L'art de croire             竹下節子ブログ

タグ:時事 ( 43 ) タグの人気記事

セバスティアン・クルツの「小国」

オーストリアの新首相となるセバスティアン・クルツ。

31歳。

マクロンも39歳で若さに驚いたけれどいわゆる童顔ではない。

でも、このクルツって、童顔っぽい。
c0175451_00240714.png
(これは11/10付のル・モンド紙のロイターの写真を拡大して撮ったものです)

それでも髪型が絶対にゲルマン風。フランスならあり得ない感じ。

中道右派で難民受け入れに厳しく、極右FPOeとの連立政権になる予定。

FPOeって、すでに1983-86年に左派と、2000-2006年に右派と連立与党になっている。EU離脱派でネオナチとも近く、イスラエルからボイコットされている。

でも、このル・モンドの記事によるとクルツは親EUだと言明している。
この50年で3度目の政権与党になるそうで、自分は若いけれど、古参のブレーンがついているから大丈夫、新鮮な風をオーストリアにもたらす自信があるという。
FPOeは連立の中で少数派だから制御可能だとしているようだ。

オーストリアはEUの中で、人口比でいうと最も外国人の割合が大きいのだそうだ。その上2015年以来15万人の難民申請者が押し寄せているから、その対策をするのは当然だと言う。
オーストリアは、ここ5年、いわゆるベーシックインカムの制度を実施している。すべての居住者は、働かなくとも毎月900ユーロ(12万円くらい)近くを支給される。それはEUの中の東欧など他の国の国民平均所得の2倍に近く、そのせいで、「社会政策ツーリスト」が絶えない。クルツはそれを廃止するつもりだ。

そんなことはすっかり忘れていた。
一番驚いたのは、マクロンの政策について聞かれたクルツが、

マクロンの提唱するEUの構想に賛成すること、フランスよりもずっと小さい国の代表者として自分に彼を助けることができるなら、するつもりだ、

と答えていることだ。

大国のイメージは面積から言ってもアメリカ、ロシア、中国、インドなどで、ヨーロッパ大陸には多くの国がひしめき合っているイメージだから、その中でオーストリアが「うちはフランスよりもずっと小さい」などという認識を持っていて口に出すのが意外だった。

日本だって、うちは中国よりずっと小さい、とか、アメリカよりずっと小さい、などと、わざわざ政治家が口にするのを耳にしたことがない。

それに、私のようにヨーロッパ史にしょっちゅう首を突っ込んでいる者にとっては、オーストリアと言えば、オーストリア=ハンガリー帝国だとか、神聖ローマ帝国などのイメージ、ハプスブルク家の歴史があるので、むしろ、ルイ一四世やナポレオンをも悩まし、姻戚関係を結んできた「列強」のイメージがある。

確かにナチス・ドイツに併合され、戦後は、確かに「小国」(面積は8万3千平方キロ。ちなみにフランスは55万、日本は37万8千、アメリカは983万だ)には違いないが、その「永世中立国」のイメージやウィーンの華やかさなどで存在感は大きい、と思っていた。

前にプーチンが「うちはお金がないのだからアメリカと比べることもできない」などとオリバー・ストーンに話していたことを思い出した。

政治のパワーゲームってなんだかイメージ産業みたいなところがあるので、どんな風にも見せることができるのだなあとあらためて思う。

オーストリアが「小国」になってからのここ30年ほどしか生きていないクルツのプラグマティズム、リアルポリティクスとはどういうものなのだろうと興味が出てきたのでウォッチングを続けよう。


[PR]
by mariastella | 2017-11-14 01:22 | 雑感

トランプ大統領の訪日と沖縄

今回の日本滞在は、はじめは台風の中の総選挙、終わりはイバンカ来日とトランプ来日のニュースと、政治的な話題にことかかなかった。


メンバーと滞在先に近い明治神宮に行くと、お守りやおみくじといっしょに教育勅語が売られていたので驚いた。前からあったのかどうか知らないが、こんなに目立って気づいたのははじめてだ。

いつからだろう。


こんなに「明治」回帰の大日本帝国の誇りを取り戻そうという感じの流れと、横田基地から入って出ていったというトランプ大統領に追随して武器をどんどん買いますよ、という属国ぶりとがどう両立するのか分からない。


