白水社の『ふらんす』という雑誌に連載しているので、送ってもらった雑誌をぱらぱらとながめていたら、『マノン・レスコー』を使っての対訳講義というか仏文和訳の練習みたいな連載があった。
そこで、魔性の女マノンから愛の言葉をかけられた主人公が、感激して夢中になって、
「tu es trop adorable pour une créature.」と言うシーンがある。
その訳が
「君は被造物にしてはどんなに崇めても崇めたりないほどだ。」
だって。気持ちは分かるんだけど。
あまり日本語のフランス語本はじっくり見ないようにしているんだが、これは・・・・
語感の差にも笑えるが、別の問題もありそうだ。
フランス語のadorerという動詞は本来は神を崇める時にだけ使われる。
それが、今は、aimer とたいして変わらず頻繁に使われる。もともと英語のように like と love の区別もしないから、「アイスクリーム大好き!」というのだって、動詞の上では、愛したり崇拝したりというさわぎになる。
まあ、今でもカトリックのギョーカイ内なんかでは、adorer(崇拝する) はきっちりと父と子なる神に対してだけで、聖母や聖人と言えども、vénérer(崇敬する)という動詞を使わなくてはならない。
高貴な言葉ほど転落してしまうのはどこでもいっしょで、アイスクリームを「崇敬する」って言ったらそれこそ新種の偶像崇拝だが、アイスクリームを「崇拝する」のは、幼稚園の子たちでも連発する。
でも、ふた昔くらい前までは、公教要理なんかで、adorer は神さま専用ってことが子供たちに言い聞かされてたから、よくある表現に、
「On n’adore que le bon Dieu!」
というのがあった。
子供たちが「J’adore なんとか」(なんとか大好き)と言う度に、お母さんやおばあちゃんが、
「Adorer(崇拝するの)は神さまだけですよ」
と注意していたのだ。
「On n’adore que le bon Dieu!」
というのは、だから、なじみの決まり文句だったわけだ。
で、もと聖職者になろうかと思っていた『マノン・レスコー』の語り手は、マノンに強烈に入れあげているのに、神学の縛りが強いものだから、わざわざ「恋の言葉と神学の言葉とを世俗的なまぜこぜにして」、
「tu es trop adorable pour une créature.」
などと持って回った言い方をした。
この時代でも恋人たちは何のためらいもなく
「Je t’adooooooore!!!」
と言い合ってたんだろう。
だからここは語感としては、
「ああ、君は僕の(女)神だ!!」
っていうのが一番近い。つまり、マノンは崇拝に値しすぎるから被造物じゃなくてすでに神の域にある、と持ちあげているのだ。
まあ、今も、adorer に比べると、adorable
の方が、規制が弱い気がする。adorable は単にすてき、かわいい、すばらしいという感じだ。アイスクリームのようなモノやコトにじゃなく、ヒトに対してよく使われる。adorer の方が何でもOKで、濫発されるが、子供や若者があまりにしばしば何にでも「J’adore!!」と言っているのを聞くと、おばさんたちは心の中でつい、
「On n’adore que le bon Dieu!」
とつっこみを入れたくなるのである。