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L'art de croire             竹下節子ブログ

やっと決まったフランス新首相とルッキズム その2

バルニエ新首相は就任した翌日、TVインタビューに答えて、サルコジが壊した第五共和制の本道に戻って、大統領は外交と軍事、首相は内政、と二つをきっちり分けることを表明。
経験の豊富さ、知見の広さと深さを印象づけて信頼を得ることに半分くらい成功しただろうか。

けれども、昨日の政治におけるルッキズムの考察で行くと、マクロンやアタルの父や祖父に当たる年配の「長老」が出てきてしかも彼らよりも長身(190cm)で体格がよく(トランプなどとは違って)上品で風格があ)、という「強み」にも微妙な問題がある。

それは「父権制」のシンボルに合致し過ぎるということだ。

子供は大人よりも小さくて弱い、大人に守られて大きく強くなる。
特に「男の子」は通常、母親より大きく強くなる。
逆に言えば、「母親=大人の女性」は「父親= 大人の男性」より大きさと強さで「劣っている」ので「女子供」のカテゴリーとして男から「守られる」、というのが動物としての人間の生存戦略の中でかなり一般化されている。

マクロン大統領の一期目の首相はフィリップにカステクスという大柄な「家長」風の男たちだった。そんな彼らの上に君臨することでマクロンは自分をより強く見せたかもしれない。
第二期目女性のボルヌと若いアタル、というのは、ルッキズム的には対照的な選択だった。そして二人とも、独身でマクロン同様子供がいない。

LGBT+やウォーキズムが広がる中の実力重視であり、広く認知されるはずだった。
けれども、極右RNの台頭に見られるように、「伝統的」な家族のイメージが与える安心感は根強い。

で、バルニエは、理想的。
42年連れ添っている元弁護士の妻との間には二男一女がいて家族の絆が強い。

マクロン自身は子供がいないし結婚も変則的な奪略婚に近く、その前のオランドも4人の子がいた事実婚のセゴレーヌ・ロワイヤルを捨ててからもさまざまな女性遍歴、その前のサルコジも複数の女性遍歴。

彼らと対照的に「大きく強い」父親像に合致したのが、一期目の首相フィリップとカステクスで、やはり家族の結束が強く、それぞれ二男一女、四人姉妹の子供たちと妻を守っているイメージだった。
それから、二人と対照的なボルヌとアタルを経て、マクロンはバルニエを起用したわけだ。バルニエはフィリップやカステクスより年配だから、結婚生活の盤石さも半端ではない。

こんなことは政治の手腕と政策などと関係がないから、まともな評論家は誰も言及しないけれど、映像が氾濫する今の世の中で、少なくとも「見た目」の与える「予断」は看過し難い。

だからこそ、バルニエは極右にも受けがいいと言えそうだけれど、結局は「家父長制」の与える安定性や安心感というステレオタイプに寄与するのではないだろうか。

離婚が多いのはもちろん結婚すら減っている(事実婚が半数以上)フランス、オリンピック開会式でジェンダー多様性を打ち上げたフランスで、バルニエが「父親」目線で人々を安心させ和解させることがいったい可能なのか、組閣における選択に注目したい。

バルニエの「過去」で、極右と相性がいいのは同性愛の違法性撤廃に反対票を投じたことが必ず蒸し返される。一方、左派リベラルと相性がよくヨーロッパ連邦制の担い手であり、EU憲章に「キリスト教の根(源流)」という言葉を入れることに反対した。
では彼の育った宗教環境はというと、父親が反教権主義、母親が熱心な左派カトリックという家庭だったとある。数名のローマ法王とも会見している。共同体主義的アイデンティではなくユニヴァーサリズムには共鳴しているということだろう。

今後の情勢に注目したい。


# by mariastella | 2024-09-08 00:05 | フランス

ようやく新首相の誕生

9/5、やっと首相が任命された。

35歳、フランス第五共和制最年少のガブリエル・アタルから最高齢73歳のミッシェル・バルニエに。悪くないぎりぎりの選択という気がする。次の大統領選にすでに出馬表明しているエドワール・フィリップなどでは「色」がつくからだ。

アメリカでのバイデンやトランプの争いを見慣れたからかもしれないけれど、73歳なら後3年ほどの任期はもつだろう、という印象だけれど、今の若者にはもうバルニエの認知度は低いようで、指名されてすぐの期待度の世論調査では前の二人の首相を下回る42%ほどだったようだ。

