L'art de croire             竹下節子ブログ

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ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》その4

これは前の記事の続きです。

カトリック雑誌が挙げるローマ法王とフランス新大統領の共通点。
後ふたつあるので続けます。

その4は、「同時に」という考え方だ。

まずローマ法王。

フランソワ教皇は亡命者や移民の弁護人だ。そして「同時に」、各国の為政者に対して移民政策において慎重であるようにと促している。
妊娠中絶は恐ろしてことだと言うが、司教時代には中絶を余儀なくされた女性のために戦った。
同性婚には反対だけれど、私には裁くことなどできない、と言った。

その一見すると一貫しない態度は、教皇の敵からはポピュリズムであることの証明だと批判される。
けれども教皇にとっては、真理とは、罪びとたちのためにやってきたキリストというペルソナ(人であり、同時に、神である)であり、単純なイデオロギーなどではない。

教皇は、「対立するものは助け合う。人間の生とは対立するものの上に構築されている」と言う。
ベネディクト16世と同じく、イタリア生まれでドイツ育ちの神学者ロマノ・グアルディニの影響を受けている。

マクロンの方も、矛盾点を政敵から揶揄される。
経済相を自認した時「確かに私は自由と平等を選択した。成長と連帯も選ぶ。企業と勤め人も選ぶ」と言ったからだ。
マクロンの尊敬するポール・リクールの研究家であるオリヴィエ・アベルは、「マクロンの《同時に》は、リクールの考え方に近い。彼は対立物を、完全に合意に至らないとしても実りある緊張であると捉えている」とコメントした。

つまり二人とも、「ポジションをはっきりしない」と批判されているわけだが、人間の社会は黒白や善悪の二元論で解決するものではない。
反対意見や少数意見を排除しないで話し合ってすり合わせていくという平和的解決は現実的でもあるし、何かを強引に決めた後で起こりやすい逸脱を避けることにもなる。
黒か白の一色にしてはいけないし、かといって混ぜて灰色にしても本質が失われる。たえず他のポジションを意識することで自分のポジションに疑いを投げかけることも必要だ。
黒白二元論でなく価値多元主義で自分は自分、人は人というのも間違っている。どんなたくさんの色があるとしてもばらばらでなくひとつの絵を描いていくために必要な普遍的な価値観というものも模索したい。

この週末に総選挙が始まるが、マクロン新党LREMが過半数をしめるという予測が出始めている

サミットでのトランプとの握手の仕方が痛快だった、ハンサムで英語が話せて、EUへの働き掛けも積極的で、というマクロンの姿をフランス人は自分たちに重ねているのだそうだ。
そういえば、サルコジが大統領になってすぐにアメリカの富豪の豪華ヨットでバカンスを楽しんでセレブ生活を見せつけたことを、フランス人はまるで自分たちのステイタスが上がったかのように満足していた。
これがドイツの首相なら大スキャンダルになって失脚ものだと言われたが、フランス人は自分たちの代理として大統領に目立ってほしいのだ。

で、いろいろ批判されていたマクロンも、今は、若くてハンサムで自分たちにぴったりなどと思われ始めているらしい。

今にして思えば、「ノーマルな大統領」になりまーす、と宣言したオランド大統領はイメージ戦略を誤った。
フランス人は自分たちと変わらないようなノーマルな大統領を欲しているのではなく、自分たちの妄想を託すことのできる大統領を欲しているのだ。

総選挙で私の注目しているのはパリのカトリック学院で神学と社会科学を教えるポール・リクールの研究家である女性神学者クレマンス・ルヴィエが当選するかどうかということだ。
彼女はマクロン新党からの候補者で、かなりリベラルだ。
カトリック的に不都合などんな政策でも、時代の文脈を見て、そのベースに愛と慈しみがあるなら受け入れられるという。終身助祭の夫と成人した三人の子供がいる。
彼女なら「ローマ法王とマクロンの共通点」のシンボルになるかもしれない。


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by mariastella | 2017-06-10 06:38 | フランス

