数日前、フランソワ・ド・サルの生前肖像画において
目が左右大きさが違っていることについて書いた。
普通、人は、シンメトリーがきれいな左右対称の顔を「美しい」と感じるものだと思っていたので、美丈夫という噂の高いサレジオの目の非対称ぶりが不思議だったのだ。でも、考えてみると、イエスに最も似ているとも言われたサレジオなのだが、キリストのイコンの中でも、左右の目というか、その表情が違っているものがある。それとも、基本がそうなのだろうか。片方は優しく、慈悲=愛を、片方は厳しく、真理=正義を表現し、この世にはびこる慈悲なき正義や真理なき愛がどちらも不十分であることを示している。
その左右の違いは決まっているのだろうか。
フランソワ・ド・サルの肖像画における非対称はむしろ、斜視のせいか、義眼のせいのようにも見えるのだが、キリストのイコンの表現とひょっとして関係があるのだろうか。
そういえば、サレジオ会の金子神父が2003年に出された『風いつも吹く日々』(ドン・ボスコ社)の表紙絵や挿画をされた池田宗弘さんも、イエスの左右の表情を変えていた。神であり人であるとか、死んだが復活したとか、逆説に満ちたイエスには左右対称ののっぺりした顔は似合わないのかもしれない。
能面にも、左右の表情が違うものがある。橋懸かりから出てくるときに見せる右の横顔はまだこの世への恨みや執念で苦しんでおり、成仏して去っていく時には穏やかな左の顔を見せるというしかけである。
『左右の民俗学』という本を読んだことがあるが、左右非対称と文化の関係はさまざまである。
次に何か見つけたときに繋げるために一応ここに覚書しておく。