小説家のセリーヌについて語ることは日本でよりもフランスでの方がずっと難しい。
20 世紀のフランスのインテリの歴史でタブー中のタブーである「反ユダヤ主義」を表明して、連合軍が迫ってきた時には逃亡して、死刑判決まで受けている。
だから、彼のたとえば、有名な処女作『夜の果てへの旅』などについてだけコメントする人でも、後の彼がとった政治的立場に対する旗色を明確にせずには語れない。
そして、「人種差別」は「悪」に決まっているのだから、セリーヌを語る人は、その毒からあらかじめ身を守る必要がある。「『著者』の人となりとその作品を別に論ずる」と前提しなくてはならないのだ。
私には、なぜだか、セリーヌがああいう風に理念的に自滅に向かった気持ちが理解できるような気がする。
彼自身の被差別への感性と関係があるように思えるのだ。
彼は貧しい生まれからの社会的上昇を目指して医学部に入ったが、医学部に親子代々のユダヤ人グループが根をはっているのはすぐ分かったはずだ。
それはいいとして、今年はそのセリーヌの死後50年なのだが、ムードンの彼の家には、何とまだ未亡人が100歳に手が届く歳で存命だ。
彼女はここで80歳を過ぎるまでクラシック・バレーとキャラクター・ダンスを教え、多くの教え子を送り出した。
セリーヌは若い頃にやはりアメリカ人バレリーナに夢中になって、女帝と呼び、パリにも連れてきたが、彼女は歳と共に美しさが失われるのを恐れてアメリカに戻った。セリーヌはカリフォルニアまで追いかけたが、彼女はユダヤ人と結婚した。
その10年ほど後で、18歳年下の30歳のバレリーナであるリュセットと結婚したのだ。この人が、逃亡時代も含めてセリーヌの晩年を支えてきたわけだ。
ムードンの家には、「ダンス教師」の看板と、「貧しい人のための医師」の看板とが二つ並べてかけられた。患者はほとんど来なかったらしい。セリーヌの本そのものにはまだ商品価値があり続けたので、ガリマール家の娘たちもリュセットのバレエの生徒になったなど、交流は続いた。
この家で、リュセットは夫と共に10 年暮らし、そのあとさらに30年以上バレーを教え、さらに20年近くたったわけである。
リビングにの壁はコルク材が張られていて、そこにセリーヌの写真と、彼の描いたネコのクロッキー画がたくさん飾られている。来客の足元に、外猫と冴えない犬が横切る。
セリーヌのデッサンのモデルは彼らと亡命生活を共にしたベベールBébertだろう。ドイツ占領地区のモンマルトルで俳優に捨てられた
この猫を夫妻は保護した。
Un chat c'est l'ensorcellement même, le tact en ondes ...'(猫は魔法そのものであり、波動の触覚だ・・・)
とセリーヌは書く。
ムードンには他の動物もたくさんいたらしいが、亡命生活を共にできたのはダンサーの妻と猫のベベールだけだったのだ。
医学、バレー、猫、そして文学と反ユダヤ主義。
いずれも毒でもあり、強烈な副作用を隠す薬でもあったにちがいない。