ノーマン・メイラー、木村拓哉、マザー・テレサ
この記事のタイトルは奇妙な三題話のようだが、ノーマン・メイラーの 『The Gospel According to the Son(息子による福音書)』(息子というのは父と子と聖霊の「子」にあたる。イエス・キリストのこと)をネットで調べていくと次々とつながっていったものだ。
ノーマン・メイラーはユダヤ系アメリカ人の有名なノン・フィクション作家だが、この本は彼がナザレのイエスを一人称にした「福音書」でその人間としての生と死を語らせたフィクションである。私は今ユダ論を書いているので、ユダヤ系の彼がイエスの一人称の物語でユダの裏切りについてどう書いているのかを知りたかったので興味をもつことになった。 そのついでにこの作品の日本語訳が出ているのかと検索してみたら、 角川春樹事務所から 『奇跡』 (1997)というタイトルで出ていて、その後、改題されて『聖書物語』(ハルキ文庫)になっていた。 キリスト教国では「福音書」という言葉が一番インパクトがあるのだけれど、日本だとまず「奇跡」と銘打って出版し、それでは結局何のことかわからないので次には、べたに「聖書物語」としたらしい。中途半端だ。 キリスト教というのはナザレのイエスが苦しんで死んで復活して昇天したというのがセットとなってはじめてイエス・キリスト(救い主)への信仰が生まれたのだから、人間として死ぬまでの部分だけで終わるとそもそも理解できない仕組みになっている。 その日本語訳の感想をネットで調べていたら、「今までよくわからなかった新約聖書のことがすごくよくわかってイエスの人間的な感情に共感できた」というニュアンスのものが目についた。 その「人間的なところ」というのは、イエスが奇跡を起こしたり説教したりしながら、貧しい人や虐げられている人々を救おうと必死になっているのに、その使命を彼に与えた父なる神が今ひとつ力になってくれないで最後は彼を見捨ててしまうことに対する苦しみや絶望であるらしい。 で、この本の感想を書いている人たちが、「ICWRの木村拓哉の絶望と同じだよね」というようなコメントをしているのに気がついた。「ICWR」って、いったいなんだろうと思ってさらに調べたら、「I come with the rain」というフランス映画だった。 木村拓哉の演ずるシタオという中国人らしき男が、他人の痛みや苦しみを自分に引き受ける能力を持っているのだが、その苦しみはいつまでも終わらないし、もはや神の声も聞こえない、答えてくれない、と絶望している。それがイエスをモデルにしているということだった。 そんなフランス映画のことは知らなかったので検索すると、ベトナム人のトラン・アン・ユン監督作品だが、フランスでは製作会社との間ですったもんだの裁判沙汰になっていて、彼が結局ファイナル・カットをまとめずに放棄したので、フランスでは上映されていない。日本で上映されたものを見た監督が「ひどいものだ」、とコメントしていた。その後もこの作品の上映禁止を訴えたのに結局あちこちで出回ったのは遺憾だ言っている。 さらに、木村拓哉の苦しむ姿をキリストに重ねた日本人の感想の中には、「そういえばマザー・テレサも晩年に神を見失った、と言っていた、さぞ苦しかっただろう」というものがあった。 つまり、イエスの受難、ICWRの木村拓哉の苦しみ、マザー・テレサの試練は、いずれも、使命に生きながら「神の声が聞こえなくなる」絶望の深さが共通しているというわけだ。 これって、まったく「福音」とは言い難い。 神の姿を見失ったり聖霊にインスパイアされなくなるという「信仰の闇」を生きた聖人たちの話は決して少なくないが、イエスの場合は全く異なる。イエスは何かを信仰しているのではなく、神や聖霊と共に救いの業に携わっているわけだから、苦しんで死んだのも復活に必要なステップだった。 イエスを「使命に生きながら苦しんだ賢人」のように扱ったり、キリスト教を「モラルの体系」のように扱ったりする流れというものは、どこでもいつの時代にもあったわけだが、「福音」という響きに背を向けたい誘惑というのはいったいどこから来るものなんだろうとあらためて思ってしまう。
by mariastella
| 2013-06-07 07:38
| 雑感
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