先日、秋のコンサートの会場の下見をするため京都に行った時、梅雨のさなかですごい雨だった。
そのほかに、立体曼荼羅を見てどうしても確かめてみたいことがあって東寺に寄ったのだけれども、雨に濡れるとなんだか気が萎えて、立体曼荼羅を前にしてもじっくり観察する意欲が出てこなかった。
だからその後もあまり動き回らなかったのだが、幸い、京都駅ビルのデパートに隣接した美術館「えき」というところで、私にぴったりの展覧会をやっていた。京都の駅ビルって、ここから一歩も出なくても、ミュージカルに行ったり各種ミュージアムに行ったり、買い物も飲食も宿泊もできるし、大好きだ。
それは「にゃんとも猫だらけ」展と言って、歌川国芳を中心に浮世絵の猫を集めたものだ。
すばらしい。
猫好きには眼福の極みだ。
国芳の猫は有名で知っていたけれど、こんなにあるとは。猫だけでなく猫をデザインした着物や扇子や小道具もいっぱい描かれている。すごくマニアックだ。
他に、猫というと、藤田嗣治とか、コクトーとか、ピカソの猫の絵や、ジャコメッティの猫のブロンズも好きだけど、浮世絵の猫、いずれもすごい。
美人画と組み合わされると、必ず、懐に入る、着物の裾にまつわりつく、裾の中にもぐりこむ、などの姿態が出てきて、なるほど、和服と猫は相性がいいと気づかされる。
思えば、たとえば今から150年前を比べて、フランスと日本の美人画というか女性の肖像画には、表現に大きな差がある。様式の差もあるし、和服やドレスのような文化の差もあるし、髪型も、体型も、理想とされる美の基準も大いに違っただろう。
しかし、猫は・・・
今ジャパニーズ・ボブテールと呼ばれる尻尾の短い猫たちが浮世絵には確かにたくさんいるけれど、そして、ペルシャ猫やシャムネコ、シャルトルー、ノルヴェジアン風のはいないけれど、しかし、どの1匹をとっても、今のどの世界でも一発で理解してもらえる普遍的な「ねこ」がそこにいる。完全にインタナショナルだ。
そのあまりにも優れたデッサンや表現力、ネコとヒトとの関係や愛情をとらえた様子、まったく古びていないどころか斬新そのもの。
ネコを配してはじめて、その関係性の中で、逆に浮世絵の本質が見えてくる。浮世絵の「美人」たちが本当はどういう風に生きていてそれをどういう風に描かれたのかということが、普遍のネコを軸にして分ってくる。いやあ、おもしろい。猫たちのしなやかさ、柔軟さ、いたずら、ネコを前にした時の人間が「支配関係」「主従関係」の誘惑を逃れて、ひたすら、人間的にユーモラスになっていくところ。
支配関係がないところでは人は真にユーモアを解する。
私が行ったのは会期のほぼ終わり頃だった。
雨の日の、幸運。