先日、
偶然にたどりついたブログで、青土社の編集者だった津田新吾さんが2009年に亡くなられていたことを知って、驚いた。
彼の病気のことは知っていたから、まだお元気なのだろうかとは頭の片隅で思っていたので、ある意味では、やはり、という感じだったのだが、彼がこのように多くの作家から愛されてオマージュのブックフェアまであったり、遺志を継いだ雑誌までできていたりということに驚いた。
そのブックフェアのリストの青土社で津田さんが手がけた本のリストの中に私の本は挙げられていない。
それを見て、今までの疑問が氷解した。
私はあとがきに津田さんへの謝辞を入れているのだけれど、あの本を作ったのは津田さんではなかったのだろう。
あの本とは『聖者の宇宙』(1998青土社)(2011年加筆修正して中公文庫)であり、津田さんのリクエストに応えて最初から最後まで熱烈に応援された本だ。
津田さんのリクエストによって青土社の『ユリイカ』に、クロソフスキーからバッハまで、1994年以来いろいろな記事を書いた時期がある。
95年の夏だったか、日本に行った時に、津田さんが個人で使っていたワープロをひと月ばかり借りたことがあった。それを借りに行った時か返しに行った時かもう忘れたのだが、彼の自宅アパートに招かれて手料理を食べたことがある。
今まで多くの編集者と交流し、カフェで打ち合わせたりレストランでご馳走になったりということは少なくないけれど、「自宅で手料理」をごちそうになったことはそれが最初で最後だ。
ふりかえって、そのユニークさを考えると、その後の津田さんが名編集者として人望を集めたということも納得できる。
彼の悪性リンパ腫の発病がいつだったかはもう思い出せない。
最後に会ったのが1998年に朝日カルチャーセンターでの講義を聴きに来てくれた時のような気がする。
最初の「寛解」の時期だった。
そして私はその後で、ある奇跡のグッズを彼にプレゼントしたのだが、もうその時には、信頼関係は壊れていたと思う。
彼の健康状態はその原因の一つだったのだろうけれど、まだ三十代だった彼の突然の発病と私の本の編集が重なったことの意味は私にはもちろん把握できていなかった。今はなんとなく想像できるが、そんな事情を一方的に書くつもりはもちろんない。
2010年に中央公論新社の編集者が青土社に『聖者の宇宙』の文庫化の交渉をしてくれた時、もう津田さんはいなかったわけだ。
多くの方が書いている津田さんの思い出の中に、自筆の手紙のことがたびたび出てくるが、私もまた彼の自筆の長い手紙を持っている。メールもなかった時代のことである。
津田さんの構想は「本の島」というものだそうだ。
多くの優れた人に愛されて遺志を受け継いでもらって、幸せでよかった、と、すなおに嬉しい。