今年も、フランス最大の通過儀礼、哲学のバカロレア試験が、先週いっせいに行われた。
テーマをひとつ選んで4時間の筆記。
今年のテーマは『言語は思想を裏切るか?』『不可能を欲望するのは不条理か?』(理科系)
『交換することで獲得するものは何か?』(経済系)などで、大体、予測できるテーマばかりで、1年間勉強してきたから楽だったと思う、というリセの哲学教師のコメントもあった。
ここで言いたいのは、フランスの高校生がこういうテーマを準備したり、4時間もそれについて考えて何か書こうとすることに比べて、日本の高校生は・・・なんていうことではない。そういうことは考えないようにしている。
言いたかったのは、ヨーロッパ連合27カ国中、哲学が中等教育の必修になっているのは、10カ国もあるということで(フランスの他、ルクセンブルク、オーストリア、ポルトガル、スペイン、スロヴァキア、ルーマニア、イタリア、ブルガリア、ギリシャ)、政教分離や宗教地図と歴史とを考えるとなかなか味のある分布である。
必修と言っても、フランスのように国家資格としての通過儀礼になっているところは他にないようで、哲学史、テキストの論評、概念の解説、などに留まるところも多い。
他の国は課目自体が選択制=オプションが多い。
全くないところ(市民教育、宗教教育の中に組み込まれていたりする)が4カ国ある。
それは、イギリス、アイルランド、ベルギー、ポーランドである。
この顔ぶれも、興味深い。
ヨーロッパの歴史は、キリスト教やローマ・カトリックと深くかかわり、ヨーロッパ近代の歴史は、神学と葛藤し、神学を非宗教化した近代哲学と深く関わっている。
キリスト教が発展した土壌となったギリシャ・ローマ世界の哲学も低層にある。
哲学教育をどう扱うかということは、ヨーロッパの理念やアイデンティティにおいてかなり重大なことであり、なかなかイデオロギー的なことでもあるのだ。