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L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスのカオスと韓国と日本

これを書いているのは12/4の夜。

フランス議会でバルニエ内閣に新人民戦線(極左メランションが実質トップの左派連合)が突きつけた不信任案に極右の国民連合も賛成票を投じて、バルニエ内閣はわずか3ヶ月で総辞職することになった。
不信任案が出されたのは2日の月曜日で、3日にはバルニエが国営テレビのインタビューで、内閣が解散になれば来年度予算も決まらないカオスになる、と訴えたが、6月以来、過半数政党のない状況がさらに深刻化したわけだ。
バルニエはそれでも「上品さ」を失っていないのだが、敵対する極左も極右も、自分たちの取り込んでいる支持層にだけおもねるエゴイズムが全開でうんざりしていた。

すると、突然、韓国の戒厳令のニュースが入った。議事堂に軍隊が突入するシーンが流れて驚いた。2021年1月のワシントンでトランプ派が議事堂を占拠するシーンを思い出したくらいだ。確か現大統領は親日派だと聞いているし、何が起こったのだろう。
不謹慎だけれど、それを見て、フランス政治のカオスが相対化されて「下には下がある」となんだか笑えてきた。いくら「戦争だ」とぶち上げるのが好きなマクロンでも、ここまではしない。バルニエが風前の灯火なのに、リヤドに行っているマクロンは「フランスは大国だから大丈夫」的なメッセージさえ送ってきた。

すると、翌日はすでに韓国の戒厳令が撤回されたと知った。
こういう時はシンシアリーさんのブログを見ることにしている。
で、12/5のブログ。
なるほど。

そういえば、朴政権が倒れた時も、国民の動員力は印象的だった。

日本ではちょっと想像できない。
日本でも、衆議院は与党が過半数割れしているし、連立に近づいた党も党首のスキャンダルがあったし、カルトとの関係や裏金問題もあるし、カオスと言えばカオスだ。

でも、韓国のように軍隊が動いたり、市民の大規模な抗議行動が起こったりするとは思えない。政党のポスターをのっとったりSNSを駆使して世論操作をしたり、なんだかすべてヴァーチャルな「コップの中の嵐」みたいだ。

フランスは、政治家も一般人も政治問題に饒舌だし冷笑的だけれど、韓国のような展開にはならない。でも、去年の夏のような「暴動」やら、大規模デモやデモの後の破壊行動やら、麻薬の問題やら、セキュリティの問題は日常的だ。

それを思うと、日本は、たとえ一部の人がSNSで言い合ったとしても、「普通の人」の日常生活へのインパクトはないし、「政府に期待する」とか本気で政治と向き合う、というのもないような気がする。いろいろあっても、交通機関はたいていスムーズに動いているし、犯罪も少ないし、「生きづらい」若者たちは外に出て抗議することよりも親の家に引きこもることの方が多い。
重荷で邪魔だと言われても、高齢者は全体として安全安心に生きていける。
(ある程度健康で貧困ではないという場合だけだけれど)

でも、今の後期高齢者って、70年安保闘争だとか、学園闘争とかをしていたベビーブーム世代だ。
ヘルメットにゲバ棒とか、投石とか、今思うと、あれはいったい何だったのだろう。
絶対数が多いことが「力」になっていたのだろうか。
あの時代に携帯電話やスマホがあったら、何がどう変わっていたのだろう。

いや、これからも、テクノロジーが暴走するかもしれないし、「国民性」も変わっていくのかもしれない。
ブログを愛読している秋葉忠利さんは82歳というお年だけれど、2045年(日本被爆100 周年)を目標にした核兵器廃絶を実現させるという運動に取り組んでいる。
その中間目標も挙げている。

