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L'art de croire             竹下節子ブログ

英仏が対独宣戦布告をした日

閑話休題(旅行記はこの後続きます。)


9/3は、ナチスドイツがポーランドに侵攻して48時間後、英仏連合がドイツに宣戦布告してから80年記念ということで、Arteで貴重なドキュメンタリー番組があった。

「おかしな戦争」とシモーヌ・ド・ボーヴォワールが形容したように、宣戦布告後も実戦はほとんどなく、4ヶ月後の戦闘開始の後6週間戦っただけでフランスはあっさりとドイツの停戦条約を受け入れてしまった。

最初のあたりは、ドイツが英仏に、戦争は望んでいない、ポーランド占拠を認めてくれるなら平和条約を結ぼうなどと言っていた。英仏の仲を裂こうとして、いろいろなプロパガンダを展開した。フランスに対しては、イギリスは宿敵ではないか、ということで、イギリス軍によって火刑台に送られたジャンヌ・ダルクの絵、そしてイギリス軍によってセント・ヘレナ島へ島流しになったナポレオンの望郷の後ろ姿の絵がばら撒かれた。

20世紀末になっても、2度の大戦経験者が「フランスの伝統的な敵はイギリスだ、ドイツは本来仲間だった、」と語る人がよくいたものだけれど、ドイツのプロパガンダが効を奏したところもあるのかなあ、と思ってしまう。

ともかく、当時の映像で見るドイツ人のヒトラーへの熱狂はすごいし、独仏間の憎悪もはっきり感じ取られる。

これを見ると、本当に、戦後まもなく独仏が石炭鉄鋼同盟をEUへと育てて行ったことの偉大さが分かる。まさに奇跡だ。イギリスは招かれていなかったし、今もまた抜け出ようとしているのも興味深い。


それにつけても、背景が違うにしても、今の日韓関係がいまだに侵略戦争責任をめぐって対立していることの不毛さを思う。中国の共産革命と冷戦開始という事態はあったにしろ、台湾や朝鮮半島などと東アジア平和連合などがもしできていたらなあ、と夢想せずにはいられない。

このドキュメンタリーには胸の悪くなるような映像も満載なのだけれど、これを80年後の今、ドイツとフランスが共同製作しているということも羨ましい。

そもそもArteという独仏TV局が稼働してレベルの高い地上波番組を送り続けていること自体にいつも感心する。1986年にプロジェクトが1992年にスタートした。ネットでも視聴できる。

コンセプトは独仏ではなく、「ヨーロッパ」だ。

独仏はあらゆる意味で、もう絶対に戦わないだろう。


東アジアでもそういう確信が、欲しい。


# by mariastella | 2019-09-16 00:05 | 時事

オクシタニ―旅行記 その12

コンクの聖堂に続いて宝物館と博物館がある。

宝物館ではサント・フォワ修道院の過去の権勢、財力を思わせる立派な聖具や聖遺物容器が7世紀のものから13世紀のものを中心に展示。アヴェロン県の所有物というスタンスだ。
数々の奇跡をもたらせたサント・フォワの輝く座像は奥に展示されていて、やはりなんとなくエジプトのファラオの埋蔵品という雰囲気だ。
もちろん今はプレモントレ修道会が入っているから、しかるべき宗教セレモニーの時にはこのサント・フォワ像の貸し出しはある。

ありがたい、拝みたい、何かお願い事をしたい、という感じはなく、この座像に人々がかけてきた熱狂も信仰エネルギーも感じられず、歴史工芸品として見る。

で、それに続く博物館の方は、補修補強する前の聖堂の柱や装飾が並べられている。こちらも考古学部門という雰囲気。

ところが、この2階の窓際の隅に、異様なオーラを発している木像があった。
もちろんサント・フォワの像だ。
宝物館同様に撮影禁止とあるので、受付で絵葉書とか何かないかと聞くと、ないけれど、じゃあ、撮影していいですよと言われたので2階に戻る。
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スポットライトを浴びるカオールのイエスの聖骸布より、はるか彼方に仰ぎ見るロカマドゥールの着衣の黒い聖母子像より、宝物館からも外されたこの破損したサント・フォワの立像の醸し出す雰囲気が胸に刺さる。人々の思惑やら修道会や村の栄枯盛衰、それらをすべて見てきて、朽ちかけた聖堂の中で取り出され、遺棄はされないで博物館にケースもなしに何げなく置かれ、ひっそりとたたずむ12歳の殉教少女。
すごくかわいいし愛おしい。金ぴかの座像に隠れて数々の奇跡を起こしていたのはひょっとしてこの子だったのでは? と思ってしまう。





# by mariastella | 2019-09-15 17:48 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その11

コンクの地図。右下にサント・フォワの座像の一部が見える。
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コンクのサント・フォワ修道院聖堂の前に着く。
後ろに見える建物が駐車場に続く高さで、そこから降りると教会の広場に出るのだ。
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このアーチの最後の新版図は保存が素晴らしく、ネットでもいろんなところで解説が読めるのでここではスルー。中央のキリストは普通は両手を対称に開いているけれどここでは右手が天国を、左手が地獄を指している。
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天国でキリストの一番側にいるのはもちろん聖母マリア、青い彩色が少し残っている。その後ろが天国の門の鍵を持つ聖ペトロ。その後ろがこの修道院を開いた修道士ダドン。聖女フォワは左の片隅でひっそり跪いている。
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ピエタ像。
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サント・フォワの得意な奇跡は、失明者の他に捕虜の解放がある。解放された捕虜や囚人が鎖や手錠を奉納したものを溶かして内陣の扉を鋳造した。
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この「受胎告知」像は興味深い。左にひざまずくのが天使ガブリエル。右のマリアは驚きを表すために右手をあげているのだけれど、その拍子に機織りの糸が落ちてしまった。それを拾う次女が後ろにいる。
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つまりマリアは一人ではなかった。侍女付きの優雅な暮らしをしていたわけだ。
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このチャペルでは巡礼の若者たちが祈りを捧げている。
復活した巡礼地なのに、観光客と巡礼者のバランスがいい感じだ。
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修道院の回廊。

(続く)








# by mariastella | 2019-09-14 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その10

次の目的地は、コンクの修道院付きサント・フォワ教会。石灰岩の崖の見えるロカマドゥールと違って山間の風景は何となく日本風。

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ここはもう、山の中の村のたたずまいそのものが美しくて、フランスの最も美しい村のランキングにいつも登場する。谷間の宝石みたいなところだ。

教会の前への車のアクセスは難しく、その上の駐車場に止める。ホテルやレストランも、二階が駐車場側、一階に降りると反対側が教会の前という造りが多い。

駐車場に向かう道の斜面にはヤギがいて鈴の音をたてている。

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村の形がホタテ貝に似ているのでコンクという名が付き、サンチアゴの巡礼の大切な通過点になっていた。

八世紀かダドンによって開かれて発展し始めたドミニコ会系修道院は、なんというか、ビジネスのセンスにすぐれていた。

繁栄するためには巡礼地にしなくてはならない。巡礼地にするには聖遺物が必要だ。

まだ十字軍でエルサレムに行ったりイタリアに行ったりして聖遺物を持ち帰るような時代でもなく、王侯貴族でもないから財力もない。カテドラルでもないただの修道院だ。そこで比較的近間のアジャンの修道院にある12歳の処女殉教者聖女フォワの聖遺物に目をつけた。303年にアジャンで殉教した聖女だ。それをやって持ち帰るかというのは「盗む」という手段だった。そのために、わざわざ、修道士2人を聖女フォワの聖遺物のある修道院に派遣して働かせ、10年後にはすっかり信頼されて聖遺物を扱うポストに就いた。で、みごと聖遺物を盗み出して持ち帰った。

もとより303年の殉教処女なんて、普遍教会の崇敬の対象でもなく、アジャンという地元の聖女に過ぎない。しかも、10年もかけてそれを盗み出した。それを隠すわけでもなく、堂々と公開し、「奇跡」が続出。うーん、確かに10年もかけて盗み出すほどの熱意そのものが奇跡のポテンシャルを生んだのかもしれない。

