ボルドーには一度しか行ったことがないけれど、フランスの「首都」となったことがあるくらい歴史的にも重要な都市だ。その市長Pierre Hurmicがすばらしい思想家だと知った。
日本の大都市の首長でこれほど哲学的な教養と信念を表明している人がいるのだろうか。 アラン・ジュッペのおひざ元で70年以上保守派の牙城だったボルドーで2020年に初めて左派エコロジストとして市長に選ばれた。今のエコロジストは極左と近い過激なメンバーも多いが、この市長は、もとがカトリックの家庭出身で、ボルドーの政治学院でプロテスタントの神学者で哲学者のジャック・エリュールに師事して強い影響を受けている。 日本語のキリスト教の文脈での翻訳語では誤解を招きやすいのだけれど、フランス語にはespoirとespéranceの違いに宗教的含意がある。 2025年の聖年がカトリックのespéranceの年だがこれは「希望」と訳されている。 でも一般的には、espéranceが期待となり、espoirが希望と訳されるのでややこしい。英語ではどちらもhopeなので、日本語も両方を希望とすることもある。 で、フランス語的には、エリュールによると希望espoirは、可能性のある時に意味を持つ。命ある限りespoirがあるというのは「最悪の到来が確実ではないから」だ。一方、espéranceは逆に、最悪が想定されている。不可能なものを期待するのがには一度しか行ったことがないけれど、フランスの「首都」となったことがあるくらい歴史的にも重要な都市だ。その市長Pierre Hurmicがすばらしい思想家だと知った。 日本の大都市の首長でこれほど哲学的な教養と信念を表明している人がいるのだろうか。 アラン・ジュッペのおひざ元で70年以上保守派の牙城だったボルドーで2020年に初めて左派エコロジストとして市長に選ばれた。今のエコロジストは極左と近い過激なメンバーも多いが、この市長は、もとがカトリックの家庭出身で、ボルドーの政治学院でプロテスタントの神学者で哲学者のジャック・エリュールに師事して強い影響を受けている。 日本語のキリスト教の文脈での翻訳語では誤解を招きやすいのだけれど、フランス語にはespoirとespéranceの違いに宗教的含意がある。 2025年の聖年がカトリックのespéranceの年だがこれは「希望」と訳されている。 でも一般的には、espéranceが期待となり、espoirが希望と訳されるのでややこしい。英語ではどちらもhopeなので、日本語も両方を希望とすることもある。 で、フランス語的には、エリュールによると希望espoirは、可能性のある時に意味を持つ。命ある限りespoirがあるというのは「最悪の到来が確実ではないから」だ。可能性としての「全能感」がある。 一方、espéranceは逆に、最悪が想定されている。不可能なものがあると自覚しながら期待するのがespéranceだということだ。 espoirは可能性へのパッションで、espéranceは不可能なものへのパッションだという。言い換えると、人間が自分を全能だと過信して突き進むのがespoirで、人間の次元を超えたものを視野に入れて歩むのがespérance。 宗教的に言うと、人間が全て科学技術やAIで解決できると思うのがespoirで、無や死や、どこから来てどこへ行くのかという視点、超越や神を視野に入れるのがespéranceということだ。 その自覚の上で、不可能をどのようにどの範囲で可能にしていくか、とボルドー市長は自問する。政治によって不可能の次元を追うことを使命にしているようだ。 espoirに基づく政治には、地球や人間や資源や金が永遠に続くという想定の中でそれぞれの利益を最大化する、というイメージがある。中国やアメリカが環境会議に関わらないのもそのいい例だろう。 ボルドー市長のエコロジーは、ディープエコロジーではなく、「生命」へのリスペクトがある。 超越的な視点を取り入れるかどうかの一番大きな違いは、「謙虚」になれるかどうか、というところだ。自分は絶対に正しい、大きい、強い、などと思える人が「謙虚」を失う時に、もっとはるかに大きい何かが失われる。 #
by mariastella
| 2025-12-06 00:05
| フランス
カルペ・ディエム (Carpe diem)というラテン語はメメント・モリの次ぐらいに日本でも知られている人生訓風のラテン語表現だと思う。「明日をわずらわず今日を楽しめ」という感じだろう。
