世界史において、異教徒の弾圧、迫害の話はいつでもどこにでもあるし、時として想像を絶する残虐さがあるのも共通している。
どこかの民族や社会が他宗教に比較的寛容に見える場合でも、それは経済的繁栄や政治権力の安定などによる一時のことでしかないことがほとんどだ。
その意味では、日本における「キリシタン弾圧」も、非常に残酷なものもあったし、拷問や処刑を受け持つ下級役人などの中には、単に命令に従っているという以上にひょっとして本格的なサディストがいたのではないかと思えてしまうのだけれども、それでも、日本におけるキリシタン狩りには、日本ならではの犠牲者へのリスペクトというエピソードがいろいろ残っている。
確かに、処刑されたキリシタンの中には大名も含めた身分ある人もいたし、その主人に倣って改宗してそのままそれに殉じたという人が少なくないから、彼らが他人を殺めた犯罪人などではないことも、周囲のみなが知っている。
棄教を求める幕府の通達に従わないという罪はあっても、「直接の主人や父や夫に殉じて信念を覆さなかった」という意味では、日本的な美意識に適っていた。
しかも、抵抗せずに静かに運命を受け入れる人たちに対する尊敬の情も伝統的にある。
で、キリシタンをうち首にした役人の中にも、リスペクトの姿勢を崩さず、処刑の時に周りにいた群衆も、みなが合掌したなどというエピソードも残っている。
もう一つ、日本には、自分がいわゆる悪行をしたわけではないのに命を断たれるという「非業の死」を遂げた人に対する「畏れ」の念もある。
「何とか、やすらかに成仏(キリシタンだけど…)してください」と祈ってしまうのだ。
しかも、安土桃山時代にけっこう日本の各地で活動していたキリシタンの修道会は、当時の日本が「天刑病」として忌み、隔離していたハンセン氏病などの感染病にかかった人たちを組織的に世話した。
「捨て子」の世話と「癩病」者の看護は伝統的にキリスト教の守備範囲なのだ。
そしてその二点は当時の日本の社会で見捨てられていた部分だったから、いくらでもキリスト教が進出することができた(後に、修道会本部から医療行為を禁じられて去った修道士もいる)。
日本人はそのことに驚き、敬意の念をもって記録した。
そういう文脈の中で、円空の話をあらためて考えた(前田速夫『異界歴程』)。
円空本人も癩病者だったのではという仮説のもとに、円空が名古屋でキリシタン殉教者の霊を弔ったのは、キリシタンが癩者の治療に当たっていたからだろうというのだ(池田勇次さん)。(前田速夫『異界歴程』より)
愛知県犬山市五郎丸万願寺五郎丸の稲荷社には、キリシタン弾圧による殉教者の供養塔があるそうだ。
五郎丸村では、7年間に124人が捕らえられたそうで、村の人口が半減したという。万願寺という地名も、もとはキリシタン寺で、禁教令によって取り壊されて、「諸神諸佛諸菩薩(しょしんしょぶつしょぼさつ)」と書かれた卒塔婆が残っているという。
福島県の猪苗代成就院で処刑されたキリシタン110人のためには、成就院の僧侶の建てたキリシタン供養の像がある。
有名な天草の乱の激戦地にもキリシタン千人塚という供養碑があるが、こちらは、
「鬼理志丹の根源は専ら外道の法を行い 偏に国を奪わんと欲するの志ふたつ無きなり」
などと書かれているから、リスペクトというよりは非業の死をとげた人たちの荒魂封じ込めのようなニュアンスがある。
さすがに「神にして祀ってしまう」というのはしなかった。
でも、日本には、赤穂浪士の討ち入りに続く切腹や、源義経と弁慶の最期への思い入れのように、いわゆる「判官びいき」というものがあるから、キリシタンの悲惨な運命も、古今東西の「宗教弾圧残酷物語」の中では、少し救われるような気がする。