アタルが長々と演説したので(それは2ヶ月もあったのだから十分準備ができたんだろうと揶揄されていた。)、終わった後に、パルニエは「あ、私がしゃべってもいいですか?」と聞いて笑いをとっていた。
バルニエは、1980年代、同性愛が刑法の対象から外されることに反対票を投じていたそうで、それが蒸し返されるのはむしろ極右受けをねらっているのだろうか。
外務大臣もつとめたし、EU歴も長いし、派閥職もないし、何より、40代のマクロン、30代のアタルと世代を異にする「賢者」の風格ということで、今のカオス状態を生き延びる可能性はある。彼と同じ世代はメランションだが、メランションには賢者の風格などまったくないから。

ルッキズム的に言っても、バルニエは、マクロンやアタルよりも長身で体格もいい。
これが逆ならどうだろう。

もしも、マクロンやアタルが極右RNのバルデラのように若く長身で体格がよかったとして、ひと世代上の高齢者にバトンを渡すとき、その高齢者がたとえばバイル―のように小柄なおじさんだったとしたら、外見からは、若さだけでなく体力や気力も劣るのではないかと懸念されてしまうかもしれない。 

その意味では、バルニエは、ドゴールやジスカールやシラクやヴィルパンのように、かなりの長身系の政治家なので得をしている。エドゥアール・フィリップやローラン・ヴォキエ、ブリュノ・ルメール(前経済相)も体格がいい。(ヴィルパンは長身だが線が細かった)

サルコジの低身長がいつも揶揄されていたことを思い出す。アンナあからさまなルッキズム差別が飛び交っていたのに「名誉棄損」とならなかったのはサルコジが「強者」であり、「権力者」批判は揶揄も含めて自由なのだ。(中国の習主席がクマのプーさんにたとえられるのが嫌で画像を使えなくしたなどという話を前に聞いたことがあるけれど、それは確かに「自由」の制限の例だろう。)

今は 映像の時代だし、ネットを通していたるところに「外見」が出回り、修正するのも簡単だ。選挙ポスターの写真についてもいろいろな話題がある。

政治のような「硬派」のカテゴリーで、知見、政策、経験、人柄、モラルなどすべてが重要である分野で、本質に関係のない「ルッキズム」が「戦略」のひとつになるのは今の世の中で「大衆」の前に姿を見せる仕事の運命なのかもしれない。

それなら、トランプとハリスのように「外見」にまったく共通点のない「敵同士」の戦いにおけるルッキズムはどうなるのだろう。ウォーキズムの国だし、「黒人、女性、アジア系」などを全て「武器にする」というのもねじれている。

高齢者であるということ自体は、「長老」という言葉もあるように、政治において必ずしもマイナスでないことは分かる。古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとりであるアイスキュロスは
「老いていく時間は全てのことを教えてくれる」
と言った。
今のバルニエなら同性愛者への視線も完全に変わっているだろう。(アタルが公表している同性愛者だというのも時代の変化の象徴だ)

老いて視野が狭まり頑固になる人だってもちろんいるだろうが、バルニエのこれまでの豊かな政治や外交の経歴は、目先の権益に惑わされないだけの知恵と余裕につながっているだろうと思う。
同世代の私も、「老いていく時間」に教えられることが多すぎて、世界がますます広がり、それでも、本質的なことはシンプルに見分けがつくようになることを実感している。

新閣僚の任命を待ちながら。まずは、新首相バルニエが議会の修羅場でずたずたにされないことを願うばかりだ。

マクロンとバルニエ

Michel Barnier est nommé premier ministre, après sept semaines d'attente

アタルとバルニエ

DIRECT. Pour Michel Barnier, nouveau Premier ministre, « il y aura des  changements et des ruptures » さん




# by mariastella | 2024-09-07 00:05 | 時事

トクヴィルとアメリカ民主主義  (続き)

(前の記事の続きです。)


トクヴィルは米英仏独を比較したが、アメリカの原点にあるプロテスタント原理主義には触れていない。当時、NYでは聖書の配布があり、工場地帯への布教も進んでいた。

けれども、フランス人貴族でカトリックであるトクヴィルはアメリカでも、いつもカトリックの司祭を訪問していたので、プロテスタントの実態を掘り下げることはなかったのだ。

