フランス革命の恐怖政治時代にギロチンで処刑された16人のカルメル会修道女たち。 政教分離法ができた翌年の1906年にようやくピオ10世により列福された。列福の次の段階である列聖をもとめて再びヴァティカンが検討し始めたのが2022年、フランソワ教皇は列聖に何の障害もないと言っていたので、パリのノートルダム再開セレモニーの折か、その後のコルシカ島訪問の折に列聖が発表されると期待されていたのだが、実際は、コルシカから戻った後、12/18に突然のように、カルメル・シスターズの列聖が宣言されたのでフランスのカトリックは驚いた。セレモニーが後日あるのかどうかはまだ耳にしていない。以下はバチカンニュースより。(これを書いている1/11時点では日本のバチカンニュースには載っていなかった。) 普通、列聖や列福の認定には「奇跡」が必要だ。複写、聖人と見なされる人に神への取次ぎを祈った結果、「奇跡(現時点の科学では説明できない)」とみなされることが起こったというのが認定されなければならない。けれども、明らかに、キリスト教の信仰故に殺された「殉教者」の場合はそれ自体が「奇跡」に値するということで死後の取次ぎによる奇跡の認定は必要とされない。 普通は、尊者や福者者に祈って「奇跡の治癒」を得たという申請があっても、医学者や神学者による詳細なチェックが入る。シスターズは殉教者だからその必要はない。 にもかかわらず、1906年の列福後、166件もの「奇跡」が報告されているという。彼女らの加護を願う人々がそれだけ多かったということだろう。 でも、同じカルメル会のリジューのテレーズは、19世紀末に帰天して、1923年列福、2年後に列聖と、当時のカトリックの盛り上がりが反映されているのに、テロルの殉教者シスターズたちは、1906年の列福の後、列聖への動きからはまったく打ち捨てられていた。 カルメル・シスターズの処刑は、彼女らが、正式のものではないがヴェールなどを被ってシスターとしての外見のアイデンティティを示しながら、さらに今のナシオン広場の処刑場に引き出される時もずっと詩編117番を歌い続けていたこと、全員の表情が輝いていたことなどが深い印象を残し、後にベルナノスらに影響を与えた。ベルナノスの小説は死の床で書かれて死後に出版されたがそれが戯曲化され、プーランクがオペラ化したのが1955年、その前に、1931年のナチス台頭下のドイツでゲルトランド・フォン・ルフォールによる小説があり(修道女の名は架空)フランス語に訳されていた。 プーランクのオペラの解説を貼っておく。 それなのに、なぜ彼女らの列聖が一種のタブーになっていたのかというと、それは彼女らの処刑が第三共和制以降のフランスがアイデンティティとした「革命」の暗黒面のシンボルであったからだ。 王侯貴族や各種政治家、思想家が、暗殺されたり処刑されたカオスはまだ分かる。 ではどうして、愛徳姉妹会のような社会活動修道会でもなく発言もしない観想修道会の彼女らが、と思うかもしれない。 ところが、実は、それこそが彼女らの抹殺の理由だった。 革命理念の中で「自由」というのがあり、市民は自分たち以外のいかなる権威にも服してはならない、というドグマが支配していた。観想修道会の中で、神に、教会に、修道会の役職者に絶対の服従を誓い自らを「奉献」しているような女性たちは、「旧世界」の犠牲者であり、彼女らをその「檻」から解放し自由にすることが革命勢力の「使命」だったのだ。 彼女らがたとえ「自由意志」で奉献生活、規則正しい祈りの生活を選んだとしてもそれは中世から続く「蒙昧」の中にあるからだと見なされた。 彼女らは修道院から出ないのだから、革命政府に迷惑をかけるでもなし、政治的な影響力もゼロなのに、革命政府は、彼女らを「神」と「宗教」というカルトに洗脳された犠牲者と見なし、彼女らを絶対に自由にしようとした。その結果、1792年9月に修道院から追放され、彼女らはコンピエーニュの三軒の家に分かれて保護された。そこでは、外出する時も修道服でない平服を身に着けた。(彼女らを保護していた家族がその服や日用品を補完していたのが今は第二次聖遺物として展示されている。) それでも、毎日の時祷、聖務日課は全員が守り続けていた。 蒙昧の洗脳が解けない彼女らの様子を見て、革命政府は1794年に全員を逮捕、投獄した。