2月の終わり、冬休みに、ちょっと興味をひかれた新作映画を観に行った。シムノンのメグレ警部シリーズの時代設定を21世紀初めにしたものだ。まだ固定電話がデフォルトで、メグレ警部は携帯電話を持っていない。 リタイアして何年もパリのアパルトマンで家政婦と暮らしている独身の元外交官がある朝、射殺死体で見つかる。最初の一発で死んでいるはずなのに、さらに体に数発を撃たれていた。 唯一の身内は妹の息子でパリで骨董の店を経営している。この男も不思議な魅力を称えている。唯一の相続人だが殺す動機はない。 殺された元外交官は、若い頃に別れたプラトニックな恋人とのほぼ毎日の文通を続けていた。 恋人は男爵の娘で、伯爵であるが当時金のなかった外交官との結婚を許されず、王族と結婚して息子を生むことで自分の「義務」を果たすが、心はずっと伯爵のものだった。 原題が『メグレと老人たち』というように、家政婦も70 歳を超えているし、被害者は77歳、彼が殺された2日前には恋人の夫である王族が80歳(?)で落馬して死ぬなど、主要人物が皆高齢者となっている。そして、元外交官は未亡人となった恋人と再婚するつもりでいたらしい。
20世紀半ばのメグレが21世紀初頭(といってももう四半世紀前)に移動し、ジャン・ギャバンよりずっと繊細な感じのコメディ・フランセーズの演技派ドゥニ・ポダリデスが、それでもパイプをずっと口にくわえている。貴族は葉巻、他の男はタバコなど、なんだか不思議な空気の中で、パリの街が確実に時代を超えた色を添えている。
貴族の外交官という設定では、友人のオディールのことを思い出した。恋愛結婚だったが夫も彼女も貴族で、外交官としていろいろな国を回った彼女がいろいろと体験談を話してくれたこからだ。メグレやシムノンと同世代でもある。 映画の中では、スータンを着てラテン語を使用する古いタイプの司祭が出てきて、自殺すると祝福を受けられないしカトリックの葬儀もできない、などという話も、そういう司祭も身近に知っていたので、なんだか、この不思議な時代と不思議な人たちの心の動きが、日本人である私にとってリアルだというのがおもしろい。 脇役たちの個性が光っていて魅力的だし、ゆっくりしたテンポも、ディティールをじっくり味わうのに適していたと思う。ドキドキハラハラのミステリーではないけれど、不思議なノスタルジーを楽しめた。 #
by mariastella
| 2026-03-10 00:05
| 映画
購入するつもりはなかったが、無料のPDFで読める『マリアンヌの肖像』をついつい読んでしまった。クリスチャン・コンバスの「背中に剣を指されたマリアンヌ」だ。
出版を断られた作品だが、さもありなんと思うし、こんなものを読んでいたら今どきの「極右」だと思われかねない。 「アングロサクソンの野蛮な新自由主義」に対して「キリスト教とヒューマニズムに立脚したヨーロッパの伝統」を称揚するというテーマだからだ。でも、日本人の私には逆によく分かる部分がある。もちろんナショナリズムの部分ではあり得ないが。
ほぼ同世代の作者が語るフランス社会の変遷は興味深いし、ヌウイー・シュル・セーヌのブルジョワや貴族たちの微妙な出身の違いと、公立名門校かカトリック名門校か、地方出身かの違いなどが描かれ、その差によって68年の5月革命をどう生きたか、ジスカール、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドとどう関わって来たかなどの証言はリアルだ。考えてみれば、今まで、サルトルやニザンの世代の証言は読んでも、同世代の記録は読んでいなかった。ヌウイーのブルジョワ世界とは少なからずの因縁があるので新たな見方が加わった。そして最終章のハンガリー、これも、個人的に深い関係がある。ハンガリーがカトリック国として出発した時の言葉は印象的だ。これがあるから、ハンガリーは共産主義体制の中でもカトリック・アイデンティティを保ったし、それはポーランドも同じだった。ハンガリー動乱のことや、上智大学のネメシェギ神父とのいろいろなご縁も懐かしい。 最後の部分をGoogle翻訳すると、こうなる。 >>>興味深いことに、1000年にイシュトヴァーン王とゲルデルト司教の指導の下、ハンガリーが建国されたのは、まさに正反対の懸念からだった。王の言葉。 「何世紀にもわたって大陸をさまよった古代部族、アルパードの子孫である我々は、空間を貪り食い、資源を略奪し、人々を虐殺する蛮族のような振る舞いをやめよう。もはや幸福を追い求めるのではなく、ドナウ川のほとりに定住し、幸福を引き寄せよう。我々自身、そして隣人との間には、征服の必要性を、発明、創造、建設、そして理解の必要性へと置き換えるような関係を築こう。我々が住むことを選んだ場所を美しくし、また分け合おう。規則、法律、制度、儀式を増やすことで、法律、詩、演劇のあらゆるニュアンスを我々の言語に込めよう。」<<
