この前の記事で、オードレー・タトゥとナタリー・バイが母娘役を演じたラブコメディについて書いた。この映画で、娘のキャリアウーマンであるオードレーが黒髪で短髪であるのに対して、母のナタリー・バイが金髪を肩に垂らしていることの意味は象徴的だ。
映画にはこのコントラストがよくつかわれる。
『ロシュフールの恋人たち』なんていう双子の姉妹も髪の色は違った(ウィッグだったそうだが)。フランソワ・オゾンの『8人の女たち』での髪の色の使い方は服と同じくらい意味がある。金髪のドヌーヴと黒髪のファニー・アルダンが取っ組みあったシーンはこの髪の色の対比が最重要だったと言える。
ジャンヌ・ダルクの映画での髪形や髪の色の変遷も興味深い。
ジャンヌ・ダルクは黒髪で断髪だった。
それが男装の異端性ともからんでくる。
日本で刈り上げおかっぱ髪というと「わかめちゃん型」というようにフランスでは今も「ジャンヌ・ダルク型」という。
しかし、ジャンヌ・ダルクほどのイコンとなると、パレスティナ系の聖母マリアがヨーロッパでは長く金髪碧眼で描かれたように、史実よりも人々の脳内イメージで、少なくとも髪の色は変化した。
ジーン・セバーグやミラ・ジョヴォヴィッチなどは金髪の短髪がぴったりだった。北欧人であるバーグマンの黒髪はむしろ不自然だったと思う。
何よりもショックなのはカール・ドレイヤーの映画でジャンヌが火刑に処せられる前に頭を剃られるシーンだったかもしれない。
そんなことを考えていたので、先日、シネマティックでやっている「Brune Blondeブリュンヌ・ブロンド」という展覧会に行ってきた。
髪の色というよりも、もう、女の髪という極めてフェティッシュなものをめぐる怖さみたいなものを感じた。一見の価値がある。
ヨーロッパのイマジネールにおいては、もう一人の黒髪断髪の女性イコンがあって、それはクレオパトラだ。
白雪姫も黒髪だが、豊かな金髪のオーロラ姫と違って髪は短い。
肌の「白雪」具合を強調するための黒髪なのだろうが、白人でそれほど肌の白い人はメラニン色素が少ないから金髪になる確率が高いはずである。
髪の色と量や長さに託されるメッセージもおもしろい。
似たような骨格や目鼻立ちでも髪と目の色だけがラディカルに変わり得る西洋人において、その色の違いがもたらすインパクトというものはかなり大きい。
基本が黒髪黒目という日本人には想像がつかないくらいだ。
それは「選択」でもある。
カトリーヌ・ドヌーヴはドヌーヴ・ブロンドというカラーがあるくらい金髪がトレードマークだが、もともとは濃い色の髪の人だ。『トリスターナ』などでは黒髪で演じているのだが、みなに金髪だったと記憶されている、と言っていた。
シネマティックだから映像資料が多く、忠臣蔵の主君の奥方が切腹の日に髪を切るシーンもあった。
インドの聖地で、巡礼に来る人たちが全員髪を剃って供物にする場所の映像もあった。女性も丸坊主になる。
一日一万人が髪を剃って残していくそうで、その厖大な髪がウィッグ製作などに供給されるらしい。アミノ酸サプリにするという話もどこかにあった記憶がある。
それも怖い。
髪をめぐるオムニバス映画も上演されていて、日本のものは、若い女性が長い黒髪を梳くと、どんどん抜けて洗面器にいっぱいになるというものだった。四谷怪談のDNAを感じた。
スペインのものは、4歳の女の子に、映画のために、寝ている間に髪を切られちゃう役をしてもらいたいんだけどそれでもいいか、と執拗に聞いて執拗にnoと言わせる映像だった。
髪についての映像言説というのは、悪趣味と紙一重であることが分かる。