トランプ大統領は中国ではもっと大々的にトップセールスを繰り広げていた。

私はフランス大統領が中近東やインドに行くたびに、やはり、起業家を引き連れて軍需産業のセールスをセットにしているのもすごく抵抗がある。武器輸出におけるアメリカ一強をけん制するために敢えてフランスから武器を買う国もある。

今回そういう関係をベースにして、イランとの危機を高めるサウジアラビアのリーダーに対話を訴えに行ったことはフランスならではだと思うので、安易に日本と比べることはできないのだけれど。


日本の一連の情勢の中で、沖縄の米軍ヘリの墜落から始まって、辺野古基地確約まで、衝撃を受けたのは、日本って差別主義が根付いている国なのだということだ。

日本で生まれて育って、いつも「なんとなくマジョリティ」の側にいた時は実感がなかったけれど、嫌韓、嫌中の言説を目にすることが多くなり、沖縄差別も結局それと同じレベルだと分かってきた。


いつも読んでいるこのブログ、沖縄戦終結後や太平洋戦争終結後に日本軍が久米島住民を虐殺した話を読んで、差別の根の深さにショックを受けた。


銃を持って向かい合う、殺すか殺されるか、というような状況と、相手を人間とは思わずに弱者を一方的に殺すというのは違う。戦争という極限状況が人間性を失わせる、というのとは別の次元の何かがある。


沖縄の基地問題は確実にそれと地続きのところにある。


[PR]
by mariastella | 2017-11-12 00:23 | 雑感

日本共産党って

フランスでTVを見ていたら日本共産党が出てきた。


ロシアの10月革命の100周年(と言っても今のグレゴリオ暦では数え方がずれているし、はっきりと日付を特定しないことが多いが)なので、「マルクス主義、共産党は果たして今でも生きているのか?」という特集があちこちである。

10/17の夜のarteで、ベルリンの壁と共に共産主義は崩壊したけれども、


「知っていますか、みなさん、今でも共産党が元気な国ってあるんですよ。」


という感じのコメントがあった。


中国とか北朝鮮の話ではない。

なんと日本共産党だった。

先の選挙で議席を倍増した、機関紙の赤旗は大部数だ、若者向けのアピールもすごい、と言って、志位さんの写真が出て、アニメの広報ビデオが映されて、かわいいネーミングのキャラが紹介される。


日本のいわゆるネトウヨの言説を見ていると、今でも共産党は、「アカ」、「反日」などのレッテルを貼られているけれど、若い世代にはハードルが低くなっているのだろうか、と一瞬思った。


思えば、ボルシェビキとは縁を切ったと宣言したフランスの共産党も、今もトロツキストの末裔はいていろいろ枝分かれしているにしても、実質すっかり影が薄くなって存在感はゼロに近くなった。大統領選にも独自候補は出さない。

5月まで政権の座にあった社会党でさえ、大統領選で惨敗し、マクロンに新党を作られて解体に近くなった。


それにくらべると、確かに日本では「社会党」が看板を降ろしたのに共産党は存続して「ぶれない党」として存在感を持ち続けている。「欧米」から見たら「驚き」の状態なのだろう。


ソ連で、マルクス主義に一番近いのはイスラムだ、と言われていたことも紹介されていた。

マルクス主義と普遍宗教は、その普遍主義と国際主義においては確かに共通しているけれど本質的には違います、と歴史学者が注意していたが。

確かに今一番「元気」な革命はイスラム革命のようにも見えないでもない。


ボルシェビキ型革命が失敗したのは、「平等」を実現するために「自由」を制限したからだろう。イスラム革命も「救い」を実現するために「自由」を制限する。

「自由」の中で「平等」を実現するには、「公正さ」が必要で、私利私欲にまみれたり「お友達優先」の非公開主義に陥ったりしないためには、何らかの形で「超越的な視点」を導入しなくてはならないのだろう。


難しい。



[PR]
by mariastella | 2017-10-20 07:31 | 雑感

憲法九条とニーチェとピンカーさん

時々読んでいるリテラにこういう記事があった。


ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞に対して、核兵器禁止条約に署名しなかった日本政府はばつが悪いんじゃないかというものだ。


