正律ギターについて
この秋に日本で予定していたトリオの公演を来年に向けて仕切りなおすことにした。
理由はいろいろあるが、ニコラ・エスコーと協力して広く知ってもらいたい正律ギターの調整が間に合わないこともそのひとつだ。「正律」ギターというのは今のところ使うことにした私の造語だ。 西洋音楽の音階を弾くための楽器の調律には大きく分けて二つある。 ピアノやギターなどの平均律と、ヴァイオリンなどの純正律だ。 「西洋音楽」といっても、音の高低や、その比率感は人間にとって普遍的で、たとえば、周波数が2倍になると、音の高さが2倍高いが同じ音に感じられるとか、他にも、周波数が整数比をなす長3度とか完全5度だとか、きれいに「ハモる」音がある。 それは普遍的なのに、それを調律するのはなかなか難しい。ピタゴラスの昔から、いろいろな工夫がなされてきた。あっちを立てればこっちが立たず、というふうに、とても単純で明快に感じられることなのに、複雑な手続きを経ても上手くいかない。説明すると長くなるので、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B をはじめとして、音階や音律などで検索してみてほしい。 平均律という調律つまり、オクターブを調整して、その間を12に分けるという調律法ができて以来、それまでの純正律のシェアは絶対的に少なくなった。平均律では、たとえば、長三度は純正律の長三度より音程が広くなる。こういうとかなり微妙な話だと思うだろうが、普通の人が、ドミソ、と口ずさむと、ドとミの間は自然に純正の長3度になって、ピアノのミよりも確実に低い。それくらい、純正律というのは、身体的なのだ。 邦楽には平均律がなかったから、明治時代にはじめてヴァイオリンソナタ(平均律ピアノが純正律ヴァイオリンの伴奏をする)を聞いた日本人は、「何、これ?」とその不協和音ぶりに驚いたという記録がある。もちろん、平均律を使い始めた頃の西洋だって、その不快さ、不正確さに耐えられなかった人は多い。 今ではそういうことを言わなくなったのは、まあ、何にでも慣れというものがあることと、人間の脳というものは上手くできていて、多少のずれは脳内微調整して聴いてしまうからである。 私は何十年もピアノとクラシックギターを弾いてきて、平均律に慣れていた。頭の中で音を作らなくとも、楽譜の通りに鍵盤を押したりフレットを押さえたりすると平均の音が出るという安易さにも慣れていた。 しかし、ギターは、ピアノのような完全な平均律には調律できない。 ギターの調律の仕方にはハーモニックスを使うこともあるし、どの弦を基準にするかでいろいろな方法がある。上からや下から順番に調律していくと、後で両端の開放弦がちゃんと2オクターブの差にならないので、あれこれ組み合わせるのが普通である。それでも、フレットを上のほうで押さえるとずれてくる。 調弦用の器械もあるのだが、それで一弦ずつ電気的に合わせても、平均律である限り、ずれてくる。ピアノなら一弦一音だが、ギターはフレットによって、同じ音を2,3本の別の弦で同時に弾くこともできるので、はっきり言って、完全に調律するのは不可能なのである。 まあ、それでも「慣れる」し、脳による微調整もあれば、ギターの胴の中での微調整もある。ギターの音は、弦をはじいた後で木製の胴の内部で反響し増幅されてから出てくるので、たとえばドレミの和音が微妙にずれても、うなりが生じる前に、胴の中で共振、共鳴して「それなり」の「馴れた」音が出てくるのである。 もうひとつは、弾く曲の調性や多く使う弦によって、開放弦の調律を完璧にしておくとか、その調の主要和音がきれいに響くように優先的に調弦しておくなどという手もある。 私たちのトリオは実際そうしているし、ドミソの和音なら3人で弾き分けることもできるので、ソロでは消すことのできない濁りを消すこともできる。 実際、純正律のチェンバロなどは、調性にあわせて調律しているから途中で転調する時は、濁る音程を回避しながら弾いたりするし、そもそも純正律時代には、作曲家がそれを熟知していてそれに見合った曲の作り方をしていた。 さて、ニコラ・エスコーというギタリストは、ずっと自分の耳で調弦していたが、ある時 調律器械を使ってその矛盾に気づき、解決法がないかと考え始めた。 純正律と平均律の「戦い」というのは、二者択一になりがちだ。 (ここでいうのはもちろん鍵盤楽器とフレット楽器に関してのことである。) 純正律なら転調があるところでは不正確になる。 平均律は全体に不正確だが転調が自由にできる。 というものである。 彼はこれ以外の可能性を探った。 それが正律フレタージュである。 物理学を学び、試行錯誤を繰り返して、オクターブの他に完全5度を4ヶ所で作る今の形にたどりついた。 注文によっては、正確な長三度を優先することもある。短三度はやらない。 短三度は、ヴァリエーションがあり、感じ方が微妙に違うからである。 どの人も普遍的に「ハモる」と体感するのは、オクターブと五度と長三度なのである。 だからこそ、脳神経的な音感障害というケースは別として、普通の人は、これらの音程を外さない。 これがなぜなのか、分らない。骨伝導の仕組みと関係があるのだろうか。 私は15年前にビオラを習いだして以来、生まれてはじめて純正律が身体的な快感と良好感を与えてくれるのを知った。 はじめは、たとえば、レのシャープとミのフラットが同じ場所でないことに面食らった。同じ音符でも、下降で出会う時と上昇で出会う時と、文脈によって押さえるツボが違うことも分らなかった。 