12月12月の記事「壊れものである権利」について、サイトの方に、
「ポジティヴシンキング」「成功」「自己実現」は無邪気な笑顔で蔓延していますが、それがどれだけ天真爛漫に人を追い詰めている事か。」
というコメントをいただいた。
こういうものが蔓延しているのはもちろん、それで金儲けができる人がいるからだろうが、それだけならまあ、それでもいい。
真に犯罪的だと思うのは、これらの言葉のいたずらな称揚が、実は、「そうでない人」いじめになっているからだ。
それも、結果的にそうなる、というのではなく、無意識にしろ、そういうものに託して弱者をはっきり差別している。
今は、さすがに人権意識とかが常識になっているから、大人はだれも、
「何々さんは、くらーい」
とか、
「あの人は年の割りに老けてるし、体も故障だらけよね」
とか、
「あそこのお宅はだんなさんがリストラされて坊ちゃんは引きこもりで、お嬢ちゃんはちょっとおつむが弱いんですって」
なんてあからさまに言わない。
言えば人格を疑われるだろう。
でも、「何々さんはいつも明るくポジティヴに生きててすてき」
とか、
「あの人は、いつまでも若くて綺麗だし、健康管理も抜群よね」
とか、
「あそこのお宅はセレブで、坊ちゃんもイケメンで一流大学だし、お嬢ちゃんは才色兼備でうらやましいわね」
とかは、一応「人を誉めている」のだから、それこそポジティヴで、こういう言辞をどれだけ垂れ流して、「あの人みたいにならなきゃね」と無理しても、別に非難されない。
でも、それって、実は、同じことの裏表だ。
「フランス人の女性政治家はみな美人でおしゃれでスタイルがいい」と、イギリスの雑誌が書く。
それは、「イギリスの女性政治家はおばさんばかり」という絶対に書けないことの含意だとイギリスのフェミニストが怒っていた。
フランスの女性政治家は美人ばかりじゃない。
当然ながら「普通」の人の方が多い。
「セゴレーヌ・ロワイヤルは美人でスタイルがいい、モデルみたいだ」
とはどの雑誌も平気で称揚する。
「マルチーヌ・オーブリーは贅肉のついたオバサンだ」
とは、誰も絶対に言わない。
子供を生み、育てキャリアも築き、女としても魅力的な人は「スーパーウーマン」とか言われる。
スーパー老人もたくさんいる。
もう、こういう言説、意識してやめてみよう。
ほんとは足の速いウサギが油断して居眠りしたから遅いカメさんに先を越されたんだよ、なんて教訓はいいとしても、
持って生まれた容姿とか、能力とか、環境とか、健康状態とか、運とか、人生のアクシデントとか、自分ではどうにもならないようなことの「優劣判断」につながるような賞賛や憧れや目標設定はやめよう。
つくづく思う。
人はみなつながっている。
運がいい時は運が悪い人を助けよう。
あなたの幸運はそのために与えられている。