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その由来は堂々と今でも付属の博物館のステンドグラスに描かれている。上が二人を送り出すところ。中が聖遺物を盗み出すシーン。下が、それを持ち帰ったら、失明者の目が見えるという奇跡がすぐに起こったシーン。

しかも、よくある聖遺物のように遺骨を飾る85センチの黄金の聖女の座像を造って聖遺物容器とした。今でも宝物館で見ることができる。撮影禁止だったのでここでどうぞ

このような金ぴかで宝石象嵌の人物像型聖遺物入れは、このコンクが初めてだった。その発想もすごい。

確かに、何となくツタンカーメンの黄金棺みたいだ。王様でもない無名の12歳の少女(フォワというのは信仰という意味)でも、金や宝石で飾られると威力を発揮するというのはすごい。

「奇跡」を出現させる力って、いったい何なんだろう、と思ってしまう。ツタンカーメンは奇跡より、墓を暴いた「呪い」という感じだったけれど、サント・フォワは盗み出した骨を飾り立てられて「効験あらたか」になったのだから。

もともと、キリスト教的には、聖人の遺骨と言えども、そのような貴金属や宝石で贅沢に飾られた像を崇敬するというのは、偶像崇拝になるのでそれまで存在しなかった(モーセの頃から、エジプトを出たイスラエル族が黄金の子牛像を造って叱られている)。サント・フォワ像を批判する声もあったようだ。

けれども、このコンクの修道院のマーケティング戦略が当たり、サント・フォワ像が大成功を収めて、巡礼が殺到し、この教会が1112世紀には権勢が最高潮に達したという。その名声がとどろき渡ったので、これをきっかけに、豪華な胸像型の聖遺物容れが一般化したという。

ところが、15世紀頃にはもう廃れて修道会もなくなっていた。

けれども、このような人里離れた谷間にあるせいか、宗教戦争やフランス革命の影響も受けず、宝物や正門は住民たちに守られていたので、19世紀に再発見されて補修された。ロマネスク教会の傑作と言われるこの教会は今も過去の栄光のオーラを保っている。1873年からはプレモントレ修道会の修道士が常駐するようになった。サント・フォワの聖遺骨入りの黄金の胸像にもまた巡礼が復活した。(続く)


# by mariastella | 2019-09-13 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その9

さて、なんだか中世のテーマパークのようなベースに、ただただ濃密でちょっと詩的な奇跡譚ばかりが堆積しているロカマドゥールの黒い聖母のチャペルに入ってみる。
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さすがに、このチャペルには、聖母の前で祈ってじっと動かない人たちがいる。カオールとは違う。それでも、昼に近くなると、観光客が増えてきてチャペルの前で列を作る状況になってきた。
隣の聖堂の方はがらんとしている。オルガンは立派。
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いろいろなタイプの聖遺物容器がある。
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骨のかけらが並んでいる。

他にもチャペルがある。
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聖母の加護を願うラグビーチームのユニフォームなどが奉納されている。
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そういえばルルドもラグビーが盛んだった。

お約束の画鋲奉納。
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岩窟のピエタ。
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さすがに老舗の巡礼地。巡礼みやげのメダイがいろいろ売られている。11/10の真生会館の講座に持っていく恒例のプレゼントを買う。
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居合わせたスペイン人の神父さんにまとめて「祝福」してもらった。彼を紹介してくれたのはこの神学生。コロンビアから来て、いろいろなところで研修している。後ろに見えるのはスペインの司教さん。
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彼とはゆっくり話せたので、どうして司祭になりたいと思ったのか、今のカトリック教会のスキャンダルをどう思うか、などと、いつも通り率直な質問をした。
神学生たちはみな独身・禁欲を納得しているので問題はない。確かに、同性愛者やその他のいろいろな性的な問題を抱えたまま、だからこそ独身の司祭の道に逃げ込む神学生はいるのだけれど、そういう人はたいてい識別できるので、説得して別の道を歩むようように指導されるらしい。このグスタボくんのように、イエスと共に献身するのが楽しくて仕方がない、という感じの青年が残る。彼といろいろな巡礼地の話をした。

大階段を下りて「門前町?」に行く。ほとんど全部土産物屋やカフェなどで、モンサンミッシェルと同じ「観光地」風情。
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「聖域」がぐっとコンパクトで、例えばルルドのように聖母を見たベルナデットのストーリーがあるわけでもないし、祈りに沈潜している人の切実な気配が、ツーリストたちの軽さによってかき消される。
たとえばプーランクが感じたものを想像することは可能なのだけれど、奇跡を期待する気持ちなどは湧いてこない。「奇跡とは常に他の人に起こるもの」とインプットされている。
この爽やかな晴天のもとで、楽しそうなツーリストや巡礼者たちと同じ時と場所を分け合っていること自体が奇跡のようでもあるけれど。
(続く)




# by mariastella | 2019-09-12 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その8

ロカマドゥールの不思議は、ここで見つかったというアマドゥールや彼をザアカイと同一視するなどという曖昧な聖人の伝説ではなくて、どういうわけか、ひたすら、黒い聖母子像の「ご利益」だけが、延々と続いて来たことだ。そのために聖ルイ王を始めとして錚々たる王侯貴族や聖人たちがこんな高地に巡礼に来た。そのセレブ巡礼たちのオーラと、なんといっても、毎日のように起こった「奇跡」の記録がロカマドゥールを聖地にしている。

ここでアマドゥールの腐っていない遺体が見つかったとある。
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もう何でもありなので、デュランダルの剣もこの岩場に刺さっている。
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デュランダルの剣を説明するのは面倒なので日本語のWikiの一部をここにコピー。
ローランの歌はフランスの叙事詩。

>>>『ローランの歌』では天使からシャルル王に渡すように授けられ、その後シャルル王からローランに授けられた剣として登場し『狂えるオルランド』では『イーリアス』に登場するトロイアの英雄ヘクトールが使っていた剣とされる。

『ローランの歌』によれば黄金の柄の中には、聖ピエール(聖ペテロ)の歯、聖バジル(聖バシリウス)の血、パリ市の守護聖人である聖ドニ(聖ディオニュシウス)の毛髪、聖母マリアの衣服の一部ら聖遺物が納められている。作中では「切れ味の鋭さデュランダルに如くもの無し」とローランが誇るほどの切れ味を見せる。そしてロンスヴァルの谷で敵に襲われ瀕死の状態となったローランが、デュランダルが敵の手に渡ることを恐れて岩(もしくは大理石)に叩きつけて折ろうとするが、剣は岩を両断して折れなかったというエピソードが有名。<<<


で、ローランが死ぬ前に剣を投げて、それがロカマドゥールのこの岩に刺さった、という話だ。ピレネー山脈からここまで。

弘法大使が密教法具を中国から日本の方に投げたものが高野山の松に引っかかっていたので聖地が決まった「三鈷の松」の伝説というのもあったなあ。

ローランはイスラム帝国と戦ったわけで、そういえばロカマドゥールの聖堂には当時のイスラム軍の矢も飾ってあった。

カオールにある二千年前のイエスの聖骸布の方が、千年前のロカマドゥールのいろいろなエピソードより現実味がある。

それにしても、ロカマドゥールの奇跡の記録は、当時の病気や外傷だけでなく、いろいろなエピソードが満載で、中世史の宝庫でもある。

12世紀の奇跡記録の新版が出ていた。即購入。ラテン語との対訳。
すごくおもしろい。
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(続く)








# by mariastella | 2019-09-11 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その7

いよいよ聖域。
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門をくぐる。
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トンネル風通路には感謝の奉納版が並んでいる。
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階段を上がって黒い聖母のチャペル。
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聖域ではタンクトップやショーツはダメ、と掛け布が用意されている。
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そもそもロカマドゥールとはどういう聖地かというのは前にも書いたことがあるのでここにリンク。


