大岡優一郎『東京裁判-フランス人判事の無罪論』文春新書
大岡優一郎『東京裁判-フランス人判事の無罪論』文春新書
この本は、欧米キリスト教文化圏におけるフランスの立ち位置のユニークさをよく示していておもしろい。 東京裁判という米英主導の「推定無罪」どころか先に「死刑ありき」の法廷で、多数派でないので判決文の作成にも加えてもらえなかったフランス人判事が残した「反対判決」と他の判事たちに残した多数の覚書が紹介されている。 インドのパル判事の有名な「日本無罪論」ではなくて、英米と同じ白人の帝国主義国であるフランスが、「英米のやり方が間違っている」と断言しているのだ。 ジャンヌ・ダルク裁判を想起してしまう。 ジャンヌ・ダルクを火あぶりにする以外の判決が想定されていない閉じられた空間で、ジャンヌはその異端性を問われた。 その25年後、その異端審問が、ジャンヌの敵側だったイギリスの依頼でイギリスの資金によってなされていたことが、異端審問の正当性を覆した。異端審問は利害関係のない第三者から申し立てられなければならないからだ。 異端判決(正確に言うと戻り異端の宣告)は取り消されてジャンヌは復権した。 その後400年近くも経って、ジャンヌが聖女だと祀り上げられてカトリック教会内に像が据えられたりするのはまた別の話だ。 第二次大戦の日本人戦犯と百年戦争の「戦犯」ジャンヌ・ダルクを比べるのは無理かもしれないが、ジャンヌ・ダルク裁判も実は異端審問の名を借りた戦争犯罪法廷だったのだと思う。 東京裁判でアングロサクソンを中心にした多数派の不公正を唱えたフランス人判事アンリ・ベルナールの主張が看過されてきた背景には彼が天皇の戦争責任を問うべきだったと考えていたことの「不都合」がある。 いわゆる「戦後教育」を受けた世代の私たちにも、天皇が戦争責任を追及されなかったのは、天皇を残した方が戦後日本の統治がたやすかったからだ、冷戦に向かう情勢の中で、アメリカが、天皇を残すことによって日本の共産主義勢力の成長を抑え込もうとしたからだ、という「説明」は普通にされていた。 そうでなければ、いくらなんでもすべてが軍部の責任にされたということは戦後生まれの子供たちの目にも不自然だったからだろう。 処刑された戦犯たちにしたところで、戦争中は天皇の名の元に人々に犠牲を求め死に追いやっていたのだから、戦後に天皇を差し出して自分たちの命を救うなどという選択は不可能だっただろう。 たとえて言えば、オルレアンでイギリス人を蹴散らしたジャンヌ・ダルクの目的は王太子シャルルをランスで戴冠させることだったのだから、もしルーアンの法廷で「シャルル七世に戦争責任をとらせればジャンヌの命は救われる」という状況だったとしたら、ジャンヌは迷わず自分の死を選ぶということだ。王さえ温存すれば自分の果たした大きな使命は無駄にならない。 軍部を弁護しなかった天皇は生き延び、ジャンヌ・ダルクの救出に向かわなかったシャルル七世も生き延び、やがて日本は復興し、フランスからはイギリス軍がすべて去った。 A級戦犯は靖国神社に合祀されて物議をかもし何かと国際的な非難の種にされているが、ジャンヌ・ダルクは共和国のシンボルとなったりフランスの守護聖女となったりした上に、かつての敵のアングロサクソン系の国でも人気が高い。 靖国が民族宗教の神道で、ジャンヌを聖女にしたのが国際的普遍宗教のカトリック教会だという違いもあるけれど。 ともかく、実態はどうあれ、カトリックやキリスト教というものが、本来は、人間の人種や身分や国境や時代をも超越する神に絶対の価値を求めるものであるのは事実である。 ジャンヌの異端審問が行われた時の西欧キリスト教はまだプロテスタントが大きな流れを作らない中世末期なので、イギリス側もジャンヌを裁くためにカトリックのストラクチャーを使ったのだが、その巨大なストラクチャーがその後の復権裁判だの列聖審理だのも可能にしたとも言える。 