婦人公論5/22号で、獣医学者で解剖学者の遠藤秀紀さんという方が、カトリック系の小学校にいた時、神父さんがダーウィンの進化論と聖書の天地創造について生徒を二派に分けて議論させたという体験を語っているのを読んだ。
ダーウィン派の遠藤氏は聖書派の同級生を泣かすまで論破した。
授業の最後に神父さんがこう言った。
「遠藤くんの言っていることは正しい。でも、地球上の何億人もの人が、こんな聖書にすがらないと生きていけないんだ。そのことを頭の片隅に置いて、科学者として何でも好きなことをやっていきなさい」
科学と人間はどう折り合うべきか、彼の考え方はその時に決まったそうだ。
彼は1965年生まれというから、この話は1970年代後半あたりのものだろう。
ネットで検索してみるとカトリック系の小中高を経て東大農学部とある。
そしてこの議論は小学校の「神学の授業」でのことだったと(朝日デジタル2012/7/7
など)。
小学校で「神学の授業」なんてあるのだろうか。
こういう討論式の授業は欧米では普通だが日本の普通の小学校では少ない気がする。
朝日の記事では「進化論と信仰の折り合いのつけ方として感動しました」とある。
婦人公論とニュアンスが違う。
1970年代後半というともう福音派の天地創造原理主義みたいなものが教育の場で問題になっていたのだろうか。
アメリカではアーカンソー州の公立学校での進化論の授業禁止が違憲だとされたのが1968年だがその後保守化し、1981年にはアーカンソーやルイジアナで進化論と天地創造説を均等に教える法律ができたりしているから、進化論を否定しないカトリック系の小学校でも当然いろいろな戦略がたてられていたのかもしれない。
遠藤さんとダン・ブラウン(1964年生)は、ほぼ同世代だ。でも、1
3歳の時に聖公会の牧師からこの問題への質問を封じられてから宗教を捨てて科学を選んだと言っているダン・ブラウンと遠藤さんの体験は対照的だ。
しかし、「進化論と信仰の折り合いのつけ方」というよりも、
「科学と人間はどう折り合うべきか」
と言っている今回の記事の表現の方が奥が深い。
日本のような国ではそもそも「進化論と信仰の折り合いのつけ方」などは誰も問題にしないが、「科学と人間の折り合いのつけ方」というテーマは普遍的だ。
日本の小中学校の理科の授業で生徒にそれを考えさせるような教育者が聖職者以外にもいればいいのだが…。