オバマ大統領でさえトライしようとした核先制不使用宣言にさえ水を差したのだから確かにひどい。


ICANが日本の被爆者の証言から生まれたというのは注目すべきことだ。


私は、2003年のブッシュ大統領のイラク派兵に反対して外務省を追われた天木直人さんのブログも時々読んでいる。新党憲法九条というのを立ち上げて、東京21区から今回立候補されている。

彼が、憲法九条こそが日本が世界に誇れる宝、安全保障のための最大の手段と言うのは分かる。

実際、昨日の記事に挙げたリンカーンの就任演説と同じで、「人類の宝」のような演説や宣言は決して少なくない。

憲法九条がアメリカ軍に押しつけられたものだからよくない、などと言う人がいるけれど、アメリカだって、十分に立派な人類普遍の理想を自分たちでも掲げてきたのだから、ただあの時点で敗戦国にもう武力を持たせない、というだけの思惑で日本に不戦宣言を押しつけたのではないだろう。

彼らにも彼らの「理想」の文脈があった。


でも、憲法九条の


 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

というこれだけを見て、「宝」だと持ち上げると、


「現実が見えていないお花畑だ」とか

「では敵に攻めてこられたらなすすべもなく滅びてもいいんですか」


などと必ず言われることになっている。


憲法解釈をめぐっていろいろな説が飛び交う様子は、あたかも、聖書解釈をめぐっての二千年にわたる論争のようだ。


実際、イエス・キリストなんて、二千年も前に


「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 (マタイ5,38-40)」


などと、「現状認識」にかけ離れ、危機管理の意識がこれっぽっちもないお花畑で不都合なことを口にしている。被虐趣味ですか、と思われかねない不戦主義だ。


で、本当に、あっさりととらえられて抵抗せずに十字架にかけられてしまったのだから言行一致ではある。

その後、復活と聖霊降臨という不思議なことがあって、その途方もない生き方に続くキリスト者たちが現れ、次々と、大量の殉教者を出した。


その後、権力者に採用されたキリスト教は今度は大量に殺す側にも回っているのだから「なんだ、これは」と言いたくなる。


けれども、二千年のスパンで見れば、日本国憲法の前文にまで、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とか「政治道徳の法則は、普遍的なもの」だとかいう言葉が出てくるのだから、「お花畑の力、恐るべし」とも思う。ピンカーさんの言うとおりだ。


殉教者とは殉教証者であって、信仰について証言する人だ。

ICANが日本の被爆者たちの証言の上に立って活動したというのは大いに意味がある。

なぜなら、ただ核非保有国が集まって核兵器廃絶と唱えることに対して、「負け犬の遠吠え風」の印象を持つ人が少なからずいるからだ。銃を持たない人が銃を持っている人を非難するのも同じように見なされる。


その時思うのは、なぜだかニーチェのことだ。


ニーチェによれば人間は自然状態ならそもそも力を行使したい、他人を支配したいという欲望を持っている。迫害や破壊にも喜びを感じる。しかしそれでは「類」として生存できないからそれを抑え込むために「良心の疚しさ」というのを導入した。言い換えれば、「力を抑制する、力の発動を放棄する」というのは、もとにある権力欲が「鬱屈」したものだというのだ。

特に、自然状態での弱者は、この疚しさをカバーして自分の支配欲を内に抱え込み、外に対して非暴力という「正義」を掲げる。自ら率先して武装解除し、正義を掲げることで強者の攻撃本能やら支配欲を批判し抑え込む。

強者を平準化して弱者と同じレベルに引きずり下ろすためだ。

つまり、弱者のルサンチマンが近代社会の平和や人類愛という「正義」を生み出した。

銃がない人は、自分で銃を持とうとする代わりに、銃を持っている人にそれを捨てさせようとするし、核兵器のない国は集まって核兵器廃絶条約を唱える、というわけだ。


でも、ICANの運動は、違う。


ある時点におけるパワーバランスの不均衡を是正する目的などではない。


実際に被爆した人の犠牲の上に立って、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と日本国憲法前文がいうのは、ルサンチマンとは違う。

