4月28日のミサの後で、教皇はまる1時間もサン・ピエトロ広場で群衆に囲まれて、赤ん坊や障害者に接吻して回り、その様子を「イエスのようだ」と評する人もいる。写真を見る限りでもまるで青年大会のお祭り騒ぎのようで、ガードマンなど一体どこにいるのか人に埋もれてしまっている。
こんなに「露出」が多くては、何かここぞという時の発言に重みがなくなるのではと懸念する人々もいるようだ。
教皇のツイッターのフォロワ―は就任50日で270万人増えて600万人となったというが、スペイン語のヴァージョンが200万人だったり、リオの青年大会を控えているブラジル人が増えていたりというので不思議ではない。でも、毎水曜と日曜に教皇のもとに駆けつける人の数もどんどん増えているそうだ。
けれども、教皇庁の職員のための毎日のミサで話す説教もヴァティカン・ラジオのウェブ・サイトで公開されるので、ちょっとしたコメントが(たとえば4月24日にヴァティカン銀行を批判した)さまざまに解釈されて大騒ぎになったこともあるそうだ。
ベネディクト16世も2006年に、信仰と理性についての大学の講義で、歴史的文脈でイスラムにおける暴力に言及する部分が取りざたされてひどい目にあったことを思い出す。
今の時代、影響力の大きい人ほど、発話のどんな断片的な部分でもあげ足をとられるリスクがある。
フランスのカトリック雑誌が、このフランシスコ現象が「奇跡」なのか「蜃気楼」なのか紙一重だ、と書いていたが、どっちに転んでもなんだか危うい感じがするのは気のせいだろうか。