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L'art de croire             竹下節子ブログ

フランス・バロック音楽のオリジナリティについて

『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)に書いたことの一部を、分かりやすく言い換えてみよう。

フランス・バロックの音楽は、1650年から1750年の100年間に、その後いわゆる「西洋近代音楽」に発展したイタリア・ドイツ系のバロック音楽とは全く違う、いわば「ガラパゴス」的な展開をした。その後、ある種のヨーロッパ・グローバリゼーションと民主化と産業革命の流れの中で、フランス・バロックは絶滅種となってしまう。

ここでフランス・バロックと言うのは、別にフランス人がフランスで作曲したものと言うわけではなく、スタイルの問題であり、バッハもたとえばフランス組曲を書いている。

フランス・バロックは非常に複雑で知的な体系だった。

それを可能にしたのはルイ14世に頂点をなした中央集権的な芸術の囲い込みという政治的経済的背景である。宮廷や首都に、コーラスやバレエ団やオーケストラや大がかりな機械仕掛けを常駐させるオペラ座を抱えて維持することは、ローマ教会による典礼の縛りの強いイタリアや領邦国家群であったドイツには自明のことではなかった。

フランス・バロック音楽がなぜ特殊かと言うと、それは、身体性のランガージュと通して音楽と出会う二つのルーツ、「語り」と「踊り」を対等に、同時に取り込んでいるからである。

まず「語り」から説明しよう。

歌になりやすいイタリア語と違って、フランス語は「詠唱」に適していた。ルネサンス以来、ギリシャ演劇の伝統を最もよく受け継いだのはフランスの古典演劇だった。それを可能にしたのは、中世においても脈々と受け継がれてきた弁論術や説教術の伝統だ。その朗朗とした韻律は体の芯に響き、揺さぶり、その効果を最大限に高めるためにコード化された身振り手振りによって演出されていた。

イタリア人のリュリーがフランス語のためのオペラを作るようにと言われて、毎日古典演劇に通い詰めて頭に叩き込んだのは、韻律に富んだ語りが身振り手振りと共にくり出される様子だった。リュリーは、まず、俳優にその韻文を歌わせることにした。コード化した身振り手振りにのって歌われる語り、それに配されたのが音楽である。だから器楽部分は、語りの部分の効果を高めるように作曲されたし、楽器も人の声が語るように演奏された。音楽のランガージュとフランス語のランガージュは一体化し、切り離せなかったのだ。

これは、イタリア曲のように、音階やアルペジオのような純粋な音楽要素を展開させたり、歌手も声を楽器として音楽要素で競い合う、というものとは全く逆の道をいくものである。

次に「踊り」である。

いわゆる民衆の野外の踊りなどと別に、ルネサンス以来、貴族や法官らの支配者層は、教会に向かう時などに移動する姿の美しさを追求するようになった。歩き方の工夫、体の重心の把握と重心の移動のコントロール、それらの方法論の体系化は、やがて、踊りを、馬術、剣術と共に騎士階級にとっての必須の訓練科目に組み込むことになった。

踊りは、武器をもたぬ武術であり、基礎訓練でもあった。踊りの体系化は、行進や武術の方法論とセットになって、音楽とは独立して進化したのである。

バロック時代のダンス曲は、踊りのために、踊りのコードに対応し、踊りのランガージュと共存するために作られた。「既成の曲に合わせて踊った」のではない。
踊りのステップが、ダンス曲の構造を決定したのである。そこでは作曲者も振付家もダンサーも観客も批評家も同じファミリーだった。若きルイ14世が毎日汗びっしょりになるまで踊りの稽古をし、舞台にも立ち、ギターを弾いたことはよく知られている。宮廷では王と王妃を前にして、貴族たちを両側に、オーケストラを後ろにした空間で、一人ひとりの貴族が、社交界での生命をかけて自分の身体制御能力を披露したのだ。

