少子化対策を検討する内閣府の有識者会議が提唱するという妊娠・出産の正しい知識を女性に広めるための「生命(いのち)と女性の手帳」について、フランス在住の立場からどう思うかと質問されたのでひとこと。
フランスというか、ごく個人的な印象としてはこういう「女性手帳」を配るのって限りなくセクハラに近い印象を受けました。今のとこ、それがすべてです。
で、ネットで検索すると、マタニティに関するハラスメントで「マタハラ」という言葉もあるそうなので、ああ、まさにこれだなあ、と思って読んでみると、なんと、それは「出産を期待するプレッシャー」の話ではなく、妊娠出産による休職や退職などに向ける雇用者や同僚の冷たい視線や嫌がらせのことでした。
子供を産まなければ「先送りしていると産めなくなるぞ」と脅され、産んだら産んだで「職場の戦力にならない」とハラスメントを受けるようです。
出生率の高いフランスでは同僚が「妊娠した」と告げる度に、みな満面の笑みをたたえて「おめでとう」というのですが、頭の中では「では産休がいついつからで復帰はいついつまでは見込めないからどうやってシフトを組もうか」と全員が瞬時に考えながらパニックになるっているのだと、複数の人から聞きました。
にっこり笑いながら心の中では「やれやれ大変だ」と思っているような「外面のいい」対応はむしろ日本のものだと思っていた私には、意外でした。
日本の方が「迷惑だ」とあからさまに顔に出されるなんて。
一般的に言って「弱者」やマイノリティに対する態度は、「偽善的」なくらいでちょうどいいのかもしれません。本音を出すと歯止めがきかなくなる人が少なくありませんから。
伊藤計劃の『ハーモニー』の中で何度も、作品の舞台になっている社会で子供が大切にされるのは子供が「社会資源」だからなのだと強調されていました。共同体存続のためのリソースということです(産んだり産まれたりするからには社会に寄与することを求められているわけです)。
「少子化対策」から「女性手帳」の流れって、もうすでにそういう世界観の現れなのかもしれません。