L'art de croire             竹下節子ブログ

『エドモン』シラノ・ド・ベルジュラックの誕生

『エドモン』は、シラノ・ド・ベルジュラックで有名なエドモン・ロスタンを主人公にした執筆秘話のストーリーだ。


この映画はあらゆる点で私のツボにはまりまくりの映画だった。

監督の若手のアレクシス・ミシャリックは最初映画のシナリオとしてこれを書いたのだけれど予算がなくて芝居にし、それが2016年の賞を総なめにするくらいに受けて、映画化された。芝居の方が有名過ぎるので、映画としてこなれていないことを指摘する批評も少なくないけれど、もともと劇中劇のような文脈だから私は気にならなかった。この作品出の成功はエドモン・ロスタンの成功とだぶる。

シラノはドン・キホーテと同じくらいに世界中で有名だ。有名さではハムレットも有名だけれど、ではハムレットの姿を想起せよと言われてもプロトタイプがあるようなないような、で、セリフの方が有名だ。

それに比べると、シラノのセリフはアレキサンドランの韻文で長いしすぐにいくつも口を突いて出ることはないけれど、その「鼻」のビジュアルは強烈だ。

で、ドン・キホーテに比べると作者のセルバンテスの知名度が低いようにシラノの作者のエドモン・ロスタンの知名度も、シラノとは違って、国境を越えたら低いだろう。

このエドモン・ロスタン、シラノを書いた時はわずか29歳、結婚して10年の妻との間に2人の子供もいるのに2年間のスランプで何も書けていなかった。それなのにサラ・ベルナールとかコンスタン・コクランなどの人脈があって、シラノ・ド・ベルジュラック(17世紀の詩人で武人)を題材にした初めての「コメディ」を書き上げて、大成功をおさめたのだ。

189712/28の初日に来ていた財務大臣が感激して楽屋でレジオンドヌール勲章を渡した(正式授与は数日後)とか、1903年にアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたとか、20代で書いたたった一作であらゆる栄光を得た。最初の500日で400回の上演というからその人気は半端ではない。

当時は映画の上映が始まったばかりの時代で、もう芝居はすたれるのではないかと思われていたらしいけれど、フランスは今でも演劇の上映がヨーロッパ一多い国だったと思うし、シラノも世界中で上演されているのだから、永続価値が十分にあったわけだ。

サラ・ベルナールはアメリカでも大成功を収めてパリに戻ってきた当時のインタビューで、「アメリカの聴衆は熱烈だけれど大人の落ち着きのあるパリの客に会えるのが嬉しい」と言っている。


この映画が私のツボにはまるのは、パリの町(最初に時代背景がコメントされるけれど、右にそびえるサクレクールと左にそびえるエッフェル塔の画面は今と変わらない。)への親近感(私の住んでいるうちも、1880年の建物)、そして、物書きとインスピレーションの関係、舞台づくりへの苦労と情熱、聴衆とのコンタクトなど、いろいろなテーマが、私の生活とささやかだけれど重なるからだ。もちろん、フランス・バロック奏者として、フランス語の演劇とdéclamationへの思い入れは大きい。

他の言語でシラノを読んだり聞いたりしたことがないので想像できないけれど、フランス語のリズムが分からない人にはこの映画の魅力の半分以上が分かるのかどうか心もとない。でもパリのベル・エポックが好きな人なら十分楽しめる。ムーランルージュのフレンチカンカンだとか、アブサントを飲ませるカフェだとか、チェーホフと出会ってその言葉にヒントをもらう設定になっている売春宿とか、芝居小屋の楽屋とか、そして最後に突然現れる大樹と修道院の中庭の実写も清々しい。


シラノの歴史的なセリフがすべて現実のちょっとしたシーンに促されて次々と偶然生まれるという設定で、確かにいかにもつくりもののお手軽感はあるのだけれど、気にならない。コルシカ訛りのプロデューサーで女衒でもあるコンビも戯画的で現実感は希薄だし、ドタバタ風のギャグもあるのだけれど、もともとエドモン・ロスタンのサクセスストーリーという「お話」の枠なので私には不自然ではなくて楽しかった。

マティルド・セニエやオリヴィエ・グルメのようなベテランの存在感は大きいし、エドモンと同年で童顔のトマ・ソリヴェレスも新鮮だった。

エドモンにインスピレーションを与え、シラノ・ド・ベルジュラックの本も見せてやったおそらくカリブ系の黒人であるパリのカフェのパトロンは、実在でなく架空の人物だ。この人が、この映画で唯一の正統派の好人物で、教養があり勇敢で人間味もあり太っ腹で、差別に対する態度もアーティストたちに対する支援も、ある意味でとても今日的な設定だと思った。

エドモンが創作のためにミューズを必要とすること、それには仮想恋愛と日に2回のラブレター書きが最高の策だったということも、カリカチュラルとはいえ、説得力がある。作家にはたとえたった一人でも作品を崇めてくれる存在が必要だというのも分かる。カーテンコールで栄光の頂点に立った夫を見ながら、それでもその夜は彼が帰ってきて自分と同じ床に入るのだと自負する妻の心情も分かる。

この映画の過剰さはエレガンスとはかけ離れているのだけれど、その過剰さもふくめてすべて気に入った。(とはいえ、自分の「ツボにはまる」という評価は、他の人に無条件で勧められる普遍性を持つ映画だとか問題提起の映画ではないということでもある。一方で、この映画をすごく気に入った、という人は好みを共有する「おともだち」だなあ、と思う)


エンドロールで、これまでに映画化されたシラノたちの姿とセリフが次々と挿入される。何と最初は1900年のものでコクランの姿が見える。最後がジェラール・ドパルデューのものだ。懐かしい。

1600もの韻文を記憶して朗誦しなくてはいけないシラノの役に挑戦するのは体力と覚悟を要求する。

これまでフランスで知ったり知り合ったりしたあらゆる演劇人を見る度に、このメチエがいかに「情熱」によって支えられているのかにいつも感動する。アマチュアの演劇人でも同じことだ。子供の世界でも演劇のクラスがとてもたくさんある。日本で見聞きするようないわゆる「タレント養成」や「タレント志望」とはまったく異なったものだ。

(そう言えばマクロン大統領も高校時代の演劇クラスの指導教官だったブリジッドさんと知り合ったことが有名だ。政治家は、多かれ少なかれ「名演」を求められる。)

映画を観たシネマ・コンプレックスで、ホールを出たら、矢印付きの看板があって、


Sortie / Retour à la réalité

(出口 / 現実への帰還)


と、書いてあった。


# by mariastella | 2019-01-20 00:05 | 映画

Forgiven(ローランド・ジョフィ監督、フォレスト・ウィテカー主演)

Forgiven(ローランド・ジョフィ監督、フォレスト・ウィテカー、エリック・バナ主演)

最近はフランスのコメディ映画の新作を少し見たのだけれど、コメントする気が起こらなかった。

で新年最初に行ったこの映画は、見ごたえがあった。


前半が冗長、刑務所での暴力シーンが多すぎるなどの批評は目にしていたが、すべては伏線を構成していて納得がいく。暴力シーンは目を閉じたけれど。

ローラン・ジョフェ(これはフランス語読み。1945年ロンドン生まれだけれどフランス系ユダヤ人だそうだ。英仏二つの国籍を持つ)は『ミッション』などの名作を監督した社会派。この映画はアパルトヘイト後の南アフリカでネルソン・マンデラによって「真実と和解委員会」の委員長に任命されたノーベル平和賞受賞者デスモンド・ツツ聖公会大司教が、筋金入りの差別者で殺人者の元警官を前にし手苦悩するという設定だ。ジョフェはこれを『アーキビショップとアンテクリスト』(大司教とアンチ・キリスト)というマイケル・アシュトンの戯曲を基にしたのだけれど、タイトルを「赦される」と変え、最初の2人の面会シーン以外は大幅に書き換えて映画化したのだそうだ。



ツツの姿は実際のマンデラの葬儀の時も印象的だった。


よく見ると演じるフォレスト・ウィテカーの瞳は青い。なんだか不思議だ。表情が陰影に富んでいて、赦しと処罰の問題の難しさがよく表現されている。


ジョフェは、昨年末ユネスコでの上演の時にパリに来てインタビューに答えていた。

タイトルを変えたのは、そもそも「赦し」という行為が、人間に「生得」のものなのかあるいは「学ぶ」ものなのかについて以前から自問していたからだという。ジョフェは南アフリカだけではなく、ナチス・ドイツや軍事特栽時代のアルゼンチンの拷問者などにも取材して彼らのさまざまな意見を聞いたという。

調べてみると、1995年には南アフリカの新憲法はすでに死刑を廃止していたので、「殺人鬼」たちも死刑になる心配はなかった。日本のように、社会を揺るがす凶悪事件が起こる度に死刑存続が支持される国とは何かが根本的に違う。矛盾していたとはいえ南アフリカの軸足がヨーロッパにあったからかもしれない。ツツも、ロンドンのキングスカレッジで神学を学んで南アフリカ初の黒人大司教になった人だ。

ジョフェが南アフリカの白人たちから聞いたという話に興味深いものがあった。9-10歳くらいまでは多くの黒人と白人の子供たちが平気でいっしょにサッカーなどをしていた。大人たちは敢えて何も言わなかったという。ところが大人たちのちょっとしたしぐさや表情に気づくことによってだんだんと差別感が生まれ、遊んでも白人の子が士官、黒人が兵隊、サッカーでも白人の子がオフェンス、黒人がゴールキーパーのように役割が分かれていった。最終的に黒人への友情が自分たちの家族の価値観への裏切りのような気がして、その反動で黒人の友を憎悪するに至ることもあるというのだ。

このことがこの映画の背景にもなっている。

これをきくと、私の友人の同世代アメリカ人アーティストの言っていたことを思い出す。彼女は西海岸のリベラルな白人だけれど、やはり子供の頃は黒人の友人との間に何の境界も感じることなく親友になってつるんでいたのが、ハイスクールになってすべてが変わった、「違い」とそれに対するわだかまりや罪悪感などいろいろな感情が生まれて自然に疎遠になったというのだ。

最近こういうビデオを見た。

大の仲良しの黒人と白人の子供が、2人の見分けがつかないようにして先生を驚かせようと同じ髪型にすることを思いついたという。5歳の2人には自分たちの肌の色の違いがまったく意識されていない。

これは今どきの話だから、大人たちもほほえましく見ているのだけれど、確かに、この年齢では、子供は「肌の色の違い」など意識していないということだろうか。



ジョフェの描こうとしたのはもちろん善悪二元論などではない。

ただ、歴史を振り返るといつも、エゴイスティックな生き方と開かれた生き方の間に戦いが繰り返されているという。強者が支配するという力の世界の見方と、人は相互扶助の中で進化するというイメージが対立してきた。その二つの道の間で、いつもどちらかを選択するという自由意志があるとジョフェは信じる。

さらにジョフェは、自分を不可知論者だという。合理主義、科学主義的な彼にとって「神を信ずる」と言ってしまえば神を理解するということと等しく、神を理解するということは有限の中に神を閉じ込めてしまうことになるからだ。

けれども量子的世界から古典的な物理世界が生まれ、互いの法則は異なるように、この世を創造した神の世界があるのかもしれない。自分は絶えず探し続ける。

疑いを持つことがなくなれば、すべてが確信の中にあれば、脳は機能しなくなる、という話と同じだ。

この映画の中のツツの苦悩が、彼が高位聖職者であるがゆえになおさら人間的に見えてくるのはそのためなのだろう。

結局、南アフリカの黒人たちは「復讐」の無限ループに入らないことを選んだ。

人類史上画期的なことだった。

映画でも、愛する娘を無残に殺された母は、憎しみや復讐によって娘の死を汚すのを拒否した。

しかし、「赦し」は難しい。


後悔し、謝罪し、「赦し」を求める相手を赦すならまだしも、確信犯のままで憎悪を隠さなかったり冷笑したりするような敵を一方的に「赦す」ことなどできるのだろうか。ましてや「被害者」自身が永遠に去ってしまった状態では。

(この春は4/21に真生会館で赦しと死刑制度に関する話をするよう依頼されている。南アフリカの「真実と和解」についてもっと考えてみたい)


# by mariastella | 2019-01-19 00:05 | 映画

ナポレオン2世と白鳥の歌

先日、朝のラジオ・クラシックで、ナポレオンの息子の一生を語りながら音楽でたどるものがあった。


私は『ナポレオンと神』で彼のことは少し触れたけれど、主題は父親の方だったから深く掘り下げていない。でも、この若くして死んだナポレオン二世のことを考えるといつも胸が詰まる。


フォンテーヌブローでみたガラガラのおもちゃ、ウィーンでみた子供ベッド(ここに写真あり)、ヒトラーがウィーンから移したアンヴァリッドの墓所。

あの息子がいなかったらナポレオンは討ち死にしていたのではないかと思う。

皇帝とはいっても、フランス革命の後だから、彼はフランス帝国の公邸ではなくフランス人の皇帝と称した。ハプスブルグのマリー=ルイーズを迎えても、息子が生まれるとは限らなかった。誕生の時、逆子ですぐに息をしなかった。

男子だと101の礼砲が、女子だと21の礼砲が撃たれる。国民はそれを待っていた。21発目の礼砲まで緊張が高まっていき、その後で群衆が一瞬凍りついた時、22発目が鳴り響いた。その時のフランス国民の熱狂を再び見るのは、それから百年以上後の1918年の第一次大戦終結の朗報の時だったという。

ナポレオンはチュイルリー宮のバルコニーから息子を両腕に掲げて群衆の歓呼に向けて差し出した。彼はこの息子を「フランス国民」に捧げたのだった。国民もそれを信じた。


(今のフランスは、新大統領の就任式に21の礼砲だから、女子並み? 2013年だったか、イギリスの王子に息子が生まれた時は103発だったそうで、20発は子供のため、21発が女王のため、21発がロンドン市のためと圧ったけれど、では残りの41発は?…)


その後の悲劇、ハプスブルグのフランツ皇帝の孫であるこの息子がウィーンでは「フランツ(=フランソワ=フランス)」と呼ばれながら、悲劇の一生を送ったことは知られている。


で、この息子が結核で亡くなったシーンがラジオで語られた後すぐに流されたのが、シューベルトの「白鳥の歌」の第四曲だった。私にすでに彼の運命への思い入れがあったせいだろうか、この曲が今まで聴いた一番胸に響く葬送曲であるかのように響いた。チェロとピアノの編曲である。

この曲はシューベルトの『セレナーデ』として有名で、初心者でも弾きやすい(実は左手の正確さと右手の三連音符の関係が初心者には難しい)ピアノ曲としても知られていて、私も子供の頃から弾いていた。でもその時はこのような悲劇的な感興を覚えたことはない。センチメンタルという感じはあったけれど。


で、この文脈でのチェロの響き。

曲が終わってから私はすぐにヴィオラを取りに行った。

ェロで弾けるものはすべてヴィオラで弾けるからだ

少しキイを下げてはじめの部分を弾いてみた。

その後で試しにピアノの楽譜を探して弾いてみたけれど、やはりヴィオラには負ける。

もとは歌曲だが、やはり切々と「歌う」ことは人間の声と似た音域のヴィオラやチェロのボウイングによって圧倒的に地平が広がる。

こんなになじみの曲が、ナポレオン二世とその父の運命と突然ぴったり重なったのは衝撃的だった。

藤原真理さんのコンサートではアンコールではいつもサンサーンスの「白鳥」で心が満たされるのだけれど、このセレナーデも聴いてみたい。

40の手習いでヴィオラを始めてもう四半世紀になるけれど、ヴィオラを弾けて良かったと思うのはこういう時だとつくづく思う。



# by mariastella | 2019-01-18 00:05 | 音楽

政治家の体力と知力

「対話」「議論」「意見交換」を打ち出したマクロンが1/15にノルマンディに出かけて地方自治体の代表たち600人と、午後の7時間に及ぶノンストップの質疑応答をした。テレビで生中継があった。

内容についてはまた別の時に書くが、日本人の感覚で驚いたのは公開で、休憩なしの7時間近くの長丁場というところだ。トイレ休息もコーヒータイムもない。私が一部を見た時はマクロンは立ったままで水も飲んでいなかった。


これをフランス全国でやっていくというのだから、今までの「王さま」スタイルが高くついたというわけだけれど、それにしても体力と気力はすごい。

さすが41歳の若さ。働き盛り。

でも、今まで見捨てられていたと嘆く地方に出向いて「庶民」と向き合ったにしては、相変わらずの「優等生」言葉を頻発して、実況でいろいろな批判がツイッターで飛び交った。

第一、「中央から無視された地方」というのを

"Un sentiment de déprise lorsqu'ils sont dans la ruralité".