この黒い聖母のチャペルは「奇跡のチャペル」と呼ばれている。

でも、お願いをする時は気をつけて、と司祭に言われた人がいる。子を授かりたいと三度お参りに来た人に三つ子が生まれたからだそうだ・・・。

それって、少し、興福寺の南円堂に向かって右側にある一言観音堂(ひとことかんのんどう)を思い出す。(願い事を一言だけ聞き入れてくれるという一言観音様が祀られて「一言だけ」というのは、1回に1つだけ、という意味で、しっかりお願いして願いが成就したら、また次のお願いごとを「一言だけ」持ってお参りする。)


どきどき。


(続き)







# by mariastella | 2019-09-10 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その6

ロカマドゥールの地形はこんな感じ。
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左上にあるのが城。その横から曲がりくねった道を降りると「十字架の道」のシーンが順番に現れる(実際は下から登っていくので、降りると逆方向になる)。その横の点線がエレベーター。聖アマドゥールの協会や黒い聖母のチャペルはそこにある。そこからまた大階段を下りるかエレベーターを使って中世風の街並みに街並みに到達という仕組み。モンサンミッシェルの次に人気というのがよく分かる景観だ。
これが出発点の近くのお城。
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出発点(というか、十字架の道の到達点)にあるエルサレム十字架。
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崖の中に造られた道なので、途中も洞窟のような趣き。これはイエスを埋葬するシーン。下から、受難のイエスを思いながら祈り続けて上ってここに到達したら感動は大きいだろうなあ、と思う。この地形ならではだ。
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十字架から降ろす場面。13番目。
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だいぶ降りてきて城を見上げる。
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道が大きく曲がるところに受難のシーンが繰り広げられる。
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十字架につけられたイエス。12番目。
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途中に突然聖アントニウスのチャペルが。
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そこにも例の画鋲を打ち付ける参拝記念?が。
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石灰岩にも打たれている。
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道にはこんな風に石が積まれている。
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賽の河原みたいだ。
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今は通行止めとある横道がたくさんある。観光客、巡礼客ように整備された道以前にもいろいろなルートがあったのだろう。
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ようやく聖域が見えてきた。
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お城はずっと上に。
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下を見下ろすと中世の街並み。
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聖ヴェロニカがイエスの顔を拭う6番目。
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その次は…
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キレネ人シモンが十字架を背負う。
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聖母マリアと会う。
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降りてきた道を見上げる。
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受難最初のシーン。
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と、十字架の道を逆にたどって、いよいよ黒い聖母の聖域に着いた。
(続く)




# by mariastella | 2019-09-09 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その5

カオールの次は、なんといっても、ロカマドゥール。

パリとモンサンミッシェルに次いで観光客が訪れると言われるくらいだから、巡礼地よりも絶景の観光地。家族連れもたくさんいて、バカンスを過ごせるように、近くに動物園もあればロカマドゥールの城の近くに猛禽類のショーもあり、中世の騎士のスペクタクルもある。高原地帯に広がる石灰岩の崖が独特。
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お城の近くにあるL'Hôtel du château に泊まったのだけれど、ここのレストラン(ホテル内ではなく広場にある)のプレゼンテーションがすてきだったので、紹介。
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ホテルの入り口。
ロカマドゥールの聖地と中世の街並みに行くには、このホテルと同じ高さにある城のそばから崖を下るように造られた道(いわゆる「十字架の道」なので本来は下から上がっていく。今はエレベーターもある。)をたどって下へ降りる。
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ホテルに温水プールがあるのも、観光地ならでは。
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気球に乗るアトラクションまである。

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これは前菜なのだけれど、右の添物に注目
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この地方の名産のエスカルゴを形どっているのだ。
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フォワグラの名産地でもあって鴨が美味。
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デザート。
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でも、レストランにもちゃんとロカマドゥールのシンボルの黒い聖母が。

(続く)


# by mariastella | 2019-09-08 00:05 | フランス

オクシタニ―旅行記 その4

カオールのカテドラル内の聖ヨセフのチャペル。
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20世紀になって聖女になったジャンヌ・ダルクのチャペルもある。
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大柄なイエスを支えるのが大変そうなピエタ像。
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この辺では時々見かける参拝記念の画鋲。
硬貨を献金箱に入れて備え付けの金槌で画鋲を打ち付ける。
蝋燭を供える、というのはスピリチュアルな感じがするけれど、こんなものを打ち付けるなんて、十字架の釘みたいでなんだか不気味な気もするけれど、いわゆる「手応え」というのは確かに伝わる。いつ頃からあるシステムなんだろう。リサイクル可能なんだろうか?
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献堂900年記念の「大いなる貧しさの十字架」という作品(6/6設置)も展示されていた。
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十字架の下の部分が台座として難民のスーツケース、奴隷状態の婦女子や戦争の被害などの貧しさを表すもの、その上が、左に難民ボートと金持ちの豪華船の写真を上下に並べたり、右に、アフリカの子どもが水を汲みに行く井戸とカリフォルニアのゴルフ場の芝に撒かれる水を並べたりと比較して、金や車などの、価値が曖昧なものが並ぶ。その上の写真は、家族、自然、本(教育)、花、一番上には未来に向かう帆船と白鳩の聖霊が配されている。

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入ったところとは反対側のこちらが正面。複雑な造りがよく分かる。
最初に書いたように、900年記念はともかく、80 年ぶりに公開された聖コワフを「売り物」にする感じはまったくといってほどない。これまで、日本でもいわゆる「秘仏御開帳」みたいなものをよく見てきたけれど、ここまでの「自制」というか距離の取り方は珍しい。だから聖コワフのメダルとか信心グッズとかはなく、あったのはパリの造幣局が発行した記念硬貨。文化遺産、歴史建造物というスタンス。もちろん、フランス各地や外国からの巡礼団も来るようだけれど、カトリック内輪のことで、特別のミサが挙げられる時に合わせるようだ。平日はむしろがらんとしている。
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裏面にはなんとカタカナでフランスと書いてある。イタリア語、ロシア語、ドイツ語、アラビア語、中国語の「法国」というのもある。
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全体として、聖コワフを目にした感慨よりも、香部屋係のおじさんと聖書の歴史検証について話をしたこと、彼がこの大聖堂に抱く熱い思いの方が印象深かった。


# by mariastella | 2019-09-07 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その3

どこに行っても、一番印象に残るのは、人との出会いかもしれない。
カオールの大聖堂では、香部屋係を40年もやっているというムッシューといろいろ話した。
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もうこの大聖堂が大好きで、イエスさま大好き、という人。この大聖堂が蒙ってきた被害跡を見せる時には声が震える。
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この上の写真で、削られているのはフランス王室のユリの紋章で、フランス革命の時代の被害。フランスでは絶対王政時代には十字架と王の紋章がと並べられている聖堂がたくさんある。完全な政教一致であるけれど、それは同時に、ローマ法王の権威に対抗してフランスのガリア教会主義(司教を王が任命する)を確立する手段でもあった。
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香部屋係の叔父さんのお勧めの回廊。壊されたものや中途で放棄されたものもあるけれど、旧約聖書のシーンが描かれた彫刻がいくつか残っている。
これは何かわかるか、と聞かれてサムソンとデリダ、と答えたら褒めてもらえた。
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ドームの絵。
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お勧めの壁絵。フレスコ画ではない。これは聖母がエリサベツを訪ねたところ。ヨセフが付き添っている?