トクヴィルが唯一交流したのはハーヴァード大学周縁で増えつつあるユニテリアンだった。

ユニテリアンは三位一体の教義を否定するが、ピューリタンと違って、インテリ層、富裕層に広まっていたから、トクヴィルは、この宗派が将来もっとも力を持つだろうと思った。

当時はニューイングランドなど牧師が税を徴収する州もあったが、ユニテリアンと交流したトクヴィルは、アメリカは宗教的な国ではあるが民主主義は政教分離していると考えた。

しかし、連邦制がうまくいくことへの懸念はあった。トクヴィルと親しく、後にハーヴァード大学野学長となるユニテリアン牧師ジャレド・スパークスも「多数派がいつも正しいというのがこの国のドグマなのだ」と口にしていた。

北部と南部での経済が乖離しているのも問題だった。

北部の工業地帯はヨーロッパから自国の産業を守るために関税をかけようとしたが、南部は農作物輸出のために関税を下げたいなど、利益が相反するなど統一が取れなかった。結局、合衆国の連邦法が州法に優先することに制限がかけられ、それは今に至るまで、死刑制度や中絶法なども議論の的になっている。


トクヴィルが唱えた民主主義の根幹となる「自由と平等」の共存が最も疑われたのが、奴隷制廃止論者と存続論者の反目が増大した時代で、南北戦争の間にトクヴィルの本は再ブームとなった。

もっとも、トクヴィルは奴隷制についてページを割いてはいない。

『民主主義について』の中にはアメリカ領土に住む三種の人種の現状と将来についてという章がある。奴隷制については激しく批判をしているにも関わらず、「民主主義体制」について論じる時には人種差別は出てこない。トクヴィルの「民主主義」とは「白人(男性)の民主主義」であり、マイノリティもいつか統合されるべきだと言っているだけだ。

実際に南部のプランテーションに赴いたことはなかったが、1825-29年に大統領だったジョン・クィンシー・アダムスなどから情報を提供されて奴隷制がアメリカの大問題だとは意識していた。オハイオの川下りをした時に、北側の工業地帯には労働者が見えるのに、南側には労働者の姿がなく、つらい仕事に従事している黒人の姿ばかりがあったことを父親への手紙で書いている。奴隷制が労働の価値を落とし、働かない白人たちを増やしているという現象だ。


黒人ではなくアメリカ先住民については、近くで観察することが三度あった。NY州の北で酩酊状態の物乞いを見たこと、ミシガンの森で昔ながらの暮らしを営む先住民の伝統的な部落を見学したことのほかに、住むところを追われた先住民の一族が、ミシシッピー川を渡って移住していくのを目撃した。1830年のIndian Removal Actにより、土地を白人に譲らない先住民が強制移住させられたのだ。

トクヴィルの情報提供者の一人サム(サミュエル)・ヒューストン(テキサス共和国知事でその名をヒューストン市に残す)はチェロキー族について深い知識を持ち、先住民の知性を認めていたが、ジャクソン大統領の政策に刃向うことはなかった。

トクヴィルは著書の中で先住民が被った暴力を批判しているが、同時に、彼らはやがて消滅する運命にあるだろうと述べている。


トクヴィルはアメリカの連邦制民主主義を無条件でフランスの模範とみていたわけではない。反面教師でもあった。

帰国後、七月王政下の議員としての活動ではアメリカでの体験が色濃く反映された。

最初の委員会ではカリブ海植民地の奴隷制廃止を提唱し、次に、犯罪者の社会復帰と刑務所の改革、そして政教分離を唱えた。


トクヴィルは植民地廃止主義ではなかった。フランス本土で土地所有者にはなれない市民が、アルジェリアで資産を形成できるという安全弁を提供できる可能性を残すことは、アメリカ人が西部を開拓することで内戦を避けることと同じだと思えたのだ。


彼は、1948年の二月革命で成立したフランス革命以来の第二共和制の憲法起草委員会のメンバーにもなった。第二共和制は直接普通選挙の導入で直接選挙による大統領選出が決まったが、トクヴィルが提唱した「二院制」は採用されなかった。


20代の9ヶ月半のアメリカ視察は、西洋の「民主主義」にもフランスの政治にも大きな影響を与えたのだ。


以上。


Sekko :

