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by mariastella
| 2026-06-13 00:05
| お知らせ
普段目を通しているのはほとんどがフランス語の本や新聞、雑誌記事。
耳にしているのはほぼ100%、フランス語のラジオやニュース番組。 そのうちの半分は、右派ではないフランス・カトリックやヴァティカン由来のもの。 ディスカッションするのは左派系アーティストのフランス人。 日本語は、dマガジンで総合週刊誌系や生活、旅行情報雑誌ををぱらぱら、パリの友人が亡くなってから、フランスにいて日本語で会話したりディスカッションしたりする機会はほぼゼロに近い。 日本語のブログは、いくつか読んでいる。Facebookは1~2人を時々。 youtubeはクラシックバレエのものを少し。猫系はもうあまり見ない。 その中で、近頃ショックだったのは、友人のFacebookで紹介されていたyoutubeで、日本の自殺に関するものだった。日本の自殺率が高いというのは前から知ってはいたものの、「周りに影響されやすい」という特徴が、暴動などではなくて、日本人ではこういう風に現れるのかと、あらためて驚かされた。 もうひとつは高市首相についての記事。 トランプ大統領を訪問した時の発言や態度には驚いたけれど、この人はもともとこういうタイプの人なんだろうと思うことにしていた。 下の記事を読んで、闇と無知のもたらす事態に危機感を募らされた。 #
by mariastella
| 2026-06-12 00:26
| 時事
(前の記事の続きです。)
長い内戦や飢饉に続き、ドイツ語話者の移民は膨大なものになっていた。アメリカ大陸だけで何百万人もの移民が、ドイツ語を話し、ゲルマン民族のアイデンティティを維持していた。1871年に普仏戦争に勝利したプロイセンが、ドイツ連邦を「統一」してアルザス・ロレーヌも割譲させ、その後はじめてアフリカにも植民地を獲得した。 アルザス・ロレーヌの住民には1年の猶予期間が与えられ、フランス国籍を選んだものはフランスに移民させられた。ドイツ語話者たちだが、フランス人からの保護を受けた。 アフリカの植民地は南西部のナミビアだ。ゴールドラッシュのアメリカでも西部開拓のドイツ移民が続いていたが、アフリカも文字通りの「新天地」で、多くの移民が押し寄せた。現地の黒人との混血を避けるためにカップルでの移民が推奨された。 開拓民として働くのではなく、実際は先住民による奴隷労働の監督だった。 完全に「家畜」として扱われていた黒人がやがて暴動を起こし、ドイツ兵によって圧殺された。 第一次世界大戦の敗北によって、アフリカの植民地も失い、アルザス・ロレーヌも失った。 その後、ナチスの台頭と、第二次世界大戦での決定的な敗北がある。 アメリカでは、ドイツ系移民が活躍し、イングランドやアイルランドからの移民よりも多いほどであり、ドイツ国籍も維持し、ドイツ語で学校教育していた。クリスマスツリーをアメリカにもたらしたのもドイツ移民だし、アメリカの代表食になったハンバーガーもハンブルグに由来している。 ナチスの敗北により、全てが変わる。ドイツ国籍を捨てることやドイツ語で電話したり手紙を書いたりすることやドイツ語の学校も禁止されたという。「ドイツ語話者」という移民のアイデンティティは消失した。 アメリカの移民というと何となく、「アングロサクソン・プロテスタント」と「アイルランドかヒスパニックのカトリック」という構図を連想してしまうが、ドイツ語話者の移民が第二次世界大戦後の「ナチス=絶対悪」の図式によって蒙った「生き方の変更」の深刻さを始めて知った。 それでも、目標を「ビジネスチャンス」に特化して富豪となり大統領にまでなる人もいる。 第二次世界大戦の間、日系の移民もまた差別の対象になり強制収容所に入れられた歴史を持つわけだけれど、白人でキリスト教のドイツ系移民は、別の生存戦略を余儀なくされたわけだ。すくなくとも、トーマス・マンなど、ナチス政権から逃れるために「亡命」したドイツ人の受け入れ先は同じ「キリスト教文化圏」の中に存在した。日本の皇国史観、軍国主義に反旗を翻した人には同じ文化圏の「亡命先」がなかったことに思いを馳せてしまう。 色々なことに目を開かせられるドキュメンタリーだった。 (細かい数字などはもう一度視聴してから記録しておこう。)
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by mariastella
| 2026-06-11 00:05
| 歴史
Arteで、ドイツ(統一されたのは1871年だからここでは「ドイツ語話者」という意味)からの移民の歴史について3話に渡るドキュメンタリーを視聴した。
トランプ大統領がドイツ系だというし、合衆国でのドイツ系の立ち位置などに興味を持っていたからだ。 ヨーロッパは何度も大寒波や飢饉に襲われ、その度に、ドイツの農民たちは土地を捨ててて移動してきた。そのためにはオランダの港などにまで家族で移動しなくてはならず、その途中で疫病も含めて多くが命を失っている。新大陸アメリカに植民者として渡るにはイギリスの許可を得てイギリスから出発しなくてはならない。 生き延びてアメリカに渡ったものもいたが、与えられた場所で一から開拓しなくてはならなかった。ピッツバーグには今も「ドイツタウン」と呼ばれるようなドイツ人コミュニティがあった。そこでは先住民のコミュニティとも共存があったそうだ。 で、アメリカの独立戦争。 宗主国イギリスに対抗するため、米仏連合軍が戦った。その30%がドイツ人だったという。3万人のドイツ人兵士のうち、1万2千人はドイツに戻ることがなかった。アメリカで戦死したか住み着いたわけだ。 アメリカに残ったドイツ人はピッツバーグで昔別れた家族の子孫などと再会した。