(続く)



# by mariastella | 2019-09-06 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その2

で、ようやく、カオールのサン・エティエンヌ大聖堂へ。
献堂900年のポスターはあちこちにあった。

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特別公開の聖遺物、イエスのコワフはすぐに見つかるかな、と思って入ったら、内陣に大きな布が張られてその中にひときわ輝くライティングが。
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中にようやく、コワフが4/14-12/8まで公開、とある。でも、「昔は有名で今では少し忘れられた」、という説明付き。1905年の政教分離法で、カテドラルはカトリック教会の所有物ではなく国に没収されているという歴史もある。
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普段はこの閉じられたチャペルの奥にしまわれている。
今回は内陣真ん中に。

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この下をくぐり抜けられるようになっていて、下に立ち止まってお祈り(お願い事?)をするのだそうだ。

もっとじっくり見たいという人は、ここで。

La sainte coiffe de Cahors で画像検索すれば聖遺物容器もよく見える。
19世紀の金貼りのブロンズで、天使、カオールの司教聖デイディエ、シャルルマーニュ、教皇カリクスト二世が配されている。

うーん、こんなある意味でビッグな聖遺物が、こんなところで、全体に漂う無関心の中できらきらと輝いているのは不思議。
4/27に、80年ぶりに「行列」があった時は報道された。

でも、ここでも、これがイエスの空の墓にあって、弟子が「見て、信じた」と言われる布であるのかどうかという真贋とは関係なく、歴史、伝統、信仰に対するレスペクトが大切なのだ、とわざわざ解説されている。
イエスを身近に感じる、という感激する人もいる。
おもしろいのは、実際に聖骸布の研究に熱心な人は、神父であっても、別にこれが本物だということに信仰をかけているわけではなくて、純粋な科学的歴史的好奇心にかられているということだ。聖遺物の真贋はキリスト教の信仰には関係がない。
私がこれまでにもしつこく書いてきた釈迦の真骨もそうだけれど、ある種の人々がそれらを崇拝の対象にしてカルトを形成するとか、巡礼の経済効果だけを狙うとかいうケースがあるわけだ。

そして、これも、自己暗示効果なのか、実際に、多くの「奇跡」が次々に起こったという記録が積み上げられてくると、ますます、その「モノ」のオーラは増す。

せっかく「効験あらたか」な聖地に行ったのなら、「ダメもと」でいろいろお願いしておこう、というのは人情だとも思うし、その聖地が新興聖地でなくて何百年もの歴史を刻んだところなら、別の感慨もある。

ただ、今回の聖地の中でも最もメジャーなロカマドゥールの黒い聖母のチャペルについて、「聖ルイも聖ドミニコも、聖ベルナルドゥスも、あの人も、この人も、みーんなここに巡礼に来たんだよ」と私が同行者に話したら、同行者からひとこと、「その人たち、みんな、死んだね」と言われてしまった。

そりゃ、そうですけど。
というか、彼らは別に不老不死の薬を求めてきたわけじゃなかろうし。

イギリス王のヘンリー二世は黒い聖母に祈りを捧げて病が癒えた感謝に巡礼したのだし、スペインやらポルトガルの王様たちも黒い聖母の戦旗を掲げてイスラム教徒との戦いに勝ったからと言って感謝の巡礼をしている。

私は個人的に、このコワフがイエスの顎を支えた布だという確率は大きいと思っている。何千年も前のエジプトの王たちの墳墓や遺体や遺品でさえ保存されたのだから、すでに預言者だといっていイエスを生前から崇めていた人たちが遺品を保存しておこうとして受け継いでいったとしても別に奇跡的だとも思えない。
だから、どうした、ということもある。
でも類推魔術と同じで、個人の遺品に思いをかけたり、一種の依り代にしてしまう文化というのもまた普遍的にあるから、イエスの聖骸布に寄せてきた人々のサイコエネルギーみたいなものは凝縮しているのかも。

(続く)

# by mariastella | 2019-09-05 00:05 | 宗教

オクシタニ―旅行記 その1

今日から、8月の終わりに回ったオクシタニ―の巡礼地の紹介を開始。

といっても、ロマネスク教会をじっくり回るといったものではなくて、とってもメジャーな4ヶ所が中心です。

そもそも、フランス南西部に最後に出かけたのは確かもう15年以上前。
今回はトゥールーズまで飛行機で行ったけれど、フランス国内の移動で飛行機を使ったのは、やはり一度トゥールーズからパリに飛行機で帰ったことがある以外はじめてだ。
後は車かバスか特急ばかりだった。今回はトゥールーズでレンタカーを借りて、アルビの空港で返してパリに戻った。

最初に向かったのは、カオール。

今回、このルートを選んだ最大の理由がカオールだった。カオールのサン・エティエンヌのカテドラルの献堂900年記念に、あのイエスの頭巾の聖遺物が公開されているからだ。

十字架で息絶えたイエスを埋葬するために、まず顔を覆って、その後、口が開かないように、顎から頭にかけて固定する布が使われた。その上から、有名な「聖骸布」で全身を覆った。死後硬直が始まったので、顎を固定していた布は外された。

で、現在、このイエスの血の付いた布は、全身の姿がネガ像で映っているトリノの聖骸布、顔を覆ったオビエドのスダリオ、そしてこのカオールの顎布コワフと3ヶ所に分かれている。イタリア、スペイン、フランスだ。
(トリノの聖骸布についてはこの本に私も記事を書いている)

トリノの聖骸布は有名なので、いろいろな人が模写したり、模写したものを「本物」にくっつけて祈ることで仏舎利のように複写品ができたりで、いろいろなところにある。聖骸布とスダリオは福音書の中で空になった墓に残っていたと出てくるので有名なのだけれど、顎を支えていたコワフの方は、このカオールにしか記録がない。(カオールの人は、福音書に出てくるのがこのコワフだと言っている)
8枚の細い亜麻布をツギハギしたもので、60センチくらいで、1844年にシャンポリオンが、一世紀初めの布だと鑑定したそうだ。
血痕が内と外に染みついているのは1939年に確認され、顎髭が剝れた跡があるともいう。
そして、今では研究者にとっては有名な話だけれど、この聖骸布とスダリオとコワフの血液型も一致するし、血の流れた場所の位置関係も綺麗に一致するという。つまり、イバラの冠や鞭打ちや十字架を背負った肩の傷など、血まみれだった部分が一致するので、それがイエスかどうかは別として、血だらけの同一人物を覆っていた布であることはほぼ確かだという。

その一つであるカオールのコワフは、何百年も、別にトリノやオビエドと競合したわけでもなく付き合わせて確認したわけでもなく、エルサレムに保存されていたものが、ただ、ひっそりと、カオールにまでもたらされた。9世紀初めにエルサレムの主教から、またはコンスタンティノープルの皇妃からシャルルマーニュに寄贈され、シャルルマーニュがカオール司教に寄贈したという説があったが、実は、12世紀にカオールの司教が十字軍の遠征から持ち帰ったというのが真実らしい。

トリノの聖骸布がトリノに落ち着いた経緯にもよく分からない部分があるのだけれど、カオールのコワフについては、いったんカオールに納められてからは動かなかった。

カオールの近くのモントバンなど宗教戦争でプロテスタントの牙城となり、カオールのカテドラルも大きな打撃を受けたのだけれど、そしてフランス革命でも同様だったのだけれど、このコワフだけは、住民によって守られてきた。

不思議だ。

しかも、今でも、普通の観光ガイドでカオールのカテドラル案内に、このコワフのことはフランスのものでさえ触れられていない。献堂900年でパリのノートルダムより古いのだから、見どころはたくさんあるので詳しい説明はされているのに、21世紀の今、「イエスの聖骸布」などを持ち出すのは一種のタブーであるかのようなのだ。
この不思議な感覚はこのオクシタニ―の別の場所にもあった。
考えてみれば、カタリ派異端の征討、プロテスタントとのユグノー戦争、フランス革命、とこの辺りは三重のトラウマを抱えているからなかなか見えてこないものがある。

で、900年記念のメダルはあっても、コワフの巡礼記念メダイの「信心グッズ」はどこにもない。
あるのは、サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路に当たるので巡礼記念にもらえるハンコだけ。日本の御朱印帳に当たるものに我あるけれど、これも日本にであるように、別紙にハンコだけ押したものもある。

こういうの。
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日本の御朱印の方がずっと趣がある。
これはお土産に買ったオクシタニ―十字架。
今でもオクシタニ―地方の紋章は赤字に黄色のこの十字架。
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(続く)

