ルルドから帰ってから10日後、完全に痛みから解放されて歩行の困難も消えたセルジュは、自宅の庭で芝を刈っていた。
すると突然、左足に猛烈な痒みを感じた。
その夜、左足を観察したセルジュは、それまで何年もずっと抱えてかちかちになっていた足の角質が、粉のように細かくぼろぼろになって剥がれているのを発見した。その下からは、赤ん坊のような真新しいやわらかな肌がのぞいていた。
それを見た時、セルジュはマリアがルルドで彼のもとにやってきたことを確信したのだ。
このエピソードは興味深い。
私にはサラゴサの聖母の奇跡を思い出させる。
1640年に、スペインの農夫におこった奇跡だ。
それは、奇跡の治癒なんてものではなく、「奇跡の治癒」ギョーカイですら誰も語らないタブーになっている切断された四肢の回復というやつである。
事故によって片脚を切断された男に、2年後に、脚がついていた。
犬に咬まれた跡も残るかつての自分の脚である。
両親がそれを見つけ、町中大騒ぎになった。中世の話ではない。
公証人も記録を残し、切断手術をした医師も証言した。
25人の証人を立てて司教が「奇跡」を認定したのはずっと後だ。
しかも、最初に「くっついた」時は、黒く干からびて退縮していた脚が、だんだんと生気を取り戻して、ついに普通の機能を取り戻したのだ。つまり、最初に人々が驚いたのは脚がくっついていたことで、その後、それが「生き返る」のを皆が目の当たりにしたという話である。
おとぎ話なら、ぴかぴかの脚が生えてきてもいいようなものなのに、「聖母」は、もとの脚をくっつけて、それに命を吹き込むことを選んだのだ。
この話はあまりにも奇妙なので、今もローカルの域を出ていない。
たとえて言えば二次元の世界に三次元が介入したようなもので、その仕組みについて説明もつかないし想像もつかない。
これについては
竹下節子『聖女の条件』(中央公論新社)p91-92
に書いている。
つまり、10年間も痛みと歪みであわれな状態にあったセルジュの左足は、単に痛みが取れた、とか、神経の歪みが治った、とかではなくて、全体が、内側から新しくされた、ということだ。新陳代謝のスイッチが入って、再生した、という感じだ。
それが皮膚の再生というところまで目に見えるようになったのが10日後ということである。
仕組みが解明されたらアンチ・エイジング産業が泣いて喜びそうな話だ。
しかし、1640年はもちろん、21世紀のルルドでも、「医学的に合理的な説明」はできなかった。
(続く)