と表現した。このdéprise というのが、「辞書を引かなくては分からない」と揶揄された。
私などはむしろ、単純に、priseの反対だと連想するので何の抵抗もなかったけれど、「今」風、「庶民」風に、

les campagnards sont des laissés pour compte.

と言えばいいのに、と揶揄されたのだ。
うーん、もともとマクロンは、リセの頃から愛聴のシャンソンもジャック・ブレルとかレオ・フェレの曲だったとかで、完全に時代錯誤だった、と言われる。
確かに、マクロンの親世代である戦後のベビーブーマーのテイストだ。

若い世代からは「スノッブでジジイくさい」と言われ、その「ジジイ」からは「青臭い」と言われるのだから気の毒でもある。

今、「黄色いベスト」運動が極右ル・ペンにとりこまれようとしている傾向が強くなってきたから、マクロンが全力で「下々」と「向き合う」のは悪くはない。

それにしても、あんなに「下品」で「無教養」な言葉や態度を頻発していたサルコジに対しての方が、攻撃も下品だったけれど、分かりやすいと言えば分かりやすかった。
マクロンって、かなり逆説的な存在だ。
教養は「謙虚」に裏打ちされていなければただの「武器」だと思われる。
「黄色いベスト」の多くの人がマクロンに求めているのは「教養」でなくて「謙虚」だということが彼にはまだ分からない。

これは前から書いていることだけれど、フランス人はよくしゃべる。どんな人でも、根拠がなくても、滔々と自説をまくしたてる。フランス語自体にもそのメカニズムがある。

確実に思えることは、どこかの国の首相なら、批判的な人々、不満を持っている人々の前で7時間も直接質疑応答するような体力も気力も語彙もないだろうなということだ。

(細部をチェックするのが必要な時があるかもしれないので、自分のためにここに全シーンを貼り付けておきます。)


# by mariastella | 2019-01-17 00:05 | フランス

マルスィアル・フーコーの語る「黄色いベスト」運動

「毎週土曜」が定番となって続く「黄色いベスト」運動についてのまとまった言説が出回り始めている。

パリの政治学院のマルスィアル・フーコーが興味深いことを言っていた。

「黄色いベスト」運動は、SNSでの広い呼びかけなしには起こらなかったとは言えるけれど、実は、フランス人でSNSの情報に信頼を置いているのは13%に過ぎないという。そして自分の周囲の知人友人、属する自治体のリーダー(町長や市長など)の言うことには90%以上のフランス人が信頼を置いているそうだ。
この10年ほどこの傾向は顕著だそうだ。

だとしたらフェイクニュースへの耐性は案外あるのかもしれない。

つまり、政府や大統領には激しく抗議しているけれど、「地元の議員」とは話し合う気が満々ということでこの辺が解決への道につながるかもしれない。

こういう「町内会」っぽいところって、個人主義のフランス人に一見似合わなさそうに思われるけれど、なんだか実はよく分かる。「家族の絆」だって少なくとも日本の大都市に住む日本人より強そうだ。農耕民のDNAはフランスの方が色濃く残っているかもしれない。

フーコーのビデオ。

# by mariastella | 2019-01-16 00:05 | フランス

女性差別とユダヤ人差別

ラジオで44 歳の女性ラビ(フランスでは希少)のデルフィーヌ・オルヴィラール(Horvilleur)が「黄色いベスト」運動と反ユダヤ主義の復活について話していた。

今のポピュリズムに共通していえる「エリート」「権力者」「富裕層」への抗議とそれに伴う憎しみの連鎖から、昔からの反ユダヤ主義(ユダヤ人は金融強者で闇のネットワークで世界を支配している、富裕者、陰謀論)が復活しているという。アメリカのピッツバーグでシナゴーグを襲ったテロリストもユダヤ人が移民のキャラバンを通している、などと言っていた。ポピュリズムのあるところに反ユダヤ主義もある。
1946年にサルトルはユダヤ人とは反ユダヤ主義者の視線の中にしかいないという考えを表明した。その後も、2012年のトゥールーズのユダヤ人学校のテロの時も、フランスでは、反ユダヤ主義は、中東でのイスラエルとアラブの対立を反映したものだという見方がされていた。
これに対してオルヴィラールは歴代のラビによる説明をたどりながら、反ユダヤ主義は進化しながら更新され続けていることを述べる。

反ユダヤ主義というユダヤ人差別の特徴は、「嫉妬」にある。

他の人種差別、民族差別などの差別は、差別する対象に対する優越感に支えられている。つまり被差別者は何かが足らない、劣っている、と見なされる。ところがユダヤ人差別はちがう。

ユダヤ人はカネやネットワークや権力など自分たちにはないものを持っている、という嫉妬と偏見が基盤にある。そしてそれは、本来自分たちにあるべきものをユダヤ人に奪われているのだという不当感につながり、陰謀論を生む。

ここまでは分かる。

驚いたことにオルヴィラールは、さらに、そのようなユダヤ人差別と女性差別の相似点を指摘する。
ユダヤ人差別の言葉には、ユダヤ人がヒステリックで、金が好きであるという偏見に、性的な侮蔑も込めたものがあるらしい。今「黄色いベスト」運動の憎しみの対象になっているマクロンが同性愛者でユダヤ人である(実際はちがう)と攻撃されるのも、「女のように陰謀に長けて強欲」というイメージだからだそうだ。ユダヤの男には生理がある、という差別言辞も存在したという。

うーん、奥が深い。
そう言われれば今まで闇に隠れていたものが浮かび上がってくる。

逆に、男性による女性差別の中にも、「女性が劣っている」という優越感だけではなく、女性に対する嫉妬や劣等感も隠れているのかもしれないし、「母なるもの」への永遠の憧憬の裏返しもあるのかもしれない。

単純な「肌の色」だとか、特定機能の優劣だとかに起因する差別よりも、ずっと奥が深い。


# by mariastella | 2019-01-15 00:05 | フェミニズム

朝市とローコースト衣服

うちの近くには歩いて5分くらいのところに月水土と週三回の朝市がたつ広場がある。
メトロを乗り継いで買い出しに来る人がいるくらい新鮮で安い青果や魚がたくさんある。
衣服や靴も売っている。私はめったに行かないのだけれど、たまに行くとその安さに愕然とする。
昔、生活に困窮していたフィリピンのメイドさんがそこで革のバッグなどをよく買っていたが、100 円ショップほどではないにしろとにかく安い。セーターやジーンズなども5ユーロ、10ユーロなどがいくらでもある。化粧品や雑貨などは1ユーロでほんとうに100円ショップ並みだ。

私はもう30年くらい前、従兄に頼まれてサントノレの日系高級プレタポルテの名目社長を少しの間やっていた。その時、前の年のバーゲン(フランスでは条例で決まったバーゲン期間や条件が細かく決まっていた。「規制緩和」の今もその名残はある)で売れ残った商品は地下室にしまわれていて、それをliquideurという専門業者が買いたたきに来ることを知った。彼らは付近のブティックから売れ残りの服を一括買いし、ブランド名のタグを外して地方の朝市などに卸すのだった。だから、朝市に並ぶ既製服の中には「元高級品」があるので見逃してはならないと教わった。

でも、実際そういうものにあたることは少なく、今の朝市には、「安かろう悪かろう」風のペラペラの服がたくさんあり、それが飛ぶように売れている。赤ん坊や幼児の服はなるほどと思う。長い期間着るせるわけではないので、洗って着まわして捨てるという方法もあるだろう。あまりにも種類が豊富なので私もつい買ったことがある。5ユーロの猫柄のパジャマを買って、一度洗濯したら終わりかなと思っていたら、意外と縫製もしっかりとしていて驚いたこともある。

で、暮らし向きが楽ではないだろう移民の女性たちが朝市で実によく服を買っているのを見て、女性は安くてもこうしていろいろな服を買うのが楽しみなんだろうなあと思っていた。

ところが、先日のラジオで、今地球を汚染しているものの第一セクターは燃料系だけれど、その次がローコースト衣料なのだときいた。

ローコースト衣料が第三世界の女性や子供の低賃金長時間労働搾取によって成り立っていることを知ってはいた。ところがそれだけではない。
世界に出回るローコースト衣料の大半は綿製品で、その綿花の栽培には大量の農薬が投下されていて、その綿を染める染料も無規制で毒性のあるものが多いのだそうだ。染める人にも健康被害がある。すなわち、栽培、染め、縫製の全ての過程で自然環境も社会環境も汚染している。これを防ぐには、ローコースト衣料を大量に買っては捨てるという消費の仕方をやめるしかないという。

同じエコロジーでも、大企業であるエネルギー産業や自動車産業のコンプライアンスだとか直接口に入る農作物のことには注意が向きやすいけれど、衣料も巨大な環境汚染セクターなのだと聞いて、昔ながらの「いいものを長く着る」ことの大切さをあらためて思う。

今フランスは公式のバーゲンシーズン。「お買い得」そうな品々を眺めていろいろな感慨を覚える。




# by mariastella | 2019-01-14 23:46 | フランス

清浄オーラを発するネコ

うちは2軒長屋で生徒が来る方のうちは「非猫ゾーン」にしていて他にも猫が入らないようドアを閉めている部屋もいくつかあるのだけれど、猫好きにもかかわらず猫アレルギーの友人知人もいてすぐ涙目になったりくしゃみしたりすることがある。

そのせいか、つい最近アレルゲンを100パーセント吸収するという空気清浄機をプレゼントしてもらった。で、例のごとく、こういう丈夫な箱をもらったらついしてしまうように、猫用にざっくり切り取って遊ぶことにした。(PCモニターの例

すぐに上から飛び込んだナルくん。
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前の窓から出た。
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これなんかオーラを放っているようでおもしろい。
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今度はイズーくん
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# by mariastella | 2019-01-13 00:05 |

イラク戦争の「人間の盾」

年明けに、『神と金と革命がつくった世界史』を読んでくれた読者からの長い手紙と資料が出版社から転送されてきた。

この方は2003年のイラク戦争の時に、高校の世界史教師を辞職して「人間の盾」としてイラクに渡ったWさんという。

私の本は橋爪大二郎さんの書評を読んで購入し、もしこの書評がなければ副題や帯の文句のため「ある種の陰謀本」と考えたろうと言われて驚いた。

この方は、イラク戦争時に「人間の盾」宣言をして以来教育の場で連帯の実践を奨励してきたけれど、なかなか周りに理解されず違和感を持っていたのが、私のこの本によって、自分のアイデンティティが「普遍主義者」だと気づいた、はじめて自分の標榜しているものの名が分かった、という(でも、ネット・アーミッシュと自称されるようにインターネットを使わないので私とは接点がなかったのだ)。


2003年のイラク戦争でのフランスと米英の差は、フランスの普遍主義と米英の共同体主義の差として明らかだった。私も普遍主義に共鳴し標榜して、そのことをすぐに書きたかったけれど当時はまだブログもサイトも始めていなかった。雑誌に声をかけても、当時の日本の状況では反戦の主張は無理だと言われた。

で、普遍主義擁護の三部作を書くことにした。

宗教を切り口にした『聖女の条件』(中央公論新社)、

音楽を切り口にした『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)、

そして最後にようやく、ずばり時事を語った『アメリカにNOと言える国』(文春新書)だ。

最後の本の頃にはイラク戦争の功罪も語られるようになり、出版が可能になったのだった。

私の念頭にあったタイトルは「犬の帝国と猫の共和国」で、猫的な普遍主義を切り口に、私の宗教も音楽も猫も普遍主義をテーマにしていることを自覚したからだった。


その頃は今ほどネット情報をチェックしていたわけではなかったので、日本でのイラク戦争反対の運動の実態は実感できなかった。

Wさんは、2002年の暮れにイラクの女子高を視察した後、戦争によって普通の市民、子供たちが殺されることは絶対に我慢できない、うちでTVを見ているほど神経が図太くはない、ということで「人間の盾」に志願したのだ。繊細だからこそ命を賭ける、という発想がユニークだし、その体験をもとにその後も各地の高校で教えながら平和についての啓蒙活動をしている。

2003年の初めに日本でもイラク侵攻への抗議の運動があったのだなあ、そして当時30代の若い教師が「人間の盾」に志願してその後もその決意を軸にして生き続けているのだなあと思うと感慨深い。

けれどもその後に続いた日本人の人道活動者が人質になった事件での「自己責任」バッシングが展開された経緯などに見られるように、Wさんのような人はいつも冷たい目で見られることが多い。

