ミヒャエル・ハネケ監督・脚本の『愛、アムール』(Amour)/ジャン=ルイ・トランティニャン、エマニュエル・リヴァ、イザベル・ユペール
この手の老老介護の映画は、観ると絶対に落ち込みそうになるから観に行きたくなかったのでずっとスルーしていて、最近発売されたDVDも観ていなかったのだけれど、たまたま近所のがらあきの公立豪華ホール(しかもチケットが5ユーロ以下)で上映があり、仕事が一段落した時に観に行ってみた。
大体私はハネケの映画が苦手だ。
でも今回ハネケのようなオーストリア人監督がパリのアパルトマンだけを舞台に完全にフランス人俳優だけで撮るのはどんな感じかなということには興味があった。
「ピアニスト」では原作のウィーンの話をフランス人俳優ばかりでフランス語で撮り、カンヌ映画祭のお気に入り監督になり、それからはすっかり「ヨーロッパの監督」になった。
ドイツ(オーストリア)とフランスというのは言葉もゲルマン系とラテン系で全く違うし、メンタリティもかなり違う。
それなのに、「ヨーロッパ」単位で、簡単に国やら言葉やらが混ざって共存できてしまえるというのはいつも軽い驚きを覚える。
超国籍状態は、オペラやオーケストラやバレエやサーカスの世界なんかでは普通だけれど、「会話」の意味が大きい映画ではどうなんだろう、と思ってしまう。
ハネケはプロテスタントの父とカトリックの母の間に生まれ、少年時代にはプロテスタントの牧師になろうと思ったこともあるそうだ。
で、実際に観て、主役の二人の演技はさすがにうまい。
でも、どううまいのかというと、彼らの演技を見ていると、まるで、本当に、そういう老夫婦の暮らしを目にしているようにつらくなる、という具合にうまいのだ。
舞台がパリのアパルトマンというのもリアルすぎる。
生活感があり過ぎる。
多分、ハネケの目に映っているよりも、パリの観客の目には現実感が強烈だと思う。
最初に妻が一時自失状態になってあせった夫が水道の蛇口を閉め忘れ、医者を呼ぼうと着替えているうちに、水音がピタッと止まる演出などは心憎いくらいよくできている。
ピアノのシーンを除いて音楽もほとんどない抑制がきいた場面ばかりなのだが、「パリのアパルトマンでの老老介護のリアルなシーン」という要素だけで、その抑制もふっとぶ気がする。
たとえば日本人が見たら場所も老夫婦の外見も暮らしのディティールも日本とは似ていないので雑念が入らないかもしれないだろうけれど。
あるいはフランス人でもごく若い人が観れば別かもしれない。
でも、私には身近なフランス人の「あの人」「この人」の晩年のシーンがいろいろ思い浮かんでしまう。
この老夫婦は80代まで優雅に元気に二人で暮らし、ピアノを弾いたりコンサートに行ったり、立派なアパルトマンで何の不自由もなく暮らしている。もしどちらかがインフルエンザからくる肺炎で突然入院して3日で亡くなるとか心臓発作で亡くなるとかいう展開であれば、「みんなに羨まれるような晩年を過ごした幸せな夫婦」ということになっていたはずだ。体が不自由になっての「老老介護」になるから、どんどん共依存的で絶望的な状況に陥った。
それまでの生活史が閉鎖的な老老介護を選択させたのだろう。
それは彼らのブルジョワ性と無縁ではない。
この手の映画は苦手だという予断を裏切らない映画だった。