エリカが1300ページにわたるかなり大部の翻訳と註を送信してくれた。
こういう時、コンピューターの有難さが身にしみる。
Kは、「
すべて」であるもののほかに、「すべてのもの」について考察してくれているので、キーワードを打ち込めば、必要なところを簡単に探せる。
エリカに勧められたKの手紙212番を呼んだら、まるでパウロの神学と重なる部分があるので驚いた。
パウロが「キリストの中で、キリストにおいて」、と言うところを、Kは、" en Proto-Vouloir"=「元-意志」において、と言い、パウロにおける「希望=期待」は、K の言う"processus de Panréalisation"=汎成就へのプロセスに他ならない。
l'humilité de la petite volonté face au Vouloir primordial 「元-意志」を前にした小さな意志(個人の意識をベースにした意志)のへりくだり、という表現などは、「人間の自由意志と神のみ旨との関係」にも通ずる。
女性性と男性性に関する超越志向の力動については、まるで16世紀のGuillaume Postelギヨーム・ポステルの神学のヴァリエーションみたいだ。ポステルは、キリスト教カバリストでユニヴァーサリストである。
ソリプシストとは、自由が成就した状態であり、そこでは2元論はもうない。
「状態」と言っても、静的なものでなく、「元-意思」を常に意識に反映させたアクティヴな状態である。
Kの言っていることはすべて非常にオリジナリティがあるのだが、そのオリジナリティは、ユニヴァーサリスムをソリプシスムでとらえたところから来ている。
考えれば、神の受肉と人の体の復活を中心に据えたキリスト教は、それによって人間の神化を内包しているのだから、ソリプシスムの母胎となってもおかしくない。