と、共感できる言葉だ。 もっとも、その宣言は次のように締めくくられる。
>>キリスト教を受け入れよう。キリスト教は、私たちの周囲で、同時に抑制力、推進力、ヒューマニズム、そして国家間の統合力であることを証明してきた。私たちの部族特有の遺伝的特徴、特に繊細さとニュアンスに富んだ言語から生まれる知性を磨こう。私たちの世界、私たちの家族に属することは依然として困難だが、この努力が実れば、栄誉と誰もが羨む地位という報いが与えられるだろう。私たちは文明人となり、私たちと共に文明人となることを望まない人々を拒絶しよう。<<
ということで、著者の称揚するヨーロッパ民族主義に通じることになる。 キリスト教を受け入れさえすれば、他文化からの移民でも「栄誉と誰もが羨む地位という報い」が得られるという「論功行賞」みたいな言い方では、せっかく弱者に寄り添う普遍的な道徳をベースにしたキリスト教から乖離してしまう。
うーん、前の記事に書いたように、ピーター・ティールが「西洋、西洋」「西洋文明」といって、ヨーロッパとアメリカをまとめていたことに反感を持つヨーロッパ人も少なくないわけだけれど、だからと言って、「ヨーロッパ至上主義」を唱えるのは、ヨーロッパがもはや「終わった」という見方も広がっている中で、ますます現実と乖離してくるなあと思う。 それとは別に、フランス学士院にピーター・ティールを招いたドルバル女史が、こう言っているのを聞いた。 >>今ロシアや中国が新しい帝国を作ろうとしていると騒いでいるのはおかしい。帝国とはヨーロッパだったのだ。そのヨーロッパが植民地を手放した、帝国の恩恵を受けられなくなった旧植民地国から帝国に逃げてくるのが移民だ。今のヨーロッパは亡命帝国になっている。<< つっこみどころもありそうだ。日本人としてもいろいろ考えさせられる。 #
by mariastella
| 2026-03-09 00:05
| 本
2月の末、バチカンはレオ14世の外国訪問の予定を明らかにした。
3/28に日帰りが予定されているモナコは、ヨーロッパで唯一カトリックが「国教」の国だ。といっても憲法には信教の自由があり、タックス・ヘイブンもあって140 ヶ国以上の国籍の人間が住んでいるという。ローマ教皇が公式訪問するのは初めてだとか。 その後、4/13-23にアルジェリア、カメルーンなどアフリカの4ヶ国を訪問。 アルジェリアは、アウグスチノ会出身の教皇にとって大きな存在であるアウグスティヌスの出身地であり、教皇就任前に訪問したことはあり、19人の福者を輩出している。 アウグスチヌスが生きた時代はローマ帝国滅亡の時代で、今の「西洋の没落」と重ねられることも多い。 次が5月?のスペインで、サグラダ・ファミリアが完成しガウディが列福されるなどのイベントと重なるようだ。海路でたどりつく移民の問題を抱えるカナリ―諸島にも寄るとか。フランシスコ教皇が最初の訪問先にランペドゥーザを選んだことを思い出す。 私がバルセロナにいったのはもう20年以上前だけれど、町の人々が、自分たちにとってはサグラダファミリアこそが教会であり、カテドラルのことを「あれはローマのものだから」、と言っていたのを思い出す。 フランシスコ教皇が日本を訪問したのはコロナ禍の前年だった。 半年後だったらすべてがキャンセルされていただろう。 アメリカ人のレオ14世が広島、長崎を訪れる日が来ることを期待したい。
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by mariastella
| 2026-03-08 00:05
| 宗教