# by mariastella | 2019-09-04 00:05 | 宗教

自然法と諸権利

仕事が一段落したので、ようやくピエール・マナンという政治哲学者の『自然法と諸権利』という本をゆっくり読んでいる。

彼がパリのカトリック大学で行った6講演を収録したものだ。
今の民主主義国のスタンダードで当然のように思われている基本的人権やその中の表現の自由などが、実際はどういう問題をはらんでいるかという話で、非常に興味深い。あまりに「目から鱗」だったので、世界の見方が少し変わった。
でも、そう簡単には説明できないので、いつか別の形で紹介するつもりだ。
フランス語を読む人で、この分野に関心のある方にはぜひお勧めです。
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# by mariastella | 2019-09-03 00:05 |

飛行機の排出するCO2 その2

飛行機が排ガスでの地球温暖化の悪者だと非難されてから、ヨーロッパ内の移動を飛行機から特急列車に切り替えるのが一種、「意識高い」系のブームになっている。


そんなブームに迎合したのか、9/23 にNYの国連で演説することになっている例のグレタ・トゥンベリさんが、排ガスゼロのモナコ籍(モナコのカロリーヌ王女の息子ピエール・カシラギが提供)の帆船で、8月15日にお父さんと一緒に出発した。

ピルグリム・ファーザーズが「新大陸」アメリカへと出発したプリマスの港からだ。

私は彼女を見るたびに胸が詰まる。前にこういう記事を書いた。


BMW系の製造会社がスポンサーだそうで、ドイツのTAZ通信によると乗組員の1人は、NY に着くとすぐに飛行機でヨーロッパに帰国することがわかっているし、船をヨーロッパに戻すためには5名が飛行機でやってくるという。往復2ヶ月も海に出ていられる人など滅多にいないだろう。

彼女の帆船の位置情報はネットで誰でも追跡できるようになっている。


普通に考えても突っ込みどころが多すぎて、帆船の上でにっこり笑ってポーズをとるグレタさんを見るのも痛ましい。

anti@gretathunberg というプロフィールの医師もいて、グレタさんが完全に政治の道具になったことを 嘆いている。

国連のような舞台で環境保護を訴えた少女と言えば、1992年のリオデジャネイロのサミットでカナダ人の12歳のSevern Cullis Suzukiさん(日系?)がいる。



この人の現在の様子を最近見たけれど、ちゃんと問題意識を持ったまま活動をしている。


アスペルガーで選択的失語症を前面に出し、出すことができて、それが有利に働く、という時代の寵児となったグレタさんとは別もののようだ。


排ガスの量だけではなく、何をどのように使って消費して、誰の、そして何の役に立てるのか、までじっくり考えなくてはならない。





# by mariastella | 2019-09-02 00:05 | 雑感

飛行機の排出するCO2 その1

私は飛行機が嫌いだけれど、日本とフランスを往復するには現実的に、飛行機以外の交通手段が考えられない。

そんな生活を何十年もしてきて、ここ最近は、飛行機の排ガスが、列車で移動するのに比べて圧倒的に多い、温暖化のファクターだと言って、環境保護の名目で課税されたり、いろいろ攻撃されている。

肩身がせまいと思っていた。


すると先日、こういう記事を見つけた。


フランスのシンクタンク「シフト・プロジェクト」が7月の会報で、デジタルシステムにおける排ガスが全ての飛行機を凌駕すると報告するものだ。すでに全排出量の4%に達していて、これは今の全ての車の排気ガスに匹敵するという。


情報は「非物質」でない。

情報排ガスの三分の二は石油、ガス、石炭で、まず、世界に90億もある端末機器の製造がデジタル排ガスの45%を占める55%は 端末とデータセンター(機械の冷却も含む)とネットで出されるもの。ケンブリッジによるとビットコインだけでスイスかオーストリア規模の電気消費を必要とするそうだ。ネット情報のエネルギー消費の60% はビデオで、2018 年には3億トンのCo2が排出され、それはスペイン一国分だそうだ。そのうちの1/3YoutubeとNetflix などで 、8千トンがポルノ系動画配信だという。

2011年にデジタルデータの数が0の数が21個のゼタバイトという数に達して、2018年には33ゼタバイト、2025年には175ゼタバイトに達する見込みともいう話で、驚いた。


こんな巨大なものを理性的に管理する能力は人類にあるのだろうか。


飛行機の中でせっせと映画を見ている私は最悪じゃないのだろうか。

仕事しながら30分おきくらいに「可愛い猫動画」なんかに癒されている場合じゃないのではないか。

飛行機に乗る罪悪感が相対化されるかと思ったら、もっと深刻な現実を突きつけられてしまった。





# by mariastella | 2019-09-01 00:05 | 時事

ソルフェリーノの思い出

フランス語が日本語と同じ感覚で読めるようになって、しかも、gallicaで古い文献なら何でも読める時代になって、過去の出来事が驚くほどの実感で迫ってくることがある。

赤十字の創設のきっかけになったアンリ・デュナンの『ソルフェリーの思い出』を読んで(恥ずかしながら、ソルフェリーノと聞いても今まではパリのメトロの駅がまっさきに浮かんでいた私、)その迫力に圧倒された。


彼はこの本を1859年のソルフェリーノの戦いの3年後に自費出版して政治家や軍人たちに配った。

赤十字つながりで、デュナンがにわか看護師となって負傷兵を世話しようとした修羅場が有名だけれど、何よりも、肉弾戦の戦場で、兵士たちが、最後の最後まで、「生き延びる」ことではなくてただただ戦うこと、相手を破壊することしか考えられなくなっている様子が怖い。自分もひどい傷を負っているのに敵の喉に文字通りくらいついて噛みちぎろうとするなど、勝敗というより殺戮本能、破壊衝動だけがあるかのようだ。それは馬たちにも伝染しているようで、興奮していななきながら敵の馬に噛みついていくシーンもある。負傷した将校を教会に引き入れた後で敵が来て大きな石でその将校の頭を打ち砕き脳漿が飛び散るシーンなど、とにかく、死ぬまで、完膚なきまで攻撃がやまないシーンもたくさんある。

デュナンは当時のフランス領アルジェリアで土地を購入する許可をもらいにナポレオン三世を戦地まで追ってきたのだが、はからずも、従軍記者のような迫真のレポートを残すことになった。

戦地にいない人々にはまったく想像もつかないそのリアルが公開されたことで、スキャンダルとなり、本の出版の翌年に将軍や医師ら4人と共に負傷兵救済国際委員会を発足させることができた。その翌年に「戦場で敵味方の区別なく負傷兵を手当てする」という赤十字条約が締結された。筆の力が人をここまで動かすことができる。

そのためにはただの従軍記者ではなく、中立なジャーナリストの目が必要で、そこに「人間を人間」として見る必要がある。戦場では、敵はもちろん、すべての兵士が「人間」でない「戦闘要員」で、「いのち」に対する感覚が完全に麻痺している。

私は映画でも残虐シーンとか暴力シーンが苦手でできるだけ見ないようにしているのだけれど、勇ましさの誇示とか戦意高揚とかではなく「現実の修羅場を記録して知らせる」というショック療法なくしては、赤十字のような人道機関は陽の目を見なかったんだなあ、と思う。

そうなると、原爆記念館だとか、アウシュビッツだとか、さまざまな戦争犯罪を語り伝えることの大切さがあらためて分かる。そこで肝心なのは、誰と誰が敵と味方として戦ったのかとか、加害者と被害者という視点からの告発や非難ではなくて、命への罪、人類への罪、という視点で、どこでも誰でも時と場合によっては自分の尊厳も捨て去り、他者の尊厳もふみにじり、「非人間」になってしまうことがあるという現実の認識なんだろう。


AIが人間を超えるかどうかなんて言っている場合では、ない。


# by mariastella | 2019-08-31 00:05 |

サルヴィーニの聖母

首相が辞任するなど、イタリア政局は不穏だ。地中海で救助された難民を最寄りのランぺドゥーザ島への上陸を許さず、EU諸国から非難されても、マッテオ・サルヴィーニは強固な姿勢を崩さず、人気は高まるばかりだ。夏の浜辺に出ると、人垣ができて歩けないほどだそうで、裸の胸には大きな十字架がかけられているという。

