フリーメイソンとキリスト教が両立するかどうかについての考え方の変遷を調べていたら、いろいろ不思議な話に出くわす。
たとえば、福音派の教会の中にメイスンのメンバーがいることついての対処の仕方についての記事だ。
フリー・メイスンがリベラルなプロテスタントの牙城だという見方は知っているが、プロテスタント右派である福音派との関係など考えてもいなかった。
列福もされているヨハネ23世が1935年以来のメイスンだったという噂は薔薇十字団との接近と共に、よく出てくる話なのだが、教皇になる前の彼にメイスンとして出会って影響を受けたと言っているJean Lincelinという人の
最近作にまつわるインタビュー記事を読んで、そのこだわりにも驚いた。
カトリックとフリーメイスンが両立できるかということついて長い記事を書いているフランク=ウィリアム・シャフネールという人もいて、「大司教」だというから一体誰かと思ったら、カトリックはカトリックでもガリア教会の司教だった。
ついでに今のフランスに残るガリア教会のさまざまなサイトを渉猟してみた。その中で知っているのは15区にある聖リタ教会の教区だけだ。
フランスのような国、理神論やら無神論やら政教分離やらがカトリック教会と対立したり拮抗したりした国でのエゾテリスムの歴史とフリーメイスンの歴史は錯綜している。ガリア教会の人がそれを語るのも不思議ではない。
その歴史の激流の中で霊的な光だの真の智恵だの自己実現だのを真摯に追求する人は、時としてユニークな人生を送る。
ドン・ベルナールともよばれるBernard Besret(ベルナール・ベレ)という人などその典型だ。
13歳で母親を失った後、オルダス・ハクスリー(この人も14歳で母を亡くしている)の『永遠の哲学』に影響を受け、もう少し後の時代ならインドあたりに旅するところを1950年代だったため、18歳で地元のブルターニュのシト-会の修道院の門をたたいた。
20歳でローマに送られて神学博士号を得て、1960年にはまだ25歳の若さで修道院長になり、第二ヴァティカン公会議でも活躍して修道院の改革もしたのに68年の五月革命を経てドグマというものから離れた。
1974年に修道会を去り、政府のためにパリのヴィレット科学都市構想の仕事などをして活躍するのだが、修道会でのように霊的なことを話し合う場を求めてフリーメイスンに入会する。
ところが、結局、1997年に道教に「改宗 ?」して、2010年には
中国で伝統文化センターを開設したんだそうだ。
「永遠の哲学」(つまりあらゆる宗教に共通するルーツとなる思想がある)の出発点をついに見出した形である。
この人の経歴はカトリックとしても充分に「濃い」ので、単にキリスト教しか知らなかったヨーロッパ人がオリエントに憧れた、などという話ではない。
フリーメイスンがそういう道程においていったいどのような役割を果たしてきたのかは、いっそう興味深いものである。