ローマ法王とフランス大統領 その2

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その2です。

2番目の共通点とは去年の春、まだ社会党内閣の経済大臣だったマクロンが独自に立ち上げた運動 En Marcheだ。

En Marche は日本語では「前進」と訳されているようだが、単に歩くという意味だけではなく、動いている、うまくいっている、目的に向かう途上にある、などのいろいろなニュアンスがある。

まず法王。

ヴァティカンのように何世紀もイタリア領邦国家の利権とずぶずぶだった巨大組織は、前進どころか慣性で一歩も前に進めないというイメージだけれど、この教皇は、どこかの国の「岩盤規制の一点突破」みたいなやり方ではなく、広く全方向的に窓を開いていくような動き方をしている。

離婚して再婚したカップルを再び共同体に迎え入れること、
多宗派とのエキュメニカルな理解と前進、
ヨハネ=パウロ二世時代にいったん破門された聖ピオ10世会との歩み寄り

など、いろいろな分野で、たとえ歩幅は小さくても少しずつ動き進むことを好む。問題の解決とは人々が並んで歩くことによる出会いの中で見い出されるものだろう。
目は天を仰ぎ、足は地に着けて「歩いていく」ことがフランシスコ教皇のやり方だ。

マクロン大統領は、その「前進」という運動名はイデオロギーではなく現実との接点を表現する。彼の政策のいくつかは、その運動の内部から自発的に生まれた。また、頭の中だけではなく実際に体を動かせるという「可動性」の徳も強調する。物理的なアクセス可能は、社会的公正を目指す政治の一部だ。彼が大臣時代にそれまで公共機関の独占だったバス路線を「自由化」したことで、フランス中を長距離バスで移動する人が大幅に増えたことがその典型だ。<<


これはやはりプラグマティズムに基づいているのだけれど、
巨大な権威を持つ教皇が広く浅く少しずつ「伝統」を揺さぶろうとしているのに、民主主義と議会制度に縛られるマクロンの方が、強硬に自由化の法を整備して目に見える結果を出すのが対照的だ。

政治家には「次の選挙」というハードルがあるし、常に「政敵」からの攻撃を受ける対策も必要だ。「今ここで」自分の実力を見せつけることが必要とされる。
教皇の方は時として挑発的なコメントを小出しにしながら、様子を見て、パン種が発酵するのを待っている。政治生命のスパンが全く違う。
次の選挙や選挙の地盤を後継者に譲るなどの憂いもない。
配偶者も子供もいないし、時空を超えた神や聖人たちとの交わりの中で足を地につけている。

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by mariastella | 2017-06-05 17:12 | 宗教

マクロン、プーチンと会う

ロシアのピョートル大帝がはじめてパリにやってきた1717年から300年、ピョートル大帝をテーマにした展覧会がヴェルサイユのグラン・トリアノンで開催され、その開幕にプーチンがやってきた。

プーチンは選挙運動期間にル・ペン女史に会ったり、フィヨンを支持するコメントを出したりしているのでマクロンとは微妙だ。

朝のラジオでフランスのロシア大使は、ロシアとフランスの今の緊張はウクライナ、シリアと、すべて別の国が原因になっているので、ロシアとフランス自体の昔からの絆は変わらない、と強調していた。

プーチンの保守主義とマクロンのリベラルという価値観の違いはあるけれど理解し合える、と。

そして今になって、ちょうど10年前にサルコジがG8サミットではじめてプーチンと会談した直後に記者会見の場に現れた時の様子が何度も流された。


明らかにふらついていて話すこともしどろもどろ、当時は、ウォッカを飲まされたに違いない、と言われていた。

しかし、プーチンもサルコジもアルコールを飲まない。

それが今になって、あの時は実はサルコジはプーチンに脅迫されてショック状態にあったのだと暴露され始めたのだ。それが単に「言葉だけのものではなかった」とも言われているのだけれど、完全には説明されない。