核兵器使用という絶対悪を風化させてはならない。風化どころかいつもその原点に立脚して、核兵器廃絶への具体的行動を先導している。

ネットのおかげで、秋葉さんのような方の行動を知ることが出来る。

カオスばかり眺めている場合ではない。




# by mariastella | 2024-12-10 00:05 | 時事

ノートルダム・ド・パリの再開の政治的背景

昨日の記事の「追記」に続いて、12/8はノートルダム・ド・パリの修復後最初のミサの中継を見た。
それについての各種の解説も視聴した。

2019年4/15の火災のすぐ後に「5年後」に再開、というマクロンの「計算」は、絶対にはパリ五輪を意識した計算だと私は思ったけれど、それは聞いたことがない。
なんだか、マクロンの「5年」は聖霊に鼓舞されたかのようなニュアンスで、その「期限」があったからこそ、フランスの中世から伝わるあらゆる技術が結集されて、駆使されて、「奇跡」が成し遂げられたかのようだ。

でも私は、パリ五輪に合わせて修復したノートルダムの再開を狙ったのだと思っているし、それが無理だと分かったけれど、12月の「無原罪受胎」(聖母の祝日のひとつ)がたまたま日曜日に当たる12/8に合わせたセレモニーでまるでパリのオリパラの閉会セレモニーのように演出したのだと思う。

それを裏付けるのが、火災以前からノートルダムの周りの発掘に関わっていた考古学者の意見だ。火災の後、周りすべてが立ち入り禁止になったのは分かるとして、ひとたび、焼け残った部分の韜晦のリスクがなくなった時点で、発掘調査を再開していれば、貴重な成果が上がったはずだという。
6ヶ月あれば、それが達成できた。言い換えれば、考古学者の眼から見れば、5年が5年半になったのだから、後半年くらい、中世よりもさせに遡る研究の重要性に比べれば「遅れ」とすら言えない。

でも、今は、「修復」「再生」のために、すべての発掘がもう不可能になったという。考古学者の悔しさは伝わるし、確かに、歴史学的、考古学的な貴重な手掛かりが見つかりかけていたのに、「5年」と言うリミットを政治的に利用するために2024年の再開を政治的に押しつけたのは、学問的には取り返しのつかないことだった。

たとえば、ランスのカテドラルでは発掘調査が続いていて、なんと、クロービスが「洗礼」を受けた洗礼盤「?」が最近発掘されている。まさに「ヨーロッパ」誕生の歴史的な場所だ。

もう一つ、マクロンがローマ教皇を招待したのに断られた?(しかも1週間後にフランス一小さなコルシカのカテドラルには赴く)ことで、フランシスコ教皇の「辺境好き」だとか、ピウス七世を辱めたナポレオンへの面当てだとかいろいろ言われていたけれど、パリ大司教の祭壇の聖別やらミサ(彼はノートルダム閉鎖中に就任しているから、これがはじめてのカテドラルでのミサとなる)を見ていて、なるほどと思った。

マクロンは国の首長としてバチカン市国の首長を招くことで、ある意味で、パリの大司教の頭ごしにバチカンと直接並ぶイメージを見せたかったのかもしれない。
でも、もし、フランシスコ教皇が招待を受けていたとしたら、教皇を一オブサーバーとして扱うことができただろうか。火災でやけた木材を使って新しく創られた司教杖でパリ大司教がカテドラルの扉を3度ずつ3回叩くことで扉が開き、大オルガンと「対話」して促したり、新しい司教座や説教壇を祝別したり祭壇に五人の聖人の聖遺物を入れて聖油を塗ったりというシンボリックなことを、パリ大司教が、パリの104の小教区司祭やフランスの150人の司教らの前で同じような権威を持って遂行できただろうか。

動きが不自由になっているフランシスコ教皇が大司教に変わって司式したとは思えないけれど、カトリック教会のヒエラルキーと、ガリア教会の歴史との関係も含めて、「政治的」思惑が飛び交ったに違いない。
その意味では、「開会」のセレモニーに欠席したことは、フランシスコ教皇の、すぐれて政治的、外交的な選択だったと言えるだろう。(枢機卿任命とかローマでの「無原罪受胎」のミサなど、フランシスコ教皇が辞退するもっともらしい理由も挙げられる。)
もちろんバチカン大使は教皇のメッセージを読み上げた。
マクロンのそばにはトランプ次期メリカ大統領が座った。
マクロンにとって、教皇欠席を補ってあまりある効果だ。(カトリックのバイデン夫人と娘さんの様子は印象的だった)

