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L'art de croire             竹下節子ブログ

バロック・バレーに二つの流派はあるのか?

 1月の末のコンサートの後、うちの近くの音楽院で、バロック・ダンサー二人と、「バレー付きコンサート」の検討をした。うちひとりは、6月4日にフランスで、10月29日に岡山で、11月3日に東京でごいっしょする湯浅宣子さんだ。もう一人はクリスティーヌ・ベイル(Christine Bayle)のクラスで時々私といっしょに踊っているフランス人ダンサーで、日本にもプリセツカヤやオペラ座バレー団とともに来たことのある男性ダンサーである。『王は踊る』(ジェラール・コルビオ)という映画にも出ていた。

 この二人の踊り方はかなり違う。湯浅さんはボストンでフランス流のダンサーを見たことがあるので驚かなかったがそれがなければとても驚いただろうと言っていた。概して、イギリス流の人は、フランス流が違うことを意識しているが、フランス流の人はイギリス流を意識してないという話だった。

 湯浅さんの話を聞いて驚いたのは、イギリスでのバロック・バレーのクラスの様子が限りなくクラシック・バレーのレッスン風景に似ているということだ。
 つまり、手脚や胴体の細かい形までたえず、一定の形にはめられ、矯正され、それが「正しく」達成されないと「だめ」ということだ。とにかく、できるまで繰り返し指摘される。

 クラシックではその通りで、基本的には、小さい時から何度も何度も言われるので、何年かやった人は、足やひざはほっといてもちゃんと外側に開くし、ひざを伸ばした時は、必ず、その人のマキシマムに伸びる。「良い加減」というのがなく、よりまっすぐにとか、より高くとか、より柔らかくとかいう、明らかな基準がある。私のように何十年ぶりでクラシックバレーを再開した者でも、筋肉とかを今の自分なりにぎりぎりまで使う反射が残っている。それでもバロックバレーの癖で、つま先立ちが低かったり、腕の伸びが少なかったり、足のポジションが甘かったり、跳ぶ高さが低かったり、ステップの移動距離が短かったりするので、頭と体の切り替えがけっこう大変だ。

 私は1996年にパリでバロック・バレーを始めてから、複数の教師について初級から上級クラスまでひととおりやったが、一度も、「形のための形」をしつこく注意されたことはなかった。筋肉は決してマキシマムにはならない、マキシマムに感じなくてはいけないのは、重力と、固まりとしての身体との関係を通した身体感覚の良好感であると言われた。だからこそ、私はバロックバレーと太極拳が似ていると思い、年配の人でも踊れる楽しみとして最高の可能性があると思ってきたのだ。逆に、それぞれのダンサーのその「良好感」は、形を忠実にまねても必ず得られるものではなく、何年やっても、明らかに、「形だけ」という人もいる。そうなると、昔、「テクニックが不足してるとか指の短いピアニストとかがチェンバロに転向する」という現象があって、クラシックより難易度が低いバロック曲を、平板に弾く、ということが起こったのと同じように、バロックバレーはひじもひざも曲がり、華やかなジャンプ力も回転力もない、素人にもできる何となく気取った踊り、という誤解さえ出てくる。
 その意味ではイギリス風の厳密さは、「素人には真似できない」というプロの差異化というか付加価値をもたらすが、それでは、フランスでバロック・バレーをやっている楽器演奏者や歌手なんか、半分以上はギブアップしていなくなるだろう。

 早い話、たとえば、横のステップで、体重を片脚にかけた時、フランス風では、体を足の方に傾ける。落下をおそれないできれいにおさまるこの揺れる感覚というのは、体得すると、すごく気持ちいい。ステップによっては体がこうして左右に触れるので、その落とし込みやずれ方がとてもいい感じなのだ。

 湯浅さんによると、イギリス風ではクラッシックと同じで、上体は必ずまっすぐに保たれる。フランス風のダンサーが踊りながらふりこのように揺れると見ている人から笑いが起きることさえあるそうだ。
 日本のバロックバレーはもちろんこのイギリス風が主流で、というか、それ以外は「ペケ」のようである。日本人は英語の方がアクセスが楽だからおのずと、イギリス風のレッスンで修行することになるのだろう。

 しかし、一体この差は・・・

 当時、スペインやフランスの宮廷では大体同じダンスのメソードが流通していた。その最大の権威がフイエの振り付け譜と、ピエール・ラモーによる解説書である。
 バロックバレーというのは200年くらい完全に途絶えていたから、師から弟子へと伝わったものはない。
 1970年代くらいから、Francine Lancelot 女史が本格的に研究を始めて、1980年に今や伝説的なRis et Danceries 団を立ち上げた。クリスティーヌ・ベイルはその時の創立メンバーである。当時フランシーヌは48歳、クリスティーヌは32歳だった。Marie-Geneviève Massé もその頃の同期だ。彼女らがバイブルのように読み込んだのが、ピエール・ラモーの解説書である。

 そして、ピエール・ラモーは、「体の傾きを忘れるな」とはっきり書いている。現在のバロック・バレーがこの書に基づいている限り、体の傾きや自然な落ち方や体重の受容は、正統的だといえる。

 では、なぜ、こうなったのか。

 すでに、ラモーの本は、18世紀に英訳されたが、たとえば腕の動きなどが訳されていない部分がある。完訳ではない。今でも、「当時の図像」に拠っていろいろ分析しているようだが、所詮静止画であるから、動きと身体感覚という文脈にない。