まさに、この時、Wさんと同時に「人間の盾」に参加していたのが昨年シリアから解放された戦場ジャーナリストの安田純平さんだということも知った。

安田さんも初心を貫いているわけだ。彼に「謝罪」させるような日本では「普遍主義」を理解してもらうのは難しいだろう。

でも、今回、Wさんの記事やインタビューの資料を見て、もし私が彼の母親だとしたらどう思っただろう、とちらりと考えてしまった。ほんとうに祝福して見送っただろうか。成功率がゼロに近くリスクだけは大きいそんな方法をとらずに、他の方法でマニフェストすべきだとアドヴァイスしたのではないだろうか。多分私の中にしみ込んでいるのだろう「事なかれ主義」がむくむくと頭をもたげる気がする。


でも15年以上もたって私の本が今のWさんを力づけたのだとしたら、ひとまず、嬉しいし光栄だ。


# by mariastella | 2019-01-12 00:05 | 雑感

マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』

年明けに入手したもう一つの歴史本は、マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』だ。

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フランス革命の経緯についてはもういろいろ言い尽くされ書き尽くされているのではないかと思っていたが、なにしろ、あのマルセル・ゴーシェが書いているのだ。

確かに、フランス革命の理想と現実の乖離、理想が原理主義になり暴走することの病理などは、ロベスピエールの運命に象徴されていると言えるだろう。

「正義」や「理念」のために身を捧げる人たちがある一線を越えて「不正義を徹底的に排除し懲罰する」という不条理。それがひょっとして「正義」という理念の中にアプリオリに組み込まれているのだとしたら怖い。

きわめて今日的な問題でもある。


私が子供の時に読んだ長編小説にユゴーの『93年』の短縮版の『嵐の九十三年』というのがあった。

主人公のゴヴァンは最後にギロチンにかけられるのだけれど、その前に「共和国、万歳! Vive la République !」と叫ぶ。ギロチン台での処刑というのもショッキングだけれどいわば同じ共和国のために、革命にかかわった側から処刑されるのにもかかわらず、「共和国、万歳」とする信念は変わらない。そのことに強烈な印象を受けたのをはっきりと覚えている。

理念、信念、と生身の人間、その命と感情、価値観の関係の難しさに圧倒されたのだ。

今は著作権フリーだからこの小説はフランス語ならネットでどこでも全文読める。


ネットの検索機能を使って「Vive la République !」が何度出てくるか調べたら7か所だった。

それをチェックしながら、いろいろ考えさせられた。

(これを書いている時、日本語のネットでマルセル・ゴーシェ君主制についてインタビューに答えている記事を見つけた。
今のマクロンと黄色いベスト運動を念頭に置いているのだろう。確かにフランスの第五共和制は今でも「王政」に似ている。オランドが出てきたときはそれがより合議的なものに変化するかと予測した者は多かったけれど、そうはならなかった。けれども、マルセル・ゴーシェがオランドはギロチンにかけられたというのはあたっていない。彼は「王」になれなかったからだ。民衆はマクロンという「王」、ギロチン台に送り込むに値する「王」を必要としたのだ。)



# by mariastella | 2019-01-11 00:05 |

無敵艦隊の軌跡とカミカゼ

年明けから読んでいる本の続き。

Dansle sillage de l’invincible Armada

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1588年、エリザベス一世を滅亡させる絶対の勝算があったフェリペ二世のアルマダ(無敵艦隊)が敗れた原因は戦力の差などではなかった。

途中で当時スペイン領だったオランダ総督パルマ公の軍隊10万人が加わるはずだったのが反乱のために当てが外れ、悪天候に帰路を阻まれ、飢えと寒さで15000人が死んだのだ。 


スペインが一方的にイングランドを侵略しようとしたわけではない。


フェリペ二世は妻のイングランド女王でカトリックのメアリー1世がイングランド女王であった時は「共同王」だった。その後、プロテスタントである義妹のエリザベスが庶子であることを理由に、王位継承者はカトリックの前スコットランド女王メアリー・スチュアートであるべきだと画策した。結局エリザベス一世がメアリーを処刑した。かくなる上は実力でイングランドと戦って併合するしかない、というわけだ。


Brexitの今に至るまで確執を残す英国の、イングランド国教会と、スコットランドの一部とアイルランドのカトリックとの対立の根は深く複雑だ。けれども、確実なのは、これが「宗派の対立」などではなく、単に当時強大だったハプスブルグ家の覇権主義と、島国での生き残りと海洋勢力拡大とを賭けたイングランドとの間の「政争」だということだ。

イングランドの「宗教改革」による国教会成立よりもずっと前に「カトリック一色」だったヨーロッパでも様々な戦いがあり、英仏百年戦争ではジャンヌ・ダルクの異端審問まで起こった。王族たちの政略結婚やそれによる領地の相続などによって「勢力地図」はたえまなく変わり、「勢力」や「国家」と関係のない庶民が絶えず戦禍を被った。

でも、「建前」は、互いを異端だとしたカトリックとプロテスタントの戦いで、スペインの艦隊は「十字軍」認定されて、守護の聖人の旗を掲げ、プロテスタントのイギリスはエオールやネプチューンなどギリシア神話系の神の旗を掲げた。

確かにこういう時は「一神教」の同じ創造神を奉っていては戦意を昂揚できないだろう。

で、当時最強だったアルマダは、さまざまな思いがけない不運のために軍の半数を失って帰還するのだが、その間、スコットランドやアイルランドをぐるりと回って兵站を補填しようとしたがさまざまな要因で阻まれた。

英仏海峡の天候の困難さはよく知られていて、そのことが二度の世界大戦の戦況にも大きく影響を与えた。

圧倒的な戦力による侵略が、具体的な戦闘でなく自然要因で失敗したというと、日本人の私には13世紀の元寇で台風が日本を救ったといういわゆる「神風」エピソードが頭に浮かぶ。

フランス人ならナポレオン軍がモスクワに侵攻した帰りに飢えと寒さで大打撃を受けた「冬将軍」エピソードだろう。

もちろん実際はそう単純な話ではなくいろいろな要素が絡んでいるのだけれど、もし「神風」が吹かなかったら、日本は元・高麗に征服されていたのだろうか、とか、季節の読みを誤っていなければナポレオンはロシアも征服していたのだろうとか、「歴史」の妄想も起こる。

リベラシオンのディレクターであるローラン・ジョフランは歴史マニアで、航海マニアだ。彼は、自分の船でアルマダの跡を季節も含めて正確にたどって、当時の船の精度、航海法などを科学的に調査しながら、無敵艦隊の悲劇をたどる本を出版した。私は一般の「戦記物」にはあまり興味がないのだけれど、この本はおもしろい。

その中で、アルマダ侵攻の初期に、悪天候のために港に停泊していた時に、「火船」によって多大な被害を受けたというところに注意を引かれた。「火船」というのは「自殺船」ともよばれ、イングランドは、タール、ピッチ、火薬を搭載した自爆船をアルマダに体当たりさせたというのだ。

うーん、それこそ、「神風特攻隊」を想起させる。

で、調べてみたら、こういう「火船」の歴史は古く、普通は無人で風や海流を計算して流したようだけれど、敵のすぐ近くまで別の船が誘導していく例もあるという。後に長距離爆弾だの魚雷や飛行機だのが登場してからは「火船」は姿を消すのだけれど、『アフリカの女王』のラストシーンにもあるように、イチかバチかで敵の巨艦に突っ込むことの威力は「戦略」として延々と続いていたわけだ。

「神風特攻隊」の「カミカゼ」は21世紀のイスラム過激派テロリストの自爆テロにまでつながる「国際語」になってしまったくらいにインパクトが強い。

アルマダに打撃を与えた「火船」も、「無人」ではなく、志願か強制かは分からないがけれどひょっとして「自爆要員」が乗っていたのではないか、と想像したくなる。火薬を積んでいても体当たりのタイミングで確実に爆発しなくては意味がないのだから。


戦争の歴史には人間の愚かさがいっぱいつまっている。


# by mariastella | 2019-01-10 00:05 |

カトリック信徒には同盟者はいない 

新年の初読書はこれ。
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ジャック・マリタンが、モーリアック、クローデル、ベルナノスとかわした書簡集。

この面々だからさぞかし敬虔な神学や信仰の話なのかと思うと大違い。

「カトリック信徒には同盟者はいない」というのはクローデルの言葉だ。
カトリック教会は政党ではないのだから「共闘」をする「同志」ではない。
同じ福音を信じている「同胞」「きょうだい」であるだけだ、という。
きょうだいの意見が食い違うこともあれば仲間割れ、喧嘩もある。

で、20世紀フランスのカトリック哲学や文学の高峰をなすこの面々の書簡集は歯に衣着せぬ驚きのものだ。あまりにも不都合なのでベルナノスの著作権者側からは公開を拒否された手紙もあるが、マリタンの返事によってその内容が想像できる。

モーリアック、クローデル、ベルナノスの順で編集されていて、マリタンに霊的に一番近いモーリアックから、スペイン戦争への立場で対立したクローデル、反ユダヤ主義で対立したベルナノス、とだんだんとテンションが高まっていく。

反ユダヤ主義(セリーヌのようなものではない)についてベルナノスに対立するのは他の3人で、スペイン戦争でスペインのカトリック教会を支持するクローデルに対立するのは他の3人というように、右へならえのコンフォーミズム、同調とは程遠い。
全てのキリスト者がそれぞれ固有の人格として神と向き合っているので、共同体の掟や同調圧力とは関係がない、ということなのだろう。

もちろんその内側には、それぞれの罪悪感もあって、「悪魔は全てのアートの協働製作者である」というジイドの言葉が彼らに突き刺さる。
クローデルは、文学者の心を覗き見た時よりも神を失望させるのは、自覚のない司祭の心くらいのものだ、と言っている。
文学者というメチエは薄汚く、私の人生は売春家業のようなものだ、とも言った。
それに対してマリタンは、神から与えられたものを受け入れる方が賢明ではありませんか、文学も、克服できない悪徳と自覚しながら恥の感覚を持ちながら成す場合は売春とはいえません、と答えている。

マリタンはともかく、クローデルは日本におけるフランス大使であった時期もあり、ロダンの弟子だった姉のカミーユ・クローデルも有名で、ノートルダム大聖堂での回心も知られているから、そんなに葛藤があったのかと驚く。

マリタンはある意味で非の打ちどころのない人物で、クローデルやベルナノスらから「夢見るジャック」「パリカトリック学院の偉すぎる教授さま」「女々しい夢」などと揶揄され「このバカヤロー」と罵倒もされている。その辺も、「兄弟ケンカ」という感じではある。

アートには悪魔の働きが加わっているというのは何となくわかる。
そばにいるのが天使だけでは、そもそもアートの創造に駆り立てられるモティヴェーションはないだろう。悪魔のささやきが聞えているからこそ、それと戦い、問いを投げつつけることが文学者なのかもしれない。
全ての「知的」なアクションにも悪魔の影がある。「智恵の実」を勧めたのが悪魔だったなら、そもそもの出発点から人間の人間的営為には悪魔の隠し味があるのかもしれない。

「エデンの園」の「お花畑」の夢は帰ってこない。





# by mariastella | 2019-01-09 00:05 |

ブラジル大統領夫妻と福音派とカトリック

2018/10/28にブラジルで極右の大統領が誕生した。
ポピュリズムの勝利の例の一つとして必ず引かれる。

ジャイル・ボルソナロはイタリア移民の家系でカトリックだ。信仰篤いカトリックとしてカトリックにも人気、で、ファーストレディである彼の妻(3番目の妻だというがその辺はカトリック的にどうなっているのかと思うので調べてみたい)もカトリックの洗礼を受けていたけれど、今は、ブラジルで1980年くらいから爆発的に広まっている福音派のペンテコステ派から再洗礼を受けている。
というわけで、夫婦はカトリックからも福音派からも支持されて最強、なのだそうだ。

ボルソナロは大統領に選出された時も神に感謝し、神の権威によって、キリストの加護によって統治する、と述べているから、もちろんフランスでは考えられないけれどアメリカよりも神がかっている。

フィリピンの大統領だって広く国民の支持を得ている「なんちゃってカトリック」という気もするが、福音派の強力なロビーはない。

ブラジルはさすがラテンのノリというか、メガチャーチで絶叫するタイプの「今ここで」陶酔できる福音派が強大になっていて、カトリック司祭でもそれに対抗してショーのような演出を試みる人の例がある。

ところが、このファーストレディが公邸に移って真っ先にしたことが、あらゆるカトリックの聖人の聖像聖画を「偶像崇拝」だと言って撤去したことなのだそうだ。

行政の長の公邸にそんなに聖人の絵や像があったということ自体が驚きだけれど、大統領がカトリックでカトリックの支持層も多いのに就任早々にそんなことをするなんて戦略的にどうなんだろう。でも、ペンテコステ派って、カトリックの強いブラジルで「販路」を広げるためにローマ・カトリックを当然批判しまくっているのだから、「改宗」したファーストレディもまずは「カトリックの聖人像」撤廃ということになったのだろう。

どちらにしても、この大統領夫妻を見ていると、宗教とか信仰とか関係なくて、ただ「権力」あるいは「利権」にとらわれているんだろうなあと思わざるを得ない。

フランスのカトリック関係の人が、福音派の威力を冷静にとらえていて、福音派の派手さに惹かれて多くの人が入るけれど多くの人が出ていく、つまり数は増えるといっても出入りが激しい、熱しやすく冷めやすい人たちがターゲットになっている、消費主義と軌を一にしているのだと語っていた。ペンテコステの礼拝には「内省」が欠けていて、それは本質的なものが欠けているということだ、と。

だからカトリックは彼らの真似をして聖堂に熱気をふりまいてはいけない。
けれども、彼らに学ぶ点が二つある、と言う。

一つは信徒たちとシンプルに、そしてダイレクトに接すること、
もう一つは、教会に階層分断を持ち込まないことだ、と。

確かにカトリック教会は、教区が階層化している場所では自然にブルジョワ向けだとか移民向けだとかになりがちだし、表向きの差別はなくてもアメリカなどでは黒人教会とか白人教会という歴史があったり、利害を共有する共同体化してしまったりということがある。

それに比べると、メガチャーチは、巨大ブランドが全ての人を差別なくのっぺりとした「消費者」としてマーケティング展開しているのと同じ戦略をとっている。
でも、その敷居の低さが、飽きてもOK、というのであれば宗教や信仰の形としてはどうなのかという疑問は当然湧く。

もちろん政治や政策の形も「本質」を失ってはならない。

ブラジルのようにあからさまに宗教が絡むことでかえって見えてくることもある。




# by mariastella | 2019-01-08 00:05 | 宗教

イエスの血の汗---不安は実存的なものではない

新年のラジオでパリ大司教が新年にあたってのいろいろな不測の状況について話していたのが印象的だった。不安ばかり感じて守りに入るのはいけない、という趣旨で、不安は実存的なものではなくて病理的なものだ、というのだ。何しろ神学校に入る前、公立病院で10年間診療にあたっていた医師のことばだからなるほどだと感じた。 