アメリカのカトリックにはいわゆる右派と左派の二つの流れがあり、この10 年間で対立を深めた。バイデン前大統領がカトリックであったこととも関係する。 ひとつはプロライフというやつで、中絶禁止や同性婚反対など倫理的な保守派であり、もう一つがキリスト教社会主義で貧困対策など社会政策を優先するリベラルだ。(経済政策においてはリベラルである保守派もいる。) レオ14世はこの二派が協力しなくてはならないと司教たちに呼びかけている。 カトリックの社会ドクトリンによると、「力」は政府の行使する最後の手段でなくてはならない。 それに対してトランプ大統領は先制攻撃が最高の戦略だとちらつかせている。トランプは自分のことをキリスト教擁護者だと言っているので、アメリカのプロテスタントもカトリックもトランプに染まってしまった部分がある。 教皇は司教たちが話し合うシノドスの精神を鼓舞し、実際、アメリカの司教たちは2025年11月にICEを弾劾している。メディアでは「保守」とされている米軍付司祭の長であるブログリオ司教はアウグスティヌスを引用し、1/18に、グリーンランドでの軍事侵攻がある場合、兵士は命令の良心的拒否の権利があると語った。次の日にフランシスコ教皇派(リベラル)の3人の司教も、政府はモラルの磁針を再び正すようにと呼びかけた。 20世紀のスペインの内戦で、フランコ軍がマヨルカ島で反対派を大量に殺害したのを目撃したフランス人ベルナノスが『月下の大墓地』でカトリック右派を批判した歴史も想起されるようになった。ベルナノスははじめ右派のアクション・フランセーズに属していたが、フランコ軍による殺戮をカトリック教会が容認していることに衝撃を受けたのだ。
トランプ大統領の政策を牽引するのは宗教ではなくてビジネスだ。 それをよく表現しているのがピーター・ティールだ。彼は生成AIも含めたTECビジネスの大富豪で第一次トランプ政権の立役者でもあった。ドイツで生まれ、1歳でアメリカに渡り、カトリックに近かったという話もあるが、福音派の洗礼を受け、そこからも離れて,自分では小文字で始まる正教(orthodox)だと言っているらしい。同性婚をしているので保守カトリックと相容れないのはもちろんだが、「キリスト教」アイデンティティは確固としている。 彼の信ずるところはハルマゲドンとカテコンで、キリストの再臨の前にハルマゲドンがあり、偽キリストであるアンテクリストがすでに現れているとさまざまな機会に警告している。 2026/1/26、なんとフランスの道徳政治科学アカデミーに招かれて講演した時の彼の話は次のようなものだった。 AIを筆頭とした現在の技術革命は精神的な救済のための手段であり、その預言はヨハネの黙示録の中に見出される。世界平和を願うことは「反キリストを語る」ことに通じ、人工知能の無制限な発展の危険性を警告する研究者こそが「反キリストの兵士」である。
これに対するフランスの左派カトリックの反応はこうだ。
二千年もの間、偽預言者が現れ、信仰の言葉を奪い取ると我々は警告されてきた。ティールは偽予言者の1人であり、彼のイデオロギーはSFと偽造神学の混合物である。ティールによる聖書の引用はグロテスクだが、現代人の大多数がもはやキリスト教を知らないことを考えると不安に駆られる。 AIの問題はカトリック教徒にとって関心事ではあるが、ティールのような形の関心ではない。現在、前例のないスピードで発展しているAIは、映画『2001年宇宙の旅』のように、人類に対して敵対的な反応を示す可能性があるが、ティールがこの点を無視するのは明らかで、彼の歴史的・神学的な発言が彼自身の経済的利益を根拠としているからだ。 フランス学士院に彼を招待したのは、右派カトリック・ブルジョワジーであるシャンタル・デルソル女史だった。
ティールの講演の2日前、1月24日の第60回世界社会コミュニケーションデーのメッセージの中で、教皇レオ14世は、人口知能を「神託」と見なすような「単純で無批判な信頼」に対して警告を発し、「こうしたことはすべて、分析的かつ創造的に思考し、意味を理解する私たちの能力を弱めてしまう可能性がある」と指摘した。 教皇は、「私たちはAIに操られることなく、AIを使う方法を学ばなければなりません。デジタル詐欺、ネットいじめ、改ざんされた動画を避けるために、自分のイメージ、顔、そして声を守らなければなりません。アルゴリズムが私たちの現実認識をどのように形作るのか、AIがどのようにバイアスをかけられるのか、そして私たちの情報の流れを毒するメカニズムを理解しなければなりません。そして、AIの背後に隠された金銭的利益について知らなければなりません…」と締めくくった。 教皇と偽善者は真っ向から対立しているのだ。 謙虚で穏やかだが実は怖いものなしのレオ14世の言葉をじっくり考えたい。 #