(今、ネットを検索したら、「その日を摘め」という訳になっていたけれど、耳にしたことがなかった。) 若い時は未来がずっと続く気がするから、明日のことをわずらわずに日々の満足を求めることは比較的ノーマルだと思っていた。 もちろん、長期的な目標への努力やしがらみへの悩みもあるからこそ、ひとまずは、ともかく毎日を感謝して充実させよう、というアドバイスとしても役に立つ。 でも、今やすっかりシニアになり、同年配や年長の知人友人らが時には意外な形で急逝していくのを見るようになると、この言葉の印象はまた変わってくる。 とりあえずの「その日」しか保証されていないような気分で、これから先のプロジェクトの立て方、その実現の可能性(外部的な困難や支障だけではなくて自分の健康状態も含めて、「先を見ること」のこころもとさが常にある。 そんな時に、このラテン語のフランス語のアナグラムを聞いた。 Carpe diem を 並び変えて、 Ça déprime だって。 déprimer は落ち込むという意味、 Carpe diem, ça déprime. 意味が逆で、並べると、「今日を楽しめだって? 無理無理、やってられないよ」 という感じになる。妙な現実味があって笑える。 反対にして、何を見ても、ああ落ち込むなあ、という人に、 Ça déprime? Carpe diem! 「落ち込んでるって? とりあえず今を最大限に楽しんでみたら?」 などと言えるかも。 単純なアナグラムとしてはなかなか秀逸だ。 #
by mariastella
| 2025-12-05 00:05
| フランス語
カトリック番組で日本の「隠れキリシタン」の話と「長崎被爆」と永井隆について語られていた。「隠れキリシタン」の子孫であり被爆者の子供(胎内被爆者)であるという長崎の高見名誉大司教がゲストとして招かれていた。
同じくゲストのイエズス会の神父が、フランシスコ・ザビエルが最初に日本に上陸した時のエピソードを語っていた。 上陸のすぐ前に、十字架を船から落としてしまった。 ところが上陸するとその十字架が蟹に引っかかって発見された。 それを見て、蟹はまっすぐ歩かない。これは、日本宣教に当たって、直行、直球ではだめだ、斜めに歩きながら進めという神からのお告げのように受け取ったというのだ。 結局、日本の文化は全て中国から来ている、まず中国で布教すれば日本は自動的にキリスト教化できると判断して日本を去ることになったという。 うーん、つっこみどころがあり過ぎるエピソードだ。 日本における各種外来文化の根付き方はいろいろで、「西洋」が目指すような形では「根づかない」というのは宣教師たちも理解していた。 確かに今や「西洋風キリスト教」はアメリカ型もヨーロッパ型も混然としたある種の文化アイテムになっている。たとえ「西洋の没落」が起こったとしても、日本ではまた「隠れキリシタン」が生き続けるのではと思うのは気のせいだろうか。 #
by mariastella
| 2025-12-04 00:05
| 宗教
11/1に、19世紀の神学者でイングランド教会からカトリックに改宗したジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿が列聖に続いて「教会博士」の称号を受けることになった。
この人の博識、博学、宗教心がずば抜けていることは言うまでもないが、こんな人が、いろいろな過程を経てローマ・カトリック教会に改宗したことの意味を考えると、イングランド教会にはなくてカトリックにおいて見出されたものはいったい何かと思わずにはいられない。(イングランド国教会時代の彼はカトリックが異端だという文さえ残している。) ブラウン神父シリーズでお馴染みのチェスタートンや指輪物語のトールキンが、ニューマンに続いてイギリスからのニューカトリックという流れを形成していることは前にも触れたことがある。 彼らが「英語」圏の作家であったことと、今のレオ14世が英語圏出身の初のローマ教皇であることのつながりも思わずにはいられない。 10月には、英国国教会の首長であるチャールズ三世がヴァティカンを訪れて、国教会首長としてはじめてレオ14世と共に祈りを捧げたことが話題になった。 プロテスタントというと大きく分けて、ルターなどドイツ系、大陸系のものと、主として政治上の衝突からローマと分れたイギリス国教会の系譜がある。その同じアングロサクソンのピューリタンがアメリカ大陸に渡って今の合衆国のもとをなしたというイメージがあるが、アメリカのプロテスタントは複雑に分かれて共存している。 そんなことを考えると、ニューマン、チェスタートン、トルーキンらのカトリックへの転向や信仰の意味、初の英語圏出身の教皇とイギリス国王の共同の祈りなどの意味するものが何となく見えてくる。 チェスタートンやトルーキンがニューマンに続いて列福列聖される日が来るとすればさらに興味深い。 (関連する過去ログをリンク。) #
