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L'art de croire             竹下節子ブログ

ローマ教皇フランチェスコの毀誉褒貶

ベネディクト16世が就任した時にも、少年時代にヒトラーユーゲントに入っていたなどと非難する情報がすぐに流れた(リンク先の『ベネディクト16世について』の記事参照)。

そろそろ第二次大戦がらみの責任問題をあれこれされる世代は消えつつあるが、南米となると1960年代以降の軍事独裁政権の清算がまだできていない。

で、新教皇フランチェスコが、過去に、1976年に政権を奪取した独裁者ビデラに聖体を授けている後姿の写真がさっそくネットに出回った。

聖体を授けるのは司祭の仕事だからこれだけで「独裁者の友」と決めつけられるのもかわいそうだが、結局その司祭はベルゴリオではない、写真も合成されたものであると確認された。

でもその他にも続々と、ベルゴリオ司教が、当時、解放の神学のもとにビデラに殺された二人のイエズス会士を助けなかったを示すさまざまな書類などが公開され続けている。

それでも、当時の彼の立場から言って、教会やイエズス会の結束を守るために沈黙を守るしかなかったというのが大方の意見だ。

教会は政治には関わらないという基本線がある。その中で、ベルゴリオ司教は「貧困は人権の侵害の一つの形である」と明言して、一貫して貧しい人々に寄り添ってきた。

1976 年から83年のアルゼンチン教会の中には明らかにビデラ側についていた司祭も少なくなかった。

しかし、少なくともベルゴリオはそのような聖職者ではなかった、と、ペレス・エスキベルが証言したそうだ。

この人は後にノーベル平和賞を受賞したラテン・アメリカ民主化の闘士で、ビデラに拷問を受けた経験もあるのだから、今回、ベルゴリオを無理にかばう理由はない。

だからフランチェスコ教皇が決定的な黒い過去を隠しているとは考えられない。

そもそも枢機卿から教皇にまで上り詰めるような人は頭が悪いはずがない。

特にイエズス会は長い教育期間で定評のあるインテリ集団でもある。
過去に少しでもやましいところがあるなら、教皇になどなってしまえば、どんな些細なものでもほじくり返して白日のもとにさらされるリスクが大きいことくらい、よくよく分かっているはずだ。

それが自分自身の失脚だけではなくカトリック教会全体にダメージを与えるだろうこともだ。

周りの枢機卿ももちろん分かっているはずだ。

だから、どこから突かれても決定的なマイナスの過去がない人が選ばれたり受諾したりする確率が高いと思われる。

もう一つ、これは私が個人的にあれっと思ったことがあったのだが、それについても納得がいくようになった。

それは、2005年のコンクラーベの最終投票でラツィンガーの対抗馬となり26票しか獲得できずに敗れたベルゴリオが涙を浮かべて去ったというある枢機卿の証言だ。

ではこのベルゴリオさんって、もう8年前から教皇座を狙っていて、今度は見事に雪辱を果たしたとかいうことだろうか、泣くほど悔しかったのだろうか、と一瞬思ってしまった。

考えてみると、8年前はJP2の死の衝撃が大きくて、次の教皇の下馬評を云々していた空気が変わってしまった。

そういえば、当時の最有力候補はリベラルなミラノ大司教のマルティニだと言われていたのに、どうしてラツィンガーになったのだろう。あまり考えたことがなかった。

で、今にして分かったのだが、実は、当時のマルティニはラツィンガーと同じ年なのだが、亡くなったJP2と同じパーキンソン病をすでに発病していた。

それで、彼を支持する枢機卿たちに、自分に投票しないようにと頼んだのだそうだ。

で、そのマルティニの後がまとして、同じイエズス会ということで急遽候補に立てられたのが、ベルゴリオ枢機卿というわけだった。

しかし、ラツィンガーやマルティニよりも10歳ほど若くヴァティカンで働いたこともないベルゴリオには自分が立つことでラツィンガーの選出を遅らせることなど思いもよらなかった。

しかも、若いといっても、自分も肺が一つしかなく、とても強靱とは言えない。

で、ラツィンガーが選ばれるようにと必死で遠慮した。特に第一回の投票では自分がすでに三分の一の票を集めてしまったので、あせった。だからこそ、辞退の意が伝わってラツィンガーが結局早々と選ばれた時にはほっとして喜びの涙がわいてきた、というのがほんとうのところだろう。

これなら納得がいく。

今回、一般人へ向けての最初のあいさつで、彼は自分のことを一度も「パパ=教皇」と呼ばず、ずっと「ローマ司教」で通した。群衆に頭をさげて祝福を乞うた。

「こんにちは」とはじめ、「ゆっくりおやすみなさい」と言って去った。

その後で、教皇用の車を使うのかと思ったら、他の枢機卿たちといっしょにエレベーターに乗って、みんなといっしょに移動車に乗って、子牛を食べ、シャンペンではなくアスティス・スプマンテ(ピエモンテの発泡酒)で乾杯してからローマ市内のホテルに戻った。翌日はそのホテルの支払いを自分ですませてからヴァティカンまで歩いてきた(これは行動を共にしたフランスの枢機卿がインタビューに答えたものだ。ホテルで支払いをしている姿はイタリアの新聞にも載った)。

