ダン・ブラウンといえば、『ダヴィンチ・コード』にしろ『天使と悪魔』にしろ、あまりにもヨーロッパ的な教養のないアメリカンなオカルト好き視点でいい加減なことを書き散らしているなあ、と思っていたのだけれど、パリで最新作の『インフェルノ』に関するインタビューを受けて話しているのを読んで少し見直した(La Vie 3535)。
自分はもちろん娯楽小説を書いているのだけれど、これだけ多くの読者を得た後は、モラルの義務というものが生じる、というのだ。
それで、今回の『インフェルノ』はダンテの『神曲』をモチィーフにしているのだが、扉にも掲げている主要メッセージは、
「地獄の最も昏い場所というのは、モラルの危機の時代にあって決断せず、動こうとしない(中立のままでいる)人間のためにある」
ということなのだそうだ。
「中立でいるのは罪の一種である、無関心は最大の罪である」
ということがダンテと自分の共通の信念なのだと言う。
戦争にしろ、人口過剰や環境破壊にしろ、地球上に起こるモラルの危機を前にした時にそこから目を背けたり見ないふりをしたりして自分の立場も明確にせず行動にも移さないのは「最大の過ち」だと言う。
今の世界の問題の複合性を前にしたら誰でも内に引きこもってそのうち何とかなるだろうと考えたい誘惑にかられるけれど、そういうことではいけない。この本は自分に対しても、読者に対しても、一つの挑戦なのだ、そうだ。
ステファン・エッセルですか、というくらい意気軒昂で、正しさあふれる人なんだなあ。
奥さんがカトリックの美術研究家というのは知っていたが、父親は無宗教の数学者で、母親が米国聖公会のオルガニストで教会の中心人物だったそうだ。
で、教会の聖歌隊にも参加していた少年ダン・ブラウンは、13歳の時にアダムとイヴの話が進化論と矛盾しているのではないか、どちらが真実なのかと牧師に質問したら、「いい子はそういう質問をしちゃいけない」とあしらわれて、それから科学の道を選んだのだそうだ。
こういう二者択一的なところがそもそも単純すぎると思うのだが。
アメリカ的とも言える。ダン・ブラウンと同世代の平均的日本人やフランス人が13歳の時にそんな悩みを持つとはまず思えない。
で、教会を捨てて科学を選び、量子科学にまでたどり着いたら、そこはふたたびスピリチュアルの世界だったので振り出しに戻ったと言う。
Wikipediaで検索したら、ダン・ブラウンが大学で専攻したのは英語学とスペイン語のようだし、作曲家としてのキャリアもあるようだが、「科学の道」というのは見えてこない。
独学だったのだろうか。
優秀な数学者だった父へのコンプレックスなどがあったのだろうか。
なんだか不思議な話だが、「ベストセラー作家になった以上はモラル上の義務がある」という考え方自体は、「ノブレス・オブリージュ」の考え方がこういうところまで浸透しているのか、と印象に残った。