投獄されてからは修道服をつけ、ヴェールを被って、祈ったり詩編を歌ったりすることが看過されたのは、彼女らが革命政府の命令に従わないことを示すためで、処刑を正当化するためだった。けれどもそのことが、逆に彼女らに力を与え、ギロチン台まで神を讃え続けたのを見た人々にまでも深い感動を与えたのは、革命政府にとって皮肉だった。 修道院内に「閉じ込められている」彼女らに「自由を与える」ことを目指した革命政府が、観想生活を貫く彼女らに業を煮やして結局「公開処刑」するとはなんという不条理だろう。 16人のうち一人は見習い修道女でまだ正式の誓願をしていなかったが、ギロチン台の前で全員が誓願を新たにし、神のもとに行くことを確信して、聖像に接吻してからギロチン台に登った。 革命政府がこれらの「セレモニー」を許したのは、彼女らがいかに迷信に凝り固まった愚かな女たちだという見せしめだったのだろうが、見事な「殉教」劇を後世に語り継がれる形で公開してしまったわけだ。
彼女らの物語はその後伝記にも映画にもなっているが、史実にできるだけ忠実に絵をおこした画期的なBD(コミック)も生まれている。 (個人的には、1990年代にプーランクのオペラをパリオペラ座に観に行ったのが思い出だ。当時知り合った日本人の歌手が出演していてお誘いを受けた。衣装は黒白の修道服で、独特の迫力ある舞台だったことを覚えている。) 彼女らが繰り返し謳い続けていた詩編117。 「主を賛美せよ、すべての国よ。/主をほめたたえよ、すべての民よ。 #
by mariastella
| 2025-01-24 00:05
| 宗教
私の書斎には過去に読んだ日本語の本がたくさん積まれている。全集などは本棚に並べているが、文庫本などはほこりを被っている。 年明けに、そんな文庫本の一冊が、何かの拍子で落ちてきた。表紙を見ると『パリ遺言特急』とありカバー絵も印象的だ。ニースからパリへ向かうミストラル特急の中で大富豪が遺言を残す、とある。 まったく記憶がない。タイトルにもインパクトがあるし、ミストラルにも郷愁をそそられて、新年最初に読む小説に決めた。 見ると、私が最初に読んだのは1984年版(初版は1979年)で、小説の舞台は1973年、第四次中東戦争が勃発して石油危機が起こった時代、アラブ産油国諸国とイスラエルが敵対し、諜報機関が暗躍するという設定だ。ストーリーはまったく記憶にない。 読み返して分かったのは、これがいわゆる本格推理小説ではなく、「意外な結末」などもないサスペンス小説(民事法廷部分の描写はそれなりに興味深いが)なので私の「ミステリー小説」の記憶に取り込まれなかったらしいということだ。(読んだ本は必ず感想をどこかにメモしていたはずだけれど、もうどこに何があるか分からない。検索できるブログはやはりありがたい。) でも、2025年の今読むと、まさに中東でイスラエルとアラブ諸国が戦火を交えているところだし、専制国家の秘密組織による誘拐や暗殺なども普通に報道される時代になっているので、「臨場感あふれる」と感じてしまった。 第四次中東戦争のきっかけは1973/10/6のエジプト軍によるイスラエルへの奇襲攻撃とそれに対する大規模な報復だから、ちょうど半世紀後の2023/10/7以来のガザ戦争を連想してしまうのだ。「石油危機」でのパニックの描写も、ウクライナ戦争でロシアのガス輸入が止まった欧州での電力節約パニックが記憶に新しいのであらためて納得がいく。(1973年は東京にいて、トイレットペーパーが買い占められたニュースも覚えているが個人的に困った覚えはない。) もちろん、時代の差も感じられ、懐かしい思いにも駆られる。 ニースに初めて行ったのは1970年代だし、ネグレスコ・ホテルに泊まったのは90年代だった。1970年代の「特急」にみな6席の個室コンパーティメントがついていて、はじめて利用した時は新鮮だったことも覚えている。その中に鏡があって、「フランスの列車の個室にいる自分」を見て感慨深かった記憶がある。(ミストラルは1982年まであったそうだが、70年代にニースに行った時は車だった。) 