リンカーンも同じだ。

南北戦争の前に(連邦を護るために)「流血や暴力はなんら必要ではありません。そしてそれは政府の権力に強いられないかぎりありえません。私に託された権力は、政府に属する財産や土地をもち、使用し、所有すること、そして税と関税を徴収することに使われることでしょう。しかしこれらの目的に必要と思われることを越えては、いかなる場所の人々に対しても、またそのあいだでも、武力が行使されたり、侵害したりすることはないでしょう。」「法的に厳密に言えば、政府にはこれらの職務の遂行にあたって、権利が存在するかもしれないが、そうする試みは非常にいらいらさせられることでもあり、その上ほとんど実行不可能で、あえてしばらくはそのようなことを控えた方がいいと私は考えています(リンカーン就任演説)」と言っていた。

それにもかかわらず戦争に突入し、その後では


「誰に対しても悪意をいだかず、慈悲の心で接し、神がわれわれに正義を目にするように与えた正義を固く信じ、われわれが取り掛かっている仕事、つまり国家の傷をいやし、戦いに耐えてきたものや未亡人、孤児をケアし、われわれ全ての国民のあいだに正しく永遠につづく平和を実現し、はぐくむ仕事を終えるべく全力を尽くそうではないですか」と呼びかけた。


ルサンチマンとは思えない。


どんなに有効に見えても、「目には目を、歯には歯を」の軍備拡張の方向に向かってはいけないし、それは決して、負け犬の遠吠えでもない、と思いたい。


[PR]
by mariastella | 2017-10-17 00:24 | 雑感

「赤いキリスト」チェ・ゲバラの回想

109日は、チェ・ゲバラが死んでちょうど50年目だった。

1ドルが360円の固定為替で、パスポートも一回限定みたいな半世紀前の日本の高校生だった私に、ボリビアで殺されたゲリラのニュースがあれほど衝撃的だったのはいったいなぜだろう。

今ちょうど、「神、金、革命」の執筆を再開して、「革命から、神、金」へと回収されていった例としてゲバラのことを書いていたので、あらためて感慨を覚えた。

あの頃すでにキューバが徹底してゲバラを神格化するのに成功していたということだろうか。いやあの時点ではまだ「英雄」だった。


共産主義国家となったキューバといえども、カトリック文化は浸みわたっている。

ゲバラがイエス・キリストと同じ30代(39歳)で殺されたことではじめて、革命の「英雄」から、「殉教者」「殉教聖人」への格上げ、いや、その死に顔の映像が「イエス・キリスト」にそっくりだ(ゲバラがスモーカーになったのもイエスのように髭をはやしたのも、ゲリラ戦中にジャングルでの蚊の攻撃を防ぐためだったと言われる)というので、ゲバラのキリスト(=メシア、救世主)化の路線ができたのだと思う。

その時点ではまさかフィデル・カストロもゲバラと同世代(2歳年上)の自分が90歳まで生き延びて共産圏の崩壊を目にしたりローマ法王の調停を歓迎したりするなどとは思っても見なかっただろう。

革命の勇士を「神」と祀りあげるためにいろいろな演出がなされた。

そして、ラテンアメリカの「神」と、「死者の祭」は切り離すことができない。


で、ゲバラの「聖遺物」探索がはじまった。


ゲバラの遺体から両腕が切り離されて25cmのガラス瓶にホルマリン漬けされたという話にもすでに「聖遺物」幻想がある。(その聖遺物は1969年にボリビアの内務大臣からデスマスクと共にジャーナリストに託されてキューバに届いたという。石膏のデスマスクには髭や髪がついていた。)


キューバとボリビアの国交が回復した時に、キューバは歴史学者をボリビアの大使館に送って、ゲバラの腕時計や愛用のカップなどを見つけてキューバに送らせた。


ゲバラの異名は「赤いキリスト」である。

ボリビアはと言えば、独立後のボリビア革命によってインディオの権利を認めたりしていたのに、何度も何度も覆った。要するに、錫鉱山や天然ガスなどの資源をめぐって、アメリカが「傀儡政権」を通して利益をひとり占めしようとしたからだ。

ゲバラはCIAの指示でボリビア軍に殺された。

イエスの頃のユダ王国がローマ帝国の属国だったことと重ね合わせて、CIAがローマ帝国で、ボリビア軍がユダヤの既得権益者にあたると形容された所以だ。

今からちょうど20年前にゲバラの遺体がボリビアの空港滑走路脇で発掘されたという話にも怪しい部分がたくさんある。

ハバナの法医学者が調査隊を率いたこと、TVが賞金までかけて大騒ぎした後、「発掘」は結局秘密裏に行われ、3日間はメディアに伏せられ、アルゼンチン人の法医学者はその後にしかチェックできなかった。