反難民のセキュリティ法案が通った時は「イタリア人と聖母マリア」に感謝して、この方を メジュゴリエの聖母に捧げると言ったそうだ。
メジュゴリエの聖母のご出現は、ヴァティカンから正式に認可されていないので使い勝手がいい。
反難民政策に対して、ヴァティカンのフランシスコ教皇は真っ向から 非難しているからだ。
教皇側近のイエズス会士アントニオ・スパダーロは、ツウィートで、サヴィーニの政策に人道的、市民的、宗教的に抵抗することを 呼びかけ、「難破者のノートルダム(全ての難破者を救う聖母で、ブルターニュに有名な像がある。)」に祈るようにと言っている。
フランスのカトリックは、こういうヒートアップを、どちらもポピュリズムだと冷静に評している感じだけれど、ポピュリズムと宗教ってやはり相性がいいのかなあと思う。

しかも、形容詞次第で変幻自在の聖母マリアを使う。
イエス不在のキリスト教だと批判する人もいる。

難民たちが信頼して祈りを捧げる神がいるといいのだけれど。

# by mariastella | 2019-08-30 00:05 | 宗教

今日は昨日よりも幸せ

今日は昨日よりも幸せだ、とある司祭が言っていた。

すごいなあと思った。

よく、「今日は今までの中で一番年取ったのではなくて、残りの人生の中で一番若い日、と思え」、つまり、「コップの中にもう半分しか水がないのでなく、まだ半分もある」、と見方を変えてポジティヴに生きようという処世訓ってあるけれど、それは何となくわかる。

でも、「今日は昨日よりも」なんて明らかに「比較」を出しておいて、無条件に「昨日より幸せ」って言われると、一瞬、意味が分からない。昨日より「幸せ」というと、昨日より痛みがなくなった、とかストレスが減ったとか、昨日できなかったことが今日はできた、とか、量や質で「比較できる」「幸せ」を思い浮かべるからだ。

この人はカトリックの神父さんなのだから、今日は昨日よりも長く神と共に歩いてきて、神の国に近づく、だから、より幸せだということなんだろう。まあ、「今日も無事に生かされていることがありがたい」という感じは分からないでもない。でも、「より幸せ」って何なんだろう、と思う。

そしたら、この神父さんは、聖書の中で一番インスパイアされる言葉は? と聞かれて、こういうのを挙げていた。パウロが、なにか分からないけれど多分身体的な苦痛を伴う「とげ」を与えられたと言った後の話だ。「とげ」はパウロが思い上がらないように痛めつけるためにサタンから送られてきたものだと認識されていて、それを取り除いてくれとパウロは三度も神に願った。

その時の神の答えと彼の反応がこれだ。(コリントの信徒への手紙二/12, 9-10

>>すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。<<

まあキリスト教の神は罪人を救うために自分の独り子を差し出して十字架上で殺されるままにしたぐらいだから、 「弱いときにこそ強い」という逆説はわからないでもない。というか、きっとそれがキリスト教の根幹なのだろうけれど、最初の「わたしの恵みはあなたに十分である。」というところがまずすごい。

こんなこと、人間から言われたら、究極の上から目線だけれど、神がこう言うのを受け入れればなんとなく生きやすくなるのは分からないでもない。

こういう時、いつもの「発想の転換」である猫を見る。

今日もすやすや寝ているうちの猫ズが、「わたしの恵みはあなたに十分である。」と私に言っているとしたら、すぐに納得できる。「今日もすやすや眠りこけてくださるお姿を見せていただけるだけで、今日は昨日よりも幸せです」と思える。

「手持ちの恵み」のありがたさが分かる。


いつか寿命が尽きる日に、「今日は昨日よりも幸せだ」、と思えればいいのだけれど。


# by mariastella | 2019-08-29 00:05 | 人生

香港のキリスト教  その3

元の宗主国だったイギリスの国教会の大司教Paul Kwongは中国側の政策評議会のメンバーで、政府寄り、というか中国寄りだ。

カトリックは2002年から2009年まで司教だったサレジオ会のヨセフ・陳日君は、故郷の上海から香港に亡命してきた人で、反共産主義の姿勢を明らかにしていた。彼の後に任命されたジョン・Tong Hon枢機卿はヴァティカンと中国の最近の歩み寄りに協力していたが、2017年にその後任に就いたマイケル楊司教は、明らかに中国共産党寄りで、中国でプロテスタント教会から十字架が撤廃されたことを正当化さえしていた。ところが、この人が2019年の初めに亡くなり、ジョン・Tong Ho名誉司教が暫定的に教区長となり、補佐司教のフランシスコ会ヨセフ夏志誠と共に、民主化側に立っている。ヨセフ夏志誠は若者たちに信頼されていて、より霊的な姿勢で、名誉司教よりは政治的でないと言われている。

キャリー・ラム行政長官もカトリックだが、デモを取り締まる警官の多くもカトリックだ。平和を協調する司教らの働きかけがなければ、香港のデモと警察の攻防はもっと激しいものになっていたかもしれない。

しかも、20189月に、フランシスコ教皇が中国の愛国教会が叙階した司教数人を認可するなど、ヴァティカンと中国の関係は変わってきている。87歳のヨセフ・陳日君はこのことは明らかに、カトリックが中国に妥協したものだと考えている。

逆に、カトリックがこの民主化運動に関わり過ぎるのを警戒する人もたくさんいる。逃亡犯条例改正案の真の目的は、思想犯の取り締まりではなく中国の新興財閥が香港に財産を隠すことの取り締まりであるから、共産主義化とは関係がないと言い、カトリックが関わることで、香港の共産党系メディアがカトリックのミッション・スクールがデモの過激化の共犯であるなどと書き始めていることを警戒する。

中国本土では、文化大革命以来はじめてキリスト教青年会の夏のキャンプが禁止されるなど「信教の自由」が狭まっている。

このままでいくと、マカオの司教(前・香港の李補佐司教)のような、より中国寄りの司教が香港でも正式に任命されるかもしれない。ヴァティカン内での反フランシスコ教皇の保守派の動きも絡んでくる。

うーん、ヴァティカンにとって、香港は中国との架け橋。

香港のデモの裏側には、いろいろな思惑がうずまいているのだ。


# by mariastella | 2019-08-28 00:05 | 時事

香港のキリスト教  その2

香港のデモは若者が多い。しかも、裕福な大学生が多くて、裕福な家庭にはフィリピン人のメイドがいることが多いので、反対派からは「フィリピンのメイドを連れて参加すれば?」などと揶揄されている。

2014年の雨傘革命でも指導的役割を果たしてノーベル平和賞候補に推薦までされたジョシュア・ウォンは18 歳だったがルター派(ルーテル教会)所属で、今回も登場した。

彼は今年の5月に、

「ジョシュア(ヨシュア)はモーセの後を継いでエジプトの支配的抑圧から民を解放する役割を果たした」とアメリカのプロテスタントのサイトで語っている。

(ヨシュアって、確かにモーセに従ってエジプトからパレスティナにやって来た後、アマレク人と戦って打ち破っているのだけれど、アマレク人ってもともとパレスティナにいた遊牧民でエジプト人じゃないのだけれどなあ)


でも年配者ももちろんいて、その代表が今75歳のバプテスト派の牧師Chu Yiu-ming(朱耀明)だ。この人は、1989年に天安門事件の後香港に亡命してきた人を援助した。

2014年も今回もデモの中心となった1人で、この4月には公共の秩序を乱したとして執行猶予付き16ヶ月禁錮の判決を受けている。

判決前の意見陳述で「これは、すべての人は神の似姿として造られたという信仰に基づく確信である。全ての人は尊重され、守られなければならない、我々は民主主義を希求する。なぜなら民主主義は自由と平等と普遍的な愛を希求するからだ」と述べ、

「我々はあきらめない。私はイエスのこのことば『義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。(マタイ5,10)に頼みます。

