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L'art de croire             竹下節子ブログ

フリーメイスンの司祭が停職処分された話

フランス・アルプスのアネシィ司教区の司祭パスカル・ヴザンが2001年からフリーメイスンのグラントリアン(GOFまたはGODF)で活動していたことから、ローマからの指示を受けた司教により、5月26日付けで辞職を余儀なくされた。

2010年にヴザン神父がフリーメイスンに所属していると密告した手紙を受け取った司教から問いただされた時、司祭は否認した。

2011年にもふたたび密告の手紙があり、フリーメイスンをから脱会するように言われて、

「信教の絶対的自由」

によってカトリックとフリーメイスンを両立させると答えた。

結局ヴァティカンの教理省の指示で、司祭職から外されることになった。

メイスンを脱退して教会に戻る道は開かれているそうだ。しかし教区でミサをあげられないだけではなく、本人も聖餐にあずかれないという処置なので、目下のところはいわゆる「破門」に近い。

1月17日に、地元の週刊誌のサイトのインタビューを受けて、自分は熱心な政教分離派だと唱えていて、同性婚法にも賛成している。

43歳の「働き盛り」であり、フリーメイスン脱会を要求されてからはずっとダモクレスの剣を吊るされて生きている心地だったが、まさか本当に「解雇」(半年から1年の間給与が払われ続けるそうだが)されるとは思ってもいなかった、と神父は語る。

自分は司祭になるために生まれてきたと召命を自覚しているし、信仰は強固であるそうだ。

もう第3共和国時代のようなフリーメイスンとカトリック教会の対立などない、と彼は言う。

「自分は、思想と表現の自由を福音書によってインスパイアされた」のだとも言う。

過去に、フリーメイスンだったがそれを司教から許可されていたことで話題になったのは、オータンのジャン=クロード・デブロス神父だ。
1999年に亡くなった時、12月4日にオ―タンのカテドラルで葬儀ミサが行われたが、9日、フィガロ紙の死亡欄に、1980年に司教に許可されて以来フリーメイスンに属していたこと、メイスンの位階を昇っていたことなどが詳しく掲載された。

1980年に許可したという当時の司教はもう去っていて、99年にコメントを求められた司教は、18日に、地方の司教にはメイスンの妥当性を判断する権利がないとしたヨハネ=パウロ二世の言葉(1983/11/26)を引いた。

実際1917年5月の教会法には2335条がフリーメイスン即破門と明記されていたのが、1983年1月の新法からはフリーメイスンという言葉は消えている。教会に反する団体に入り主要な役割を果たす者に対するミサ禁止の罰則規定のみがある。

弁護士でありオ―タンの巡礼責任者でもあったデブロス神父はフリーメイスンに入会した時32歳だった。

今回のヴザン神父は今43歳ということだから、入会時は31歳とほぼ同年代だったわけだ。

以下、下線部は6/8修正

これについて、ラ・グランド・ロージュ・ナショナル(GNLF)の書記長クロード・ルグランは、自分たちの「神」はキリスト教の神ではないが、GOFが反教権主義なので目の敵にされているのだ、と語っている(ル・モンド)。
しかし、GOFには26000人の司祭が入会している、と言われているのだ。

これをどう見るか。

まず、グラントリアンの方では信仰を問わないのでカトリックでも無神論者でも容認される。

ただし「宇宙の設計者」を認める理神論的な団体である。(今は公式には理神論を捨てている。6/8註)

そして、メンバーは、自分で公表するのは自由だが、他のメンバーの名を公にすることは禁じられている。

だから、たとえ司祭が入会していても自分で公にしなければ世間には分からないことになる。
ただし活動が派手だったり、今回のように「密告」されたりすれば、今のカトリック教会からは脱会を勧告されるのが普通のようだ。

教会の務めをちゃんと果たしていて第三者にさえ分からなければ、愛人がいようと同性愛であろうと、小児性愛(これは犯罪だから大変だが)であろうと内々で隠蔽されることが多い世界だから、フリーメイスンに属すること自体が「お目こぼし」になっていたとしても、それ自体は特に不思議ではない。

フランスのように政教分離がはっきりした国で「共和国」的な理念を掲げる聖職者がフリーメイスンに接近することも不思議ではない。

ただ、ヴザン神父はその言動自体が今のカトリック教会の路線より「過激」で自由主義的だったので、保守的な信者などの不興を買っていたということは大いに考えられるし、それが「密告」にもつながったのだろう。

フランス・カトリックの「進歩派」の祖と言われる19世紀のラコルデール神父のことを思い出す。

彼は「信教の自由」を普遍的なものとして政教分離を雑誌の記事で唱えた人だが、フランスの教会でスキャンダルを引き起こした後で、当時の教皇グレゴリウス16世の判断に委ねた。
その結果Mirari Vosという教勅によって信教の自由や表現の自由が弾劾された。

この時のラコルデールもちょうど30歳だった。

彼は教皇の判断には従い、その後、ドミニコ会士になって内部改革をしたりいろいろな説教によって別の道を選択したりしながら戦略を変えていったのだ。

フリーメイスンとカトリックは両立します、とか相互補完的です、と主張するような、二者だけを視野に入れたレトリックにこだわるのとは、根本的に違う。

聖職を選択したということ自体が「神からの召しだし」に自由意思で応えたものであったのなら、30代のはじめあたりで革新の風に吹かれてすぐに「上司に逆らう」ことを選択するのは、後で不毛に終わるような気がする。

なんであれ、改革の信念というものは、さまざまな困難をかわし、乗り越え、時には引き返したり脇道に分け入ったりしながら少しずつ醸成させていくもので、その改革がたとえ自分の代で実現できなくても、必ず根をはって次世代を動かすことがある。

聖職者が「信教の自由=フリーメイスン」ととびつくのは安易で浅い選択ではないだろうか。

もっとも、そういう理由ではなく単に人脈作りのためにだけメイスンに入会している聖職者たちがいるとしたら、彼らはヴザンなどよりもっとしたたかで、密告されて活動停止に追い込まれたりなどはしないのかもしれない。
by mariastella | 2013-05-26 02:14 | フリーメイスン
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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