小説の中で、主人公の弁護士が西ドイツの日本大使館と電話で話し合い、遺言書のコピーを見てもらうためにすぐに郵送するから、というシーンを読むと、文書をスキャンしたり撮影したりしてメールで送ることができないばかりか、FAXさえ使われていなかったのだなあ、と隔世の感だ。日欧ハーフのヒロインを「混血」と書いたり、髪や髭の色が黒いことをユダヤ人の見分け方のひとつにしていたりという部分も20世紀だなあと思った。パリの一流ホテルの鍵の形の描写もなつかしい。 ヨーロッパのすばらしい観光地としてドブロヴニクが勧められているのも珍しいチョイスだと思った。私がドブロヴニクに行ったのは21世紀だけれど。 遺言書を残した大富豪父娘が、神戸在住というのも、神戸に多くのユダヤ人亡命者が受けいれられてきた歴史を思い出させる。このカウフマンや、東京裁判以来日本に残って日本の弁護士資格を持っているマシューズのモデルになるような人が当時の日本にいたのかどうかは知らない。 和久俊三の他の小説もひょっとして読んでいるかもしれないが記憶にない。弁護士をしながら何百冊も小説を書いているなんて神業だ。 昨年秋の日本では楽器と仲間が一緒で新年の読書用ミステリーなど買えなかったので、これで満足した。
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by mariastella
| 2025-01-23 00:05
| 本
1/7のフランスは、カリカチュア週刊新聞シャルリー・エブドの編集部にテロリストが進入してイラストレーターらを虐殺してから10年目だった。テロリストたちは警官も殺し、ひとりはユダヤ系スーパーに侵入し、2人はパリの北郊外の印刷所に立てこもってから殺害された。 当ブログで検索したらこういうものが出てきた。 もっと遡ったら、事件発生当時から時系列にそってメモを残している。 最初はこれ。ショックが大きかったのが分かる。同年秋のバタクランの方が大規模テロだったけれど、犠牲者の個人的なイメージがなかったからエモーショナルの度合いは少なかったような気がする。 この一連のテロコメントの中にあるこの記事を読み返した。
今思うと、この10年でこのシャルリー事件は政治的にさんざん利用されてきたと言わざるを得ない。もともと左翼の雑誌が襲われたのに、このテロをイスラム差別に利用した極右の動きなどもあった。 極右と言えば、シャルリー事件10周年の同じ日に国民戦線創設者で、後に娘のマリーヌから除籍されたジャン=マリー・ル・ペンが96歳で逝去した。シャルリー事件の追悼やその後の展開の回想や現状分析などで埋まっていたテレビ番組が、ル・ペンの回顧番組に侵食された。 彼の20代の頃の映像を始めて見たが、すらりとハンサムだったのに驚いた。バルデラを連想したくらいだ。ヴィルパンなどは体形が変わっていずに今もすらりとしているが、近頃再び存在感を増しているオランド元大統領などは、肥満体形といっていいほどだ。ルッキズム的にはジャン=マリー・ル・ペンも損をしていたとあらためて思う。 (極左のグループが集まってル・ペンの死に祝杯をあげている様子も放映されていた。過去にどんな差別的発言をした人であっても、リタイアして長い96歳の死を祝うなど下品だとしか思えなかったけれど。) #
by mariastella
| 2025-01-22 00:05
| 時事
Q : そのようにして、偶像崇拝というすべての疑惑をいっそう下にもかかわらず、第2ニカイア公会議の後でもイコノクラスムが続いたのはどうしてでしょう。
A : 確かに、次に聖像破壊派の皇帝が即位するとイコノクラスムは再燃した。アルメニア人のレオーン五世"アルメニオス"の時代だ。 イコノクラスムが終って最終的にイコン崇敬が回復するのは843年で、女帝テオドラが「正教会の祝祭」によって公式にイコンの崇敬を導入し、東方正教徒切り離せないものとなった。イコンが果たす役割があまりにも大きく明らかなので、他のキリスト教会も、採用するようになり、今はフランスの多くのカトリック教会にもイコンが掲げられている。 sekko : レオーン五世(813-20)は、コンスタンティノープル総主教を解任してまでイコノクラスムを再開した。女帝テオドラというのは、正確に言うと2歳で即位した息子ミカエル三世の摂政の形で君臨した。