私の感想としては、ユニテリアンとユニヴァーサリズム、フリーメイスンとの関係を掘り下げたい。ユニテリアンはユニヴァーサリストと合体するのだがインテリ層の自由神学というイメージだ。でも、彼らの唱える「万人救済」とフランスの共和国主義のユニヴァーサリズムとは別物だ。「西洋普遍主義を押し付けるな」という文脈で語られるものはこのプロテスタントの流れにある。今の世界、選挙さえしていれば「民主主義」で、集票などどうにでもなるというビジネスで動くのが「西洋」で、専制政治の国でも、資源や人口が豊かであれば経済成長が可能だという実態がある。

アメリカのような特殊な成り立ちの国の「特殊さ」は、「アメリカの特殊さ」なのであって「西洋の特殊さ」ではないことが、日本にいると見えてこないけれど、フランスにいるとよく理解できる。あらためてじっくりと分析してみたい。


(また、アメリカにいるアメリカ人の「当事者」たちにはなかなか見えないことが、非アングロサクソンのフランスから来た25歳の明晰なトクヴィルには見えていたという事実に共感を覚えた。半世紀近くフランスに住んでいるからこそ見えることがたくさんあるし、それが時と共に熟成?していくことを実感するからだ。)



# by mariastella | 2024-09-06 00:05 | 歴史

トクヴィルとアメリカ民主主義

アメリカの民主主義を語る時、必ず引き合いに出されるのが、アレクシス・トクヴィルがフランス語で書いた『デモクラシーについて』という本だ。

この本は、よほど慧眼の政治学者が分析したものだろうとか、世界最初の民主主義国家であるアメリカを模範にするような印象を与えるかもしれない。

実は、トクヴィルがアメリカを視察したのは1831年、25歳から26歳にかけてで、英語も堪能ではなく、僅か9ヶ月しか滞在していない。

現在、アメリカの大統領選の混迷を見ていると、冷戦後の新自由主義政治オンリーになって以来、民主主義から理念や倫理が消えてしまったかのように思えてならない。

いや、そもそもアメリカの民主主義が「模範的」だったことなどあったのだろうかと疑問を抱いた時に、歴史雑誌L'Histoireの「合衆国―あるデモクラシーの熱狂」というという別冊(n.104)を手にした。


トクヴィルの著書だけでなくアメリカ滞在中の日記や膨大な手紙を調べた歴史学者Olivier Zunzがトクヴィルについて解説していたからだ。トクヴィルの全著作集は1952年から始まって2022年にようやく完結した。父親を含めた宛先の人物に保管しておくよう頼んだのですべてが残っている手紙は、実に、全32巻中20巻を占めているという。


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興味深かったので、忘れないように要約しておく。


トクヴィルはルイ16世が裁判にかけられた時の弁護人であったマルゼルブの曽孫に当たるが、マルゼルブも処刑されたので、ナポレオンが敗れた後の王政復古(1815-1830)の時代には革命の犠牲者の子孫として特権を与えられた。1927年に法学士となった後ですぐにベルサイユの法廷の見習い判事の地位を得た。けれども彼は理論より実践、政治家になりたかった。同時に、革命で目指された民主主義の時代が必ずやってくると感じていた。そして、民主主義の時代が来るならば、由緒ある貴族の出自である自分はいったいどのように生きることができるのだろうか。


フランスは、三十年に満たない期間に、絶対王政から、立憲君主制に移行し、その後で共和国、ナポレオンの帝国を経て、王政に戻るという目まぐるしい時代の変化を生きていた。フランス人の目は王政を維持し続けているイギリスに向けられていた。

けれどもトクヴィルにとっては1787年の憲法によって市民全体が権力を持つという真の民主主義であると見えたアメリカの体制を知りたかった。

フランスでは1830年の7月革命で、帝政後の王政復古が終わり、「フランス王」でなく「フランス人の王」としてオルレアン公ルイ・フィリップが即位していた。

革命や帝政について歴史の評価ができるほどの距離がなく、不穏な時代だ。

若いトクヴィルが将来に思いをはせてアメリカに目を向けたのは理解できる


1831年に友人のギュスターヴ・ド・ボーモンと共に、アメリカの刑務所を視察するという名目で長期休暇を願い出た。フランスはギロチン刑の時代から、刑務所時代に移行していた。「社会復帰」を視野に入れた刑務所システムが先行しているというアメリカの実態を調査するのが目的だった。