by mariastella
| 2025-12-03 00:05
| 宗教
モンマルトルのサクレクール大聖堂はパリ観光の人気スポットで日本人にもお馴染みだけれど、訳すると「聖心」となって、聖心の名がつく修道会、聖心の名がつくミッションスクール、上皇后の出身大学で有名な聖心女子大など、と同じ言葉だ。 名の響きだけからすると「聖心」は「清い心」のようなイメージだが、フランス語の「coeur」は「心」だけでなく「心臓」という内臓器官の意味もある。 実際の「聖心」信仰は、17世紀にフランスの修道女の前に現れたイエスが自分の胸を開いて炎と光を発して鼓動する心臓を取り出して見せた、しかもその心臓を修道女マルグリット・マリーの心臓に重ねたので彼女はいつも胸が燃えるように熱かった、など、なかなか生々しいイメージがある。 カトリックの聖人の聖遺物には心臓を取り出して保存するという場合が少なくない。内臓を取り出してからミイラ化する文化や遺体をすべて火葬したりする文化と違って、臓器としての心臓を聖遺物化のベースはもともとあるものだ。 でもイエスは復活後昇天したので体の聖遺物は残さなかった。 聖心への信仰というか崇敬は、聖体パンをイエスの体の「化体」とみなすカトリックでは聖体パン(ホスチア)と重なる。だからこそホスチアが血を流したり、脈打ったりなどという「奇跡」が時々あるわけだ。 けれども、最後の晩餐でイエスはワインを「血」と言ったが、無酵母パンについては「これが私の体」とは言ったが、「心臓」と特定したわけではない。 映画にはマレトロワのイヴォンヌ・エメも出てくる。 遠方で汚された聖体パンがイヴォンヌの思念によって現れて木の枝に引っかかった。それを撮った写真も出てくる。
映画では、カトリック教会から離れていた人たちがパレイモニアルに行って、エマニュエル会の若者たちのエクスタシーに似た高揚に触れて人生観が変わるという例、重度障碍者や子供を亡くした夫婦などの「回心」による救いの例など、カトリック系チャンネルですでに見かけた人や著者などが出てくるので、全体としては、新鮮味がない。別に映画館の大画面で観なくてもいいのではないかと思った。 ところが興味深かったのは、上映が終った後、ある男性から「この映画、あなたにとって説得力はありましたか?」と問われて、その後、エントランスホールでコーヒーを飲みながら1時間も話したことだ。 普通の映画なら、観に行く気になった理由もさまざまだろうし、上映後に知らない誰かと話すなどということはない。 しかも、この男性、一見した印象は、路上生活者かと思う風体だった。半分白くなったぼさぼさの髪や髭、手にしているのはプラスティックの使い古しの紙袋だけ、地下にあるホールへの階段の昇り降りが大変そうな足どり。 道ですれ違ったら、距離をとってしまいそうな風体だ。 でも、パリでも少ないこの上演映画館に足を運んだ人だ。 実際、コーヒーを飲むにあたって、この人がぜひと言って、支払ってくれた。 風体と中身がずれている。
で、話しているうちに、1959年生まれのこの人は、鉄道技師だった父から虐待されていたこと、15歳でどうしてもヴァイオリンを習いたくて父に内緒で母が習わせてくれたこと、職業は子供の保護司だったこと、バッハの音楽こそが神に通じると思っていることなど、いろいろな身の上を話し始めた。 私はいい機会だから、この人がなぜこの映画を観たのか、カトリックなのか、この映画とその評判についてどう思うか、などの質問をしたのだけれど、なんだかずるずると彼の身の上話になり、今でも父親から受けた虐待の傷が癒えていない、などと聞かされたわけだ。 でもヴァイオリンは今も弾いていて、ヴァイオリニストやオルガニストの友達もいて、アーティストたちの思い出や評価、いろいろな曲の精神性など、かなり専門的な話にもなった。 平日の午後だったから、他の観客はシニアのカップルやシニアの女性同士のグループがほとんどだった。でも同じ映画館で上映されている他の映画には、学生らしい若者も少なくない。 イエスの聖心の映画を観て、見知らぬ人の身の上話を聞いてセラピーまがいの受けごたえをすることになるなんて、やはり「普通の映画」ではないのかなあ、と思わされた。 #
by mariastella
| 2025-12-02 00:05
| 映画
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