最近出版されたマリー=マドレーヌ・フルカードの評伝。
「Libre et résistante Marie-Madeleine Fourcade l'inclassable」
彼女はとにかくすごい人なのだけれど、レジスタンスの闘士としてだけでなく、1980年代に欧州議会の議員を勤めていたほど、現役で政治の場面で活動していたことなど記憶になかった。
日本語のネットで検索しても全く出てこない。
こうして見てみるとあまりにもすごい経歴なのでここでいちいち書けない。1909年に名門ブルジョワの家に生まれ、17歳で士官と結婚し一男一女をもうけ、ピアニストであり、モードのジャーナリストであり、メディアで活躍し、多大な人脈を持っていた。
夫と離れてパリに出て、子供を母親にあずけて、さまざまな活躍をした。
そして、戦争とフランスの降伏。
ドゴールと知り合い、人脈を利用してレジスタンスのネットワークを作り、イギリスに渡り、最も長く持ちこたえた一人だ。フランスでレジスタンスのグループを率いた唯一の女性でもある。(ベルギーにも一人いる)
フランスで二度も逮捕されたが、その度に、仲間も連れて脱出した。
警察に踏み込まれた時に、秘密書類を噛みくだいて飲み込んだエピソードもある。
彼女のレジスタンスのネットワークは「ノアの箱舟」で、彼女のコードネームはハリネズミ。一見柔らかくて弱そうだけれど、呑みこんだら棘を立てることが分かっているから攻撃されない。
戦後もずっと活動するのだが、戦中の偽名使用や戦後の再婚で名を変えるなど、同じ人がずっと第一線にいたとの認識は少なかったのかもしれない。しかも、1948年に再婚した相手フルカードとの間にさらに3人の子供をもうけたという。40歳を過ぎてのことだろう。
レジスタンスで貫いた信念、闘志、バイタリティ、エネルギー、体力だけでもどんな「アマゾネス」かと思うが、レジスタンス・ミュージアムの写真でも分かるように「楚々とした美女」で、そのギャップもすごい。(
他の写真も。)
彼女が他の女性レジスタントのようにパンテオン入りしないのはなぜだろう。
政治的にかなり右寄りの立場にいたことがあるという経歴のせいなのかもしれない。
レジスタンス運動の中で捕らえられて処刑された人の方が「殉教者」「英雄」とされやすいのは分かる。
レジスタント運動では、左派も右派も超越したナショナリズムが発動していたが、戦後にはそれぞれの立場が分かれた。レジスタントで命を落としたり戦後まもなく亡くなった人は政治的立場にかかわらない「栄光」を保持できたけれど、戦後の復興の時代において、ド・ゴールでさえ、断罪されたのだ。長生きすることにはリスクもある、ということだろうか。ジャンヌ・ダルクが「長生き」していたら、どのような「公的生活」を送りどのような「後世の評価」を得たのだろう。
それでも、ネオ・フェミニズムとは対極にあるマリー=マドレーヌ・フルカードのような破格の女性がいたことは、記憶にとどめる価値がある。