その時のG8におけるサルコジについて、ベルギーのテレビがまさに「上級生のいる運動場に入って興奮している下級生のようだ」と揶揄して、後から謝罪している。

そのために、先日のG7でのマクロンのパフォーマンスが注目されたのだ。

マクロンはうまく立ち回った。

で、次は注目のプーチン。「力関係」が決め手だとはマクロン自身も言っていて、用意周到だろう。

まず、最初の出会いの握手

握手しながらマクロンがすぐに左手でプーチンの腕に触れると、プーチンもすかさず触れ返した。

さて、午後、ヴェルサイユ宮殿の「戦いの間」での記者会見の中継をネットで全部見た。会見が終わって握手して2人がカメラに背を向けて去る時にマクロンの腕がプーチンの背にあてられた。マクロン得意の、「上から労り」ジェスチャーだ。

すごいなあ、大した度胸だ。

プーチンはヴェルサイユに来たのは初めてで感嘆している、と言った。

場所の選定も、ピョートル大帝の記念という口実も、G7の直後というタイミングもうまい。サンクトペテルブルク生まれのプーチンはピョートル大帝を尊敬しているし、ロシアはフランス文化に憧れていた。

記者会見でより多くしゃべっていたのはマクロンで、ロシアの触れてほしくないチェチェンでのLGBT迫害だの、大統領選中にスプートニク通信社が報道したマクロンがゲイでゲイのロビーに支えられているという噂についても、デマやプロパガンダを垂れ流すものはジャーナリズムだとは見なさないと言って名指しで批判した。

シリアやウクライナ問題についても言うべきことは全部言い、それでもことを進めるためにプラグマティックに解決する用意があるとも言った。

選挙運動中に言っていたことをすべてそのまま口にしている。

もとがトランプのような暴言ではないので、一貫しているという意味だ。

会見の様子を見て、マクロンはプーチンと対等に話した初の大統領だ、などとコメントした人がいた。

もしマクロンの対ロシア外交がアメリカへの従属に終わるなら大失敗だと言われていたが、これはまず成功の部類だろう。

会見の背景に映る両国の国旗も、ロシアも三色旗(上から白、青、赤)なのだが、白を真ん中にするフランス国旗の方がはっきりしていたし(マクロンの顔が白地の前になる)、その後ろに並べられたヨーロッパ旗が、フランスはフランス一国でなくてヨーロッパが背後についているという威嚇と同時に、フランスがヨーロッパの旗手であるという風にも見える。いや、そう見せる意志が伝わってくる。

10 年前、何があったのかは知らないがあのサルコジをすら打ちのめしたプーチンに対してともかく「対話」をした。(オランド大統領にいたっては建設的なことは何もできていない。)

こんな風に書いているとまた私は「マクロンびいき」だと言われるかもしれないが、実は、日本のことを考えていた。

マクロンとプーチンの会見を見ていて、安倍首相とプーチンの会見のことを思い出して暗澹としたのだ。日本の政権とメディアをめぐる今の状況を憂えているので、記者会見でのやり取りを聞いて、そのことも考えずにはいられなかっのだ。

日本の為政者にとって他国の為政者と対等でいられるということはどういうことなのだろう。

G7の首脳を伊勢神宮に連れて行っても、それはヴェルサイユのような意味は持たない。ロシアに関しては、プーチンをわざわざ地元の宇部に迎えてその後に山荘に招いて「温泉でゆっくりどうぞ」なんてあまりにも…敵を知らなさすぎる。

ロシアとの歴史と言えば日露戦争だったりするし、一度だって憧れを持たれたことがないと思う。

欧米の国で伝統的に日本文化に「憧れ」を持っている唯一の国はフランスなんだけどね。

表現の自由、メディアの独立性、外交においても言うべきことをきっちり言うこと、説得力を持たせること、展望があること…。

スポーツの試合では対戦相手のプレイのビデオを何度も見て、相手の弱点などを分析して戦略を立てるなどということがよく知られている。

国際関係に携わる人はなおさら、歴史の経緯も含めて勉強、研究が欠かせない。内向きのポピュリズムで満足している場合ではない、とつくづく思う。


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by mariastella | 2017-05-30 02:18 | フランス



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