名古屋モノその2
教科書に載ってるような有名美術作品で、本物を見ると以外に小さいので驚くという代表にダヴィンチのモナリザがあると言われるが、ゴーギャンの『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』もその一つだろう。
私は昔はゴーギャンに何も感ずるところがなかった。なんか平板なタヒチの光景、という認識と、ゴッホから切った耳を贈られた男というスキャンダラスなイメージはあったが。
ゴーギャンが好きになったのは、1891年の『IA ORANA MARIA』という聖母子の絵を見てからだ。
マドンナは、緋い色のパレオを腰につけ、左手に天使がひざまずき、女たちが拝みにやってくる。
ところが、その聖母の方に乗る幼子は、青黒く、首の据わらない重度障害児であるという解説を読んだ。
首が真横に倒れ視線の定まらないそんな子供を抱えたマリアの表情は実に生き生きとして、自然だ。
肩の上のイエスはかわいらしい子供ではなく、すでに30年後に十字架上で残酷な殺され方をしてがくっと頭を垂れる姿の先取りだとも言える。しかし、マリアは、そんな変わり果てた我が子の姿を見て嘆くピエタ像の嘆きのマリアではない。実に平然としている。
悟りというのはいかなる場合でも平気で死ぬことなのではなくて、いかなる場合にも平気で生きていることであると、正岡子規が言っていたが、この聖母子像はまさにそういうことを気づかせてくれる。
色も明るく暖かく、見ているだけで幸せだ。配色の天才、構図の天才である。
で、それ以来、私はゴーギャンの畢生の大作と言われる『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』(1897-98)を見れば、何か大発見があるに違いないと期待していたのだ。
この作品はボストン美術館にある。ところがちょうど、今回、名古屋ボストン美術館で公開されていた。
意外と小さい。
意外と暗い。
『IA ORANA MARIA』で見られるマリアのパレオの赤は、この作品では中央右よりの赤い実や左下でそれを食べる子供の持つ実、左端下の鳥のくちばしなどに散見されるだけ。
名古屋造形大の学生たちが黒白処理した記念作品では右下の赤ちゃんの腰布も赤かったが、その方がなんだか説得力がある。
この展覧会にも一つ聖母子画があって、『IA ORANA MARIA』と同じモチーフだ。
木彫レリーフ作品もあり、それを見ていると、ゴーギャンって、彩色の天才とはいえ、版画やレリーフや彫刻の方が合ってるんじゃないかと思えてくる。今でもインドネシアあたりで彫られるちょっと前衛的な仏像の顔などと明らかに親和性があるし。
屏風絵などとも似ている。背景の処理、左右端上のメタリックな黄色の使い方、左の水面、時系列と空間が波のように干渉しあう画面。
ゴーギャンってデンマーク女性と結婚していた。子供もいる。
波乱にとんだ彼の人生を考えると、感慨深い。
期待していたような衝撃の出会いはなかったが、なんだかしみじみとさせられてしまった。