病理的な不安と実存的恐怖は別物だ。

で、受難の前の日、最後の晩餐の後でイエスが一人ゲツセマネの園で悲しみ悶えたことが「不安」であり、それは「受難」の前のことで、実際に捕らえられたり鞭打たれたり十字架につけられたりした時はもう「不安」による苦しみはなかった。祭司たちの審問にも堂々と答えている。

で、イエスの不安も「人間としての条件を受け入れたゆえの病理」であって、その証拠が「血の汗」だという。

「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(ルカ22,44)というシーンだ。これは血汗症で極度のストレスによって引き起こされるものだそうだ。つまり、イエスは、死の予感を前にして超然と悟っていたのではなく、人間として当然の最大級のストレスで悶えた。

そのイエスが平安を得られたのは、結局、神の助けを祈ったのでなく、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と、神に任せることを受け入れたからだった。

血の汗がしたたるほどに最大限の不安に押しつぶされている時、平安は自分の中に探しても見つからない。平安は外から来る。人生は、生きることはすべて「リスク」である。「やってみる」というリスクを冒さないところには生きることの本質は見えない。本質があるところを探すのが生きることで、そこに暴力や威嚇や死という現実の危害を前にして恐怖が起こったとしても、それはもう「病理的な不安」とは別のものであり、その恐怖とどう戦うか、どう対処するかを冷静に考えることすらできる。

以上がオプティ師の話の趣旨だ。

(まだカトリック的にはクリスマス期間なのになんだか復活祭前のような話だ。)

でも、これにはジャンヌ・ダルクのことも想起させられた。ジャンヌも捕らえられたはじめの頃は拷問や火刑を脅されて心が折れた。けれども、最終的には運命を受け入れて堂々とふるまった。

ローマ教皇の口にする「恐れるな!」という言葉もこういう文脈なのだろうとあらためて理解できる。


# by mariastella | 2019-01-07 00:05 | 宗教

ロシア発ジャンヌ・カルマンの替玉説

2018年の1210日、ロシアの物理学者で数学者であるニコライ・ザックという人が、これまで記録が確認されているうちで人類の最長寿とされているフランスのジャンヌ・カルマンさん(1875/2/211997/8/4、 122164日)が実は1934年に59歳で死んでいて、相続税を払わずに済ますために当時35歳だった娘のイヴォンヌさんが母親に「なりすました」という記事を出した。それを高齢医学専門のヴァレリー・ノヴォスロフという人が、科学雑誌ではなくウェブサイトで伝えた。


フランスのメディアではまたたくまに話題になった。

ジャンヌ・カルマンさんと言えば、アルルでゴッホに会った思い出を語っていたし、子供もいないときいていたけれど、一人娘のイヴォンヌさんが36歳で亡くなっていて、イヴォンヌさんの一人息子も30代でバイク事故で死に血筋が絶えた、という話だったようだ。

生存時、毎年の誕生日には世界最高齢女性としていつも話題になっていたので彼女の姿はよく覚えている。

よく笑い話になっていたのは、彼女が90歳で施設に入った時に持ち家をある公証人に売ったエピソードだ。フランスではよくあるシステムで、所有権は移るが、買い手は最初の一括金の他に売り手が死ぬまで決まった年金を支払い続ける。売り手が90歳だとしたら平均余命は5年くらいで計算されるので、家の相場から一括金を引いたものを60ヶ月で分割払いする見当で月々の支払いが決定される。もしたとえば1年後に亡くなれば買い手は相場より安く手に入れたことになる。で、カルマンさんの住まいの買い手の公証人はまだ40代後半だった。それなのに、カルマンさんはその後32年も生き、公証人はカルマンさんの死の2年前に77歳で亡くなったので未亡人がその後もカルマンさんに年金を払い続けたという話だ。公証人と言えば、フランスでは家の売買に必ず登場するプロだから、普通は損などしない。だからこの話は一層笑えるのだ。

でも、もし、カルマンさんが実は娘のなりすましだったら90歳の時は実は70歳手前だったわけだから、いくら何でもおかしい。公証人が気づくのではないだろうか。


ロシア人の唱える替玉説の傍証の一つに1930年代のカルマンさんの身分証明書写真があり、その時のカルマンさんは60歳前後のはずなのに、どう見ても若すぎるというのがある。新聞でその写真を見たが、確かに、20代といってもおかしくない若さだ。写真の修正などできる時代ではないし。(他の根拠としては目の色や身長や額の形などの違いも挙げられている)

カルマンさんの実家はアルルの名士だったので、突然娘が母の名を名乗るなど不可能だ、とフランス人のカルマンさん研究者はロシア人の替玉説を一笑するが、うーん、ふたつの大戦の間の時代、名士だからこそ、共同体の人々も納得できるような形で身分証明書だけが入れ替えられたということもあり得るかもしれない。夫ともいとこ同士の結婚だったし。

件の「被害者」である公証人も、90歳と70歳の違いを見抜けなかったのではなく、何らかの理由でできるだけ長く年金を払い続けるつもりだったのかもしれない。

フランスでの「系図」研究は、石造りの教会に残る洗礼や埋葬の記録があるから、家名存続が中心で養子が普通にあり寺社の記録が火災などで焼失しやすい日本よりは確かな部分もある。カルマンさんは敬虔なカトリックだったとあるからカトリック教会の記録を欺くというのは難しい気もするけれど、身分証明書は世俗のものだから改変がスルーされていた時代もあったのかもしれない。

実際、この「替玉説」は、フランス語版のWikipediaにも早速書き加えられていて、真実を知るには母娘二人の墓を掘り起こしてDNA鑑定をするしかない、とある。でも、今さら、「陰謀説」が唱えられても、誰も被害者がいないか脱税でも公文書偽造でもとっくに時効だから、そのような鑑定がなされるわけがない。

私がこの話に気をひかれたのは、もしジャンヌ・カルマンさんが人類の最長寿者でないとしたら日本人が繰り上げ一位になるかもしれないなあ、と思ったからだ。実際ジャンヌ・カルマンさんが現存最高齢者になった時は日本人男性がなくなった時だと記憶する。

で、ネットで調べると、カルマンさんに続くのは日本人ではなくアメリカ、ペンシルバニア州のサラ・ナウスさんで、1880/9/241999/12/30 11997日、カルマンさんの二年後に亡くなるまで世界一の長寿者だったとある。(カルマンさんのすぐ後は、やはりフランス系のカナダ人女性だった)

で、三位が日本人で、鹿児島の田島ナビさん(1900/8/4~2018/4/21117260日)だそうだ。生年月日に確証のある世界最後の19世紀生まれの人だったとある。

うーん、ではカルマンさんが替玉だったとしても田島さんの繰り上げ「世界一」は無理か、と変なところで「愛国心?」が刺激される。サラ・ナウスさんの生まれたのは南北戦争が終わってから15年しか経っていない年で、アメリカのような移民の国で連邦制の合衆国の記録なんて、日本やフランスのように中央集権で歴史があって定住度も高い国とは違うからどの程度確実なのか、などと勘繰ったりして…。 

フランスでも例えば華僑などの移民は、誰かが亡くなっても身分証明書を使い回しているので100歳以上の人がいくらでもいるなどとよく言われている。


それにしても、親子関係って一見すごくナチュラルに見えるけれど、実は、時代や文化によって変化も多いしさまざまなパターンもある。それに高齢者の外見だって、時代と文化によって大きく変わる。

日本では、今の人の見た目年齢は七掛けだと言われる。今の60歳は一昔前の42歳、今の70歳なら49歳、というわけだ。分からないでもない。そして個人差は大きい。ジャンヌ・カルマンさんは60歳でも35歳の「美魔女」に見えたのかもしれない。122歳当時の写真は、実は99歳だったのだと言われても、正直分からない。恒例有名人でも、作家の佐藤愛子さんの今の95歳のつやつやしたお顔とそれより10年若い85歳の時のマザー・テレサの顔を比べろと言われても無理だし。

年の初め、同世代同士、「今年も元気に」「お互い健康第一に」などと声をかけ合うことが多いこの頃、はるか彼方にいる百歳長寿者たちを遠く、まぶしく思う。


# by mariastella | 2019-01-06 00:05 | フランス

キッチュ宗教

先日、「キッチュ宗教」という言い回しをはじめて目にした。

正確には「キッチュ仏教」だ。


『現代思想』2018/10臨時増刊号《仏教を考える》のp243からの永岡崇『神国〈キッチュ仏教〉の世界』という論文だ。(この本を買ったのは、仏教とフェミニズムに関する別の記事を読みたかったからだ。)

谷口雅春の「成長の家」についての分析で、1930年代に盛んになった「新宗教」の「ビジネス」戦略の中でもアメリカのクリスチャン・サイエンスの発想と似たものが成長の家だそうだ。

ここで、「成長の家」は、「真正な仏教を曲解し、大衆向けの商品としてしたてなおした俗悪なまがい物」として「キッチュ仏教」と名指されている。

「真正な仏教」というのが何かというのも簡単な定義ではないけれど、ここでは、まあそれまでの日本の伝統仏教という意味なのだろう。


で、キッチュの定義として、「本物の文化の価値に対して無感覚で、にも拘わらず、ある種の文化のみが提供できる、気晴らしに飢えている人々のために用意された」「代用文化」であり、「大量生産によって莫大な利益をもたらす商品で、とにかく最終結果は真の文化を害することに終わる、というグリーンバーグの定義が紹介されている。

うーん、ここでも「本物の文化の価値」とは何かとか、「ある種の文化のみが提供できる」という「ある種の文化」ってどんなものなのかとか、最終的には「常に真の文化を害する」、などの疑問が起こる。

すんなり納得できるのは「代用文化」「大量生産」「商品」という言葉だ。

伝統仏教が潜在的に抱え込みながら抑圧・排除してきたもう一つの可能性を資本主義社会の中で戯画的に展開させたもの、という指摘もおもしろい。

カトリックに対するプロテスタントなどはその反対で、大量にキッチュ化していたカトリックに抗議して「真のキリスト教」に戻ろうという意図で始まったように、宗教の「改革」では後発のものほど原理主義でラディカルで「最初の精神に戻れ」という傾向があるし、実際はとても複雑だ。

ここでは「成長の家」が仏教原理主義ではなく、仏教以外の多種多様の宗教文献を統合しようとしたと書かれている。

そして「万教帰一というファシズム」という言葉が出てくる。


確かに、ヨーロッパでも、伝統的なキリスト教の衰退と共に、オカルトやスピリチュアリズムが流行った時代でもあった。


「万教帰一」には2方向あって、一つは、すべての宗教のいいとこどりをするシンクレティックなやり方だ。「諸教混淆」系である。もう一つは、すべての宗教を遡ると、「原初の宗教」があるはずだ、という考え方だ。「フィロソフィア・ペレニス」系である。

前者の方が、そもそも「諸教」の知識がない「大衆」受けする「キッチュ」で、後者は「諸教」を学びつくして源流に遡ろうとする「インテリ」受けする「哲学」型と言えるかもしれない。

実は、どちらも、「ファシズム」に取り込まれてしまうような脆弱さと蒙昧さを内包している。

「キッチュ宗教」という言葉を切り口としてさらに考えていきたい。


# by mariastella | 2019-01-05 00:05 | 宗教

トリックアートとラモー

数ヶ月前、ネットで偶然「noutobook」というトリックアート本を見つけた。(この綴りで画像検索してください)

私は文房具好き、トリックアート好き、子供の頃からノートに落書ばかりするのが好きなので、さっそく日本で注文してもらった。この錯視は二次元が三次元に見えるタイプのものだけれど、特に、スマホなどで撮影するとその角度によって驚くべき効果が現れるようにできている。その点で、いわゆる「インスタ映え」するような「今時」ならではの面白さなのだ。

で、もちろん私自身はスマホすら使わないので、生徒や友人への誕生日プレゼント用に購入した。スマホをいろいろな方向に傾けてもらう。みんなノートに書いてある日本語は分からないけれど、立体的に見える角度を示す写真がついているので楽しめる。

で、先日のトリオの練習の時に、トリオのメンバーの誕生日プレゼントとしてそれを持って行った。

わいわい言いながら、スマホを動かして感嘆し合う。

その後、「そうだ、練習しなくては」と、ラモーとデュフリィを弾いたのだけれど、そのすばらしさにいつもながら、感動する。

どの曲も、何年もかけて、バロック・バレーやバロック音楽論の篩にかけて研究しつくしたもので、それが足らない部分、納得できない部分は、たとえ二小節でも、「理解できないのっぺりとした」ものになる。逆に、理解できたときにはすべてに別の光が当たり、まったく別の世界が立ち上がる。こういう時に、私たちはフランス・バロックの秘密を「誇らしく」思うのだ。

それに対してたとえばバッハの曲などは、もう、楽譜を書かれたとおりに忠実に音にさえすれば、最初から全ての材料がそろっていて、音符がたくさんあって、構築的で、大伽藍ができてしまうキットみたいな面がある。すでに「完成」しているのだ。だから素人が弾いても聞いてもある程度の満足感がある。

けれども、ラモーの曲だと、楽譜通りに音符を弾けば、それはそれで難しいのだけれど、独特の「間」もあり、音の連なりが極小の単位で意味を持っているので、それを意識しない限り、強度がなく、色彩感以外の何も立ち上がってこない。

で、トリオの仲間が、その日の練習の後、そうだ、フランス・バロックはこのトリックアート本みたいだ、と言い出した。

ラモーの天上世界が意味を持って立ち上がる「角度」があって、その正しい角度を見つけて演奏した時だけ、それが立ち現れ、共有することもできるのだ。そしてその「角度」を見つけた時は、あまりにもそれが「自明」なので、それが最初からそのように弾くためにだけ書かれたことが分かる。「正解」があるのだ。

いつもわくわくさせられるのは幸せだ。


# by mariastella | 2019-01-04 00:05 | 音楽

エコロノミーとユアン・ブランコとマクロン (追記あり)

エコロノミーという言葉を最近はじめて知った。

エコロジーとエコノミーを合わせたもので、似たものにすでに「エコノロジー」というのがあり、そこにはテクノロジーも加味されているとも言われる。

基本的に、エコロジーとエコノミーを両立させよう、環境破壊しない経済システム、それには環境保存のテクノロジーも必要だというのだけれど、クリスマスのローマ教皇のスピーチにあったように、ほんとうはもうそんな優雅なことは言っていられない。