彼らはいまだドイツ語(方言化していた)を話していたので、通じ合った。19世紀まで続いた。 ドイツ移民は、ブラジルへも渡った。 けれどもどこでも二級人民扱いで、4年間も兵役についても国籍を与えられなかった例もある。アルジェリアにはフランスの植民者として渡った。 19世紀半ば、アメリカには50万人のドイツ系移民がいた。1846年に起こったアイルランドとドイツでの深刻な飢饉の後の移民だ。 1844年に、ドイツ移民の奴隷状態について、あるドイツ夫人がルイジアナ州(ここは名が示すように旧フランス領だったがナポレオンが合衆国に売却した。)の農場で働いていたサリー・ミラーというドイツ女性の不当な扱いについてニューオリンズ市を訴えた。 サリーは3歳の時、バイエルンから1817年に家族と共に移民してきた。そこでは黒人しか労働していなかった。黒人と共に過酷な「奴隷労働」をしていたサリーは法廷で「サロメ・ミュラール(ドイツ名)」と名乗り、白人であるのに黒人と同様の扱いを受けていることの不当性を訴えた。サリーに黒人の血が入っているなどという中傷もあったが、この裁判のおかげで、「白人」の奴隷労働について一応のブレーキがかかる先例となった。 それにしても、貧しい移民が即奴隷労働者として売買されるという形が、もともと「奴隷貿易」によって強制的に売られてきた黒人奴隷と「区別」されて「解放」されることになったわけだ。それを決めたのが徹底的に「肌の色」だったというのを知ると、20世紀になってもアメリカにおける「黒人奴隷の子孫」の差別撤廃運動の困難が続いたことも納得できる。 先住民であるアメリインディアンの囲い込みも含めて、アメリカという国のアイデンティティ模索の歴史は、日本人にとって想像しがたいほどに複雑だ。 ちなみに、トランプ大統領の祖先は飢饉から逃れた移民ではなく、ブルジョワ家庭だったようだ。「一攫千金」のアメリカン・ドリームを夢見てやってきた人たちもたくさんいるわけで、一般化できるようなものは何もない。 世界の富裕層のシンボルのようなイーロン・マスク(南アフリカ、カナダ、アメリカの三つの国籍を持つ)の先祖にも、ピッツバーグを有する「ペンシルベニア・ダッチ」がいる。(ドイツやアルザスやスイスから来たドイツ語話者の子孫だ。) 差別の対象の「有色人種」に分けられて、それでも「肌が黒くない」ことに助けられて道を切り開いてきた多くのアジア人のことに思いを馳せる。 参考) #
by mariastella
| 2026-06-10 00:05
| 歴史
聖霊降臨祭のミサにはめったに行くことがない。フランスでは必ず連休で、学年末も近いので、いつも他のことにとらわれているからだ。
でも、今年、5/24は特別だった。 5/14のイエスの昇天(復活祭から40日姿を現したイエスが、昇天する時に弟子たちに、ユダヤ人の枠を超えた世界中に福音を伝えるように言い残した)から10日目、まだ、不安に駆られて集まっていた弟子たちのもとに、炎のように聖霊が降りて来て、イエスの伝えた言葉をすらすらと言い表すことができるようになったのだ。 オディールは昇天祭の翌日に帰天した。 昇天したイエスに招かれている気がして安心して旅立ったのだろう。 でも、いつもながら、私は、魂の友人たちが帰天した後、そのまま神のもとで永遠の安息を味わっているとは思えない。 私を日本のカトリックに橋渡ししてくれたK師、「友だち」と認め合ったO師、ベルギー人のS師らは、私をいつも助けてくれている。 すっかり弱っていたオディールが亡くなってすぐに、彼女が自由になって私を助けてくれる側に回ったことを感じるできごとがあった。 その後、聖霊降臨祭に、確実に寄り添いに来てくれることを予感したので、ミサに出たのだ。 すると、オディールだけでなく、K師、O師、S師からの支えも感じることができた。 この日のミサで読み上げられる聖書の箇所は、聖霊降臨の場面だけでなく、パウロの「コリントの信徒への手紙一/ 12章」がある。 >>体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様です。 なぜなら、私たちは皆、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの霊によって一つの体となるために洗礼(バプテスマ)を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったからです。<< という部分だ。 当該箇所の後に、さらにこう続く。 >>実際、体は一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 足が、「私は手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が、「私は目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこで嗅ぎますか。 そこで神は、御心のままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 すべてが一つの部分であったら、体はどこにあるのでしょう。 しかし実際は、多くの部分があっても、体は一つなのです。<< 多様な在り方の中で「一致」して「協働」することは可能だし、必要でもある。 「キリスト教」や「聖書」を掲げる世界の指導者たちは、この箇所を読んでいるのだろうか。それとも、聖霊は自分の上にだけ降臨すしている、とでも思っているのだろうか。 ![]() #
by mariastella
| 2026-06-09 00:05
| 宗教
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