開会セレモニーでは、スキャンダラスな夫婦関係を公的にさらしてきたサルコジ夫妻やオランド夫妻の姿も久しぶりに映された。

イーロン・マスクまで出席していた。
ゼレンスキーが入って来た時には拍手が沸き起こった。

ノートルダムの鐘が「ファ」のシャープでなり渡った。

シリアではアサド大統領政権が崩壊した。


(余談 : ノートルダムの「建物」の所有者は国だ。だから本来は修復も国が担当するのが筋だ。けれども、累積赤字で政治危機にある政府の金はまったく使われていない。つまり税金は投入されていない。すべてが世界中からの寄付金で賄われた。フランス国内での寄付金に伴う減税処置も適用されない。パリ五輪のスポンサー企業などはもちろん多くの寄付金を出してカテドラル内の銘版に刻まれている。)
新しい祭壇などの用品はもともと教会が賄うもので、デザインは大司教の一存で決まったという。寄付金の大口はアメリカが「ノートルダムの友」として組織したところからの6500万€だった。まだ寄付金は余っていて、それは、火災前から補修中だった外壁補修にまわされるそうで、2028年に終了予定だという。)


# by mariastella | 2024-12-09 00:10 | 宗教

パリ・ノートルダム大聖堂とフランス共和国の本当の関係(追記あり)

これを書いているのは、パリのノートルダムで修復後最初のミサが行われる一週間前。
このブログが公開される日には、前日のセレモニーをはじめとして、世界中でノートルダムのニュースが報じられていることだろう。

ここでは、少し別の視点を提供したい。

パリのノートルダムが国民的歴史建築で、2019年の火災の折には宗教と関係なくすべてのパリジャンが、フランス人が駆けつけて涙し、祈り、修復への寄付をしたかのように伝えられてきた。パリのノートルダムがフランスの歴史のシンボルであるかのように語られるのは、パリがフランスの首都であることや、ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」で有名であることからも分かる。

でも、パリのノートルダム大聖堂(カテドラル=司教座のある聖堂)は、フランスの歴史の中で一番権威があったものではない。

今でも、フランスの司教協議会の会長はパリではなくランスの大司教だ。(彼はパリの補佐司教を10年務めた後、2018年にランス大司教に任命され、翌年司教会議の会長に選ばれた。)
ランスは代々の国王が聖油を注がれたことで有名でジャンヌ・ダルクのこだわりでも知られている。また、サン・ドニのカテドラルはバジリカ聖堂でもあるが、代々のフランス国王の墓所のある王立修道院の大聖堂だ。

ノートルダムという呼称も、ランスやシャルトルやアミアンなどのカテドラルと同じだし、パリのノートルダムが他に比べて「格上」とか特別という歴史はなかった。

実は、パリのノートルダムが「特別」になったのは、皮肉なことに、ローマ・カトリックの勢力を一掃したフランス革命と、その後でコンコルダというローマとの和親条約によってカトリックを「復活」させたナポレオン以来のことだ。

ナポレオンと当時のローマ教皇との確執については『ナポレオンと神』(青土社)で書いている。
ナポレオンはランスで戴冠式をしなかった。
ノートルダムで戴冠式をして、教皇を招きながら、自分で戴冠し、妻のジョセフィーヌの戴冠も自分で挙行した。

このブログでも書いたけど、ナポレオンはコルシカ島出身、妻のジョセフィーヌもさらに遠いマルティニック島出身、ヴェルサイユに集まる王侯貴族にとってはもちろん、パリのブルジョワや知識人からも「差別」の眼で見られていたのは確実だ。その二人がフランスの皇帝と皇妃になることを権威づけるには、自分がローマ教皇の「上」に立つことを見せる必要があったのだ。

フランス革命の後、一時は「理性の女神」の神殿のように「模様替え」されたノートルダムは、島の男ナポレオンが華々しく皇帝に即位する晴れ舞台として、ジャック=ルイ・ダヴィッドの大作絵画と共に歴史に残ることになったのだ。

