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L'art de croire             竹下節子ブログ

David Greilsammer のピアノ・リサイタル

 2月10日、今をときめくDavid Greilsammer (日本語ではディヴィッド・グレイルザンマー) のリサイタルがうちの近くの市役所ホールであり、招待券をいただいたので行って来た。

 彼の演奏自体にも驚いたが、音楽会における、聴覚情報と他の情報とのディソシエイトはできるのか、という問題に突き当たった。アーチストについての個人情報が、どれほど、鑑賞に影響を与えるのか。

 もとより、音楽はただの空気の振動ではなく、先入観のバイアスかかりまくりの脳内再構成であるから、聴覚だけ分離することすら難しい。

 そうは言っても、この若手については、大したことを知らなかった。個性的で近頃話題になっていても私は聴いたことがなく、トリオの仲間のH がレコードを聴いてすばらしいと言ったのが、唯一の信頼できる情報であり期待だった。

 確かに、すごいインパクトである。

 最初にスカルラッティのソナタが5曲、実に個性的で、非常にモダンだ。その後にベルグのソナタ。この配し方も堂々としていて、演奏の個性に説得力がある。とにかくどこをとっても無難とかクラシックな保守的な感じがなく、ちょっと異星人みたいな気がした。

 第一部の最後のモーツアルトのハ短調ソナタにも虚をつかれた。ベートーベンやシューベルトやシューマンが先取りされ、引きずり上げられて渦巻きながら浮かび上がってくる。あきらかにロマン派的な不安と不安定の流出。

 リサイタル後のカクテル・パーティで彼と話し合ったら、他のコンサートでは、モーツアルトを入れれば、モーツアルト脳になって臨む人がほとんどなのでその期待を裏切るというリスクが大きいので、この町で試してみる気になった、と言っていた。ここで受け入れてもらえれば、他所でもやってみると。

 第2部は、リゲッティで始まった。こうやって彼のリゲッティを聴くと、すごく身体的で、コンテンポラリー・ダンスの人がリゲッティを踊りたくなる気がよく分かる。身体的でもあり、心身の境界の情景のようでもあり、ともかく、大自然の情景とか、小さな命が生まれて育つのをそっと見ているというような感じでない。

 最後がシューベルトの『楽興の時』全曲。これも、独特だ。
すごくオリジナルだけど好感度が高い。要するにこのピアニストが弾きだすと、どの曲も彼の曲になっている。その「おさまり方」が堂々としているので、非常に説得力がある。

 アンコールでサティの小曲を弾いたが、これも、やすやすと彼の世界に聴衆を巻き込んでしまった。色彩豊かでマジカルだ。

 で、充分楽しめたこのリサイタルとこのピアニストが私のお気に入りとなったかというと、否である。

 私の好きなのは、相変わらず「フレンチ・エレガンス」であり、このピアニスト、ダヴィッド君は、それを侵犯するわけではないが、別の世界を創り上げている。

私は前に同じホールで聴いたCedric Tiberghien のリサイタルについて書いたことがある。
 http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/art2.htm

(コンサートシリーズその3)

 その時に、彼のドビュッシーを聴きながら死にたいとか書いた。

 ダヴィッド君のモーツアルトやシューベルトはあまり聴きたくない。

 いろんなコンサートに行ってその場で盛り上がって感動するのは別として、私が本当にそれを「お気に入り」なのかどうかを判断するには、その音楽家に自分のうちに常駐してもらえると仮定して、自分の寝室のベッドのそばで、毎日毎日、

 朝、目覚める時に弾いてもらって最初に耳にする音楽、

 夜、目を閉じる前に弾いてもらって、最後に耳にする音楽

 として耐えられるかどうかと想像してみるというのがある。

 まあ、元気なときは、ダヴィッド君のサティやリゲッティに牽き込まれるのも悪くないんだけど。病める時も健やかな時も、晴れの日も、嵐の日も、となったら、やっぱり知的で抑制的でかつsensuelなものがいい。

 どんなに派手でカラフルで官能的でも、根本的に謙虚な部分があって、それがミステリアスになっているのが好みだ。

 ダヴィッド君は才能あふれるモンスターで、マジシャンで、「謙虚」などとは対極である。「謙虚がいい」というと言葉が悪くて、こっちが傲慢だと誤解されそうだが、才能を全開されると、アグレッシヴでエレガントでない、とつい思ってしまうのだ。

