示をしていて、美術館として公式に認定されているけれど、それはれっきとしたフリーメイスンのロッジの建物の中にある。

ウィーンの国立図書館はいわゆる王宮地区にあって、王宮の一部をなしている。
パリで言えばヴェルサイユ宮殿の中にあるようなものだ。

ウィーンではモーツァルトが「目玉商品」のひとつだから、フリーメイスンも観光「商品」なのだ。

では、例の各種陰謀論、サブカルチャーやネット言説などとは関係のない18世紀テイストの上品で歴史的な展示だけかと思うと、のっけから、
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ほーら、メルケル首相もローマ法王も、マクドナルドも、ミッキーマウスも、あのスターもこの有名人も、みーんな、フリーメイスンのシンボルっぽいジェスチャーや形をしているでしょ、

という感じのパネルがあって、とってもポピュリズム。

いいのか、ウィーン。(続く)

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追記: この記事について、サイトの掲示板Forum3に次のようなコメントがありました。


>>>ウィーンの国立図書館の「フリーメイスン展」には驚きました。
ポップなコラージュ作品は、国立図書館の制作なのか、それとも個人の誰かの作品でしょうか?
ウォルト・ディズニーがメイスンであることは知っていましたが、現ローマ法王やメルケル首相もそうなんですか!
帰属を知らしめる、あるいは誇ること、本人にとってどれほどの名誉があるのか、門外漢の私には全く想像におよびません。<<<

このコラージュは当然ながら単なる釣り、というか「つかみ」です。
見る人の好奇心を掻き立てる「演出」です。
私の驚いたのは、その内容でなく、いくら「巷にあふれるいい加減な話をまず出してから真相に迫る」というコンセプトにしても、こんな立派な国立図書館の展示にそんな2チャンネルなコラージュを堂々と出していることでした。

誰かがある動作やしぐさをしたら即「フリーメイスン」だとか「・・人」だとか他のセクトだとか「認定」っていう言説は、差別や疑心暗鬼の煽動にせよただの娯楽にせよ、ネット上ではうんざりするほどあります。私はそういうものに抵抗する姿勢ですから、誤解なさらないようにお願いします。




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by mariastella | 2017-09-08 01:01 | フリーメイスン



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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