しかも、DNA検査がされていない。遺体に両手がなかったこと、骨がホルマリンで変色していたこと、歯や眼窩の形でゲバラだと断定された。


発掘の責任者はボリビア人だが、もとキューバのボリビア大使でカストロ議長と親しい人物だった。


遺体は大々的にキューバのメモリアルホールに埋葬された。

他にもいろいろある。その「怪しさ」は、十字軍時代の「聖遺物」ブームと共通するあやしさだ。殉教者の「聖遺物」がブームとなったのは、それを手に入れた修道院や教会が巡礼地となって「経済効果」があったからだ。

古代ローマ世界の殉教者たちの「聖遺骨」が、ヨーロッパ中で崇敬されたように、ゲバラは故郷のアルゼンチンから切り離されて、聖遺物を基盤とする普遍的なイコンとなった。

ゲバラの肖像は、Tシャツ、キーホルダー、ありとあらゆるグッズとなっている。

カトリック世界で、今でも十字架やロザリオや各種聖人のカード、聖遺物(墓の土など)が配されたメダル、ペンダントトップが人気だ。「信者」でなくともアクセサリーとして、あるいは単なるお守りグッズとしてそれを身につける人もたくさんいる。同じように、「聖ゲバラ」グッズを購入する人たちはゲリラでも革命家でもない。

ゲバラは神格化され、すべての「神」のように、グッズに姿を変えた。

ゲバラのキーホルダーを購入する人は、ゲリラなんかにならない。

お守り十字架を購入する人は、自分や自分たちのためにお願い事をする。

ゲバラは五人の子供に手紙を残している。

「(…)君たちの父は、考えに従って行動し、信念に忠実な男だった。

良き革命家として大きくなりなさい。(…)

世界のいかなるところで誰に対してなされる不正に対しても、君たちの最も深いところで、感じることができるようにしなさい。それこそが革命家の最も美しい長所なのだから」

ナザレのイエスが福音書の中で言い残したことと変わらない。


自分はイエス・キリストではない、十字架にかけられるよりも武器を取って敵と戦う、とゲバラは言っていた。

「世界のあらゆるところで繰り広げられる不正を解消するために行動を起こす共感の力」の大切さを訴え、それが革命家の最も美しい長所だという部分はイエスと変わらない。イエスの行動も、剣をとって戦う「革命家」よりももっと「危険」だと見なされたからこそ、捕らえられて殺されたのだろう。

時代が変わっても、


不正と戦い、弱者を護るために強者に立ち向かう人は、


殺された後で多くの人の罪悪感を刺激して、

「英雄」「聖人」「神」

と仕立て上げられることで「毒気」を抜かれ、

偶像(アイドル)崇拝のグッズとなって経済を活性化するのかもしれない。

ゲバラの死にあれほど衝撃を受けた半世紀前の高校生の心の「最も深いところ」に合ったものをもう一度見つめたい。


[PR]
by mariastella | 2017-10-10 02:18 | 雑感

ノーベル平和賞

北朝鮮問題が「国難」とされているこの時期に、ノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に与えられたというのは久しぶりにいいニュースだった。日本の「憲法九条」にノーベル賞を、なんていう運動もあったけれど、日本は核兵器禁止条約にさえ賛成しなかったのだから、憲法もかすむ。

このことについて考えることもあるのだけれど、今日はこれについて二つのブログを読んだので、ひとまず気が落ち着いた。

このブログ  

このブログ  です。

フランスではマクロン大統領が次々に高飛車に「口を滑らせて」、教養のある雄弁家のイメージのはずが、すっかり、「サルコジの再来」扱いされている。

今にして思うと、サルコジにはそれなりの愛嬌があった。

まあ、リーダーに必要なのは別に愛嬌ではないけれど。



[PR]
by mariastella | 2017-10-07 07:32 | 雑感

最近のニュース: マルセイユとラスベガスのテロ、サウジアラビアとカタルーニャなど

先日、マルセイユの駅でテロリストに喉などを切られて二人の女性が死亡したニュースがあり、今回は警官や兵士を狙ったものではない、いわば「弱者」狙いだからショックを受けた。