公正で善なる主よ、私の命を託します。み心がおこなわれますように。」と語ったという。


8/18のデモの前には、カトリックのサレジオ会の若い神父(香港人)が参加者に祝福を与える祈りを捧げ、「これは防衛の戦いではなくモラルの戦いです」「平和と知恵と識別を示してください」と呼びかけた。


デモ隊は「Hallelujah to the Lord」(ハレルヤ、神を讃えよ)と歌いながら行進した。


こんな「宗教色」は日本にいると伝わらない気がする。


# by mariastella | 2019-08-27 00:05 | 宗教

香港のキリスト教  その1

香港で続いている中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例改正案」の撤回、中国寄りの行政長官の林鄭月娥(ラムチェン・ユッコ)(以下英語名キャリー・ラムで表示)の退陣を求めるデモや集会について考えていた。

その中で、ヨーロッパ系のカトリック司祭が自分の教会を、警察から逃げてくる学生たちに開放していた話を最近読んだ。香港の夏は蒸し暑い。彼らに、避難場所と、水と、携帯の充電とを提供するためだという。それを読んで過去の中南米での軍事政権に抵抗した時の「解放の神学」で人々と提携したカトリック教会のことを思い出した。(『神と金と革命が作った世界史(中央公論新社)』)

けれども、香港の補佐司教でフランシスコ会士のヨセフ・夏志誠は、その司祭にもう教会を開けるなと指示してきたそうだ。香港人の半数以上が、キリスト教系私学に一度は通っているそうで、政府の助成金も受けていて、そこに圧力が加えられているからだそうだ。キャリー・ラムもイタリア系修道会のミッション・スクール出身で熱心なカトリックである。


香港のキリスト教事情から政局を解説する記事(La Vie No3860)からピックアップして紹介していこう。

香港700万人の人口のうち、仏教・道教信徒が200万人、キリスト教信徒が90万人(カトリックはその半数で、同一首長を戴く最大宗派)なのだそうだ。10%を超えている。しかも、幕末や明治維新の日本がそうであったように、キリスト教は一応人種差別のない普遍宗教で世界とつながっているので、そこから共産党独裁の中国に対抗する「民主主義」を維持する力をくみ上げようとする人がたくさんいるので、大きな影響力を持っている。

どうしてキリスト教が根付いたかというと、もちろん英国支配の歴史のせいもあるけれど、1997年の返還以来、中国に渡ろうとする宣教会などがみな香港を拠点にしたからだ。また中国本土で迫害を受けたキリスト教の信徒や聖職者が逃げてこられる場所でもあった。(続く)


# by mariastella | 2019-08-26 00:05 | 宗教

話し合わない外交はない

8/24、フランスのビアリッツで開催されるG7直前の8/19にマクロンが別荘にプーチンを招待することは前に書いた。もちろん公式訪問だけれど、マクロンは20日までは「バカンス」だったので、バカンス先(大統領用の公式の別荘)に招いた、という形になる。

いつものようにプーチンが「遅刻」して来たのかどうか調べようとしたけれど今のところ分からないままだ。でも、遅れたからかどうかは知らないけれど、出会いのシーンの映像では、ヘリコプターで着いたプーチンが右手に小さな花束をもって笑顔でほとんど小走りにひとりで階段をかけのぼってブリジットさんに花束を渡していた。家庭的で「ほのぼの」という印象さえ与える。(プーチンとマクロンのふたりはすぐに英語で直接話している)

クリミア併合以来もう何年も、ロシアはG8だったこのサミットから締め出されているのだけれど、その直前に、バカンス先で何時間も、全ての案件についてプーチンと話し合ったというのは注目に値する。
ロシアはこのサミットから除外されていた6年の間に28回も習近平と会談していて、軍事協力もある。
それだけ見ても、ロシアを「仲間外れ」になどしている場合ではない。

G7の2日前にはイギリスのジョンソンとの会談で、マクロンは彼についてはかなり厳しいコメントを前日から発していた。その前にジョンソンと会ったメルケルはこの後30日間でBREXITの新しい合意もあり得る、などと言っていたのに。

確か日本の国の首相も、ロシアとは特別な関係、アメリカの大統領とはお友達、とか言っていた気がするけれど、この外交の「質の差」はどこから来るのだろう。

敗戦国、というやつなのだろうか。
イタリアやドイツは、EUという枠組みで結集したので、もうそんな感じはない。むしろ今はEUとイギリスとの間に溝がある。フランスは一時ドイツに占領されていたくせに実にうまく存在感を発揮した。

日本って、満州や北方領土でソ連軍から被害を蒙ったり無差別空襲や原爆投下をアメリカから受けたりしているのに「核の傘」に入れてもらったり北方領土で共同経済活動しようとしたりしていて、一方で、自分たちが攻撃したり支配したりしてきた中韓に対してはえらく融通の利かない態度をとっているように見える。

問題がある時こそ、話し合いが必要なのに。


# by mariastella | 2019-08-25 00:05 | フランス

ホームレスと眼鏡

ホスピタル・マルト会という人道NGOがある。
遡ればキリスト教系の一番古い事前団体で十字軍の前からエルサレムにロドスやマルトのキリスト教徒が作った病院で、病気だけではなく住まい、生活の援助全般をしていた者が母胎。
そのフランスのマルト会はフランスとフランス語圏アフリカを活動地区にしているのだけれど、その代表のフランソワ・ゴチエという人の話を聞いてなるほどと思ったことがある。会の活動はいろいろあるのだけれど、その中には、ホームレスや難民収容所の人に視力検査をして眼鏡を提供する、というのがあるという。

ホームレスの人を公共の施設に送ったりする時に、書類に書き込みや同意事項のサインが必要だったりするのだけれど、それが「読めない」のでなく「よく見えない」人が多いのだそうだ。
確かに、近視の人もいるもだろうし、年配のホームレスや移民で老眼で手元が見えない人も多いだろう。でも、外から見た目には分からない。
眼鏡をもっていたのに壊れたりなくしたりした人もいるだろうし、度が合わなくなった人もいるだろう。

近視の人が眼鏡やコンタクトレンズをなくしたり忘れたり、老眼の人が老眼鏡をなくしたり忘れたりしたら、どんなに不便かというのは想像がつく。まあ何とか生活できるし、どこかが痛いとか動かないとかでもないので自己申告しなければそのハンディは分かってもらえない。

で、移民やら難民やらでホームレスになった人、病院や保健所や福祉施設に相談しようにも細かいものが「見えない」。公共サービスのポスターや案内も見落とす可能性が大きい。周りにいる人が、信用できそうなのか、ヘイトクライムをしそうな人なのかもよく見えないから判断がつかない。いろいろなサバイバルの手段のハードルがぐんと高くなる。

そんな人たちに、視力に合わせた「メガネ」を提供する、というのは、「生活の質」やサバイバルのチャンスがぐんと上る可能性がある。

私はずっと近視だったけれど、3年半前に白内障の手術をしてから、世界が変わった。それまでにもメガネやコンタクトレンズを使っていたのにかかわらず、だ。
視力矯正手段がない人で、共同体の助けも得られないような人のハンディキャップや不自由さはいかばかりか想像もできない。

ホームレスの人々にまずメガネを! というのはまさに「盲点」だった。


# by mariastella | 2019-08-24 00:05 | フランス

議会付き司祭?

