オバマが当選して、繰り返し、「黒人初の・・」という言葉が流れる。
私はこの言葉がすごくいやだ。
彼がたとえば父親の出身国であるケニア国籍でケニア大統領に選ばれたら「白人初の・・・」なんて言われるだろうか。
「白人の血をひく」とか、「白人の母親を持つ」とかじゃないだろうか。
過去のアメリカの差別政策においては、何代さかのぼって黒人とか、黒人の血が何分の一かで黒人とかいう基準があったはずだ。プランテーションにおいて、白人の「主人」が黒人女性の奴隷に子供を生ませても、その子供は即黒人=奴隷でしかなかった、という状況を踏まえているからなんだろう。
アメリカ第3代大統領のジェファーソンは、そうして生まれたハーフの黒人奴隷を妻の死後に伴侶として、そこに生まれたクォーターの子供たちの中には見た目はまるで白人のような子供がいたが、公式には一生奴隷だった。ジェファーソンの遺言で自由の身になったというが。
つまり、アメリカにおける人種差別の根拠は、ずっと、「純粋白人ではない」というところにあったのだ。「純白」が少しでも「汚された」ら「不純」。
私は、宗教上の食べ物の禁忌もすごく抵抗がある。
その多くは、魚なのにうろこがないとか、ひずめが割れてるとか割れてないとか、要するに、カテゴライズできない中間的存在や曖昧な存在を忌避したり排除したりする考えに基づいているからだ。
マジョリティに似ていないもの、秩序を乱しそうなものを劣等な存在とする排他思想や優生思想にも通じる。
白人でも黒人でもないあたらしいカテゴリーがあってもいいし、そういうハイブリッドな存在が、社会の支配構造を決めるカテゴリー分類そのものを無化する牽引となってもいい。
ユニヴァーサリズムを掲げるフランスでは、「人種別統計」は禁じられているので、アメリカのように「30代白人女性」は何パーセントオバマ支持とかいう調査は絶対に出てこない。「何系フランス人」という言い方も、公式には使わない。
たとえそれが偽善だと言われても、そういう姿勢はフランスを居心地よくするし、カテゴリー外のハイブリッドな人間をどんどん送り出そうとしている私にはかなり重要な部分だ。
だから、オバマにつく「黒人初の・・」という形容を聞くたび、暗くなる。