これでまた、もう2年近く続いている「緊急事態」が延長されるか、普通法に監視事項が増えるかもしれないという危惧と、ナイフで襲われるなんていやだ、という生理的な恐怖も沸き起こる。。


そうしたら、その後すぐに、ラスベガスの拳銃乱射で58人もの死者、500人以上の負傷者が出て大パニックというニュース。


「これでフランスのテロの影が薄くなってよかった」

「さすが拳銃社会のアメリカは規模が違うなあ」

「アメリカでは分かりやすくアラーの名を叫ばなかったからまだテロ認定していないみたいだけれど、イスラム過激派のテロでなくても、これはテロだよね」

「日本でも秋葉原の無差別殺人とかあったよね、運が悪いとどこでも危険なのは同じ」


などと、身近で起こっている「悪」や「恐怖」を相対化してしまおうという妙な自衛本能からか、つまらないことばかり頭をよぎる。


一般人が銃を持つ拳銃社会でなくても、武装した過激派によるテロ、爆破テロ、トラックで突っ込むテロ、など、なんでも起こり得るし、実際、起こったのだけれど。


遊興のパラダイスとして成り立っているラスベガスだから、翌日から半分は通常営業しているらしいことにも驚いた。これが他の場所だったら、三日間くらいは全体が喪に服して営業停止となってもおかしくないのに。

これまで、テロがある度に、ろうそくや花束を持って人々が集まるシーン、黙禱のシーンばかり見てきた。

見慣れてしまってインパクトがへったなあ、と思っていたが、商業価値を第一にして、ラスベガスの名と惨事が結びつかないようにと最大の配慮がなされているようなのも怖い。

サウジアラビアで女性の運転が解禁になったというニュースも異様だった。

あの真っ黒の装束のまま運転しているのが何度も映されたからだ。


運転するなら髪や顔を隠さないこととセットにするべきだ。


サウジの男たちですら、運転する時は視界が悪くなるから頭巾を外している人が多いのに。

しかも、全身たっぷりとしたアバヤで覆って目だけ出していると、正直言って、中身が男か女かさえ分からない。腹に自爆ベルトを巻いていようとも武器を隠し持っていようとも分からない。

黒づくめの人が運転する車が迫ってきた方が何かおそろしい。


カタルーニャの独立投票もひどかった。スペイン政府は投票の結果がどうあれ選挙自体が違法で無効と言えばいいだけなのに、警察力で排除しようとしたので、ことは、独立がどうとかいうより、投票の自由、投票という形の表現、意見表明の自由を力で排除(90人以上の負傷者が出た)するという結果になった。

それに反発してにわかに「分離派」になった人もいるほどだ。


これからどうなるのだろう。


[PR]
by mariastella | 2017-10-04 02:16 | 雑感

国連総会での首脳演説 トランプとマクロン

日本でも国連におけるトランプの「北朝鮮破壊」のような強気発言が報道されていたけれど、なんだかもうこの人の品のない過激ぶりに麻痺してしまった。


フランスではもちろん、その後の演説でマクロン大統領が環境保護や弱者救済をエレガントに語るのが何度も映されて、オバマ大統領を思わせるとか言われた。

トランプの時代だからそのコントラストが際立って、ある意味で得しているかもしれない。


その上、イギリスのEU離脱が決まっているから、国連の安全保障委員会の常任理事国の中で、フランスは唯一のヨーロッパの顔となる。


米、中、露、英、仏。


経済的には今のロシアは弱いが軍事大国だし、英と仏が分かれると、イギリスが過去の帝国主義の盟主、フランスは団結したEUの代表、と見えるから、これもイメージ戦略的には悪くない。


経済的な覇者であるドイツは、こういうところでは、日本と同じくやはり第二次大戦の敗戦国というレッテルから逃れられない。


この安全保障「五大国」、いずれも核兵器所有国だから、北朝鮮でなくとも鼻白むが。

で、このマクロンの、一応「フランスらしい」、アメリカに盾突く発言だが、それを評して「地球という人類の集合住宅の管理組合(国連)の自治会会長」のスタンスだと言った人がいた。

