パレスティナの状況というのはある意味では中東の状況以上に継続して気にしている問題なのだが、その一つにイスラエルのポジションの本音が分からないというのがあった。
私にはユダヤ人の友人も少なくない。ユダヤには災難に襲われた時は神の罰と考える伝統があるせいでホロコーストの時に連帯して抵抗しなかった、その失敗を繰り返さないために守るより攻めろの政策に転じたのだ、とイ言う人もいた。また、イスラエルのユダヤ人はヨーロッパから逃げてきた人の他に東欧やロシアから逃げてきた人、さらには北アフリカからの移住者もいて、それぞれに伝統も思惑も違っているから複雑なのだと言う人もいた。
この本Charles Enderlinの『
神殿の名にかけてAu nom du Temple
Israël et l'irrésistible ascension du messianisme juif (1967 - 2013)』を読んで、ちょっと目から鱗が落ちる気がした。
1967年から現在まで、終末論的なユダヤ原理主義がいかにしてイスラエルに浸透してきたかについて自分が無知だったことを確認からだ。
最初のシオニズムはむしろリベラルでプラグマティックだったはずで、政治的民族的な意味と宗教的意味は切り離されてはいないものの拮抗していた。
それがいつのまに、カルト宗教的になってしまったのだろう。
こんな状況では政治的外交的な策がすべて無に帰するのも不思議ではない。
私は終末論に依拠して人を駆り立てるような運動が理解できないタイプなので、それが国レベルで繰り広げられることの危険性をあらたに見せつけられておそろしくなった。
一神教同士が云々という話ではなく、イスラム教とキリスト教の対立よりもはるかに深刻なものがある。
「国際社会」も、調停の仕方を根本的に変えた方がいいのではないだろうか。