 さて、以上が、聴覚情報に関しての感想だが、実は、最初は視覚情報のノイズに愕然とした。

 それは、なんと、ダヴィッド君は、暗譜でなく、全曲を譜面を見て演奏するのである。 

 演奏家にとって、暗譜の問題というのは、すごく強迫的問題である。
 まあ、たまに暗譜の天才みたいな人はいるのだが、普通の人にはすごくハードルが高い。

 それがどんな感じか分からない人もたとえばこんなページを読んでくれれば分かるかもしれない。

 http://www.arurumusicschool.com/anpu.html 

 http://www.happypianist.net/music/if-zatugaku.htm


 まあ、他にもいろいろあるだろうけど。

 ピアノの独奏者なんてまず暗譜演奏が基本だし、試験は暗譜が条件になることがほとんどだ。和声進行とか分かっていれば、まあ記憶に穴が開いても、それなりの即興も可能なのだが、聴衆が総評論家みたいなクラシックのコンサートなんかで有名曲を弾いてる時にミスタッチや記憶の欠落は致命的である。

 確か名ピアニストのリヒテルが晩年に、バッハかなんかを楽譜を広げて、あまつさえ、老眼鏡かなんかかけて演奏していたヴィデオを見たことがあるが、なにか痛々しくもあり失望感を誘った。要するに、信頼が薄れるのだ。
 オーケストラの総譜を前にして指揮する指揮者ですら、総譜は要らない、すべて頭に入っているから、という指揮者は尊敬されてしまう。

 私のトリオはすべて楽譜を見て弾く。
 室内楽ではまあ普通のことだ。
 特に最初に弾く時は、パート譜だけでなく他の二人の譜も同時に見ることは非常に意味がある。まあ、他のパートの譜を見ても、聴いてないこともあるので、聴けるかどうかというのはまた別の話なのだが。

 もちろん、弾き込んだ後は、すべて頭に入っているので、目はぼーっと楽譜を追うだけだ。暗譜であっても、ピアノと違って客と向かい合っているので、客をじっと見てるわけにも行かないから、指や楽器をぼーっと見ることになる。
 譜を追っていても、もちろん、行き当たりばったりこなしているわけではなく、最初から、全体の形とか印象ははっきり分かっている。どこから来てどこへどのように行くのかは把握しているのだ。

 しかし、暗譜でない限り、いろいろな問題も出てくる。

 楽譜というマテリアルの扱いだ。

 めくったりする度に時間のロスが出たりするので組曲のつなぎがスムーズでなかったり、ページがばらばらだと、終わった部分をぱたりと譜面台から落としたりする。リピートする部分が楽譜のどの部分に来るかによって微妙にストレスがかかることもある。張り合わせた紙やテープが劣化することもある。テープに照明が反射することがある。透明ファイルにはさめばファイル自体が反射して見にくい場所ができたりする。

 それに、いくら、全体を把握しているといっても、楽譜を追うというアクションをしている限り、楽譜の譜面を旅するという側面はあるもので、いつも使っているものでないと、つい、平常心が失われる。早い話が、あるページについたシミまでが、条件反射に組み込まれたりするのである。特別な場面の指使いを自分で書き込んでない楽譜を使えば、楽譜なしでは自動的に出てくるはずの指使いが滞ることもある。単純アクシデントもある。楽譜の順番が間違っていた、2枚重ねてめくってしまった、譜面台から落ちた、楽譜がなぜかさかさまに乗っていた。

 長年アンサンブルをやっていると実にいろいろあって、数え上げるときりがない。私のように目が悪いと、視力の問題からコンタクトレンズの乾きや曇りまでもストレスになる。

 そういういろんな体験がある。

 そんな時に、ダヴィッド君だ。

 市の結婚式ホールでは、ピアノと客席は同じ平面である。私の席は、彼のすぐ後ろで、ピアノから5メートルほどの距離。普通のホールなら、ピアノやピアニストの右側面を見ることになるが、真後ろだ。

 つまり、ダヴィッド君の1メートルの帯のように連なった楽譜がもろに見える。
 スカルラッティの1曲終わるごとに彼がそれを足元に落とすのも見える。その楽譜にはつや消しでないテープが貼られてあるので、照明で光っている。