悪くないたとえだ。

最上階に住み自分ちだけリフォームしてセキュリティシステムや耐震設備を整えている金持ちが自分は管理組合なんて無視してもいい、と言ったとしても、

建物全体のメンテナンスが放置されれば、害虫や害獣も忍び込むかもしれないし経年劣化もあるし、いつか土台から崩れるかもしれないのだ。

余裕のある居住者が金を出し合って全体を支えたり、孤立した居住者のケアをしたりした方が最終的には建物全体の健康寿命を延ばす。


そのようにスケールを変えて考えてみると、先日読んだ『プラチナタウン』も別の視点で見えてきた。


あそこで語られた赤字財政、過重負債、過疎化、少子化、人口の老齢化、介護の問題など、実は、「日本の中の一地方都市」の問題ではなく、「世界の中の一地方都市」である日本の縮図だと言えるのではないだろうか。

あの本では、日本の中の「都会」と「田舎」の格差だとか人口の偏りとかが語られているが、地球全体をひとつの国としてみたら、まったく同じようなことが起こっているわけで、日本はまさに、もうすぐ、「公共事業をやり過ぎて立派な施設がいたるところにあるが負債は膨らむばかりで消費は伸びず人口減の進む地方都市」のようなものだ。あの本にあるように世界中の各地へのアクセスは飛躍的によくなっているから、富裕者は、シャッター街になった日本を捨ててもっとリッチな場所に移住していくかもしれない。


そんな「地方都市」日本の再建のカギは『プラチナタウン』にあるような福祉政策かもしれないし、それを地球規模で考えて、地球集合住宅の自治会で積極的に全体の運営対策に参加することかもしれない。


[PR]
by mariastella | 2017-09-21 02:30 | 雑感

エドガー・ブレグマンとマクロンの「改革」

フランスではマクロン政権の支持率を一気に下げた労働法改正案が一応のまとまりに達した。今のマクロン新党絶対多数の議会では「強行採決」だって可能だが、そこは、どこかの国と違って、議会にかける前に主権者に徹底的に説明して理解してもらう、と首相が言っている。

確か、9/23にはメランション主導の大規模ストが予定されているはずだ。


フランス人労働者の半数が属しているという中小企業(社員250人以下)の経営者や多国籍企業にとってはより効率的で「やりやすい」方向になっていると歓迎されている。


私はそもそも「経済成長ありき」の考え方そのものに賛成できないので、暗澹としている。


でも、フランスよりずっと「改革」が進んで失業率が低いはずのドイツでも、年金の平均が月1100ユーロだそうで、年金だけでは暮らせない人々が高齢になっても結構ハードな非正規労働に従事している人たちが紹介されている番組を見た。病気になったらどうなるのだろう、と不安を口にしていた。

こういうのを見ていると、大統領選の予備選に勝ったのに本選では惨敗した社会党のブノワ・アモンが唱えていたユニヴァーサルなベーシック・インカムをのことを考えてしまう。彼は非現実的だと右からも左からも叩かれていた。

でも、ブノワ・アモンだけではない。トマス・ペインやミンカム運動や、そして最近では若きルトガー・ブレグマンのこともしきりに頭に浮かぶ。

で、ブレグマンの日本語表記は何だろうと思って今検索してみたら、なんと、『隷属なき道』というタイトルで文藝春秋社から訳本が出ていて、出版記念に日本で講演までしていることが分かった。


彼は「昨日のユートピアが今日の現実」になるという歴史を通して、今ここでユートピアを目指すことの意味を説く。「現実主義」に立脚していては環境破壊や格差の増大など、むしろマイナスの側に滑り落ちるからだ。


この見方は私の見方と一致している。


それにはまず、この世界で、自由度、平等度が高まり、あらゆる人が尊厳を持ってそれぞれの人生を全うできる可能性が増大すること、が、進歩であり善であるという認識が共有されていなくてはならない。


自由主義や民主主義は「西洋から押し付けられた価値」だから「日本本来の伝統価値」に戻ろう、などという言説は今でもある。

それは間違っている。「西洋」だって今の価値観をいろいろな失敗と反省から抽出してきたので、決して「伝統的」などではなかった。伝統的なのは古今東西、父系制維持のエゴイズムだ。

「自由・平等・博愛」など、主流秩序(アメリカの白人だとか、金融業の成功者だとか、軍産業者とか)にいる人たちにとっては十分に不都合な「押し付けられた」価値観である。