そしてパリのノートルダムは、結果的に、ローマ教皇が屈辱的に遇された場所となった。
その後のフランスが「共和国」として復活してからも、「政教分離」法ができてからも、パリのノートルダム大聖堂は「フランスの権威」として「使い勝手」があり、「観光の目玉」でもあったから、そのまま「フランスのシンボル」ともなった。

今回の「復活」にフランシスコ教皇が列席しないことがもっともだと思えてくるなにかが歴史の彼方に透けてくるというのは言い過ぎだろうか…。



(参考)

(追記)ノートルダム再開のセレモニーをテレビで観ました。
そのことを別ブログに書きました。

ふりかえると、「火災から5 年で修復」とマクロンが言ったのを聞いた時、パリ五輪を見据えてのことだと反射的に思ったが、実際、12/7の「再開」の演出は、一瞬、パリ五輪のフィナーレのような気がた。
パリ五輪ではパリのあらゆる観光資源を駆使した演出がなされていたが、ノートルダム近辺だけは、修復工事中で使えなかった、そのリベンジ? 
これでフランスの歴史や文化だけでなくレジリエンスを宣伝できる、というような。
その二日前に内閣不信任案が通ってバルニエ首相が辞職するという「カオス」で、さんざん叩かれていたマクロンにとって、本気でノートルダムの恵みと希望を確信させるものだっただろう。

しかも、五輪の開会式と同じく、雨で、出席者も司教らより先に着席、カテドラルの外で演説する予定だったマクロンが中で演説できた、など、「幸運」はいろいろあった。

何はともあれ、戦争や暴動や革命騒ぎがなくてテレビを視ていることが出来るのに感謝。

# by mariastella | 2024-12-08 00:05 | フランス

ノートルダムとトランプ大統領とポスト・リベラリズム

これを書いている時点では、ノートルダムのオープニングセレモニーにトランプだけでなく次の副大統領のJD ヴァンスも共に出席するのかどうかは不明だ。
ヴァンスは一部では極右のように言われているが、最近、アメリカの宗教と政治の専門誌「First Things」の編集長ラステイ・レノのインタビュー記事(La Vie No.4130)を読んで、なるほどなあと思ったことがある。
レノはカトリックで神学者でもあるが、雑誌はエキュメルカルだ。彼によると、ポスト・リベラリズムの論客の多くはカトリックなのだそうだ。2018年の彼の著書『強い神の再来 : ナショナリズム、ポピュリズム、西洋の未来』はフィラデルフィアの保守派の前大司教によって、社会の絆を壊しアメリカの基盤を崩したリベラリズム弾劾の名著だと評価された。

リベラリズムの前提として、個人が過去や伝統から「解放」されるというものがあり、それによって孤独な消費者となり家族や共同体を失った層が、その反動としてのポピュリズム政治に傾いたのが第一次トランプ政権の生まれた2016年だった。
ポスト・リベラリズムに必要なのは、国家と宗教というふたつの「強い神」というわけだ。
しかしこのポスト・リベラリズムにはリスクがある。
国家の偶像化、暴力、権威主義だ。ヨーロッパの歴史を振り返るとよく分かる。
アウグスティヌスが「神の国」でいうように、すべての民を理解するには彼らが何を愛しているかを知らなくてはならない。
強い神は、知性に依って立ち、伝統と共通善を伝えていくことを助けるものでなくてはならない。