で、エコロジーを推進するには、もう霊的(スピリチュアル)な覚醒とアプローチしかない、と、無宗教というか不可知論者のフランスのインテリが話していたのが興味深かった。

いわく、経済成長を是とするのは今や「成長教」という宗教、信仰みたいな域に達していて、エコロジーを優先する必要性を喚起するには、もう科学的アプローチも、経済的アプローチも政治的アプローチも、ことごとく、その「成長教」(より多くの生産と消費を是とする)の前に歯が立たなかった。

成長教に対抗して、人類だけでなくすべての環境を視野に入れたエコロジーを推進するにはもう霊的アプローチしかない。

なぜなら地球の人類の90%は何らかの信仰を持っているのだから、その90%に訴える形でエコロジー推進の力を汲み上げるべきだ。


なるほど、確かに、生身の人間を超える未知の何かを信じない、誕生や死に関するすべての宗教的儀礼を信じない、実存的な危機に際して神仏やご先祖にも恃むことがない、などという筋金入りの無神論者や世俗イデオロギーの人は人類の10%くらいなのかもしれない。そう考えるとエコロジーに霊的ディメンションを取り込むことは大きな可能性があるともいえる。だとしたら、世界の主権国の首長の中で最大の環境保護論者がヴァティカン市国の元首であるローマ教皇だというのは力強い。富と利潤を生む最大のセクターが軍事産業で、軍備も戦争も人間による環境破壊の最たるものだ。エコロジーはエコノミーとセットになるのではなく平和とセットになるためにこそ霊的アプローチを必要とするのだろう。

***


これは、フランス語を読むか聞き取れるかどちらかの方へのお勧め動画(1/5まで無料視聴可)テキストのリンクです。フランスの現状分析、マクロン現象の「正体」を知りたい人には必見です。

(追記: テキストのリンク先を変更しました。これで直接アクセスできるはずです)

ユアン・ブランコ(父がポルトガル人の映画人、母がスペインの精神分析医でアンダルシアに生まれ、パリで教育を受けた)という29歳の若者による黄色いベスト運動の本質喝破です。

真の意味でこんな頭のよい人を始めてみました。分析は感動ものですが、メディア支配の独裁の怖さは全世界に広がっていて、自然環境以前にもう人間の尊厳が破壊されつつある現実に衝撃を受けました。

ある意味で、彼の言っていることはすでに言われてきたことでもあり、誰でも薄々感じていたのですが、マクロンの登場で、極右と極左以外の保守と革新の差がなくなったことは確認すべきことだとあらためて思いました。

 

***

12/31の恒例の大統領のTVスピーチで、マクロンは新年に向けての三つの誓願というか決意というかを打ち出した。共和国の理念である「自由・平等・同胞愛」が実現されていないことへの怒りを受けて、「真理、尊厳、希望」を標榜したのだ。

ユアン・ブランコの指摘するネオリベの申し子という本質と違って、ネオリベの非人間性についてまるでローマ教皇と同じ言葉で批判している。そして、この「真理、尊厳、希望」という三つも、誰も指摘していないけれど、まったくカトリック的というかキリスト教的な理念のコピペだと言える。フランス人のキリスト教文化のDNAに対して潜在的な訴求力を狙ったのだとしたら大したものだ。

あるいはマクロン自身のイエズス会系教育やポール・リクールの助手?としての何かが彼のDNAにも沁みついているのだとしたら、これからの「対話」に「希望」が持てるのかもしれない。




# by mariastella | 2019-01-03 00:05 | フランス

黄色いベスト運動が変えたもの

11月17日から始まって土曜日ごとにシャンゼリゼ界隈を騒がしたことで有名になった「黄色いベスト運動」だけれど、地方のロータリーを「占拠」してクリスマスを過ごした人々のところにはツリーやデコレーションやケーキやシャンパーニュなどの差し入れがあって、司祭まで出張のクリスマスミサをあげにくるなどの光景を見ると、彼らの主体は本当にこれまでサイレント・マジョリティだった「普通の人」だったんだなあと思う。だから、同じような人々から支援され差し入れもされる。

ことの始まりは燃料税の値上げに対する抗議だった。

フランスはもうずいぶん昔からパリと地方の「格差」が大きかった。

ネオリベ・グローバル経済の時代になってそれはなおさら広がり、

公共交通機関が撤退する

公共サービスが撤退する(郵便局や保育所etc)

個人商店や個人経営事業が苦しくなり閉鎖する

などの事情が積み重なり、みなが何をするにも自分の車を運転する必要ができた。

燃料費が安いディーゼル車をみなが買ったけれど、環境基準が変わって、買い替え奨励のためにディーゼル車にさまざまな圧力がかけられる。
それでも多くの人は毎日数十キロを運転して職場に通う必要がある。
最低賃金から燃料費や車の維持費を引くと生活できない。燃費のいい車に買い替えることなど不可能だ。

けれどもみなが車がパンクした時に路上で作業する時に着用を義務付けられている黄色いベストを持っている。で、それが党派なしの運動のマークになった。
で、黄色いベストさえつけていればプロの暴徒も簡単に紛れ込めるわけで、それに煽られた人たちもいた。

でも、地方の高速道路近くのロータリーで共同生活をし始めた人たちの抗議には確かな成果も出てきている。燃料税値上げの撤回や最低賃金の上乗せなどだけではない。
もともとの問題である「車」の使用と出費と環境汚染との関係だ。

これまでも通勤の「相乗り」は奨励されてきた。
でもそれは主として、同じ職場で働く同僚同士だとか、インターネットでの相手探しだった。
今回の件で、インターネットを積極的に利用することのない多くの高齢者の車を借りるシステムができつつあるそうだ。地方の高齢者であまり運転をしなくなった人たちの車を利用するネットワークだそうだ。複数で通勤に使う対価として休日に高齢者たちを希望のところに運転して行くことも可能だろう。

もう一つが、スクールバスの利用だ。都市流入で地方の人口が減って学校などが閉鎖されて遠くになっても、フランスは基本的に公立学校中心で無償だから、通学バスはかならずある。その通学バスも満杯とはならないのだから、それに通勤者も乗せたり、シフトしたりするシステムも検討されているそうだ。

それらの案がどのくらいの規模でどのように実現するのかは分からないけれど、そういう具体的な改善案は、最初に「黄色いベスト」を着て地方の車通勤者の生活難を訴えた人々に直接向けられたものだ。11月に彼らが「黄色いベスト」を着こんでいなかったとしたら、行政側がいろいろ考えるということはなかっただろう。「成果」が生まれはじめているのだ。

そして、私のように、車なしでもバスもトラムも電車も使えてどこへでも行けて、徒歩5分以内に医者も各種検査ができるラボも銀行も学校もスーパーも郵便局も薬局も図書館も劇場もある場所に住んでいる人間が、「黄色いベスト」運動を担っている人々の暮らしに本気で思いを馳せるなんて、シリアの難民の生活に思いを馳せるよりもあり得なかっただろう。

アクションを起こすということは、やはりすごい。

暴徒がシャンゼリゼの高級店や凱旋門を襲ったり車に火をつけたり機動隊と衝突したりすることは「本来の黄色いベスト運動」を逸脱する許しがたい部分であったとしても、あれがあったからメディアが騒いだのだなあ、とも認めざるを得ない。
シリアやイラクには戦場ジャーナリストが命を懸けて潜入しても、難民キャンプに人道支援のNGOがやってきても、先進国の地方で日々のくらしに困っている人々の生活などを取材に来てくれる人などだれもいない。

いわゆる「実力行使」というのは別としても、意見の表明をアクションで表現することが生み出す「力」についていろいろ考えさせられる。






# by mariastella | 2019-01-02 00:05 | フランス

スティグリッツとオプティ大司教

新年おめでとうございます。


日本が近隣諸国と戦争状態にならないように、というだけではなく、地球上から戦争がなくなる日がいつかはきっと来ることを願う生き方ができればと思います。


年末にウェブで読んだ日本の経済雑誌に2001年ノーベルの経済学賞のジョセフ・E・スティグリッツの記事の中にこういうことが書かれていた。

トランプ大統領の経済政策のひどさを批判した後で、彼の政治姿勢はさらにひどいとして、

人種差別、女性蔑視、ナショナリスト的煽動という「トランプブランド」が、ブラジル、ハンガリー、イタリア、トルコなどで「フランチャイズ」を確立している。(…)これらの国はすでに、ポピュリストのリーダーたちが栄養源にしている無礼さが招く現実に直面している。米国では、トランプ氏の発言や行動が邪悪で暴力的な力を解き放っており、その力はすでに制御不能になり始めている。」(週間ダイヤモンド 2018/12/292019/01/05


とあった。「フランチャイズ」って…。「無礼さ」がフランチャイズとして広がるハードルの低さが怖い。

12/23、パリのオプティ大司教が複数メディア共催の会見に答えた。その趣旨を紹介しよう。


共和国型政教分離でインテリ左翼無神論のインテリが多いフランスの世俗メディアを前にどう受け答えするのかなあと思っていたら、この人、ほんとうに、誠実だ。

黄色いベスト運動について、フランスには13000の小教区があるのだから、教会がすべて扉を開けて黄色いベスト運動の人々が話し合う場所を提供すればいいと思う、と語っていた。今は次々と解散させられたけれど、多くの人々は各地のロータリーに集まって、連帯し、それまでの孤独から解放されて友情を育んだ。

その半数が女性で、四分の一は高齢者だ。政府への抗議は容赦ないけれど、もとより例の「暴徒」集団とは関係がない。都市集権に取り残された「地方」の「過去の中産階級」が主流で、ロータリーにはクリスマスツリーも飾られていた。彼らが求めていたのは「ファミリー」でもある。オプティ大司教はもちろんこの教会の扉を開ける呼びかけは「宗教」「宗派」と無関係だと強調する。衰えたとはいえ、箱物インフラの充実したカトリック教会なら、人々が集まり話し合い分かち合う場所を提供できる。

イデオロギーや宗旨の多様性を認める連帯ではなく、同胞愛だ。全ての人は同じ神の子なのだから。

難民移民問題についてはこういう感じだ。

フランス人が「外国人」の流入にいろいろな恐れを抱くのは、今のフランス人が自分たちの文化、伝統やアイデンティティに信頼を失ったからだ。私たちキリスト教徒は自分たちのすべきことを知っている。それは、渇いた人に水を、飢えた人に食べ物を、旅人に寝床を提供するのがキリストに仕えることであるというものだ。それがキリスト者だ。私たちは出産間近のマリアに宿泊場所を提供しなかった人々になりたくない。


どんな宗教にも利他や慈悲のベースがあるのだから、そしてそれはひとりでは生きられない弱い人間の生存をかけた智恵から生まれたものなのだから、誰でもそのおおもとに足場を置くことを忘れてはならない、と思った。


# by mariastella | 2019-01-01 00:05 | 雑感

トリプティックが好き

私は教会などにあるトリプティック(三連祭壇画)が好きだ。

三つのテーマが並ぶことでストーリーが感じられる。

で、身近なアーティストの小品を購入する時も、できるだけシリーズのようにして自分でストーリーを作って並べるのが好きだ。

ずいぶん前にこういう絵を買った。日本調だけれど東欧系女性アーティストSylvie Kajmanのものだ。2002年の作とある。内面風景というタイトルのシリーズで、とても惹かれた。
     
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で、どうしてもスリーを作りたくなって、次の年の展示会で、にこの2点を買った。
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それを横一列に並べて飾っている。
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それ以来、アーティストによる年末のオリジナルのカード展でもたいてい3枚を買って後で並べて額装することにしている。たとえばこれ。コロンビア出身のConsuelo Barbasa の作品。
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下のシリーズはは有機的な感じだ。内面というより夢の中のようだ。Mercedes Uribeさん。バスクかスペイン系の名だ。
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これは上と同じアーティストを昨年購入したもの。中の人物が鋲で留めてあって、くるくる回して向きを変えることができる。
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今年はこの1枚に惹かれた。これは仏蘭西人女性アーティストSophie Rousseau ソフィー・ルソー。会場で、墨を流して創作する技法を説明していた。

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で、トリプティックにするために2枚を買い足す。
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で、こういう順番で並べて額装してもらって飾る。眺めていて飽きない。
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これらのアーティストについては、今はネットで検索できるから、その後どんな作品を作っているのかなど近況が分かる時代なので勝手に親しみもわく。

なんでも3枚購入するわけではない。友人の師井さんの蝶々の作品は2枚並べている。
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アメリカ人の友人ジョアンヌの作品も2枚並べている。
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これはずいぶん前に私のアソシエーションで作品展をした日本の写真家の1枚。上のシリーズと同じ部屋に飾ってある。
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私が選ぶ基準は、いつもどおり、

《私にとって「朝起きて最初に目に入り、夜寝る前に最後に目に入る」ことに耐えられるか》

というものだ。裏切られたことはない。




# by mariastella | 2018-12-31 00:05 | アート

盲腸記  その4

退院してからは、6日間、抗凝固剤の注射、傷口の消毒と包帯替え(手術の傷は内視鏡手術なのですでにふさがっていたけれど、ドレーンのチューブは退院の日の朝に抜いたばかりだったので)のために訪問看護師に通ってもらう日が続いた


「黄色いベスト」運動が続いていたので、TVでは相変わらず、最低賃金で働き月末になると子供におやつも買ってやれないシングルマザーだとか、持ち家を売った金をくずさないと特別養護ホームの料金を払えない夫婦だとかが紹介される。最低賃金が手取り1200ユーロでなく1500ユーロはないとやっていけないという。

年金生活者も1200ユーロ以上もらっている人はいろいろな社会連帯税を取られているが、それが来年から値上がりするのを恐れている。(のちにマクロンが譲歩して最低賃金は100ユーロ上乗せ、年金も2000ユーロ以下なら差し引かれる税金の値上げは中止、などの決定がなされた)

病院での体験のおかげで、TVの討論に招かれて話す「黄色いベスト」メンバーたちを見ていると、Aさんや、たくさんの看護助手たちの姿や働く様子が同時に想起されて共感度が深まる。

ほんとうに貴重な体験だった。


ひとつ、退院してすぐに「しまった」と思ったのは、どうせなら、病院付きの司祭を呼んでもらえばよかったということだ。

フランスなら確か、65歳以上なら望めば「病者の秘跡」というのを頼める。

ひと昔前のカトリックなら「終油の秘跡」に相当する臨終前のものという印象だったけれど、今は、望めば何度でも受けられる。ルルドなどでは毎日の病者のミサででも受けられる。

日本にいた頃の私の印象では、『スケアクロウ』のアル・パチーノが、自分の子供が洗礼を受けずに死んだ(妻の嘘)と聞いて「地獄に堕ちた!」と錯乱するラストシーンのイメージだ。

