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L'art de croire             竹下節子ブログ

体への視線

 私が大学生の頃、木村尚三郎さんが、「西洋人の握手」について、「皆さん、知ってますか? 私たちは、西洋人は簡単に手を握り合ったりして、体に触れ合うのが習慣だと思っていますが、彼らは本当は、体に触られるのが日本人よりもずーっと、嫌いなんですよ。不信の固まりで、武器を持っていないことを示すために手を差し出し合うわけですが、本当はすごくそれを嫌悪していて、必死に耐えながらやっているんです」と学生に話した。
 
 その頃はなんだか、すごい裏話を教えてもらったような気がしたものだが、自分がフランスに住むようになってから、彼はお話は面白いが、思いこみは激しいなあ、と思ったのも覚えている。

 「黒人、白人、黄色人種という呼称も、黒と白は本当の色の区別ですが、黄色と言うのは心理的な色なんですよ。白人による警戒を意味しているんです。その証拠に、日本人の肌は白人と同じ色ですよ、(自分の腕を見せながら) ほら、黄色くなくて白いでしょ」

 というようなことも話された。同様のことを後年、総合雑誌のエッセイに書いておられるのを読んだこともある。

 これについては、その話を聞いたその瞬間から、ちょっと違うなあ、と思った。確かなのは、木村さんの肌が確かに非常に白くてきれいで、いわゆる色白の人だったということだ。

 確かにいわゆる「黄疸」などの症状では、どの国でも「黄色」という言葉を使うし、実際、肌が黄色くなる。(黒人が黄疸になったらどのように見えるのだろう?)

 白人でも色素の薄い人は、透けるような肌、というわけで、血の色でピンク色に見えるし、いわゆる赤ら顔の人もいる。アジア人の中には、やはりどうみても黄色っぽい肌の人もいる。実際に遺伝的にメラニン色素の量が違うのだろうからヴァリエーションがあるのは当然だ。

 フランスでは、アラブ人などは有色人種とか肌の色がmat(=艶がない)などと言われるが、日本人にとっての西洋人は、肌の色だけではなく、立体的な顔立ちもセットになっているので、彫りの深いアラブ人などはラテン系西洋人と変わらないと感じる人も多い。特に男性では、「白人」も、肌は白いより日焼けしている方が価値があると思われるから、外見「だけ」では区別がつきにくい。

 入場券を買うために列を作るというような状況の時に、人と人の距離が、「西洋」の方が「日本」のそれよりも広い、ということも日本ではよく聞いた。では「彼ら」は、やはり本質的に体の接触を嫌うのだろうか?

 これも、「西洋人」にもいろいろあって、フランス人は一般に列における他人との距離が狭く、アングロサクソンでは広い、ということはフランスでも言われることがある。

 握手にしても、アングロサクソンの 「Shake hands」 とフランス人の「 serrer la main」は本来全く違う。

 フランス人は毎朝ボンジュールといいながら同僚と機械的に握手するが、短く、早く、握力が強目が基本で、体には触れない。挨拶とセットになっているので別れる時にもする。イギリス人は初対面の時などは握手するが、毎日会う同僚などとは省略される。シェイクハンズは、接触時間が長く、文字通り振ったりする。もう一方の手で肩をたたきあうということもある。

 フランス人がこういうことをする時は、「いやー、おめでとう」のように祝福したりするシーンで、エモーショナルだ。フランス人のただのビジネスの相手に紹介された日本人がアメリカ風の握手をしようとすると、すばやく手を離そうとするフランス人が、手をつかまれて離してもらえないので非常に焦るということもある。

 イギリス人でフランスでビジネスをする人たちは「フランス風」がどんなものか知っている。

 アメリカ人はもともと動作が大仰だと思われている。しかし日本人は、慎み深くて、体を触らず「お辞儀する」という先入観があるくらいだから、アメリカ風に手を握ってくる日本人との出会いはフランス人にとってトラウマになることが一昔前まではあった。

 まあ、今はグローバリゼーションの世代でアメリカ化しているので、ショックも減ったようだが。

 それでも、先日のロンドンでのG 20 における各国首脳の体の「触り方」は、いろいろ興味深かった。

 メルケルは変貌したと言われた。
 
 過去に、シラク大統領に手に接吻された時のメルケル女史は硬ばっていた。
 はじめてサルコジがメルケルを抱くようにして両頬にキスした時もショックを隠せなかった。
 後から外交筋を通じて、適正距離をとれとクレームがついたそうだ。

