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L'art de croire             竹下節子ブログ

Kandinsky

 ポンピドーセンターにカンディンスキーの回顧展を観にいった。ミュンヘンの後がこのパリで、その次はNYに行くそうだ。カンディンスキーは革命後のソビエトを逃れてドイツに来て、ドイツ国籍をとったものの、今度はナチス政権のもとで剥奪されてフランス国籍をとってフランスで死んだ。ポンピドーセンターには豊富なコレクションがある。しかも、フランスでの最晩年の作品が、高齢と戦争に関わらず、活き活きと軽やかで明るいものが多いので、少し感動的である。

 私はクレーのバウハウスでの講義録は少し知っているのだが、カンディンスキーの理論派ぶりもなかなかのものである。いろいろな意味でラモーのことも連想して、ある意味、フランス・バロックの精神を持っているなあ、と思った。つまり、ある意味で近代以前であり、しかし、かなり科学的普遍的なものを志向していて、理論と芸術が一体化しているところだ。

 抽象絵画の祖だといわれているくらいだから、アヴァンギャルドで「近代的」だと思われるだろうが、なんだか本質的に貴族的で頭脳的で、それでいて、「宗教的」なのである。

 「西洋」の「近代」は宗教離れが旗印だったので、カンディンスキーの「宗教」色は、「東洋的」だと思われていた。たとえば20世紀初頭のパリなどは、アートの世界などかなり国際的だったわけだが、そして、日本人から見ると、ロシア人のカンディンスキーだろうがスペイン人のピカソだろうがスイス人のクレーだろうが、みんなヨーロッパ人、西洋人に見えてしまうが、一歩中に入ると、「ロシア人=オリエント」というレッテルがはりついていたらしい。それどころか、その頃流行ったアフリカのプリミティヴ・アートのマスクなんかさえ、「オリエント」と言われている。西欧以外はみなオリエントっぽいわけだ。

 カンディンスキーは、モスクワ生まれで、小さい頃から絵も上手かったが、経済学や法学の学位を持ち、ピアノやチェロを弾き、テニスや乗馬もよくした。30歳で、大学教授のポストがあったのを捨ててミュンヘンの画学校に入る。修道院に入るように、俗世間のキャリアを捨ててアートの世界に入ったと言われているのだが、貴族の出の修道者があまり下積みを経験せずに、自分で修道会を創立したり修道院の院長になったりしてしまうように、勉強した後でアカデミーに入れなかったら自分で美学校を創ってしまう。その後も、いろいろ挫折するたびに、親が金を送ってくれて旅行させてくれたり、落ち込むと、離婚していた父が菓子を、母がキャビアを送ってくれたと言うから、何だか基本的に幸せで恵まれた人だったのだ。女性にももてたみたいだし。アトリエでの写真もネクタイをしめてたりして、いつもなかなかダンディだ。金があったから、いつも美術協会やグループを作っては、展覧会も開けたし、理論書も世に出せた。
 24のアパルトマンのある建物を所有していたのを、第一次大戦と革命で48歳にして失い、はじめて金に困るのだが、まあ最後まで、それなりの生活ができた。彼がフェルナン・レジェを評して、「根が健全でそこからアートの力強さと構造とを引き出している」と言った言葉があるが、それはそのまま彼自身に当てはまる気がしないでもない。

 カンディンスキーの一連の作品には、

 Impressions というのと、Improvisations というのと、Compositions という三つのグループがあるのだが、 

 Impressions というのは、ある形、目に見えるものを見て、その直接の印象を描いたもの、
 Improvisations  は、無意識など、内面の事象が突然浮かんでくる印象を描いたもの、
 Compositions  は、外面や内面の事象の最初の印象を自分の中で熟成させ、合理的に、意識的に、意図的に再構成したものである。それは計算に基づいたものではあるが、感情は表出する。

 この再構成というところが、フランス・バロック的なのだが、20世紀のフランスはもうバロック時代ではない。
 19世紀末から問題になっていたのは、芸術のための芸術か、アール・デコのような実用性と関係あるアートかということであるが、カンディンスキー的に言うと、それらの「西洋的」なアートは基本的に無神論的アートであり、自分のオリエント的なものは、スピリチュアルであるという。つまり、魂の表現であり、神という言葉も平気で使う。そのへんも、フランス・バロックの科学主義における理神論などと通低している。

 「西洋」的なものは形と色重視の「メロディー」的なものであり、オリエントは内面重視の通奏低音とかポリフォニーの世界で内面重視だと言っている。

 音楽家は音楽で勝負とか、画家は絵がすべてだとか、クリエーターは作品でのみ自分を最もよく表現し、それについてあげつらうのは批評家や評論家だという場合もあるが、一流の画家や音楽家が膨大なと理論書を出したり、他の作品の批評や分析や、アートの歴史や、社会との関係などまでしっかり論じてくれるのは楽しい。文による表現力も大したもので、白いキャンパスを、生命の源の海のようなものと見なして、そこに色と形を描く時に、描かれて表出したものが自ら形を成そうとして内部から蠢くこととの緊張が生まれるというような言い方も非常におもしろい。これは、何もないのっぺりした空間に外からひとつの凝縮したエネルギーを投げ込むことによって、空間に緊張を生むという、それこそ東洋風の「余白の芸術」とは真逆の考え方である。

 このような理論家が、そのまま、色や形やアートの直感の天才でもあったことは喜ばしい。
 
 実際、具象時代の作品の色と形の美しさは息を呑むほどのものだし、スラブ風の作品もすばらしいものである。Improvisations なんかは、玉石混交だとも思うのだが、理論と経験と芯にある健全さと直感と天才が翼を得て自由の境地に飛んでいるような晩年の作品は、彼に影響を与えたと言われるワグナーだの、彼が抽象絵画を始めたのと同時期に無調性音楽を創始したことで彼と例えられるシェーンベルグだのの音楽よりも、ラモーの音楽をやはり連想させられる。

 個体発生は系統発生を繰り返すと言われるが、現代の「抽象画家」だの「前衛音楽家」だのも、そこに行き着くには、まずクラシカルな勉強や具象や調性の体験や試みを重ねてから「進化」していくのだろうか。鑑賞者はどうだろう。私には無調性音楽は身体性を裏切るように思えるので、抽象絵画とは同列にできない。いや、その性質上、もともと、絵画は、音楽が本来持っているような抽象性を希求して進化したので、メロディだとか、ポリフォニーとか通奏低音だとかいう言葉もよく使われる。クレーやカンディンスキーの絵画技法が極めて数学的や物理学的であることも、比率の学問である音楽に似ている。(彼らはそれに生物学的感性も加えているのだが。)クレーはヴァイオリニストでバッハやモーツアルトが好みだったし、特定の曲の動きを絵画に表現しようと積極的に試みたりしている。カンディンスキーにも楽器のモチーフや音楽モチーフは明らかにあるのだが、もう少し有機的な感じもする。クレーはバウハウスの学生に決して自分の作品の批評はさせなかったそうだが、カンディンスキーは、平気で自分の作品の分析をさせたそうだ。何となく、分る。近代美術の評論をやろうという人にとっては、カンディンスキーの一連の著作が必読書であるというのも、実によく分かる。
 
by mariastella | 2009-07-06 07:53 | アート
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