その価値観に基づく世界の実現など程遠い。


それでも、その価値観を共有したからこそ、形だけでも奴隷制は廃止したし、形だけでも植民地は手放したし、形だけでも男女同権を実現したし、社会保障を制度化した。ともかく「昨日のユートピアが今日の現実」になっているのだと若いブレグマンが評価してくれるということは、まだまだ希望を捨ててはいけないということだろう。


「労働法の改正」と言っても、私の同世代の人たちは多くが定年後の年金生活者なので、資産のある人たちは世界中を旅行して楽しんでいる。

ベーシック・インカムがあれば人は自分のやりたくない仕事を斥けることができて、自分に向いた仕事に挑戦できるのだも言われる。

「労働」とは「生産」なのか、「生活の糧を得るための営み」なのかとあらためて考えてしまう。

年金で暮らしていける人々には「労働から解放された」と「自由を謳歌」するスタイルをとる人が多いからだ。

そんな人たちを身近に見ていると、毎日「仕事」している私は複雑な気持ちになる。

「好きな仕事をしている」と言われるかもしれないが、「仕事」と名がつけば必ず負荷があり、自己管理も必要だし、楽しくてしょうがないという気分でやれるわけでもない。私の周りの人が「悠々自適」というのをやっているのになぜ私だけそれこそ貧乏くさく禁欲的な作業をやっているのかなあ、とふと思うこともある。


新約聖書にぶどう園で日雇いされる労働者が、夜明けから働いた人も午前九時から働いた人も最後の一時間だけ加わった人も夕方には同じ額の支払いを受けたので、労働時間が長かった人が文句を言った、という有名なたとえ話がある。(マタイ20, 1-16)

支払う側は、最初に合意した条件を守ったのだから文句を言われる筋はない、と言う。

この、ブドウ園の給料がベーシック・インカムなのかもしれない。

そしてベーシック・インカムを想像しただけで不当感を持ったり、搾取されていると感じたり、嫉妬したりする人が必ずいることもこのたとえ話と同じだ。


キリスト教や福音書は「欧米」のお話ではない。

二千年前のパレスティナの話だけれど、いつも革命的で、いつもシビアだ。


仕事って、何だろう。




[PR]
by mariastella | 2017-09-02 05:07 | 雑感

バルセロナのデモ行進

8/26のバルセロナでのアンチ・テロリズム行進をテレビで見てやはり、ここはすごくカタルーニャだなあと思った。
カタルーニャの旗の色(白、赤、黄色)の花を配っているし、プラカードや横断幕の「私たちは怖くない」というのもカタルーニャ語で書かれている。

スペイン王も行進に加わったのだが、カタルーニャ自治州の分離独立派から野次をとばされていた。

バリで2015年の1月にアンチテロの行進があったときは、フランス全土で同時に行進があったし、大統領が率先して各国の首脳に呼びかけて集めたし、メイン・テーマが「表現の自由」(シャルリー・エブドの襲撃の後だったので)だったし、フランスってやっぱり中央集権国家で、大統領国王制の国なんだなあとあらためて思う。

まあバルセロナの場合は、現場が観光地の中心でバカンス中で、国際色豊かで、26日は8月最後の週末で天気もいいし、観光客もまだたくさんいるし、この行進が盛り上がるのも分かる。

2015/1のフランスの場合はシャンゼリゼが狙われたわけではなく、風刺週刊新聞の編集部というコアな所とユダヤ食品店の立てこもりや警官殺害などで、その10ヶ月後にカフェやコンサート会場の無差別テロが起こるとはまだ予想していなかったし。

ベルギーやオランダでも続いてテロやテロ未遂があり、本当に物騒だ。

でも、なんといっても2024年オリンピック開催のパリだから、もう今後テロはないかのようなふりをしている。実際、今年は観光客も戻ってきているらしい。

そういえばフランスはリヨン・オリンピックとかボルドー・オリンピックとか、マルセイユ・オリンピックとかはない。パリ一強の中央集権ぶりがここにも表れる。
スペインのオリンピックもバルセロナだった。公用語もスペイン語とカタルーニャ語だった。マドリードは2020年に立候補して東京に敗れている。

テロリストたちはヨーロッパの国によって「戦略」を変えているのだろうか。

ともかく、国によってアンチ・テロリズムへの反応が微妙に違うのを観察するのは興味深い。

[PR]
by mariastella | 2017-08-28 01:43 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