昨日の記事に続いて、別のフランス人司祭マルク・ランベールの話。

この人は、パリのサント・クロティルド教会の司祭なのだけれど、フランスの議会と定期的に接触している人で、いわば議会付き司祭のような役割をしているという。
自分の党派の政策に対して両親の呵責に悩む議員が訪ねてきて話を聞いてもらったりすることもある。

Spep(Le Service pastoral d'étude politique政治学司牧奉仕)は1992年にパリ大司教が設けたシステムでカトリック教会が全費用を出していて、ブルボン宮の近くに事務所を構えている(担当司祭は任期6年で今が5代目)。

「国会議員のaumonier」と呼ばれている。「aumonier」というのは日本では軍隊付き司祭を連想されるようだが、学校、病院、刑務所、軍隊に共通で、公立の場所にも必ずいる。
フランスみたいに政教分離の国でそんなにいるのか、と思いそうだけれど、布教するわけではなく、そのような場所にいて司祭を必要としている人に奉仕するという形だ。(前にクルーザー付きの司祭の話も書いた)

もちろん国が公に予算を組んでいるわけではないし、布教や勧誘をしないのなら、他宗教が来ても本来は問題がない。でもカトリックは伝統的に学校、病院、刑務所をフィールドにしていたからネットワークが確立している。

で、議会との間にもそういうつながりがある。

同性婚とか倫理に関する立法が問題になる度に、立法府は各宗教(カトリック、プロテスタント、正教、ユダヤ教、イスラム教、仏教」の代表の意見を「公聴」してきたけれど、なんだ、やっぱりカトリックには普段から「ご意見」をうかがっているのかなあ、と思ったけれど、この場合のカトリックは政治的には「中立」なのだそうだ。

で、「中立」ということは、特定のイデオロギーの暴走にとっては対抗勢力となるわけでバランスがとれているというか、必要なのだそうだ。例えばナチズムやファシズム政権に同調しないなど。

では何をするかというと、昼食会での議論だそうだ。
最近では中国とヴァティカンの関係について、地政学と外交について話し合ったという。

なるほど、カトリック教会のネットワークというのは世界中に広がっているから、そして、中央にあるヴァティカンを通して分析されているから、国際問題について議論するには貴重な情報源でもあり大いに参考になるのだろう。

日本の議会にも宗教色のある団体の影響力が強そうだけれど、日本って、「普遍宗教」ですら日本に来ると共同体化、氏神化してしまう傾向のある国だし、「昼食会」なんかすると、「議論の場」どころではなく「癒着と利益誘導と忖度」の場になりそうな国だからなあ。

いろいろ言われても、カトリックの司祭が独身であることも世襲の誘惑はぐっと減るだろうから、フランス社会ではまだまだ有効な「良心」の拠り所になり得るのかもしれない。




# by mariastella | 2019-08-23 00:05 | 宗教

より良きことを願うとは

『神々と男たち』(2010)の映画で日本でも知られるアルジェリアのティビリヌ修道士たちがイスラム武装派に拉致された殺害事件(1996)と同じ場所にいる司祭の話を聞いて考えさせられた。
彼はもちろんキリスト者とムスリムとの交流の真ん中にいて、キリスト教に改宗するムスリムやイスラムに改宗するキリスト教徒とも多く接触してきた。

普段出会うムスリムの中にはイマムもいて、互いに、はじめてあった人に願うのは何かという話で、そのイマムがこういった。

「私は、その人にとってより良きこと、最善のものを望む」

で、イマムが相手に望む「最良のこと」とは
「イスラムに改宗すること」
なのだそうだ。

明快だ。

で、それを聴いたカトリックの司祭は、

自分がはじめて出会うキリスト教の信徒に望むことは「善きキリスト者」であってほしいということだ、でも、ムスリムに出会ってキリスト教に改宗するのが「より良きこと」なのかどうかは分からない。彼らも神を信じているのだから。

と思ったそうだ。

「改宗者」「転向者」には二つのタイプがあって

ムスリムとキリスト者、双方の共同体にとって、

「橋」になる人
 と、
「壁」になる人

に分けられるそうだ。

異宗教とか異文化とかだけではなく、いろいろな生まれ育ち性向の人間、意見や信条を異にする人々の共生や転向や同化についてもいえる話だなあ、と思う。


# by mariastella | 2019-08-22 00:05 | 宗教

八方睨み鳳凰図3D

古典アート作品と最新のテクノロジーとか3D化とかにあまり興味のない私なのだけれど、これはすごいなあと思った。
元の作品もすごいし、3D化への熱意も技術も結果にも驚嘆させられる。
実物を見たい。

貼るリンクが未対応なので ここ をクリックしてどうぞ。

たった一つ思うのは、「八方睨み」の不思議は、二次元アートの方が明らかにうまくいく。今メキシコのことを書いているので、グアダルーペの聖母の目のことも思い出した。



# by mariastella | 2019-08-21 00:05 | アート

イギリスはネコ?

イズーくんが膝で寝ている時、あまりにも狼みたいな顔だったので、コアラシリーズをやめて狼のそっくりさんをネットで探したんだけれど、イズーくんほど怖いのはなかった。

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友人たちにもこわーい、と言われたんで、ほんとはこんなに可愛いって写真も載せとこう。

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そういえば、BREXITをめぐるフランスの言説の中で、「イギリスはネコ」というのがあった。

その心は、

「転落しても最後は必ず足から着地する。」

なのだそうだ。

うーん、それなら、フランスは? 日本は? カトリック教会は? などと考えてしまった。


# by mariastella | 2019-08-20 00:05 |

北駅の北極星

聖母被昇天祭のサン・シュルピス教会を出ると爽やかな風と平和な光景が広がっていた。
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噴水のライオンを見ると猫族にしか見えない。
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その後で前から気になっていた北駅のブラッスリー「北極星」でランチ。
北駅で北の星なんだけれど、「星」がミシュランの星とかぶる。
シェフのティエリー・マルクスが数年前に開いた。
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店内(左奥)に列車の発着情報のパネルがあるのがいかにも駅だ。
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私の食べたのはこれ。白いのはイカなんだけれどまるでキシメンのような柔らかさと繊細さ。デザートの写真を撮るのを忘れた。パンはいまいち。メインとデザートのランチセットで3500円くらい? 一流のシェフの味として意外性がないおいしさだ。


# by mariastella | 2019-08-19 00:05 | フランス

ノートルダムの疎開先  その3

説教壇に立ったオプティ師が真っ先に口にしたのは、

「女は男の将来だ」La femme est l'avenir de l'homme

という言葉。

日本語にするとちょっと分かりにくい。

男の将来は女にかかっている、という意味だけれど、フランス語の「男」は「人」一般も差す。

(けれどそれがよくないというのでフェミニストは「人」という言葉の代わりに「人類」という言葉を使えと言っている)

ともかく、「人の将来は女次第」という風にも聞える。

この言葉はすごく有名で、

ジャン・フェラという歌手がそれをタイトルに歌ったシャンソンはスタンダードナンバーになっている。



もとははシュールリアリズムの詩人であるルイ・アラゴンの言葉で、「男の将来は女だ」"l'avenir de l'homme est la femme"と言ったのをジャン・フェラが順番を変えた。アンダルシアを舞台に異文化との共存を歌う『エルザに夢中』(1963)の中に2度出てくる。

ジャン・フェラはアラゴンの詩にそのまま曲をつけて歌っているのが10曲もありるのだけれど、このヒット曲はアラゴンの詩ではなくて、「アラゴンが言うとおり」と引用して歌っているのだけれど、こちらの言い回しの方が有名になったのだ。

「詩人はいつもわかってる。

地平線より上を見る。

未来は詩人の王国だ。

我らの世代を前にして

僕はアラゴンのように宣言する

女が男の将来だって。」

から始まり、

「男たちが法律を作り聖書を根拠になんと言おうとも、

イヴとリンゴのイメージを詩人たちは破る」、

と言って、またアラゴンと共に「女が男の将来だ」と宣言する。


で、オプティ師は、「これは本当ですよ、なぜなら女とはマリアのことです。我々みんなの将来は聖母マリアにかかっているのです。だって天の門を開いてくれるのは聖母マリアなのですから」

と続けた。

人が神との関係に入る時のかけ橋となってくれるのが聖母。

みんな、そんな必要はないと思っているかもしれないが、いつか死の時が来たら、何に頼れますか?


という展開だ。

体について興味深いことも言っていたけれど、私の思ったのは、


ああ、この人って、ほんとうにマリアさまが好きなんだろうなあ、

ノートルダムが焼けてショックだったろうなあ、

でも聖母像がみな無傷で嬉しかったんだろうなあ、


ということだった。

聖母を崇敬している人たちって、強くて弱い、弱くて、強い。








# by mariastella | 2019-08-18 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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