宗教戦争を経てアングロサクソン国や北欧はローマの一元支配を逃れていわばより民主的だが個人主義的なプロテスタント信仰に向かった。 カトリック国だから、プロテスタント国だから、メンタリティが違うのだというよりも、最初からラテン的メンタリティとアングロサクソン・ゲルマン系メンタリティが深いところで異なっていたから、ローマ・カトリックの一枚岩が壊れたのだという方が理屈にあっている。 で、カトリック的社会を維持する方に向かったフランスでは、少数派のプロテスタントがナントの勅令廃止で弾圧されたり亡命したりしたので、近代は「反カトリック」=「理神論的共和国主義」へと展開し、さらに「反カトリック」=「無神論」という図式が出来上がってそれは今でも根付いたままである。 アンリ・ベルナールが教育を受けた20世紀初めは特に、カトリックを牽制する政教分離法が施行された頃だった。 世間には、「カトリック=前近代、封建的、無知蒙昧」というイデオロギー的切り捨てと、実はもう何世紀も続いていた「良家の子女の教育はなんといってもカトリック修道会系の寄宿学校で」というダブルスタンダードが存在していた。 大岡優一郎は、アンリ・ベルナールに強いカトリック・バイアスがあったらしいことについて、プロヴァンスのイエズス会系神学校で「多感な少年時代を神さま漬けになって過ごした」ことをあげている。 両親が彼を司祭にしたがったこと、しかしどういう心境の変化からか聖職の道を棄てて従軍し、その後法学の道を選んだと言うのだ。 しかし、アンリ・ベルナールが8歳で入れられたのは明らかに、この頃の寄宿制の中高一貫校である「小神学校」である。 そこでは、確かに祈りなどが義務づけられていて厳しかったろうが、一般的には「良家の息子が入れられる場所」でその意味ではイギリスのパブリックスクール(全然パブリックではないが)と同じような位置づけだった。多くの少年たちはここでカトリックにうんざりして教会離れをするし、反対のチョイスである無神論者になることすらよくあることだった。 無神論を唱えることはいわば「良家の子女」を卒業して自立する通過儀礼のような部分があるからだ。 小神学校とまでいかなくとも、20世紀初めにカトリック系の修道会経営の学校で学んだ知識人が最終的に「神はいないんだ」という類の電撃的な悟りを得て、フランスの典型的エリートの道を進むというケースはめずらしくない。20世紀半ばに活躍したフランスの知識人の典型は「キリスト教の教養が充分過ぎるくらいありながら、敢えてそれを封印、否定、発展的解消などさせて無神論的「普遍知」の体系を構築しようとした人々だと言えるほどだ。 実際、20世紀前半では小神学校出身で、バカロレアを通った後でさらに大神学校(これは本格的に司祭養成機関だ)に進む者は3分の1でしかなかったという記録がある。 (たとえば1934年の時点でフランスの小神学校の生徒数は11,000人でそのうち3分の1が大神学校に進むが、小神学校を出ることは大神学校に入る資格ではない。それでも1947-48の時点で大神学校生の68%が小神学校出身で、今でもフランスの司教の12%は小神学校を出ているという記事もある。) ともかく、アンリ・ベルナールが大神学校に進まなかったことは、特に「聖職の道を棄てた」ことを意味しない。 実際それからも教会に通う人ではなかったらしいから、むしろごく普通の「平均的フランス知識人」になったのだと思われる。いや、元より、平均的なマジョリティのフランス人だったのだろう。 つまり、慣習どおりに洗礼を受けたりカトリック系の学校に行ったりするが、もとよりフランス革命や帝政や王政復古や七月革命、二月革命などを繰り返しているうちに神とか既成宗教体制とかとは社会生活を円滑にする必要最低限の表面的関係しかもたないフランス人ということだ。 著者は、アンリ・ベルナールにおけるカトリックの刷り込みについて佐藤優の言葉を援用しているのだが、日本のような国で超マイナーなカルヴァン派の思想を刷りこまれたと言っている佐藤優と比較するのは無理ではないだろうか。 