実際は、アメリカ市民や社会の実態を知ることが目的で、200人以上から話を聞くことができた。

その中にはボストンのエリートの民主主義を継承しながらも人民主権の将来に懐疑的な者もいた。

刑務所では、受刑者の日常生活を体験した。 


民主主義とは一人一人が自制するもので、自由を学ぶことは困難であり、自由と平等のバランスを理解しなくてはならない。トクヴィルにとって自由とはポジティヴな意思のアクションだった。しかし生まれながらの貴族の身分としては、「平等」は愚民化に通じるものにも見えた。

民主主義においては自由と平等は離すことができないが、アメリカでは、「白人の男たちの間の平等こそが自由の行使を可能にしている」のだ。

もう一つの発見は、アメリカではすべてのアクションがより小規模な共同体から出発していることだ。政治においても、連邦に先行して州があり、州に先行して町がある。フランスのような中央集権とは逆の社会だった。町のレベルですべてを決めることができる。すべての専制を防ぐために、中央に政府があり地方に行政が拡散している。


州を連邦に優先させるというのは建国の父たちが目指したことだ。でも、中心人物であるワシントンやジェイムズ・マディソンは、すでに、あるグループが自分のグループの利益のために他の市民の権利を制限するリスクに、政府が介入できない可能性を語っていた。

トクヴィルは各種団体の重要性に注目し、政党と各種団体とプレスとの協働の重要性を強調して、それはその後のアメリカ政治理論に欠かせない視点となった。

トクヴィルが視察した頃のアメリカでは保護主義者と自由貿易主義者の対立があった。「政治家」ではない人が、それぞれの信念を主張して集まることの大切さがトクヴィルに印象づけられた。例えば当時、プロテスタントの運動の一環としてフィラデルフィアで結成された「アルコールの害と戦う」アソシエーションなどだ。

はたして、トクヴィルはアメリカの民主主義を理想化していたのだろうか?

確かにトクヴィルの観察したアメリカは、建国の東部13州を中心に見たアメリカだった。

しかもすべてを見たわけではない。例えばマサチューセッツのLowell Lynnなど新興工業都市の実態は知らなかった。

『デモクラシーについて』の第一巻を1835年に出した後で、イギリスのマンチェスターで新興工業都市の実態を実見したことで、デモクラシーは社会の工業化によっていつか脅かされること、産業を牛耳る新しい貴族階級が民衆の上に立つことの危険を語った。(第二巻は五年後)


(続く)




# by mariastella | 2024-09-05 00:05 | 歴史

ジャック・アルヌーと宇宙人

Jacques ARNOULD(フランス国立宇宙研究センタ— 倫理担当)は日本でも京大や日仏学院などで講演したことがあるらしい。でも本は訳されていないようだ。

こんな「宇宙研究センター」に倫理部門があるのはフランスくらいのものだろう。彼の、ドミニコ会の修道士で神父だった経歴(結婚するために還俗した)についてその意味を考える日本人はいたのだろうか?
彼は神学者であり科学者でもある。

『宇宙の激動: 神、地球外生命体、私たち』という本もある。「宇宙人」がいるとしたら、私たちとは別の場所で生まれ、生きている本当の意味での「他者」ということで、その可能性を否定するどころかわくわくしている感じだ。
彼は近頃フランスで人気の「最新科学による神の存在証明」に否定的だ。

神は存在証明を必要としていない、と言い切る。
アルヌーは、「奇跡」は必要だという。誰かが巡礼地に行って祈ったら奇跡的に難病が回復した、それによって「回心」して「神」と出会うのは素晴らしいことだ。その「奇跡」のメカニズムの解明とは関係なく、ある人が「神と出会う」ことこそが奇跡なのだ。

何でも「説明できる」とか「証明できる」というのは科学的ではない。思考停止しない限り、常に「疑い続ける」こと、「すべては分からないと認めること」が科学であるという。

で、宇宙人のことで、昔は天動説から地動説に、そして今は他の惑星の存在や動きも解明され、太陽系のようなものは銀河系にそれこそ星の数ほどあり、銀河系のようなものもまた無数にあると判明している。だから、「太陽系の惑星の中では地球にしか生命体が住んでいない」というのが確かだとしても、全宇宙規模ではもちろん確率はゼロではない。でもアルヌーはおもしろい例えをする。
「私がもし、高額の宝くじを毎月一度買うとします。それを毎週買うことに変えたら、当たる確率は4倍に増えます。それは数学的に計算できて異論がない。でも、いつか私がくじに当たるかというのはまったく別の次元のことです。」って。なるほど。

彼の本、最近出た対談集も含めてぜひ読んでみたい。








# by mariastella | 2024-09-04 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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