今は復活祭前の四旬節にあたり、昔は日曜以外肉を食べないのだが、今は灰の水曜日と聖金曜日だけということになっているし、特別の祝い事がある時には食べ物の制限がないのだそうだ。

これについても、枢機卿が祝いの席のメニューを語った時に、そんなこと言っちゃっていいのかと心配していた人がいた。

でも、ヴァティカンで枢機卿たちが、後で外部に漏れると困るような食事などをするはずがないのは、少し考えても分かる。

翌朝、ホテルで自分で支払いを済ませて歩いてヴァティカン入りした教皇は、午後、153人の枢機卿の前でミサをあげて、共に長く歩き、多くのものを築き上げ、キリストに告解して無条件に従いましょう、と語った。

(次の日には、「私たちの半数は年よりですね。でも古いワインの方が芳醇ということもあります」と語った飾り気のなさが報道された)

ローマのユダヤ教の代表にも親書をすぐにしたためた。

しかし、それでも、大方の予測が

「若くマネージメントに優れたイタリア人教皇」、だったのに、

「年配のアルゼンチン人で純粋な司牧者タイプ」、を選ぶことに迷いはなかったのか。

その疑問に答えたある枢機卿は、

「結局は人柄。年齢は問題にならなかった」と言っていた。

彼らの頭にはあの有名なヨハネ23世がある。1958年にやはり77 歳近くで選出されて「つなぎの教皇」と見なされ、実際5年にも満たず亡くなったのだが、歴史にのこる第二ヴァティカン公会議を召集してカトリック教会の流れを変えた。

教皇というのはいったんその座に就くと絶対権力があるので、その気になれば法律も変えられるし、いろいろな思い切ったこともできる。

しかも、その公会議の精神は、教皇絶対よりも司教参加型、分権型の教会を作ろうということだった。

しかし、その後の半世紀、ヴァティカンの体質はあまり変わらなかった。

ところが、新教皇となったベルゴリオ枢機卿は、ブエノスアイレスという大司教区を現場で統率しつつ司教会議でも存在感があり、病院や貧困地域や刑務所などの訪問を欠かさないというキリスト者のお手本みたいな活動を続け、司教館に住まず質素な家で自炊するという言行一致ぶりだ。

こういう人が教皇になれば、他の司教たちも襟を正さずにはいられない、改革は自然に行われるだろうとみんながすなおに思ったらしい。

体が丈夫でなくても、自分のことを「ローマ司教」と言ったように、他の司教たちとの協調体制をつくっていくつもりなら、第二ヴァティカン公会議の目指していたものに結果的には近くなる。

そう決心したからこそ、2005年からさらに8 年経った身で受諾したのかもしれない。

それに、今回B16が心身の限界を感じてリタイアするという前例をつくったということは、次の教皇が何歳であろうと、「無理だと思ったらやめる」という選択が現実のものになったわけだ。

ある意味で、「高年齢の教皇」のかかえる様々なリスクは回避されうることがみんなに理解されたわけだ。

もう一つ。

これまでの世代の教皇は、たいてい、子供の時から小神学校に入り、大神学校に入り、つまり、小さい時からがちがちの宗教教育(しかも男子校)を受けて育った人が多かったのだが、新教皇は、公立学校の出身である。

イエズス会系の私立学校ではなかったのだ(フランスでもパリの大司教のアンドレ・ヴァントトロワは公立の名門リセであるアンリ四世校出身だ)。
そういう意味でも、ヴァティカンの多くの高位聖職者たちとは感覚が違うかもしれない。

イエズス会出身の最初の教皇ということについても、それはむしろヴァティカンにおけるイエズス会の影響力が小さくなってきたことを示すのではないかと言っている人もいた。

日本でも上智大学が有名だが、世界中に2万人のイエズス会士のネットワークは強く、ヴァティカンでもパウロ6世の時代やJP2の時代には軋轢があったことが知られている。

でも、イエズス会の創始者イグナチオ・ロヨラと同じスペイン人が創始した信仰組織のオプス・デイの力が増大したこともあって、イエズス会ロビーが相対的に後退した。

大きいままであれば教皇選にはかえって不利であったろうというのだ。

ちなみにイエズス会は教皇に絶対の忠誠を誓うことが特徴の一つだが、教皇になると「イエズス会出身」ではあっても、もう「イエズス会士」ではない。

まあ、これらのことを総合して考えると、新教皇によってヴァティカン内およびカトリック内の分権は進み、新しい時代が来る可能性は大きい。

でも、逆に、同じように「善人」で、清廉、謙虚な人柄だと評判だったヨハネ=パウロ一世が、在位わずか1ヶ月少しで急死したことを想起する人もいる。

小さくて巨大な国ヴァティカンの長年に蓄積した澱の中に入っていくには新教皇フランチェスコは清らか過ぎるのでのではないか、ある種の勢力にとって「不都合」すぎるのではないかというのだ。

うーん、どんな見通しでも、そういわれればそうかなあとつい思ってしまうことそのものが、ヴァティカンの魔力かもしれない。
by mariastella | 2013-03-16 03:06 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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