またアンリ・ベルナールのことを、息子が「中世的カトリック信仰」などと評しているのは、謹厳な法官である父親に対する反発を過激に表現したのだと思う。 この一人息子が残した父親評は確かに貴重なものではあるけれども、父子の間に良好な関係がなかったことは確かなのだから、明らかにバイアスがかかっている。 息子が強権的な父について「封建的」と切って捨てるのはめずらしいことではない。 著者は「中世的なカトリック」という評についてわざわざいろいろと考察しているけれど、まず「封建的」という反発があって、「封建的」=「中世的」=「カトリックへの盲目的愛着」という連想を拡げたという方が当たっているだろう。 特にこの息子はポリオに罹患して苦しい少年期を母親と二人で過ごし、後遺症もあって、人生へのルサンチマンは強かったと思われるし、まるでそんな息子の現実と向き合うのを回避するかのように父親は何十年も植民地勤務を続けていたわけであるから、信条の差というより親子間の軋轢が大きかったのだ。 その父は母がなくなった後で70歳を過ぎていたのに半世紀前に求婚したことがあるという未亡人と再婚したというのだから息子にはますます複雑な思いもあったろう。 ともかく「アンリ・ベルナールが司祭になるべくして育てられて法曹の道に進むなど想像もつかない人間であった」という見方は、この一人息子の述懐だけが根拠なのだから推して知るべしだ。 強いて言えば、20世紀の初めのカトリック家庭で3人の男の子がいれば、3人目くらいは神学校に入れて司祭になればいいだろうと親が思うこと自体は不思議ではない。ただし、上の2人が第一次大戦で死んだのだから、3人目が司祭になることがもう問題外になったろうことは想像がつく。残った息子として家督を継いだり両親や姉妹たちへの責任もかかってきたりするだろう。 ベルナールが「物心付く頃から聖職の道を目指さなければならぬ環境に身を置き、神学校という閉じた世界で純粋培養されていた」という書き方は妥当ではないし、そのベルナールが大学で世俗の思想の洗礼を受けて両親から役立たずと思われたという話も一人息子の述べるものなのだからあてにならない。 ともかく、突然神に背を向けて神学校を去ったというより、普通に小神学校を終えて、小神学校を出た生徒の3分の2と同様に、大神学校に進むことなく世俗の大学に進んだだけであり、そこに大戦への動員や兄の死という家庭の事情の変化が加わったのだから、司祭にならなかったことには不思議なことではまったくない。 また、著者がそれほど「息子の証言」を根拠にカトリックに由来する普遍主義をアンリ・ベルナールの特色にしているにもかかわらず、その普遍主義について、「自分たちの思考こそが普遍的であり世界の規範となる」というフランス的確信なのだと決めつけているのも残念だ。 いくら中華思想のフランスでも、普遍主義が何かということは分かっていて、むしろ普遍主義を掲げることで自分たちが縛られていることも心得ている。 たとえば、他の国なら「国民の自由や人権を保障する」というところをフランスは「全人類の自由や人権」という大風呂敷を広げるので、移民対策などにおける本音と建前、理想と現実の矛盾や食い違いに足をすくわれてしまうのだ。 せっかくベルナールの立ち位置が英米法的な共同謀議だとか法実証主義とは違って自然法的な概念に拠っているものだと看破しているのに、まるで英米スタンダードがグローバル化してしまうポストモダンのようにフランス風普遍主義を落としこんでしまうのでは論点がずれてしまう。 この本には著者の情熱があふれていて、法律問題を扱いながら詩情さえたたえているのだから、わずかの違和感や齟齬が気になったのでここに書き留めてみた。
by mariastella
| 2013-10-02 05:54
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