慣れてくると、蛋白質のレセプターみたいな突起だか穴だかがあって、そこにぴったりの音がすっぽりと収まることを発見した。それは本当に、パズルのかけらの両端がぱしっと合う感じで、その音程の正しさが確認できるのである。脳内微調整では味わえない身体感覚だ。 去年、トリオの仲間がはじめてニコラのギターを持ってきた時、その揺らぐような相貌にも感動したが、ギターによって完全五度がきれいに弾けることにぞくぞくした。ハーモニーが腹におさまるあの感覚である。 一度その可能性を知ったからには、それをもう忘れることはできなかった。トリオの仲間は、リュートやテオルブやチェンバロやオルガン弾きでもあり、純正律の身体性をよく知っている。 私たちのトリオはルイ15世時代のフランス・バロックの舞踊管弦楽曲を専門に弾いている。 その時代には、身体を動かすことの気持ちよさが曲を誘導したと言えるほど、身体性と曲の構成が切り離せられない。 私たちが、ニコラのギターを使うという選択は自明だった。 しかし、いろいろな問題がある。 低音用の10弦ギターはアルゼンチンに注文した。バロックのピッチで弾くこともあるので、低音4弦の指定や弦の強度の選択もなかなか難しい。 もう一つは、高音と中音部のギターの選択である。 注文制作しても、フレットなしでニコラの手元に届くので、基本的に、弾いて試して選択することができない。 楽器は生き物であるから、相性もあるし、抱き心地、手とのなじみ方もある。弾いてみないで選ぶことは不可能なのである。しかも、安くとも何十万円もする楽器である。運任せにはできない。 私たちは、バロックギターによく使われていたエピセア材が表板になっているものを選ぶことにした。 事情があってくわしくは書けないが、一応満足できるギターと出会えた。 これが、このトリオ用の、アンサンブルのみを優先したはじめての「同時調達」である。 問題はもう一つある。 木の香も新しい生まれたてのギターは、一曲弾くごとに、それこそ、生まれたての赤ん坊のように、いろんなことを覚えていく。正確には木の細胞内の水の分子が振動によって微妙に移動するのだそうだが、少し経つと、本当に「私の子」という、抜き差しならない関係ができる。性格や特色も分ってきて、潜在力も見えてくる。 そんなギターを、ニコラに渡すことができるだろうか。 フレットを全部取り外し、その溝を埋め、新しい溝を掘り、新しいフレットを取り付けるのだ。 すでに完璧な有機体である「うちの子」に、無理やり外科手術を施すわけである。 性格が変わる可能性だってある。 その子自体には無用の手術だし、よく言っても、親の勝手で優生学的手術を受けさせるか、美容整形をするようなものだ。 剥がれたニスを塗りなおすとか反ってしまったアームの部分を削るとか、浮き上がったフレットを調整しなおすとかいうような、「治療」ではない。 「冒涜」である。 禁忌の観念が私たちを苛み、「この子を絶対人手に渡したくない」という気がする。 罪悪感すらある。 しかも、一度正律フレタージュをすれば、開放弦は別として、たとえば6弦をミからレに下げたりするのも曲によっては微妙である。ソリストとしていろいろな調性の曲を弾く時には、純正律の部分がある故に、むしろ、欠点の部分が強調されるかもしれない。全部が曖昧であれば、それはそれで気にならないのに。 まあ、そんなこんなで、私たちのよく使う調性や、各パートのバランスも鑑みて、ニコラとじっくり話し合った上で、私たちは、新楽器との出発に踏み切ることにしたのである。 この辺の経緯も含め、身体性と音との関係、それが精神性どう関わるのかも考えながら、『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)の続編を書く予定であり、どうせなら、日本のギタリストにも、「正律」の気持ちよさを伝えたいと思うので、それができた頃にあらためてコンサートの可能性を探ることにした。 もちろんバロック・バレーと組み合わせるつもりだ。 エレキギターやフラメンコギターでも、ニコラとは少し別の「曲がったフレット」というのを制作している人もいるのだが、たとえばあまりにも速いパッセージなどでは意味がなくなるし、バロック音楽でこそその真価が発揮できるはずである。 まあ、極端に言えば、たとえば2台の普通のギター(はっきり言って平均律というより、不正律)と1台の正律ギターとで弾けば、違いがはっきり分るが、3台の正律ギターでは、見た目の不思議な魅力は別として、聴いている人には違いが分らないと思う。人は物理学や生物学だけではなく心理学でも「聴く」からだ。 でも、だからこそ、弾いている側が、身体的良好感を持って踊り手とも共振しているということが、聴いたり観たりしてくれる側の受容の良好感を高めてくれると思う。 私たちのトリオは、正律クラシックギターを使った唯一の、最初のトリオであり、私たちのレパートリーは、これもほとんど世界で私たちだけである。(昔の演奏の一部が有料のダウンロードのサイトでいくつも挙げられているのには驚いたが・・もちろん著作権侵害である) 新しい試みの連続、それ自体が、フランス・バロックのエスプリである。 ほんとうに楽しみだ。 参考 http://www.guitaretemperee.com/
by mariastella
| 2009-07-07 02:32
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