このように、一方で、身振り手振りを基礎にした「語り」を効果的に音楽にのせること、もう一方で、身振り手振りと移動の仕方を基礎にした「踊り」を効果的に音楽にのせることが、フランスのバロック音楽を形作った。音楽は独立したランガージュではなく、言葉による語りと踊りによる表現という他のランガージュと組み合わさったものなのだ。

「言葉による語り」と「踊りによる表現」との共通点は、その身体感覚である。フランス・バロックの語りが、身振り手振りを伴う雄弁術から派生したように、貴族の基本教養となった踊りにも、同じ伝統が組み入れられていた。語りのコード、身振りのコード、踊りのコードは、身体と世界の関係(体と重力の関係)の意識化を前提としていた。だから歌と踊りのために作曲されたフランスのバロック音楽は、独特のリアルな身体意識なしには演奏できないし、鑑賞もできない。

リュリーの天才は、語りの音楽と踊りの音楽を一同に集めるために、古典演劇とは正反対の非日常的な超自然世界を舞台にしたオペラを発案したことだ。そこでは、人間だけではなく、神や精霊や怪物たちが自在に現れる。彼らのランガージュは「踊り」なのだ。こうして、歌と物語と踊りが混然一体になって進行するフランス・バロック・オペラが誕生したのだ。オペラ座こそがフランス・バロックのガラパゴスだったのである。

それを支えたのが絶対王政であり貴族階級であったのは間違いない。次の時代には、ブルジョワの台頭、民主的なコンサート、フランス革命、すべてが、フランス・バロック・オペラとバレーを壊滅させた。

時代は、分かりやすい音楽だけのランガージュを残すことになった。芝居やバレーは特化した。音楽に合わせて歌がうたわれ、音楽に合わせて踊りが踊られ、演奏家や踊り手の超絶技巧が商品となっていった。
ロマン派の時代には、人の感情を直接表現するランガージュとしての音楽が普通になった。悲愴な気分は悲愴な音楽で、楽しい気分は楽しい音楽で表わされ、そこにはもはや身体意識に基づいて複雑に再構成するという演出はない。ひたすら感情を増幅する音楽が聴衆を全体主義的に同じ船に乗せようとするのである。

その傾向は批評の世界にも広がる。神学のディスクールにも似た「正統」の権威が確立し、超絶技巧演奏家は偶像と化し、祭司がひしめく。人々は、ある時は音量に圧倒され、ある時はむき出しのセンチメンタリズムに酔い、集団催眠にかけられ、それが「わからない」人は排除される。

近代日本が「西洋音楽」を輸入した頃は、まさにそういう時代であった。そこに「舶来信仰」が加わる。思えば皮肉なものである。近代以前の日本の音楽とはむしろフランス・バロックにも似た朗唱や語りと一体化したものだったからだ。

「西洋音楽」は、グローバリゼーションという名の悪しき標準化、均一化に向かう民主的ツールとなる一方で、「西洋クラシック音楽」という名のエリート宗教を残した。その神殿で学ぶものは「完璧なテクニックで感情をこめて」パフォーマンスすることを要求される。

20世紀後半に復活したフランス・バロック音楽は、当然、その前提となる「踊り」と「語り(における演出)」の再発見を必要とした。
フランス・バロック音楽を「完璧なテクニックで感情をこめて」弾いても意味がない。その色彩豊かな和声進行や知的な構成や繊細な装飾音や神秘的な不協和音は、音楽だけのランガージュで生まれたものではなく、踊りと語りのランガージュと共に織りなされたものだからだ。

フランス・バロック音楽奏者や歌手たちが、必ずと言っていいほどバロック・ダンスの講習やバロック・ジェスチュエルの講習に参加するのは当然だ。曲の根っこにあるのは、感情ではなくて、踊りと語りの兼ね合いによって再構成する演出と、それを支える身体感覚なのである。

(この記事は特にフランス・バロック音楽奏者に読んでほしいので、トリオ・ニテティスのブログ
http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/
の方にも転載してあります。)
by mariastella | 2010-10-07 08:10 | 音楽
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