1973年の映画なのに、第二ヴァティカン公会議の改革は知られていないのか、「洗礼を受けずに死ぬと地獄堕ち」って、中世のままだなあと驚いた。終油の秘跡もちょっとそういうイメージがある。

でも、今は65歳以上ならOKとフランスでは言われているので、日本に行った時に、それができる人に頼んでみたら、「いや、重病だとか、今から手術を受けるとかいう人にしかできません」と断られたことがある。でも全身麻酔の手術であればいつも多少の麻酔事故のリスクはあるのだから、病気が重大でなくともOKのようだ。

で、じゃあフランスで試してみるか、という暇もなかったのでそのままになっていたけれど、そうだ、今回は「たかが盲腸」とはいえ、しっかり入院して手術したんだから、そして病院には必ず司祭がいるか呼んでくれるはずだから、入院した時点で「司祭さんをお願いします」と言えば、絶対に来てもらえたはずだ。

どんな人が来て何をしてもらえるのか確認できるチャンスだった。

でも、アジア人の私がたかが虫垂炎で「すぐに司祭」を、なんて言っていたら、なにか怪しげな原理主義的宗派の老女、みたいなレッテルを貼られて偏見を持たれるようになったかもしれない。まあその反応を見るのもそれはそれでおもしろかったかもしれないとも思うけれど、まあ、正直言って、そんな心の余裕もなかったろうし、ストレスのもとになったかもしれない。

実際、退院するまで、入院している現実と宗教だの司祭さんだのとの関係など一瞬も頭に浮かばなかった。

ところが、退院してから連載原稿のテーマをもらったのが「カトリック病院について」だった偶然には驚いた。でも、特に緊急入院の患者などの場合は、宗教や信仰が役に立つのは患者本人ではなくて周りの人の方だろうなあと思う。10年前母が緊急入院した時には、深夜だったけれど時差があってまだ午後だったフランスに電話してチベットの高僧に祈ってもらうことにして救われた気分になったのを思い出す。亡くなる数時間前の友人に病室でパリの愛徳姉妹会の「不思議のメダイ」を渡したこともあった。


全快して希望と健康を取り戻して退院していく患者だけではなく辛く苦しい人生の終わりも世話して看取らなければならない病院のスタッフにとっても、宗教や信仰や祈り、スピリチュアルなものに思いをいたすことはさぞや助けになることだろう。


いやあ、これから先、私がまた病院のお世話になることもあるかもしれないし、親しい人、周りの人が病むこともあるだろう。そんな時に、ただパニックになったり自分の痛み苦しみばかりで完結したりするのではなくて、スピリチュアルな次元に向かって手をさしのばしてみることを忘れないようにしよう。


と、もう一つだけ後日談。

私が「盲腸の手術」をして退院したことを知っている人から、少し後でLINEが送られてきた。

東大の駒場祭にいるという。

その中で、研究の最前線の内容を10分でプレゼンテーションするというコーナーがあったらしい。そのテーマが「虫垂」。虫垂がサル類の進化とどういう関係があるか。


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虫垂があるのは類人猿の進化の徴し。
私にはもう虫垂がなくなったから、「旧世界ザル」へ転落?
で、その「適応的意義」が

ー 腸内細菌(善玉菌)の備蓄
ー 免疫機能(リンパ組織が集中)
と、ここで1行あいて、
ー しかし虫垂炎になる

だって。

しかし虫垂炎になる

善玉菌をためて、免疫機能を上げて、それでも虫垂炎になるのかい。

というところをオチとして、この「盲腸記」を終わります。


# by mariastella | 2018-12-30 00:05 | 雑感

盲腸記  その3

Aさんが退院してから、私は広い部屋をひとり占めすることができて、「黄色いベスト」運動のニュースを見たり、机の前で健康ブログのための「入院記」を書き始めたりした。

ネットで日本の週刊誌や雑誌をゆっくり読むこともできた。

一人だとそれなりに快適で、もう誰も来る予定がないかたずねたけれど、緊急の人が来る可能性はある、と言われた。Aさんのベッドや付属品、机や椅子やソファなどはすべて消毒されて、ベッドメーキングもされてもう彼女の気配は何も残っていない。

看護師や看護助手たちとは少し話したけれど、1人になると、わずか2週間前に訪問したヴェルサイユの老人ホームのオディールの個室でのことを思い出す。

この記事。


オディールの部屋で彼女のベッドに並んで腰かけて、由緒ある家系の出身のオディールの、やはり国際的だった人生についていろいろ聞いた。

彼女なら「黄色いベスト」運動のことをどう評価するのだろう。

16区のアパルトマンに一人暮らしをしていたオディールが転倒して骨折し、数ヶ月の入院とリハビリをしたのはどんなにつらかっただろう、とも今にして思う。

オディールのところには毎日近くに住む次女が通ってくる。リタイアした数学教師だ。

オディールは目も耳もだんだん不自由になってきたから、残っている感覚器を研ぎ澄ますように、世界の新たなとらえ方を模索していると言っていた。そして、完全に機能しているのは触覚だと言って、私の手を何度もさすった。

95歳の彼女の手をもう一度握ってさすって、ずっとそばにいたい。

さて、私は月曜までこの病室にいることになったけれど、もし、痛みに苦しんで叫ぶ急病の患者が同じ部屋に連れてこられたらどうなるのだろう。


隣人がまたAさんのようなエネルギッシュでユニークな人とは限らない。

フランス語が話せる人かどうかも分からない。アラブ人やアフリカ人かもしれない。

いろいろな人を知りたい好奇心があるとはいえ、こっちも一応元気いっぱいというわけではないから、あまりストレスフルになりそうな人が来たら困る。


で、向こうのベッドを仕切る衝立を看護師に頼んだ。


私が来る前に、Aさんにはそういう発想がなかったのだろうか。

オープンだったので、私は、フランスってカーテンや仕切りがないのかなあ、と思っていたが、Aさんが個室を頼んだつもりだったので用意していなかったのだろう。頼めばちゃんと仕切ってくれる。私のベッドはトイレやシャワー室と近い方だから、隣のベッド側を通らなくてもすむし、まあ半日のことだから何とかなるだろう。


で、新しい隣人がやってきた。衝立のせいでよく分からないけれどどうも黒人女性のようだ。やはり大柄でがっしりしている。病院なのに、誰と比べても私は存在感が薄い。

で、手術が終わった後、大勢の家族がやってきた。5、6人はいたので、私は「私の割り当ての椅子やソファを使ってもいいですよ」と言った。

彼らはすごい大声で話すので、衝立があろうとなかろうと、話が全部聞える。


家族関係を推測しようとしたが、そして訪問者の一部はこちらからも見えたけれど、黒人の年齢は私にはあまり見当がつかないので続き柄が分からない。明らかに中学か高校生くらいの若者が3人いるので子供だろうとは思った。夫もいるようだ。そしてもう一組のカップルは患者の両親のようだ。男の子ははやばやと帰った。


で、この人(Bさんとしておく)は、すごく権威的で堂々としている。だからはじめは彼女の両親が来ているのだとは思わなかった。上の子供かきょうだいかと思った。

そして看護助手に対してもすごく余裕があり、「あなたをどこかで見たっけ」などと言っている。

はじめに驚いたのは、彼女の手術の場所によるのだろうが、まったく動けず、用をたすときに腰の下に差し込む採尿容器みたいなものを使わなければならない。


で、最初に夫だけがいた時は看護師が夫に部屋の外に出るように言って採尿していた。ところがその後で、みんながそろった時に、Bさんは用をたす必要ができたと言い、看護師を呼ぶ代わりに、娘の一人に指示して容器をトイレから持ってこさせた。そして腰の下にあてがい、その後でトイレに流すことなどを支持した。あてがう角度や向きなどをうるさく指示する。

娘はあせっていたが、叱咤されながらなんとかできた。

私は驚いた。Bさんの母親もまだ若そうだから、そこで代わりにやってやるとか、「そんなこと子供にさせないで看護師さんを呼びなさい」とか言えばよさそうなものなのに...

と思っていたら、それまでのBさんが特に看護助手たちに話していた内容と合致するいろいろなことが分かってきた。

Bさんはこの病院ではないが遠くない別の公立病院のベテラン看護助手で、看護助手養成のための教育機関でも働いているらしい。

だから彼女の教え子や後輩がこの病院にもいるか、共通の知り合いがいるようなのだ。

病院内のいろいろなことも当然よく知っている。

こんな人が患者として入ってきたら、看護助手も看護師もなんとなくやりにくいんじゃないかなあ、と思ってしまう。


看護助手は圧倒的に黒人女性が多く、アラブ系がたまにいて、看護師は「白人」女性が多い。

夜の緊急病棟にだけは若い男性の看護助手がいた。「僕は日本のマンガのファンです」と言っていた。これは明らかに、医学部の学生のバイトだろう。

(学生は、義務である1ヶ月の看護実習を終えれば看護助手と同等の資格を持って働ける。この実習はとても教育的なものだ。医療実習や医師になってからはもう看護師の詰め所で繰り広げられる話やその暮らしの実態を知ることもない。フランスの医学部は実力主義の選抜で学費は実質ゼロだから、日本のように金銭的に余裕のある家庭の学生が多いわけではなく、このバイトをよい収入源にする学生もいる。)

で、実際に私の病室を担当した人たちでいうと、全体として看護師より看護助手の方が親切だった。

看護師の中に、明るくエネルギッシュな背の高いブロンド美人がいて、「ボンジュール、マ・ベル!」などと言いながら満面の笑みでやってくる。

ここは「ボンジュール・マダム」と言うべきだ。

よくシニアの患者やホーム入居者に子供に対するように呼び掛けたり話したりする介護者を批判する文を読むことがあるけれど、その不愉快さが何となくわかる。

その他に、注射をする時に「打ちますから動かないでよ」と言われた後で思わず手が動いてしまった時に、

「注射を打つときに動いたら痛いんだと知ってますか?

と嫌みに言われた。

私の頭の中ではすぐに、

「注射を打たれる時に動くのは意図的ではなく反射的だと知ってますか? そのリスクを予測してしかるべき処置をするのがあなたの仕事でしょう」

と言い返す言葉が浮かんだのだけれど、もちろん口に出さなかった。

注射針を持っている相手とベッドにいる私ではやはり「立場」の差が明白で、こういう時には自衛本能で自己規制が働くらしい。

で、Bさんの話に戻る。大声でまくしたてる家族の会話から分かってきたのは、Bさんの母親も昔は看護助手になるために見習の勉強をしていたらしい。ところがBさんを妊娠出産したことでそれを中断した。つまり、Bさんは、母親の果たせなかった職業に就き、あまつさえ後輩の指導までするカリスマというわけだ。

で、Bさんは自分の娘もゆくゆくは看護助手になること願っている。

だから、採尿器の扱い方などをここでいい機会だから実地にやらせていたわけだ。

そして家族のみながそれを認めていた。

前述のAさんのような波乱万丈の人生で、豊かな生活から最低賃金並みの生活に「落ちぶれ」て、成功した子供たちからもなかなか援助を受けられない人がいる。Aさんは、子供たちの結婚も本気で祝福する気になれず、孫たちが集まっても宗教上の齟齬によって険悪な雰囲気になるのを嘆いていた。

それに対して、Bさんの方は、両親も夫も3人の子供たちも見舞いに来てくれる。みななかよく大声で話し合っている。Bさんは親からも子供からも尊敬されている。

おそらく最低賃金レベルである看護助手という職業は、この家庭にとっては、代々受け継がれるべき「アッパーな職業」であるらしい。もちろん、確かに、国立病院で医師や看護師たちと共に働くステイタスがあり、患者の世話をするという「聖職」観もある。

それでも、普通は「黄色いベスト」運動の担い手であっても不思議でない職業なのに。

でもここはフランスだから、最低賃金や夜勤手当があり、失業のリスクもなく、夫や父親は影が薄くて何を仕事にしている人たちなのか分からなかったけれど、やはり最低賃金をもらっているとして、子供が3人いればこのクラスの人ならいろいろな助成金をもらえるし、教育費はもともと無料だし、「黄色いベスト」運動で生活苦を訴えるシングルマザーなどとは違って生活には困っていないのだろう。そして自分の仕事に誇りを持っている。

彼女らの付き合う同じような黒人家庭らの共同体意識の中では、彼女はカリスマ的存在なのだ。

うーん、病室の私から見ると、やはり看護師たちと、看護助手たちの間には一線が引かれていた。看護師の方が明らかに「格上」だというものだ。そこに「階層」があって、その「階層」は出身階層の差にもつながる。

でもBさん家族の内輪の会話を2時間も聞かされたことで(フランス語でなかったら分からなくてイライラしたかもしれない)、「フランスの看護助手」という「階層」の思いがけないフィールドワークができてしまった。

40年以上この国で暮してきて、まったく知らなかった世界を、たった数時間で内側から垣間見ることができたのだ。

盲腸、おそるべし。

(ところが私にとっての最後の夜、Bさんにとっての手術後はじめての夜、B さんは苦しみだして、何度も看護師が駆けつけて大変だった。彼女の手術がどんなものだったのかは知らない。ともかくトイレにも立てなかったのだから結構たいへんなものだったのだろう。それにしては麻酔が効いていたらしい時は元気だった。私は、寝不足でふらふらになったので、翌日の退院がなんとも嬉しかった)

(続く)


# by mariastella | 2018-12-29 00:05 | フランス

盲腸記  その2

(これは前の記事の続きです)

今回のミニ入院が思いがけず私に新しい目を開かせてくれたのは、入院の3日目に「黄色いベスト」運動が始まったことだった。この運動は、最初は公共交通機関のない地方で毎日車で通勤する人々がエコロジー促進目的で値上がりを続ける燃料税に対して抗議したものだった。環境汚染による地球の終わりを心配するよりも毎月の終わりに家計が苦しくなる現実をずっと無視されているという怒りだった。そのほとんどは最低賃金やそれに近い給料をもらう就業者で、これまでいろいろな社会対策の対象となってきた「若年失業者」「高年失業者」「移民」「難民」「過激派」「ホームレス」などの「目に見える」貧困層ではない。

で、正直言って、私の周りには、そのような人がいない。

もちろん、スーパーでレジに座っている人たちや行きつけのいろいろな個人商店で働く人や、大衆レストランの従業員や、いろいろな人たちが最低賃金ライン(手取り1200ユーロ、今のレートで日本円にすると15万円くらい)で暮らしているだろうことは想像がつくけれど個人的な付き合いはがあるわけではない。