 それを見るのがすごくストレスになる。

 モーツアルトは暗譜かと思ったら、同じ長い楽譜の帯。
 30代の若さでモーツアルトのソナタを暗譜で弾かないコンセルティストなんているのか。

 まあ、その頃には、彼の実力というか、独特の力が明らかになっているので、楽譜があるかどうかなんてことで判断されないだけの内容があることをみなが了解しているのだが、それでも、楽章ごとに床に落とされる楽譜の擦れる音とかが気になる。しかも、テープで貼られた各ページが平らでなくて、妙に波打っている。その辺も気になる。

 彼の右手も独特だ。手首がV 字に折れている。このポジションですごい勢いで音階とか弾けるのは驚異的だ。痩せぎすの体の背骨が捩れるのが見て取れて、右肩も下がっている。こんな姿勢を続けていたらいつか体を壊すんじゃないか。手首を折ると手と指にばかり力が入ってスムーズには弾けないので、私は生徒にいつも注意している。
 もちろんどんな楽器でも、どう見ても不自然な姿勢で弾く名演奏家がいるものだから、「結果さえよければ鼻で弾いてもOK」と言われるくらいで、「見た目はどうでもいい」のは事実なんだけど。できれば見たくない。

 幕間にそれを言ったら、H は「親近感を持てていい」と言った。そういう見方もあるのか。
 後のカクテルパーティで、ダヴィッド君にそのことを聞いてみた。

 楽譜を置くかどうかは演奏会の度に直前に決定するのだそうだ。そのときの会場の感じ、聴衆の感じ、曲によって、決めるそうだ。アンコールのサティを選んだのは開演5分前で、そのサティを弾く時も、ちゃんと楽譜を持って現れた。

 楽譜を近くで見ると、私たちの楽譜と同じく指使いやニュアンスやフレージングが書き込まれている。
 コンチェルトを弾く時や指揮もする時は絶対に楽譜なしだそうだ。

 カクテルの時には、ダヴィッド君のご両親や弟とも話した。弟はパリの10区のコンセルヴァトワールに通っている。まだ中学生らしい弟は、英語を話したいというので、H の友人であるイギリス人のローレンスと英語で話していた。Hも10区の音楽院で作曲のクラスを卒業しているので話がはずむ。
 弟くんは、特別にキールを飲んでもいいとお母さんから許可をもらって喜んでいた。
 ダヴィッド君は数ヶ国語がぺらぺらである。
 で、イスラエルうまれのイスラエル人。
 イスラエルの選挙の結果が出たところだったのでお父さんがすぐその話題を振る。ツィプ・リブニはアンジェラ・メルケルよりは醜くない、などと、私の聞きたくないような話をして笑っている。
 もちろん、サティの演奏でハーモニクスを使ったこととか、モーツアルトの解釈とか、音楽の細かい話もできた。とても感じがよくてナチュラルな青年でもある。
 しかし、両親の姿や政治的信条とか、個人情報が供給されすぎる。

 私のトリオのもう一人のMはユダヤ人である。近頃のパレスティナの話は何となく避けていたのだが、Mはダヴィッド君のお父さんとしきりに選挙の話をしていた。
 パーティでは、その他にローレンスの友人の年配のオランダ人女性にずっと付きまとわれた。アイスランド人と結婚している。近頃のアイスランドの経済破綻のことばかり話す人もいる。私はアイスランドのマグマ利用のエネルギーの話と妖精の話をする。彼女はベルギー人をからかうジョークを延々とする。ダヴィッド君の演奏にはすごくアグレッシヴな部分があった、と何度も言った。

 こういうこと全部が、この日のリサイタルの全体と絡み合って、音楽体験にバイアスがかかる。
 この日聴いた音楽を演奏した人物がどういう人で、どういう両親と暮らし、何を考えているか、などということが、どういう意味を持つのだろうか。

 彼の右手首や、背骨や、波打つ楽譜や光るテープが私の中に引き起こした複雑な思いは・・・

 それらが本質的でないとしても、私の脳内で再構成された音楽の一部をなして、私の中のリゲッティ・ファイルだのモーツアルト・ファイルも少し変容するかもしれない。

 不思議な一夜だった。
by mariastella | 2009-02-12 07:36 | 音楽
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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