私のトリオは、もうだいぶ前からデュフリィのチェンバロ曲「シャコンヌ」の中声部や低声部を補充したギターのトリオ曲を弾いている。
デュフリィに聴かせてあげたいくらいに美しい。今はなんだか飛翔してしまう感じになっているので、もう少しダンサーの体を感じられるような重力のメリハリをつけたい。
実は
チェンバロで聴くと全然趣きがないのだが、このリンク先の
1 :59 から2 :20の間の部分
に来ると、毎回、弾きながら脳内トリップしてしまう。
私はセロトニン出まくりというか、脳内麻薬が出るというか酔うような幸福感を感じていたのだが、バスの10弦を担当している編曲者のHは、このパッセージになると必ずヴァトーの
「シテール島への巡礼」の右下にいる三組のカップルのうち、男に出発を促されながら後ろを振り返る女性の姿が目に浮かぶのだそうだ。
つまり、
男に求愛されたり、愛し合ったりという恋愛の段階をすでに全部体験して覚えていて、
それにノスタルジーを感じながらも、もう先へ行かなければならない、と諦念して歩き出しながら、
それでも後ろを振り返らずにいられない、それも嫉妬や悲しさではなく無垢なやさしさをたたえながら、
という女の姿だ。
H(彼は今年不惑の齢になったゲイである)にそう言われてから、このシャコンヌのあらゆる場面でシテール島のあらゆるディティールが浮かんでは消えるようになってしまった。
(ただし、ここにリンクしたyoutubeの演奏ではテクニックばかり際立ってヴァトーの入る隙間はない。そのうち私たちの演奏をサイトにはりつけた時にお知らせするので聴いてもらいたい。でもこのリンクには楽譜も付いているので、弾ける人はチェンバロでもピアノでも、「シテール島」を思い浮かべながらこのパッセージを弾いてみてほしい。でも実は最高にギタリスティックな曲である。)