周りのアーティストには生活が楽でない人もいるけれど、なんというか、アーティストは「アーティスト枠」であって、「苦しむ小市民」とは別のカテゴリーなのだ。


音楽院の友人や私の生徒たちも、そもそも音楽を学ばせるということがこの国では親の教育程度や社会階層とリンクしているので(小学校には音楽の時間がない)、もともとある程度生活の余裕がある人たちだ。今までの生徒たちの親の職業で一番多いのは教師、公務員、医師、アーティスト(ダンサー、映画監督、陶芸家)、エンジニアなどだ。(レッスン料はアーティストを支援するNPOに寄付してもらう形になっている。)

ところが、今回、わずか一週間にも満たない入院で、「最低賃金」ラインの人々ととつぜん非常に深い関係になった。

例えば看護師や看護助手。

夜勤の多い大変な仕事なのに国立の大学病院で十分な給料がもらえない。これらの人たちとの関係は、スーパーのレジ打ちの人やお店の従業員との関係とは違う。フランスのシステムとして緊急入院して手術をする人には、一銭も請求されない。だから形としては彼らに一方的に「世話をしてもらう」ことになる。こちらは「ハンディのある弱者」だから、「普通の人ならできること」でも、彼らの手を借りて助けてもらうことになる。これはもう、向こうは仕事だから、なんていうビジネスライクな関係ではない。第一こちらが全身麻酔で意識がない時にも一方的にお世話してもらっている。

そして、特に看護助手のような看護師よりさらにランクの低い仕事には黒人女性の率がものすごく多いことを知った。カリブ海系の海外県から来ている人も多いようで、独特の訛りのある人もいる。平均して、がっしりとして太っている(というか胸と腰のボリュームに圧倒される)。頼りがいがある。ある程度年配の人も多い。今回初めて気づいたので恥ずかしくて言いたくないけれど、私には、彼女らの典型的なタイプを前にして「区別がつかない」ことが分かった。もちろん例えば白人にとって「中国人はみな同じ顔で区別がつかない」などと思われることもあるかもしれないけれど、黒人もたくさんいるフランスに長く暮らして、彼らを特別の人として識別して向かい合うことがこれまでの私にはなかったのだ、という現実を思い知らされた。でも、病床にあっては、彼女らは、私の名を呼び(確認義務があるのだろうが)、血圧や体温やらを測ってチェックし、点滴の薬を入れ替えたり包帯を替えたり、そもそも、短時間とはいえ全身麻酔の手術の後で意識のない私の世話もしてくれたわけだ。私も彼女らの名札を読んで名前を呼びたい。


実際私と同室だった女性はみなをファーストネームで呼び、差し入れのお花を上げたり、ジョークで笑わせたり、みんなといい関係を築いていた。後でわかったのだけれど、彼女は肥満治療のために胃に取り付けるバルーン治療の調整の手術だったので、前日から個室を頼んで入院して(もともと2人部屋なのでそこに緊急の私が飛び込んだ)、私と同じ日に手術しても回復が早かったのだ。彼女が退院して一人になったころは私も余裕ができて、若くて元気そうな大柄な看護師に、


「あなたはきっと入院したことなんてないでしょう。こんなところで働いて、世話する人はみんな言ってみれば病気や痛いところがあって苦しんで不幸な人ばかりで、そんな人ばかり見て落ち込まない?


と聞いたら、


「ええ、でも、最終的によくなって退院していくのは幸せなことだから、それを見るのが嬉しくて楽しみなんです」


と答えた。


優等生的答えというより実感がこもっていた。

そうか、来た時よりも元気になっていくのを見るのだから励みになっていいんだなあ、と感心したけれど、それならやはり、回復の見込めない重病人や意識不明のままの患者や、危篤状態や老衰の患者を看護する人は大変だなあともあらためて思った。


看護助手の一人からは、「黄色いベスト」運動のニュースを私がTVで見ていた時、「自分も車で通っているので少し見ていいか」ときかれた。この人たちもきっと「最低賃金」で働いているのだろう。「黄色いベスト」運動への共感が時々話題になった。


で、私の同室となった女性。

リタイアした普通の白人女性でエネルギッシュな感じだ。

はじめは彼女が起き上がった時に両脚にギブスをはめているのかと思った。

「事故ですか?」などときいてしまった。

考えてみたら「消化器外科」の病棟なのだからそんなはずはないのに間抜けな質問だ。ギブスだと思ってしまったのは、彼女の自前の動脈瘤防止の弾性ストッキングだったのだ。肥満治療に来ているぐらいだから両脚も太くてギブスを着用しているかのように見えてしまったのだ。病院で支給される普通サイズのものは入らないので特大サイズなのだそうだ。

仕切りもないし、かなり広い部屋とはいえ斜めに向かい合う方向でベッドが置かれているので、相手の様子が見える。彼女がしょっちゅうスマホを使って電話したりメッセージを受け取ったりする音がする。

「こういう時インターネット環境があるって便利ですよね」と私が言うと、「私は最低限しか使わないようにしている、ほんとうに時代は変わった。」と答えるので、「そうですね。今子供を育てている人なんて、子供の携帯の使い方などを考えると大変ですね。」と私。

SNSを使ったハラスメントやいじめの例が今はフランスでも話題になっていて、たった今TVで語られたばかりだった。


「子供がSNSでいじめられていても親が気づけないと悲惨ですね」と私がいうと、「ああ、それは一番つらい」と感情のこもった声で答えた。


そして、


「ネットがなくてもいじめられることはある。私は子供の頃から太っていて『ブタ』だとからかわれてすごくつらかった。死のうと思ったこともある。」


と言い出したのだ。

私は驚いた。そんな負の思い出を誰かから面と向かって話されたのは初めての経験だったからだ。


それから、彼女とのいろいろな話が始まった。

すごくユニークな人だった。

彼女を最初に見て、私の単純な先入観から漠然と思っていたのは、アメリカの「プアホワイト」の肥満者とかぶるもので、私の知人や友人たちとは異質な人、という印象だった。

この人は実は75歳で、その人生は波乱万丈のものだった。Aさんと仮に呼ぼう。


Aさんはある大手食品会社で働いていた。その時に知り合った同僚と結婚した。相手はユダヤ人だった。結婚してから独立して食品関係の会社を自分たちで立ち上げた。人件費とそれに伴う社会保障費を節約するために、彼女はほとんど無休で働いて社長である夫を支えた。

夫の母親は何度も彼女にユダヤ教への改宗を迫ったけれど、彼女は頑として断った。

Aさんはフランスでスタンダードな「なんちゃって」カトリックだ。で、母である彼女がカトリックだから、3人の子供はユダヤ人認定はされない。「無宗教」で育った。

子供は女、男、女の3人だ。

仕事はうまくいき、子供たちの教育も順調だった。

長女は最初医学部を目指したが、1年目の選別試験で落とされて法学部に転向して医療訴訟専門の弁護士になった。

(「あ、じゃあ、おかあさんがこうして入院してもなんとなく心強いですね」と私。)


長女はパリの一等地に自分の事務所をかまえている。50歳近いのに独身であることが心配だ。ユダヤ人弁護士と付き合っているけれど、同居するのは絶対嫌だと言って猫と暮らしている。ユダヤ人弁護士が猫を拒否するからだからだそうだ。

(「うーん、そういうケースは男が折れる以外に解決の道はないですよ。女性が自立して自分のアパルトマンを持っていて猫と暮らし始めたらもう結婚する気がなくなるなんてよく言われますよ」と私。)

で、その長女は猛烈忙しくて、Aさんをフォローするために病院に来るということはない。(彼女は行きも帰りも病院が呼んでくれるタクシーを使った。)

第二子である長男は情報関係のエンジニアでこれもパリ近郊で裕福に暮らしている。次男の「問題」は、モロッコ人女性と結婚していることだ。フランスで生まれ育ったモロッコからの移民の二世などではない。モロッコで生まれ育ったエリート女性で、その母親は作家としてモロッコで活躍している人だという。で、もちろんムスリムで、ムスリム女性はムスリムの男性としか結婚が許されないので長男はあっさりと「改宗」している。

イマムの前でアラーだけが神でありムハンマドだけが預言者である誓いの言葉を発するだけでいいので「結婚するために彼は嘘をついたのだ。」とAさんは断言する。

長男は何も信じていない、それでも、だんだんと飼いならされてきて、最近ではラマダンにも付き合わされるようになった。2人の子供にムスリムとしての戒律を厳格に守らせることにも異を唱えてはいない。

で、この長男だけが、ひとりで、木曜の夜に見舞いにやって来た。

大柄なAさんと違って痩せ型で小柄で、それでもムスリムらしく髭を生やしている。

Aさんのそばに座ってぼそぼそと話してから帰っていった。

「見た目は完全にアラブ人といってもおかしくないでしょ」とAさん。

で、末っ子の次女だがこれがまたすごい。彼女は本格的なイスラエル人と結婚して、本気でユダヤ教に改宗するために勉強を重ねている最中で(ムスリムになるのと違ってけっこうハードルが高い)、結婚してすぐにイスラエルに行ってキブツに住んでいる。幼稚園児と小学生の子供がいる。彼らのユダヤ教戒律遵守も大変で、肉とスープは同じ冷蔵庫に入れることもだめだとか、非常に細かいので、たまにフランスに戻って長男のムスリム家庭といっしょに食卓を囲む時などイスラムとの戒律のバッティングもあって大騒ぎになるのだそうだ。

Aさんはキブツに住むこの次女のことが心配で心配で毎日パレスティナ情報を調べている。

しかも、5年前に、この次女が、2人目を出産してすぐに乳癌になって治療することになった。同時にその次女の夫も睾丸癌の治療が必要だった。Aさんは孫たちの面倒を見るために半年間キブツで暮した。その時にもロケット砲が飛んでくる音を聞き、一触即発の雰囲気の中で暮した。次女は兵役も経験している。

それだけではない。Aさんは高血圧の他に持病もあるのだけれど、キブツの中の病院には行く権利がなくて車で40kmも先の診療所に行くしかないのだった。

キブツの中では、収入が配分される共産制で、病院も学校もすべて無料なのだけれど、それはイスラエル人にしか適用されないのだそうだ。家は自分たちのものだが、土地はすべて国家のものだ。


「え、でも、イスラエルの国籍を取得した娘と娘婿が癌治療の間に70歳の母親がわざわざ孫の世話をしに来ているというケースなんだから当然例外を認めるべきでは?」と私は驚いた。

Aさん自身はユダヤ人と結婚していても、姑以外からは何もしつこく強要されず、ユダヤ教への改宗を拒んできたのに、皮肉だ。

それだけではない。

子供たちも独立してビジネスも成功したAさん夫婦は、販路も広げたし世界の各地に旅行もした。何と日本にも行ったことがある。京都の思い出を話してくれた。

ところが、何があったのか知らないが、離婚。慰謝料をもらう代わりに広い庭のある自宅をもらった。問題は、リタイアした時に、彼女の年金が非常に少ないことだ。自営業でやってきて経費節減のため彼女の給料がパート扱いでほとんどなかったので、彼女名義で受け取る年金が800ユーロくらいしかなく、それでは広い家の維持費や固定資産税の支払いも大変だ。で、そこはフランスだからいろいろな社会保障費が支給されるのだけれど、それを全部合わせてようやく月1200ユーロなのだそうだ。

出た。


「黄色いベスト」運動の掲げる最低賃金1200ユーロの生活難。


臨時の出費があった時には長女が時々助けてくれるのだそうだ。


「子供たちを立派に育ててみんな仕事していて、彼らの父親のせいであなたが大変なのだから、もっと定期的に払わせれば? 母親の生活費を毎月援助する額のかなりの部分は節税になるはずよ」と私は言った。


するとAさんは、「そんなことをしたら向こうには減税で戻ってきても、私の方はそれを収入として申告しなければならない。そうしたら今払っていない所得税まで発生することになるので藪蛇よ」と答えた。


なるほど、それなら時々現金で「お小遣い」をもらうしかないのかもしれない。

彼女は退院してからは自分の車を運転して主治医のところに通うのだそうだが、「私は車の運転席の横フロントガラス越しに見えるところに黄色いベストを置いてマニフェストするつもりだ」と言った。

しかし、苦労して働いてようやく優雅な暮らしもできるようになった人が、キブツは別として、パリやパリ近郊に暮らして現役で働いている子供たちの援助を受けずに「黄色いベスト」に加わるつもりとは…。

彼女は私にとても親切で、最初、私がトイレに行くために起き上がるのが大変そうなのを見て、「ボタンを押して看護師を呼べばいいのよ」とその都度言ってくれた。夜中に看護師がなかなか来なかった時、自分もボタンを押して、しまいには、様子を見ると言って、起き上がって廊下に出ようとしたので、「いや、あなたにそんなことをしてもらいたくない」と私が止めるとようやく看護師が来たこともある。

退院する時、隣人だという女性が来て付き添ってくれたようだ。

みんなに慕われている人なんだなあ、と思う。別れる時にそばに来て抱きしめてくれた。


「あなたと知り合えただけでも今回の入院はポジティヴでラッキーだったわ」と私は言ったが本音だった。


私は好奇心全開でフィールドワーク風にいろいろなことを質問したけれど、Aさんの方は私のプライヴェートな情報を日本人だという以外にほとんど何も聞かなかった。これという波風もない私の人生は彼女の人生の前では語るのも気が引けるほどだけれど、一応「盲腸」という緊急事態で、彼女のように自前のタオルも何もない着の身着のままで入院しているのだから、ある意味で、しっかりと実存的弱者だ。「裸のつきあい」という言葉があるけれどそれに近いのかもしれない。

それに、ここはフランスだから、2人とも退院の時にまったく支払いをしなくてもいいという点でも平等だ。平等なのに、私たちの日常の生活感覚はきっとまったくかけ離れているだろう。そして彼女の人生は「普通のフランス人」のイメージと大きく異なる。

彼女のおかげで「黄色いベスト」運動の多様性のことを本気で考えるようになった。


(続く)


# by mariastella | 2018-12-28 03:27 | フランス

盲腸記  その1

これを書いているのは虫垂炎の緊急手術をして退院してからまる1週間経った時点(11/26)だ。

それがどうして起こったかについてはすでに病室で「健康ブログ」にアップし始めた。

ここ。

フランスでの大学病院事情を報告しようと思ったので、そっちも並行して続ける予定。

で、その数日のうちに実に興味ある社会観察ができたし、出会いもあり、多くのことを考えたので、それを忘れぬうちに書いておく。

で、このブログでのこのシリーズのタイトルを「盲腸記」としたのは、今回の件で日本語では「盲腸」が死後になっていることを知ったノスタルジーからだ。

私のことだから、日本のブログでいろいろ検索したら、その中には、病院で「あなたは何の病気で何の手術をしますか」と「確認」を取られる時に、「盲腸」と答えると患者として「下位」にランクされるのでちゃんと「虫垂炎」と答えなければならない、という記事を目にしたことに驚いた。

