私が、日本の多くの家庭の主婦の置かれている時として抑圧的な状況を、具体的な形でありありと感じるようになったのは、さまざまな女性の書くブログを見るようになってからだ。
それまで、個人の家庭の中の事情というのは、友人から愚痴を聞くというようなシチュエーション以外になかった。
それが、今や、ブログによって、いろいろな世代、いろいろな地方、いろいろな状況にある人の実態が、ある時は演出を加え、ある時はナルシシスティックに、多くは赤裸々に、怒りを込めて、ほぼ実況として伝わってくるのだ。
いわゆる掲示板に寄せられる質問と答えの内容にもくらくらする。
最近偶然行きあたって、一番ショックだったのはこれ。
うーん、質問も答も、想像もおよばないくらいに私の現実とはかけ離れている。
そんな折、ポンピドーセンターの近代美術館のデジタルアートのコーナーで出光真子の作品を見た。
ポンピドーで草間彌生展を見ようと思っていたのに見損ねてしまって、なんとなく、日本女性アーティストの作品を探してみたくなったのだ。
そこにあったのは、『Yoji, What’s Wrong with You ?』(洋二、どうしたの?)1987という作品で、これがなんというか、強烈なのだ。
日本語で検索したらこういう
サイトにいろいろなものが紹介されていた。
東京のブルジョワの家庭に生まれたが家父長的な環境からアメリカに飛び出した姉妹がアーティストになってアメリカ人と結婚して子供を生み、その子育てや主婦業にも疑問を持って葛藤して…
という出光真子の経歴から絞り出されてきたような訴えの数々であり、構成が斬新で訴求力があるのだが、どれもみな、いわゆる「イタイ話」ばかりで、出てくるすべての人間が不幸に見えてくる。
女性をヒロインにした日本の演歌とかホームドラマとか人妻ドラマとか社会ドラマとか、無数のものが語りながら実は語れていなかったものが、出光真子の映像と映像内映像(大きなテレビ・スクリーンが必ず配されている)によって、ごまかしのきかない姿で突きつけられているという感じだ。
この人の作品はフェミニズムから評価されているんだそうだ。
作品の中にはママコさんの「主婦のタンゴ」というマイム作品をベースにしたものもあることも知った。ママコさんみたいに「主婦」の対極にいる人がこのような作品とコラボできるというのは、芸の力というものがリアルの生活体験とは関係ないという見本みたいなものかもしれない。
ポンピドーのビデオコレクションには他にも日本人女性(1930年代生まれの人)の作品がいくつかあったが、どの人もみな若くしてアメリカにわたってアヴァンギャルドに活躍したという感じの経歴であり、日本社会から突き抜けてしまっている。そうやって突き抜けてはじめて、逆に、ものすごくローカルでプライヴェートで伝統的な闇を串刺しにしてえぐって見せるのだから、草間彌生も含めて、何か宿命的なものを感じる。
日本のような国で生れ育った女性アーティストが「普遍」に到達するにはジェンダーのプリズムを通過せざるを得ないのか、あるいは、すべての規範的なものを無視し、あるいは無視されなければならないのか、と問いを立てたくなる。