by mariastella
| 2026-03-07 00:05
| 宗教
何かというと「西洋の一員」としてふるまう日本。 黒船来航で驚いて、あわてて「西洋」を視察、「和魂洋才」を掲げて、すでに反植民地化されていた他のアジア諸国が思いつかなかった「近代化」を成し遂げた。 それでも、軍部台頭によって大国アメリカに無謀な戦線布告をして、核兵器の実験場にされて無条件降伏、アメリカに占領されて「戦争放棄」「民主化」を受け入れ、朝鮮戦争の特需などで経済の繁栄を達成した。 冷戦下の世界ではすっかり「西側の経済大国」としてふるまってきたが、冷戦が「熱くならないまま」終了すると、国境のない新自由主義経済、終わらない成長というユートピアで、「勘違い」を深化させ、北朝鮮、中国、ロシアと近接する地政学条件を軽視してきた。気がつくと、日本を「守ってくれる」アメリカは、アメリカの武器を買って自立しろなどという路線を露骨に出してきている。 それでも、G7の一員、ロシアも締め出された西洋民主主義国の仲間だというが、労働生産性はG7で最下位となり、さらに、G7そのものが、中国、インド、アラブ諸国などを前に存在感を失いつつある。 そもそも日本では「戦後民主主義」の手本であるかのように見られてきたアメリカの特殊性が意識されていない。アングロサクソン民族が先住民族を追いやって、アフリカから「輸入」した黒人奴隷を使って「開拓」してきた国であり、彼らにとっての文明は「西洋」なのだ。 2026/2/14、ミュンヘンで開かれた安全保障会議で、アメリカから参加したマルコ・ルビオ国務長官がグローバリズムについて演説した。 安全保障で、我々は何を守っているのか、それは偉大なる西洋文明だ、というのだ。 西洋文明、西洋文化の代表として彼が羅列したのは、ベートーヴェン、モーツアルト、ダンテ、シェイクスピア、ミケランジェロ、ビートルズ、ローリングストーンズ、ミケランジェロ、システィナ礼拝堂、ケルンの大聖堂であり、偉大さという神への信仰に基づく西洋を、霊的にも文化的にも守らなければならない、と言う。 だからこそ、その西洋文明を共有しない人間が「西洋」にどのように、何人入って来るのかを監視しなくてはならないというわけだ。
こういう発言が「西洋キリスト教文化圏」でない国の人間の耳に入らないとでも思っているのだろうか。 マルコ・ルビオはキューバにルーツがあるというのも興味深いところだ。 カトリック家庭に生まれ、モルモン教でも洗礼を受け、その後プロテスタントのバプテスト(キング牧師のイメージ)を経て、カトリックに戻った。 トランプのもう一人の側近の副大統領JDヴァンスもプロテスタントからカトリックに改宗した人だ。 こんな二人をトランプ側近に抱えるアメリカ出身のローマ教皇の反応を次に見てみよう。 # 付け加えておくと、このルビオの「西洋キリスト教文化圏」発言は、フランスの保守からは叩かれている。「西洋、オクシデント」としてアメリカとまとめてほしくない。彼の挙げた文明は全てヨーロッパのものだ。200語しか語彙のないトランプのような輩と一緒にしてくれるな、というものだ。この反応はある意味で当たっている。キリスト教文明としてのヨーロッパは見方によってはもうすでに終わっているからだ。 今でも大統領が聖書に手を置いて就任するようなアメリカ、「新大陸」の征服者アメリカが、それでも「西洋」(トランプはの本音は「西半球」だろうが)を強調するのはヨーロッパにはまだ日本のような「使い道」があると見なしているからだろうか。 (でも、日本に使い道があるとしても、「西洋文明」から完全に無視されているのも事実だ。外交的配慮はゼロだ。) #
by mariastella
| 2026-03-06 00:05
| 宗教
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