 そのメルケルは、いまや、自分から手を広げてキスにまわっている。
 サルコジの馴れ馴れしさは伝染するとも言われるゆえんだ。

 今回のG20 では、首脳たちの体のふれあいが多かった。
  
 解説者によると、「肩に手を回す」のは、保護のシンボルだそうで、それはそのまま、支配のシンボルになる。強者が弱者を保護するからだ。

 私の見た写真ではベルルスコーニが両腕をオバマとメドヴェージェフの肩にまわして撮影というのもあったし、麻生さんがブラジルのルーラの両肩に触れているのもあった。
 アメリカとヨーロッパの主導権の争い合いという面もあるから、就任したばかりの若いオバマに、「プロテクト」風のジェスチャーをしようとする人が多かったようだ。
 また、伝統的には、男同士は家族以外は頬にキスしあわないのだが、抱擁しキスしあう首脳同士も多く、これも「兄弟」という親しさのパフォーマンスだった。

 実際、オバマ夫妻も相手によく「触る」。

 長身のミシェル夫人が、小柄なエリザベス女王の肩に手を回した写真は、結果的に好意的に受け取られたものの、微妙なところだった。

 オバマの最初のフランス入りということでも注目されたストラスブールのNATO会議では、レポーター(カトリーヌ・ネ)によると、

 オバマがサルコジにキスし、
 サルコジはミシェルにキスし、
 ミシェルはカルラ(サルコジ夫人)にキスしたが、
 オバマはカルラにキスしなかったそうだ。

 これをどう読み解くか、難しいところだ。

 とにかくこういう場での親しさの表現は、もちろん非常に政治的なものであるから、単なるそのときの気分などではない。

 体ではないが、ファーストレディのファッション比べなどという言説も相変わらず繰り広げられる。
 ブラウン首相のサラ夫人は古臭い、カルラは洗練されていてミシェルは個性的というように。
 メルケル首相は同列には比べられない。

 こういうコメントを通して、メディアが言いたくても言えないこととか、本音が透けて見える場面もあって、複雑である。

 同じ「体」つながりで、しつこいようだが、パリでやっている例の「人体の不思議」展は3月20日に、 「人間の遺体は尊重と尊厳と礼儀を持って扱われなければならない」というフランスの法律に違反するということで、死刑反対のNPOなどが中止を申し立てた。
 インタネットの宣伝サイトでは「アーティスティックで教育的なもの」とあり、反対派は、「センセーショナルであり、科学的ではない」と攻撃している。このへんも微妙に歯に衣着せた論点のずれがある。

 主催者側の弁護士は、展示は科学的側面が重要で、目的は人体を désacraliser (=非神聖化)することである、これによって、フランスにおける臓器ドナーが増えるのに寄与できるかもしれない、などと言っている。

 こういう風に言ってしまえるのは、フランス社会が長い間、カトリック教会の影響によって体を管理されてきたことから「解放」されたという「ポジティヴな戦い」についてのコンセンサスがあるからだろう。

 表現の自由は守られなくてはならないし、冒涜罪、冒聖罪は、あってはならない。ということで、「人体」をめぐる「モノ化」への抵抗を、人体の「神聖」化=過去の遺産という図式を使って排除しようという論理だろう。

 判決は4月9日に出るそうだ。

 この展示は、15ユーロとフランスにしては高く、結構人を集めてビジネス的には上手くいってるようだ。

 人体が開かれたり切り刻まれたり、処理されているのを見てみたいとか際物を見てみたいという気持ちは、普通の人の普通の死が家庭などから消えてしまって、若さと健康至上主義である今の世の中においては、ちょっと不思議な衝動でもある。

 他者の「遺体」を「眺める」という行為には、それなりの意味づけが必要だ。
 その意味付けのないところで、ただ、金を払えば好奇心を満たせるというだけでは、居心地の悪さが残るかもしれない。

 カトリックなどでの聖人の遺体信仰では、「神聖化」が隠す方へ向わずに、「神聖化=神聖なモノ化」になっている。それは類推呪術から受け継がれてきた「病の治癒」などという「意味」の流れの中で呈示されている。

 死を生に統合するやり方や、遺体をどう処理するかは、あまりにも人間的で、同時に文化的な指標なので、観察の興味は尽きない。
by mariastella | 2009-04-05 00:23 | 雑感
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