この点についてレノが言及するのはインディアナのノートルダム大学でカトリック政治学を担当するパトリック・デニーンの「リベラリズムはなぜ失敗したのか」だ。
宗教や文化を通じて家庭や共同体に継承されてきた社会の規範は、自由主義国家政策によって失われていく。それどころか、多大な格差を生み、自由を無視する基準が押しつけられる。それに対して平等や多様な文化、宗教を守るための政治哲学が必要だ。
2023年にはデニーンは汚染し、汚染されたリベラル勢力を倒してポストリベラル体制を創らなくてはならない、と書いた。
JDヴァンスはこれを称賛したので、左派から攻撃された。彼の地元オハイオでは中絶の制限などを課しているからだ。「ナショナル・カトリック・リポーター」というリベラル・カトリック雑誌は、これを懸念して、フランコ政権のようなモラルの押し付けや、ハンガリーのオルバンやイタリアのメロニーらの移民政策につながることを警告している。
といっても、ポストリベラリズムを標榜するのは、右派だけではない。ドイツ出身のエイドリアン・パブストとイギリス人神学者ジョン・ミルバンクの共著『美徳の政治学』で、Blue Labour運動のもとになった。労働者であるが文化的に保守派である層を対象に、労働党内部で生まれた運動だ。
バーニー・サンダースに代表されるアメリカの左派も、このポスト・リベラリズム屋ヴァンスの考えの一部には共感している。労働者の最低賃金の引き上げと、Gafamなどの巨大企業の活動に政府が介入することが可能なシステムだ。

ポスト・リベラリズム志向のカトリックであるレノは、ヴァンスに期待してトランプに投票したという。ヴァンスがトランプの掲げる陰謀論や暴言に加担する形になるのは残念だが、ポスト・リベラリズムは、分断された人々の間の「対話」を復活させることが出来ると信じている。レノの妻は穏健な民主党支持者でハリスに投票するが、夫婦が会話のある幸せな暮らしを続ける妨げとはならない。

トランプのとんでもキャラが際立っているのでヴァンスもそれなりに怪しく見えるけれど、リベラリズム(というより、今の肥大したネオ・リベラリズム)から距離を置いたポスト・リベラリズムの可能性の扉が開くのだと考えると、第二次トランプ政権にも少しは希望があるのかもしれない。

フランシスコ教皇が来ないでトランプの来るパリのノートルダム再開セレモニー、ネオリベEUの政治の道具と化さないで、時間と場所を共有し、同じものを見ることで「対話」の契機になりますように。


「美徳の政治学」に関する日本語文献を見つけた。
これ。(でも、神学的視点に特化したものなので、バイアスを回避して読むのは難しいかも。)


(参考)



# by mariastella | 2024-12-07 00:05 | 時事

パリ・ノートルダム式典とアメリカ

これを書いているのは12/3で、国会は極左と極右が首相に不信任案を出して大混乱の最中だ。
それでも、オリンピックの時と同様、何も起きていないかのようにパリのノートルダム再開式典で「国威発揚」に励むマクロン。

ここにきて、トランプ前/次期アメリカ大統領が当選後初の「外遊」ということで俄然ニュースになっている。

「辺境」優先の教皇が欠席して、15日にはコルシカ島を訪問、コルシカのアジャクショーのカテドラルはフランス最小のカテドラル(400人程度収容)だから、いろんな意味でパリのノートルダムと対照的だ。(教皇はパリだけでなくマドリード、ウィーンなど伝統的カトリック首都も訪問していない)
世界各国の首脳50人程度が式典に出席するそうだが、日本は誰かを送るのだろうか。
(石破首相は敬虔(?)なルター派プロテスタントだそうだし、麻生太郎とか山本太郎という有名なカトリックもいるようだけれど…)

イギリス国教会首長のチャールズ三世は欠席、カトリックのスペイン王も欠席。
トランプは福音派プロテスタント。
カトリックのバイデンは来ない。
2008年に初当選したオバマ大統領は最初のフランス公式訪問の折、ノートルダムを特別にプライヴェート訪問している。

バランスをとるためにも、そしてアメリカのカトリック信徒(ワシントンポストによると今回の大統領選ではカトリックの56%がトランプに投票。ハリスへは41%だったそうだ。: La Croix 11/7, 43066 43066 )へのメッセージとしてもヴァンスへの配慮としても、今回のトランプの選択は悪くないのかもしれない。

コンサートに参加するアーティストの選択に関しても、侃々諤々の議論がある。

少し間をおいてから、その結果について書いていこう。

# by mariastella | 2024-12-06 00:05 | 時事



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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