(後に息子によるクーデターで僧院に送られる) 確かに、例えば私が教師をしていたことのあるパリのカトリック系私立学校でも、子供たちにイコンを制作させる時間などがあった。 カトリック教会なのにイコンが有名なのは何といっても東欧ポーランドの数々のイコンだろう。 このインタビューを読んで、フランスのイコンを集めたプチパレの部屋を訪れたくなった。 カトリック世界で人々の崇敬の対象になったのはイエスの「真の顔」とも言えるもので、最初は髭のない顔、次に髭のある賢者の顔、次第にゼウス=ジュピターの顔、と変遷してきたのが、中世初期に「acheiropoietos(アケイロポイエトス : 人の手によらない画像)」が現れた。東方のマンディリオン(東方のエデッサの王を癒すためにイエスが布に自分の顔を当てて映したもの)と呼ばれるものなどだ。真贋よりも奇跡の方が注目されてコピーが多くつくられた。聖ルイ王が東方から持ち帰ったといわれる13世紀のフランスのランLaonの聖なる顔も有名だった(フランス革命で焼失)。それに対抗するのが6世紀に現れた「ヴェロニカの布」(十字架の道でイエスの顔を拭った布に奇跡的に顔の図が残った。)で、ヴァティカンとラトランの二ヶ所に今も保管されているものが一番有名だ。(最初のヴァージョンから後になるほどイエスの顔に血の跡が多くなっているという。) ローマでの1300年の「聖年」以来、イエスの顔が「本物」かどうかが重要視されるようになった。(15世紀には、ローマの総督が皇帝に送ったというイエスの外見の詳細についての偽の手紙が「発見」されたほどだ。) そのように求められ続けたイエスの姿も、ネガティヴ像が1898年に写真によって「再現」されたトリノの聖骸布によって、新しい段階に入った。 これについては今まで何度もいろいろなところで描いているのでここでは触れない。 イエスの「聖顔」について日本語で検索してみたらこういう論文がでてきたのでリンクしておく。 マンディリオンについてこういうwikiの説明もあった。 #
by mariastella
| 2025-01-21 00:05
| 宗教
Q : イコノクラスト運動は西洋には広まりませんでしたか?
A : ローマ法王は、ごく初期から、カトリックが図像に抱く愛着を認めていた。画像をめぐる東方教会でのこの争いや、ローマとコンスタンティノープルとの考えの違いについても理解できなかった。この断絶が決定的になるのが1054年の東西教会大分裂に至ることになる。最初の女帝となったアイレーネーが787年に開催した第2ニカイア公会議にローマ教皇は特使を2人派遣し、キリスト、聖母、聖人たちの図像表現を正当化した。先行する聖イオアン(ヨハネス・ダマスケヌス)の神学を適用し、画像は神にのみ向けられるべき崇拝の対象ではないこと、画像を通して表現される原型に向けての崇敬であることとした。画像の前にひれ伏すのはproskynesisと呼ばれた。 sekko: proskynesisは紀元前四世紀のペルシャで神や王の前で頭を下げ、手でキスを送る、という儀礼だったそうだ。完全にひれ伏して土地に接吻するものもある。 英語版のwikiを貼っておく。 ローマ教皇が訪問先の国で地面にキスする映像が出回ったのを始めて見た時には驚いたことを覚えている。 実際の「ひれ伏」を見たのは、カトリックの新司祭の叙階式や、チベット仏教の活き仏の前での五体投地などだ。 後者は、前にいる活き仏にではなく彼が体現しているまりに対してひれ伏すのだと説明されたけれど、高みに座って、人々が次々とひれ伏すのを見ているのってどうなんだろう、特に活き仏がまだ子供だったりしたら、などと思ってしまった。 ひれ伏する対象が生身の人間でなく図像の方がいろいろリスクが少ないかも、と。 また、ひれ伏するのには関節だとか筋肉だとかをけっこう動員しなくてはならないから、健康な人でないと無理だなあともいつも思ったものだ。 (続く)
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by mariastella
| 2025-01-20 00:05
| 宗教
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