うーん、1950年代前半生まれの世代としては、健康ブログの方にも書いたけれど、「盲腸」と言えば、「スイカの種やらブドウの種を食べるとそれが詰まる」という伝説の他、時々クラスの誰かが一週間くらい欠席する病気で、「手術」「手術後も笑うと痛いので笑わせるとダメ」「ガスが出ないと退院できない」というくらいの、半世紀前の「知識」しかなかった。

幸運にも、これまで自分自身も身近な家族も「切る」手術を経験したことがなかった。

今思うと、「笑うと痛いから笑わせるな」とか「ガスが出ないとダメ」とかいうのは、別に「盲腸」の手術だけではなく、開腹手術一般だと思うけれど、子供たちがわりと普通に「病気になって学校を休んでそして元気になって戻って来る」と認知している「病気」の治療に薬だけでなく「手術」があったということにもあらためて驚きだ。

それにしても、「盲腸」。

フランス語ではappendice、虫垂炎がappendiciteというのだけれど、この単語は、日本にいた頃の私の語彙にはなく、ソルボンヌのフランス語講座に通った頃にはじめて習って強烈な印象を残してその場で覚えた単語だ。先生が黒板に書く文字まで覚えている。

なぜこの単語かというと、フランス語は英語と違って、単語の綴りと発音が大体規則正しいので、「例外」を覚えさせられるからだ。

フランス語のen は鼻母音の中でも、カラスのカアーという感じで口を大きく開けて息を鼻から抜いて発音する。それに対して in は、口を横に引っぱって「エ」という形で息を鼻から抜く。どちらもカタカナでは「アン」と書かれたりするのだけれどまったく違う音で、cent cinq (最後の子音は発音しないのでどちらもサン)では、1005という大差の数字。

で、なぜか、盲腸はenと書くのにinと同じ発音、ということで、ソルボンヌで教えてもらったわけだ。

今回の「事件」で私は周りのフランス人にこの発音の例外を披露したら、みなあまり意識していなかったらしくて、「あ、ほんとだ」などと言っている。

もっとも近頃は、綴りと発音を一致させようという簡略化が公式に進んでいるので40 年前にフランス語の難問書き取りの達人だった私も、実はもう何が何だか分からない。

それに携帯やネット上のやりとりが蔓延して、もう「綴り?それが何か?」みたいな時代に突入している。

でも、今回、フランス語でもあらためて検索すると、appendice の綴りはめでたくappendice のままだった。語源的には「垂れる」「ぶら下る」だから、もともと「虫垂」に近い。

では、今回、日本で、「虫垂」が炎症を起こして「盲腸」になる、という表現が昔使われていた、という情報をあらためて考えると、盲腸とは、「大腸の一部で、小腸との接合部より口側(肛門から遠い側)の盲端部分」という定義がちゃんと存在する。

フランス語でもあって、やはり「盲」という語源。うーん、日本も欧米語から訳したものの最近「盲」という言葉自体が避けられているからだんだん使われなくなったのかもしれない。

もちろん、正確には盲腸があって、その先に虫垂が垂れているという感じなのだけれど、ともかく炎症を起こすのは「虫垂」、切除するのも虫垂。(しかし、「虫様突起」ってなんか嫌だなあ。)

いや、前振りが長くなって、ただの雑学披露になってしまった。

ともかく、日本と違って、半世紀前に習った「言葉」がまだちゃんと現役で通用したことに感謝しよう。


# by mariastella | 2018-12-27 00:05 | フランス語

死後の世界って

前の記事から続く一神教の神学者たちによると、一神教における本来の「永遠」というのは、線的ではないということだ。
よく、多神教、汎神教的世界観は季節のように循環するけれど一神教では世界が神によって創造されてやがて世界の終わりが来るので線的で、まあそれが「進歩主義」を生むことになった、ひいては経済や生産性の「成長主義」も生んで、そのせいで環境が破壊された、などという言説がある。
実際は四季のある場所は多いし、穀物や果実の収穫も毎年循環するのだから、一神教のお祭りも、夏至や冬至などのリズムを踏襲している。

そして、「世界の終わり」と言っても、実際はこの世のあり方から神の世界でのあり方にシフトするというイメージだ。

永遠とか無限とかいうと遠さや長さを連想するけれど、一神教の考えてきた「永遠」とか「あの世」とか「神の国」には、過去もないし未来もない。上と下もないし前と後ろもない。カトリックの聖人崇敬でも、いったん神の国に入った聖人たちは、この世の人に起こる奇跡に介入したりできるけれど、そこには時間軸がない。例えば、今ここである人を助けてくれる聖人はまだこの世に生まれていない未来の聖人ということもあり得るわけだ。聖人の名をずらずら並べる連祷というのも、形としてはそれぞれの聖人に思い入れを託すとしても、実は集合的なあちらの世界の全体に働きかけているのだとも言える。

昔、台湾の方が、彼の家族の道教の考え方では、死者は別の多分地下の世界のようなパラレルワールドで整然と同じような暮らしをしていると思われているのが腑に落ちない、と言っていた。死者が海の彼方や山の彼方で「暮らしている」という考えは日本にもあったし、ケルト地方にもあったし、盆や正月やハロウィーンなどに例外的に「戻って来る」のを迎えたり送ったりする習俗もある。もちろんヒンズー教世界で生まれた仏教のように、魂が輪廻転生で生まれ変わり続けるというのもあるし、その度に「前世」のメリットによってステージが上がってついには輪廻を脱出して成仏するという考えもある。「自分の魂ファースト」を目ざす新宗教もある。

そんなことをこれまでいろいろ調べてきたし考えてもきたけれど、時間と空間の中の位置関係に縛られている「この世」に対して、時空と関係のない「あの世」が存在すると考えることが、実は私が過去に体験してきたことと一致している。

その「あの世」とは、「死後」の世界とかパラレルワールドではなくて、今ここに、私たちの世界を包んでいるものだ。私たちは生きている間はそれを時空の系列、時空の枠でしか認識しないけれど、実は、一瞬だけ凝縮してエントロピーを減らしているだけで、「あの世」も同時に生きている。幼児や老人や重病からの帰還者たちにはそのつながりが強かったり、「この世」のほころびから「あの世」を感じる人も出てくる。

昔、透視能力についてそのような実験結果をうかがったこともあるけれど、そんなにオカルトな不思議な話ではなく、納得できるものだった。まあ、普通の生活に追われている分にはそういう話は不都合な雑音かお花畑の夢物語かだろうし、「この世」での生命力の弱っている人に対してたまにそういう話でつけこむ輩もいるのだから、バランスをとるのは難しい。

でも、結局は、世に言う「死生観」とは、「死」と「生」の関係でなくて、その二つを包含する何かについてのビジョンなんだろうなと思うこの頃だ。

# by mariastella | 2018-12-26 00:05 | 死生観

クリスマスの飾りつけ

メリークリスマス!

12/9、クリスマスの飾りつけをした。

これを楽しくなつかしく思えるのは不思議でもある。
日本の都市の核家族でキリスト教と縁がない(兄の通っていた幼稚園が神戸のキリスト教系だったことを除いて)家庭に育ったのに、毎年のクリスマスツリーの飾りつけや長靴に入ったキャンデーなどの思い出は忘れられない。金属の箱に入った小さな赤白縞のステッキやブーツ、玉などを飾り、てっぺんには星をつけ、モールをあしらい、最後には綿で雪を置く。毎年同じものと再会するのが楽しかったし、雪だけは、新しい綿を使うのだった。

前回の記事の「聖地」について解説していた神学者がクリスマスについても話していた。

クリスマスツリーの起源がキリスト教とは関係がなく北欧などの冬至の祭りだとかいうことはよく知られているけれど、キリスト教化して以来のフランスでは、その飾りはなんといってもリンゴだったそうだ。しかも、縁日にあるような赤いシロップでコーティングしたものだったそうだ。ノルマンディでは木の根にシードルを聖水のように振りかけていたともいう。
緑のモミの木に赤いリンゴ、これはエデンの園の中央にあったと言われる「生命の樹」を表現していたのだそうだ。

リンゴの木というと、生命の樹でなく、イヴが蛇の誘惑に負けて食べてしまった禁断の木の実(リンゴかどうかは分からないのだけれど。裸で暮らせるような気候だったのだからリンゴではなくイチジクだとも言われる)の生る「知恵の樹」の方を連想すると思う。
でも、神さまの命令を破って食べて「知恵をつけて」しまって楽園から追い出されたような木を記念に飾るという挑発的な話ではなくて、もう一つの、その実を食べると神のように永遠の命を得られるという生命の樹の方なんだそうだ。
つまり、緑の樹に赤い実が生るという〈命〉の賛美だ。この方が確かにもともとの樹木信仰とマッチしている。

この話をしていると、ユダヤ教の神学者が、ユダヤ教の七枝燭台や九枝燭台も、樹木であり、生命の樹を表しているのだと言っていた。

モーセがエジプトから脱出してからの四十年の月日、ユダヤ人を養うために天から降ってきた食べ物であるマナを記念するパン状のもの?を12月から1/6までの40日間テーブルの上に出しておくのだとも言っていた。40日には足りない気もするけれど、キリスト教のいわゆる待降節の期間と、イエスが生まれた後で東方の三博士が訪ねてくる1/6の「公現祭」と重なる。伝統的にはこの公現祭で年末年始の行事が終わってツリーも片づけることになっていたから、キリスト教国で暮らすユダヤ人の習慣にも連動するヴァリエーションができたのかということなのだろうか。(ユダヤの伝統的な「光の祭り」ハヌーカは、例えば今年は12/2の夕方から12/10の夜までで、伝統的な食べ物もいろいろあるけれど、そのどれがマナの記念で、ほんとうに1/6まで出しておくものがあるのかどうかは確認できなかった。)

どちらにしても、北半球で日照時間が最も短くなった後に、太陽が復活するかのような「冬至」の時期に、「樹」と「実」と「光」をセットにして「生命」を賛美するという気持ちは共通しているなあ、と思う。

# by mariastella | 2018-12-25 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その4

(これは前の記事の続きです)

最後はユダヤ教。

「聖地」はない、と言う。

さすがさすらいの民。

ユダヤ教には「聖」ではなく、「聖」に近づくための「智慧」が大切なのだ。
ユダヤ教にとっての聖地は「神殿」である。

エルサレムにあったその「神殿」は破壊されて壁しか残っていない。

神殿があったころ、エルサレムは「聖地」であった。
神殿がない今は、「聖地」と呼ばずに「エルサレム」と呼ぶ。

のだそうだ。

カトリックはエルサレムのことを普通に「聖地」と呼んでいるのに。

もちろんこれらの解説は、それぞれの宗教の特定の神学者の言葉だから、他にもいろいろな見解があるのかもしれない。

でも、このユダヤ教の解説にはなぜだかとても好感が持てた。

(この放送は12/9の朝のものです)

# by mariastella | 2018-12-24 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その3

(この記事は前の続きです)

このイスラム教の「聖地」について解説していた人は女性だった。

女性のイスラム神学者だ。

なんだかとてもすんなり理解できる。
ばりばりのイマームなんかに解説されたら、近頃のフランスの過激化するイマームの危険ばかり聞かされるのに慣れているので、同じことを言われても抵抗があったかもしれない。

しかも、この女性神学者はフェミニストでもあり、モスクでの女性の礼拝場所が男性の場所より狭くてみすぼらしいことに抗議していた。
もともとは男女が同じ場所で礼拝していた。けれども、イスラムの礼拝では、直立姿勢から跪拝する。膝をつき、顔を床につけるので、最初に尻を持ち上げる格好になる。
そのために、女性を前にしてはいけない、と言うので、男性が前で、女性は後方で礼拝するようになったという。それがいつの間にか、別々の場所となり、女性の場所が一ランク落ちるようになった、それは改めるべきだ、と言っている。

部外者から見ると、私にはチベット仏教の集まりでみながリンポチェの前で一人一人が五体投地をするのを見る時も違和感があるので、イスラム風の跪拝も集団となると異様な感じがする。

カトリックの巡礼地で、膝をついて歩く人も見ることがあるけれど、「痛いだろうなあ」と思うけれど、別に女性を後ろから見るのがはばかられる、というものではない。

いずれにしても、五十肩の人や足腰に痛みがある人には無理な姿勢なので、祈りは目を閉じるとか手を合わせるとかで形はOKという文化が私には向いているなあ、と思ってしまった。

(続く)

# by mariastella | 2018-12-23 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その2

(これは前の記事の続きです)

次にイスラム教の聖地。

これはよく知られているように、三ヶ所ある。

まずはもちろんメッカのカーバ神殿。

ユダヤ・キリスト教と同じ一神教なので、創造神とアダムにまで遡る原初の神殿のような位置づけだ。七万
中の「御神体」は天使が運んできたという有名な「黒石」で、これに巡礼者が接吻などして触れるのは、触れれば全ての「罪」が一瞬で黒石に吸収されて、巡礼者は浄化されるからなのだそうだ。

黒石って「罪の色」で黒いのかなあ、ブラックホールみたいでもある。

生涯に一度はカーバに巡礼しろというのは、「清め」てもらって天国に行けるという意味もあるのだろうか。でも実際は、巡礼者が多すぎて接吻などしていられない。ぐるぐる回って指さすだけがほとんどだというから、「罪」の浄化はどの程度なんだろう。

キリスト教だって、初期の頃は、洗礼を受ければそれで天国へのパスポート、みたいな時代から、でもその後でまた罪を犯してしまうから、「告解」して「罪障消滅」してもらう時代、それでもまた罪を犯すから何度でも告解するとか、いよいよ臨終の「秘跡」で「清めてもらう」ようないろいろなプラグマティックな工夫がなされてきた。
仏教でも、もう罪を犯したり戒を破ったりするリスクのない死後に法名だの戒名だのを授けてもらうようなシステムが生まれているのと似ている。
生きているうちは罪深い存在だけれど、死ぬときには何とか清くなりたい、という心情は普遍的なようだ。というか、どの文化にもそれぞれの道徳だの戒律だのがあり、それを「厳守」できていない人は、たとえそれが社会的にばれなくても、それなりの罪悪感を抱くのだろうか。

で、二つ目はもちろんメッカを追われたムハンマドの死地で、墓所のモスクのあるメディナ、
三つめが、ムハンマドが天に上げられたというエルサレムの岩のドームがある神殿の丘だの。
メディナに住んでいたのに、天使ガブリエルに連れられた天への旅がまずエルサレムに行ってその岩を出発点にしたということになっている。

ともかく聖地はこの三つで分かりやすい。

(続く)





# by mariastella | 2018-12-22 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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