 フランシーヌもそうだったが、クリスティーヌも非常なインテリだ。研究者である。そのクリスティーヌですら、何十年もやるうちに、コントルタンの腕の下ろし方などに思い込みや思い違いが出てきたことを認めるし、一方でフランシーヌも気づかなかったことをあらたに発見したりしている。フランシーヌは2003年に亡くなった。私は共通の友人のオリヴィエ・ルー(『からくリ人形の夢』岩波書店・参照)を通して会ったことがあるがいっしょに踊ったことはないし、彼女が踊るのを見たこともない。第一私がバロック・バレーを始めたのは、Ris et Danceriesが解散した翌年のことである。(1992年からRis et Danceriesに参加していたエレーヌが偶然私のピアノの生徒の母親で、ミオンの曲に振付けてもらったことがある。)

 私が最初にバロック・バレーを習ったセシリアも、当時博士論文執筆中のインテリだった。バロック・バレーの狙うところをすごくよく教えてくれた。クリスティーヌはもっと徹底していて、フランシーヌの亡き後、ピエール・ラモーを暗記するほど読んでいるのは彼女じゃないだろうか。踊り方について、国別、時代別の変遷も研究している。

 そのクリスティーヌに、イギリス流のことをどう思うかと聞いた。

 「イギリス人ダンサーは傘を呑みこんでいる」というジョークが返ってきた。
 
 クリスティーヌは、1983年にRis et Danceriesを出て自分のカンパニーを創設したので、Ris et Danceriesで彼女の教えたダンサーは少ないし、ラモーの言葉はどんどん曲げられたり無視されたり忘れられたりしていった。フランシーヌは、なぜか、もうあまり、訂正しなくなったという。共に研究した同期のMarie-Geneviève Massé は1985年に自分のカンパニーを創設、すでに、はじめの頃のエスプリはなく、クリスティーヌとほとんどすれ違ったBéatrice Massinも、今やラモーもどきでしかない、とクリスティーヌは言う。つまり、初期のRis et Danceriesの研究成果をさらに掘り下げているのはほぼクリスティーヌ一人だけで、後はどんどん水増しされ、クラシック化(ダンサーの多くは元クラッシック・ダンサーである)され、伝言ゲームのように細部を変えつつ、みなが「マイ流派」のように家元割拠状態になっているわけである。

 この話にクリスティーヌの矜持やいくらかのルサンチマンもあるのは確かだ。彼女は、踊りと演劇と音楽と研究と守備範囲が広い。その意味でやはりスーパーウーマンだったフランシーヌと一番近いかもしれない。しかし、売込みとか根回しとかマーケティングとかには強くない。逆に彼女のもとに集まるのは彼女の解釈に納得し、その人柄に魅せられた人であるので、とても絆は強い。

 で、イギリス流の高いハードルを越えて、国際的に活躍を続ける湯浅さんだが、そんなイギリス流の彼女と私たちトリオでは多少のカルチャー・ショックがあっても不思議はないのに、これが、ないのである。
 彼女は「傘を呑みこんだイギリス人」風どころか、非常に優雅で柔軟で楽しそうな踊り方をするからだ。

 湯浅さんは私の『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)を読んでコンタクトしてくれたのだが、その時に、「自分が感じていても言語化できなかったことをそっくり書いてくれている」ので感激したと言ってくれた。

 でも、イギリスでは言語化されてないというか、踊り方にも本当には反映されてないようなバロック・バレーにおける身体部分の体重の流れの意識化と気持ちよさの追求というテーマは、私がバロックバレーを習い始めてからずっと、フランスじゃ耳にタコができるくらい言語化しまくられてきたものだ。まず、エスプリありき、という感じだった。それを頭で理解して、気持ちよさの感じ、体の各部の重さの落とし方を探っていって「腑に落ちる」所に至るには、それなりの試行錯誤があるのだが、目指すところははじめから、よく分かった。一度コツをつかむと、気持ちいいので、それを楽器のレッスンにもそのまま応用できたほどだ。

 しかし、頭で分っても明らかに体は解放されてないままでいる人や、スタイルを多少バロック風に変えてもクラシックやコンテンポラリーの体をそのまま引きずっている人もたくさんいて、それはそれで、一目で分る。クリスティーヌのやり方がいかに「正し」くて気持ちいいかは、彼女の体の使い方を見ていれば一目で分るのと同じように。

 逆に、イギリスでイギリス風のかなり緻密なコントロールを要求される踊り方を習った人たちの中でも、そのまま「形」だけで仕上げる人もいれば、湯浅さんのように、ピエール・ラモーのねらっている気持ちよさに到達する人もいるわけなのだろう。日本の他のバロック・ダンサーが私の本を読んで啓発されないのは不思議だ、みたいなことを彼女は言ってくれるが、イギリス流の「家元」になっている人たちには、ひょっとして、「これなに?」の世界だったのかもしれない。そう思うと、湯浅さんがその「流派の差」を超えて、バロック音楽とバロック・バレーの身体良好性を感得したというのは稀有なことなのかもしれない。イギリス風はある意味非常に禁欲的なので、その体勢で気持ちよさや自然さを感得するのは並大抵なことではない気がする。彼女がマイムやアーリーダンスなどにも造詣が深いこととも関係しているのだろう。

 フランスのバロック・バレーは、始まりに騎士たちの「健康増進」という目的もあった。芸術性や芸能性とはややずれたところにあったのだ。宮廷中が踊ることを奨励されていた。その辺の感覚が切り離されれば、もう、それは似て非なるものになるかもしれない。
 
 クリスティーヌのカンパニーのダンサーの方は、コンテンポラリーの振り付けや演出もしているのだが、バロックのエスプリを最大限に生かしてコンテンポラリーなクリエーションをしたいと言っていた。

 どちらにしても、振り付け譜の失われたミオンのオペラ曲は、ダンサーの体に纏われることで、真によみがえる。楽しみだ。
by mariastella | 2010-02-10 09:39 | 踊り
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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