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L'art de croire             竹下節子ブログ

楽器演奏と摩擦と身体感覚

 千葉工業大の平塚健一さんが『トライボロジスト』(第52巻10号)に発表なさった『ギター演奏のためのトライボロジー』という論文を読ませてもらった。
 平塚さんは摩擦触媒とか磨耗機構の専門家で、ギタリストでもあり、楽器演奏と摩擦感覚や身体技法について関心が深い方だ。前にパリにいらっしゃった時に私のトリオのメンバーとギター奏法について話し合ったこともある。もちろん楽器を使って。
 
 私はピアノとギターを弾くが、そこでは自分の指先が楽器の一部である。楽器演奏の可能性というものは、楽器の性能によって左右されるので、演奏者はいつも自分にとって、あるいは、これこれの曲にとって最高の楽器との出会いを夢見るものであるが、自分の指自体の与件は変わらない。この点はいっそ潔い。
 もちろん、音楽性や反射神経はほとんどすべて、指ではなく脳を鍛えるしかないのだが、実体としての筋肉を鍛える、柔軟性を獲得するとかいうのは、身体的であり、「自分の持っているもの」と折り合ってやっていくしかない。手指の長さやそり方や指先の丸さや爪の角度や硬度は、どうしようもない。つけ爪を利用する人も中にはいるし、爪の形の整え方や磨き方というのは、みなが工夫する。それも、自分の指といっても、爪のつき方の角度や、指先の形は、各指によって違うのだから、話は細かくなる。(リストやパガニーニのようにおそらくマルファン症候群であったが故に、超絶技巧を得た人もいる。)
 その上、指の温度や湿度というのもあって、これは体調や室温によっても変わるから、本当に微調整が必要で、実際は、どんなに冷たく湿っている状態でもある一定以上の演奏を保証できるようにテクニックと経験をつむしかない。

 私がヴィオラを弾くようになって15年近く経つが、40の手習いだったせいか、今でも、弓が完全に自分の腕や手指の延長のように感じられるということは残念ながら、ない。しかし、摩擦の喜び、摩擦感覚というのはたっぷり味わえた。
 ヴィオラにおけるこの自明な摩擦感覚がなければ、平塚さんのいうようなギターにおける摩擦感覚のイメージがつかめたかどうかは分からないくらいだ。

 私は、いつも音楽を聴いていないと落ち着かないというような音楽マニアであったことは一度もない。演奏者で音楽マニアの人ももちろん多いが、音楽マニアで、音楽性においても造詣においても、私なんかは足元に及ばないような人だけれど自分では何の楽器も弾かないという人もいる。演奏と鑑賞の二つは独立してるらしい。

 私は小さい時から、音楽とはバレエのレッスンの時に聴くかピアノのレッスンの時に聴くか、とセットになっていたので、身体感覚と切り離せなく、じっとして耳だけすませるというのはむしろ苦手である。もっと小さい頃でも、何だか、母の背におんぶされて揺すられて聞いた子守唄というイメージで、身体感が強い。

 バロックバレーをはじめてからは、演奏と体の動きの関係を意識して追及しているので、ピアノの演奏にも指を鍵盤に落とすまでの空間の軌跡とその離し方の緩急を舞踊的に表現するようになった。
 特に、はじめてピアノを習う大人の生徒で体が硬直、緊張しているような場合は、その場で足踏みさせて、だれでも歩行の時にはできている自然な体重の移動と地面の重力による反作用の感覚を再発見してもらうことにしている。これまでに、合気道もやっているという大人の生徒が二人いて、私の言うことは、合気道の先生の言うことと全く同じだ、と、二人共に言われた。

 平塚論文でも武道家の甲野善紀さんの井桁崩しの原理などが言及されている。
 楽器演奏は、一見不動で「小手先」の技術に見えるのだが、実際は、武道や舞踊と親戚で、全身の身体感覚の把握と調整なしにはあり得ないということだ。

 で、平塚さんは、それでも、身体各部の連携を徹底的に分析して摩擦感覚を「意識化」して自在に操っても、その上で、その意識をすべて忘れるような境地に至らないと高貴な音とは出会えないと、とってもスピリチュアルな結論に至る。

 演奏における「意識化」とは、「気付き」であるが、「気づいたとは、気づかなかったものを無視して、かつ時間を止めた結果得られたものだ(平塚論文)」からだ。
 認識とは過去の総体であり、演奏とはたえず変化する今を生きることであるから、摩擦感覚も含めた認識の主体である自我を捨てなくてはならない。そうすれば心と音楽が直接呼応して高貴な音が聴こえてくるだろう、と言う。

 時間論や認識論の範疇に行く。哲学的な話だ。

 最後の、「心と音楽が直接呼応して」と言うところでは、「身体」はどこへいったのだろう、と少し心配だが。
 というのは、身体とは感覚の認識にだけ還元できるものではないと思うし、まさに心と音楽が呼応する「場所」でもあるからだ。

 彼の目指す「高貴な音」を、身体イメージとして記憶し、積み重ね、醸成させるということも実感としてあると思う。つまり、演奏中に絶えず変わる一瞬一瞬と言っても、演奏とは、身体の技法のストックの中から紡ぎだされるものであるだけでなく、新たな身体記憶を確実に刻むものであるからだ。

 ま、言うは易し、行なうは難し、というのは常なんだけれど。
by mariastella | 2009-02-17 23:08 | 音楽
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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